河合その子の若い頃や現在!ハーフ説・旦那/後藤次利との馴れ初めや結婚・子供や自宅・芸能界復帰とその後も総まとめ

河合その子さんは元おニャン子クラブのメンバーで、10年ぶりの芸能界復帰やその後も話題です。

 

今回は河合その子さんの若い頃やハーフの噂、結婚した旦那・後藤次利さんとの馴れ初め、子供の有無、自宅や現在もまとめました。

この記事の目次

河合その子のプロフィール:キャッチフレーズの”ハーフ”は実は嘘?

生年月日:1965年6月20日

出身地:愛知県

所属事務所:ソニーミュージック

 

河合その子さんは元アイドルであり、元歌手です。

 

現役時代はアイドルグループ「おニャン子クラブ」の主要メンバーとして活躍。

 

その後、芸能界を引退して専業主婦として暮らしていましたが、2010年に芸能活動を再開しました。

 

「花園のように美しい子になって欲しい」という両親の願いから、「その子」と名づけられたそう。

 

なお、キャッチフレーズが「フランスと中国のハーフの女の子」だったことから、ハーフだと思われがちですが、両親は日本人とのこと。

 

当時の河合その子さんはフレンチロリータ路線を狙っていたため、あくまで比喩的な表現として、そのようなキャッチコピーが採用されたようです。

 

フレンチロリータ(French lolita)とは、ロリータ的な魅力を武器に活躍したフランスの歌手・女優・アイドルたちのことである。日本人が日常使用する言葉としてはアイドル(和製英語)がイメージ的に近い。

 

引用:フレンチロリータとは

 

また、夫がミュージシャンの後藤次利さんであることでも知られています。

 

 

河合その子の若い頃の経歴① 1985年におニャン子クラブのメンバーに

 

河合その子さんは、1983年にCBSソニー(現在のソニーミュージック)が主催したオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で準優勝を果たし、芸能界入り。

 

しかし、1984年放送の特別番組「新春レコード会社8社対抗オールスター大運動会」に出演したきり、ほとんど芸能界での活動はなかったといいます。

 

その後、日本福祉大学付属高等学校を卒業した河合その子さんは、コンピューター系の専門学校へと進学。

 

1985年3月には内定を得ており、就職予定だった中、同年4月からスタートするバラエティ番組「夕やけニャンニャン」のオーディションコーナーに出演してほしいとの依頼が舞い込みます。

 

軽い気持ちで承諾し、番組内のコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」第1回に出場したところ、歴代2位という高得点で合格してしまいます。

 

さらに、同時に合格を勝ち取った内海和子さん・富川春美さんと共に、翌週からアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして活動を開始することになったのです。

 

 

河合その子の若い頃の経歴② ソロでも活動し、ドラマにも出演

 

河合その子さんは、アイドルグループ「おニャン子クラブ」の主要メンバーとして活動しただけでなく、グループ内でソロ活動をいち早く開始。

 

また1985年4月、フジテレビ系列で放送されていた人気ドラマ「スケバン刑事」にゲスト出演しています。

 

 

 

さらに9月にはシングル「涙の茉莉花LOVE」でソロデビューも果たしました。同曲はオリコン週刊チャートで初登場5位、その後1位も獲得しました。

 

また、12月からはフジテレビ系列で放送されていたドラマ「ヤヌスの鏡」にレギュラー出演。

 

ファーストアルバム「SONOKO」をリリースしたほか、ファーストソロコンサートを開催するなど、華々しく活躍しました。

 

80年代を席捲したアイドル集団、おニャン子クラブの中で、その清楚さでひときわ輝いていた河合その子。そんな人気NO.1の彼女は、おニャン子クラブからトップ・バッターとしてソロ・デビューを飾り、デビュー曲「涙のジャスミンLOVE」(85年)は、いきなりシングルヒットチャ-ト初登場第1位を獲得。

 

引用:河合その子、オリジナル・アルバム7作とベスト盤の配信が本日12月25日よりスタート! 2019/12/25 news

 

河合その子の若い頃の経歴③ おニャン子クラブ卒業後は歌手として活動

 

河合その子さんは、1986年3月にアイドルグループ「おニャン子クラブ」を卒業しています。

 

同月31日の番組内では、同じく卒業する中島美春さんとともに、卒業式を行いました。

 

卒業後はソロ活動を本格化させ、主に歌手としてソロコンサートツアー開催、アルバム発売と精力的に活動していました。

 

また、その一方でグループ卒業後もおニャン子クラブと関わりを持ち、「夕やけニャンニャン」にも定期的にゲストとして出演。

 

同番組の姉妹番組としてスタートしたバラエティ番組「夕食ニャンニャン」では、吉田照美さんとともに司会も務めています。

 

さらに、役者としても活躍し、TBS系列で放送された単発ドラマ「二十歳の祭り」の主演も務めました。

 

その後、1987年8月に「おニャン子クラブ」も解散。解散記念アルバム「Circle」には、河合その子さんが作曲した「プリズム」が収録されています。

 

 

河合その子の若い頃の経歴④ テレビ番組への出演を拒否

 

1988年になると、テレビ番組出演を拒否すると宣言した河合その子さん。

 

その背景として、歌手としてやっていきたいにも関わらず、アイドル扱いが続いたことが原因とも言われています。

 

宣言通り、同年発売したアルバム「Colors」のプロモーションは、ラジオこそ出演したものの、テレビにはほとんど出演しませんでした。(唯一、オールナイトフジのミニライブには出演)

 

 

河合その子の若い頃の経歴⑤ 1994年に引退が報道される

出典:https://aucview.aucfan.com/

 

以降も、自身で作曲した曲もいくつか収録されたアルバムを何枚かリリースし、ラテン調の楽曲が増えていった河合その子さん。

 

1989年にはコンサートツアーを開催し、「近畿日本ツーリスト」のイメージキャラクターも務めました。

 

さらに、1990年に入ると雑誌『TYO』でエッセイ「銀色タペストリー」の連載、アルバム発売・ライブ開催と華々しく活躍しています。

 

順調に芸能活動を続けていると思われた最中の1990年5月、ライブ終了後にファンクラブを解散すること、さらに休養することを宣言しました。

 

その後の1994年4月には、作曲家・後藤次利さんとの結婚と芸能界引退が報じられています。

 

 

河合その子の若い頃の経歴⑥ 久々のドラマ出演が話題に

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

引退報道からしばらくの間メディアに登場していなかった河合その子さんでしたが、2000年に1度だけドラマに出演したことで話題になりました。

 

それが、WOWOWで放送されたドラマ「多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還」です。

 

同作の音楽は旦那である後藤次利さんが担当していた縁で、一瞬のカットのみ出演が実現したとのこと。

 

また、同作への出演時には「龍妃」という芸名を用いており、あくまで特別出演であったため、「河合その子」として芸能界に復帰したわけではないそうです。

 

実際、2002年に所属していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」が再結成していますが、河合その子さんは不参加。そのほかの同窓会企画にも1度も参加していません

 

また、同時期にCDが相次いで廃盤になっています。

 

そのため、ファンからソニー・ミュージックへ復刻を要望する声が集まり、未発表曲を含めた復刻盤CD-BOX「河合その子プレミアム」が2009年に発売されました。

 

 

河合その子の若い頃の経歴⑦ 2010年に20年ぶりの芸能界復帰

 

河合その子さんは、前述の復刻版DVD-BOX発売に際して、かつてのスタッフと再会。

 

打ち合わせなどを重ねるにつれて「後藤その子」ではなく「河合その子」へと自然に戻れていたとコメントしています。

 

その一連の経験が影響してか、2010年に河合その子さんはおよそ20年ぶりに芸能界に復帰

 

資生堂の「IN&ON」のCMに、荻野目洋子さん・薬丸秀美さん・伊藤つかささんと出演しました。

 

1児の母の河合も芸能活動は約20年ぶりで今回のCM限定。発表会では「あまりに緊張して…」と言葉に詰まる場面も。伊藤は女優や歌手、3女の母である荻野目も歌手活動を続けている。

 

引用:「よみがえれ、私」荻野目洋子ら4人が共演

 

 

河合その子が所属していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」とは

 

河合その子さんが所属していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」は、1985年にフジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組「夕やけニャンニャン」から誕生。

 

同年に発売したデビューシングル「セーラー服を脱がせないで」が大ヒットし、一躍ブレイクを果たしました。

 

月曜~金曜の夕方5時から放送された通称『夕ニャン』は、同局の深夜番組で女子大生ブームを作った『オールナイトフジ』(’83~’91年)の女子高生版、という位置づけだった。番組のコンセプトは“放課後のクラブ活動”で、開始当初の司会は片岡鶴太郎。当時、シングル『一気!』のヒットなどでブレイク中だったとんねるずがレギュラーだったこともあり、番組は中高生の間でたちまち評判を呼ぶ。

 

引用:おニャン子クラブ、運命の日から35年。ブレイクして「壊したもの」と「残したもの」

 

その人気は1980年代を席巻するほどで、各メンバーのソロ活動やユニット活動も大成功しており、シングル・アルバム・ビデオ・写真集などが軒並み大ヒットしています。

 

ブームがピークを迎えた’86年は、年間52週のうち36週でおニャン子クラブ関連の作品が1位を占めた。アルバム(LP、カセット、CD)も含めた’86年の年間総売り上げ金額はグループ単体で23.7億円、ソロやユニットも含めると実に101.5億円。この年、1位に輝いた中森明菜が48.9億円だから、その旋風がいかにすさまじかったかが分かる。

 

引用:おニャン子クラブ、運命の日から35年。ブレイクして「壊したもの」と「残したもの」(2ページ目)

 

しかし、その人気とは裏腹に同番組は1987年に終了。それに伴い、おニャン子クラブも解散となり、意外にも活動期間は2年半と短いものでした。

 

そのわずかな活動期間にもかかわらずメンバーの加入&脱退が頻繁に行われ、メンバーは常に入れ替わっている状態だったようです。

 

また、メンバーには高校生や大学生も数多く在籍していたため、学業で欠席するメンバーもおり、常に全員が揃っているわけではなかったといいます。

 

なお、同番組は平日夕方の帯番組で「放課後」がコンセプトでした。

 

「ちょっと気になる可愛い同級生」、「どこにでもいそう」という、後にAKBグループを大ヒットさせるプロデューサー・秋元康さんが手がけた番組なだけありますね。

 

ただし、実際に集まったのは河合その子さんのような芸能界経験者なども数多くいました。

 

ユニットに関しては、アニメ「ハイスクール奇面組」の主題歌で知られる「うしろゆびさされ組」、「うしろ髪ひかれ隊」などが有名です。

 

ソロでは、新田恵利さん・国生さゆりさん・渡辺美奈代さん・生稲晃子さん・渡辺満里奈さんなどが活躍しました。

 

解散後は度々再結成や同窓会企画が行われています。

 

2002年に放送されたフジテレビ系列の音楽特番「2002FNS歌謡祭」では、新田恵利さんをはじめとする6名によって「セーラー服を脱がさないで」が披露されました。

 

近年では、2018年に日本テレビ系列の音楽特番「THE MUSIC DAY」に国生さゆりさんらが出演しています。

 

今回の番組では10種類のメドレーが放送される。このうち新たに2つのメドレーが明らかになった。1980年代後半から90年代初頭のヒット曲を届ける「バブルソングメドレー」には荻野目洋子、Bro.KORN&倖田來未が参加。さらに内海和子、国生さゆり、立見里歌、新田恵利、山本スーザン久美子、渡辺美奈代といった「おニャン子クラブ」メンバーが再集結し、復活のステージを披露する。

 

引用:日テレ「THE MUSIC DAY」でおニャン子復活、ジャニーズメドレーや三代目出演も

 

1980年代に一世を風靡した人気アイドルグループ・おニャン子クラブの元メンバー11名が、サントリーの缶コーヒー『ボス 贅沢微糖』の新CMに起用されたことが20日、わかった。サラリーマンに扮する俳優・伊藤淳史が、日常の中で突然とんでもない贅沢な出来事に遭遇する同CMシリーズの第8弾で、新田恵利、国生さゆりらが再結集し代表曲「セーラー服を脱がさないで」を、おなじみの振り付けとともに披露。

 

引用:おニャン子クラブがCMで限定復活! 11名再結集し「セーラー服を脱がさないで」を歌い踊る

 

河合その子が結婚した旦那は作曲家の後藤次利・馴れ初めは不明

 

1994年に結婚を報じられた河合その子さん。旦那は作曲家・後藤次利さんです。

 

芸能界引退後に結婚が報じられたため、その詳細はあまり明かされていませんが、後藤次利さんは当時バツ2で、河合その子さんとは3度目の結婚でした。

 

後藤次利さんは作詞家・秋元康さんと「ゴールデンコンビ」と呼ばれており、河合その子さんが所属していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲も数多く手がけていました。

 

また、河合その子さんがソロになった後も作曲を担当しており、作曲家と歌手として出会い、仲を深めたことが予想されます。

 

実際の馴れ初めがいつか明かされることに期待したいですね。

 

 

河合その子の旦那・後藤次利のプロフィール

 

生年月日:1952年2月5日

出身地:東京都

職業:ベーシスト・作曲家・編曲家ほか

所属事務所:不明

 

後藤次利さんは中学生の時、姉に誘われてアメリカのバンド「アストロノウツ」のコンサートを観に行きました。

 

そこで、アストロノウツ、そして前座の「寺内タケシとブルージーンズ」に衝撃を受け、ギターを始めたそう。

 

高校では軽音楽部に入部し、文化放送のラジオ番組に高校生バンドとして出演したこともあるようです。

 

大学に進学後、友人のヘルプで「ブレッド&バターと岸部シロー」にベーシストとして参加。ベース経験はなかったものの、岸部シローさんの兄・岸部一徳さんにベースを習ったそうです。

 

そして、ツアー終了後にブレッド&バターのレコーディングに参加。プロのベーシストとしての一歩を踏み出しました。

 

しばらくの間ベーシストとして活動していた後藤次利さんですが、次第にアレンジ・作曲・スタジオミュージシャンといった仕事が増えていったそう。

 

編曲家としては、原田真二さん・八神純子・中島みゆきさんなどの楽曲を手がけ、沢田研二さんの「TOKIO」では「第22回日本レコード大賞編曲賞」を受賞しています。

 

1980年代以降は、作曲家として本格的に活躍。

 

路上パフォーマンス集団「一世風靡セピア」・近藤真彦さん・「シブがき隊」「おニャン子クラブ」・中森明菜さん・吉川晃司さん・お笑いコンビ「とんねるず」の楽曲を担当しました。

 

特におニャン子クラブやとんねるずでは、作詞家の秋元康さんとタッグを組むことが多く、「ゴールデンコンビ」とも称されています。

 

以降も、インストゥルメンタルユニットのメンバーとして活動したり、新レーベルを立ち上げたりとマルチに活躍しました。

 

近年は、シティポップジャンルが再注目されてリバイバルヒットしていることから、後藤次利さんにも再び注目が集まっています。

 

また、プライベートでは「アイドルキラー」とも言われ、河合その子さんの前には玉井タエさん・木之内みどりさんと結婚していました。

 

おニャン子クラブの作詞家&プロデューサー・秋元康もメンバーと結婚

 

河合その子さんが活躍していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」のプロデューサーで作詞家の秋元康さんも、おニャン子クラブのメンバーと結婚しています。

 

そのメンバーとは、高井麻巳子さん。河合その子さんと入れ替わる形でおニャン子クラブのメンバーとなったため、河合その子さんと同時期には活動していなかったようです。

 

秋元康さんと高井麻巳子さんは1988年に電撃結婚をしていますが、当時高井麻巳子さんのファンクラブ発足直後だったため、ファンや関係者から大バッシングされます。

 

もともとそのような反応を予想していたのか、高井麻巳子さんは結婚発表と同時に芸能界を引退。秋元康さんと渡米し、1年半ほどニューヨークで生活していたそうです。

 

河合その子さんも活動休止宣言後にひそかに結婚しており、当時のアイドルが結婚するということのハードルの高さがうかがえますよね。

 

 

河合その子の旦那・後藤次利はアイドルキラー① 玉井タエ

 

生年月日:1952年11月26日

出身地:不明

職業:歌手

所属事務所:なし

 

後藤次利の元嫁・玉井タエさんはフォークデュオ「シモンズ」のメンバーです。

 

玉井タエさんは高校時代、田中ユミさんとカバー曲などを中心にライブ活動をしていたそう。

 

その後、毎日放送ラジオの番組「ヤングタウン」のオーディションに合格し、「恋人もいないのに」でデビュー。

 

同曲は60万枚を超えるヒットとなり、「第13回日本レコード大賞」では新人賞を受賞しました。

 

しかし、後藤次利さんとの結婚を機に活動を休止。一時活動を再開するも、1979年に離婚したことを機に解散したそうで、玉井タエさんはそのまま芸能界を引退しています。

 

 

河合その子の旦那・後藤次利はアイドルキラー② 元嫁・木之内みどり

生年月日:1957年6月10日

出身地:北海道

職業:歌手・役者

所属事務所:浅井企画

 

木之内みどりさんは中学3年生の時に、日本テレビ系列の音楽番組「サンデー・ヒットパレード」内のコンテスト「ミス・ティーン・コンテスト」で準優勝。

 

惜しくも優勝を逃したものの、放送作家・阿久悠さんにその可能性を見出され、芸能界入りのために上京しました。

 

その後、高校に通いながら芸能界デビューを果たし、1974年に「めざめ」で歌手デビュー。その後、ドラマ・映画などに出演したほか、グラビアアイドルとしても高い人気を誇りました。

 

そして、1978年に発売した「一匹狼(ローン・ウルフ)」発表直後に後藤次利さんとの交際が発覚します。

 

当時、後藤次利さんは前述の玉井タエさんと婚姻関係で不倫状態だったことから大きな反響を呼び、木之内みどりさんは芸能界を引退しました。

 

引退後はカメラマンに転身しており、1983年に後藤次利さんと結婚するも、1987年に離婚しています。

 

また、1990年に役者の竹中直人さんと再婚しました。

 

 

河合その子の旦那・後藤次利の代表曲

河合その子さんの旦那・後藤次利さんが作曲した楽曲の中で、代表曲と言われるヒット作を紹介します。

 

一世風靡セピア「前略、道の上より」

 

河合その子「涙の茉莉花LOVE」(※動画は城之内早苗)

 

工藤静香「抱いてくれたらいいのに」

 

シブがき隊「スシ食いねェ!」(※動画はTravis Japan)

 

野猿「Fish Fight!」(※作詞も担当)

 

野猿 1998年から2001年にかけて活動し、「叫び」「Be cool!」などシングル11曲、アルバム3枚をリリース。本物のアーティストさながらの楽曲群は、すべて後藤次利による作曲。ほとんどの作詞を秋元康が手がけていた。1999年には『NHK紅白歌合戦』に2年連続出場を果たした。最後は、2001年5月にテレビ局スタッフらしく「撤収」という名目で解散している。

 

引用:今夜20年ぶり復活「ブラックビスケッツ」も! バラエティ番組から誕生した“音楽ユニット”

 

河合その子の子供:詳細は不明だが、子供がいることは公表している

 

河合その子さんに何人子供がいるかは不明ですが、2010年に資生堂の「IN&ON」のCMに出演した際に、子供が1人はいることを明かしています。

 

あくまでネット上での噂とはなりますが、お子さんは男の子なのだそう。

 

また、幼稚園の行事では後藤次利さんも目撃されていたようです。

 

 

河合その子の自宅は愛知県にある豪邸?

 

河合その子さんは自宅について詳細を明かしていませんが、今も愛知県在住とのこと。

 

一部ネットでは、実家の横に自宅を建てており、それが東海市であると噂されています。

 

旦那である後藤次利さんは、過去にインタビューで自宅にスタジオがあると明かしていたといいます。

 

スタジオがある自宅ということですから、かなりの豪邸であることが予想されますね。

 

 

河合その子の大ファンの有名人:歌手で声優の中島愛

 

アニメ「マクロスF」シリーズでは、主人公のランカ・リーの声や主題歌を始めとする関連曲も歌唱していることで知られている、歌手で声優の中島愛さん。

 

歌謡曲が好きで、特に河合その子さんの大ファンとのこと。インタビューでも「13歳からの推し」だとコメントしており、河合その子さんの楽曲をカバーもしています。

 

ルックスから好きになったんですけど、曲を聴いてみたら、それもすごくよくて、すべてのアルバムを集めました。河合その子さんは「七色の声」と言われていて、アイドルらしい歌い方からナチュラルな歌い方まで、曲によって声色を変える方なんですね。そこに強く影響を受けましたし、レコードやCDのアートワークや普段の衣装はフランス人形みたいで、憧れました。

 

引用:【インタビュー】大好きな歌謡曲を最新のサウンドでカバー。中島 愛の10周年記念ミニアルバムが完成!

 

 

 

 

河合その子の現在① 目立った活動はなし・再び専業主婦に?

 

河合その子さんは前述の通り、芸能界引退後、結婚&出産を経て、2010年にCMでおよそ20年ぶりの芸能界復帰を果たしています。

 

しかし、その後の活動について調べてみても、目立つ活動はしていないようです。

 

噂では、子供が愛知県内でトップクラスの「南山大学」に進学したとも噂されており、お子さんのサポートに徹していたのかもしれませんね。

 

2010年以降、10年近く動きがないとは言え、1度CMに出演したことで芸能界へのハードルが下がった可能性もあります。

 

今後、所属していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の同窓会企画や、旦那・後藤次利さん関連の企画で再びメディアに出演することもあり得るかもしれませんね。

 

 

河合その子の現在② 旦那・後藤次利が小林右京に楽曲を提供し話題に

 

 

河合その子さんの旦那・後藤次利さんが2021年、歌手でYouTuberの小林右京さんに楽曲を提供し、話題となりました。

 

登録者数527万人を超える(11/12現在)人気YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」の一発撮りオーディション、「THE FIRST TAKE STAGE」で、約5,000組の応募者の中から14名のセミファイナリストに選ばれ、そのパフォーマンスがYouTubeプレミアで公開された際は、チャットが小林右京へのコメントで溢れかえり、「小林右京」というワードがTwitterのトレンド入り。

 

引用:“ひがみ”から生まれた名曲「顔が良いやつは音楽をやるな」が話題  小林右京って何者?

 

小林右京さんがシティポップ調の楽曲を希望したため、後藤次利さんが担当することになったといいます。

 

予想だにしない大物の登場に、小林右京さん自身とても驚いたそう。

 

最初に後藤さんの名前を聞いた時はびっくりして、騙されてると思いました。そうしたら佐藤準さん、佐橋佳幸さん、小笠原拓海さん等が参加してくださって、さらにビックリしました。コロナ禍でのレコーディングなので、リモートでやり取りする機会が多くて、まず後藤さんからデモを頂いて、そこに家で録った仮歌を乗せて、それぞれの音を乗せていただきました。

 

引用:“ひがみ”から生まれた名曲「顔が良いやつは音楽をやるな」が話題  小林右京って何者?

 

まとめ

河合その子さんはアイドルグループ「おニャン子クラブ」の初期メンバーとして活躍。中心メンバーとして同グループをけん引し、ソロ歌手や役者としても活動していました。

 

同グループを卒業後は、ソロ歌手としてシングル・アルバムを発売したほか、コンサートツアーを開催するなど順調な芸能活動と思われましたが、突如テレビ出演を拒否するように。

 

メディアから遠ざかるようになり、1990年には活動を休止します。

 

その後、1994年におニャン子クラブの楽曲などでも知られる作詞家・後藤次利さんと結婚していたこと、芸能界を引退したことが判明しました。

 

その20年後にはCMで芸能界復帰をしてはいますが、以降はほとんど目立つ活動がなく、おそらく専業主婦に戻ったと見られています。

 

噂ではお子さんも成長しているとのことなので、河合その子さんの再びのカムバックにも期待したいですね。

 

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