アメリカのメジャーリーグで活躍している大谷翔平選手。異次元の活躍を見せる大谷翔平選手を育てた父親はどんな人物か気になりませんか?
大谷翔平選手の父親である大谷徹さんのプロフィールや身長と年齢、仕事や少年野球監督などの経歴、韓国関連企業の代表取締役就任の噂や結婚した嫁と家族(嫁・子供・孫)と似てる有名人、亡くなった噂と現在をまとめました。
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大谷徹のプロフィール(身長や年齢)
大谷徹
生年月日:1962年5月17日
出身:岩手県北上市
身長:182cm
所属:金ケ崎リトルシニア
活動:元野球選手、野球指導者
大谷徹さんはメジャーリーガーの大谷翔平さんの父親であり、元社会人野球選手で現在は少年野球の監督として活動している人物です。
息子の大谷翔平選手の異次元の活躍により、父親の大谷徹さんも注目を集めるようになりました。しかし、大谷翔平さんの家族はあまり表舞台に出てくることはなく、それがまた好感度を上げています。
身長は182cmで年齢は2025年で62歳です。大谷翔平選手の身長が高いのは父親譲りなんですね。
大谷徹の経歴:野球選手として
野球を始めるまで
出典:mainichi.jp
大谷徹さんは1962年に岩手県北上市に生まれました。父親は大手重化学工業の関連会社の工場で働いていました。
父親は野球が好きだったこともあり、大谷徹さんに野球をやるように勧めましたが、野球部は当時は坊主頭にしなければならず、それが嫌だったために陸上部に入部しました。
3種競技を専門にして、県大会で入賞するほどの実力者でしたが、陸上はコンマ数秒でも明確に個人の優劣がついてしまうことが負けず嫌いな大谷徹さんは嫌だったために、中学2年生の時には野球部に入ることになりました。
中学・高校時代
出典:daily.co.jp
中学2年生の時に野球部に入った大谷徹さんは、エース兼4番打者として野球部の主力になり、岩手県内で野球部強豪高校から注目されるようになります。
大谷徹さんは県内の私立の野球強豪校への進学も考えていましたが、地元の北上市内の黒沢尻工業高校の監督に「甲子園を目指すならウチに来ないとダメ」と誘われて、黒沢尻工業高に進学しました。
中学まではピッチャーでしたが、高校に入るとすぐに外野手に転向することになります。
「ピッチャーは1年生のときにダメだと。クビですね(笑い)。内野もちょこっとやらせてもらいましたけど、すぐに外野手になりました」
引用:(3ページ目)<第2回>祖父・正幸氏の趣味は狩猟、父・徹氏は県大会入賞の陸上より野球の道へ|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
高校生活は野球一色。足の速さを活かすために、右打から左打に転向して、甲子園を目指しましたが、3年生の夏の予選ではまさかの初戦敗退。毎日野球の練習を必死にしてきたのに、最後にこのような結果に終わったことで、大谷徹さんは燃え尽き症候群のような状態になってしまいました。
そのため、千葉の製鉄会社への就職と社会人野球部への入部が決まっていたのに、それを辞退し、一時野球から離れます。しかし、敗退から数ヶ月経つと、また野球をしたいと思うようになりました。
野球部の監督に相談すると、黒沢尻工業高校の野球部OBが社会人野球の三菱重工横浜でキャプテンをしていたため、そこでセレクションを受けられることになり、大谷徹さんは三菱重工横浜への内定を勝ち取ります。
社会人野球の主力として
出典:bunshun.jp
三菱重工横浜では、足と肩を武器に主力・レギュラーに近いところでプレーをしていました。
「レギュラーとして試合に出ていたのは1年おきぐらい。大した選手ではなかったですけど、主力に近いところではプレーしていました」
引用:(3ページ目)<第3回>父・徹氏を襲った“燃え尽き症候群”の顛末…高校最後夏はまさかの初戦敗退|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
そして、社会人野球6年目。来シーズンは自分がキャプテンを務めると思っていたのに、監督から戦力外通告を受けることになりました。この時、大谷徹さんは24歳。この戦力外通告はとてもショックで、大谷徹さんは現役を引退することを決意します。
大谷徹の経歴:仕事や監督業
野球引退までの仕事
大谷徹さんは黒沢尻工業高校を卒業後、社会人野球の選手として三菱重工横浜に入社します。社会人野球はプロではありませんので、社員として仕事もしなければなりません。
当時、大谷徹さんは三菱重工横浜のグループ企業で午前中は事務の仕事をして、午後からは野球の練習をするという生活を送っていました。
徹の勤務先は、厳密に言えば三菱重工横浜のグループ企業だった。野球で入社した選手は半分くらい、そこに振り分けられていた。その中の総務部のようなセクション。
引用:(2ページ目)<第5回>大谷の父母「馴れ初め」は?直々に語られたエピソード「当時、僕は入社2年目で…」|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
半分サラリーマン、半分野球選手のような生活をしていたんですね。仕事はコピー取りやワープロ打ちのようなものでした。
野球引退後に岩手に引っ越す
24歳で野球を引退することになった大谷徹さんは、三菱重工横浜に残り、本格的に社員として仕事をするようになります。大谷徹さんはプログラミング言語の勉強をしながら、親会社での業務をこなすようになりました。
「コンピューター関係の勉強をしなさいよと。プログラム言語を覚えて、自分でプログラムをつくれるようにと。システム関係の仕事でした」(徹)
引用:第9回>長男が生まれ、父・徹氏は「岩手に住もう」と横浜育ちの母・加代子さんを説得した|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
その後、1991年に自動車ボディーメーカー(のちのトヨタ自動車東日本)に転職しました。自宅は横浜で勤務先は横須賀にあったため、職場までは往復で3時間、しかも残業ありで昼夜完全2交替制という過酷な環境です。
この会社に転職した理由は大谷徹さんの地元である北上市に工場があるからです。長男だった大谷徹さんは岩手に戻るために、この会社に転職し、転職してから2年半後の1993年に北上市の隣にある奥州市に家族で引っ越しました。
自動車のボディーメーカーに勤務
岩手県に引っ越した大谷徹さんは転職したわけではなく、「転勤」になるので、また工場で昼夜2交替の勤務を続けました。
勤務は昼夜2交代制。当初、昼の部は午前8時から夕方5時まで。夜は8時から朝5時までだった。
引用:(2ページ目)<第1回>「翔平」の由来は源義経だった…プロの夢を断念した父・徹氏が赤裸々に明かす|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
大谷翔平さんが中学生のころまでは昼夜1週間交代の厳しい勤務でしたが、それ以降は昼勤務が多くなっているとのことです。
少年野球指導を行う
大谷徹さんは長男は野球をやりたがったのに、多忙だったため、あまりきちんと野球を教えてあげられなかったことを後悔していたこともあり、大谷翔平さんが「水沢リトル」に入ると、積極的に指導をするようになります。
少年野球の指導を始めた頃は、大谷翔平さんが所属するチーム(水沢リトル、一関リトルシニア)で指導していましたが、大谷翔平さんが中学を卒業した後も少年野球の指導を続けるようになり、2014年には有志で「金ケ崎リトルシニア」を立ち上げて、そこで監督を務めています。
金ケ崎リトルシニアでは、大谷徹さんは次のような指導をしています。
・野球のセオリーを教える
・将来のためのクセを直す
勝利を第一に求めず、育成重視の指導方針のため、練習試合や地域の大会ではベンチ入りの選手をできる限り起用するようにしているそうです。
大谷徹は韓国関連企業の代表取締役とは別人
「大谷徹」という名前をインターネットで検索すると、「韓国」とか「代表取締役」などの言葉が関連ワードとして出てきます。
大谷徹さんの国籍が韓国なのか?とか代表取締役ってことは何か会社を立ち上げたのか?と思うかもしれません。
「大谷徹 韓国」「大谷徹 代表取締役」と検索すると、「日立コリア 代表取締役社長 大谷徹」と書かれたサイトが出てきます。
ただこの日立コリアの大谷徹氏と、大谷翔平選手の父親の大谷徹さんは別人です。日立コリアとは日立製作所100%出資の子会社で、日立製作所の韓国支店のような立ち位置の企業です。
この日立コリアの代表取締役を大谷翔平選手の父親と同姓同名の大谷徹氏が務めているだけで、大谷翔平選手の父親である大谷徹さんは日立コリアとは一切関係ありませんし、大谷徹さんが韓国とつながりがあるというわけでもありません。
完全に同姓同名の別人です。おそらく、大谷翔平選手の父親がどんな人物か調べようとした人が「大谷徹」で検索したら、日立コリアのサイトがヒットして勘違いした人が多かったのでしょう。
大谷徹の結婚:嫁は大谷加代子
大谷加代子
生まれ年:1963年
出身:神奈川県横浜市
身長:170cm
所属:元三菱重工横浜
活動:元バドミントン選手
大谷徹さんが結婚した嫁は大谷加代子さんです。
大谷加代子さんは大谷徹さんの1歳年下で、小学5年生の頃からバドミントンを始めました。中学時代は全国大会に出場し、バルセロナオリンピック代表にもなった陣内貴美子さんとも何度か対戦経験があります。
高校はバドミントンの強豪校である横浜立野高校に進学し、卒業後は三菱重工横浜に就職し、ヨネックスカップジャパンオープンにも出場しています。
1986年に結婚
大谷徹さんと加代子さんは、同じ三菱重工横浜に就職します。大谷徹さんが一期上になります。三菱重工横浜は野球部に力を入れていて、野球部の結団式(壮行会)のようなところで、入社2年目の徹さんと新入社員の加代子さんは知り合いました。
で、結団式というか、集まりの中で知り合いました。応援される方と応援する方で。結団式とか壮行会とか、酒の席があったりして、そこで、です。当時、僕は入社2年目でした
引用:(2ページ目)<第5回>大谷の父母「馴れ初め」は?直々に語られたエピソード「当時、僕は入社2年目で…」|野球|日刊ゲンダイDIGITAL
そして、大谷徹さんが監督から戦力外通告を受けて現役を引退した24歳の時に結婚し、2人は社業に専念することになります。
大谷徹の家族:子供(息子や娘・孫)
大谷徹さんには子供が3人います。息子が2人と娘が1人です。
・長男:大谷龍太
・長女:大谷結香(結婚後は流石結香)
・次男:大谷翔平
長男は龍太
出典:mainichi.jp
大谷徹さんの長男は大谷龍太さんです。
神奈川県横浜市で生まれた大谷龍太さんは、小学校入学前に大谷徹さんの転勤に合わせて岩手県奥州市に引っ越します。
少年団に入って野球をやりたいと希望しましたが、父親の徹さんも母親の加代子さんも仕事や子育てに忙しくて余裕がなく、さらに家を建てて引っ越す計画もあったので、本格的に野球に取り組めるようになったのは、小学5年生になってからでした。
中学では軟式野球部に、高校でも野球部に所属し、高校でも野球を続けます。卒業後は一般企業に就職し、クラブチームの水沢駒形野球倶楽部で野球を続けました。
2010年には四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団し、2010年・2011年とプレーします。
2012年には、大谷徹さんが勤務するトヨタ自動車東日本が岩手に硬式野球部を発足し、高知ファイティングドッグスを退団して、トヨタ自動車東日本に入社しています。
2018年には都市対抗野球大会に出場、その後コーチ兼任を経て、2025年には同部監督に就任しました。
長女は結香
大谷徹さんの娘は大谷結香さんです。
大谷結香さんは大谷翔平さんの2歳年上で、身長は168cmあり、学生時代はバレーボールをしていました。岩手県内の看護大学に通っていたという情報があり、職業は看護師と言われていますが、真偽は不明です。
2020年1月には、岩手県内の高校野球の強豪校である花巻東高校の野球部長のを務める流石裕之氏と結婚しています。そのため、現在は流石結香さんという名前になっているはずです。
2人の結婚式には日本ハムの栗山監督などが出席し、大谷翔平選手がスピーチしたそうです。
次男は翔平
大谷翔平
生年月日:1994年7月5日
出身:岩手県水沢市
身長:193cm
所属:ロサンゼルス・ドジャース
活動:プロ野球選手
大谷徹さんの次男は大谷翔平選手です。
大谷翔平選手は甲子園出場はないものの、二刀流で注目され、2013年から日本ハムファイターズでプレーしました。2018年シーズンからはメジャーリーグでプレーし、WBCでの優勝、ワールドシリーズ優勝、2年連続メジャーリーグシーズンMVPなど「史上最高の野球選手の1人」と言われる活躍を見せています。
父親の大谷徹さんは長男の龍太さんに手を掛けられなかった分、次男の大谷翔平選手が野球を始める時には、自らリトルリーグのコーチを務め、大谷翔平選手を育てあげました。
孫は野球をやっている
大谷徹さんには孫が3人います。長男の龍太さんの息子と長女の結香さんの娘です。
今回の観戦は、長男の小学3年生の息子、長女の3歳の娘という2人の孫を連れて行けたことも家族全体にとって良かった。
引用:ドジャース・大谷の父・徹さんも祝福「WS制覇おめでとう。最後まで出場できてよかった」― スポニチ Sponichi Annex 野球
長男の龍太さんの息子はリトルリーグで野球をやっているので、今後の活躍が楽しみです。また、次男の大谷翔平選手の子供が生まれますので、大谷徹さんに孫がもう1人増えることになります。
大谷徹に似てる人
大谷徹さんは息子の大谷翔平選手にそっくりです。長男の龍太さんにも似ていますね。こちらは、大谷徹さんと翔平選手の写真です。
また、大谷徹さんは楽天グループの三木谷社長や若き日の渡辺徹さん、お笑いタレントの神無月さんにも似てると言われています。
渡辺徹さんには確かに似ていますね。大谷徹さんをふっくらさせると、若い頃の渡辺徹さんそっくりになりそうです。
大谷徹が亡くなった噂はデマ
出典:hochi.news
インターネット上には大谷翔平選手の父親が亡くなったという噂があるようですが、これは完全なデマです。大谷翔平選手の父親、つまり大谷徹さんは亡くなっていませんし、病気にもなっていません。
なぜこのような噂が出たのかは不明です。もしかしたら、大谷徹さんは大谷翔平選手を育て上げた父親でありながら、あまり表舞台に出てこないことから、「亡くなった???」と思った人がいたのかもしれません。
大谷徹の現在
大谷徹さんは現在62歳ですが、定年前の2016年末には勤務していたトヨタ自動車東日本を退社して、金ケ崎リトルシニアの監督に専念しています。
もちろん翔平くんのサポート体制充実のためではありますが、もうひとつの理由が地元の野球チーム『金ヶ崎リトルシニア』の監督業の活動に専念するためです
大谷徹さんが監督を務める金ケ崎リトルシニアからは有望選手が続々と育っています。超高校級のスラッガーとして注目を集め、花巻東高校からスタンフォード大学に進学した佐々木麟太郎選手も金ヶ崎リトルシニア出身で、大谷徹さんの教え子です。
今後、さらに大谷徹さんの教え子が世界に羽ばたいていくかもしれません。
大谷徹のまとめ
大谷徹さんのプロフィールや年齢・身長、野球や仕事、少年野球の監督などの経歴、韓国の代表取締役の噂、結婚した嫁や子供(息子・娘)・孫などの家族、似てる有名人や亡くなった噂と現在をまとめました。
大谷翔平選手ほどの息子がいたら、マスコミや各業界からいろいろなオファーが絶えないと思いますが、それでも表舞台にほとんど出てこない大谷徹さんは素晴らしいですね。