1990年代から2000年代にかけてのプロレス界を支えた破壊王・橋本真也さんが話題です。
この記事では橋本真也さんの入場曲や結婚した嫁、息子の橋本大地さん、離婚後の婚約者の冬木薫さんや腹上死の噂、死因、酷すぎると言われた葬儀、遺産などについてまとめました。
この記事の目次
橋本真也(破壊王)のプロフィール
破壊王・橋本真也のプロフィール
生年月日:1965年7月3日
没年月日:2005年7月11日(享年40歳)
出身地 :岐阜県土岐市
公称身長:183cm(実寸180cm)
血液型 :AB型
橋本真也(はしもと・しんや)さんは、1990年代の新日本プロレスの黄金期を、武藤敬司さんや蝶野正洋さんらと共に牽引した伝説的プロレスラーです。
対戦相手が誰であろうと徹底的に破壊するようなその攻撃的なファイトスタイルから「破壊王」の異名で呼ばれファンに愛されました。
ベテランの域に達して以降も絶大な人気を誇った橋本真也さんでしたが、2005年7月に40歳という若さで亡くなり、その突然の死は多くのファンや関係者に悲しみと衝撃を与えました。
橋本真也の経歴
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橋本真也さんは、中学生時代に父親が失踪、中京商業高校(現在の中京高校)時代に母親を亡くし、祖母を養い親とした生い立ちを持ちます。
中学時代にはじめた柔道をきっかけにアントニオ猪木さんに憧れを抱くようになり、高校卒業後の1984年4月に新日本プロレスに入門。入門初日に同期の蝶野正洋さん(年齢は蝶野正洋さんの方が上)と洗濯機を使う順番を巡って乱闘事件を起こすという伝説を残しています。
海外修行を経た1989年にIWGPタッグ王座獲得後は格闘技路線にも積極的に打って出て、1993年にはIWGPヘビー級王座を獲得し、長く新日本プロレスのエースとして君臨。IWGPヘビー級王座を通算20度の防衛に成功し、「ミスターIWGP」とも称されました。
1997年から1999年にかけては、柔道家、プロ格闘家としてプロレスに参戦した小川直也さんと抗争を繰り広げますが、5戦して1勝4敗と完全といってよい敗北を喫し、その影響や、新日本プロレス内に別組織として「新日本プロレスリングZERO」を立ち上げようとしたのを蝶野正洋さんらに反発された事などもあって、2000年11月に新日本プロレスを解雇されます。
その直後、橋本真也さんはプロレス団体「ZERO-ONE」を新たに立ち上げて独立し、三沢光晴さんが中心となって立ち上げた「プロレスリング・ノア」や、その年大晦日の「INOKI BOM-BA-YE 2000」に参戦。
2001年には、かつての宿敵であった小川直也さんと和解して結成したタッグチーム「OH砲」で活躍するなど、プロレス界を盛り上げました。
2003年には、武藤敬司さんが率いていた「全日本プロレス」にZERO-ONE勢を率いて乗り込 で全面抗争を展開し、三冠ヘビー級王座を奪取。以降も、川田利明さんや長州力さんと死闘を繰り広げるなど、団体の垣根を超えた縦横無尽の活躍を見せ、プロレス界全体の人気上昇に大きく貢献しました。
こうして、橋本真也さんはプロレス各団体のパイプ役、プロレス黄金時代再興に向けての牽引役として、関係者やファンからの期待を集める存在となりましたが、その矢先の2005年7月に脳幹出血で倒れ40歳という若さで亡くなりました。現在もその早すぎる死を惜しむ声は絶えません。
橋本真也の入場曲「爆勝宣言」
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橋本真也さんの入場曲は「爆勝宣言」という曲で、往年のプロレスファンから現在も愛され続けています。
橋本真也さんは若手の頃から自身の入場曲へのこだわりが強く、作曲家の鈴木修さんに「(アントニオ猪木さん入場曲の)ボンバイエを超える曲を作ってくれ」と頼み、この入場曲「爆勝宣言」を作曲してもらっています。
以降、橋本真也さんはこの入場曲「爆勝宣言」を頑なに使い続けました。
橋本真也の結婚は1991年で嫁は一般女性のかずみさん
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橋本真也さんは1991年に結婚されています。結婚相手は一般女性の和美さんという女性でした。
この家族さんは「橋本かずみ」の名義で橋本真也さんの死後に著作を発表している他、現在はYouTuberとしても活動されています。また、橋本真也さんの元嫁としてプロレス関係のメディアや番組にもよく出演されています。
橋本真也の元嫁・かずみさんのプロフィール
生年月日:1966年3月17日
出身地 :東京都
橋本真也さんの元嫁の橋本かずみさんは、元々はプロレスの大ファンで、橋本真也さんの追っかけもされてました。
そんな頃にあるホテルの御曹司と知り合って、自分がいかにプロレスを愛しているかを語っていたところ、その御曹司が「俺の後輩に新日本プロレスの実況をやっている奴がいるから紹介してやるよ」と言われ、あるアナウンサーを紹介されたそうです。
そして、そのアナウンサーから「そんなに好きなら橋本真也に会わせてあげる」と言われ、それをきっかけに橋本真也さんと知り合ったそうです。
その後すぐに橋本真也さんとかずみさんは恋人の関係となり、それからわずか1ヶ月も経たない頃に橋本真也さんの方からかずみさんにプロポーズをされています。
1990年、橋本真也さんは中国へ武術の修行をしに行くことが決まっていましたが、その直前に「(かずみさんの)誕生日には俺は日本にいられないから」と言って、かずみさんにピアスと指輪をプレンゼントして結婚を申し込まれたそうです。
かずみさんの方は、あまりに突然の展開に戸惑い「(橋本真也さんには)私よりももっとふさわしい人がいるんじゃない?もうちょっと冷静になって考えた方がいい」と言ったそうなのですが、橋本真也さんがその時に吸っていたタバコの火を自分の手のひらでジュッと握りしめて消して決意をを示すのを見て、かずみさんも結婚を受け入れたのだそうです。
その後、かずみさんが北京滞在中の橋本真也さんを訪ねると、橋本真也さんは手を大きく広げてかずみさんを抱きしめてそのまま持ち上げてグルグルと回すという、まるで映画のようなロマンティックな出迎え方をされたという事です。
そして、帰国後の1991年に橋本真也さんとかずみさんは結婚されています。橋本真也さんがかずみさんに贈った結婚指輪は1000万円のダイヤの指輪だったそうです。
橋本真也と元嫁・かずみさんの間には子供が3人
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橋本真也さんと元嫁のかずみさんとの間には3人の子供が誕生しています。
橋本真也さんの子供は息子が1人、娘が2人で、1992年4月に生まれた長男の橋本大地さんは現在はプロレスラーとして活躍されています。
娘2人は、1994年生まれの長女の茉莉さん、2003年生まれの次女のひかるさんです。
上の画像の正面から見て左から順番に元嫁のかずみさん、長女の茉莉さん、長男の大地さん、次女のひかるさんで、ひかるさんを抱き上げているのは、橋本真也さん亡き後「ZERO1(ZERO-ONEから改称)」を守ってきたプロレスラーの大谷晋二郎さんです。
橋本真也と元嫁・かずみさんは2005年3月に離婚
橋本真也さんと元嫁のかずみさんは、2005年3月に離婚されています。
離婚の原因となったのは、橋本真也さんの度重なる浮気だったようです。元々大の女好きだった橋本真也さんは、何度も浮気を繰り返し、元嫁のかずみさんはその度に怒りつつも許してきたそうなのですが、最後の浮気だけはどうしても許せずに離婚に至っています。
この橋本真也さんの最後の浮気相手は、2003年にがんで亡くなったばかりの冬木弘道さんの元嫁である冬木薫さんでした。
かずみさんは冬木薫さんとはプロレスラーの嫁同士として交流があり、一緒に食事をするような仲だったそうです。かずみさんは、そんな相手と浮気をした事だけはどうしても許せずに、橋本真也さんとの離婚を決意したというのが真相だったようです。
そして、この離婚からわずか3ヶ月半後の2005年7月に橋本真也さんはこの冬木薫さんの自宅で急逝しています。
このときの浮気が許せずに、かずみは橋本と離婚してしまう(だから正確には「前」か「元」夫人なのである)。そして浮気相手と同棲中に橋本は急逝してしまった。
橋本真也さんの死因や、浮気相手の冬木薫さんについては後述します。
橋本真也の元嫁・かずみさんの著作「火宅 プロレスラー・橋本真也の愛と性」
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橋本真也さんの死後の2011年7月、元嫁のかずみさんは、橋本真也さんとの結婚生活から離婚の真相までを赤裸々に綴った著作「火宅 プロレスラー・橋本真也の愛と性」を発表されています。
橋本真也さんのヤンチャ小僧がそのまま大人になったような豪放磊落な生き様と、そんな橋本真也さんへのかずみさんの深い愛情が伝わる内容で、橋本真也さんのファンからも高い評価を得ている一冊です。
ちなみに、橋本真也さんの浮気相手で元嫁のかずみさんとの離婚の原因となった冬木薫さんも著作「橋本真也の遺言」を発表していますが、この2冊を読み比べてみると、当時の橋本真也さんの恋愛模様がありありと浮かび上がってきてかなり興味深いかと思います。
橋本真也の元嫁・かずみさんのYouTube「橋本かずみのハピまるチャンネル」
橋本真也さんの元嫁のかずみさんが、2021年にYouTubeチャンネル「橋本かずみのハピまるチャンネル」を開設して話題になっています。
橋本かずみさんは、日本を元気にする事を目的とする「ハピまるプロジェクト」を運営する株式会社New Dimensionの取締役を務められていて、ハピまるプロジェクトを応援する目的もあってこのYouTubeチャンネルを開設されたようです。
まだ世間には知られていない、橋本真也さんにまつわる裏話も数多く明かされていて、ファンにはたまらない内容となっています。
橋本真也の息子・橋本大地は破壊王子の異名でプロレスラーとして活躍
橋本真也の息子・橋本大地のプロフィール
生年月日:1992年4月13日
出身地 :神奈川県横浜市
身長 :180cm
血液型 :A型
橋本真也さんと元嫁のかずみさんの息子である橋本大地さんは、現役のプロレスラーとして活躍されており、父親の破壊王・橋本真也さんにちなみ、「破壊王子」、「破壊王二世」のニックネームでプロレスファンからの人気を集めています。
橋本真也さんの息子の橋本大地さんは小学6年生の時に空手を習い始め、中学に進んでからは総合格闘技を基礎から学べる「蒼天塾」に入っています。
そんな矢先、中学1年生だった2005年7月に父親の橋本真也さんが突然の他界。これをきっかけに、橋本大地さんはプロレスラーを目指す事を決意されています。
プロレスラーとして正式にデビューする前から、橋本真也の息子として注目された橋本大地さんは、2009年9月21日に行われたZERO1の興行「橋本真也デビュー25周年・破壊王伝承 in 後楽園大会」にて、2分2ラウンドのキックボクシングルールでキックボクサーの小林聡さんとのエキジビションマッチを行い格闘家としてのデビューを果たしています。
この時には、橋本真也さんの入場曲「爆勝宣言」をテーマに入場し往年のファンを盛り上げました。結果は引き分けでしたが、2度のダウンを奪われるなど不甲斐ない結果となった悔しさからか、試合後に橋本大地さんが「リングはやっぱり厳しい、プロレスは甘くない」と語り、思わず号泣する場面もありました。
その後、橋本大地さんは父・橋本真也さんが遺し大谷晋二郎さんが守ってきた「プロレスリングZERO1」に入団し、練習生としての下積みの時代を経て2011年3月6日、両国国技館にて、ZERO1・10周年記念大会「プロレス」で蝶野正洋さんと対戦しプロレスラーとしてのデビューを飾りました。
試合は蝶野正洋さんの勝利に終わりましたが、試合内容は互いに豪快な技を繰り出し合う激しい展開となり、一時は橋本大地さんが蝶野正洋さんをコーナーに追い詰めるシーンもありました。
同年3月21日には、全日本プロレス両国国技館大会で武藤敬司さんと対戦しますが、この試合も敗北。その後も橋本大地さんは期待の大きさとは裏腹に敗戦を重ねました。
2014年3月31日、橋本大地さんはプロレスリングZERO-1を契約満了に伴って退団。同年6月のIGF所属を経て、2016年1月から大日本プロレスに入団しています。
大日本プロレスに入団後、橋本大地さんは神谷英慶とタッグチームを組んで活躍。2017年には大日本の各タイトルに立て続けに挑戦しましたが敗戦を重ねますが、その年の大日本最侠タッグリーグ戦で初優勝を果たしました。
以降、ついに才能を覚醒させた橋本大地さんは、2017年12月に鈴木秀樹さんを破ってBJWストロングヘビー級王座を獲得。2018年に一騎当千で鈴木秀樹さんにリベンジされベルトを失いますが、2019年11月に両国国技館大会で父・橋本真也さんの付き人だった佐藤耕平さんが保持していたBJW認定世界ストロングヘビー級王座に挑戦し2度目の戴冠を果たしました。
さらに、2020年の「一騎当千〜strong climb〜」でもコロナ禍による無観客試合の中で優勝を果たし、トーナメント開催となったその年の最侠タッグ戦でも、再び神谷英慶さんとのタッグチーム「大神」にて2度目の制覇を果たしました。
橋本真也さんの息子・橋本大地さんは現在も大日本プロレスに所属して活躍を続けており、関本大介さん、岡林裕二さんと共に「ストロング3巨頭」と呼ばれるほど、力強いファイトスタイルが人気を集めています。
橋本真也の婚約者・冬木薫について
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橋本真也さんは、2005年7月11日に40歳という若さで急逝されましたが、その死去のわずか1ヶ月前の6月に、上でも触れた浮気相手で、嫁のかずみさんとの離婚後に同棲していた冬木薫さんと婚約していました。
橋本真也さんの最後の婚約者となった冬木薫さんは、1989年11月に人気プロレスラーだった冬木弘道さんと結婚し2人の子供を儲けましたが、2003年3月に冬木弘道さんがガン性腹膜炎のために42歳の若さで死去。
自らの死を悟った冬木弘道さんがラストマッチの相手に指名したのが橋本真也さんでした。その対戦は叶いませんでしたが、橋本真也さんは冬木弘道さんとの約束を果たすべく、冬木さんの遺骨を抱えて予定通り電流爆破マッチを金村キンタローさんと戦っています。
どんな因果か、この縁がきっかけとなり橋本真也さんと未亡人となった冬木薫さんが男女関係となり、橋本真也さんは嫁のかずみさんと離婚する事になりました。
マネジャーによれば、薫さんの夫でプロレスラーの冬木弘道さん(享年42)が一昨年3月に死去した後、橋本さんは薫さんの相談に乗っていた。橋本さんは当時、妻子ある身だったが、次第に思いを募らせ、交際を始めたという。
今年に入ってから橋本さんらは薫さん宅で同居生活を開始。マネジャーによれば、2人は6月に婚約し、橋本さんが肩の故障から復帰した後、結婚する予定だった。
こうした経緯から、橋本真也さんのファンの間でも、冬木弘道さんのファンの間でもこの冬木薫さんの印象はかなり悪く、「金目当ての銭ゲバ」、「常識のない悪女」などと批判されています。
橋本真也の元婚約者・冬木薫は2016年に結婚詐欺で逮捕されている
橋本真也さんの婚約者だった冬木薫さんですが、2016年2月25日に神奈川県在住の50代男性から約160万円を騙し取った詐欺の容疑で神奈川県警に逮捕されています。
中村容疑者は今年2月25日、神奈川県警に、男性から約160万円を騙し取ったとして、詐欺容疑で逮捕されていた。そして、拘留期限いっぱいの3月17日、今後、起訴の可能性を含む処分保留で保釈されている。
中村薫という名前に聞き覚えのない方も多いだろうが、「冬木薫」といえば、プロレスファンなら思い当たるのではないだろうか。
橋本真也さんの元婚約者・冬木薫さんは2014年にこの被害者の男性と知り合い、結婚を前提とした交際を開始。この被害者男性の実家にも何度も訪れて「将来は結婚するつもり」と家族にも語っていたそうです。
この被害者男性は冬木薫さんに、(冬木薫さんの)娘の出産費用や学費、父親の葬儀代、家賃などとして約800万円ものお金を貸していましたが、1円も返ってこなかったそうです。
ようやく不審に思った被害男性とその家族が警察に相談し、捜査が始まると、冬木薫さんの嘘が次々と発覚。父親は死去しておらず、娘も出産などしておらず、それらは全て金を騙し取るための嘘だった事がわかります。
ただ、冬木薫さんは弁護士を通じてこの被害男性にお金を返す意思を示したため、最終的には処分保留で保釈されています。
橋本真也の死因は脳幹出血
橋本真也さんは2005年7月11日に40歳で亡くなりましたが、死因は「脳幹出血」と発表されています。
プロレス界で活躍した“破壊王”橋本真也さんが2005年7月11日、40歳の若さで急逝した。その日の午前8時過ぎに知人宅で倒れた後、救急車で横浜市内の病院に運び込まれたが、搬送中に心肺停止、午前10時36分に死亡が確認された。死因は脳幹出血だった。
橋本真也さんの元嫁のかずみさんも、その死因を「脳幹出血」だったとメディア出演時などに明言されているので、この死因で間違い無いと思われます。
橋本真也は腹上死だったという噂も流れたがデマの可能性が高い
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橋本真也さんの死去は当初、横浜の知人の家で倒れ搬送先の病院で亡くなったとだけ報じられていましたが、一部の関係者から婚約者の冬木薫さんの自宅で倒れたとの情報が出ました。
今年に入ってから橋本さんらは薫さん宅で同居生活を開始。マネジャーによれば、2人は6月に婚約し、橋本さんが肩の故障から復帰した後、結婚する予定だった。
11日、橋本さんは薫さん宅で倒れ、薫さんが呼んだ救急車で病院に搬入された。マネジャーは「薫さんは病院の待合室で取り乱し、『橋本さんは先に死なないと言っていたのに』と泣き崩れた」と、当時の様子を語った。
この情報がネット上で拡散される中で、橋本真也さんは冬木薫さんと関係を持っている最中に倒れて死亡したとして、本当の死因は「腹上死」だったなどという噂が広まりました。
しかし、橋本真也さんが腹上死した事を示すような情報は関係者からのタレコミなども含めて何1つなく、完全に根拠のない噂に過ぎません。ただ唯一、漫画「プロレスラー列伝」に橋本真也さんが愛人宅で腹上死したと描かれていますが、プロレスラー列伝はかなり大袈裟にエピソードを描くので信用度は低いです。
そして、橋本真也さんは倒れる約8時間前に、スタッフの携帯電話に「頭が痛い。病院の場所を教えてくれ」と留守番電話にメッセージを残していた事が「ZERO-ONE」の中村祥之社長(当時)により明かされています。
橋本真也さんはその後、実際に病院に足を運んでいるものの、それから横浜の知人宅(婚約者の冬木薫さん宅と思われる)に引き返していたという事です。
中村社長によると、橋本さんが倒れる約8時間前、スタッフの携帯電話の留守電にメッセージが残されていた。「頭が痛い。病院のカード(診察券)を探してるが、持ってるか? 病院の場所を教えてくれ」。その話を聞いた時、額に汗がにじむのが分かった。同日未明には1度、都内の病院に足を運びながらも、横浜の知人宅に引き返していたという。その後、分かった死因は脳幹出血。激しい頭痛は前触れだったとみられている。
つまり、橋本真也さんは亡くなる数時間前に病院に行かなくてはならないと考えるほどの頭痛と体調不良に襲われていたという事になります。
そのように体調が悪化した状態で、冬木薫さんと肉体関係を持とうと思ったとは考えづらく、橋本真也さんの死因が腹上死だった可能性はかなり低いのではないかと思います。
したがって、橋本真也さんの死因が「腹上死」だったという噂はデマの可能性が極めて高いと思われます。
橋本真也の葬儀
橋本真也さんの葬儀は、2005年7月16日に神奈川県横浜市の久保山葬儀場で執り行われました。この葬儀は婚約者の冬木薫さんが中心になって取り仕切ったようです。
この葬儀には橋本真也さんのファンが全国から集まりましたが、葬儀場の規模が小さく、場所も不便だったために大きな混乱が起こりました。
当時を知るファンによれば、大々的に葬儀を告知しておきながら、時間がないと言って多くのファンが追い返され、献花台もなく、足を運んだのに何の葬いもできなかった方が大勢いたという事です。それなのに一般からの香典だけはしっかりと集めていたという事でした。
また、冬木薫さんが嫌いな人間には橋本真也さんの棺にも触らせずにZERO1に所属する人々は放置され、元嫁であるかずみさんすらも焼香の時に席に座らせずに追い返されたそうです。
さらに、元嫁のかずみさんの著作「火宅 プロレスラー・橋本真也の愛と性」によれば、橋本真也さんの遺体は6日間も放置されたため、顔が黒く変色して腐敗臭を放つような状態になっていたという事です。しかも棺のサイズが合わずに、橋本真也さんの遺体は無理矢理に押し込まれたような状態だったとも言われています。
この葬儀の後、2005年7月30日に東京南青山の青山葬儀場にて、改めて小川直也さん、蝶野正洋さん、武藤敬司さん、大谷晋二郎さんの4人が発起人となり「故・橋本真也 プロレス界・プロレスファン合同葬」が行われました。
この合同葬儀には、約8000人のファンが集まり、橋本真也さんに最後の別れを告げています。こちらの葬儀は湿っぽい事が嫌いだったという橋本真也さんが喜びそうな盛大な内容で執り行われました。
橋本真也の遺産
大人気レスラーだった橋本真也さんは大きな遺産を残したようなイメージがありますが、実際には亡くなった時には莫大な借金を抱えていたようです。
借金の内容はZERO-ONEの興行で生じた負債と養育費だとされ、元嫁の橋本かずみさんによれば、葬儀の後に書類を整理していたところ、借金の一覧表が記載された書類の束が出てきて、その総額は約2億4000万円にものぼったそうです。
しかし、すでに触れたように橋本真也さんと元嫁のかずみさんはこの数ヶ月前に離婚しており、また、子供らも遺産の相続を放棄したためこの借金をかぶるという事にはならなかったようです。
まとめ
今回は、1990年代の新日本プロレスの黄金期を支えた伝説的プロレスラーの破壊王・橋本真也さんについてまとめました。
橋本真也さんはその攻撃的なファイトスタイルから「破壊王」の異名で呼ばれ人気を集めました。入場曲「爆勝宣言」は現在も橋本真也さんの記憶とともにプロレスファンの間で愛され続けています。
橋本真也さんは1991年にかずみさんという女性と結婚し、3人の子供を儲けています。息子の橋本大地さんは父の意志を継ぐ形でプロレスラーになり、現在も活躍を続けられています。
しかし、橋本真也さんと嫁のかずみさんは2005年3月に離婚し、橋本真也さんは同年6月頃に浮気相手の冬木薫さんと婚約をしています。ところが、それからすぐ後の2005年7月11日に橋本真也さんは40歳という若さで急死を遂げました。
橋本真也さんの死因は「脳幹出血」と発表されていますが、本当は婚約者の冬木薫さんとの「腹上死」だったとの噂が流れました。ただ、橋本真也さんが腹上死したという噂はデマの可能性が高いです。
橋本真也さんの葬儀は、婚約者の冬木薫さんが取り仕切りましたが、元嫁のかずみさんサイドと揉めて色々なトラブルが発生しています。
橋本真也さんの遺産は、2億4000万円という莫大な借金でしたが、元嫁のかずみさんは子供らは遺産相続を放棄したため借金を被ることはありませんでした。