白鳥由栄の死因!網走刑務所など脱獄の歴史・やばい/怖い話・晩年や映画・閉鎖理由もまとめ

網走刑務所からも脱獄に成功した昭和の脱獄王・白鳥由栄が話題です。

 

この記事では白鳥由栄の脱獄王としての歴史、なぜ有名になったのかや怖い話や凍死などのやばい話、晩年の暮らしぶりや死因、白鳥由栄をモチーフにした映画や閉鎖理由、現在などについてまとめました。

白鳥由栄は4度の脱獄に成功し「昭和の脱獄王」と呼ばれた犯罪者

 

昭和の脱獄王・白鳥由栄のプロフィール

 

生年月日:1907年7月31日

没年月日:1979年2月24日(71歳没)

出身地 :青森県

 

白鳥由栄(しらとり・よしえ)とは、1930年代から1940年代にかけての昭和の時代に、脱獄不可能とも言われていた網走刑務所を含む4ヶ所の刑務所から4度にわたって脱獄に成功し「昭和の脱獄王」の異名で知られるようになった犯罪者です。

 

白鳥由栄は強盗殺人を起こした重罪人ではあるものの、強靭な肉体と知恵を使って脱獄を何度も成功させている事や、当時は傲慢さにより民衆から反感を集めがちであった官憲の鼻を何度も明かしたという点から一種のアンチヒーローとして人々の人気を得た人物でした。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史① 生い立ちから最初の逮捕まで

 

出典:https://pds.exblog.jp/

 

昭和の脱獄王・白鳥由栄は1907年(明治40年)7月31日に青森県で3人姉弟の2番目として農民の家に生まれましたが2歳の時に父親が亡くなり、母親は弟を連れて再婚したため親類の家に姉と共に用紙に出されています。そのため、白鳥由栄は母親の顔を知りませんでした。(幼少期で離れたため母親の記憶がなかった)

 

白鳥由栄が養子に出された家は豆腐屋を営んでおり、生まれつき体が丈夫だっため朝早い仕事も苦にせずに金を貯めて父親の田畑を買い戻し自作農になる事を目標にしていました。

 

21歳の時に世話をしてくれる人があって結婚をし、1男2女の3人の子供にも恵まれています。この頃には豆腐屋の他に百姓仕事や魚の行商など寝る間も惜しんで働き、出稼ぎで2度蟹工船に乗っていますがこの時に博打を覚えたのをきっかけに悪い仲間とつるむようになり、博打の金欲しさに土蔵荒らし常習犯となります。

 

そして1933年4月に仲間と共にある雑貨商に忍び込んだ際に家人に見つかって逃亡。追ってきた家人に組み伏せられて揉み合ううちに牛刀で家人を刺して殺害してしまいます。

 

2人は逃亡しましたが、その後に仲間が先に逮捕された事を知った白鳥由栄は観念して自首し強盗殺人の罪で逮捕されます。しかし、先に捕まった仲間が主犯は白鳥由栄だと供述していたため、警察はハナから白鳥由栄を主犯と決めつけて拷問まがいの取り調べを受け、留置場の独房に4ヶ月間も据え置かれて毎日看守に「人殺し野郎」、「よく平気で生きてられるな」などと罵声を浴びせられるうちに白鳥由栄の心は鬱屈としていき、これが後に脱獄する動機となったとされています。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史② 青森刑務所から1度目の脱獄

 

出典:https://corona.shin-dream-music.com/

 

白鳥由栄は強盗殺人の罪で逮捕起訴され、移送された青森刑務所柳町拘置支所に拘置されて死刑を求刑されて刑が決まるのを待つ身となりました。

 

この間、白鳥由栄は劣悪な待遇に抗議するも逆に懲罰房に入れられるなどしたため脱獄を決意。

 

白鳥由栄は入浴時に手桶の金属製のタガを密かに外して房内に持ち帰りました。さらに、白鳥由栄は房の錠前の下にある食器を出し入れする小窓だけは中から開けられる事に着目し、汚物を捨てるために房の外に出た際に錠前と小窓の距離を目測で記憶し、後日に小窓から手を出して入浴でふやけた掌を鍵穴に押し付けて鍵穴の型を取りました。

 

そして、白鳥由栄は看守の巡回時間を覚え15分間の空白があるのを確かめると巡回の足音を数えて時間を測るなど何十日にもわたって確認してデータを集めた上で、1936年6月18日の未明に脱獄を決行。白鳥由栄は手桶のタガで作った合鍵を使って房、舎房、裏門の鍵を次々と解錠して脱獄に成功しています。


白鳥由栄は山中に潜伏し、芋を貯蔵する蔵を見つけてそこに潜り入口を木の枝などで隠してそこで寝泊まりしていました。しかし山中で見つけた木の実や山菜で飢えを凌いでいたため下痢になり、耐えかねて下山し病人を装っていたところを見つかって逮捕されました。

 

白鳥由栄の脱獄を許した青森刑務所では、白鳥由栄を独居房に入れた上で頑丈な革手錠をかけ看守も増員して監視を強化しました。ところがある夜、見回りに来た看守が革手錠をしていたはずの白鳥由栄が手錠を外して大の字になって眠っているのを発見。

 

看守は驚いて非常ベルを鳴らすも、全ての看守らが駆けつけた時には白鳥由栄は再び革手錠をはめた姿で横になっており、この出来事に狼狽した刑務所長は監視を倍にして足枷も付けさせています。


そして、1936年11月5日、白鳥由栄の無期懲役刑が確定し宮城刑務所へと移送されそこで3年過ごし、さらに小菅刑務所に移送されてここでも1年2ヶ月を過ごしましたがこの間は問題を起こしていません。

 

また、この間に白鳥由栄は妻を刑務所へ呼んで離婚しています。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史③ 秋田刑務所から2度目の脱獄

 

太平洋戦争開戦約2ヶ月前の1941年10月、白鳥由栄は戦時罪因移送令に基づいて秋田刑務所へと移送されました。

 

秋田刑務所は脱獄歴のある白鳥由栄に対して厳重な体制を取り、特別に作った「鎮静房」という幅2メートル、奥行き2.5メートル、高さ3メートルの独房を作りそこに白鳥由栄を収監しました。

 

この鎮静房は昼間でもほとんど陽が射さず高い天井に薄暗い電球が1つのみ、明かり窓は小さな天窓1つのみで壁と床はコンクリートで固められて三方には銅板まで張られ、扉には食器を出し入れする小窓すらありませんでした。

 

コンクリートの床には薄いゴザが1枚敷かれているだけで冬場は冷え込みがひどくじっとしていられないほどでしたが、白鳥由栄は手錠をはめられたまま常に正座を命じられ足を崩すと怒鳴られるという過酷な状況に置かれました。

 

白鳥由栄はこの待遇に不満を抱くようになり、次第に不遜な態度をとるようになって正座の規則を無視して部屋の中を動き回り夜は布団を頭までかぶって眠るようになります。

 

看守に「頭を布団から出せ」と怒鳴られても白鳥由栄は「これは子供の頃からの癖なんで治りませんよ、そんなに厳しくしないで夜くらい寝かせてくださいよ」と言い放ち、「規則を守らんなら罰則を与えるぞ」と脅されても薄く笑みを浮かべながら「私はいつでも逃げられるんですよ。そんなに厳しい事を言うならあんたが当直の時に逃げちまいますよ」と言って再び布団を頭から被り、看守がさらに怒声を上げるという事が毎晩のように繰り返されました。

 

ある日、白鳥由栄はあまりの寒さに耐えかねて防寒着を求めるもこれを拒否されたために脱獄を決意。

 

白鳥由栄は3メートルの高さに取り付けられた30cm四方の小さな天窓の釘が腐食してる事に目をつけると独房の直角の壁を使ってよじ登る事を思いつき看守が寝静まってから両手足を踏ん張るようにして壁をよじ登る練習をして習得し、さらに窓枠のブリキ片と古釘を使って足跡のノコギリを作ると鉄格子

 

天窓は厚いガラスに覆われていて金網も取り付けられていましたが、白鳥由栄は1942年6月15日の未明、暴風雨の音に紛れ、人間離れした筋力を発揮して壁に両手両足を踏ん張るようにしてよじ登ると、天窓にはめられた鉄格子の周囲をそれで少しずつ切り取りました。

 

そして何日もかけて鉄格子の切り取りに成功すると白鳥由栄は脱出のタイミングを窺い、1942年6月15日の暴風雨の日に鉄格子を外し天窓から外へと脱出に成功します。天窓の幅は30cm四方ととても普通の人間に通り抜けらるような幅ではありませんでしたが、白鳥由栄は関節腔と靭帯が異様に広く、全身のほぼ全ての関節を自由に脱臼させて戻す事ができる特異体質だったために頭さえ通るところであれば通り抜ける事が可能でした。

 

天井から脱獄した白鳥由栄はそのまま屋根から地上へと降りると、裏手に回って刑務所の工場の丸太を足場にして4〜5メートルの塀を乗り越えて脱獄に成功しました。

 

その後、白鳥由栄は民家から野良着を盗んで囚人服から着替え、畑から作物を盗んだりしながら夜に限って移動するようにして東京を目指しました。

 

白鳥由栄が東京を目指した理由は、最初の脱獄の後に収監された小菅刑務所で世話になった同刑務所の看守長の小林良三の自宅を訪ねて刑務所内の待遇改善を直訴するためでした。


同年9月18日、3ヶ月かけて東京の小林良三の自宅にたどり着いた白鳥由栄は、刑務所での不当な待遇を訴えました。小林良三は戦時中の食糧不足でありながらお茶や蒸したさつまいもを白鳥由栄に与えるなど温かく対応し、翌朝に白鳥由栄は小林良三に付き添われて小菅警察署に自首しています。

 

小林良三の口添えがあったかは不明ですが、その後「鎮静房」は廃止されています。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史④ 網走刑務所での怖い・やばい扱いに抗議し3度目の脱獄

 

出典:https://visit-abashiri.jp/

 

白鳥由栄はその後、5ヶ月ほど小菅刑務所に収監された後、1943年に極寒の地で厳重な警備で知られ脱獄は不可能と言われた北海道の網走刑務所へと移送されました。

 

重罪人が多数収監され厳重な警備であった網走刑務所の中でも、白鳥由栄に対しては特別に厳重な監視体制が敷かれ、狭い独房に入れられて常に手錠足枷を付けたままにされ、自分の吐いた息で眉毛やまつ毛が凍るほどの極寒の中で夏物の薄着1枚だけという酷い扱いを受けました。

 

こうした待遇に不満を募らせた白鳥由栄は、入手した金属片で作った合鍵を用いて手錠を外し抗議の意味を込めて正座をする膝の前にこれみよがしに外した手錠を置きました。

 

看守側はそれを見て驚愕し懲罰として食事を半分に減らすなどするも、しばらくして白鳥由栄はまたしても手錠を外して見せ、新たな手錠がはめられると白鳥由栄は低い声で「外してくれ。最初の日からずっとこうだ、一日くらい外してくれ」と訴えました。

 

看守は反射的に「鍵がなけりゃおまえだってただの人間だ、外せるものなら外してみろ!」と怒鳴りつけると、白鳥由栄は手錠を胸の前でねじるように交差させると、一瞬顔を紅潮させるや手錠の鎖を引きちぎって見せました。

 

信じ難い光景に看守達は驚愕し、白鳥由栄の身体を縄でキツく縛ると手錠を後ろ手にはめてされに7日間の減食と運動の禁止も命じました。翌日には新たに重さが20kgもある特製の手錠が届きました。この手錠に鍵穴はなくナットで締める仕組みになっていて看守は2人がかりで白鳥由栄にこれをはめてさらにナットの頭をハンマーで叩き潰して絶対に外せないようにします。

 

しかも手錠は後ろ手にかけられた上に手錠と足枷が太い鎖で繋がれたため寝転がることしかできず、重さが20kgもあるので仰向けになるのも難しくずっと横向きに寝ているしかないような状態でした。白鳥由栄は「後ろ手錠でどうやって飯を食うんだ」と怒鳴りつけるも、看守達は取り合いませんでした。

 

白鳥由栄はこの扱いに憤りを隠さず「絶対逃げてやるからな、その時になって後悔するな」と脱獄を宣言。

 

白鳥由栄は、立ち上げる事もできない状態で犬のように食器に顔を突っ込むようにして食事をとるしかなく、また、手錠と足枷も鍵がなく外せないために入浴もできずに排泄もほとんど垂れ流しという動物以下のやばい扱いを受けます。

 

はめられたままの手錠と足枷のせいで手首と足首は摩擦によって傷がつき化膿し傷には蛆虫がわいて気温が上がる季節になるとそれが成虫になって窓の金網が真っ黒になるほどハエが張り付くというあまりにも怖い有様になりました。

 

一部の心ある看守は「あまりにも酷いのでは」という声が上がったようですが、網走刑務所のメンツにかけて絶対に脱獄させるわけにはいかないという考えの方が強くこの怖い、やばい扱いが改善される事はありませんでした。

 

白鳥由栄はこのやばい扱いに怒りが頂点に達しただけでなく、このままの扱いを受ければいずれは冬に凍死するか、夏に病気にかかり衰弱死させられると思い脱獄するしか生き残る術はないと脱獄を決意。


白鳥由栄は食事のたびに味噌汁を口に含んで手錠のナットの部分に吹きかけ続け、それを何日も繰り返えす事で味噌汁の塩分によって腐食させ1ヶ月後に最初のナットを引き抜く事に成功。その後はそのナットをドライバーのように使って全てのナットを引き抜き、それを戻して看守にバレないようにしました。

 

そして、1944年8月26日の夜、白鳥由栄は満を持して手錠を外すと、縦約20cm、横約40cmの視察口から関節を自由に外す特技を利用して脱出。通路を抜けて壁を這い上がり天窓を頭突きで破って屋根から外へ出ました。

 

当時の網走刑務所は高さ4.5メートル以上のレンガ塀でぐるりと囲まれており近くには足がかりもないため超えることは不可能と思われましたが、白鳥由栄はなんと深く土中に突き立てられて石灰で固められていた工場の暖房用の支柱の丸太2本を驚くべき怪力で引き抜き、それをレンガ塀に立てかけてこれを足場にして網走刑務所からの脱獄を成功させました。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史⑤ 網走刑務所から脱獄後に2度目の殺人

 

網走刑務所から脱獄した白鳥由栄は665日間にわたって山中に潜み逃亡を続けました。

 

終戦から約10ヶ月後、人里に降りて国民学校へ忍び込んだ白鳥由栄はそこで目にした新聞で日本が戦争に負けた事を初めて知りました。この時に白鳥由栄は「どうせ死刑になるのならいっそ町で死のう」と考えて山を降りて札幌に向かいますが、民家の野菜畑に足を踏み入れた際に畑荒らしと間違われて木刀で袋叩きにされ、その際に短刀を振るって誤って畑の持ち主を刺し殺してしまいます。

 

この事件によって再び逮捕された白鳥由栄は裁判で死刑の判決を言い渡されました。

 

白鳥由栄は裁判では正当防衛を主張しましたが、裁判所は「被告はどの監獄に入れても脱獄してしまう。矯正不能で死刑以外の刑罰はない」として死刑判決を言い渡したとされています。

 

白鳥由栄はこの判決を不服として控訴するも、脱獄を恐れた当局はその身柄を拘置所から札幌刑務所に即時移送しました。

 

白鳥由栄はこの扱いに腹を立てて「必ず脱獄して、あんたらの寝首をかいてやる」と判事や検事に言い放ち、それに恐れ慄いた判事と検事は自宅が探し当てられないように表札を外してしまったのだとか。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史⑥ 札幌刑務所から4度目の脱獄

 

白鳥由栄は移送された札幌刑務所でも脱獄を決意します。この時には不当な扱いを受けたからではなく死刑を恐れたためでした。

 

札幌刑務所は24時間体制で白鳥由栄を監視して些細な挙動も全て報告させ、看守に拳銃を持たせるという徹底的な監視体制を取りました。独房も白鳥由栄専用に扉、天井、鉄格子、彩光の窓に至るまで全て作り替えて補強し鉄の箱のようにして脱獄不可能な構造へと作り替えていました。

 

しかし白鳥由栄は、ゴザを編んでいる藁を引き抜いて床の木の板隙間から通し床下が土である事を見抜き、床の板を切れば穴を掘って脱獄可能であると考えました。

 

白鳥由栄は検事の取り調べを受けた際の部屋でドアのガラスを止めてあった古釘を密かに入手し服の袖に隠して独房へと持ち帰り、便器の鉄タガの接合部分を手で引きちぎりそれを古くぎで加工して即席のノコギリを作りました。

 

それで少しずつ床を切り、10日かけて脱出口を作りました。白鳥由栄は床を切った際に出たクズと食事の飯粒を混ぜて切り口に練り込んで隠蔽していたため看守達はまさか床下が切り取られているとは気づきませんでした。

 

こうして床下への侵入口を作った白鳥由栄は食事のアルマイトの食器を使って2メートルほど土を堀って官舎の外へ脱出。白鳥由栄はさらに2.5メートルの高さの塀を凍った雪を足場にして乗り越えてまたしても脱獄に成功したのでした。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の歴史⑦ 府中刑務所では模範囚に

 

4度目の脱獄から295日後の1948年1月19日、札幌に程近い琴似町にて警邏中の警察官が風呂敷包みを背負った男を闇物資を運んでいると疑って職務質問したところ、これが逃亡中の白鳥由栄でした。

 

白鳥由栄は木村と名乗り出稼ぎに行くところだと説明しましたが、警察官は疑わしく思って荷物を確認する事としました。荷物は鍋や釜、茶碗や米などで闇物資らしきものはなかったものの日本刀が一振り出てきて、警察官は「泥棒では?」と疑いを持ちます。

 

するとその時に木村を名乗った白鳥由栄が「旦那、タバコを1本くれませんか」と言ってきたため、警察官は自分のタバコを1本引き抜いて与えました。当時は戦後間もない時期でタバコは非常に貴重品でしたが、それを快くくれた警察官に心を動かされた白鳥由栄は「旦那、実は私は昨年札幌刑務所から逃げた白鳥という男です」とポツリと呟きました。

 

この警察官は驚きながらも白鳥由栄を派出所へと連行しました。白鳥由栄はおとなしくついてきて、やがて駆けつけた刑事に「お手数かけてすみません」と頭を下げて札幌警察署へと連行されました。

 

取り調べの際に白鳥由栄は「職務質問された時にタバコをくれましたのでホロっとして、つい名乗ってしまいました。威張ってくられたら日本刀で強行突破したかもしれませんが、タバコ1本で気持ちがくじけました」とおとなしく自首をした理由を説明しています。

再開された裁判では、白鳥由栄の正当防衛が認められる事になり死刑判決は却下されて懲役20年の判決が言い渡されました。

 

その後、白鳥由栄は府中刑務所に収監されましたが、この所長は白鳥由栄は不当な扱いを受けなければ脱獄しようとはしないという事を悟り「手錠と足枷を外してやりなさい」と命じ入浴も許し、これまでとは打って変わって緩やかな監視状態に置く事としました。

 

所長はさらに、白鳥由栄に花壇の花づくりの仕事を与えました。白鳥由栄は自分の畑を持つ事を夢見ていた事もあってこれに心を動かされて以降は模範囚として刑に服し2度と脱獄を試みる事はありませんでした。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)はなぜ有名になったのか

 

出典:https://images-fe.ssl-images-amazon.com/

 

白鳥由栄は何度も脱獄に成功した際もその都度新聞で報じられて知られた存在でしたが、現在も知られるほどなぜ有名になったのかといえば、白鳥由栄をモデルにした小説「破獄」が1982年から83年にかけて雑誌「世界」で連載された事も大きく影響しました。

 

この小説は読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど話題になり、のちにドラマ化もされました。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の晩年

 

白鳥由栄の晩年ですが、1961年12月21日に仮出所の許可が出て、出所後しばらくは保護司のもとに身を寄せるも「世話になるのは心苦しい」と言ってその家を出て、各地を転々としながら日雇いの建設作業員をしながら真面目に働きながら静かに余生を送りました。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の死因は凍死でなく心筋梗塞

 

白鳥由栄は1979年2月24日に71歳で死亡しました。死因は心筋梗塞でした。

 

白鳥由栄と「凍死」というワードが関連づけられていますが、白鳥由栄の死因が凍死ということではなくかつて収監されていた網走刑務所が服役囚が凍死するほどやばい怖い刑務所だったという事から関連付けらえたもののようです。

 

実際には、白鳥由栄は生活保護観察所が指定した都内の病院で死亡しており、死因は心筋梗塞と診断されています。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)を題材にした映画

 

出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/

 

白鳥由栄を題材にした映画としては、小説「破談」が2度2時間ドラマ化されています。1度目は1985年版で、白鳥由栄をモデルとした主人公は緒方拳さんが演じました。2度目は2017年版で主人公は山田孝之さん、看守役をビートたけしさんが演じました。

 

ただ、上記の「破獄」はいずれも映画ではなくあくまでもテレビドラマという形でした。

 

白鳥由栄をモデルにしたと見られる映画として2010年公開の「板尾創路の脱獄王」があります。物語の舞台や背景などは微妙に白鳥由栄の脱獄事件とは異なるものの、内容自体は明らかに白鳥由栄の事件をモデルにしたものとなっています。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)と網走刑務所の閉鎖理由とは

 

白鳥由栄と「閉鎖理由」というワードが関連づけられています。

 

これはよくわからないものの、白鳥由栄が脱獄した事でよく話題にのぼる網走刑務所と閉鎖理由が関連づけられている事が関係していると思われます。

 

ただ、網走刑務所も閉鎖はしていないためなぜ閉鎖理由というワードが関連づけられているのかは不明です。かつての網走刑務所は服役囚が凍死すると噂されるほど過酷な環境で恐れられていため、それが問題視された事が閉鎖理由となったという話が語られる事があるようですが、そうした体制は時代に合わせて人道的に変化しているものの網走刑務所自体は閉鎖はされておらず、閉鎖理由というワードがネットで検索されている理由はよくわかりません。

 

1973年に網走刑務所の改築計画が発表された際に、歴史的な建造物を保存する目的で建物の一部が移築されて博物館網走監獄が設立され公開されているため、網走刑務所が閉鎖されたと認識されている方がおり、これが白鳥由栄と閉鎖理由というワードが関連付けられる原因となっていると推測されます。

 

 

白鳥由栄(昭和の脱獄王)の現在

 

出典:https://storage.bushoojapan.com/

 

白鳥由栄の現在ですが、ネット上では再び話題になる事が増えているようです。

 

現在、白鳥由栄がネットで話題になっている理由ですが大ヒットしアニメ化や映画化もされた漫画「ゴールデンカムイ」に、白鳥由栄をモデルにしたキャラクターとして明治の脱獄王・白石由竹が登場した事が影響しているようです。

 

 

まとめ

 

今回は、昭和の脱獄王の異名で知られる白鳥由栄についてまとめてみました。

 

白鳥由栄は網走刑務所を含む4ヶ所の刑務所から4度の脱獄に成功した人物で、昭和期の犯罪の歴史の中でもダークヒーロー的人気を得た特異な人物として現在もよく知られています。

 

白鳥由栄はやばい怖いとすらも言われる怪物的に強靭な肉体と知恵を駆使した手法で何度も看守の裏をかいて脱獄に成功しました。現在もなぜ有名かというのは小説家やドラマ化、映画や漫画キャラクターのモチーフにされている事も大きいようです。

 

白鳥由栄は晩年は模範囚となって仮釈放され建設現場で日雇いの仕事をして静かに暮らしましたが71歳で死去しています。死因は心筋梗塞でした。

 

白鳥由栄と閉鎖理由というワードが関連づけられていますが、これは白鳥由栄の脱獄と共に話題になる事が多い網走刑務所と「閉鎖理由」というワードがネットで関連づけられている事によるもののようです。白鳥由栄と「凍死」というワードが関連づけられているのも同様の理由でこれは網走刑務所では服役囚が凍死すると言われるほど過酷であった事が理由だと思われます。

 

白鳥由栄は現在ネット上よく話題にされていますが、その理由は人気漫画「ゴールデンカムイ」に、白鳥由栄をモデルにしたキャラクターとして明治の脱獄王・白石由竹が登場した事が影響しています。

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