芸人・役者・ミュージシャンとして活躍するマキタスポーツさんは、東京・山梨の2拠点生活も話題です。
今回はマキタスポーツさんの若い頃の経歴、実家の家族や結婚した嫁&子供4人、韓国好きの娘、現在をまとめました。
この記事の目次
- マキタスポーツのプロフィール:歌ネタを得意とするお笑い芸人
- マキタスポーツの実家はスポーツ用品店だが人手に渡っている
- マキタスポーツの実家の家族
- マキタスポーツの若い頃の経歴① モスバーガーに就職するも退職
- マキタスポーツの若い頃の経歴② 28歳の時にお笑いの世界へ
- マキタスポーツの若い頃の経歴③ ”ヒット曲の法則”でブレイク
- マキタスポーツの若い頃の経歴④ 役者として映画で活躍
- マキタスポーツの若い頃の経歴⑤ ドラマでは主演にも抜擢
- マキタスポーツの若い頃の経歴⑥ オフィス北野からワタナベへと移籍
- マキタスポーツの若い頃の経歴⑦ ヴィジュアル系バンドとしても活動
- マキタスポーツの結婚:嫁と出会ったのはロフトプラスワン
- マキタスポーツの子供は4人・娘は韓国に夢中な時期も
- マキタスポーツの現在① 東京と山梨の2拠点で生活
- マキタスポーツの現在② お笑い・役者・ラジオパーソナリティと大活躍
- まとめ
マキタスポーツのプロフィール:歌ネタを得意とするお笑い芸人
生年月日:1970年1月25日
出身地:山梨県
所属事務所:ワタナベエンターテインメント
マキタスポーツさんは歌ネタを得意とするお笑い芸人。また、ミュージシャン・役者としても活躍しています。
本名は「槙田雄司」で、芸名は実家で営んでいたスポーツ用品店の屋号をそのまま芸名にしたとのこと。
Eテレで放送されている子供向け番組「ビットワールド」に長年出演しており、子供たちからの認知度も高い芸人です。
マキタスポーツの実家はスポーツ用品店だが人手に渡っている
マキタスポーツさんは2007年に母親、2013年に父親を亡くしています。
そのため、芸名の由来にもなっている実家で営んでいたスポーツ用品店「マキタスポーツ」は、2014年に解体。権利も譲渡しているのだとか。
結婚を機に本籍地は東京に。八年前にお袋が亡くなり、二年前に親父が亡くなって、去年には、実家のマキタスポーツ店を解体、権利も譲渡しました。徐々に山梨から姿を消してる感じですが、生まれ故郷は山梨だし、実はたった18年しか住んでなかったけど、精神形成の土台は山梨で作りました。
引用:やまなし
マキタスポーツの実家の家族
出典:https://pixabay.com/
マキタスポーツさんのご両親は昭和一桁生まれだけあって、昔ながらの考えの持ち主だったとのこと。
特に母親は「泣くのは男の恥」という考えだったそうです。
僕はわりと涙もろい少年だったようで(笑)。小学生のときはずっと泣いていたようですね。なんだかんだで、いたずらをしたり、悪さをしては怒られて泣く、みたいな。商売やってる家で、寝たきり老人がいて、母は、家事、育児、商売、介護とストレスが結構たまっていて、感情的に怒っては、僕が泣いて、「男だろ」みたいなことを言う、というパターン。
また、4歳上の兄がおり、音楽やサブカルチャーを好きになったのも兄の影響が大きいのだとか。
小学校の頃から、4才年上の兄が深夜ラジオで仕入れた曲を教えてくれてたんです。「オールナイトニッポン」のイチ押し曲とか。少したってからその辺の曲がテレビの歌番組に流れるってサイクルだったから、同学年の子達よりも早く知ってましたね。兄は、ポップカルチャーからサブカルチャーまで色々知っていて、レコメンダーになってくれていたので、僕もその影響をめちゃくちゃ受けてました。
ギターを始めたのも、吹奏楽部に所属していた兄から「ギターとかなにか楽器をやれ」と言われたことがきっかけになっていると語っていました。
マキタスポーツの若い頃の経歴① モスバーガーに就職するも退職
マキタスポーツさんは中学時代にモテたい一心からギターを始め、そこで音楽を分析することに目覚めたのだとか。
中学3年生の頃から、現在も本ネタとしている”作詞作曲モノマネ”を披露していたといいます。
当時、ギターを教えてくれていた兄の友人から、長渕剛さんが教えるギターの弾きかた講座のカセットテープを借りて聞いたら、長渕さんが、ボブ・ディランや吉田拓郎さんの弾きかたの癖を分析し、彼らのマネをしてギターを弾いていたんです。それに衝撃を受けて、“そうか、マネをするには、分析が必要なんだ”と気づいた。この経験がぼくの原点です。
そんな毎日の中で、漠然と「芸能界にいつか行くんだろうなぁ」と思っていたというマキタスポーツさんは、地元・山梨県の高校を卒業後、東京の国士舘大学へと進学します。
上京を果たしたものの、同大学を卒業後は山梨県へと戻り、モスバーガーに就職。副店長も務めましたが、上京すべく半年ほどで退社しました。
マキタスポーツの若い頃の経歴② 28歳の時にお笑いの世界へ
出典:https://note.com/kotubukko2/n/n43611b38a878
23歳で再び上京したマキタスポーツさんでしたが、特に何も行動することなくフリーターとして過ごしていたとのこと。
田舎の青年にありがちな話ですが。それで、東京に出れば、誰かに発掘されるだろうというシンデレラストーリーを期待して23才の時、再び上京。でも、当然のごとく、バイトに明け暮れているだけの自分には、誰も声をかけてくれるわけがない。気がつけば27才。そこでやっと、“このままでは誰も発見してくれない”と気づいたんです
その後、28歳の時に一念発起。お笑いの世界へと足を踏み入れました。
初舞台は、お笑いコンビ「浅草キッド」主催のライブ「浅草お兄さん会」。同ライブでは優勝も果たし、早くもその才能を開花させます。
その後、1997年にハチミツ次郎さん(現在はお笑いコンビ「東京ダイナマイト」として活動)と、インディーズ事務所「トンパチ・プロ」を立ち上げますが、2年で解散。
再びフリーターとなります。
マキタスポーツの若い頃の経歴③ ”ヒット曲の法則”でブレイク
マキタスポーツさんはその後、お笑いタレント・ビートたけしさんが設立した「オフィス北野」に所属。
2011年に開催された「R-1ぐらんぷり」で、準決勝進出を果たします。
ブレイクのきっかけとなったのが、2012年にTBS系列で放送されたバラエティ番組「中居正広の金曜日のスマたちへ」への出演でした。
持ちネタでも用いる「ヒット曲の法則」について”音楽研究家”として語り、話題に。
“あの曲は、この曲のパクリだ”“この部分はあの歌のここにそっくりだ”といった論争が、ネットなどを中心に繰り返されていますが、そんなレベルではなく、私があえて言いたかったのは、ほぼすべてのJ-POPには元ネタがあり、そこから引用して再構成している、ということです
さらに、自ら提唱する同法則に基づいて作られた曲「十年目のプロポーズ」を発売しました。
音楽研究家として「ヒット曲の法則」を分析し、それをもとに制作した楽曲「十年目のプロポーズ」を披露した。この「金スマ」への出演は大きな反響を呼び、番組終了後、マキタ学級(マキタスポーツ)名義で配信されている同楽曲のダウンロードが急増。レコチョクランキング(デイリー)では、圏外から一気に10位(1月20日付)にランクインしている。
その後、2013年に開催された「歌ネタ王決定戦」で決勝に進出しています。
マキタスポーツの若い頃の経歴④ 役者として映画で活躍
マキタスポーツさんは2002年頃から、役者としても活動するようになり、映画・ドラマを中心に数多くの作品に出演しています。
2010年公開の映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「アウトレイジ」などにも出演するなど、お笑い芸人としてテレビに出始めた2012~2013年頃から俳優活動も本格化。
2012年に公開された映画「苦役列車」では、「ブルーリボン賞」「東京スポーツ映画大賞」の新人賞を受賞。
マキタスポーツの若い頃の経歴⑤ ドラマでは主演にも抜擢
マキタスポーツさんは、2013年にBSジャパンで放送されたドラマ「この世で俺/僕だけ」で主演を務めました。
また、同年にテレビ東京系列で放送されたドラマ「みんな!エスパーだよ!」にも出演し、2015年に公開された同名映画では、挿入歌も担当。
「映画 みんな!エスパーだよ!」のメインキャラクター“テルさん”こと永野輝光が歌う挿入歌「LOVE ME TENGA」のMVがYouTubeにて公開された。あわせて、テルさんを演じるマキタスポーツが本MVの監督を務めていることが明らかになった。
NHKの朝の連続テレビ小説にも多数出演しており、2013年放送の「あまちゃん」、2014年放送の「花子とアン」、2020年放送の「エール」に出演しました。
大河ドラマにおいては、2017年放送の「おんな城主 直虎」、2019年放送の「おんな城主 直虎」に出演しています。
そのほかにも2014年、TBS系列の「ルーズヴェルト・ゲーム」、フジテレビ系列の「HERO」、テレビ朝日系列の「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」といった人気ドラマに出演。
- 2015年には、BSスカパー!で放送されたドラマ「PANIC IN」で連ドラ初出演を果たしました。
主人公は冴えない中年の車田寅雄43歳独身。寅雄は毎回職を転々とし、その職場、あるいは職へ向かう道中でパニック的局面(止まらないバス、未確認生物、テロリストなど)に遭遇する。そこで毎回多種多様なマドンナ(女子大生からOL、未亡人など)と出会うが・・・。モテたい一心で極限状態のなかでもマドンナを救おうと奮闘する。果たして寅雄にバラ色の未来は訪れるのか!?
引用:PANIC IN
また、映画・ドラマを通して「闇金ウシジマくん」シリーズで活躍。
2016年公開の「ピンクとグレー」、「アイアムアヒーロー」、「金メダルの男」などといった人気映画作品にも出演しました。
マキタスポーツの若い頃の経歴⑥ オフィス北野からワタナベへと移籍
マキタスポーツさんはそれまでオフィス北野に所属していましたが、ビートたけしさんの独立を機にマネジメントに関して問題を抱えるようになり、フリーエージェントを宣言。
マキタスポーツさんは当時の心境について、インタビューで以下のように語っています。
会社が小さくなります、若手の面倒を見られません、ライブもちょっと危うくなりますということで、実際に5月以降のスケジュールがきれなくなった。そしたら、ライブに出ていた芸人たちは流浪の民になっちゃう。自前で勝ち上がる世界でもあるので、自分たちで頑張れよっていう反面、道義的責任というか、ちゃんと道筋はつけてあげないといけないという気持ちはあります。
そして、2018年に現在所属している「ワタナベエンターテインメント」へと移籍。
「オフィス北野」からフリーエージェント(FA)宣言していた、お笑い芸人で俳優のマキタスポーツ(48)、プチ鹿島(48)、お笑いコンビ「米粒写経」のサンキュータツオ(41)、居島(おりしま)一平(43)が大手芸能プロ・ワタナベエンターテインメントに所属することが18日、分かった。
- オファーは10社以上から来ていたものの、その中でも会長の実直さに惹かれたといいます。
マキタが「このたびワタナベエンターテインメントに、身を預けることにいたしました! 伝統あるワタナベエンターテインメントの(渡辺ミキ)社長と(吉田正樹)会長自らが『みなさんのお話を聞かせて下さい』と平身低頭に、誠実に僕らのお話を聞いてくれた」と報告。
マキタスポーツの若い頃の経歴⑦ ヴィジュアル系バンドとしても活動
マキタスポーツさんは、テレビ東京系列で放送された「ゴッドタン」の企画「マジ歌選手権」に架空のヴィジュアルバンド「Fly or Die」のヴォーカル・ダークネスとして登場。
大反響を呼び、2013年公開された映画「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE」、2014年公開の映画「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキックラブ」にも同役で出演。
さらに、同年よりバンドとして実際に活動しはじめ、「The shocking soup of Virgin Marry ~華麗なる欲望~」でメジャーデビューを果たします。
その後、ツアーを開催したほか、2016年には野外フェス「ROCKIN’ON JAPAN」にも出演しました。
マキタスポーツの結婚:嫁と出会ったのはロフトプラスワン
マキタスポーツさんは、2001年の31歳の時に嫁・希さんと結婚。授かり婚だったといいます。
出会いは新宿歌舞伎町にあるトークライブハウス「ロフトプラスワン」で、出演者とアルバイトとして出会ったのだとか。
実はロフトプラスワンは、マキタと妻の希さんが「初めて出会った場所」。当時、希さんはロフトプラスワンでバイトをしており、出演者であったマキタスポーツと交際がスタート。だが、すぐに「できちゃった結婚」となったため、結婚式ができなかった。
結婚したから、子供ができたから、と何かを諦めることなく、嫁に支えながらも突き進んできたマキタスポーツさん。
一度挫折はしましたけど、「バンドを使ったオトネタをやる」って構想はずっと持っていて、31歳でオフィス北野に入るし、今だと思って。芸人仲間に「子供ができたから結婚する。だからバンドやる」って言ったら「最後何つった!?」って驚かれましたけどね(笑)。当たり前ですよね。授かり婚するからバンドやる奴なんていないから。
借金を抱えるなど苦労させた希さんへの感謝の気持ちから、結婚10年目となる2011年にそれまで挙げられていなかった結婚式を、2人の出会いの場所であるロフトプラスワンで挙げました。
迷惑をかけてきたので頭が上がらないし、自分の中に罪の意識があったんです。仕事に恵まれ始めるまで10年ぐらいかかって、恩返しというほど大げさなものではないんですけど、「見とけよ。何とかしてその10年分おまえに返してやるぞ」みたいに思っていて。それで、仕事が上向きになってきた10年目に結婚式を挙げたんです。
結婚式で感謝の手紙を読み上げると、嫁は一言「これで終わったと思うなよ」とコメント。
さらに最後には「パパの浮気や借金がこれでチャラになったわけではないけれど、これからも頑張ってほしい」とグサリ。
芸人の嫁らしい、一筋縄ではいかない人柄であることがうかがえます。
マキタスポーツの子供は4人・娘は韓国に夢中な時期も
ストーリーズ「パパがうちにいる。」
— 谷口恒平|映画監督・脚本家 (@taniguchikohei) July 21, 2020
NHK総合 8/3(月)午後10:45〜11:15
マキタスポーツさんのご家族とリモートでドキュメンタリーを作りました!撮影は5月〜6月。「放送の頃には収束してるかもね」なんて呑気に言っていましたが、まだまだタイムリーな番組です。https://t.co/eJ9pcPWUVu pic.twitter.com/DKXm6YgeHc
マキタスポーツさんには4人の子供が誕生しています。長女・次女、そして双子の長男・次男がいるのだそう。
2022年の時点で長女が大学4年生、次女が高校2年生、長男・次男が小学2年生と語っていたため、2024年現在、長女は社会人、次女は大学生1年生、長男と次男は小学4年生と思われます。
また、2019年にNHK総合の情報番組「あさイチ」に出演した際には、娘が韓国に夢中だと語っていました。
ゲストの石田ひかりとマキタスポーツの娘も韓国に夢中と証言。「休みの日っていったら、すぐ新大久保に行っちゃいますから、うちの娘は」と言うマキタスポーツは実際に生放送中に娘とスマホでやりとりし、リアルな声を伝えた。
マキタスポーツの現在① 東京と山梨の2拠点で生活
出典:https://journal.ucc.co.jp/feature/3842
2022年頃からマキタスポーツさん家族は二拠点生活に突入。
マキタスポーツさんと長女・次女が東京に残り、嫁・希さんと双子の長男・次男はスローライフを送りたいと山梨へと移住しています。
僕と上の子供2人が東京に住んで、妻と下の子供2人が山梨に移住という、あまり聞きなれないケースですよね。妻がいなくなって、下の子供もいなくなって、やっぱり東京の家は静かですね。静かってことに、残された3人はソワソワしています。
引用:マキタスポーツ
希さんは生活を楽しんでいるようで、まだ戸惑いも残る長男と次男には、「都会からやってくるお父さんとして、都会の空気を吸わせてあげたいなと思っています」と語っていました。
マキタスポーツの現在② お笑い・役者・ラジオパーソナリティと大活躍
マキタスポーツさんは、現在もお笑い芸人として第一線で活躍しており、2024年も単独ライブや替え歌ツアーを開催するなど、精力的に活動中です。
そのほかにも、MC・役者・ラジオパーソナリティーとマルチに活躍。
2013年から出演しているEテレ「ビットワールド」に現在も出演しているほか、2017年スタートのBS12「ザ・カセットテープ・ミュージック」では引き続きMCを担当しています。
2021年~2023年にかけては、NHK総合の情報番組「あさイチ」では不定期でコメンテーターも務めていました。
役者としては、2024年にNHKBSで放送される藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ「じじぬき」、WOWOのドラマ「磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜」などに出演。
同年公開され話題となった映画「ゴールデンカムイ」には、後藤竹千代役で出演しました。
また、ラジオパーソナリティとしては2013年にTBSラジオで始まった「東京ポッド許可局」、2016年にNHK-FMで始まった「音楽ガハハ」が現在も放送中です。
まとめ
マキタスポーツさんは社会人経験やフリーター時代を経て、28歳という年齢でお笑いの世界に。デビュー直後から話題を呼び、歌ネタでブレイクします。
また、ブレイク後は役者としても活動し、数多くのドラマ・映画に出演。40歳にして新人賞を受賞するなど、その高い演技力にも定評があります。
プライベートでは授かり婚となった嫁・希さんとの間に4人の子供たちが誕生。
現在、長女・次女とマキタスポーツさんが東京で、希さんと双子の長男・次男が山梨に住むという2拠点生活を送っているといいます。
お笑い芸人・MC・役者・ミュージシャン・ラジオパーソナリティとマルチな才能で活躍し続けるマキタスポーツさん。
今後、そんな才能を引き継いでいるであろう子供たちの活躍も見られるかもしれませんね。