勝田清孝の生い立ち&嫁と息子など家族!殺人事件8件の詳細・死刑執行と最期の言葉・ドラマと映画化も徹底紹介

勝田清孝は22人を殺害した連続殺人犯ですが、事件はドラマ化や映画化もされています。

 

今回は勝田清孝の生い立ちや家族・嫁や息子、連続殺人事件の詳細と逮捕のきっかけ、判決と死刑執行、最期の言葉、ドラマや映画作品を紹介します。

勝田清孝は8人殺害の連続殺人犯&元死刑囚

 

出典:twitter.com

勝田清孝

生年月日:1948年8月29日

没年月日:2000年11月30日

出身:京都府相楽郡木津町

犯行:8人殺害、300件もの強盗・窃盗など

 

勝田清孝は、少なくとも8人を殺害した連続殺人犯です。

 

「少なくとも」というのは、勝田清孝が犯人として起訴された殺人事件は8件だけだったというだけで、勝田清孝は22人を殺害したと供述しています。

 

また、10年間で約300件もの強盗・窃盗・傷害などの事件を起こしていることがわかっています。

 

つまり、勝田清孝は22人を殺害し、300件もの強盗・窃盗を重ねた凶悪犯なんです。

 

この22人殺害というのは、戦後史上最悪のシリアルキラーと言えます。

 

勝田清孝は1983年に逮捕され、1994年に死刑判決が確定し、2000年に死刑が執行されました。

 

 

勝田清孝の経歴① 生い立ち~学生時代

連続殺人犯である勝田清孝の生い立ちを見ていきましょう。

 

勝田清孝の生い立ちの中に、連続殺人犯になったヒントが隠されているかもしれません。

 

 

裕福な家で生まれる

 

勝田清孝は1948年8月29日、京都府相楽郡木津町の農家の長男として生まれました。

 

町から2キロほどの離れた山の中にある150戸ほどの集落で育ち、農家と言っても、かなり広い田んぼ・畑を持っていたようで、家はかなり裕福でした。

 

小学校入学前の1年間だけ、キリスト教の保育園に預けられましたが、極度の人見知りだったようです。

 

両親ともに畑で働いていましたので、小学生の頃から鍵っ子でした。

 

小さい頃からおやつのほかに、お小遣いも毎日貰っていたそうです。

 

ちょうどこの頃でした。父母もそんな私の気持ちを知っていたのか、何か好きなものでも買って食べなさいと、おやつの他に小遣いとして五円玉も置いてくれるようになったのです。暗くなるまで帰らない父母の、私への思いやりだったと思うのです。

 

引用:勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(1) まえがき 起之章 – 午後のアダージォ

 

 

お金を盗むようになる

 

お金には不自由しない子供時代を送っていた勝田清孝でしたが、子供のころからお金を盗むようになっていきます。

 

・電線拾いでズルをして、お金を多く貰っていた
・母親の財布から500円を盗み、その日のうちに全部使ってしまう
・父親が大切にしていた銅の洗面器を売り払ってお小遣いにした
・道に落ちていた2,000円を警察に届けずにネコババした
・お釣りを間違って多く渡されたのに、正直に返金せずにネコババした
 

これは全部、勝田清孝が小学生の頃のエピソードです。

 

決して日々の暮らしに困るような生活をしていたわけではなく、お小遣いももらっていたのに、それでは足りずに、お金を盗んだり、ネコババしたりするような生活をしていたのです。

 

 

高校進学後も問題を起こす

 

勝田清孝は小学校3年生の頃から、父親から厳しく「勉強しろ」と言われ続けていました。

 

しかし、中学生の頃にはすでにかなり成績が悪かったようです。

 

中学の教員に高校進学を伝えたところ、 「あほか、何を寝呆けたこと言ってるんじゃ、水で顔を洗うてこい。高校ちゅうたら無試験と違うぞ!」と言われるほどだったようです。

 

しかし、勝田清孝は一念発起して、家庭教師をつけて勉強に取り組み、公立高校の普通科入学を目指します。

 

ただ、成績は追いついてこず、普通科入学を諦めざるを得ませんでした。そこで、父親は農業科に入学させました。

 

勝田清孝は農業科は本当に嫌だったようで、そのような経緯から、勝田清孝は父親との確執を深めていきました。

 

高校時代はブラスバンド部に入部し、トランペットに打ち込みます。

 

そして、「お小遣いが足りない」と感じ始めた勝田は、高校の食堂に忍びこんで食券を盗み、そこから非行に走るようになり、車も盗んだようです。

 

 

ひったくりで少年院へ

 

非行に走るようになった勝田清孝は、高校2年生になると、現金を手に入れるためにひったくりをするようになります。

 

20件以上ものひったくりを繰り返し、1965年11月にはバイクに乗って女性のハンドバッグをひったくろうとしたところを警戒していた警察官に見つかり、逮捕されました。

 

ここまでの窃盗総額は118万961円です。

 

現代の感覚でも、高校2年生が窃盗を繰り返して100万円以上を盗んでいたらかなり悪質です。

 

当時の物価水準を考えると、この100万円以上の窃盗は本当にヤバイです。この1965年(昭和40年)の大卒初任給は2万3千円です。

 

そして、大阪の和泉少年院に半年間入所しています。高校は退学処分になっています。

 

 

勝田清孝の経歴② さまざまな職を転々とする

勝田清孝の少年院退所後から逮捕までの犯罪を除いた経歴・職歴を見ていきます。

 

 

レンタカー屋からトラック運転手

 

勝田清孝は少年院から出てきた後、父親の紹介で自動車部品工場に就職します。

 

しかし、工場内でロッカー荒らしがあると、少年院あがりの勝田清孝が疑われることになり、居心地が悪くなったため、すぐに辞めてしまいました。

 

その後も職を転々とし、同棲を始めた後は夫婦2人でレンタカー屋で働くことになります。

 

しかし、そのレンタカー屋で上司の不正の片棒を担ぐことになり、結局は辞めることになります。

 

そして、1970年からは運送会社でトラック運転手として働き始めました。

 

勝田清孝にとって、トラック運転手の仕事は運転中は誰にも干渉されないし、給料も良かったため、気に入っていたようです。

 

 

警察に疑われて不満が溜まり、派手に遊ぶように

 

勝田清孝がトラック運転手として真面目に働いていた1972年1月、奈良市加茂町で銀行の女子職員が殺害されるという事件が起こります。

 

勝田清孝は全くの無関係でしたが、少年院の入所歴や前科があったことで刑事が運送会社に聞き込みに来たことがきっかけで、勝田清孝の過去が会社にバレてしまいます。

 

勝田は社長から「お前、人を殺したのか?」と詰め寄られたこともありました。

 

そのようなことがあり、勝田清孝は警察への不信感を募らせ、さらに会社ではまた居心地が悪くなり、不満が溜まっていきました。

 

そして、その鬱憤・不満を晴らすために、スナックで高級酒を頼んだり、高級車を乗り回すなど分不相応な派手な生活をするようになります。

 

 

消防士としては優秀

 

その後、地元に消防署ができることになり、勝田清孝は父親から公務員試験を受けて消防士になるように強く言われるようになりました。

 

父親からの圧力に抵抗することができず、勝田清孝はしぶしぶ公務員試験を受けたところ合格し、1972年・23歳の時に消防士になりました。

 

消防士としては有能だったようで、1974年に消防副士長に昇任、1976年の28歳の頃には消防士長に昇任しました。表彰歴は20回、全国競技大会で2年連続入賞などの実績を持っています。

 

このスピード出世を見ても、勝田清孝が消防士として優秀だったのは間違いないと言えます。

 

 

堕落した生活へ

出典:twitter.com

 

ただ、消防士として働いていても、派手な生活は続いていました。

 

高級車に乗り、ゴルフの会員権を買うなどの羽振りの良い生活を続けていたため、借金がかさむようになります。

 

勝田清孝はその借金返済のために、窃盗・強盗をするようになっていきます。そして、その窃盗・強盗の時に殺人も犯していました。

 

昼間は真面目な消防士、夜は窃盗や強盗、時には殺人を犯す犯罪者になったのです。

 

人を殺して盗んだお金で借金を返し、また借金。時々は両親にも金の無心をして借金を清算してもらい、また借金する…という生活になっていきました。

 

連続殺人を起こしていた1980年には、車上荒らしで逮捕されて執行猶予判決を受けています。

 

実は、消防士になりたての頃も傷害事件で逮捕されましたが、この時は不起訴になったため、懲戒免職にはなりませんでした。

 

しかし、執行猶予判決を受けたことで、消防士は懲戒免職になり、無職となります。

 

その後は無職・無収入ながらも愛人と同棲を始めるなど、堕落した生活を送りつつ、犯罪を重ね続けました。

 

 

勝田清孝の実家の家族(父親・母親・姉)

出典:w.atwiki.j

 

勝田清孝の家族構成を見ていきましょう。

 

・父親
・母親
・1歳年上の姉

 

勝田清孝の実家は先述の通り、裕福な農家でした。

 

そして1歳違いという年齢差もあってか、父親は勝田清孝と姉をよく比べていたようです。

 

父親からは、次のように言われていました。

 

・姉ちゃんみたいに勉強せんか!
・全部使わんと姉ちゃんみたいにちょっとは貯金せい
・姉ちゃんに向かって口答えする奴があるか!

 

そのため、勝田清孝は姉に対して憎悪に近いような感情を抱いていました。

 

この姉がいるためにいつも僕ばっかり怒られるんや。姉ちゃんなんかどっかへ行きやがれ!

 

引用:勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(1) まえがき 起之章 – 午後のアダージォ

 

勝田清孝の家族は、5ちゃんねるなどのインターネット上に実名がさらされていますが、ここではその実名は伏せておきます。

 

 

勝田清孝は1歳年下の嫁と駆け落ちして結婚

勝田清孝は事件を起こす前に結婚していました。

 

 

駆け落ちして結婚

 

勝田清孝は少年院を出所後の1967年ごろから、隣町に住む1歳年下の女性と交際するようになり、すぐに結婚を考えるようになりました。

 

しかし、勝田の両親からは「家の格が違う」という理由で、女性の両親からは「少年院帰りの男とは結婚させられない」という理由で両家から結婚を反対されます。

 

そして、1968年に大阪に駆け落ちして、2人で「青森アパート」というトイレ共同・風呂なしのアパートで同棲生活をスタートさせました。

 

内縁関係のまま2人で働き、1970年にようやく両家の両親に認められ、正式な夫婦となっています。

 

 

妻は自殺未遂したことも

 

勝田清孝は妻と駆け落ちして苦労して、ようやく両親に認められて結婚しました。

 

最初は仲睦まじい結婚生活を送っていたようですが、勝田清孝はもともと派手好きなところがあり、愛人を作って遊んでいたこともありました。

 

そのことにショックを受けた妻は、自殺未遂をしたこともあったようです。

 

勝田清孝が逮捕された後は、妻は勝田清孝と離婚しています。

 

 

勝田清孝には息子が2人いる

息子は2人

 

勝田清孝には息子が2人います。

 

・1971年:長男誕生
・1977年:次男誕生
 
次男が誕生したのは1977年12月30日です。
 
ちなみに、次男誕生の半月前である12月13日、現金輸送中の労金職員を襲って殺害し、現金410万円を奪っています
 
妻が臨月で、もうすぐ自分の子供が生まれるという時に、勝田清孝はどのような思考で犯行に及んだのでしょうか。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件の一覧

勝田清孝の連続殺人事件の詳細を見ていきましょう。

 

・1件目:1972年9月13日、24歳女性
・2件目:1975年7月6日、33歳女性
・3件目:1976年3月5日、32歳女性
・4件目:1977年6月30日、28歳女性
・5件目:1977年8月12日、33歳女性
・6件目:1977年12月13日、25歳男性
・7件目:1980年7月30日、35歳男性
・8件目:1982年10月31日、27歳男性

 

ここで取り上げるのは殺人事件のみです。これ以外にも、勝田清孝は強盗・窃盗を繰り返していました。

 

犯行の1~5件目の被害者は人間関係が入り組んでいて、同棲相手や店の常連客などに疑いがかかり、同一犯による犯行とは思われなかったようです。

 

3件目の事件では、犯行を疑われた弁護士は誹謗中傷に遭い、弁護士を辞めざるを得ませんでした。

 

また、4件目で疑われた人物は被害者と愛人関係にありました。その被害者のために帳簿をごまかして、会社のお金を着服していました。

 

この詐欺事件で逮捕されていますが、殺人容疑も疑われ、詐欺事件としてはかなり重い判決を受けています。

 

このように、勝田清孝の犯行のせいで、被害者はもちろん、その周囲にいた多くの人たちの人生も狂ってしまったのです。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・1件目:京都市でホステス殺害

 

・犯行日時:1972年9月13日午前5時ごろ
・場所:京都市山科区
・被害者性別と年齢:24歳女性
・被害者職業:ホステス
・盗んだ金額:1,000円

 

1972年9月13日、侵入できそうなアパート・マンションを探していた勝田清孝は、窓が少し開いている部屋を見つけて忍び込みました。

 

部屋の居住者だったホステスの女性は現金をあまり持っていなかったためか、強盗の勝田を見て「私の体でよければあげる」と言ったようで、勝田は被害者を強姦します。

 

その後、お金を盗む時に騒がれたため、パンストで被害者を絞殺しました。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・2件目:吹田市でクラブママ殺害

 

・犯行日時:1975年7月6日午前1時過ぎ
・場所:大阪府吹田市のマンション通路
・被害者性別と年齢:33歳女性
・被害者職業:クラブママ
・盗んだ金額:10万円

 

最初の事件から3年後の1975年7月、勝田清孝はフェアレディZから降りてきた被害者女性の持ち物をひったくろうとしたところ、もみ合いになって、絞殺しました。

 

勝田は遺体を被害者の車(フェアレディZ)に乗せて運び、ため池に遺体を遺棄して、車に放火しています。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・3件目:クラブホステス殺害

 

・犯行日時:1976年3月5日午前2時30分過ぎ
・場所:愛知県名古屋市中区
・被害者性別と年齢:32歳女性
・被害者職業:ホステス
・盗んだ金額:現金12万円

 

勝田清孝は名古屋市の路上で、高級車のシボレー・カマロから降りてきた被害者から荷物をひったくろうとしますが、騒がれたために絞殺しています。

 

勝田は遺体を被害者の車に乗せて運び、田んぼに遺体を遺棄しています。

 

この時、捜査をかく乱する目的で、遺体の下半身を裸にして、ススキを性器に差し込みました。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・4件目:名古屋市でアルバイト女性殺害

 

・犯行日時:1977年6月30日午前2時頃
・場所:愛知県名古屋市南区
・被害者性別と年齢:28歳女性
・被害者職業:マージャン店アルバイト店員
・盗んだ金額:現金4万円

 

勝田清孝は、被害者が犬の散歩に出かけたのを確認してから、被害者の自宅に忍びこみました。

 

室内を物色中していたところ、被害者が帰宅して鉢合わせしたために、被害者を絞殺しました。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・5件目:名古屋市で美容師殺害

 

・犯行日時:1977年8月12日午後11時過ぎ
・場所:愛知県名古屋市昭和区
・被害者性別と年齢:33歳女性
・被害者職業:美容師
・盗んだ金額:ダイヤモンド約45万円相当

 

1977年8月12日の午後11時過ぎ、名古屋市で勝田清孝は次に空き巣に入るためのマンションを物色していました。

 

マンションの通路に侵入し、入れそうな部屋を探していた時に、たまたま被害者女性が外出しようとしてドアを開け、通路にいた勝田清孝と鉢合わせします。

 

深夜に住人ではない男がふらついていたことから、被害者は「あんた誰?」と咎めるように話しかけました。

 

勝田は騒がれると面倒くさいと考え、被害者宅にそのまま押し入り絞殺します。そして、室内を物色し、45万円相当のダイヤモンドを盗みました。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・6件目:神戸市で労金職員殺害

 

・犯行日時:1977年12月13日
・場所:兵庫県神戸市
・被害者性別・年齢:25歳男性
・被害者職業:兵庫労働金庫職員
・盗んだ金額:410万円

 

勝田清孝はこの事件前に奈良市内で猟銃を盗み、車を強奪していました。

 

そして1977年12月13日午後5時過ぎに、神戸市のビルで現金輸送中だった兵庫労働金庫神戸東支店の職員を猟銃で射殺し、現金410万円を盗んでいます。

 

さらに1979年には、名古屋市内で猟銃を持って、集金中だった信用金庫の外交員男性を脅して、小切手24万6660円相当を強奪しました。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・7件目:スーパーで男性店員殺害

 

・犯行日時:1980年7月30日午後11時過ぎ
・場所:愛知県名古屋市名東区
・被害者性別・年齢:35歳男性
・被害者職業:スーパーマーケット夜間店長
・盗んだ金額:576万円相当の現金と商品券

 

1980年7月30日、中部松坂屋ストアー社店の夜間店長だった男性が帰宅しようと駐車場に現れたところ、勝田清孝が散弾銃で脅して、スーパー店内の金庫にあった576万円相当を盗みます。

 

その後、勝田は被害者男性に車を運転させて移動します。車庫に入れたところで、被害者男性が銃を奪おうと抵抗したため、勝田は男性を射殺しました。

 

この約3ヶ月後の1980年11月には、勝田清孝は車上荒らしで緊急逮捕され、消防士を懲戒免職になっています。

 

ただ、この逮捕では執行猶予の判決でした。この時にきちんと余罪を取り調べていれば、次の凶悪事件は起こらなかったとも言えます。

 

 

勝田清孝が起こした連続殺人事件・8件目:草津市で溶接工殺害

 

・犯行日時:1982年10月31日午後9時半ごろ
・場所:滋賀県草津市の国号1号線の路上
・被害者性別・年齢:27歳男性
・被害者職業:溶接工
・盗んだ金額:現金4万円

 

この8件目は、ちょっと特殊な事件です。

 

まず、1982年10月25日に名古屋市で車を盗みます。

 

そして、10月27日に名古屋市にある千種警察署に電話して、派出所の巡査を「盗難車っぽい車が近くにある。不審者もいる」と嘘をついて呼び出します。

 

そして、やってきた巡査を車ではねて、さらに持っていた鉄棒で頭部を殴り暴行します。

 

この巡査は左顔面陥没、左前額部・右後頭部割創、両膝前部の挫創などの重傷を負い、両目が失明寸前の状態でした。

 

勝田は、この巡査の拳銃を奪って逃走します。

 

その後、勝田は静岡県に移動し、10月31日午前2時50分ごろに浜松市内のスーパーに強盗に押し入りますが失敗しています。

 

同日10月31日午後8時頃に、名神高速道路・大津サービスエリアに駐車していた溶接工の27歳男性(被害者)の車の助手席に強引に乗り込み、名古屋方面に向かわせました。

 

走り出してすぐに、勝田は拳銃を取り出して、被害者を脅しています。

 

被害者は勝田の指示に従い、国道1号線で名古屋方面に車を走らせていましたが、草津市内で急停車し、拳銃を奪おうとしました。

 

これに勝田清孝は激怒し、被害者に発砲し、自分で名古屋方面に車を走らせました。

 

名古屋で強盗をしようと計画していましたが、被害者にまだ息があった(翌日死亡)ことなどから、名古屋での強盗を諦め、自分の車を駐車していた大津サービスエリアに戻ることにします。

 

途中のガソリンスタンドで血が付いた手袋を捨てますが、それを見られたと思い込み、店員に発砲します。銃弾は胸に命中しますが、胸ポケットの100円ライターで一命を取り留めました。

 

これらの事件では、奪われた巡査の拳銃が使われたことが判明し、警察庁広域重要指定113号事件に指定されました。

 

 

勝田清孝が名古屋市で逮捕されたきっかけとは?

出典:matome.eternalcollegest.com

 

8人目の被害者を殺害した後も、勝田清孝は京都市内のスーパーに強盗に入り、現金152万7000円を奪うなど、犯行を重ねていました。

 

そして1983年1月31日、愛知県名古屋市にある「第一勧業銀行御器所支店」で従業員の給料102万3000円を下ろして帰宅しようとしていた男性の車に押し入り、拳銃で脅します。

 

そして、車を出すように男性に命じました。

 

男性は、駐車場を出てしまったら殺されると思い、人が通りかかったのをチャンスだと思い、勝田の拳銃と腕を掴みました。

 

焦った勝田は車から転がり落ち、男性は勝田に馬乗りになり押さえ込みました。

 

騒ぎを聞きつけた銀行員が駆け付け、一緒に勝田を抑え込み、110番通報をして、勝田清孝は駆け付けた警察官に逮捕されました。

 

 

勝田清孝は事件の間に夫婦でテレビ出演していた…

出典:twitter.com

 

勝田清孝は、連続殺人事件を起こしていた間に、なんと夫婦でテレビ出演をしていました。

 

そのテレビ番組は、朝日放送の「夫婦でドンピシャ」です。この番組は夫婦で出演する視聴者参加型のクイズ番組です。

 

勝田清孝と妻は、この「夫婦でドンピシャ」の収録に1977年7月6日に参加して、しかも優勝して賞金8万円、商品券10万円を獲得しています。

 

勝田清孝が「夫婦でドンピシャ」に出演した時を、先ほどの殺人事件の時系列の中に組み込んでみましょう。

 

・1972年9月13日:1件目、24歳女性
・1975年7月6日:2件目、33歳女性
・1976年3月5日:3件目、32歳女性
・1977年2月:夫婦でドンピシャの出演に応募する
・1977年6月30日:4件目、28歳女性
・1977年7月6日:夫婦でドンピシャの収録
・1977年8月12日:5件目、33歳女性
・1977年8月20日:夫婦でドンピシャの放送
・1977年12月13日:6件目、25歳男性
・1980年7月30日:7件目、35歳男性
・1982年10月31日:8件目、27歳男性

 

3件の殺人を犯しているのに、テレビ番組出演に応募して、殺人を犯した1週間後に収録してクイズで優勝。

 

そして、その約1ヶ月後に殺人を犯して、その8日後に番組が放送される…。狂気しか感じません。

 

ちなみに、この勝田清孝が出演した回は視聴率が20%程度だったとのことです。

 

 

勝田清孝の判決は死刑

 

勝田清孝は1983年1月31日に逮捕されました。

 

その後は再逮捕を繰り返し、勾留期限は452日にも及びました。この間に、勝田清正は余罪を自供しています。

 

起訴された事件以外にも14人の殺害も自供していますが、この14人の殺害に関しては、勝田清孝の犯行という確証がなかったために、立件されることはありませんでした。

 

逮捕から4ヶ月後の1983年5月27日、初公判が開かれました。

 

第一審では死刑判決となりました。勝田清孝は、7件の殺人は「事実上自首だ」とし、さらに犯行時は心神耗弱状態だったと主張して控訴しています。

 

しかし、高裁の第二審でも第一審が全面的に支持され、死刑判決となりました。

 

勝田と弁護人は判決を不服として上告しましたが、最高裁でも死刑判決となり、1994年2月5日に正式に死刑が確定しました。

 

 

2000年に死刑執行

 

勝田清孝の死刑判決が1994年に確定して以降、勝田清孝は名古屋拘置所で身柄を留置され、点字翻訳ボランティアなどをしていました。

 

そして、2000年11月30日に死刑が執行されています。

 

勝田清孝のほかに2人も死刑が執行されていますが、この死刑執行が20世紀最後の死刑執行となりました。

 

 

勝田清孝の最期の言葉とは?

出典:bioudo.com

 

勝田清孝の最期の言葉は、こちらです。

 

・「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(教誨師)の顔を見たい」
・「ごめんなさい」
 
勝田清孝は死刑執行の際に目隠しをつけられた後、先生(僧侶)の顔を見たいと希望して、目隠しを取ってもらったようです。
 
また、被害者の名前をつぶやきながら、「ごめんなさい」と言ったそうです。
 
勝田清孝は死刑が決まった後、1994年1月17日に来栖宥子さんのご両親と養子縁組をしています。
 
来栖宥子さんとは、カトリック名古屋教区「正義と平和委員会」の信者の主婦です。
 
逮捕後からずっと勝田清孝と文通を続けていましたが、死刑が確定すると、家族以外が会うのは困難になるため、養子縁組をして、勝田と来栖宥子さんは義理の姉弟の関係になったそうです。
 
死刑執行前には、勝田清孝はこの来栖宥子さんと母親に遺書を残しています。
 

私は幸せ者でした。姉上と母上のあたたかいお心しらいに
心より感謝し、さよならを申し上げます。
本当に本当に有り難うございました。

 

引用:「遺言書」藤原清孝 ■ プロフィール – 午後のアダージォ

 

勝田清孝は来栖宥子さんに救われたのですね。ただ、被害者と遺族の気持ちを思うと、やりきれない思いもします。

 

勝田清孝は幸せを感じながら、最期に遺書も残すことができ、僧侶の顔を見て、最後に煙草を吸ってから死ねたのに、被害者はそんな余裕もないまま、無慈悲に殺されてしまったのですから。

 

 

勝田清孝が起こした事件はドラマ・映画化されている

出典:movies.yahoo.co.jp

 

勝田清孝の事件は、大下英治の「勝田清孝の冷血」という書籍を題材にして、ドラマ化・映画化されています。

 

<映画>
・公開:1984年
・タイトル:連続殺人鬼 冷血 ~犯罪史上空前の連続23人強姦殺人事件
・主演:中山一也

 

<ドラマ>
・放送:1984年4月5日
・タイトル:冷血
・制作:読売テレビ
・主演:鹿賀丈史

 

どちらもかなりシリアスな内容です。

 

特に映画の方は不気味さがリアルという評判もあるので、興味のある方は見てみると良いですよ!

 

 

勝田清孝のまとめ

連続殺人事件の犯人である勝田清孝の生い立ちや家族情報、経歴や連続殺人事件の詳細、テレビ出演や死刑判決と死刑執行、最期の言葉、映画・ドラマ化などをまとめました。

 

勝田清孝はなぜ犯行を繰り返すようになってしまったのか?生い立ちを見てもなかなか理解するのは難しいですね。

 

被害者のご冥福をお祈りいたします。

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