お笑いコンビ・品川庄司の品川祐さんの家族は有名人が多いですが、実は姉が病気で亡くなっています。
品川祐さんの姉の品川実花さんのプロフィールや経歴、家族(父親・母親・姉・弟)と死去や死因、結婚と弟・品川祐との関係性などをまとめました。
この記事の目次
品川実花のプロフィール
品川実花
生年月日:1969年5月2日
没年月日:2012年1月7日
出身:東京都
身長:155cm
職業:フリーライター
品川祐さんの姉である品川実花さんは、1969年5月2日生まれです。
2009年5月2日に「ジャスフォーです(*^^)v」というブログをアップしていました。
ジャスフォーになりました\(゜□゜)/
40歳。
ビックリ!!
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
品川祐さんは1972年生まれなので、品川祐さんの3歳上の姉ということになります。
実業家の山野凱章と美容家のマダム路子の間に次女(第二子)として誕生します。シナリオライターやエッセイストとして活躍していましたが、2010年に脳腫瘍が発覚し、闘病の末に2012年に42歳で死去しました。
品川実花の経歴
品川実花さんは1969年に東京で生まれました。子どもの頃は渋谷区に住んでいて、渋谷や新宿はよく行っていて、高校は六本木や銀座に近かったとのことです。
子供の頃は渋谷区に住んでいたので、
渋谷や新宿にはしょっちゅう行っていたし、
高校は銀座やら六本木が近かったので、
学校帰りによく行きましたが、
社会人になってからは、フリーライターやエッセイスト、編集者として活動していました。
「29歳が終わるとき」というエッセイを29歳で執筆し、1999年に出版しています。そのほか、舞台の脚本を執筆したり、雑誌で映画解説を連載したりしています。
出典:amazon.co.jp
そのほか、弟である品川祐さんの著書「ドロップ」や「漫才ギャング」の編集も担当していました。
品川実花の家族(父親・母親・姉・弟)
品川実花さんの家族は著名人・芸能人が多いです。
・義父:片岡五郎
・母親:マダム路子
・姉:中原晴美
・兄:品川一治
・品川実花
・下の弟:品川祐
品川実花さんの家族・兄弟はそれぞれが仕事に忙しく、あまり連絡を取り合わない生活を送っていましたが、実花さんはこれ以上家族が疎遠にならないようにパイプ役になり、家族の間を取り持っていた立場でした。
実花は家族が大好き!親戚、知人、友人との交流を大事にし、それぞれをつなぐパイプ役でした。
当時の品川家の兄弟は交流がなく、それぞれ仕事の目標を追い求める生活を送っていた。そんな兄弟がこれ以上疎遠にならないよう連絡を取り合っていたのが実花さんで、母・マダムの熟年再婚を後押ししたのも実花さんだった。
実花さんは品川家の中で重要な役割を担う存在であり、家族思いの女性だったと言えるでしょう。
父親は山野凱章
出典:yamano.com
品川実花さんの父親は山野凱章氏です。山野凱章氏は、美容用品総合商社の株式会社ヤマノの元取締役で、日本の美容業界の先駆者だった山野愛子の息子に当たります。
そのため、品川実花さんは山野愛子の孫になります。
山野凱章氏は株式会社ヤマノを経営しながら、東京美容卸商業共同組合理事長やICD世界美容家協会の世界副会長を務めていましたが、2007年3月10日に糖尿病腎症のために享年68歳で亡くなりました。
義父は片岡五郎
品川実花さんの義父(継父)は、俳優の片岡五郎氏です。実花さんの両親(山野凱章とマダム路子)は結婚して12年(1977年)に離婚しました。そして、1988年にマダム路子さんは俳優の片岡五郎さんに出会い、2007年に再婚しました。
片岡五郎さんは俳優座養成所の15期生で、20代の若い頃は青春スターとして映画やドラマなどで活躍しました。30代以上になると、その強面の顔とドスのきいた声で悪役俳優として刑事ドラマやVシネマなどに出演しています。
また、法政大学卒業という高学歴も関係しているのか、俳優としてだけでなく、経営コンサルタントや講師、文筆活動など多岐にわたる活動をしています。
1999年には交際中のマダム路子さんと「社会奉仕」と「魅力人のリーダー育成」を掲げた一般社団法人国際魅力学会を設立しました。
品川祐さんのブログによると、中学時代から片岡五郎さんが父親代わりだったそうですから、品川実花さんにとっても同じように高校生の頃からが片岡五郎さんが父親代わりだったのでしょう。
母親はマダム路子
出典:be-story.jp
品川実花さんの母親はマダム路子さんです。マダム路子さんは1940年に東京で生まれ、山脇学園中学校・高等学校に進学し、ミュージカル女優になることを夢見ていましたが、「対面恐怖症」や「赤面恐怖症」になったことで、「女性の美」に興味を持つようになりました。
その後、21歳で美容師資格を取得し、22歳で日本初の魅力学研究家・美容家のプロ講師としてデビューします。
この活動がきっかけで日本美容界の先駆者である山野愛子と出会い、23歳でその息子である山野凱章と結婚します。付き合い始めて3ヶ月後にプロポーズされてのできちゃった結婚でした。
そして、24歳で長女、27歳で長男、28歳で実花さん、32歳で次男(品川祐さん)を出産します。その後は、「山野路子」として美容界で活躍するようになりますが、結婚12年・35歳で離婚し、それからはマダム路子を名乗るようになりました。
その後、一般社団法人国際魅力学会設立、魅力心理学講座を開設、インターネットジャパンアクターズTV制作会長就任などの活動を行い、2021年にはYoutubeチャンネルを開設しています。
姉は中原晴美
出典:ra-ha.com
品川実花さんの姉は、美容家の中原晴美さんです。中原晴美さんはマダム路子さんの第一子として1974年に生まれました。美容一家に育った中原晴美さんは、24歳で単身アメリカのニューヨークに渡ります。そして、マンハッタンでヘアースタイリストを始めました。
その後、アメリカで生まれたホリスティックヘルスの視点に出会い、ホリステック・ライフスタイルを提唱します。29歳の時にニューヨークで出会った中原宏氏と結婚し、2人の子どもを出産しています。
2006年に日本に帰国した後は、国際魅力学会内に魅力学アカデミーを設立し、母親のマダム路子と共に女性の美に関する活動をしています。
会長マダム路子が50年に渡り提唱してきた魅力学に、NYで培ったグローバルな視点を加え、魅力とはなにかを分析。自分魅力を見つけ、自己実現し、人間的魅力をたたえたホリスティック魅力人を育成するため講演など発信活動を開始
現在はアカデミーを主宰しているほか、素肌美容サロンを経営しています。
兄は品川一治
出典:schoo.jp
品川実花さんの兄は、クリエイティブ・ディレクターの品川一治さんです。
1967年に生まれた品川一治さんは、大学を中退して世界を放浪し、1993年に渡米します。そして、27歳・1995年にロサンゼルスでテレビCMや雑誌、グラフィック制作、コーディネートなどを行う映像制作会社「Kaz Coordination Inc.」を設立します。
アメリカでは大手広告代理店と業務提携を結び、大手企業の多言語CMプロデュースに「携わるなどの実績を積みます。
ビジネスは順調だったものの、妹の品川実花さんの病気をきっかけに2010年に帰国して、仕事の拠点を日本に移しました。
帰国後すぐに広告の企画制作や海外案件を扱う「株式会社トボガン」を創業、さらにロサンゼルスで「Toboggan Inc.」を設立し、さらにシンガポールやアムステルダムにもオフィスを持っています。
アヴリル・ラヴィーンのMVをプロデュースした実績があるほか、クリエイティブ商社などを設立、さらに京都にギャラリーをオープンするなどアート業界にも進出し、幅広く活動しています。
弟が品川祐
品川実花さんの弟はお笑いコンビ・品川庄司の品川祐さんです。品川祐さんは、お笑い芸人(品川庄司)として活動するだけでなく、多彩な才能を持っていることで知られています。
2007年ごろにはブログに力を入れて、「2007年 BLOG of the year男性タレント・俳優部門」を受章していますし、小説家として、「ドロップ」や「漫才ギャング」のヒット作を生み出しました。
このドロップや漫才ギャングは漫画化されただけでなく、映画化されています。映画化された時には脚本・監督も務めています。また、この2作以外にも映画の監督・脚本を務めたほか、ドラマの監督・脚本、舞台の演出などを行っています。
品川祐さんは兄弟の中で最も品川実花さんと親しかったようで、品川祐さんが学生時代に非行に走った時には姉としてしっかり叱ってくれたとのことです。
家族のムードメーカー的な存在で、品川が荒れがちな時代には親身になって叱ってくれたこともあるという実花さん。
兄弟の中で年が近いし、上の2人の姉・兄はアメリカに行ってしまったこともあり、品川実花さんと品川祐さんは兄弟の中で最も仲が良かったのでしょう。
品川実花は2012年に死去…死因は悪性脳腫瘍
品川実花さんは2012年1月7日に亡くなりました。死因は脳腫瘍(悪性グリオーマ)です。43歳という若さでした。
脳腫瘍の発見
2009年11月ごろから、品川実花さんには異変が見られていました。約束したことを覚えていなかったり、靴下を一人で履けなくなったり、時間感覚がずれたり、方向感覚を失ったり、事実ではないことをさも当たり前のように話したり。
母のマダム路子さんや姉の晴美さんは、最初は品川実花さんは精神を病んでしまったと思ったそうです。
心療内科に連れていきましたが、「乖離性障害の疑い」と言われるものの、症状はどんどん進んでいきました。しかも、精神的な症状だけでなく、足がもつれる、頭が痛い、けいれんなどほかの症状も出てきたのです。
そして、ようやく脳腫瘍、膠芽腫グレード4という診断がつきました。
そしてやっと、診断がついたのです。
脳腫瘍、膠芽腫。グレード4
腫瘍は言語や記憶をつかさどる位置に
アメーバのように脳の細胞に張り付いていました
品川実花さんの脳腫瘍はすでに末期状態でした。手術が行われましたが、腫瘍の一部しか提出することはできず、余命4ヶ月と宣告されます。
一時は腫瘍が縮小するが・・・
品川実花さんが余命4ヶ月と宣告された後、実花さんのために家族が一同に集まりました。姉の晴美さんは大阪在住でしたが、東京に引っ越してきましたし、兄の一治さんはアメリカから帰国しました。
弟の品川祐さんは芸能界の伝手をたどって、「神の手」と言われるドクターに実花さんのMRIを診てもらいましたが、やはり手術・完治は不可能という答えでした。しかし、国内未承認薬の新薬を使えば、延命効果が期待できるという提案を医師から受け、兄弟が経済的な支援をして、新薬投薬を決めました。
品川実花さんは一時は歩くことができなくなり、車いす生活を余儀なくされましたが、結婚式の数日後に脳腫瘍の進行が止まり、腫瘍が10分の1まで縮小しました。
腫瘍が10分の1までに減ったのです。これは担当医も驚くほどの回復力でした。歩けるようになり、記憶の障害もへり通常の生活が出来るくらいに回復し、母と観劇に行ったり、みんなでカラオケに行ったり、私が内緒で書いていたブログも本人が「こんなに大変だったんだねぇえ~」とのんきに笑って読める位に。
車いす生活だったのが、歩けるようになったというのはすごいですよね。
脳幹に転移し死去
一時は歩けるほどに回復した品川実花さんでしたが、2011年5月に悪性腫瘍が小脳・脳幹に転移しているのが発見されます。そして、余命3ヶ月と告げられました。
そこから家族みんなで介護をしますが、余命3ヶ月と告げられてから約7カ月後の2012年1月7日、実花さんは亡くなりました。
ご報告遅くなりましたが
妻 実花は、7日の朝 眠るように旅立ちました。
とても安らかで、幸せな寝顔のまま、静かな最期でした。
夫と姉に見守られての旅立ちだったとのことです。
品川実花は闘病中に結婚
出典:ameblo.jp
品川実花さんは、脳腫瘍と診断される半年前に婚約していました。婚約者は小学校・中学校の同級生だった裕二郎さんです。
実花さんは脳腫瘍が進行すると、婚約していることすらわからなくなっていましたが、裕二郎さんはそんな実花さんのことを介護するために仕事を休職して介護に専念し、治療で髪の毛が抜けた実花さんに合わせて自分も坊主にしたんです。
そして、余命2ヶ月と言われた時、裕二郎さんは「結婚式を挙げて籍を入れたい」と提案し、病院内の会議室を借り切って、結婚式を挙げました。実花さんはウェディングドレスを着ていて、車いすに乗っていましたが、ゆっくり立ち上がるという奇跡を見せたのです。
その後、回復を見せて、新婚生活をスタートしましたが、2012年1月に実花さんは死去しました。
次郎君はまめまめしい介護で、リカのわがままにもニコニコしながら付き合い、カラダの自由がきかなくなり始めたリカのために、カラダのケアも、お口の中のケアも、本当にリカが気持ち良く過ごせる日々を送れるように、最高の旦那様であり、介護人でした、
裕二郎さんは脳腫瘍が見つかった時点で婚約破棄しても、おそらく誰も責めなかったはずなのに、結婚して最後まで実花さんと一緒にいるなんて、本当に実花さんのことを愛していたんですね。だからこそ、実花さんは一時的に奇跡の回復を見せたのだと思います。
実花さんの旦那さんは、現在、義兄の一治さんの会社で働いているとのことです。
品川実花は弟の品川祐の家で介護を受けて死去
品川実花さんは2012年1月7日に死去しましたが、2011年5月に転移が見つかり、終末期医療に切り替えるように医師から提案されると、品川祐さんが自宅で介護することにしました。
いくら家族でも、自分は結婚して子どももいる状態で、末期がんの人を引き取るなんてなかなかできないことですよね。
また、実花さんが脳腫瘍と診断された後、実花さんの前では徹底的に明るく楽しく振舞ったとのことです。
だから悲しくても悔しくても実花姉ちゃんの前では徹底的に楽しく過ごす」と記されていた。
病室を出ると、号泣することもあったそうですが、実花さんの前では決して涙を見せなかったとのこと。
品川祐さんは姉の実花さんに対して、それだけ感謝の思いを持っていたのでしょうし、2人は強い絆で結ばれていたのでしょう。
品川実花のまとめ
品川実花さんのプロフィールや経歴、家族(父親・母親・姉・兄・弟)と死去や死因、弟の品川祐さんとの関係をまとめました。
品川実花さんのご冥福をお祈りいたします。