寿美花代さんは元宝塚の役者・タレントで、芸能一家である家族や現在の様子も話題です。
今回は寿美花代さんの若い頃の経歴、華やかな家系図と結婚した旦那や子供、長男殺害事件の詳細と犯人の家政婦のその後と動機、現在をまとめました。
この記事の目次
- 寿美花代のプロフィール:宝塚歌劇団の元男役トップスター
- 寿美花代の若い頃の経歴:宝塚歌劇団で活躍し、結婚を機に引退
- 寿美花代が結婚した旦那は役者の高島忠夫
- 寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード① 夫婦喧嘩をしたことがない
- 寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード② 初デートで結婚を意識
- 寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード③ 毎日ラブレター攻め
- 寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード④ 料理はファンが作っていた
- 寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴① 多くの作品で主演
- 寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴② 舞台や司会でも活躍
- 寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴③ 晩年は多くの病気を抱えた
- 寿美花代は旦那の高島忠夫を献身的に看病・介護していた
- 寿美花代の子供:息子は2人とも役者として活躍中
- 寿美花代の息子① 高島政宏のプロフィール
- 寿美花代の息子② 髙嶋政伸のプロフィール
- 寿美花代の息子2人は父親の死後に遺産相続争いをしている?
- 寿美花代の長男が殺害された事件の詳細:1964年に家政婦から連絡
- 寿美花代の長男が殺害された事件のその後① 犯人は家政婦の少女
- 寿美花代の長男が殺害された事件のその後② 犯人の動機は?
- 寿美花代の親族:芸能一家だった高島家の家系図が凄い
- 寿美花代の義理の姪・高嶋ちさ子のプロフィール
- 寿美花代の現在① 2018年以降の芸能活動については詳細不明
- 寿美花代の現在② ”老老介護”のその後…ついに施設へと入居?
- 寿美花代の現在③ 次男・高嶋政宏が”SMキャラ”でプチブレイク
- 寿美花代の現在④ 3男・高嶋政宏に第2子が誕生
- まとめ
寿美花代のプロフィール:宝塚歌劇団の元男役トップスター
生年月日:1932年2月6日
出身地:兵庫県
所属事務所:東宝芸能
寿美花代さんは役者・タレントで、宝塚歌劇団の男役元トップスターとして知られています。
プライベートでは、役者の高島忠夫さんと結婚。次男・高嶋政宏さん、三男・高嶋政伸さんも役者として活動しています。
寿美花代の若い頃の経歴:宝塚歌劇団で活躍し、結婚を機に引退
寿美花代さんは高校卒業後に、宝塚歌劇団へ入団。35期生として高千穂ひづるさん・雅章子さんらとともに活躍しました。
しかし、最初から飛び抜けて目立っていたわけではなく、入団時の成績は46人中35位だったといいます。
その後、”カツラの大きさが合う”という理由で、1951年に公演された「蜜蜂の冒険」の主役ぺーアの代役に抜擢。同役でスターになるチャンスをつかみました。
1952年に公演された「猿飛佐助」で改めて主演を務めると、さらに人気を高め、ブロマイドの売上が1位に。
1953年に出演した「アンニー・ローリー」ではその高い演技力が評価され、宝塚新人演技賞を受賞。1958年公演の「三つのワルツ」では、「芸術祭」の奨励賞も受賞しています。
また、1960年公演の「華麗なる千拍子」ではこれまでの男役ではなく、”パイナップルの女王役”を演じ、大きな話題を集めました。
今回の宝塚歌劇の殿堂は、戦後初の宝塚歌劇の黄金期を支え、天性のショーマンぶりで観客を惹きつけた寿美花代を取り上げます。1948年に初舞台。わずか3年目で主役に抜擢され、その後も魅力溢れる女役姿が話題となり芸術祭賞にも輝いた『華麗なる千拍子』をはじめ、華やかな舞台姿で新たな男役スターとして活躍しました。
しかし、当の寿美花代さんは自身が男役を演じることに違和感を感じていたのだそう。
宝塚のトップスターとして活躍を続けていたが、男役を演じることに抵抗を感じた時期もあった。「10年過ぎたころだったかなあ。トムとかサムとか男の役ばかり。『ボクは…』と言うわけだし、なんだかねえ」
1961年には「第12回NHK紅白歌合戦」初出場も果たした寿美花代さんですが、1963年に結婚すると、宝塚歌劇団を退団しました。
寿美花代が結婚した旦那は役者の高島忠夫
寿美花代さんは1963年、役者の高島忠夫さんと2年の交際期間を経て結婚。
1961年に、寿美花代さんが司会を務めていた「季節のミュージカル」に高島忠夫さんがゲスト出演したことが出会いのきっかけだったといいます。
“おしどり夫婦”として知られ、1971年に放送を開始した料理番組「ごちそうさま」で長年共演するなど、夫婦でメディアに出演していました。
寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード① 夫婦喧嘩をしたことがない
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寿美花代さんと高島忠夫さんは公私ともにラブラブな印象ですが、過去のインタビューの発言などからは、”特別仲が良い夫婦”というよりは”穏やかな夫婦“のようにも感じます。
高島 おしどり夫婦と言われても、自然の流れに従ってやってきただけなんですよ。自分たちがいい夫婦かどうかなんて考えたこともない。
寿美 夫婦ゲンカはしませんよね。子どもたちなんて、夫婦ゲンカってテレビドラマの中だけのことだと思っていたのに、友達の家に行ったら本当にやっていて、すごく驚いたんですって。
寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード② 初デートで結婚を意識
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寿美花代さんと高島忠夫さんは、出会った当初のお互いの印象について、以下のように語っています。
寿美 でも、あなたは本当にやさしかった。私はテレビ番組の収録ではじめて会ったときに、すでに「結婚するならこの人」と決めていたのよ。
高島 僕は当時話題だった『華麗なる千拍子』を観に行ったとき、あなたが舞台で歌った『ラストダンスは私に』を聴いて、「これはたいしたもんだ」と、心を撃ち抜かれてね。
別の取材では、寿美花代さんが出会った日の思い出を次のように振り返る場面も。
司会もゲストも昼間は舞台に忙しいため、番組の収録は真夜中になった。空腹に顔をゆがめていたら、「ファンからの差し入れがあるのでいっしょに食べましょう」と高島がさりげなく声をかけた。歌の練習をしようとすると、ピアノの得意な高島が「伴奏してあげましょう」。なんて優しい人。こんな人、みたことない。それにカッコいい。「この人にきめた、と思っちゃった。結婚するならこの人、とね」
ちなみに、初デートは寿美花代さんから誘ったそう。「カルメン」を見て神戸の「北野クラブ」で食事をしたといいます。
また、寿美花代さんはすでに結婚を意識していたため、初デートの帰り道、車の中で年収から仕送り・借金の有無、ガールフレンドがいるのかまで根掘り葉掘り問いただしたのだそうです。
また、プロポーズも寿美花代さんからだったのだとか。
寿美 プロポーズしたのも私のほうから。「私と結婚してくれませんか。してくれないなら、他の人と結婚しますけど、いいですか」。
高島 しかも、唐突にね。あれには驚いた。僕、固まっていたでしょ。
寿美 ええ。目がアッチいったり、コッチいったり、ちっとも定まらない。(笑)
寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード③ 毎日ラブレター攻め
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ここまでのエピソードだけであれば、寿美花代さんが高島忠夫さんに一方的に夢中になっていたようにも見えますが、高島忠夫さんの寿美花代さんへの愛も相当なものだったのだとか。
寿美花代さんは当時、高島忠夫さんから毎日何枚にもおよぶラブレターを受け取っていたそう。
そのあまりの文量に、最後のほうは封すら切らなかったといいます。
また、取材時にその実物を見せて欲しいと依頼された高島忠夫さんが、寿美花代さんにどこにあるのかと尋ねると、「結婚する際に捨ててしまった」とあっさり言われてしまったそうです。
寿美花代と旦那・高島忠夫の仲良しエピソード④ 料理はファンが作っていた
寿美花代さんは結婚して専業主婦となったものの、料理が苦手でなにもできなかったのだとか。
しかし、夫婦の食卓にはいつも美味しい食事が並び、旦那である高島忠夫さんは「宝塚は料理も教えるのか」と感心していたといいます。
しかし実際は、結婚してから最初の2年間は、料理のできない寿美花代さんを心配したファンの方々が、料理を作って順番に差し入れていたのだそう。
寿美花代さんはそれを温め、食卓に出していたといいます。
そんな状況が続く中、ついにファンからも「料理を覚えたほうがいい」と釘を刺されるようになった寿美花代さん。3つもの料理学校をはしごして、一生懸命練習したといいます。
ただ、料理学校ではマリネやローストといった料理を学ぶことが多く、学んだ料理しか作れなかった寿美花代さんは、朝からそのようなメニューをだしていたそう。
それでも、高島忠夫さんは料理の内容や調理の遅さなどにも文句を言わず、不満を一切口にしなかったのだとか。
そのおかげで、寿美花代さんはやる気をそがれることなく、料理を頑張ろうと思えたと後に語っています。
寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴① 多くの作品で主演
生年月日:1930年7月27日
出身地:兵庫県
所属:役者・タレント
所属事務所:東宝芸能
高島忠夫さんは役者で、タレントとしても活動していました。
本名は「高嶋忠夫」で、4人兄弟の長男として誕生しました。
弟は、音楽ディレクターの高嶋弘之さんで、高嶋弘之さんの娘はヴァイオリニストでタレントでもある高嶋ちさ子さん。高島忠夫さんにとって高嶋ちさ子さんは姪にあたります。
そんな高島忠夫さんの祖父は不動産収入をメインとする大地主。その恩恵を受けていた父親は、定職に就かず、”弟子のいない琵琶師匠”だったそう。
高島忠夫さん自身は学業優秀で神戸高校に通っていましたが、ジャズに没頭するようになり退学。
その後、関西学院高等部へ水泳推薦のような形で編入学し、関西学院大学へと進学しています。
1951年になると、「新東宝スターレット」の第1期生となり芸能界へ。それを機に、関西学院大学を中退。芸名を「高島忠夫」とし、21歳で上京しました。
上京後は、劇団「俳優座」で演技のレッスンとボイストレーニングを受け、1952年公開の映画「恋の応援団長」でスクリーンデビュー。
さらに、同年公開の映画「チョイト姐さん思い出柳」で初主演も務めました。
以降、主演を務めることが多くなり、さらにその歌唱力から”歌うスター“としての地位を確立。
1950~1960年代の間に100本以上もの作品に出演し、その中でも「坊ちゃんシリーズ」は高島忠夫さんの代表作であると言えるでしょう。
寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴② 舞台や司会でも活躍
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高島忠夫さんは作曲もこなし、1960年代に入るとミュージカル作品にも出演するようになります。
1963年に”日本発のブロードウェイミュージカル”として公演された「マイ・フェア・レディ」は大きな話題を呼びました。
年齢を重ねるにつれ、主役からバイプレイヤーのポジションに身を置くようになった高島忠夫さんは、1970年代からは司会者としても活躍。
フジテレビ系列のクイズ番組「クイズ・ドレミファドン!」などを担当しました。
寿美花代の旦那・高島忠夫のプロフィールと経歴③ 晩年は多くの病気を抱えた
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高島忠夫さんは順調な芸能活動を行う一方で、健康面では糖尿病や不眠症、アルコール依存症などを患い、1998年頃には重度のうつ病を発症。
レギュラー番組などを降板し、一時芸能活動を休止していたこともありました。
2007年頃に完全復活を果たすも、パーキンソン病や不整脈などに悩まされていたようです。
その後、2019年に死去。享年88歳で、死因は老衰だったとのことです。
映画から舞台、司会など幅広く活躍し、「イェーイ」の決めぜりふでも知られる俳優の高島忠夫さんが26日、老衰のため自宅で亡くなった。88歳だった。所属事務所の東宝芸能が28日、報道各社にファクスで発表した。妻・寿美花代の「最後は家族で見送りたい」という希望で家族だけで27日に密葬を行った。お別れ会などを開催する予定はないという。
寿美花代は旦那の高島忠夫を献身的に看病・介護していた
寿美花代さんの旦那・高島忠夫さんは前述のとおり、晩年までいくつもの病気を抱えてきました。
そんな長い闘病生活を支えたのが、他の誰でもない寿美花代さんでした。
寿美花代さんは、高島忠夫さんが重度のうつ病になった際のことを以下のように振り返っています。
1998年の夏。自宅で夫が「寒い。冷房を切ってくれ。毛布をくれ」と言ったのが始まりでした。風邪かと思い内科を受診しましたが、何日たっても治らない。「窓も雨戸も全部閉めてくれ」と朝から部屋を真っ暗にし、ソファに座って一日中ぼんやりする日が続く。さすがにおかしい。心療内科を受診し、うつ病と診断されました。
また、高島忠夫さんのうつ病克服に関しては、散歩・マッサージ・日記・絵などありとあらゆることを試したと回顧。
夫は日記も絵もまるでやってくれませんでしたが、日記に関しては私が書く分には効果がありましたね。介護していると気持ちが内向きになりがちですが、気持ちを客観的に整理することができたと思います。「書く」という行為には救われました。厚いノート2冊分、恨み節を書き連ねましたよ(笑)。
ちなみにそんな中で1番効果的だったのは、高島忠夫さんの好きだった音楽をかけることだったのだとか。
その後、寿美花代さんの献身的な支えもあり、うつ状態から抜け出すことのできた高島忠夫さんでしたが、今度は身体的な問題に向き合うことに。
兼ねてより患っていた糖尿病やパーキンソン病のため、服薬にインスリン注射など寿美花代さんによる健康管理は続いたといいます。
寿美花代の子供:息子は2人とも役者として活躍中
寿美花代さんと高島忠夫さんの間には3人の子供が誕生しており、いずれも男の子です。
しかし、長男・道夫さんは生後わずか5ヵ月で亡くなっています。
また、次男の髙嶋政宏さん、3男の高嶋政伸さんはともに役者として活躍中です。
寿美花代の息子① 高島政宏のプロフィール
生年月日: 1965年10月29日
出身地:東京都
職業:役者
所属事務所: 東宝芸能
髙嶋政宏さんは成城大学法学部に在学中である1987年に、映画「トットチャンネル」でスクリーンデビューを果たしました。また、同年は映画「BU・SU」にも出演。
2作で見せた演技によって、「第30回ブルーリボン賞」の新人賞や、「第11回日本アカデミー賞」の新人俳優賞をはじめとする、数多くの新人賞を受賞しています。
その後、1988年放送のNHKのドラマ「純ちゃんの応援歌」に出演したことでさらなる人気を獲得し、1993年に日本テレビで放送されたドラマ「同窓会」で役柄の幅を広げました。
また、同年公開の映画「ゴジラvsメカゴジラ」では主演を務め、大河ドラマにも多数出演しています。
これまでに、1987年放送の「独眼竜政宗」、1997年放送の「毛利元就」、2002年放送の「利家とまつ」、2013年放送の「八重の桜」、2017年放送の「おんな城主 直虎」に出演。
- 近年においては、テレビ朝日系列のドラマ「刑事7人シリーズ」や、映画「HiGH&LOWシリーズ」「かぐや様は告らせたいシリーズ」などに出演しています。
私生活においては、ミュージカルで共演したことをきっかけに仲を深めた、役者のシルビア・グラブさんと2005年に結婚しています。
寿美花代の息子② 髙嶋政伸のプロフィール
生年月日:1966年10月27日
出身地:東京都
職業:役者
所属事務所:東宝芸能
髙嶋政伸さんは成城大学の文芸学部芸術学科に在学中は、役者を志すつもりはなく、映画監督を目指していたのだとか。
しかし、自主映画を制作する際に抱えた借金を父親に肩代わりしてもらったことで、その借金返済のため役者を始めたといいます。
俳優の高嶋政伸が、10月7日放送の日本テレビ系『ニノさん』1時間半SP(毎週土曜 前10:00)に出演。MCの二宮和也(嵐)とのトークのなかで、そもそも俳優になるつもりがなかったことを告白。不本意ながら始めたこの仕事のキッカケが多額の借金だったことを明かして二宮を驚かせる。
その後、兄・高嶋政宏さんがプロデューサーに紹介する形でデビュー。
1988年放送の朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」や、1989年にフジテレビ系列で放送されたドラマ「ハートに火をつけて!」などに出演。
特にNHKの朝ドラ・大河ドラマには数多く出演しており、朝ドラにおいては、1997年放送の「あぐり」、2022年放送の「ちむどんどん」にも出演しました。
大河ドラマにおいては、1991年放送の「太平記」、1996年放送の「秀吉」、2003年放送の「武蔵 MUSASHI」、2009年放送の「天地人」、2016年放送の「真田丸」に出演。
また、1990年からTBSで放送を開始した「HOTELシリーズ」の赤川一平役で人気を博し、同年放送のTBS系列のドラマ「都会の森」では主演を務めました。
以降も、1993年公開の主演映画「修羅場の人間学」や、フジテレビ系列のドラマ「世にも奇妙な物語シリーズ」などにも出演。
なお、近年の傾向としては、2011年頃から悪役を演じることが多くなっているようです。
そして2013年頃からは、事務所の方針によって兄・政宏さんとの共演がNGに。
――この6年ほどは、ご兄弟での共演はありませんよね?
「それは(私の意向ではなく)単純に事務所の方針だと思います」
兄弟間の確執は否定したものの、共演NG状態にあることは認めた政伸。
プライベートでは、2007年に役者の美元さんと結婚。その後、離婚騒動が大きな話題となりましたが、2012年に離婚が成立しました。
そして、2015年に一般女性と再婚しています。
寿美花代の息子2人は父親の死後に遺産相続争いをしている?
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高島忠夫さんの死後、息子2人の相続争い疑惑が報じられたこともありました。
しかし、次男・高嶋政宏さんはこれを明確に否定しています。
父の死後、遺産相続をめぐって兄弟の対立が一部メディアで報じられたが、政宏はこれに対し、《政伸は若い頃から「僕は実家を出るから、兄貴に全部譲る。兄貴が継げばいい」と言っていました。(中略)政伸には最近も「本当に不動産はいらないのか」と確認をしましたが、「僕は本当にいらない。早くから家を出ているし」の一点張り。ですから父が亡くなってから相続トラブルはありません》と週刊誌で明言している
寿美花代の長男が殺害された事件の詳細:1964年に家政婦から連絡
寿美花代さんと高島忠夫さんの間に誕生し、わずか5ヵ月で亡くなった長男・道夫さん。
実は道夫さんは病気や事故などではなく、殺人事件の被害者でした。
事件が発生したのは1964年。当時17歳だったという住み込みで働いていた家政婦が、「道夫の姿が見当たらない」と高島夫妻に連絡したことから始まります。
連絡を受けた高島夫妻はすぐに道夫さんを捜索すると、室内は荒らされ、物色されており、誘拐を思わせるかのような状況だったそうです。
しかし、道夫さんは自宅内の風呂おけの中で、心肺停止の状態で発見されました。
寿美はこの事件を振り返り、「夜中に(お手伝いさんが)『道夫がどこでもいない』ってことになって、探し回った。一番最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。(道夫の周りに)泡がいっぱい出てて…」と生々しい状況を告白。「夜中2時すぎぐらいで、あちこち病院行ったけど、どこも受け入れてくれなくて。やっと1軒受けてくれた時には…」と声を震わせた。
寿美花代の長男が殺害された事件のその後① 犯人は家政婦の少女
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風呂おけにはきっちりと蓋がしめられていたことなどから、警察は殺人事件として捜査を開始。
家政婦は捜査関係者に対し「不審な男を見た」などと証言していましたが、不審な点などを問われると犯行を自供。殺人罪で起訴され、懲役3~5年の不定期刑を言い渡されています。
夫妻の第1子となる長男・道夫ちゃんが生後5カ月で殺害されたのは、1964年(昭和39年)8月24日未明。住み込みで働いていたお手伝いの少女A(当時17歳)が風呂に沈めて殺害。当初は室内を物色されたように装うなど、窃盗の仕業に偽装したが、同日昼ごろ、犯行を自供した。
寿美花代の長男が殺害された事件のその後② 犯人の動機は?
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家政婦は犯行の理由について「道夫がいなくなれば、夫婦の関心が自分に戻ると思った」という旨を語ったそう。
家政婦は元より高島夫妻のファンで、高島夫妻からもとても可愛がられていたのだとか。しかし、道夫さんの誕生を機に疎外感を感じるようになったそう。
事件当日も、愛情をもって道夫さんに接していたものの、ふと「道夫がいなくなれば愛情が自分に戻るかもしれない」という考えにかられ、犯行におよんだといいます。
寿美花代の親族:芸能一家だった高島家の家系図が凄い
寿美花代さんの旦那・高島忠夫さんの弟は、前述にもあるとおり、音楽ディレクターの高嶋弘之さんです。
そのため、高嶋弘之さんの娘でヴァイオリニスト・タレントの高嶋ちさ子さんと、高嶋政宏さん&高嶋政伸さん兄弟はいとこ同士になります。
幼少期こそお互いの家を行き来するなど交流があったそうですが、それからほどなくして会わなくなったのだとか。
ネットでは、バイオリンを始めるという高嶋ちさ子さんに、寿美花代さんが「大丈夫なの?」と金銭面を心配したことにカチンときたことが原因とも言われていますが、真相は不明です。
なお、2022年に放送されたテレビ朝日系列のバラエティ特番「ザワつく!大晦日」では、高嶋ちさ子さんと高嶋政伸さんの初共演が大きな話題に。
当日は、初共演というだけでなく、2人にとって48年ぶりの再会となったそうです。
俳優高嶋政伸(56)が31日放送のテレビ朝日系特番「ザワつく!大晦日」(午後6時)に出演し、いとこで番組レギュラーのバイオリニスト高嶋ちさ子(54)とテレビ初共演および48年ぶりの再会を果たした。
また、番組内では血のつながりがないにもかかわらず、高嶋ちさ子さんの顔がだんだんと寿美花代さんに似てきているという話題でも盛り上がっていました。
政伸は「ちさ子さんと呼んだ方が?ちーちゃん、ちーちゃんのお顔が、うちの母親(寿美花代)にそっくりになってきている」と話すと、ちさ子は「おかしいよね」。政伸の父忠夫さんと、ちさ子さんの父弘之さんが兄弟という家系図が紹介されると、政伸は「あれ?じゃあ、なんで?うちの母親の、しかも宝塚時代にそっくり」と不思議がり、ちさ子も「よく言われる。寿美花代さんに似ている」と納得。
寿美花代の義理の姪・高嶋ちさ子のプロフィール
生年月日: 1968年8月24日
出身地:東京都
職業:ヴァイオリニスト・タレント
所属事務所: シンバ
高嶋ちさ子さんはヴァイオリニストで、タレントとしても活動しています。
6歳からヴァイオリンを始め、桐朋学園大学の音楽学部を卒業。その後、イェール大学音楽学部大学の院修士課程アーティスト・ディプロマコースを修了しています。
1995年にユニット「チョコレート・ファッション」としてCDデビューを果たし、翌年よりソロ活動を開始。
1997年にアナウンサー・軽部真一さんとコンサート「めざましクラシックス」を立ち上げたほか、2006年にはコンサート「高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト」も立ち上げ。
2018年には国内のトップチェロ奏者によるコンサート「Super Cellists」も立ち上げ、演奏者としてだけではなく、様々なコンサートの立ち上げ・企画・プロデュースも手掛けています。
また、竹を割ったような性格と歯に衣着せぬ物言いが人気となり、タレントとしても活躍。
ゲスト枠をメインに数多くの番組に出演したほか、2001年からはテレビ東京系列の教養番組「芸術に恋して!」で司会を担当。
そのほか、ラジオ番組やバラエティ番組の司会を務め、2018年からはテレビ朝日系列のバラエティ番組「ザワつく!金曜日」で司会を担当しています。
寿美花代の現在① 2018年以降の芸能活動については詳細不明
寿美花代さんについて、芸能界における現在の活動状況は不明ですが、所属事務所である「東宝芸能」は現在もタレントとしてプロフィールを公開しています。
結婚して以降は、役者よりはタレントとしての活動がメインとなっていた寿美花代さん。
近年でいうと、2015年にフジテレビ系列で放送されたトーク番組「ごきげんよう」に出演していたほか、毎日放送の情報番組「ちちんぷいぷい」ではセミレギュラーを務めていました。
また、2016年にはテレビ朝日系列で放送されたトーク番組「徹子の部屋」などに出演しています。
舞台では、2015年に「宝塚歌劇の殿堂」やチャリティートークショーなどに出演。2018年には、宝塚歌劇団OBとして同劇団が発行する雑誌『歌劇』の誌面にも登場していました。
しかし、2018年以降は目立った活動はされておらず、2019年に旦那・高島忠夫さんが亡くなったことが大きく影響していると見られています。
寿美花代の現在② ”老老介護”のその後…ついに施設へと入居?
寿美花代さんについて、2023年に女性向け週刊誌『女性セブン』が施設へ入所したのではないか?と報じています。
高島忠夫さんが亡くなった後も、自宅で1人暮らしをしていた寿美花代さん。
しかし、2023年時点で91歳と高齢となり、今後の生活を考えて決断したと言われています。
ここは2019年6月に亡くなった高島忠夫さん(享年88)の自宅である。忠夫さんが他界してから、この家には妻の寿美花代(91才)が住んでいたが、最近になって異変が生じた。「寿美さん、もうあの家には住んでいませんよ。昨年末あたりに出て行かれたようです。忠夫さんが亡くなってからも、ずっとひとりで暮らしていたんですけどね……」(近隣住民)
高島夫婦の”老老介護”が話題となった2018年頃にも、「夫婦で施設へ入居した」と噂されましたが、当時は息子である高嶋政伸さんが「事実ではなく2人とも自宅にいる」とキッパリ否定。
─忠夫さんは施設に入院していて、ご自宅には寿美さんだけが暮らしているという話がありますが……。
「いえいえ。まだふたりとも自宅にいますよ。どこからそんな話が……」
そのため、今回の施設入居疑惑報道についても、実際のところはわからない状況です。
寿美花代の現在③ 次男・高嶋政宏が”SMキャラ”でプチブレイク
寿美花代さんの次男・高嶋政宏さんは2018年に、エッセイ『変態紳士』を発売。
同書では自身の性的嗜好について赤裸々に綴っており、その内容が大きな話題となりました。
俳優の高嶋政宏(53)が性的嗜好をカミングアウトしたことで世間を騒がせている。10月に上梓したエッセー「変態紳士」(ぶんか社)がタイトル以上に過激なのだ。
「高嶋ファミリー」と呼ばれる芸能一家に育ったお坊ちゃんのイメージが強い高嶋だが、本書の大半は「SM」などの話が占め、自身の変態ぶりを赤裸々に語っている。
高嶋政宏さんはその後、“SMキャラ”としてプチブレイク。バラエティ番組やトーク番組などでも自身の性癖について包み隠さず語っています。
10月に発売したエッセー「変態紳士」でSM好きをカミングアウトし、話題になっている高嶋。「変態は紳士でまじめじゃないとたぶんできない」と語り「SMの得意技を身につけなきゃいけないと思って、緊縛初級講座に最近通い始めた」と明かし、スタジオを驚かせた。
また、番組内では、嫁であるシルビア・グラブさんとSMショーを観に行ったことがあると告白していました。
ちなみに、シルビアさんは「吐き気がする」と拒絶。今後は1人で行くようにと言われたといいます。
SMにハマったのは、役作りのための取材がきっかけだそうで、どんどんと深みにはまったという高嶋政宏さん。
2022年時点でのお気に入りプレイは、業務用ラップでぐるぐる巻きされる、マミー(ミイラ男)プレイなのだとか。
そんな高嶋政宏さんですが、同年にはなんと『変態紳士』をモチーフとした映画「愛してる!」が公開。高嶋政宏さんは同作で企画監修を務め、SMバーの常連客役としても出演しています。
また、高齢者から「人の目を気にしてやりたいことをまっとうできなかった」という後悔を聞いたことで、「やりたいことをやる」と決意したという高嶋政宏さん。
「SMで自分を解放できた」とも語っています。
その道のプロが言ったんです。変態は崇高な精神だけど、変質者は犯罪だ、と。まさにそうですよね。人に無理強いはしない、人に迷惑はかけない。それが徹底されていれば何の問題もないと思う。 僕はSMに出会って自分を解放することができた。精神が自由になれたというか……。だから何かやりたいことがあったり興味を惹かれるものがあったら、臆(おく)せず飛び込んでいけばいいと思うんです。
もしかすると、高齢者というのはご両親のこと…かもしれませんね。
寿美花代の現在④ 3男・高嶋政宏に第2子が誕生
寿美花代さんの3男・高嶋政宏は2015年に一般女性と再婚し、2017年に第1子が誕生していました。
そして、2021年に第2子妊娠を発表。寿美花代さんも嬉しい報告を喜んでいたといいます。
所属事務所は「この度、弊社所属俳優:高嶋政伸に第二子が授かったことをご報告させていただきます」と報告。安定期を迎え、母子ともに体調は安定しているという。
家族も大喜びで、特に女優の母、寿美花代(89)は「良かった、良かった」と歓喜。27日の誕生日を前に、政伸も「嬉しい、55歳、ドキドキしています」とコメントを寄せた。
その後、高嶋政伸さんは第2子が無事誕生したことを報告しています。
サイトでは「高嶋政伸はこれからも役者としてより一層、邁進して参りますので温かく見守っていただけると幸いです。今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします」と報告した。
まとめ
寿美花代さんは若い頃、宝塚歌劇団で男役トップスターとして活躍。役者の高島忠夫さんと結婚し、宝塚歌劇団を引退しました。
さらにその後、長男・道夫さんが誕生。まさに順風満帆と思われましたが、夫婦で可愛がっていた家政婦が嫉妬心から道夫さんを殺害してしまうという事件が発生。
2人は深い悲しみを背負うことになりました。
その後、次男・高嶋政宏さん、3男・高嶋政伸さんが誕生。家族は徐々に明るさを取り戻していったようです。
高島忠夫さん亡き後は1人暮らしをしていた寿美花代さんですが、現在は介護施設にいるとの噂もあります。
どうか末永くお元気でいてほしいものですね。