みのもんたが亡くなり妻の御法川靖子さんが注目されています。この記事では御法川靖子さんのプロフィールや経歴、みのもんたとの馴れ初めや結婚、娘や息子ら子供、テレビプロデューサーの長男と逮捕された次男、自宅の大豪邸と死因となった病気などについてまとめました。
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御法川靖子のプロフィール
御法川靖子のプロフィール
生年 :1946年
没年月日:2012年5月22日(66歳没)
御法川靖子(みのりかわ・やすこ)さんは、フリーアナウンサーで2025年3月1日に80歳で亡くなった「みのもんた」こと御法川法男さんの妻で、みのもんたの専属スタイリストを長年務めていた方です。
みのもんたを公私ともに支える妻として知られていた御法川靖子さんでしたが、2012年5月22日に66歳で既に死去し、妻に先立たれて憔悴したみのもんたの様子が盛んに報じられていました。
そして、2025年3月に夫のみのもんたが死去した事もあり、御法川靖子さんがどんな方だったのかが再び注目されているようです。
御法川靖子の経歴
御法川靖子さんの経歴については、一般の方のため出身地など詳しいプロフィールは明かされていないものの、大手建設会社の社長令嬢である事がわかっています。
御法川靖子さんは夫のみのもんたと同じ立教大学の出身で放送研究会に所属し、大学卒業後の1970年にみのもんたと結婚した後はみのもんたの専属スタイリストを務めていた事が明らかにされているため、大学卒業後に放送関係でスタイリストとして働いていた経歴を持つ可能性が高そうです。
また、夫のみのもんたの経営する水道メーター製造販売業「ニッコク」の専務取締役を務めた経歴も持ちます。
御法川靖子の夫・みのもんたのプロフィール
御法川靖子の夫・みのもんたのプロフィール
本名 :御法川法男(みのりかわ・のりお)
生年月日:1944年8月22日
没年月日:2025年3月1日(80歳没)
出身地 :東京都世田谷区
身長 :167cm
血液型 :A型
御法川靖子さんの夫の御法川法男ことみのもんたは、長年フリーアナウンサーとしてテレビやラジオなどで長年活躍した人物です。
御法川靖子さんの夫のみのもんたの経歴ですが、立教中学校、立教高校を経て立教大学経済学部へと進み、1967年に立教大学を卒業後に文化放送に入社しました。
入社から2年は研修としてフジサンケイグループ傘下の産経深部者の社会部に配属されてアナウンサーを主体とする記者として活躍。
1969年より、文化放送の深夜放送の人気ラジオ番組「セイ!ヤング」のパーソナリティとして人気を獲得。この翌1970年に大学の1年後輩だった御法川靖子さんと結婚しています。
その後、35歳の時に文化放送を退社してフリーアナウンサーとして独立し、「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」のナレーションなどで絶大な人気を獲得。
1989年に自身初の帯番組となる「午後は〇〇おもいっきりテレビ」の総合司会に抜擢され、安定的に高視聴率を維持して人気司会者の地位を確立しました。
その後、2005年3月には冠番組となる「みのもんたの朝ズバッ!」の放送がスタートすると朝の情報・ニュース番組の顔となって国民的な知名度を獲得し、その年12月のNHK紅白歌合戦では初司会を務めました。この当時のみのもんたはテレビ司会者として出ずっぱりの活躍をしており、2006年11月に「『1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録認定もされています。
一方で、2013年に番組中の女子アナウンサーに対するセクハラ疑惑や、息子(次男)の逮捕騒動などの不祥事が相次ぎ、特に次男の逮捕が直接的な原因となって、自身が司会を務める人気番組「朝ズバッ!」および「サタデーずばッと」を降板。
その後は出演番組が激減してメディアでの露出はほとんどなくなりました。
2018年頃にはパーキンソン病を発症しこれを2020年に公表し、最後のレギュラー番組であった「秘密のケンミンSHOW」を降板しています。ただこの年には、関西ローカルで「朝からみのもんた」がスタートして完全に表舞台から姿を消したわけではありませんでした。しかし、この番組も半年ほどで終了し、以降はいくつかの特番でVTR出演するなどしていましたがほとんど姿を見せる事はなくなり、2025年3月1日に80歳にて亡くなりました。
死因については、同年1月16日に都内の高級焼き肉店で食事中に牛タンを喉に詰まらせて救急搬送され一時は心肺停止状態になり、意識不明の重体が続いた後にそのまま亡くなったという事でした。
御法川靖子とみのもんたの馴れ初め
御法川靖子さんと夫のみのもんたこと御法川法男の馴れ初めについては、立教大学の放送研究会でみのもんたが先輩、御法川靖子さんが1学年後輩として知り合い、みのもんたの方が御法川靖子さんに惚れて交際するようになったと明かされています。
みのと靖子さんは同じ立教大の放送研究会で知り合った。1年後輩の靖子さんにみのが惚れ、文化放送時代の70年に結婚。
御法川靖子とみのもんたの結婚
出典:https://www.sponichi.co.jp/
御法川靖子さんと夫のみのもんたの結婚については、1970年に結婚したという事以外は特に明かされていません。
1970年はみのもんたが立教大学を卒業し、文化放送に入社して3年目でラジオ番組「セイ!ヤング」のパーソナリティとして人気を獲得し始めた頃です。御法川靖子さんとみのもんたの馴れ初めは大学時代という事なので、少なくとも4年〜5年の交際を経ての結婚であった可能性が高そうです。
みのもんたは御法川靖子さん夫妻は業界ではおしどり夫婦として知られており、毎年夫婦で旅行に行くなど仲が良かったようです。御法川靖子さんは結婚後はみのもんたの専属スタイリストとしてだけでなくスケジュール管理や健康管理なども担当し公私共にパートナーであったという事です。
みのもんたは御法川靖子さんが亡くなった際に、結婚生活について「何から何まで女房の世話になっていた」、「妻とは一心同体で一緒に番組作りをしてきたようなものですから、非常に残念です」などとコメントしており、御法川靖子さんをとても大切に思っていたようです。
御法川靖子とみのもんたの子供① 娘は長女のなみさん1人
御法川靖子さんと夫のみのもんたの間には3人の子供が生まれています。
御法川靖子さんとみのもんたの1人目の子供は1978年に生まれた長女のなみさんです。
御法川靖子さんとみのもんたの娘である長女・なみさんの経歴については、有名女子大を卒業後にイギリスのオックスフォード大学に留学してプライマリーケアーヘルスサイエンス学部で医療の勉強をされていたという事です。その後はしばらくロンドンに滞在した後に帰国して母校で研究者をされていました。
長女のなみさんの結婚や子供の有無などは不明ですが、御法川靖子さんが亡くなった後にはその跡を継ぐ形でみのもんたの仕事のサポートをし、みのもんたが高齢で半引退状態になった後も長女のなみさんがその世話をしていたそうです。
御法川靖子とみのもんたの子供② 息子で長男の隼斗さんはTBS社員
御法川靖子さんとみのもんたの2人目の子供は1980年に生まれた息子で長男の隼斗さんです。
御法川靖子さんとみのもんたの長男である御法川隼斗さんは慶應義塾大学の出身で大学時代にはアメフトサークルで活躍していました。
当時は一部の週刊誌などで素行不良が報じられた事もありましたが大学卒業後2002年4月にTBSに入社しています。
御法川隼斗さんはアナウンサーを志望していましたが営業職として採用されその後に制作部門に異動。30歳でプロデューサーに昇進し、バラエティ番組「ウンナンのラフな感じで。」を担当しています。これはちょうど父親のみのもんたの「秘密のケンミンSHOW」の裏番組だったのでお互いに驚いたそうです。
御法川隼斗さんはその他にも、「なんだ君は!?TV」、「有田とマツコと男と女」など多くの番組をプロデューサーとして担当されています。現在も御法川隼人さんはTBS社員として活躍されているようです。
2025年に父親のみのもんたが亡くなり、その葬儀では長男の御法川隼斗さんが喪主を務めたという事です。
御法川靖子とみのもんたの子供③ 息子のうち次男・雄斗さんは逮捕歴あり
御法川靖子さんとみのもんたの3人目の子供は、1983年に生まれた息子で次男の御法川雄斗さんです。
御法川靖子さんとみのもんたの次男の御法川雄斗さんは神奈川県伊豆で育ち、慶應義塾大学卒業後に日本テレビに入社して制作局でスポーツ番組などを担当されていたようです。
御法川容疑者は神奈川県逗子市で育った。慶応大学を卒業後、日本テレビに入局。現在は制作局に所属し、スポーツ担当。学生時代にはサッカーに打ち込んでいたということもあり、同局ではサッカーのクラブW杯などを担当している。「以前は派手っぽいところもあったが、最近はまじめに仕事していた。腰も低くて、ユーモアもあったが…」と局関係者は驚く。
そんな御法川靖子さんとみのもんたの次男の御法川雄斗さんですが、2013年9月に窃盗未遂で逮捕送検され、同年10月に窃盗でも逮捕されました。
この逮捕直前にはセクハラ疑惑で炎上していたみのもんたは、この次男の逮捕が決定打となって「朝ズバッ!」および「サタデーずばッと」を降板する事になり、その後は露出が激減しています。
御法川靖子さんとみのもんたの次男・御法川雄斗さんはこの逮捕により日本テレビを解雇されましたが、みのもんたの経営する水道メーター製造販売会社「ニッコク」に入社し専務取締役を経て、みのもんたさんが死去した後に社長に就任しています。
- 3月1日 役員人事に関するお知らせ
- 新任 代表取締役会長 岸本 英二 (旧職)代表取締役社長
- 新任 代表取締役社長 御法川 雄斗 (旧職)専務取締役
- 引用:株式会社ニッコクオフィシャルサイト
御法川靖子とみのもんたの子供で次男の御法川雄斗が逮捕された事件の概要
御法川靖子さんとみのもんたの次男の御法川雄斗さんが逮捕された事件の概要ですが、2013年8月13日の午前1時頃に東京都港区のコンビニ前の路上で酒に酔って寝ていた40代の男性会社員から手提げ鞄を盗み、その中にあったキャッシュカードでATMで現金を引き出そうとしたという内容でした。
その後、御法川雄斗さんは2013年9月11日に窃盗未遂で逮捕、10月1日に窃盗容疑で再逮捕されています。
みのもんた(69)の次男・御法川雄斗容疑者(31)が逮捕から実に22日ぶりにようやく釈放された。
路上で酔いつぶれて寝ていた男性のキャッシュカードを使って現金を引き出そうとしたとして、窃盗未遂容疑で次男が逮捕されたのは9月11日。さらに10月1日には、男性のかばんを盗んだとして窃盗容疑で再逮捕された。
御法川靖子さんとみのもんたの息子で次男の御法川雄斗さんは逮捕後に一時は起訴されましたが、その後に日本テレビは解雇されたものの刑事事件としては起訴猶予処分となっています。
タレント、みのもんた(69)の次男で、窃盗容疑などで警視庁に逮捕され、29日に起訴猶予処分となった日本テレビの御法川雄斗元社員(31)=諭旨解雇。罰金刑は必至との見方もあったが、甘い決着に落ち着いた。
御法川雄斗さんの逮捕後の処分がこれほど甘くなった理由として、東京地検は「偶発的な犯行で、会社を解雇されるなど社会的制裁を受けている。反省もしている」と説明しています。被害者との間に示談が成立した事も影響したようです。被害者にそれなりの“誠意”を見せた結果だと推測されています。
また、みのもんたは次男の御法川雄斗さんの逮捕後にインタビューで、真相について御法川雄斗さんは酔っ払って財布を落とし慌てて探したところ落ちているキャッシュカードを見つけて、それを自分のものと思い込んで引き出そうとしただけだと主張しています。
勤務先の日本テレビに近い新橋で飲んでいたら、酔っ払って財布を落としてしまい、深夜の1時過ぎまで必死になって探していた。すると、目の前にカードが落ちている。てっきり自分のモノだと思い込み、近くのコンビニであわてて残高を照会した。でも、暗証番号が違っていて、カードが返却された、と。
かなり違和感のある説明でみのもんたの説明をそのまま信じた方はあまり多くはないようです。
御法川靖子とみのもんたの自宅
出典:https://presidenthouse.net/
御法川靖子さんとみのもんたの自宅は神奈川県鎌倉市の小高い丘に建てられた大豪邸で、江ノ島や相模湾が一望できる立地にあります。
この自宅の総工費は17億円とも言われ、敷地は3000坪、建物は地上2階、地下1階の240坪でした。
3000坪の敷地に建った地上2階、地下1階の240坪の豪邸でひとり暮らしとなったみのさん。
御法川靖子さんは生前はこの自宅で椅子に座っていつも相模湾を眺めていたのだそうです。
みのもんたの死去後に自宅に泥棒が侵入しニュースに
みのもんたは2025年3月1日に亡くなりましたが、その翌日の午前3時15分頃にこの自宅豪邸に少なくとも2人組の男が泥棒に入られた事がニュースになりました。
自宅の地下室に何者かが侵入して荒らされた形跡があり、物音に気がついた家族が通報して、2人組の男が逃走する様子が確認されたと言う事です。
不審者が確認されたのは同日午前3時15分ごろで、みの氏の自宅にいた家族が物音に気づき、3階建ての家の屋根に人影を確認。その後、防犯カメラを見ると、少なくとも2人が走って逃げる様子が映っていたという。家の地下室には、外部から侵入した形跡があったといい、内部が荒らされた状態だった。
みのもんたが亡くなって慌ただしいタイミングを狙った犯行と見られており、警察は二人組の男の行方を追っているという事ですが、2025年4月現在の時点ではまだ犯人は逮捕されていない模様です。
「2日午前3時ごろ、みのさんが暮らしていた神奈川県鎌倉市の自宅で、『男2人が窓をこじ開けようとしていた』と110番通報があったのです。地下室を物色した形跡があり、鎌倉署はみのさんが亡くなったことに乗じた窃盗事件の可能性があるとみて、男の行方を追っているそうです」
引用:みのもんたさん「窃盗犯侵入」で気になる“鎌倉豪邸”の管理問題…大物俳優の娘も悩んだ“故人の思い出”詰まった自宅の行方
御法川靖子の死因は病気で皮膚がんが骨に転移
御法川靖子さんは2012年5月22日に66歳で亡くなっています。
御法川靖子さんの死因は病気で「皮膚がんが骨に転移した事」と発表されています。
フリーアナウンサーみのもんた氏(67)の妻御法川靖子(みのりかわ・やすこ)さんが22日午後4時48分、がんのため死去した。66歳。葬儀・告別式は近親者のみで27日午前11時から神奈川県鎌倉市の自宅で。喪主は夫みのもんた(本名御法川法男=みのりかわ・のりお)氏。
みのもんたによると、御法川靖子さんは2012年7月にがんが見つかり、その時にはすでに末期で1年経たずして死去したとのことです。
みのもんたも2012年に妻・靖子さん(享年66)を皮膚がんで亡くした。
「まさか、僕より先に逝ってしまうとは思いもよりませんでした。真面目でつつましやかな女房でね。健康診断も定期的に受けていたのにね。ホクロががんになり、骨に転移していたんです。見つかってから1年も経たずに逝ってしまいました」
まとめ
今回は、フリーアナウンサーのみのもんたの妻で専属スタイリストだった御法川靖子さんについてまとめてみました。
御法川靖子さんは一般の方で詳しいプロフィールは公開されていませんが、1946年の生まれで大手建設会社の社長令嬢であり立教大学の出身などの経歴が明らかにされています。
御法川靖子さんとみのもんたの馴れ初めは、立教大学の先輩と後輩で同大学の放送研究会で知り合ってみのもんたの方からアプローチした事だったそうです。御法川靖子さんとみのもんたは1970年に結婚しています。
御法川靖子さんとみのもんたの子供は3人で、娘が1人と息子が2人です。娘はなみさんという方でイギリスのオックスフォード大学に留学して医療を学び研究者として活躍されていました。御法川靖子さんが亡くなった後、みのもんたさんをサポートしていたのは娘さんだったようです。
息子は2人とも慶應義塾出身でテレビ局で勤務した経歴を持ち、長男の御法川隼斗さんはTBSのプロデューサーで現在も同社に勤めています。
一方で、次男の御法川雄斗さんは日本テレビでスポーツの番組を担当していましたが、2013年に窃盗で逮捕されて解雇されています。その後は父親のみのもんたが経営していた株式会社ニッコクに入社して現在は同社の社長を務めています。
御法川靖子さんとみのもんたの自宅は神奈川県鎌倉市の総工費16億円とも言われる大豪邸です。
御法川靖子さんの死因は病気で「皮膚がんが骨に転移した事」と発表されています。