1960年代から活躍する名俳優の小倉一郎さんの4度の結婚やステージ4のがんの告白が話題です。
この記事では小倉一郎さんの子役時代や若い頃、4度の結婚と3度の離婚の元嫁や子供、4度目の再婚の現在の嫁との生活、がん告白や治療を受けている病院、現在の活躍についてまとめました。
この記事の目次
- 小倉一郎のプロフィール
- 小倉一郎の子役時代① 壮絶な生い立ちを経て東映のエキストラに
- 小倉一郎の子役時代② 梅宮辰夫のはからいで本格デビューし石原裕次郎とも共演
- 小倉一郎の若い頃の代表作や画像① 映画「股旅」
- 小倉一郎の若い頃の代表作や画像② ドラマ「それぞれの秋」
- 小倉一郎の若い頃の代表作や画像③ 映画「仁義なき戦い 頂上作戦」
- 小倉一郎の若い頃の代表作や画像③ ドラマ「俺たちの朝」
- 小倉一郎の1度目の結婚の元嫁は女優の海野まさみ
- 小倉一郎と海野まさみの離婚理由
- 小倉一郎の2度目の結婚(再婚)の元嫁は一般女性の昌子さん
- 小倉一郎の子供は昌子さんとの間に1男3女
- 小倉一郎と昌子さんとの離婚理由は政治家転身による生活のすれ違い
- 小倉一郎の3度目の結婚(再再婚)の元嫁は元アイドル歌手の谷ちえ子
- 小倉一郎と谷ちえ子の離婚理由は非公開
- 小倉一郎の現在の嫁は一般女性のまきさんで運命的な再再再婚が話題に
- 小倉一郎の現在の嫁のまきさんはくも膜下出血で倒れるも無事回復
- 小倉一郎は末期がん(ステージ4)が見つかるも治療が効いて回復傾向
- 小倉一郎のがん治療の病院は県立がんセンター
- 小倉一郎の現在
- まとめ
小倉一郎のプロフィール
小倉一郎のプロフィール
生年月日:1951年10月29日
出生地 :東京都新宿区
出身地 :鹿児島県薩摩郡下甑村大字手打(現在の薩摩川内市)
身長 :168cm
血液型 :B型
別名義 :秋山啓之介(作詞作曲時)、蒼蛙(俳号)
小倉一郎さんは、小学生の頃から子役として活躍を始め、1970年代からは味わいのあるバイプレイヤーとして人気を上げ、テレビドラマや映画を中心に現在まで活躍を続けている名俳優です。
代表作としては、1973年映画「股旅」、1973年のドラマ「それぞれの秋」、1974年映画「仁義なき戦い 頂上作戦」、1976年から77年にかけてのドラマ「俺たちの朝」、1978年のNHK朝ドラ「おていちゃん」、2000年のNHK朝ドラ「エール」などが知られています。
俳優業以外にも、「蒼蛙(そうあ)」の俳号で俳人として活動し、秋山啓之介の名義で作詞作曲も手がける他、篆刻や墨絵などにも取り組みマルチな才能を発揮しています。
また、家族を次々と亡くした壮絶な生い立ちや、3度の離婚と4殿の結婚などの私生活面でも話題の多い人物です。
今回はそんな小倉一郎さんについてまとめていきます。
小倉一郎の子役時代① 壮絶な生い立ちを経て東映のエキストラに
小倉一郎さんは東京都新宿区(両親は鹿児島出身だが父親の結核療養のために東京に来ていた)で、4人兄姉の末っ子として生まれましたが、4歳年上の双子の兄2人は、小倉一郎さんが生まれる前に船着場で海に落ちる事故で2歳にして他界。
さらに、小倉一郎さんを産んで1週間後に母親は26歳という若さで亡くなっています。また、少し時は開きますが2歳年上の姉も18歳の若さで脳腫瘍で亡くなり、父親も小倉一郎さんが33歳の時に交通事故で亡くなっています。
生まれてすぐに母親を亡くした小倉一郎さんは、当時51歳の叔母(父親の姉)に引き取られて、鹿児島の甑島(こしきしま)で育てられています。
その後、小倉一郎さんが小学校1年生の頃に、東京で学生をしていた叔母の娘さん(小島一郎さんにとっては従姉妹)が学生結婚をする事になり、叔母も一緒に住む事になったため、小倉一郎さんも上京しています。
子供時代の小倉一郎さんはチャンバラ映画が好きで、チャンバラごっこをしてよく遊んでおり、それを知った叔母の友人が「この子俳優にしなさいよ、紹介状書いてあげるから、それを持って東映に行きなさい」と言ってくれて、東映のエキストラ子役をやる事になりました。
小倉一郎さんはエキストラ子役としては、時代劇の他に1962年の美空ひばりさん主演映画「べらんめえ芸者と大阪娘」や、1964年の「飢餓海峡」などに出演(飢餓海峡の出演シーンはカットされた模様)しています。
小倉一郎の子役時代② 梅宮辰夫のはからいで本格デビューし石原裕次郎とも共演
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エキストラの子役として活躍していた頃、小倉一郎さんは、当時東映のスター俳優であった梅宮辰夫さんと知り合って気に入られ、そのはからいによって「東映児童研修所」に第5期生として入団しています。
その研修期間の1年目、小倉一郎さんは日活映画「敗れざる者」のオーディションを受け、準主役に抜擢されます。この作品の主演は当時の大スター・石原裕次郎さんで、小倉一郎さんは準主役の病魔と戦う少年・高村敏夫役を演じました。
これが、小倉一郎さんの子役としての本格デビュー作となりました。(当時12歳)
小倉一郎さんはその後、1965年のNHK大河「太閤記」、1965年ドラマ「素浪人 月影兵庫」、ポーラ名作劇場「いのちある日を」、1966年映画「ボスは俺の拳銃で」、1967年の映画「青春の海」や「旅路」などに出演しています。
小倉一郎の若い頃の代表作や画像① 映画「股旅」
小倉一郎さんの若い頃の代表作としてはまず、1973年公開の市川崑監督映画「股旅」が挙げられます。
当時22歳だった小倉一郎さんは、主人公の3人の渡世人のうちの1人で物語の中心となる源太の役を演じています。
小倉一郎さんが演じた源太は、百姓の家を飛び出して無宿となり流浪を続ける若い渡世人で、成り行きで若い渡世人の2人(萩原健一さんと尾藤イサオさんが演じている)と行動を共にしながら、渡世人の義理を果たすために実の父親を斬り殺し、偶然出会った百姓の娘と衝動のままに駆け落ちをします。無頼に生きる渡世人でありながら繊細な心を持つ若者を、若い頃の小倉一郎さんが見事に演じています。
この映画「股旅」は現在もU-NEXTなどのオンデマンドで視聴可能です。若い頃から味のある小倉一郎さんの演技も見どころですが、映画自体も名作で今観てもかなり面白いのでおすすめです。
ちなみにこの映画の撮影中、小倉一郎さんは萩原健一さんと殴り合いの大喧嘩をしたそうです。喧嘩の原因は荻原健一さんが「お前は俺を先輩として立ててない」と言って怒り出した事で、小倉一郎さんが「先輩後輩言うのなら、尾藤イサオさんをお前は先輩として立てるかこの野郎」と言い返したところ殴り合いに発展。
止めに入った尾藤イサオさんが、俳優としては子役からやっている小倉一郎さんの方が先輩である事などから萩原健一さんに「おい、ショーケン、小倉さんに謝れ」と言ってくれ、最終的に萩原健一さんが小さな声で「ごめんな」と謝り喧嘩は収まったのだそうです。
しかし、その翌日の2人で刀で斬り合うシーンの撮影の時に萩原健一さんが本気で斬りかかってきて小倉一郎さんは「本当に殺される」と思ったのだとか。
小倉一郎の若い頃の代表作や画像② ドラマ「それぞれの秋」
小倉一郎さんは、1973年9月から12月まで放送されたテレビドラマ「それぞれの秋」に主人公の大学生・新島稔役で出演しています。
この作品は、明るく健康的な家族を描くという当時のホームドラマの常識を覆した作品で、それぞれに問題を抱える家族をリアルに鋭く描き出した衝撃作でした。
小倉一郎さんが演じた一家の次男・新島稔は心は優しいが気が弱く出来が悪い大学生で、物語はこの次男の目線から描かれています。
小倉一郎の若い頃の代表作や画像③ 映画「仁義なき戦い 頂上作戦」
小倉一郎さんは1974年公開の任侠映画の傑作「仁義なき戦い 頂上決戦」にも出演しています。
小倉一郎さんが演じたのは、川田組の若衆の野崎弘の役で、いわゆる鉄砲玉として松方弘樹さん演じる義西会若頭・藤田正一を襲撃して銃殺するという役柄です。
この野崎弘というキャラクターは、暴力団組員とはいっても、小倉一郎さんが演じるだけあってひ弱なタイプで、武闘派が多く登場する仁義なき戦いシリーズの史上最弱キャラだとして個性を放っています。
小倉一郎の若い頃の代表作や画像③ ドラマ「俺たちの朝」
小倉一郎さんの若い頃の出世作としては、1976年から1977年にかけて放送され大人気となった青春ドラマ「俺たちの朝」があります。
「俺たちの朝」は、鎌倉を舞台に若者達の青春模様を描いた作品で、小倉一郎さんが演じたのは、勝野洋さん演じる主人公の岩崎修治(オッス)と長谷直美さん演じるヒロインの滝村麻子(カアコ)と共同生活を送る事になる大学生の田口勇夫(チュー)役でした。
小倉一郎さんが演じたチューは、大学に通いながら役者を目指す繊細な青年ですが、このキャラクターが小倉一郎さんの優しげなイメージとピッタリ合い当たり役となります。
以降、小倉一郎さんはナイーブな青年役を多く演じるようになり、同世代の女性を中心に人気を大きく上げました。
小倉一郎の1度目の結婚の元嫁は女優の海野まさみ
小倉一郎さんはこれまでに4度結婚していて3度離婚している事でも知られています。
小倉一郎さんの最初の結婚は1973年22歳の時で、お相手は1973年の映画「ときめき」と同年放送のドラマ「それぞれの秋」での共演で知り合った4歳下の女優の海野まさみさんでした。
小倉一郎さんの方が海野まさみさんに一目惚れし、食事会の時にラブレターを渡して告白し付き合う事になったそうです。
当時、小倉一郎さんは所沢市に中古の家を買って叔母(父親の姉で、母親を幼くして亡くした小倉一郎さんの養母)と2人で暮らしていましたが、結婚してそこに海野まさみさんも一緒に住み始めたそうです。
しかし、わずか2ヶ月半後に超スピード離婚しています。小倉一郎さんはロケで家を空ける事が多かったそうなので、まともな結婚生活を送れた時期はほとんどなかったようです。
小倉一郎と海野まさみの離婚理由
小倉一郎さんと最初の嫁の海野まさみさんの離婚の経緯や理由についても小倉一郎さん本人が明かしています。
結婚してすぐの頃、小倉一郎さんが京都の撮影から帰ると、海野まさみさんが実家に帰ってしまっていたそうです。小倉一郎さんはまだ撮影が残っていたため、再び京都に戻ったところ、突然「小倉一郎と海野まさみ離婚」との報道がされたのだそうです。
小倉一郎さんにとっては寝耳に水でしたが、週刊誌やワイドショーで大々的に報道されてしまいました。
小倉一郎さんが海野まさみさんに話を聞いたところ、小倉一郎さんがロケで家を空けている間、小倉一郎さんの叔母(海野まさみさんにとっては姑的な存在)と2人きりで家で暮らすのが耐えられないため、一方的に離婚を決めてマスコミに話してしまった事が判明。
小倉一郎さんは「それならば離婚しましょう」と離婚に応じられたそうです。慰謝料もない円満離婚でしたが、当時は前代未聞のスピード離婚だったため「芸能界最短離婚」、「早すぎる離婚」などとメディアに書き立てられていました。
小倉一郎の2度目の結婚(再婚)の元嫁は一般女性の昌子さん
小倉一郎さんの2度目の結婚(1度目の再婚)は1977年、25歳の時で、相手は広告会社の社員、モデルクラブマネージャーで先輩俳優の奥田瑛二さんのマネージャーも務めていた昌子さんという一般女性でした。
小倉一郎さんはこの昌子さんとの間に4人の子供に恵まれていますが結婚から22年目の1999年に離婚しています。
77年には、先輩俳優だった奥田瑛二のマネジャーと結婚。4人の子供に恵まれたが、結婚23年目、99年に離婚した。
小倉一郎の子供は昌子さんとの間に1男3女
小倉一郎さんは2度目の結婚相手の元嫁・昌子さんとの間に4人の子供が生まれています。
小倉一郎さんの子供は上から、長女、長男、次女、三女で、2000年時点で長女が23歳、長男が21歳、次女が18歳、三女が中学3年生と明かされています。
2023年の現在は子供全員が30代後半から40代後半になっているはずです。
小倉一郎さんは、末期のがんが見つかった時に最初に罹った病院ではうつ手がないと宣告されたものの、子供達が探してくれたがん専門病院での治療によって治療の効果が出ている事を明かされています。
ちなみに、小倉一郎さんの子供達も結婚されていて、孫が5人いるそうです。末期がんが見つかり、一時は死を覚悟した小倉一郎さんは、最後の思い出にと4人の子供達と孫5人達と熱海へ温泉旅行に行ったのだとか。
一時は死を覚悟し、「最後だから桜を見に行こう」って、4人の子供たちと5人の孫たちのみんなで、熱海に温泉旅行に行ったぐらいですから。
小倉一郎と昌子さんとの離婚理由は政治家転身による生活のすれ違い
小倉一郎さんと2度目の結婚相手の昌子さんとは4人の子供に恵まれながら、結婚22年目に離婚しています。
離婚の理由は、昌子さんが政治家に転身し、その準備のために生活のすれ違いが続いたためだと説明されています。
小倉一郎さんの元嫁の昌子さんは、マネージャー業を辞めた後に政治の道に入り、2002年設立された政党「みどりの会議」に所属して、2003年の東村山市長選挙と、2004年の参議院議員選挙に出馬しています。
小倉一郎さんは離婚後も元嫁の昌子さんの選挙活動を応援されていましたが、いずれの選挙も惜しくも落選となっています。
小倉一郎の3度目の結婚(再再婚)の元嫁は元アイドル歌手の谷ちえ子
小倉一郎の元嫁・谷ちえ子のプロフィール
本名 :笹谷智恵子
生年月日:1959年6月11日
出身地 :北海道函館市青柳町
小倉一郎さんは2006年に元アイドル歌手の谷ちえ子さん(2012年に再デビュー)と3度目の結婚をされています。出会ってからわずか3ヶ月のスピード結婚でした。
小倉一郎さんと谷ちえ子さんは、2006年5月に共通の知人だったという双子デュオ「サスケ」のコンサートを観に行ったのをきっかけに知り合い、最初のデート(2度目とも)で小倉一郎さんの方から「幸せになりませんか?」とプロポーズし、谷ちえ子さんが「私でよければ」と受け入れた事で結婚を決められたとの事です。
谷ちえ子さんも1988年に飲食店経営者と結婚し1993年に子供が誕生するも1995年に離婚しており、小倉一郎さんとは再婚でした。
小倉一郎さんと谷ちえ子さんは、2006年10月30日に長野県軽井沢市で結婚式を挙げ、11月2日に東京池袋のホテルメトロポリタンで結婚会見と披露宴を開催しています。
披露宴には俳優の中村雅俊さんら250人が出席し、谷ちえ子さんが歌を、小倉一郎さんがギターを演奏するなど大盛り上がりだったそうです。
実は、谷ちえ子さんの家族は全員が小倉一郎さんとの結婚に反対していたそうなのですが、それを押し切っての再婚だったそうです。
しかし、結婚9年目の2015年7月に小倉一郎さんと谷ちえ子さんは離婚されています。
小倉一郎と谷ちえ子の離婚理由は非公開
小倉一郎さんと谷ちえ子さんが離婚していた事は、2015年12月に谷ちえ子さんの口から明かされています。
谷ちえ子さんによると、3年の別居生活の後、2015年7月に正式に離婚したという事でした。
離婚した事をすぐに公表しなかったのは、大々的に結婚式や披露宴を開いていた事や家族の反対を押し切っての再婚だった事から公開しづらかったためだったそうです。
ただし、離婚の理由については明かされておらず不明です。
それが実は3年間の別居生活後、今年7月に正式離婚しちゃったんです。9年前に軽井沢で挙式して、池袋のホテルで記者会見に披露宴と大々的に開いたじゃないですか。おまけにウチの家族全員が反対してたのを押し切っての再婚だったから、おおっぴらにできなくて。離婚の理由? それはちょっとご勘弁を。
小倉一郎の現在の嫁は一般女性のまきさんで運命的な再再再婚が話題に
小倉一郎さんは、2017年2月に4度目の結婚をしています。お相手は一般女性のまきさんで、小倉一郎さんは再再再婚である事も話題にされました。
そして、この嫁のまきさんは、小倉一郎さんが最初の結婚の前の若い頃に交際していた元婚約者だった事も判明し、40年来の恋を実らせた運命的な結婚である事も大きく取り上げられました。
2人は、小倉一郎さんが23歳の頃、まきさんが18歳の短大生だった時に交際しており、結婚も約束し、お互いの親にも紹介し合っていたそうです。
しかし、若い頃は女性にだらしなかった小倉一郎さんが浮気を繰り返したため、まきさんはお灸を据える意味で「しばらくの間別れましょう」と言って距離を置いたそうです。
ところが、その間に小倉一郎さんは海野まさみさんと1度目の結婚をしてしまいます。当然まきさんはかなり傷付いたそうなのですが、それから約10年後の29歳の時に幼馴染の男性と結婚されています。
その後、小倉一郎さんは3度の結婚と離婚を繰り返し、まきさんも30年近く結婚生活を送った旦那さんと離婚し、お互いに独身になっていた2016年に、まきさんの方から小倉一郎さんのフェイスブックに「私のことを覚えていますか?」という内容のメールが届いたのをきっかけに再開を果たしたそうです。
そして、まきさんの方から冗談めかして「41年前の責任を取ってさ、一郎ちゃん、私の事を引き取ってよ」と持ちかけると、小倉一郎さんは「わかった、俺そっちに引っ越すわ」と答え、2016年の8月に本当に自宅を引き払ってまきさんが母親と2人で暮らしていた横浜市の3LDKのマンションへ引っ越してきたのだそうです。
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それから約半年後の2017年2月に2人は結婚。婚姻届は2017年3月放送のBS日テレの旅番組「夫婦再旅」の番組内で提出されています。
2017年12月には「徹子の部屋」に夫婦揃って出演し、お互いに「一郎ちゃん」、「まきちゃん」と呼び合う仲睦まじい様子が話題になりました。
まきさんは調理師免許も持っていて料理上手で、お弁当を作って小倉一郎さんの撮影現場に持って行っている事なども明かされていました。
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2018年4月には、小倉一郎さんとまきさんは横浜市内で結婚披露宴を行い、仲雅美さん、筒井真理子さん、大石吾朗さんら俳優仲間など120人が出席。小倉一郎さんの2度目の結婚の時の子供4人と孫のうち2人もお祝いに訪れています。
この披露宴で、小倉一郎さんは「次回(の結婚)はないです」と、まきさんとの結婚が最後の結婚である事も誓われていました。
2度目の結婚でもうけた4人の子どもと、2人の孫が祝福に訪れた。結婚について「喜んでくれています。久しぶりに会うのでうれしいです」と笑顔を見せた。
小倉は今回が4度目の結婚となるが「次回はないです」と、まきさんと添い遂げることを誓っていた。
小倉一郎の現在の嫁のまきさんはくも膜下出血で倒れるも無事回復
小倉一郎さんの現在の嫁のまきさんですが、2019年3月にくも膜下出血で倒れて緊急手術を受けられています。
幸いなことに手術は無事に成功し、現在は随分と回復されているとの事です。ただ、2020年の時点では、まだまきさんが通院とリハビリを続けており、後遺症がわずかにある事も明かされていました。
ただ、まきさんはパートも再開しスポーツジムにも行くようになったとも明かされていたので、現在はさらに回復されていると思われます。
小倉一郎は末期がん(ステージ4)が見つかるも治療が効いて回復傾向
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小倉一郎さんは、2022年に両肺と胸骨、脳の計4か所にがんが見つかり、肺のがんはステージ4で、最初に受診した病院では医者から「抗がん剤も手術も放射線も、何をやっても無駄」と言われ、余命が1年〜2年と宣告されたそうです。
しかし、2度目の結婚の時の子供達が探してきてくれたという県立がんセンターを受診し、放射線治療を受けたところ、脳のがんは胸骨のがんはそれによって消え、その後の抗がん剤治療によって、左肺のがんも消滅。右肺のがんもかなり小さくなったのだそうです。
専門病院をいろいろと探してくれて。県立がんセンターに行きました。調べたら、胸の骨と右の脳にも転移してることがわかり、それで放射線を当てたら、脳のがんは1回で消えました。すごいです。胸も1カ月ぐらい、放射線を当てたらこれも消えました。抗がん剤の点滴も打って、それで半年ぐらいで左の肺のがんが消えました。その1年後には、右の方のがんも、かなり小さくなりました。
小倉一郎のがん治療の病院は県立がんセンター
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小倉一郎さんはがんが見つかり、最初に受診した病院では治療をしても効果がないと言われたにも関わらず、セカンドオピニオンを受けた病院では治療が可能と言われ、実際にその治療によって3か所のがんが消滅し、残る1か所もかなり小さくなった事を明かされました。
この事から、小倉一郎さんががんの治療を受けた病院がどこか知りたいという声が多くあるようです。
小倉一郎さんは、「徹子の部屋」に出演した際にがんが見つかった事と病院での治療について話されています。その時、治療を受けた病院については「がんの専門病院、県立がんセンターっていうとこ」とお話しされていました。
黒柳が「それで2番目の結婚の時の娘さんたちが、ほかの専門病院をいろいろ探してくれて」と続けると、小倉は「がんの専門病院、県立がんセンターっていうとこに行って、また調べたら胸の骨と、右の脳に転移してるっていうことが分かって」と説明。
小倉一郎さんががん治療を受けた病院がどこの県立がんセンターかまでは明かされていませんが、現在も小倉一郎さんは月に1回のペースでこの病院に通院しているという事で、関東圏の病院の可能性が高いと思われます。
関東圏の県立がんセンターとつく病院には、「神奈川県立がんセンター」、「静岡県立静岡がんセンター」、「埼玉県立がんセンター」、「栃木県立がんセンター」、「群馬県立がんセンター」があるので、この中のどれかが小倉一郎さんががん治療を行なっている病院かも知れません。
現在、小倉一郎さんは横浜市在住だという事なので、「神奈川県立がんセンター」である可能性が最も高いのではないでしょうか。
小倉一郎の現在
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2022年にステージ4のがんが見つかり、現在も抗がん剤の治療を受けているという小倉一郎さんですが、俳優としての活動も続けられています。
小倉一郎さんの2023年現在の俳優としての出演は、2023年5月に公開されたコメディ映画「それいけ!ゲートボールさくら組」の臼井玲雄役があります。
ここ数年で見ても小倉一郎さんは俳優としてかなり活躍しており、2022年公開の映画「マイスモールランド」、BSプレミアムで2022年放送のドラマ「今度生まれたら」など数々の話題作に出演しさすがの演技力を見せてくれています。
がんを完全克服し、今後も長く俳優として活躍を続けてもらいたいと思います。
まとめ
今回は、子役としてデビューし1960年代から現在まで活躍を続ける名俳優の小倉一郎さんについてまとめてみました。
小倉一郎さんは小学校の頃に東映のエキストラとして俳優の道へ入り、子役としても人気を上げ石原裕次郎さんと共演した日活映画「敗れざる者」で話題になりました。
成長後も俳優として活躍を続け、若い頃の代表作としては、市川崑監督の「股旅」、大ヒットした青春ドラマ「俺たちの朝」、任侠映画の傑作「仁義なき戦い 頂上決戦」などがあります。
小倉一郎さんは4度の結婚と3度の離婚をした私生活も話題で、1度目の結婚相手の女優の海野まさみさんとはわずか2ヶ月半でスピード離婚。2度目の結婚相手の一般女性昌子さんとは、22年間結婚生活を送り4人の子供に恵まれるも離婚。
3度目の結婚相手は元アイドル歌手の谷ちえ子さんでしたが、3年の別居の末に離婚されています。
4度目の結婚相手の現在の嫁は一般女性のまきさんで、実は最初の結婚の前に交際し婚約までしていた女性で40年の時を経て結ばれています。
小倉一郎さんの現在については、2022年にステージ4のがんが発覚し、一時は治療は難しいと言われるも子供達が見つけてくらた県立がんセンターで治療を受けたところ、治療の効果が出て回復傾向にある事が明かされています。
俳優としても現在も活躍を続けられていて、2023年5月公開の映画「それいけ!ゲートボールさくら組」などに出演されています。