「X JAPAN」のボーカルであるToshl(Toshi)さんですが、元嫁の守谷香さんとMASAYA(倉渕透)さんによる洗脳騒動が話題です。
今回はToshlさんと守谷香さん&MASAYAさんとの関係、洗脳までの経緯や真相をまとめました。
この記事の目次
X JAPAN・Toshi(Toshl)のプロフィール&経歴
出山利三(でやま としみつ)
誕生日: 1965年10月10日
別 名: TOSHI
出身地: 千葉県館山市
身 長: 164 cm
出身校: 千葉県立安房高等学校卒業
Toshlさんは、1965年10月10日、公務員の父とピアノ講師の母との間の三男として、千葉県館山市に生まれています。
YOSHIKIさんとは幼稚園で出会い、1977年にバンド「DYNAMITE」、1978年にバンド「NOISE」をYOSHIKIさんと共に結成しています。「NOISE」ではギター担当だったそうです。
1982年にバンド「X」を結成し、1989年にXのボーカリストとしてメジャーデビューを果たします。
Toshlさんは、SNSで情報発信をしています。
・ToshlさんのInstagram
https://www.instagram.com/toshl_officia/
・ToshlさんのTwitter
https://twitter.com/Toshlofficial
・Toshlさんの公式ウェブサイト
「X」としてメジャーデビュー
YOSHIKIさんと共に「X」を結成
YOSHIKIさんとToshlさんは、高校卒業後上京を決意します。
1987年頃、最初のメンバーが揃うと、1988年「Vanishing Vision」でインディーズからアルバムを発売するやいなや、異例の売り上げをあげました。
1989年、CBSソニーより「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たします。
現在では、日本を代表するバンドの1つである「X JAPAN」ですが、インディーズ時代の「X」は非常に荒れていたことでも有名です。
多くのライブハウスやホテルから、「Xお断り」の出入り禁止をされていたようです。
そして1992年、世界で活躍するために、XからXJAPANに改名しています。
ソロ活動
Toshlさんのソロ活動時の楽曲は、「X」時代の激しいヘビメタ調とは違い、ミディアムテンポのバラードが多く、これまでのイメージを払拭するものでした。
この頃、Toshlさんは薬害エイズ事件によって19歳の若さで亡くなった岩崎孝祥さんが描いたToshlさんの油絵に触れたそう。
これがきっかけで、エイズ啓発運動「アクト・アゲインスト・エイズ」に参加して歌を披露し、ヒーリング音楽に浸透していくきっかけとなったのです。
そしてToshlさんは、ヒーリング音楽を歌っていたシンガーソングライターのMASAYA(倉渕透)さんの音楽に惹かれていったと言われています。
X JAPAN・Toshi(Toshl)の脱退でバンドも解散に
1997年4月、音楽性の違いを理由に、Toshlさんが「X JAPAN」を脱退してしまいます。
そして同年9月22日に記者会見を開き、この日をもって「X JAPAN」が解散することが発表されました。
「X JAPAN」が事実上の解散
1997年、音楽性の違いによりTOSHIさんが脱退を告げます。YOSHIKIさんは、何度も辞めないよう説得しましたが、TOSHIさんはXJAPANから脱退してしまいます。
Toshlさん「X JAPAN」を脱退…
この頃すでに、MASAYAさんはToshlさんを、カモとして狙っていたと後に語られています。
故・HIDEさんが、けじめとしてファンのためにラストライブを開催しようとYOSHIKIさんを説得したことで、1997年12月31日に東京ドームで「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」を開催。
ライブ終了後に「第48回NHK紅白歌合戦」に出演したのを最後に「X JAPAN」は事実上解散となりました。
X JAPAN・Toshi(Toshl)の洗脳騒動の真相~嫁・守谷香やMASAYAとの関係とは
世界進出を果たし、アメリカのレコード会社と契約して、これから「X JAPAN」が本格的にスタートという時に、Toshlさんは「X JAPAN」を脱退しました。
これは、嫁である守谷香さんやMASAYAさんらに騙されて、詐欺集団と言われる自己啓発セミナー団体「ホームオブハート(HOH)」に入会させられ、洗脳されていきました。
では、Toshlさんの洗脳騒動の全貌について詳しく紹介していきましょう。
海外進出のプレッシャーから追い詰められた
「X JAPAN」が勢いを増したことにより、Toshlさんの家族や友人がお金目当てで近づいてきたそう。
それと同時に海外進出のプレッシャーや過酷なレコーディングで、Toshlさんは心身ともに疲れきっていました。
ハイレベルな音楽を求められストレスに…
当時は「X JAPAN」が世界進出するために、YOSHIKIさんはさらにハイレベルな音楽を要求するようになり、Toshlさんは非常にプレッシャーを感じていました。
この頃は、Toshlさんは高音が出せない喉の状態にも関わらず、YOSHIKIさんに強要されて、喉に注射を打ってまでレコーディングに臨み、それにも苦痛を感じていたと言います。
こうした活動の背景にも、Toshlさんが現実から逃げたいと考えてしまうきっかけとなり、洗脳騒動の始まりとなるのです。
守谷香のハニートラップに引っかかる
Toshlさんと守谷香さんが交際するきっかけとなったのは、Toshlさんが主演を務めていた、ロック・オペラ「ハムレット」です。
守谷香さんも出演していて、この共演を機に、後に2人は交際をすることになります。
Toshlに手紙を送り続ける守谷香
Toshlさんが洗脳後の会見で、守谷香さんはMASAYAさんが送り込んだハニートラップで、Toshlさんを「ホームオブハート(HOH)」の広告塔や金づるとして利用するために近づいてきたと語りました。
2人はすぐには交際せず、Toshlさんは舞台終了後に活動の拠点であるロサンゼルスに戻っていました。
その後、度重なる身内の裏切りや仕事の疲れからハワイで楽曲制作と療養をし、日本に帰国してから再び守谷香さんと会ったそうです。
Toshlさんは、見事に守谷香さんのハニートラップに引っかかり、1993年頃から交際をスタートさせましたが、これが地獄の日々の始まりでした。
守谷香が間接的に「X JAPAN」を解散に追い込んだ
国内外で絶大的な人気を博したバンド「X JAPAN」でしたが、Toshlさんを洗脳してメンバー間に亀裂を生じさせ、解散に追い込んでいった張本人は守谷香さんでした。
Toshlをヒーリング歌手に目覚めさせていく…
Toshlさんは、ヒーリング音楽に転身していく過程で「Xはあなたをダメにする」と守谷香さんに何度も吹き込まれ、「X JAPAN」のボーカリストとしての自分に疑問を持ち始めるようになります。
そして、この頃からToshlさんのトレードマークだったサングラスや長髪をやめ、地味なファッションでステージに立つようになり、Toshlさんと他のメンバー間に溝が生じていったのです。
さらに、YOSHIKIさんの要望に応えられず、自分のボーカリストとしての自信を喪失していたToshlさんは、「X JAPAN」の活動に無力感を感じ、意気消沈していました。
そのため、Toshlさんは”守谷香”というハニートラップに引っかかってしまい、「X JAPAN」を脱退、解散に追い込んでしまうという事態に発展したのでした。
Toshl「ホームオブハート」へ入信
Toshlさんは、守谷香さんから「X JAPANをやめて家族とも縁を切って素晴らしい作品を歌えばいい」とそそのかし、「X JAPAN」脱退を後押ししていきます。
家族と縁を切ってでも…
この頃すでに、守谷香さんを信じきっていたToshlさんは、家族や友人との確執や「X JAPAN」でのプレッシャーや自信喪失などから「X JAPAN」の脱退を決意します。
Toshlさんは”ヒーリング歌手に転向”すると、YOSHIKIさんに脱退する旨を伝えると、YOSHIKIさんは、Toshlさんが尋常ではない状態にあることを察していたのか、快諾したと言います。
Toshlさんの脱退に一番反対したというのが故・HIDEさんだったそうで、「X JAPANはすでにToshlくんだけの人生じゃない」と強く反対しました。
Toshlさんは脱会後に「自分が洗脳されなければHIDEは死ななかったかもしれない」と語っています。
「ホームオブハート」でMASAYA(倉渕透)と出会う
4年間の交際を経てToshlさんとの結婚に至った守谷香さんは、第2段階として(洗脳の)黒幕のMASAYAさんに支配を引き継ぐようになったそうです。
Toshlさん曰く、守谷香さんは結婚直後からMASAYAさんの元へ”勉強”と称して別居していたため、夫婦生活はまったく無かったということです。
MASAYAの経歴は非常に優秀だった…
MASAYAさんはToshlさんに、「幼少期に歌手デビューをした」「19歳で企業を立ち上げて20代前半で与輪島にあるプリシアリゾートを20億円をかけて創設した」「27歳には史上最年少で東証一部上場企業の役員になった」など自身の武勇伝を語ったそう。
また、「歌手としてインディーズではあるが日本ゴールドディスク大賞のインストゥルメンタル・アルバム・オブ・ザ・イヤーへのノミネート実績もある」と語り、Toshlさんはその凄すぎる経歴に敬服したと言います。
ちなみに、このMASAYAさんの経歴は事実です。
そして、Toshlさんは悪魔のセミナーを受けることになります。
Toshlさんは悪魔のセミナーを受ける…
Toshlさんは、守谷香さんにヒステリックにセミナーに参加するよう言われ続け、「ホームオブハート(HOH)」主催の悪魔のセミナー「アイランドセルフトレーニング」を受けることに。
このセミナーの新規参加者は当然Toshlさんだけで、他の参加者は全員サクラだったそうです。
セミナーでは、Toshlさんを全否定するところからスタートし、巧みにセミナーには救いがあるかのように錯覚させてマインドコントロールを進めていったのです。
そして、Toshlさんは、”フィードバック”と呼ばれる凶悪な洗脳方法や”セラピー”という洗脳を受けたと言います。
丸めたマットを憎い人物や両親などに見立てて、暴行を加え暴言を吐かせ、おもちゃのナイフを握らされて擬似的に肉親を殺すという猟奇的な行動も強制されていたようです。
MASAYAの12年間にも及ぶ奴隷としての日々
Toshlさんは、「ホームオブハート(HOH)」に完全に洗脳されていき、MASAYAさんと守谷香さんに稼ぎの全てを献上する”コミット金”を毎月支払うよう命じられ、奴隷生活が12年も続きました。
12年間もの”洗脳”によって奪われた時間
紀藤弁護士は、「同団体が、HOHから、今では表向きは、ヒーリングワールドに名称を変えて活動している」ことを指摘し、またToshIのWEBサイトやHPで、入会金やCD・DVDの販売を続けている状況を非難した。
紀藤弁護士も、「同団体は、被害者を勧誘行為を通して加害者にしてしまう。同団体から逃げてきた人のほとんどが、ToshIさんも含め、借金まみれになり自己破産せざる得ない状態になっているのが実情」と語った。
このとき、Toshlさんの給料が全てがMASAYAさんに流れていることを知った次兄は、Toshlさんへの給料を停止することに踏み切ったそうです。
しかし、それでもToshlさんは、全国へ営業をかけての物販活動に励み、MASAYAへのコミット金が足りないときには、消費者金融に借金をしてまで支払っていたそうです。
こうしてToshlさんは、少ない稼ぎで借金を返済し、さらに借金が必要なため闇金にも手を出してしまい、気付けば多重債務者となっていたと言います。
Toshl、洗脳騒動が注目される
一部週刊誌によって「ToshIは洗脳された」と報道されました。これはのちに次兄がToshIさんを救い出すためだったと明かしています。
マスコミがToshlの洗脳を大きく報じる
1998年9月7日発売の週刊誌「週刊現代」が、Toshlさんが「ホームオブハート(HOH)」に洗脳されていることを大々的に報じ、マスコミ各社がこれに注目し、次々に番組に出演していくことになります。
Toshlさんにマスコミやテレビ局などのメディアから多数の出演オファーが殺到したことで、MASAYAさんはそれらに出演することをToshlさんに命じたそうです。
しかし、Toshlさんが出演すればするほど洗脳騒動はさらに加熱していき、ついには守谷香さんと共演して訴えたり、MASAYAさんと3人で共演するなど加熱していったのです。
この洗脳報道が落ち着いてくると、MASAYAさんはToshlさんに「お前のせいでホームオブハートがカルト教団扱いを受けた!」「お前のせいでみんながお金が稼げなくなり食べられなくなった!」と罪の意識を植え付け、もっともっと搾取しようと企てたと言います。
全財産搾取された…
同年9月、週刊誌に記事が掲載され、洗脳騒動が表面化。騒動により団体に迷惑を掛けたため「とにかく何でもいいからお金を作らなきゃという気持ち」になり、Toshlは2年間500回以上、全国を回り、主宰者の曲を歌った。
その後もToshlさんは、罪を償うためにさらにMASAYAさんと守谷香さんに利用されて無償で働き続け、12年間で約15億円を騙し取られることになりました。
すっかり「X JAPAN」の頃の姿でなくなってしまった当時のToshlさんがこちら。
X JAPAN・Toshi(Toshl)の洗脳が解けたきっかけ&その後
2007年2月10日、YOSHIKIさんのオフィシャルサイトにて、X JAPAN再結成への話し合いを進めていることを明らかにしました。
再結成へは金銭目的だった?
YOSHIKIさんが、雑誌のインタビューで「現在のToshlがロックをやってくれるのか」とToshlの「X JAPAN」復帰に対して懸念を抱いていました。
それに対し、Toshlさんは「ロックも癒しの1つとして受け入れる」とコメントを発表していました。
MASAYAさんは、この頃まだToshlさんを完全支配していると思っていたためか、「X JAPAN」として再びToshlさんが売れることにより、莫大な収入を搾取できると思っていたようです。
しかし、MASAYAさんのこの態度の豹変ぶりに違和感を覚えたToshlさんは、洗脳が解けていくことになったのです。
06年9月「X JAPAN」再結成の話が持ち上がった。主宰者は契約金3億円を目的に「また(悪の根源と言われた)そこ(X JAPAN)に戻れ、って言われて。そんな簡単にひっくり返っちゃうのかな?って。そこは納得ができなかったです。それまで鉄の壁のように自分で作っていたものに、ポロッて穴があいてしまったみたいな。そういう雰囲気でした」とToshlは主宰者に初の疑問を抱く。
07年10月「X JAPAN」再結成。しかし、ギャラは主宰者へ。Toshlの生活費は1日500円だった。09年6月、元妻に初の反抗。それは暴力として返ってきた。「何かの学びとかトレーニングだとか、そんなものは全く関係のない世界。彼らの本性というか魂胆というか、性根を見たという感じでしょうか」。そして、ついに逃亡を決意する。
MASAYAの奴隷生活に終止符…
Toshlさんは、何かと理由を付けては「復帰祝い金」と称して3億円を搾取しようとすることに強い不信感を抱き、初めて守谷香さんに反論をしたと言います。
しかし、守谷香さんは「お前が稼げないから腐ったX JAPANなんかにお金を貰うしかない」と意味不明な理屈で脅してきたそうです。
そして、Toshlさんの洗脳が解けつつあることに気づいた守谷香さんは、「私の全財産を守谷香に相続させる」という遺言状を書かせていました。
この頃、MASAYAさんはToshlさんを殺すつもりでいたとのことです。
同年10月、営業のイベント先のリハーサル中に倒れ、病院に運ばれたが、イベントに呼んでくれた会社社長が知人の警察関係者の家にかくまってくれ、逃亡に成功。12年間の洗脳生活は終わりを告げた。10年2月、元妻との離婚が成立した。
コンサート中に倒れ病院に運ばれる
2009年10月22日:コンサート中に肋間神経痛を発症して倒れる
Toshlさんは、脱走を試みるも1度目は失敗していたようです。
MASAYAから殺されかけたToshlさんでしたが、肋間神経痛により倒れ病院に運ばれ、目を覚ましたToshlさんは「ホームオブハート(HOH)」関係者が再び拘束しに来ることを恐れ、コンサートに関わっていたスタッフの協力によって、搬送された病院から逃げ出すことに成功しました。
Toshlさんは、逃亡するまではどこに行くにしても監視がつきまとい、仕事が終わると拘束されて逃げられない状態(軟禁状態)だったと言います。
逃亡に成功したToshlさんは、2009年10月26日にMASAYAさんと守谷香さんに対して代理人を通じて決別状を出したそう。
その翌日以降、代理人の元にToshlさん宛で「金を出せ」というあらゆる脅迫が届いたと言われています。
そして、「ホームオブハート(HOH)」の被害者の会を支えていた、紀藤正樹弁護士の働きかけにより、Toshlさんは2010年4月23日、MASAYAさんらとの裁判に和解による勝訴を勝ち取りました。
また、2010年2月2日には、離婚調停中の守谷香が離婚に応じ、正式に離婚が成立しました。
まとめ
・Toshlは12年間にも及びMASAYAの奴隷として過ごした。
・Toshlの洗脳が解けたのはX JAPANの再結成がきっかけ。
いかがでしょうか?
詐欺師・MASAYAさんとその手先だった守谷香さんに、1993年から12年間に渡って洗脳されて、毎日のように行われた暴言暴行と金銭を搾取され続けたToshlさん。
結果として、Toshlさんは”偽装結婚”をさせられ、12年間で15億円以上を献上していたことが分かりました。
2007年より「X JAPAN」の活動を再開させ、現在ではバラエティ番組にも出演しています。完璧に洗脳も解け、また以前の様に活躍しています。
MASAYAさんは現在”MARTH”に改名し、未だ「ホームオブハート(HOH)」で詐欺を働いているとのことです。
一刻も早く、MASAYAこと倉渕透さんと守谷香さんらの悪行が法の下で裁かれることを願うばかりですね。