尾上縫は料亭「恵川」の女将で、銀行に対し巨額の詐欺事件を起こして逮捕されたバブル期を象徴する人物です。
今回は尾上縫の若い頃の経歴や晩年、大和ハウス創業者や松下幸之助との関係、結婚した旦那と子供や孫、死因も紹介します。
この記事の目次
- 尾上縫のプロフィール:料亭の女将であり相場師&詐欺師だった
- 尾上縫の若い頃の経歴① 5人兄弟の次女で家庭は貧しかった
- 尾上縫の若い頃の経歴② 料亭「恵川」オープンには大和ハウスが関係?
- 尾上縫の若い頃の経歴③ 経営は赤字だったがお金には困っていなかった
- 尾上縫の若い頃の経歴④ 信仰深く勘が良く当たると評判に
- 尾上縫の若い頃の経歴⑤ 証券会社・銀行が押し寄せる”女相場師”が誕生
- 尾上縫の若い頃の経歴⑥ 金融業界に取り込まれ多額の融資を受ける
- 尾上縫の若い頃の経歴⑦ ”女将兼女相場師”としてテレビ番組にも出演
- 尾上縫の若い頃の経歴⑧ バブル崩壊により負債が7000億円以上に
- 尾上縫の若い頃の経歴⑨ 銀行に対して詐欺事件を働いて逮捕
- 尾上縫の若い頃の経歴⑩ 詐欺事件を機に”松下幸之助の愛人”との噂も
- 尾上縫の晩年:懲役12年で刑務所に入るも要介護状態だった
- 尾上縫をモデルにした作品① ドラマ「平成の女相場師」(1992年)
- 尾上縫をモデルにした作品② 映画「女帝」(1995年)
- 尾上縫をモデルにした作品③ ドラマ「銭女」(2014年)
- 尾上縫をモデルにした小説④ 小説「そして、海の泡になる」(2020年)
- 尾上縫が結婚した旦那:出会いはお見合い・姑トラブルによって離婚
- 尾上縫の子供や孫:娘が1人・離婚後は元旦那が引き取る
- 尾上縫の死因は不明・2014年頃に亡くなった?
- まとめ
尾上縫のプロフィール:料亭の女将であり相場師&詐欺師だった
生年月日:1930年2月22日
出身地:奈良県
尾上縫さんは実業家・投資家として活動していましたが、世間一般ではバブル時代の象徴、そして詐欺師として知られています。
大阪府で料亭「恵川」を経営し、バブル時代には”北浜の天才相場師”・”バブルの女帝”と呼ばれるほどの投資家に。
しかし、バブル崩壊を機に状況が悪化したことをきっかけに、銀行などを相手に巨額の詐欺事件を起こし逮捕されました。
また、1995年公開の映画「女帝」をはじめ、映像作品や小説などのモデルにもなっています。
尾上縫の若い頃の経歴① 5人兄弟の次女で家庭は貧しかった
尾上縫さんは農家の両親のもとに、5人兄弟の次女として誕生。家はとても貧しく、弟のうちの1人を栄養失調で亡くすほどでした。
母親は家事が苦手で、真言宗の僧侶・空海の熱心な信者だったのだとか。毎日般若経を唱えており、特に前述の弟が亡くなってからは祝詞や経のような言葉を口にするようになったそう。
一方の父親は、尾上縫さんが10歳の時に病死。一家は大きな農家の金持ちの男性に助けられて生活していたといいます。
そして、尾上縫さんは1944年に国民学校高等科を卒業後、地元の織物工場で働き始めますが、その後いくつかの職を転々とし、水商売なども経験。
スタンドバー経営にも乗り出しましたが、上手くいきませんでした。
尾上縫の若い頃の経歴② 料亭「恵川」オープンには大和ハウスが関係?
尾上縫さんは大阪のすき焼き店「いろは」で働き始めてしばらくすると、客の中でも”経済界の有力者”とされる人物から支援を受けて、旅館「三楽」を購入。
改装して料亭「恵川」をオープンさせ、30代半ばで女将となりました。
ちなみにこの支援者とは、メディアによって”電機メーカー創業家の御曹司”であると報じられたり、”大手住宅メーカーの会長”であると報じられたりと、人物の特定には至っていません。
「彼女はミナミのすき焼き店『いろは』の仲居として働いていました。そこで知り合ったのが、電機メーカー創業家の御曹司だったと聞いています。彼は尾上さんをいたく気に入り、仕事のあとに彼女とマージャンをするようになったらしい。そんな縁で、『恵川』の出店資金を援助したといわれています。『恵川』でもよくジャン卓(麻雀卓)を囲んでいたはずですよ」
女中奉公やデパートの売り子をやり、ミナミの料亭で仲居として働いていたとき、大手住宅メーカーの会長が“旦那”になり、援助を受けて昭和40年に独立して「恵川」を開いた。
一部メディアは、大和ハウス工業の創業者・石橋信夫の兄である石橋義一郎さんと名指しています。しかし、あくまで”聞くところによると”とのことで、信憑性は低いかもしれません。
聞くところによると、大手住宅メーカー・大和ハウス工業の創業者である石橋信夫の兄・石橋義一郎が尾上縫をいたく気に入り、彼女の料亭に足繁く通っていたという。来るたびに、数千万~1憶円の現金を彼女に渡していたらしく、石橋氏から得た現金は合わせて35億円と言われている。それを元手に各種コネを駆使し、投機を重ね、最後には個人としては考えられない巨額融資を引き出したのである。
尾上縫の若い頃の経歴③ 経営は赤字だったがお金には困っていなかった
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尾上縫さんは金払いのいい客を見分ける能力に長けており、そういった客の座敷に率先して顔を出して支援を募ったといいます。
そして麻雀店・大衆料理店と次々と新店をオープン、不動産も複数所有するなど、次々に事業を拡大していきました。
しかし、資金集めの上手さと裏腹に経営は上手くいかず、いつも赤字続きだったのだとか。
その理由として、8000円分の食事をした客に3000円のライターを贈るなど利益や経費に対する考えが甘く、業者の言い値で改装費を支払うなど、いわゆる”放漫経営”だったからといいます。
放漫経営
読み方:ほうまんけいえい杜撰でいい加減な企業経営を意味する語。慎重さに欠いた安易な経営判断や、資金繰りの見通しの甘さといった要素などが放漫経営と総称されやすい。
引用:放漫経営
その一方で資金繰りには困らず、いつ店がつぶれてもおかしくない中、どこからか経営資金を調達してきては事なきを得ていたそうです。
尾上縫の若い頃の経歴④ 信仰深く勘が良く当たると評判に
信仰深かった母親の影響か、尾上縫さん自身も宗教と密接な関係にあったそうです。
1970年には、高野山真言宗大僧正・平岡静人さんから得度名「純耕」を授かっているほか、平岡一族とも親交を深めていました。
とく‐ど【得度】 の解説
[名](スル)《「度」は、梵pāramitā(波羅蜜 (はらみつ) と音写)の訳》
1 生死の苦海を渡って涅槃 (ねはん) の彼岸に至ること。2 出家して僧や尼になること。「幼くして—する」
また、チベット仏教寺院を訪れたり、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマさんと面会したりもしています。
自身の料亭の客にもそういった一面を隠すことなく、反対に占いや神のお告げなどを用いて株式相場や競馬を予想。
それらが見事的中することも多かったため、尾上縫さんによる占いや神のお告げを目的に訪れる客で料亭も大繁盛していきました。
「最初は、仲間内で行くパチンコ屋で、出る台を当てるので評判になった。次に店の料理人たちが週末に楽しむ競馬の新聞を見て、勝ち馬を当てるようになった。“競馬新聞を見ると、1着と2着に来る子(馬)がわかる。ゴールのシーンが目に浮かぶのよ”と聞いたことがあります。料理人たちも、最初は半信半疑だったのですが、あまりに当たるので、みな馬券を買う前に彼女に勝ち馬を聞くようになったんです」
尾上縫の若い頃の経歴⑤ 証券会社・銀行が押し寄せる”女相場師”が誕生
尾上縫さんのお告げは今でこそ眉唾もののように感じますが、当時はあまりの的中率から証券会社や銀行までもが尾上縫さんを頼っていたといいます。
毎日、朝から黒塗りの車が並び、背広姿の男たちが入ってゆく。男たちとは、証券マンや銀行員。毎週日曜日の夜には、「大黒や」の中庭で“行”が行われた。女将である尾上縫が、大きなガマガエルの置物に祈りを捧げる。頃合をみはからって営業マンが「◯◯株はどうですか?」と聞くと、女将から「◯◯株は売りじゃ」「買いじゃ」という御託宣がある。異様な光景なのだが、男たちは大真面目だった。
単に勘が鋭いだけ…と言ってしまえばそれまでですが、尾上縫さんのすごさはそれだけではありません。恐ろしいほどの肝の据わり方でひょいと大金を動かし、市場にも影響を与えました。
ある時、尾上から眞島氏に電話があり、住友化学の株はどうかと尋ねられた。彼が経済ジャーナリストだと知っていたからだ。コメントを控えると、翌日再び電話があり、「先生買いましたか?」と聞く。彼女が買ったというので、せいぜい千~2千株だと思い、株数を尋ねると10万株買ったという。眞島氏は驚き、その時点から“ただ者じゃない”と思うようになった。
当時はバブル全盛期ということもあり、優良株は軒並み高騰。勘が鋭くなくとも値上がりしていた可能性はあります。
しかし、尾上縫さんはパトロンの存在もあってか、とにかく肝が据わっており、売買の仕方が豪快だったそう。
尾上縫さんが大金を動かすから市場が動く…という影響も的中率に関係していたと思われます。
その一方で、情報交換は極端なまでに拒否しており、情報交換を求められた時点で取引を中止していたそう。
おそらく株式売買に関する知識が乏しく、それを悟られることで不信感を持たれないようにしていたものと見られます。
また、占いによって大金を稼ぐも、その売り上げは赤字経営の補填に充てられていたようです。
尾上縫の若い頃の経歴⑥ 金融業界に取り込まれ多額の融資を受ける
尾上縫さんは株式相場の読みが的中するようになると、銀行から多額の融資を受けてさらに大口の売買や資産運用にも乗り出します。
「当時は“腕力相場”と言って、株価が動かないときなど、野村、大和、日興、山一という四大証券が手ぞろいで買うと、必ず株価が上がった。尾上の“御託宣”を聞いた四大証券が、その株を自前でも買い、提灯をつけて顧客に薦めれば、出来高も増えて、株価は当然上がる。霊感があるなしにかかわらず、尾上の周りには、そういう構造ができていた。だからある意味で、金融業界が彼女の“御託宣”を利用していたともいえます」
バブル絶頂期だった1988年には、なんと2,270億円を借入れ、取引で48億円もの利益を得ていたとのだとか。
また、資産についても400億円ほどの定期預金を所有。割引金融債ワリコーを大量買いしたことで、55億円もの利息を受け取っていました。
そして1989年にはついに融資残高が586億円に達します。
当時は金融自由化の波を受けて銀行間の競争が激化し、個人投資に力を入れていたこともあり、尾上縫さんに注目が集まっていたという背景があります。
尾上縫の若い頃の経歴⑦ ”女将兼女相場師”としてテレビ番組にも出演
尾上縫さんの名は、1990年にはフジテレビ系列の情報番組「なんてったって好奇心」に”女将兼女相場師”として登場し、広く知れ渡ることになります。
あぶくのような好景気の中で暗躍した怪人物は数多いが、女性はそうはいない。中でも尾上は、稀有な存在だった。大阪・ミナミの千日前で料亭「恵川」を経営するかたわら、「縫の会」なる株式投資グループを結成し、一日に数百億円の株式投資を繰り返す女相場師として知られるようになる。
元野球選手でタレントの江本孟紀さんは、番組出演の経緯を以下のように振り返っています。
「その頃、私はフジの『なんてったって好奇心』という番組の司会を三田寛子さんと一緒にやっていたんです。当時、プロデューサーだった太田英昭さん(後のフジ・メディア・ホールディングス社長)に“大阪にすごいオバさんがいる”って教えてあげたら、ぜひ会って取材したいという。それで尾上のおばちゃんに電話で聞いてみたら“ええよ”って二つ返事でOKだったのです」
なんでも、尾上縫さんは知人に紹介されてすぐ、江本孟紀さんに入れ込み、ディナーショーにも大勢引き連れて参加していたほどたったのか。
そういった関係だったからこそ、出演もすぐにOKしたのかもしれません。
尾上縫の若い頃の経歴⑧ バブル崩壊により負債が7000億円以上に
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尾上縫さんは女相場師として一世を風靡しましたが、バブル景気が崩れるにつれて運用が上手くいかなくなっていきます。
徐々に負債が増加し、1989年には借り入れ額に対する返済が追い付かず、利息も莫大な額に。
1990年代末になると2,650億円の金融資産に対し、負債が7,271億円・借入金の金利が1日でなんと1億7,173万円という状態に陥ってしまいました。
尾上縫の若い頃の経歴⑨ 銀行に対して詐欺事件を働いて逮捕
窮地に追い込まれた尾上縫さんは、以前から手を出していた詐欺行為を本格化し、犯罪者としての道を歩み始めてしまいます。
仲の良かった東洋信用金庫の支店長と架空の預金証書を作成し、別の金融機関へ。偽の預金証書と引き換えに担保を引き出す…といった手口を繰り返しました。
上手くいったかのように思えた一連の詐欺ですが、1991年、尾上縫さん自らその詐欺行為を日本興業銀行の担当者に打ち明けてしまったことで状況が一転。
株価の下落で、“金融債や株を担保に融資を受けて株を買う、手に入れた株を担保にまた新たな融資を受ける”という、資産を肥大化させる方程式が崩れ、巨額の利子に潰される窮地に陥ったのだ。そこで尾上は金融犯罪に手を染めた。取引のあった東洋信用金庫の支店長らと結託して、架空預金証書の作成や担保の差し替えなどを行い、金融機関14社から融資を引き出し、それを使って1790億円の有価証券をだまし取ったのだ。
尾上縫の若い頃の経歴⑩ 詐欺事件を機に”松下幸之助の愛人”との噂も
尾上縫さんは詐欺罪で逮捕されたのち、7億円の保釈金によって翌年に保釈されました。そして、破産宣告を受けることになったのです。
詐欺罪に問われた1790億円が犯罪史上最高額ならば、7億円の保釈金は当時史上3位、破産宣告を受けたときの負債総額4300億円も、個人としては史上最高額である。裁判は長引き、大阪地裁で懲役12年の実刑判決が下されたのは1998年3月、保釈申請は却下され、公判の後そのまま和歌山県の刑務所に収監された。
破産手続き当時の負債総額は4,300億円で、個人における日本史上最高額を記録しています。
尾上縫さんや共犯者は、12もの金融機関から3,420億円を搾取。借入金額は2兆7,736億円、支払額はのべ2兆3,060億円にも上りました。
また、尾上縫さんの逮捕&破産は各企業にも大きな影響を与え、貸し額の大きかった企業「ナショナルリース」の担当社員も特別背任罪で逮捕。
同社はグループが持つ債権回収会社へと債権を譲渡し、親会社である松下電器が未収債権について損失を負担する形となりました。
この松下電器との関係もあって、”尾上縫は松下幸之助の愛人“という噂も流れていたそうですが、実際にはそういった報道や証言はなく、信憑性はとても低いようです。
さらに、共謀していた東洋信金は経営破綻により消滅しています。
尾上縫の晩年:懲役12年で刑務所に入るも要介護状態だった
尾上縫さんについて「市場を引っ掻き回したクレバーな極悪人」というイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際の尾上縫さんは金融知識はほとんど持ち合わせていなかったようです。
たまたま、凄まじく鋭い勘で話題になったところを、相場師として証券会社や銀行が持ち上げた結果、あれよあれよと転落していった…といった表現の方が正しいかもしれません。
実際、尾上縫さんは頼まれると断れない性格で、勧められるがまま金を借りていたところがあったそうで、弁護人は裁判において責任能力の無さを主張していました。
しかしこれは退けられ、1998年に懲役12年の実刑判決が下っています。
尾上縫さんは刑務所に入った時すでに70歳を超えており、1人ではほとんどなにもできない状態だったため、収監されてすぐに要介護と判断されたそうです。
2017年には、覚せい剤取締法違反などにより計12年もの懲役を経験したライター・中野瑠美さんが、コラムで「獄中で尾上縫さんの介護を長らく担当した」と明かし、話題となりました。
私がお世話をさせていただいた頃は、もうお一人では何もできない状態でした。ずっと一緒だったこともあり、私は縫さんが好きでしたね。「養女においで」とも言われました。縫さんは、元気な時には毎晩拝んでおられました。そして、私の肩をたたいて「ミーサンが降りてきはったで。ちゃんと守ってもらうように言うたから、安心しいや」と言ってくれました。ミーサンとは「巳さん」で、蛇の神様ですね。
尾上縫をモデルにした作品① ドラマ「平成の女相場師」(1992年)
尾上縫さんが逮捕された翌年である1992年、フジテレビ系列で放送されたドラマ「平成の女相場師」は尾上縫さんをモデルとしています。
同作は市原悦子さんが主演。事件直後とあって「なぜ女将が数億円もの融資を受けることができたのか?」といった世間の疑問に対する答えのような内容となっていました。
料理屋を営む綾(市原悦子)は、銀行に現金十億円で債券を買うと電話を入れた。若い銀行員の武田(阿部寛)が慌てて駆けつけたところ、部屋には札束が積み上げられている。しかも綾は、さらに5億円の定期預金をするという。興奮した支店長の清水(篠田三郎)は、武田に綾の機嫌取りをさせる一方、ほかの金融機関と手を組み綾を株の世界に引きずり込む。
引用:平成の女相場師(新聞ラテ欄表記…平成の女相場師 私は金もうけの教祖様!株に土地に数千億円の一発勝負!!バブルに狂った女の度胸人生)
尾上縫をモデルにした作品② 映画「女帝」(1995年)
尾上縫さんが逮捕されてからしばらく経った1995年に公開された映画が、真行寺君枝さん主演の「女帝」です。
料亭・尾花の女将・恵は仕手集団の中心人物・高橋に気に入られ、一介の仲居から現在の地位を築き上げた、おくゆかしいがやり手の女性だった。1989年、時代はまさにバブル前夜。税金問題に四苦八苦していた恵は、丸勧証券会社の星野という男と出会う。星野は大金を自由に動かせる恵のような大口の顧客を欲していたのだ。恵は星野の指導の下、銀行に借金しては次々に株を買いまくり、莫大な利益を上げていった。
引用:女帝(1995)
同作でも主人公が証券マンに言われるがまま株を買っていく様子が描かれており、尾上縫さんに株の知識やトレードスキルがまったくといってなかったことがくみ取れます。
尾上縫をモデルにした作品③ ドラマ「銭女」(2014年)
尾上縫さんに関連する作品はそれからしばらくありませんでしたが、2014年に再びドラマ化。
2014年にフジテレビで放送された「銭女」では、渡辺えりさんが主演を務めました。
また、同作では”主人公に株を勧め、指南していくことで右腕的存在となる従業員の女性”も登場します。
1981年、料亭で働いていた蓮見恵(渡辺えり)は、金持ち客に取り入り、その援助で自分の店を持つ。中央銀行融資課長の神永洋介(北村有起哉)がやって来て、もっといい場所に店を構えないか?と提案。1984年、恵は銀行から6億5千万円を借りてビルを建て、料亭<羽須美>を始めることに。母親のトミ(冨士眞奈美)は、山形の田舎から出てきては恵に金を無心する。
尾上縫をモデルにした小説④ 小説「そして、海の泡になる」(2020年)
尾上縫さんの名前こそ出てきませんが、その半生そのものを描いたような2020年発売の小説「そして、海の泡になる」も、書店員を中心に大きな話題を呼びました。
個人として史上最高額となる4300億円の負債を抱え、自己破産した朝比奈ハル。「北浜の魔女」と呼ばれた彼女は、平成が終わる年にひっそりと獄死した。昭和8年に和歌山の寒村に生まれたハルは、いかにして巨額のマネーゲームに身を投じるようになったのか。その生額を小説に書こうと決めた“私”は、生前の彼女を知る関係者に聞き取りを始める。
引用:そして、海の泡になる
尾上縫さんを彷彿させる女主人公が登場する同作ですが、作者の葉真中さんはインタビューで、尾上縫さんをモデルにしたと明言しています。
葉真中:尾上縫さんという女性です。参考文献に挙げているノンフィクション作家の井田真木子さんの『フォーカスな人たち』で描かれているのですが、バブル期にハルと同じ手法で資産を増やしていって、投資詐欺で逮捕された人物です。作中でうみうし様という神様のお告げに従って、ハルが投資をしていたと証言する人物が出てきますが、尾上さんもガマガエルを祀って占っていたらしいです。
引用:【書店員さん絶賛!】敗戦、バブル崩壊、コロナ禍――。その共通点を描き出す社会派ミステリ『そして、海の泡になる』著者・葉真中顕さんインタビュー
団塊ジュニアでバブルの恩恵を受けられず、後片付けだけをずっとやらされている感があったという葉真中さん。
バブル関連の書籍で度々尾上縫さんの名前を見かけて、バブル期を象徴するような尾上縫さんについて書きたいという気持ちが湧き出てきたことがきっかけで、同作が生まれたそうです。
尾上縫が結婚した旦那:出会いはお見合い・姑トラブルによって離婚
尾上縫さんには結婚歴があり、19歳の時に結婚するも25歳の時に離婚しています。
旦那についての詳細はほとんど明かされていませんが、お見合い結婚とのこと。離婚理由については「姑との仲が良くなかったため」と言われています。
尾上縫は’30(昭和5)年2月22日、奈良県に生まれた。18歳で見合い結婚し、女の子をもうけるが、結婚生活はわずか4年しか続かなかった。離婚後、長女を前夫に預け、料亭で働き始める。
そして、離婚後にスタンドバー・料亭などの経営に乗り出しました。
尾上縫の子供や孫:娘が1人・離婚後は元旦那が引き取る
尾上縫さんには離婚した旦那との間には、子供として娘が1人誕生しています。
離婚後は元旦那が養育していたそうですが、尾上縫さんが子供と面会していたかどうかは明らかとなっていません。
同じく孫の存在についても不明ですが、巨額の詐欺事件を起こした人物となってしまった今、名乗り出る可能性は低いでしょう。
また、実際のところはわかりませんが、スキルマーケットアプリ「ココナラ」には“尾上縫の姪の娘”を名乗る女性が登場。
尾上縫の話聞けます
幻の祈祷師、尾上縫の姪の娘です!!
引用:尾上縫の話聞けます
ラウンジのママ歴20年以上、占いも得意とのことで尾上縫さんの血筋を感じさせます。
尾上縫の死因は不明・2014年頃に亡くなった?
尾上縫さんの刑期後の詳細は不明で、一部報道によれば2014年頃に亡くなっており、自身が生前に建てた高野山の墓所に葬られているとのこと。
死因についても不明ですが、年齢的に老衰の可能性があります。
また前述のように、刑務所に入った時点で「要介護でなにもできない状態だった」との証言もあるため、脳や心臓の疾患、体の自由が利かなくなる病を患っていた可能性も高そうです。
“なにもできない状態”の解釈によっては認知症なども疑われますが、高齢化の進んでいる刑務所では寝たきりの受刑者も存在するといいます。
徳島刑務所には1人、寝たきりの高齢受刑者がいる。殺人、強姦、現住建造物等放火などの罪で無期懲役となった92歳の男性だ。刑務作業は行えず、所内の「病棟」と呼ばれる施設に収容されている。入浴や排せつの世話をするのは非常勤の介護専門スタッフ。天気の良い日は車いすを押して屋外に出る。
まとめ
尾上縫さんは貧しい家庭に生まれ、その後務め先で見つけたパトロンに出資してもらって料亭「恵川」をオープン。
そのするどい勘で競馬はおろか、株式相場まで的中させ、金融業界を巻き込むほどの”女相場師”となりました。
しかし、バブル崩壊を機に状況が一転。窮地に追いやられた末に銀行相手の詐欺事件を起こして逮捕されています。
その後、12年もの長い刑期を終えて2014年頃に亡くなっているとのことです。
尾上縫さんについて調べると、大和ハウス創業者一家や松下幸之助さんといった大物の名前に繋がることもあり、犯罪者でこそあれど、まさにバブルを象徴する人物だったと言えるでしょう。
尾上縫さんのような人物は今後現れるのでしょうか。