中尾ミエさんは若い頃に一躍人気歌手の座に上り詰め、現在はコメンテーターとしても絶大な支持を集めていますが、中尾彬さんとの関係も話題です。
今回は中尾ミエさんの若い頃、中尾彬との関係や結婚、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
中尾ミエのプロフィール
中尾ミエのプロフィール
生年月日:1946年6月6日
出身地:福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)
身長:156cm
血液型:不明
所属事務所:ワタナベエンターテイメント
中尾ミエさんは、福岡県で書店を経営する両親の間に6人兄弟の4番目の子供として生まれ、8人の大家族の中に育ちました。
しかし、父親が事業に失敗したことにより1958年に東京へと移住、その後は引越しをするたびに住む家が小さくなっていき、最後に家族で住んだ家は6畳と4畳半の二間しかなかったそう。
子供時代は、かなりの苦労をされたようです。
しかし、上京した当初に転校した小学校でいじめられたものの、卒業する頃には番長になっていたという中尾ミエさんらしい豪胆なエピソードも語られています。
自ら売り込んで芸能事務所と契約
出典:http://dankaisedai.co-suite.jp
中学に上がる頃、歌手を志した中尾ミエさんは、自ら東宝のオーディションを受けに行くものの、背が低いことを理由に相手にしてもらえず、代わりに渡辺プロダクションを紹介されます。
しかし、そちらでも中々相手にしてもらえず、毎日事務所に通って粘り強く自分を売り込んだのだそうです。
事務所側もついに根負けしたようで、ジャズミュージシャンで作曲家の平岡精二さんに預けられた中尾ミエさんは、その師事を受けます。
その後、平岡精二さん率いるジャズバンドに参加しながら、代々木の米軍キャンプなどでスタンダードナンバーを歌って歌手としての経験を積み、1961年に渡辺プロと正式契約を結びます。
デビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒット
1962年5月、当時世界中で大ヒットしていたコニー・フランシスの「可愛いベイビー(Pretty Little Baby)」を中尾ミエさんがカバーし、デビューシングルとしてリリース。
これがレコード売り上げ100万枚を超える空前の大ヒットとなり、一躍スター歌手の仲間入りを果たしました。
その後、同じ渡辺プロの若手歌手・伊東ゆかりさん、園まりさんと「スパーク3人娘」を結成し、当時の人気音楽バラエティ「シャボン玉ホリデー」にも出演するなど、絶大な人気を獲得。
当時国民的人気を誇ったデュオ「ザ・ピーナッツ」の後継、と目されるまでになります。
中尾ミエさんはその後、「いちごの片想い」「夢みるシャンソン人形」「おんなのこだもん」「恋のシャロック」など、スマッシュヒットを連発、歌手としての一時代を築き上げました。
女優としても人気に
歌手として国民的人気を獲得した中尾ミエさんは、NHKで1961年~1964年に毎週日曜日に放送されていたミュージカルテイストのコメディドラマ「若い季節」で女優デビューしています。
1963年に公開された映画「ハイハイ3人娘」では、「スパーク3人娘」として主演を飾っています。
その他、「台所太平記」「君も出世ができる」「日本一のゴマすり男」「リオの若大将」など、当時の話題の映画多数に出演しています。
1970年代からはテレビドラマでの女優活動も本格化させ、大人気時代劇ドラマである「必殺シリーズ」をはじめとする時代劇や刑事ドラマ、舞台にも活躍の幅を広げ人気を博しました。
中尾ミエの若い頃のエピソード&画像
若くして自らの力でスターダムにのし上がった中尾ミエさんですが、その若い頃のエピソードが凄いと話題です。
ここでは、若い頃の中尾ミエさんのエピソードや、画像を紹介します。
中尾ミエの若い頃のエピソード① 20歳で両親に家をプレゼント
中尾ミエさんが8人の大家族の中で育ち、父親の事業失敗を契機にして貧しい幼少期を送ったという生い立ちは前述の通りです。
そんな貧しい生活を送っていた中学1年生の頃、中尾ミエさんは「将来両親に大きな家を建ててあげよう」と心に決めたのだそうです。
16歳で「可愛いベイビー」が大ヒットし、スター歌手になった中尾ミエさんは、その後もヒット曲を連発、20歳の時には、ついに両親に都内に一軒家を贈り、夢を見事に叶えています。
中尾ミエの若い頃のエピソード② 25歳で自分のための家も建てる
中尾ミエさんは両親に家を贈っただけでなく、25歳の頃に両親に贈った家の隣の敷地に自分用の家も建ててしまいました。
さらにその後、自宅の裏にアパートを建設、大家として不動産経営も始めています。
このアパートは、現在(2019年時点)も存在しています。ワンルームが4部屋の小さなアパートで、名称は「OHANA」というようです。
あえて小さなアパートに設計した理由は、「1人で生活するのではなく、住人同士が助け合いながら楽しく生活する空間を作りたい」と思ったからなのだそうです。
ちなみに、俳優の大橋てつじさんはこのアパートに6年間住んでいたことがあり、大家の中尾ミエさんの自宅で夕食をご馳走になったり、夜な夜な飲みに行ったりもしていたのだそうです。
中尾ミエの若い頃の画像紹介
上の画像は、中尾ミエさんが「スパーク3人娘」として活動していた頃の画像です。真ん中が中尾ミエさんです。
若い頃から笑顔が魅力的な女性だったようです。
続いても「スパーク3人娘」時代の画像です。
向かって左側が中尾ミエさんです。小柄ながらスタイルの良い魅力的な美人です。
こちらは1968年、シングル曲「寂しそうなあなた」をリリースした頃の中尾ミエさんです。
22歳の頃で、大人っぽい雰囲気が加わり、より魅力的な女性に成長されています。
出典:http://dswakazou.blog84.fc2.com
こちらは、1963年公開の東宝映画「台所太平記」に出演する中尾ミエさんです。
子供のいない老作家夫婦の家で住み込みで働くお手伝いさんの役で、当時の現代っ子のイメージそのままの、あっけらかんとした明るい少女を演じています。
中尾ミエと中尾彬の関係とは?
中尾ミエさんには、昭和の大俳優・中尾彬さんと兄妹なのでは?という噂があります。
苗字が同じで、生年も5年違い、2人とも大胆不敵な性格が魅力で、言われてみれば顔立ちもどことなく似ている感じがします。
兄妹では?と噂されるのも分かる気がしますが、この2人に血縁関係は一切無いようです。
中尾ミエは結婚歴なし~「事実婚状態」のパートナー・彼氏はいる
何歳になっても美しい中尾ミエさんですから、結婚相手の旦那さんにも興味が集まっていますが、実は中尾ミエさんには結婚歴がありません。
実は、中尾ミエさんには50年間連れ添っているという「事実婚状態」のボーイフレンドがいることが知られています。中尾ミエさん自身もボーフレンドがいることを公表しています。
2019年5月には、TOKYO MX「5時に夢中!」に出演した際、「実は別の人のボーフレンドだったんです」と、他の女性から略奪したことを匂わせる衝撃発言をし、スタジオを驚かせました。
また、中尾ミエさんは別の番組で「その男性と結婚には至らないのですか?」と質問され、
「私ダメなんです。結婚っていう言葉がダメ。結婚って2人だけの問題じゃないでしょう。向こうの家族とか。なんの不自由もないですから」
引用:中尾ミエ パートナーと事実婚50年「結婚って2人だけの問題じゃない」と未入籍 https://www.daily.co.jp
と答えられています。中尾ミエさんが、自由に生きることを愛していることが伝わります。
中尾ミエに子供はいない
事実婚ということなので、当然と言えば当然ですが、中尾ミエさんには子供もいません。
中尾ミエの現在① 28年ぶりに古巣復帰が話題に
中尾ミエさんは、2019年11月現在も歌手、女優として精力的に活動を続けられています。ここからは、現在の中尾ミエさんの活動を紹介します。
出典:https://www.okinawatimes.co.jp
中尾ミエさんは、デビュー時に所属していた芸能事務所「渡辺プロダクション」を1991年に退所し、独立してフリーで活動されていました。
2019年9月、中尾ミエさんがその「渡辺プロ」から分離する形で2000年に設立された「ワタナベエンターテイメント」に、約28年ぶりの古巣復帰し、大きな話題になりました。
中尾ミエの現在② 歌手としての活動
中尾ミエさんは、2019年11月時点、73歳を迎えられていますが、現在も現役のシンガーとして歌い続けています。中尾エミさんの現在の歌手活動を紹介します。
ゆかり・ミエ・まり 3人娘メモリアルコンサート
2018年1月には、2005年に再結成を果たした「スパーク3人娘」の集大成とも言えるコンサートイベント「ゆかり・ミエ・まり 3人娘メモリアルコンサート」を公演されています。
中尾ミエさんは年齢を感じさせないその歌唱力で、「可愛いベイビー」をはじめとするヒット曲、昭和の懐かしの歌謡曲、アメリカンポップスの名曲など、往年のファンにはたまらない数々の楽曲を歌い上げました。
The レビュー「カーテンコールをもう一度!2018」
2018年4月に公演された、Theレビュー「カーテンコールをもう一度!」は、中尾ミエさん本人のプロデュースによる、豪華絢爛なステージショーです。
伝説のレストラン・シアター「カーテンコール」を舞台に、歌手の金井克子さんや尾藤イサオさん、女優の前田美波里さんら、豪華な出演者を迎え、往年の名曲をフルバンド生演奏で披露しました。
歌以外にも、エネルギッシュなダンスや、ジャグリングの達人としても知られる尾藤イサオさんのパフォーマンスなど盛りだくさんの内容で、見るものに夢と勇気を与えてくれました。
中尾ミエの現在③ ミュージカル女優としても活躍中
中尾ミエさんは現在、ミュージカル女優としての活動に力を入れているようです。
中尾ミエさんの最新の出演ミュージカルを紹介します。
「ピピン」
ブロードウェイ発の傑作ミュージカル「ピピン」の日本語版プロジェクトが、2019年6月から7月にかけて公演され、大ヒットを記録しました。
中尾ミエさんはこの「ピピン」に主要キャストとして、城田優さん演じる主人公Pippin(ピピン)の尊敬する祖母・Berth(バーサ)の役で出演されています。
「ザ・デイサービス・ショウ~It’s Only Rock’n Roll~」
2019年10月から全国で公演しているオリジナルミュージカル「ザ・デイサービス・ショウ~It’s Only Rock’n Roll~」は、中尾ミエさんが主演、プロデュースも手掛ける作品です。
中尾ミエさんは、往年のスター歌手・矢沢マリ子役を演じます。
とある高齢者施設をデイサービスとして訪れミニコンサートを開催したマリ子は、施設に集まる、一癖も二癖もある個性的な老人達で、ショーを創れないかと思い立ちます。
老人達が若い頃の特技を復活させ、高齢者施設を舞台にロックやポップスを繰り広げる、痛快なミュージカル作品です。
まとめ
70代を迎えてなお、歌手として女優としてエネルギッシュに活動を続ける中尾ミエさん。
そんな中尾ミエさんについて、若い頃の経歴や数々のエピソードを画像などを交えつつ紹介し、結婚しない理由などもまとめてみました。
現在は、「スパーク3人娘」を再結成してのコンサートツアーや、自らプロデュースするステージやミュージカルなどで精力的に活躍中で、往年のファンに勇気と活力を与えてくれています。
これからも、中尾ミエさんのエネルギッシュな活躍を応援していきましょう。