1934年にホラ吹き爺さんとハテナ婆さん夫婦が切り刻まれて殺害された「隅田川コマ切れ殺人事件」が起こりましたが、死刑執行までのスピード感も話題です。
今回は事件の詳細、被害者と犯人の関係、死刑判決とその後をまとめました。
この記事の目次
隅田川コマ切れ殺人事件とは
隅田川コマ切れ殺人事件
発生日時:1934年6月8日
発生場所:東京府東京市渋谷区
事件発覚日:1934年6月14日
遺体発見場所:隅田川
被害者:ホラ吹き爺さんとハテナ婆さん
犯人:小林利平
罪状:強盗殺人
判決:死刑
隅田川コマ切れ殺人事件とは、1934年6月8日にコマ切れにされたバラバラ遺体が発見された事件です。
警察の捜査で遺体の身元が判明し、目撃証言等から逮捕された犯人は死刑判決が下されました。
この隅田川コマ切れ事件は、被害者の嘘を犯人が信じ込み、被害者が大金を持っていると思って強盗目的で殺人を犯した事件でした。
被害者の嘘がなかったら、被害者は殺されることはなかった事件とも言えるでしょう。
隅田川コマ切れ殺人事件の詳細
バラバラ遺体が発見される
1934年6月14日、隅田川の永代橋の上流で男性の左手首が発見されたのを皮切りに、人体の一部が次々に発見されたのです。
・6月15日:右手首(隅田川の吾妻橋付近)
・6月18日:左足首(芝浦の海岸)
この3つのバラバラ遺体は成人男性のものであり、同一人物の遺体であることが判明しています。
被害者の身元が判明
バラバラ遺体であり、両手首と左足首しか見つからず、さらに遺体の腐乱は激しかったため、被害者の身元特定は困難かと思われました。
しかし、鑑識の丁寧な作業で指紋を検出することができました。
そして、司法省の前科者の指紋を照合したところ、被害者は前科2犯(窃盗)の60歳の男性であることが判明します。
この被害者男性は、当時51歳の女性と所帯を持っていて、この夫婦の行方が分からなくなっていました。
自宅に殺害された痕跡あり
警察は、被害者男性と女性が同居していた家に急行しました。被害者の自宅には家財道具が一切なく、本人たちも消えていました。
警察が被害者自宅をきちんと調べたところ、次の事実が判明しました。
・畳に染み込んだ血液をふき取った痕跡あり
・畳の下の床板には大量の血液が染み込んでいた
また、大家さんや近所の人によると、被害者夫婦の行方が分からなくなった後、親戚を名乗る「小林」という若い男性が「借金のカタにする」と、家財道具を持ち去ったというのです。
怪しい「小林」が浮上
やがて、被害者宅の家財道具を売り払うのを手伝ったという廃品回収業者が現れて、次のような証言をしました。
・「肉を仕入れすぎて腐らせたから捨てたい」と石油缶に入ったコマ切れ肉を渡された
・その石油缶は隅田川の白髭橋付近で捨てた
・古着や布団、仏壇などを古道具屋に持ち込んだが売れなかった
・手間賃を貰った
・その男は鼻にあざがあった
この「コマ切れ肉が入った石油缶」が、被害者をバラバラにした遺体が入っていた石油缶だと推測されました。
また、この廃品回収業者が証言した鼻にあざがある若い男と、大家や近所の人が証言した親戚を名乗る「小林」の背格好や特徴が酷似しており、同一人物の可能性が高まりました。
犯人を逮捕
目撃者の証言から「小林」の似顔絵を作成し、また前科がある者の中から、小林と思われる写真を特定して、東京の警察に大量に配布するなど、警察は「小林」の行方を追っていました。
そして、遺体発見から10日目の1934年6月23日、四谷警察署伝馬派出所で見張り勤務をしていた巡査が、「小林」そっくりで、鼻にあざがある男を発見します。
巡査が職務質問をすると、その男は「小林要助23歳」と答えたのです。
そして、巡査が小林の所持品を検査すると、持っていた行李の中から血をぬぐった跡がある鋸・鉈・出刃包丁・手斧が発見され、緊急逮捕されることになりました。
隅田川コマ切れ殺人事件の被害者はホラ吹き爺さんとハテナ婆さん
隅田川コマ切れ殺人事件の被害者は、60歳の男性と51歳の女性の夫婦で、周囲の人からは次のように呼ばれていました。
・女性:ハテナ婆さん
隅田川コマ切れ殺人事件の犯人は小林利平
隅田川コマ切れ殺人事件の犯人について詳しく見ていきましょう。
隅田川コマ切れ殺人事件の犯人は、「小林要助」を名乗っていましたが、本名は「小林利平」と言います。
偽名を使っていたのに、名字は本名と同じだったのです。
前科3犯だった
隅田川コマ切れ殺人事件の犯人・小林利平は、事件当時25歳でした。
25歳の若さにして前科3犯であり、刑務所に服役していたこともあります。
事件が起こったのは1934年6月8日でしたが、犯人の小林はその1ヶ月前の5月10日に前橋刑務所から出所してきたばかりでした。
出所後は神奈川県平塚市で寿司屋の出前係として働いていましたが、集金した25円を持ち逃げして上京しました。
1934年の1円は現在の2,500円程度と言われていますので、この時犯人が持ち逃げしたのは現在の価値で62,500円程度です。
ホラ吹き爺さんの「ホラ」を信じた
寿司屋の売上金を持ち逃げした小林は、東京にやってきます。そして偶然、被害者であるホラ吹き爺さんとハテナ婆さんのおでん屋台に入りました。
ホラ吹き爺さんはいつものように「貯金が1万円以上ある」、「恩給がたっぷり入る」など景気が良いホラ話を小林に語りました。
常連客なら、「またホラ吹き爺さんがホラ吹いてる」と笑い飛ばすところですが、初顔の小林はこのホラ吹き爺さんの話を信じてしまったのです。
小林はホラ吹き爺さんとハテナ婆さんの持ち金を奪おうと計画を立てます。そして、うまいこと取り入って、小林はホラ吹き爺さんに間借りさせてもらうことに成功しました。
そして、小林は犯行に使うための刃物などを買い集め、犯行計画を立てていったのです。
熟睡しているところを殺害
1934年6月7日、小林はお酒を買い込んで、ホラ吹き爺さん・ハテナ婆さんにふるまいました。
被害者2人は喜んで小林のお酒をごちそうになり、気分良く就寝したのです。
日付が変わって6月8日の午前2時ごろ、ホラ吹き爺さん・ハテナ婆さん夫婦がぐっすりと眠りこんでいるのを確認した小林は、斧で夫婦を惨殺しました。
それから、包丁を使って、筋肉や脂肪・皮膚・骨・内臓などを細かく刻んで、石油缶に入れていきました。
途中で刃物の切れ味が悪くなり、新しい包丁に買い替えながら、14時間かけて2人の被害者の遺体をコマ切れのミンチ状にしていったのです。
2人の遺体を細かく細かくミンチにしていったのに、小林はホラ吹き爺さんの両手首と左足首はミンチにすることを忘れてしまいました。
その理由は、刃物を買い替えるなど作業の中断があったため、うっかりしたようなんです。
両手首と左足首はそのままの形で隅田川に遺棄されたため、そこから指紋が採取されて、被害者の身元が判明し、犯人が小林であることがバレてしまいました。
隅田川コマ切れ殺人事件の犯人が得たお金は少額のみだった…
犯人の小林はホラ吹き爺さんのホラ話を信じて、被害者2人に間借りをして計画を立て、殺害を実行しました。
刃物を使い、2人の遺体をバラバラのコマ切れ・ミンチ状にまでしました。
しかし、被害者の金回りが良い話は全部「ホラ」であり、ただのおでん屋台の夫婦でしたから、実際はお金はあまり持っていなかったんです。
犯人の小林が殺人によって奪ったお金は現金19円と残高50銭の通帳のみでした。
当時の1円=現在の2500円として計算すると、通帳残高を含めても、現在の価値で48,750円でしかありません。
ホラ吹き爺さんのホラ話を信じて、たった5万円弱のために、犯人の小林は強盗殺人を犯したことになります。昔話などに出てきそうな展開の事件でした。
隅田川コマ切れ殺人事件の判決は死刑
隅田川コマ切れ殺人事件は1934年6月23日、犯人の小林が逮捕されました。
ここから裁判はスピーディーに進んでいきます。
・6月8日:被害者2人を殺害
・6月14日:被害者の遺体が発見
・6月23日:犯人逮捕
・9月12日:東京地裁で第一回公判
・9月19日:死刑判決
・10月12日:死刑執行
犯人は第1回公判では「死刑にしてください」と堂々と述べていましたが、判決が出る9月19日には出廷を拒否して、看守に支えられながらなんとか法廷に出廷しました。
かなり、びくびくしていたようです。
そして、9月19日には予想通りに死刑判決となります。犯人は控訴しなかったため、死刑が確定し、判決から3週間後には死刑が執行されました。
出所してから1ヶ月で殺人を犯し、その2週間後には逮捕されて約3ヶ月後には裁判が始まり、1週間後には死刑判決。そして、その3週間後には死刑執行。
つまり、逮捕から3ヶ月後には死刑判決となり、判決から3週間で死刑執行です。
現代では考えられないようなスピード感であり、冤罪の可能性などは考えられていなかったのかもしれません。
隅田川コマ切れ殺人事件のまとめ
隅田川コマ切れ殺人事件の概要と詳細・被害者と犯人について、死刑判決などをまとめました。
被害者のホラ吹き爺さんは、悪意があってホラを吹いていたわけではないでしょう。
でも、いつの時代も何がきっかけで事件に巻き込まれてしまうのか分からないものですね。