幅広い年齢層から人気がある歌手の井上陽水さんですが、若い頃の薬での逮捕や嫁や子供も話題です。
今回は井上陽水さんについて、若い頃の経歴や違法薬物で逮捕された経緯、結婚した2人の嫁と子供達の現在をまとめてみました。
この記事の目次
井上陽水のプロフィール
プロフィール
・名前:井上 陽水(いのうえ ようすい)
・本名:井上 陽水(いのうえ あきみ)
・生年月日:1948年8月30日
・出生地:福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)
・出身地:福岡県田川郡糸田町
・最終学歴:福岡県立西田川高等学校卒業
・血液型:AB型
・身長:178 cm
・職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
・担当楽器:ボーカル、ギター
・活動期間:1969年 ~
井上陽水の若い頃の生い立ちと経歴
若い頃の井上陽水① 小学生の頃には歌が上手いと町内で評判に
戦時中は軍医をしていたという井上陽水さんの父親は、赴任先の京城(現在の韓国・ソウル)で知り合った女性と結婚。
終戦に伴って母親の郷里である福岡県直方市に帰郷し、しばらくは炭鉱で働いていたそうです。
その後、1男2女をもうけるのですが、1948年に第2子である井上陽水さんが誕生して間もなく、福岡県田川郡糸田町で歯科医院を開業しました。
井上家の長男として誕生した井上陽水さんは、いずれは父親の歯科医院を継ぐべく、幼い頃から英才教育を施されていたと言います。
その一方で、小学生時代に町内旅行で美空ひばりさんの歌を唄ったところ、上手いと評判になり、その後は子供会や婦人会の集会で度々歌わされるようになったのだとか。
井上陽水さんはこのエピソードにより、人前で称賛されることの喜びを感じるとともに、自身の歌唱力の高さを意識し始めたそうです。
若い頃の井上陽水② 中学3年生の頃にビートルズと出会う
井上陽水さんが中学生になる頃には、8歳年上の姉の影響により、エルビス・プレスリーやプラッターズなどの洋楽を聴くようになっていたそうです。
そんな井上陽水さんは、中学3年生の時、たまたま聞いていたラジオから流れてきたビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、その後はビートルズに夢中になりました。
出典:https://ameblo.jp/
ビートルズ熱がさらに加速した高校時代には、数人の仲間とともに1日中ビートルズの楽曲を唄いまくり、まさにビートルズ漬けの毎日を送っていた井上陽水さん。
周囲からは“ビートルズ狂い”と呼ばれるほどだったそうです。
若い頃の井上陽水③ 「帰ってきたヨッパライ」を聴いて曲を作り始める
実家を継いで歯科医になることを期待されていた井上陽水さんは、1967年に九州歯科大学を受験したものの、ビートルズ漬けの高校時代だった井上陽水さんは、あえなく失敗に終わります。
その後も、予備校に通って九州歯科大学を目指すのですが、再び失敗し2浪することに…。
そんな2浪目の1969年、ラジオの深夜放送でザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を聴き、次のように思ったそうです。
「これなら自分にもできる」
「音楽でひとやま当てたい」
というのも、井上陽水さんは高校時代、歌を録音する際に当時出始めたばかりだったオープンリールのテープレコーダーを使用していたんだそう。
その時既に、「帰って来たヨッパライ」に使われていた早回しテクニックで遊んでいた経験があったからなんですよね。
ギターを見よう見まねで始めた井上陽水さんは、曲を作り始めました。
そんなこんなで一向に勉強に手がつかなかった井上陽水さんは、3度目の大学受験にも失敗し、遂には大学進学を諦めてしました。
ただ、期待を寄せる両親にそんなことなど言えるわけもなく、形だけは浪人生活を続けていたものの、その実態はただただ音楽活動に邁進していたようです。
若い頃の井上陽水④ 「カンドレ・マンドレ」にリクエスト殺到!?
そんな中、1969年にRKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」の放送が始まりました。
この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、井上陽水さんは「マンドレ」という芸名で自作曲「カンドレ・マンドレ」を持ち込み、見事採用されることになります。
ちなみに、番組のディレクター・野見山実氏によって芸名を、「マンドレ」から「アンドレ・カンドレ」に変えられています。
しかし、「アンドレ・カンドレ」の楽曲「カンドレ・マンドレ」が「スマッシュ!!11」で放送されるや、数多くのリクエストが寄せられるんですよね!
もっとも、そのリクエストの大半は、井上陽水さん自身が浪人仲間にハガキを配って、リクエストを出すように頼んでいたものだったようですが…。
若い頃の井上陽水⑤ 「アンドレ・カンドレ」で遂にデビューを果たす
「カンドレ・マンドレ」の放送後、RKB毎日放送のスタッフからホリプロを紹介された井上陽水さんは、1969年6月にはレコーディングのために上京することになります。
ただ両親には、あくまで「東京で勉強して大学を目指す」と言い置いて…。
1969年9月1日、CBSソニーから「アンドレ・カンドレ」としてデビューした井上陽水さん。
本人は「大ヒット間違いなし!」と確信していたそうですが、実際にはほとんど注目されることはなかったと言います。
続く、同年12月には「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」をリリース。
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さらに翌、1970年10月には「花にさえ、鳥にさえ」をリリース。
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この曲は、井上陽水さんが歌手を目指すきっかけになった「帰って来たヨッパライ」を作詞・作曲した松山猛さんと加藤和彦さんから楽曲提供を受けた曲でした。
しかし、いずれも鳴かず飛ばずの不振に終わり、結局、「アンドレ・カンドレ」の音楽活動はこの3枚のシングルで終わることになります。
以降、ポリドール移籍までの約1年間は、井上陽水さん本人も語ろうとしない空白の1年が存在することに…。
若い頃の井上陽水⑥ ポリドールに移籍し「井上陽水」が誕生
そんな井上陽水さんは、1971年にポリドール・レコードに移籍し、初のアルバム「断絶」のレコーディングを始めるとともに、それに合わせて芸名を変えることになりました。
それに当たって、ポリドールで井上陽水さんのマネジメントをしていた奥田義行さんが本名を尋ねたところ、「井上アキミ」との答えが…。どんな字かと思ったら「陽水」と書くとのこと。
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じゃあ、そのまんまの「陽水(ようすい)」で行こう!ってことになり、芸名を「アンドレ・カンドレ」から、現在の「井上陽水(いのうえ ようすい)」に変えることになったと言います。
若い頃の井上陽水⑦ 「井上陽水」としてようやく売れ始める
そして、同年5月には、後に井上陽水さんの初期の頃の代表曲となる「傘がない」が収録されたアルバム「断絶」がリリースされました。
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発売当初はなかなか売れなかったものの、その後徐々に売れ始め、振り返って見れば、井上陽水さんが売れ始めたのは、このアルバム「断絶」からだと言われています。
1972年7月には、このアルバム「断絶」からシングルカットした、「傘がない」をリリース。この曲は井上陽水さんのセカンドシングルとなりました。
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1972年12月には2枚目のアルバム「陽水II センチメンタル」をリリース。
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そして、1973年3月、3枚目のシングル「夢の中へ」をリリースすると、20万枚近いセールスを記録することに。
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若い頃の井上陽水⑧ アルバム「氷の世界」が日本初のミリオンセラーを記録
さらに、同年12月にリリースした3枚目のアルバム「氷の世界」が、発売から2年で日本レコード史上初のミリオンセールスを達成し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たしました。
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井上陽水は「芸能界薬物汚染事件」により逮捕されていた
1977年7月、俳優の岩城滉一さんが違法薬物使用により逮捕されました。
出典:https://jisin.jp/
その後、ジョー中山さん、内田裕也さん、研ナオコさん、内藤やす子さん、桑名正博さん、錦野旦さん、美川憲一さん、上田正樹さん…と、わずか半年で次々と大物芸能人が検挙されました。
この一連の事件は後に「芸能界薬物汚染事件」と名付けられることになるのですが、実は、井上陽水さんもそのうちの1人で、離婚翌年の1977年9月10日に違法薬物所持で逮捕されました。
当時について、芸能レポーターとして知られている石川敏夫さんが、井上陽水さんの代表曲「夢の中へ」とからめてコメントしている記事を見つけたので、引用しておきましょう。
「当時、アメリカのヒッピー文化が流入したことがきっかけで、ミュージシャンを中心に大麻が流行しました。73年に井上陽水が発表した『夢の中へ』に出てくる“探しものはなんですか”という歌詞は、薬物を指しているという都市伝説があったので、陽水の逮捕を受けて、やはり!と話題になりました」
引用:美川憲一、井上陽水、研ナオコが芋づる式に挙げられた昭和芸能界の麻薬汚染 | デイリー新潮 https://www.dailyshincho.jp/
井上陽水が1度目に結婚した嫁とは
出典:https://pixabay.com/
井上陽水は1974年に1度目の結婚するも2年後には離婚
そんな井上陽水さんは、プライベートではアルバム「氷の世界」をリリースして間もない1974年1月17日、熊本県出身の一般女性と1度目の結婚をしています。
井上陽水さんの最初のお嫁さんは、お嬢様風の見た目だったと言われていますが、当時の写真もなく、それ以上の情報はありませんでした。
そんな井上陽水さんの最初の結婚は、2年後の1976年には破綻し離婚に至っています。
2度目の結婚の嫁である石川セリさんとの出会いが1975年と言われているので、実質的な結婚生活は1年そこそこってところでしょうか。
井上陽水の現在の嫁・石川セリとは
井上陽水の現在の嫁はハーフ歌手の石川セリ
そんな井上陽水さんは、1978年8月30日、自身の30歳の誕生日に石川セリさんと再婚しました。
出典:https://twitter.com/
石川セリさんは、父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフで、当時、歌手として活躍していました。
井上陽水の現在の嫁・石川セリのプロフィール
プロフィール
・名前:石川 セリ
・本名:井上 セイディ
・生年月日:1952年12月27日
・出身地:神奈川相模原市
・職業:歌手
・活動期間:1971年 ~
井上陽水さんと石川セリさんは、陽水さんが最初の結婚をした1年後の1975年には出会っていたようです。
まだ結婚していたにもかかわらず、井上陽水さんの方が石川セリさんに夢中だったんだとか。
石川セリさんの気をひくために彼女の目の前で、「ダンスはうまく踊れない」をたった30分ほどで作り上げ、その場で披露したと言われています。
出典:https://sites.google.com/
ちなみに、この時作られた「ダンスはうまく踊れない」は、後に石川セリさんの代表曲となっています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=a8yInB-_4qI&w=640&h=360]
井上陽水の子供① 長男・准介
出典:https://pixabay.com/
井上陽水さんと石川セリさんは、1978年8月30日の陽水さんの誕生日に結婚し、同年12月16日に長男・准介(じゅんすけ)さんが誕生しています。
ってことは、できちゃった婚ってことになりますね。
准介さんは現在、父・陽水さんの音楽活動をサポートする仕事に就いているようです。
井上陽水の子供② 長女・ニサ
プロフィール
・名前:依布 サラサ(いふ さらさ)
・本名:井上 ニサ
・誕生日:1983年12月22日
・出身地:東京都
・最終学歴:青山学院女子短期大学卒業
・職業:作詞家、歌手
・活動期間:2006年 ~
・事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
1983年12月22日に誕生した長女・ニサさんは、2006年から“依布サラサ”名義で歌手活動や作詞の仕事をされているようです。
1度目の結婚で長女ゆゆちゃんを19歳で出産したニサさんですが、その後離婚したのか、2010年にテレビ番組に出演した際、シングルマザーであることを告白しています。
出典:https://www.instagram.com/
さらに、2013年9月4日、かねてより交際していた一般男性との結婚を報告しており、現在は、父・陽水さんの故郷でもある福岡に住み、現地のテレビやラジオを中心に活動しているそう。
出典:https://www.cinematoday.jp/
井上陽水の子供③ 次女・アンナ
次女のアンナさんは、かつて父・陽水さんのコーラスなどにも参加したことがあるそうなのですが、現在は主だった芸能活動はしていないようです。
出典:https://geitopi.com/
そして、2015年に九州朝日放送のアナウンサー・三澤澄也さんと結婚し、現在は姉と同じく福岡で暮らしているそうです。
2016年に男の子を出産し、現在は一児の母として主婦として忙しい毎日を送られているのだとか。
井上陽水の謎の子供④ 次男・TAKITA
Wikipediaには井上陽水さんと石川セリさんの間には、1男2女の3人の子供に恵まれたとありますが、実は一番下に次男がおり、実際、石川セリさんのブログにも度々登場するのですが…。
ブログの中に登場する長男や長女については「長男」や「長女」と呼んでいるのに対して、次男については何故かいつも「TAKITA」としか呼ばないんですよね。
出典:http://www.ishikawaseri.com/
しかも「TAKITA」は、オスカープロモーションに所属する俳優なのだとか。
なんでも“井上陽水や石川セリの息子”として売るのが嫌で、「TAKITA」自身が事務所を探して俳優になったそうです。
出典:https://www.excite.co.jp/
身長は180センチ以上、背はすらっとしてモデル並み。韓流スターの雰囲気をまとい、インテリっぽいマスクだ。聞けば、英語、スペイン語、フィンランド語、それに韓国語と4カ国語がベラベラ。ピアノも子どもの頃から習っていて、ジャズピアノの名手だという。これほどの素材を、芸能プロがスカウトしなかったことが不思議なくらいだ。
引用:「IMALUの二の舞!?」 井上陽水の次男・TAKITAが”本物のホモ”の紹介で俳優デビューへ https://www.excite.co.jp/
ただ、このTAKITAが本当に井上陽水さんと石川セリの間の子供なのか?また、現在どのような活動をしているかは不明です。
まぁ、その辺のところが井上陽水さんらしいっちゃらしいんですけどね!
出典:https://www.youtube.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
井上陽水さんの生い立ちから、歌手デビューしてトップアーティストの仲間入りを果たすまでの若い頃の経歴、違法薬物で逮捕事件、2人の嫁と子供達の現在についてまとめてみました。
井上陽水さんの子供と言われる、TAKITAさんの存在がミステリアスですよね。
今後の井上陽水さんとご家族の動向にも注目です。