東アジア反日武装戦線で連続企業爆破事件を起こした桐島聡は指名手配されていましたが、現在は2024年に身柄を確保されています。
今回は桐島聡の経歴や事件で何したか、指名手配での懸賞金や時効の有無、宮川大輔や氷川きよしに似てる噂、現在をまとめました。
この記事の目次
桐島聡は指名手配されていた逃亡犯
桐島聡
生年月日:1954年1月9日
出身:広島県
容疑:爆発物取締罰則違反
出身高校:広島県立尾道北高等学校
出身大学:明治学院大学法学部
桐島聡は東アジア反日武装戦線のメンバーで、1975年から指名手配されている逃亡犯です(2024年に逮捕)。
広島県出身の桐島聡は広島県立尾道北高校を卒業後に上京し、1972年に明治学院大医学法学部に進学します。
高校時代から全共闘の思想に共感し、大学在学中に左翼活動家の黒川芳正や宇賀神寿一と出会いました。そして東アジア反日武装戦線に参加し、武力闘争・テロ行為を行うようになりました。
のちに、連続企業爆破事件に関与した桐島聡は、東アジア反日武装戦線の主力メンバーが1975年に逮捕されたのをきっかけに逃亡、指名手配されていました。
東アジア反日武装戦線のメンバー
出典:sankeibiz.jp
桐島聡が参加していた「東アジア反日武装戦線」とは、1970年代に活動していた武闘派左翼グループです。
アナキズム系の思想を持ち、反日亡国論やアイヌ革命論などを唱えていました。
爆弾を用いて、天皇陛下が乗ったお召列車を爆破しようとしたり、上場企業への爆破テロなどを行っています。
東アジア反日武装戦線が起こした一番大きな事件は、「三菱重工爆破事件」です。
三菱重工爆破事件は、1974年8月30日、千代田区丸の内の三菱重工ビルが爆破され、8名が死亡、385名が負傷しました。
この三菱重工爆破事件の時点では、まだ桐島聡は東アジア反日武装戦線に合流していませんでしたが、この事件をきっかけに合流し、活動に参加するようになっています。
東アジア反日武装戦線は、主に3つのチームに分かれて活動を行っていました。
・大地の牙
・さそり→桐島聡が参加
桐島聡が参加していたのは「さそり」です。
東アジア反日武装戦線は1975年5月19日に主要メンバー7人が逮捕され、桐島聡は逃亡。そして、一部のメンバーは日本赤軍に合流しています。
桐島聡は何の事件で何した?
出典:bunshun.jp
桐島聡はどんな事件を起こし、何をした人物なのでしょうか?
指名手配のポスターは見たことがあるけれど、桐島聡が実際どのような行動をしたのかはいまいち分からないという人も多いと思います。
桐島聡が東アジア反日武装戦線で関与した事件は、次の4つがあります。
・間組本社・工場同時爆破事件
・韓産研爆破事件
・間組作業現場爆破事件
ここからは、桐島聡が関わった事件を詳しく見ていきます。
鹿島建設爆破事件
桐島聡は1974年12月23日、鹿島建設爆破事件を起こしています。
桐島聡ら東アジア反日武装戦線の「さそり」のメンバーは、日雇い労働者問題に関心を持ちます。
日雇い労働者を搾取するゼネコンを攻撃するのが目的で、さらに鹿島建設は「花岡事件」を起こしたことから攻撃目標となりました。
12月23日午前3時10分に、東京都江東区の鹿島建設の工場の資材置き場が爆破されましたが、爆破は深夜だったこともあり、死亡者・負傷者は出ませんでした。
間組本社 ・ 工場同時爆破事件
1975年2月28日に、桐島聡ら東アジア反日武装戦線のメンバーは、3グループ合同で間組本社と大宮にある工場を爆破しています。
この爆破テロによって5名が負傷し、さらに本社のコンピュータにあった重要データが爆破によって失われたため、間組には大きな打撃となったテロでした。
オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件
オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件とは、1975年4月19日に東アジア反日武装戦線「大地の牙」が起こした爆破テロ事件です。
「大地の牙」が起こしていますが、「さそり」の桐島聡もこの爆破事件に関与していることが分かっています。
この事件は、兵庫県尼崎市のオリエンタルメタル本社と東京都中央区にある韓国産業経済研究所を同時に爆破しましたが、深夜午前1時に爆破したため、負傷者は出ませんでした。
間組作業現場爆破事件
桐島聡は1975年4月28日、5月4日に起こった間組作業現場爆破事件にも関与しました。この2つの爆破事件は東アジア反日武装戦線の「さそり」が起こしたものです。
この爆破事件では、間組江戸川作業所と工事現場を4月28日に同時に爆破させようとしましたが、工事現場の方が不発に終わったため、5月4日に再度爆破しました。
4月28日の作業所での爆破では1人が重傷となりましたが、5月4日はけが人は出ませんでした。
桐島聡は指名手配中でも懸賞金はなし
出典:twitter.com
桐島聡は、1974年から1975年の連続企業爆破事件に関与しています。しかし事件当時、桐島聡が関与していることを警察は掴んでいませんでした。
その後、東アジア反日武装戦線について捜査が進み、メンバーの齋藤和・佐々木規夫の2名が浮上、そこから芋づる式にメンバー7人が逮捕されています。
メンバーが逮捕されたのを知った桐島聡は、すぐに逃亡しました。
逮捕されたメンバーの中には、桐島聡が東アジア反日武装戦線に参加前からの知り合いだった黒川芳正がいました。
この黒川が、桐島聡のアパートの鍵を持っていたため、桐島の存在を警察が知るところとなり、指名手配されています。
桐島聡は、次のような情報と共に指名手配されました。
・強度の近視
・足が細い
・広島弁
・顔にニキビ跡がある
・唇が厚い
桐島聡は、警察庁指定重要指名手配となっていますが、懸賞金はかけられていませんでした。
桐島聡の事件は時効にならない?
出典:twitter.com
桐島聡は1974~1975年にかけて事件を起こし、指名手配されてから既に45年以上経っています。
桐島聡が起こした爆破事件では、負傷者は出ていますが死者は出ていません。死者が出ていたとしても、1970年代の事件では既に時効になっているはずです。
でも、桐島聡が起こした事件の一部はまだ時効が成立していません。それには大道寺あや子が関係しています。
大道寺あや子は東アジア反日武装戦線の「狼」のメンバーで、1975年5月19日に東アジア反日武装戦線の一斉検挙の時に逮捕されています。
しかし、1977年に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件で、超法規的措置が執られ、釈放・出国して、日本赤軍に合流し、国際手配されています。
釈放された時点で、大道寺あや子は既に起訴されていたため、公判が停止となっています。そのため、同じ事件に関与していた桐島聡も公訴時効が停止しているのです。
大道寺あや子と桐島聡の共犯が明白であるのは、3班合同で起こした「間組本社・工場同時爆破事件」です。
大道寺あや子が関与していない桐島聡の事件は、既に時効が成立しています。
しかし、大道寺あや子の身柄が確保されて、公判が再開しない限り、いつまでたっても、桐島聡の完全な時効は成立しないということになります。
大道寺あや子が今後、身柄を逮捕される可能性は極めて低いと思われますので、桐島聡の時効は成立せず、桐島聡にしてみれば逃亡生活がこの先もずっと続くと絶望していたことでしょう。
桐島聡は宮川大輔&氷川きよしに似てると話題に
桐島聡の指名手配の写真を見て、「誰かに似てる」と思ったことはありませんか?
もう一度、桐島聡の指名手配の写真を見てみましょう。
じっくり見てくださいね。誰に似てるでしょうか?
そうです!お笑い芸人の宮川大輔さんと歌手の氷川きよしさんです。
では、宮川大輔さんの写真から見ていきましょう。メガネの感じ、目や唇などが確かに似てると思いませんか?
次に、氷川きよしさんです。氷川きよしさんは目の感じや髪形などが似ています。
氷川きよしさんの場合、現在の氷川きよしさんよりも、ちょっと前の氷川きよしさんの方が似てますよね。
最後に、もう一度、桐島聡の写真を見比べましょう。やっぱり似ています。
ただ、桐島聡が宮川大輔さんや氷川きよしさんに似てるかどうかは、写真写りと関係があるようです。
上記の桐島聡は1973年ごろのものですが、その1年前の1972年の写真では、宮川大輔さんにも氷川きよしさんにも、それほど似ていないんです。
桐島聡は宮川大輔さんや氷川きよしさんに似ていますが、それはあの指名手配の写真だからであって、「顔がそっくり」というわけではないようです。
桐島聡の現在① 指名手配が続きついに身柄確保…末期の胃がんで入院していた
出典:ameblo.jp
桐島聡はずっと指名手配されていました。
1975年5月に逃亡してから、一度も足どりがつかめておらず、犯行声明なども出していませんでした。また、他のグループに参加して、新たな爆破事件なども起こしていません。
存在がつかめていないので、ハッキリ言えば、桐島聡は生きているのか、死んでいるのかも不明な状態でした。
しかし、事件は急展開を見せ、2024年1月25日に桐島聡と思われる男性の身柄が確保されています。
1974年から75年にかけて起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)とみられる男が、警視庁公安部に身柄を確保され、事情を聴かれていることがわかりました。
捜査関係者によりますと、きのう警視庁公安部に対し、神奈川県鎌倉市の病院に入院している男が「桐島聡です」と名乗り出たという情報が寄せられました。
男は偽名でこの病院に入院していましたが、末期のがんだということで、警視庁は慎重に話を聴いています。
引用:【独自】1974年にかけて起きた連続企業爆破事件の「東アジア反日武装戦線」メンバー桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄確保 警視庁公安部
桐島聡は末期の胃がんを患っており、2023年から神奈川県鎌倉市の病院に通院。2024年1月に病態が悪化、路上で倒れるも、自ら通報して救急搬送されて入院。病院に対しては「内田洋」という偽名を使っていました。内田洋の名前で入院していた桐島聡は「最期は本名で迎えたい」と病院に話して桐島聡と名乗ったそうです。
その後、病院が警察に連絡、警察が桐島聡の身柄確保という流れとなっています。
男は末期の胃がんで、同僚に付き添われて今月、同県鎌倉市の病院に入院した。健康保険証などの身分証は所持しておらず、当初、病院に対しても名前を「内田」としていたとみられるが、「最期は本名で迎えたい」と話して桐島聡と名乗り、25日から公安部が事情を聴いている。
桐島聡の現在② 神奈川県内の工務店に偽名「内田洋」で数十年勤務
指名手配されていた桐島聡はそれまで何をしていたのでしょうか。
関係者の話によると、桐島聡は「内田洋」という名前を使い数十年前から神奈川県藤沢市の工務店(建設会社)で、住み込みで働いていたことがわかっています。
男は「内田洋」という名前を使い数十年前から神奈川県藤沢市の工務店で、住み込みで働いていた。金融機関の口座を持たず、勤務先から現金で給料を受け取っていたとされる。口座開設時に厳しい身元の確認があるため、男が容疑者本人であれば警察の追跡を恐れ、開設を避けた可能性がある。
桐島聡はずっとこの工務店(建設会社)で働いていたようで、事件後に海外に渡航した形跡は確認されていないとのことです。
事件後に海外に渡航した形跡は確認されておらず、警視庁は身分を偽りながら国内で半世紀、逃亡生活を送っていたとみて調べる。
国内で半世紀、逃亡生活を送っていたとのことで、とても驚きです。
桐島聡の現在③ 現在の姿は?
桐島聡の現在の姿も注目されています。
桐島聡は2024年1月に路上で倒れて緊急搬送されましたが、その時に介抱した人が印象を語っています。
半世紀前の連続企業爆破事件で指名手配中の桐島聡容疑者を名乗る男が、今月路上で倒れた際、男を介抱した住民がFNNの取材に応じ、「弱々しく手配写真と比べるとかなり痩せた状態だった」と語った。
引用:【証言】「ガリガリ」「手配写真と比べ3分の2くらい痩せた人相」介抱した男性が語る 「内田洋」名乗り数十年にわたって勤務
近くの70歳代女性は桐島聡だとはわからなかったと発言しています。
男を知る近くの70歳代女性は、公開されている桐島容疑者の顔写真を見たことはあったが、事件との関連を考えたことはなかった。日常的にあいさつを交わし、好印象を抱いていた。
男は普段からニット帽をかぶり、黒縁眼鏡をかけていることが多かった。「今思えば確かに背格好などは似ていたが、桐島容疑者がこんなに近くにいたかもしれないなんて……」と驚いていた。
ネットではAIにより桐島聡の現在の姿を予想しています。
桐島聡
— テラ (@Tera757) January 26, 2024
70歳ならこんな感じかな?
※写真はAIによるシミュレーション pic.twitter.com/F0C4HjVMd1
AIでやった70歳の桐島聡 pic.twitter.com/yUWoFqxf78
— シオコ (@saku900003) January 28, 2024
桐島 聡の当時の写真を使って
— 凡魚人 (@_x3x_30) January 28, 2024
AI老化アプリと私がレタッチ加工した現在70歳の桐島 聡を作成してみました。#桐島聡容疑者 #桐島容疑者#白黒写真をカラーにしてみた#レタッチ勉強中 #画像加工#AdobePhotoshop#AgingBooth#レタッチ募集 pic.twitter.com/0H8irzNMFp
その後、桐島聡の58歳の時の姿が公開されました。残念ながら70歳の現在の写真はまだネットには上がっていませんが、58歳の時の写真を見ると指名手配の時とはあまり似ていないと話題になっています。
【独自】桐島容疑者とみられる男の潜伏中の写真入手 写真撮影時は58歳か https://t.co/0Yn61Dv5C5
— TBS NEWS DIG Powered by JNN (@tbsnewsdig) January 29, 2024
桐島聡さん、メチャクチャ楽しそうに浮かれ踊る姿が公開される。。。。
— 進撃のJapan (@roketdan2) February 1, 2024
pic.twitter.com/RoeDjwkkOS
桐島聡の現在④ 結婚や家族は?
桐島聡のこれまでの報道を見ると、ずっと偽名で暮らしており、結婚はしていなかったとのことです。しかし、20歳下の“結婚視野の女性”がいたことが明らかになっています。
「15年前くらいに『結婚したい』と相談されたんですよ。飲み屋で知り合った20歳くらい下の女性が気になってるとかで、『独身なんだから楽しみなよ』とアドバイスしても『でも自分なんかが…』って感じで、結局半年後に『やっぱり伝えられなかった』と失恋していたのを覚えてます。
引用:「“おぬし”に何がわかるんだ!」酔うと酒場で激昂…写真を撮られるのを極端に嫌っていた“自称・桐島聡”が15年前「結婚したい」と語っていた年下女性との恋
桐島聡の家族構成については明らかになっていません。死亡時に70歳という年齢を考えると両親は他界している可能性が高いと思われます。
桐島聡の身柄確保時には「桐島容疑者の家族構成や本籍など本人しか知り得ない話をしていた」という報道があり、特殊な家族構成である可能性もあります。
男は桐島とは別の名前で入院していましたが、その後の捜査関係者への取材で、桐島容疑者の家族構成や本籍など本人しか知り得ない話をしていたことがわかりました。
桐島聡には血縁関係のある複数の親族がいることが報道されていますが、親族との間柄については報道されていません。親族はDNA型鑑定には協力したものの、遺体の引き取りは拒否しています。
捜査関係者によると、公安部は、桐島容疑者の複数の親族の協力を得て、男のDNA型鑑定を実施。「親族として矛盾がない」ことが認められた。
桐島聡の現在⑤ 病院で死亡
桐島聡は2024年1月29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡しています。1月25日に身柄を確保されてから、すぐに死んでしまいました。
連続企業爆破事件で指名手配されている桐島聡容疑者を名乗る男が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことがわかりました。
男は1年ほど前に末期の胃がんと診断され、今月中旬から入院していましたが、容体が悪化し、29日午前7時半頃、死亡が確認されたということです。
桐島聡は死亡するも今後書類送検はされる見込みですが、本人が刑に服される道は絶たれた形となります。
今後、警視庁公安部は本人と特定すれば容疑者死亡で書類送検する見込みだが、本人が刑に服す道は絶たれた。
桐島聡のまとめ
指名手配をされていた桐島聡について、経歴や関与した事件で何をしたのか、懸賞金の金額や時効の有無、宮川大輔さんや氷川きよしさんに似てる噂や現在をまとめましたが、いかがでしたか?
桐島聡は事件後には神奈川県藤沢市の工務店で「内田洋」という偽名を用いて働いていたようで、ずっと日本にいたようです。
桐島聡は末期がんを患い、2024年1月に神奈川県鎌倉市の病院に偽名で入院。自身の死期を悟り、「最期は本名で迎えたい」と病院に話して桐島聡と名乗りました。警察に身柄を確保されるも、その後に死亡。
桐島聡の逃亡劇については様々な意見があり「警察から逃げ切った」「逃げ切ったものの、50年近くも偽名で暮らしていて悲惨な人生」などの声があります。
桐島聡が死亡したことで事件の全容解明は困難となってしまいました。ネットでは「せめて事件のことを話してから死んで欲しかった」などの声も上がっています。