「料理の鉄人」で知られる中華料理人の陳建一さんが67歳で亡くなりました。
この記事では陳建一さんの経歴や出身、父親の伝説的料理人・陳建民さんや母親の洋子さん、兄弟などの家族、結婚した嫁や子供、話題の陳建一麻婆豆腐店や、現在、死因などについてまとめました。
この記事の目次
陳建一のプロフィール
陳建一のプロフィール
本名 :東建一(あずま・けんいち)
生年月日:1956年1月5日
没年月日:2023年3月11日(没年67歳)
出身地 :東京都
陳建一(ちん・けんいち)さんは、日本に四川料理を伝えた陳建民さんを父親に持つ料理人で、父の経営していた赤坂四川飯店で修行を積み、父の死後に四川飯店グループの社長に就任しました。
フジテレビ系列で放送された料理バラエティ番組「料理の鉄人」に、「中華の鉄人」として1993年から1999年にかけて出演し全国的な人気を得ました。
四川飯店グループを急拡大させて日本全国に店舗を展開。「料理の鉄人」終了後もNHK「きょうの料理」の講師役を務めるなど活躍し続け、高い知名度と人気を誇りました。
2008年には「現代の名工」として表彰され、2011年には「日本中華料理協会」会長に就任。2013年には「黄綬褒章」を天皇から授与されています。
国民的中華料理人として知られていた陳建一さんでしたが、2023年3月11日に67歳という若さで亡くなられた事が発表されました。
ここでは、そんな陳建一さんの経歴や経歴や家族、子供などを中心に改めて紹介していきます。
陳建一の経歴
陳建一さんは、東京中華学校、東京町田の玉川学園高等部、玉川大学文学部英米文学科出身で、大学卒業後に父親の陳建民さんが経営していた赤坂四川飯店で本格的に中華料理の修行を積みました。
1990年に父親の陳建民さんが死去すると、民権企業株式会社(四川飯店グループ)の社長を継ぎました。
1993年から1999年まで6年間、絶大な人気を誇ったフジテレビ系列の料理バラエティ番組「料理の鉄人」に「中華の鉄人」として出演。「料理の鉄人」は、腕に覚えのある料理人からの挑戦を各ジャンルの鉄人が受けて立ち、その回ごとのテーマに沿った料理で対決するという内容の番組でした。
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
陳建一さんはこの「料理の鉄人」で、94回の挑戦を受け、「68勝23敗3分」(勝率72.3パーセント)、番組最長連勝記録である「19連勝」、前鉄人中唯一の年間無敗記録(1995年)などの戦績を残し、番組を象徴する「鉄人」として活躍しました。
視聴者からの人気も非常に高く、1993年の番組開始から1999年の番組終了まで交代することなく鉄人を務めたのは陳建一さんだけでした。
陳建一さんは料理の鉄人での活躍により、絶大な知名度と人気を獲得し、料理の鉄人の番組終了後もテレビのバラエティ番組によく出演されていました。
さらに、料理の鉄人で人気を得た陳建一さんは「四川飯店」グループの店舗を東京赤坂の他に、池袋や六本木、静岡県静岡市、愛知県名古屋市、徳島県徳島市、広島県呉市、愛媛県松山市、福岡県博多など全国各地に展開し事業規模の拡大に成功しました。
その一方で、2000年代初め頃に陳建一さんは会員制の高級医療サービス「グランドハイメディック倶楽部」で人間ドックを受診した際に早期の肺がんが見つかり治療されています。
これが契機となって、2010年には子供(長男)の陳建太郎さんに赤坂四川飯店のオーナーシェフを任せています。2015年には、四川飯店グループを運営する民権企業株式会社の社長も子供の陳建太郎さんに譲り自身は同社会長に就任。
その後は、テレビCMへの出演や料理学校の特別講師、外食チェーンの企画メニューでのコラボや監修など幅広く活躍されていました。
陳建一さんは、2022年まで元気に活躍されていましたが、2023年3月に亡くなられました。陳建一さんの死去や死因については後でまとめていきます。
陳建一の出身は東京都で国籍は日本
陳建一さんの出身は東京都です。
陳建一さんが誕生した時、中華民国出身の父親の陳建民さんは既に日本に帰化しており、母親の洋子さんも日本人なので、陳建一さんは出生時から日本国籍です。
父の陳建民さんは日本に帰化時に「東(あずま)」という名字を取得していて、陳建一さんの本名は「東建一(あずま・けんいち)」ですが、料理人として活動するときには父の出身地や四川料理のルーツへのリスペクトの意味もあってか「陳」の名字を使われていました。
次の見出しから陳建一さんの家族について紹介していきます。
陳建一の家族① 父親は四川料理の父と呼ばれる四川出身の料理人・陳建民
陳建一の父親の陳建民のプロフィール
本名 :東建民(日本に帰化)
生年月日:1919年6月27日
没年月日:1990年5月12日(没年70歳)
出身地 :中華民国四川省富順県李橋鎮
陳建一さんの父親の陳建民さんは、日本に四川料理を広めた人物で「日本における四川料理の父」、「中華の神様」とも称されている伝説的料理人です。
陳建一さんの父親の陳建民さんは、中華民国時代の旧四川省出身で10人兄弟で父親を早くに亡くした貧しい家庭で育ち、早くから中国の食堂の料理人として働きました。その後、台湾の料理店で修行した後、イギリス統治時代の香港へ渡って四川料理店を開業しました。
そして、1952年に観光ビザを使って来日し、1953年に外務次官・奥村勝蔵の宴席料理を手がけたのをきっかけに、外務省関係の宴会料理、出張料理を担当するようになります。
東京青山にあったゲストハウス「東文基園(とうぶんきえん)」でのパーティの料理を手がけた際に、そこに手伝いに来ていた日本人女性の洋子さんと知り合い1953年中に結婚。結婚3年目の1956年に長男として陳建一さんが誕生しています。
陳建民さんは、陳建一さんが生まれる前年の1955年に昭神宮前にあった中華料理店「福禄寿」に料理人として入り、目黒の「香港園」を経て、1958年に台湾出身の龍智議さんが開いた東京新橋田村町(現在の港区西新橋)の「四川飯店」の厨房で働きました。
そして、陳建民さんは独立して赤坂四川飯店を開いて成功させ、すぐに2号店として六本木店も開店させます。
陳建民さんの四川料理を日本人の味覚に合わせて大胆にアレンジした中華料理を提供する四川飯店は評判を呼び、NHKの「きょうの料理」の講師にも起用されるなど活躍。1966年には恵比寿中国料理学院を設立するなど日本における中国料理普及に大きな功績を残されました。
1980年には日本に帰化し、1987年には厚生労働大臣から、卓越技能表賞(現代の名工)を贈られています。
そんな陳建一さんの父親の陳建民さんは1990年5月12日に70歳で亡くなられています。
陳建一さんは、父親の陳建民さんについて、「優しい父親だった」、「陽気でいつもカタコトの日本語で冗談ばかり言っていていつも家の中は明るく楽しかった」と度々語られていました。
父に怒られた記憶はない。悪ガキだったから、母には毎日たたかれてばっかりだったけどさ(笑)
陽気な親父でしたよ。お茶目で、家ではへんてこりんな日本語で冗談ばかり言っていた。家の中はいつも明るくて賑やかだった。
また、陳建一さんは料理人としての父親・陳建民さんにも深いリスペクトを持たれていたようです。特に、まだ日本と中国の国交がない時代に、陳建民さんが多大な努力と工夫によって日本で中国料理を広め、成功した事に深い尊敬の念を抱かれていたようです。
(父が来日した)当時は日本と中国、国交がなかったから、調味料も何もなかった。だから父は凄いんですよ。苦労して工夫して、ケチャップを入れたエビチリを作った。そんなの四川省にないよ。麻婆豆腐も山椒が入ってないから食べやすくておいしいでしょ。そこから「丸美屋」や「クックドゥ」(味の素)の麻婆豆腐の素ができた。全部、親父が日本人の味覚に合わせて工夫したの。
陳建一の家族② 母親は日本人女性の洋子さん
出典:http://blog-imgs-76.fc2.com/
陳建一さんの母親は、日本人女性の洋子さんという方です。
陳建一さんの母親の洋子さんは、母親が病気になったため3歳の時に親戚の家に預けられ、そのまま養女として育ちました。
19歳の時に東京へ出た洋子さんは、中国の要人が滞在する屋敷の家政婦として働き始め、ここで日常会話レベルの中国語を習得。23歳の時に「東文基園」に手伝いに来た陳建民さんの通訳の仕事を任され、これが2人の馴れ初めとなりました。
陳建民さんは洋子さんに一目惚れし、猛アタックして、出会ってから数週間後に結婚を申し込んでいます。陳建民さんは中国にいた頃に2度の離婚歴がある事も正直に話したため、最初は洋子さんは「冗談じゃない」と結婚を断っています。洋子さんは家族にも結婚を猛反対されたようです。
しかし、陳建民さんはあきらめず、毎日のように結婚を申し込んできたのだそうです。洋子さんは次第に陳建民さんを「正直で可愛い人だ」と好意を抱くようになりました。
そして、一緒に働き始めてちょうど2ヶ月がたった洋子さんの誕生日に、陳建民さんは洋子さんに赤い靴をプレゼントして改めて結婚を申し込みました。
洋子さんはこのプレゼントとプロポーズをとても嬉しく感じられたのだそうで、ついに結婚を了承し、2人は結ばれる事になりました。
- 結婚後、陳建民さんと洋子さんは二人三脚で四川飯店を経営しました。陳建民さんが四川料理を日本人好みにアレンジして大成功を収めたのには、洋子さんの熱心なアドバイスが大きかったそうです。陳建民さんも洋子さんをとても大切にし、洋子さんの事を「神様がくれた宝もの」だとよく話されていました。
周囲も明るく愛情にあふれた洋子さんを慕い「洋子ママ」の愛称で親しまれました。
陳建一さんが料理人の道を進むきっかけを作ったのもこの母親の洋子さんだったそうです。洋子さんは幼い頃の陳建一さんにいつも「あなたは大きくなったらコックになるんだ」と囁いて寝かしつけていたそうです。
それで陳建一さんは当然のように料理人の道を目指すようになり、中華料理人として大成功を収められました。
――料理人になるよう勧めたのもお母様とか。
「物心ついたころから母は毎晩、就寝前に『あなたは大きくなったらコックになるんだ』と私の耳元で3回ささやき、私を寝かしつけた。私も食い意地が張っていたから疑問を感じませんでした」
陳建一さんの母親の洋子さんは、1998年に68歳で亡くなられています。
母は1998年に68歳でなくなりました。
陳建一の家族③ 兄弟は四川に住む姉と香港に住む兄と姉の3人
陳建一さんには兄弟3人います。
ただし、陳建一さんの3人の兄弟は異母兄弟で母親が違います。
陳建一さんの父親の陳建民さんは、来日する前に2度の結婚を経験されており、1度目の結婚相手との間に1人目の子供(長女)が生まれており、この方が陳建一さんにとっては長姉にあたります。
その後離婚し、香港へと渡った陳建民さんはそこで2度目の結婚をし、2人の子供を儲けています。この2人の子供が陳建一さんの長兄と次姉です。
この3人の兄弟たちは中国から来日した事があり、その時に陳建一さんの母親の洋子さんは我が子同様に愛情を持って接していたそうです。
「父は中国に3人の子どもがいました。私にとって異母兄弟です。3人が来日したとき、母は我が子のように接しました。結局、母は父の料理にほれ、父の全てを受け入れていたのだと思います」
陳建一の結婚と嫁
陳建一さんは玉川学園高等部時代の同級生の一般女性と結婚されています。
陳建一さんの結婚の時期や結婚の経緯など詳しい事は明かされておらず不明です。
陳建一さんの嫁についても情報がなくどのような方かは不明なのですが、陳建一さんは自宅では嫁の料理を食べているようです。陳建一さんは講演会の場で、家では嫁の料理を食べているのかという質問に対して、「もちろん!うちの奥さんは天才だから」と笑顔で答えられていました。
「ご家庭では奥様の作る料理を召し上がっているのですか?」という質問には「もちろん! ウチの奥さんは天才だから」と笑顔で答えられていました。ちなみに奥様も、高等部時代の同級生だそうです。
陳建一の子供は料理人の陳建太郎
陳建一の子供・陳建太郎のプロフィール
本名 :東建太郎(あずま・けんたろう)
生年 :1979年
出身地:東京都
陳建一さんは高校時代の同級生の嫁との間に子供が1人生まれています。
陳建一さんの子供は長男の陳建太郎さんで、祖父、父の後を継ぎ料理人として活躍されています。現在は赤坂四川飯店のオーナーシェフ、全国の四川飯店グループを運営する民権企業株式会社の代表取締役社長を務められています。
陳建一さんの子供の陳建太郎さんは、父親と同じく玉川学園の高等部、玉川大学を卒業後、四川飯店にて、父の助手であり弟子である菰田欣也さんの下で料理の修行を積みました。
2005年から2年半、中国の四川大学へ留学し、四川省成都市の有名店「菜根香素食館」にて、総料理長の曽国華さんに師事し本場四川料理も学ばれています。
帰国後も四川飯店で修行を重ね、現在では国内を代表する中華料理のシェフとして知られています。祖父や父親も出演したNHK「きょうの料理」にも講師として出演するなど、テレビなどメディア出演でも人気を集めています。
陳建一の麻婆豆腐店
陳建一さんといえば、麻婆豆腐専門店「陳建一麻婆豆腐店」が長年にわたって高い人気を集めています。
陳建一麻婆豆腐店① 木場店
陳建一麻婆豆腐店は関東に3店舗が展開中で、1店舗目は東京の木場町の商業ビル「深川ギャザリア」の中にある「陳建一麻婆豆腐店 木場店」です。
陳建一麻婆豆腐店 木場店
住所 :東京都江東区木場1-5-10 深川ギャザリアロータスパーク1階
営業時間 :11:00~22:00(ラストオーダー21:30)
定休日 :無休
平均予算 :1000円〜1999円(食べログ参照)
問い合わせ:03-5857-2164
陳建一麻婆豆腐店② グランデュオ立川店
陳建一麻婆豆腐店の2店舗目は、東京都立川市柴崎町の百貨店グランデュオ立川に入っている「陳建一麻婆豆腐店 グランデュオ立川店」です。
陳建一麻婆豆腐店 グランデュオ立川店
住所 :東京都立川市柴崎町3-2-1 グランデュオ立川7階
営業時間 :11:00~22:00(ラストオーダー21:30)
定休日 :不定休
平均予算 :1000円〜1999円(食べログ参照)
問い合わせ:042-540-2294
陳建一麻婆豆腐店③ みなとみらい店
陳建一麻婆豆腐店の3店舗目は、神奈川県横浜市西区のみなとみらいのショッピングモール・ランドマークプラザ内にある「陳建一 麻婆豆腐店 みなとみらい店」です。
陳建一 麻婆豆腐店 みなとみらい店
住所 :神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1 ランドマークプラザ1階
営業時間 :11:00~21:30(ラストオーダー21:00)
定休日 :不定休
平均予算 :1000円〜1999円(食べログ参照)
問い合わせ:050-5593-9974
陳建一の現在…2023年3月に67歳で死去(死因は間質性肺炎)
陳建一さんは2023年3月11日に67歳の若さで亡くなっています。
死因は「間質性肺炎」と発表されています。
四川料理の第一人者で、バラエティー番組「料理の鉄人」(フジテレビ系列)で人気だった陳建一さんが11日、間質性肺炎のため、東京都内の病院で死去した。67歳。
陳建一さんは2022年末まで元気に活躍されていましたが、2023年1月に体調を崩して入院されていたそうです。
関係者によると今年1月に入院し、療養していたという。
また、関係者によれば、陳建一さんは数年前からがんを患っていて治療を続けていたとの事なので、実質的な死因は「肺がん」だったと言われています。
陳建一さんの死去を受けて、子供の陳建太郎さんがインスタグラムで「父・建一の意思を引き継ぎ今後も四川飯店グループは通常通り営業させていただきます」などのコメントを発表されています。
まとめ
今回は、日本における四川料理の第一人者で「料理の鉄人」でも活躍した料理人の陳建一さんについてまとめてみました。
陳建一さんの経歴は、四川料理を日本に伝えた伝説的料理人である中華民国出身の父親・陳建民さんと、日本人の母親・洋子さんの間に生まれ、大学卒業後に父親の興した四川飯店を継ぎ、料理の鉄人などで人気を上げ、経営を拡大しました。
家族は、父親の陳建民さんの他、母親の洋子さん、異母兄弟が3人いる事が知られています。結婚した嫁は玉川大学の同級生だった一般女性で、子供は長男の陳建太郎さんです。
陳建一さんは「四川飯店」の他、麻婆豆腐専門店「陳建一麻婆豆腐店」も話題で、関東に3店舗が展開されています。
現在については、陳建一さんは2023年3月11日に67歳で亡くなっています。死因は「間質性肺炎」と発表されています。関係者によると数年前から肺がんを患って治療を続けられていたという事です。