四角佳子さんは六文銭の元メンバーで吉田拓郎さんの元嫁として知られていますが、離婚原因や現在の活動も話題です。
今回は四角佳子さんの若い頃、吉田拓郎さんとの馴れ初めや結婚生活、離婚原因、子供(息子と娘)、現在をまとめました。
この記事の目次
四角佳子は歌手で吉田拓郎の元嫁
四角佳子のプロフィール
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四角 桂子(よすみ けいこ)
生年月日: 1952年3月4日
出身地: 大阪府
血液型: O型
愛称: おけい、おけいさん
四角佳子さんは、1968年に芸能界デビューを果たし、ダンサーを経て歌手に転向しました。
歌手の吉田拓郎さんとの結婚後は、家庭を優先していたようで、音楽活動を一時期停止していましたが、現在はソロの歌手としてライブを中心に活動しています。
四角佳子の若い頃の経歴① 西野バレエ団の期待の星としてダンスユニットでデビュー
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若い頃の四角佳子
若い頃の四角佳子さんについて調査しました。
西野バレエ団のエースだった四角佳子さんが、なぜ歌手に転向したのか理由も紹介します。
志麻ゆきとしてアイドルデビュー
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志麻ゆきとしてデビューした頃の四角佳子
大阪で生まれ育った四角佳子さんは、活発で歌が大好きな子供でした。
幼少期からバレエを習い、16歳の時には「西野バレエ団」に入団しました。
ちなみに西野バレエ団とは、1953年設立当時はバレエダンサーの育成を目的としていましたが、1960年代以降のテレビブームで芸能プロダクションとしての業務も開始しています。
そして、四角佳子さんも事務所の東京進出と共に上京し、「志麻ゆき」としてデビュー。
日本テレビの人気バラエティ番組「レ・ガールズ」に出演し、番組と同じダンスアイドルユニット「レ・ガールズ」に所属して注目を集めます。
なお、「レ・ガールズ」には、同じ事務所の由美かおるさん、奈美悦子さん、原田糸子さん、金井克子さんがメンバーで、当時熱狂的な人気を誇っていました。
芸能界の窮屈さが耐えられなかった
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その後、ソロで歌手活動を開始。1970年2月にデビューシングル「風に乗って」、1970年8月には「夜明け前」をリリースし、順調なスタートを切りました。
とても恵まれた環境だったと言えますが、四角佳子さんは当時、芸能界に馴染むことができなかったといいます。
四角佳子さんは気が強く、プロ意識も高かったため、妥協できずにスタッフと議論するうちに喧嘩に発展してしまうことも度々あったそう。
また、事務所の寮に入っていたのですが、門限22時など細かいルールが定められていて、頭から押さえつけられているような気持ちになっていきました。
そのため、「型にはまった生活は無理だ」と感じた四角佳子さんは、西野バレエ団を辞めて大阪に帰ることになります。
地元に帰ってもモヤモヤして鬱屈していた日々を送っていましたが、そんな四角佳子さんを新たな人生へと誘ったのは「六文銭」との出会いでした。
四角佳子の若い頃の経歴② 六文銭に加入して音楽活動を再開
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四角佳子が所属していた六文銭
歌手活動を捨てて、実家で塞ぎこんでいた四角佳子さんを救ったのは、かつて芸能界でお世話になった小室等さんでした。
小室等さんは「六文銭」のリーダーで、四角佳子さんの音楽活動を再開のきっかけを与えてくれたといいます。
ここでは、四角佳子さんの活動再開の経緯や「六文銭」について紹介します。
小室等に誘われて再デビュー
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リーダーの小室等
四角佳子さんが大阪の実家に帰って5ヶ月程が経過した頃、小室等さんから1本の電話があり、「六文銭で一緒にやろう」と誘われました。
四角佳子さんがかつてソロ歌手として活動していた時に、シングルの作曲担当だったのが小室等さんだったのです。
また、小室等さんにギターを教えてもらったこともあるなど、恩義を感じていた四角佳子さんは誘いを快諾したものの、両親からは猛反対されたそう。
しかし、小室等さんは大阪へやってきて両親を説得してくれたといいます。
最初は渋い顔をしていた家族も、次第に小室等さんの人柄に信頼を寄せ、最終的に芸能界復帰を賛成してくれるようになり、四角佳子さんは再び音楽の世界に舞い戻ることができました。
こうして1971年、「六文銭」のメインボーカルとして愛知県のステージで再デビューを果たしたのです。
六文銭とは?
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「六文銭」は、小室等さんをリーダーとして1968年に結成されたフォークグループです。
1971年、上篠恒彦さんと共演した「出発の歌」が「ポピュラーソング・フェステバル’71」のグランプリを受賞、第2回世界歌謡祭ではグランプリを獲得しました。
1972年に解散し、1973年以降は小室等さんがリーダーとして「新六文銭」を結成。
小室等さんがギターボーカル、柳田ヒロさんがキーボード、後藤次利さんがベース、チト河内さんがドラムス、吉田拓郎さんがリードギター・ボーカルという豪華メンバーでした。
しかし「新六文銭」はシングルをリリースする前に解散。
2000年10月に、再び小室等さんが四角佳子さんと及川恒平の3人と「まるで六文銭のように」を結成。
2009年には、小室等さんの娘が加入したことをきっかけに「六文銭`09」へとユニット名を変更、2018年には再び「六文銭」となり、現在に至ります。
四角佳子が結婚した元旦那は吉田拓郎
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四角佳子の元旦那で歌手の吉田拓郎
四角佳子さんは、歌手の吉田拓郎さんと1972年6月に結婚しています。しかしわずか3年ほどで離婚しました。
元旦那の吉田拓郎さんについて、プロフィールと経歴を振り返ってみましょう。
吉田拓郎のプロフィール
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吉田 拓郎(よしだ たくろう)
生年月日: 1946年4月5日
出身地: 鹿児島県伊佐郡
血液型: A型
身長: 176.5cm
吉田拓郎さんは、日本におけるシンガーソングライターの草分け的な存在と呼ばれる人物で、「フォーク界のプリンス」という異名も持っています。
若い頃、地元の広島県でフォークソングコンテストに出場し、中国地方2位、全国3位に輝いたことで、『平凡パンチ』に「和製ボブディラン」と紹介されるなど地元の有名人でした。
上京してからは、まだ日本では浸透していなかったフォークソングを広めた功績が知られています。
1975年には井上陽水さんや、泉谷しげるさんなどのシンガー仲間と共に「フォーライフ・レコード」を立ち上げたのですが、1982年にアーティスト活動に集中したいとの理由にて辞任。
これまで、日本全国津々浦々でライブを開催し、ファンとのコミュニケーションを大切にするスタイルが吉田拓郎さんの音楽活動の特徴でもあります。
四角佳子と元旦那・吉田拓郎の馴れ初め
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若い頃の四角佳子と吉田拓郎
ここでは、四角佳子さんと吉田拓郎さんの出会いと馴れ初めについて紹介します。
お互いの第一印象が真逆だったことが後年判明し、話題になりました。
四角佳子から見た第一印象
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四角佳子さんが吉田拓郎さんと初めて出会ったのは、「六文銭」に加入した1971年5月でした。
愛知県岡崎市で開催されたジョイントコンサートで再デビューすることになった四角佳子さんは、同じく演者だった吉田拓郎さんに挨拶に行ったそうです。
四角佳子さんが感じた第一印象は、「ひと言でいえば、すごくイヤーな感じの男だってところかな」とのこと。
吉田拓郎さんは楽屋のテーブルの上に座って、足をブラブラさせながら「アッ」とか「ヘッ」などの返事とは言えない返事を返してきたそう。
この反応を見た四角佳子さんは「普通の人であれば、『よろしく!』くらい言うでしょうに」と、最悪な人だと思っていたことを明かしています。
吉田拓郎は興味を持っていた
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あまりにもそっけない吉田拓郎さんの反応に、ガッカリした四角佳子さん。しかし、吉田拓郎さんは全く違う印象を持っていたようです。
「初めて会った時から、ほう、いい女だなあって思ったよ。だいたい俺は惚れっぽい性質だしね。でもちょっと小生意気な感じもしてね」と、興味を持ったことを後年明かしています。
それ以来、2人はミュージシャンとして同じ現場になることが度々あり、会話をする機会も多かったそうです。
どうにか近づきたいとチャンスを狙っていた吉田拓郎さんは、会話だけでは物足りず、六文銭の練習場所に顔を出したりとアピールを続けていたそうです。
介抱がきっかけで交際に
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最初の頃は嫌な男という印象を抱いていた四角佳子さんでしたが、吉田拓郎さんからの熱烈なアプローチで、次第に心を動かされるようになっていきました。
そんなある日の夜、四谷の路上で酔っ払い同士の喧嘩に遭遇した吉田拓郎さんと四角佳子さん。仲裁に入った吉田拓郎さんは、喧嘩に巻き込まれて怪我を負ってしまったそうです。
四角佳子さんは深夜営業しているスーパーを探して、ガーゼと絆創膏を購入し、泣きじゃくりながら介抱したといいます。
これがきっかけで2人は交際に発展し、それから1年間に渡る交際を経て1972年に結婚しました。
四角佳子さんは当時20歳で、吉田拓郎さんは26歳でした。
四角佳子と元旦那・吉田拓郎の離婚原因
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四角佳子さんと吉田拓郎さんは、結婚してわずか3年で離婚してしまうことに。
ここでは、2人の離婚の原因について調査しました。
結婚してすぐにギスギスしていた
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1972年6月に軽井沢の聖パウロ教会で結婚式を挙げた2人は、東京都杉並区高円寺のアパートで新婚生活をスタートさせます。
一緒に生活してみると、吉田拓郎さんは亭主関白だったそう。四角佳子さんは気の強い性格なので、そんな吉田拓郎さんとぶつかり合うことも多かったようです。
また、食事の嗜好も休日の理想的な過ごし方も違っていて、吉田拓郎さんは自宅でノンビリ派、四角佳子さんは外出派と生活する上で様々な食い違いが明らかになりました。
何から何まで意見がぶつかって、喧嘩ばかりのため雰囲気はかなり険悪だったそう。あまりに嫌になってしまった四角佳子さんが、実家に帰ってしまった時もあったとか。
吉田拓郎さんは、結婚前からなんとなく「お互いに合わないのではないか」と感じていたそうですが、四角佳子さんの魅力がそんな不安よりも勝っていたので結婚したといいます。
しかし、一緒に生活をする中でどんどん溝が深まり、結婚後半年で離婚という文字が2人の頭をよぎるようになるまで夫婦関係は悪化。
それでも、子供が誕生すれば何かが変わるはずだと信じて、都内一等地の高級マンションに家族で引っ越し、気分を一新することになりました。
この頃の吉田拓郎さんは売れっ子歌手であり、長者番付に名を連ねるくらいの収入を得るようになっていたんです。
ただ、新居での新生活になっても、ギスギスした夫婦関係は全く改善しなかったといいます。
吉田拓郎の不倫が決定打に
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四角佳子さんと結婚して約2年後の1974年、吉田拓郎さんは当時人気アイドルだった浅田美代子さんと一緒に仕事をしたことがきっかけで、不倫関係になっていました。
浅田美代子さんは、マネージャーから「もう会ってはいけない」と叱られていたそうですが、止められないくらい惹かれていたといいます。
やがて、噂を聞きつけた週刊誌が不倫愛を報じ、さらに浅田美代子さんは「拓郎さんが好きです。奥さんがいても交際をやめません」と交際を認めたことで大炎上。
四角佳子さんと吉田拓郎さんの夫婦関係はもともと冷え込んでたとは言え、吉田拓郎さんの不倫発覚により、決定的に破綻。1975年に離婚となりました。
四角佳子の子供:娘の名前は「彩」
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四角佳子さんには、吉田拓郎さんとの間に子供が1人誕生しています。
四角佳子さんは、結婚と同時に「六文銭」だけではなく、芸能活動自体を引退。そして1973年に妊娠が発覚し、明確な日にちは不明ですが、1974年に女児を出産しました。
娘の名前は彩(あや)さんといい、父親の吉田拓郎さんは娘のために「彩たん」という楽曲を作っています。
この「彩たん」はコンサートでのみ披露されるレア曲で、ファンからも人気の高い楽曲です。
1975年に四角佳子さんが吉田拓郎さんが離婚して以降は、四角佳子さんが親権を持ち、育ててきました。
そのため、娘の彩さんと吉田拓郎さんは長い間、顔を合わせることはなかったようですが、ラジオ番組で「娘に久しぶりに会った。自分の娘じゃなかったら口説いていた」と語りました。
四角佳子さんと離婚しても、やはり娘はかわいいのでしょうね。
そんな彩さんは現在結婚していて、娘である「愛」さんを出産しています。
四角佳子さんはおばあちゃんになっているんですね。
四角佳子の子供:息子もいる?
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吉田拓郎さんと離婚をした四角佳子さんは、娘の彩さんを育てることに全力を注いできました。そのため、結婚後は表舞台から姿を消して、音楽から遠ざかっていたのです。
それから25年が経過した2000年、再び音楽の世界へ復帰。さらにそれから3年後にはブログを開始して、ファンに向けて様々な情報を発信してくれています。
2003年8月のブログでは、大学3年生になる息子について語り、話題になりました。
吉田拓郎さんと離婚したのが1975年ですので、息子の年齢から考えて、当時はまだ生まれていなかった可能性が高いでしょう。
そのため、この息子の父親は吉田拓郎さんではない、別の男性ということになります。
吉田拓郎さんとの離婚後、四角佳子さんが結婚したという情報はないため、もしかしたら男性とは籍を入れておらず、シングルマザーなのかもしれません。
ネットでは、吉田拓郎さんと離婚後に交際した男性がいたものの別れてしまったという噂がありますが、真実は定かではありません。
四角佳子の現在
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2022年現在、四角佳子さんは70歳になりました。
人によっては隠居生活へとシフトしていく年齢ですが、四角佳子さんは現在も現役のミュージシャンとしてライブ活動を行っています。
公式サイトには活動予定が掲載されていて、2022年5月24日は大分県、5月25日と5月26日は宮崎県、5月27日は佐賀県、5月28日は福岡県と最近でも連日予定がビッシリ。
さらに、6月に行われる東京でのライブは、チケットが即日ソールドアウトという盛況ぶりです。
まだまだ隠居というには程遠く、エネルギッシュに活動されていますよね。
活動予定は、四角佳子さんのツイッターにアップされていますので、興味がわいたらぜひのぞいてみてくださいね。
まとめ
出典:https://www.meikyokuhour.com/
四角佳子さんは、高校生で西野バレエ団に入団し、上京後は「志麻ゆき」名義で歌手デビュー。
しかし、事務所の厳しい管理に辟易し、一度は地元の大阪に帰ってしまいます。
その後、かつて芸能界でお世話になった小室等さんから誘われて、「六文銭」に加入。そこで出会ったのが、後に旦那となる歌手・吉田拓郎さんでした。
第一印象は最悪だったようですが、現場で一緒になるうちにお互い惹かれ合い、交際から1年後の1972年に結婚しました。
ただ、結婚してみると性格が合わずに喧嘩ばかりの日々。そんな中、発覚したのが吉田拓郎さんと浅田美代子さんとの不倫だったのです。
この不倫騒動は夫婦仲を破壊するのに十分だったようで、吉田拓郎さんと1975年に離婚し、2人の間に誕生した1人娘は四角佳子さんが引き取っています。
その後の25年間、一般人として過ごしていましたが、2000年に再び音楽界に舞い戻ってきた四角佳子さん。
2003年に開始したブログでは、大学3年生の息子がいることも明かしています。
2022年現在、四角佳子さんは70歳の年齢を迎えています。今も歌手活動を精力的に行い、日本全国をライブ活動で飛び回るなどとても元気な様子です。
四角佳子さんの音楽活動をこれからも応援していきたいですね。