テロリスト「連合赤軍」の最高幹部・永田洋子は、嫉妬心で凄惨なリンチ事件を起こした人物であり、弁護士との関係も注目を集めています。
今回は永田洋子が関わった事件、顔写真、生い立ちや両親、死刑判決と現在をまとめました。
この記事の目次
永田洋子とは?テロリスト「連合赤軍」の最高幹部【顔写真あり】
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名前:永田 洋子(ながた ひろこ)
生年月日:1945年(昭和20年)2月8日
出身地:東京都本郷区元町(現:文京区)
永田洋子とは、薬科大学在学中に学生運動に興味を持ち、その後「連合赤軍」に参加したテロリスト、新左翼活動家です。
「連合赤軍」では、中央委員会副委員長というナンバー2の最高幹部を務めていました。
「連合赤軍」が起こした多くの殺人に関与したとされており、逮捕後に死刑判決が下っています。
「連合赤軍」の殺人事件の1つは永田洋子の「嫉妬によるもの」とされており、永田洋子の生い立ちや容姿に注目が集まりました。
ここでは日本の重大事件を起こした「連合赤軍」のナンバー2・永田洋子の生い立ちから現在までをまとめます。
どのような両親のもと、どのような人生を送ってきたのか。連合赤軍で起こした重大事件、嫉妬の原因や容姿が分かる顔写真も併せて紹介します。
また、弁護士との関係や現在の様子も解説していきます。
永田洋子が所属していた「連合赤軍」とは
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1971年に結成された「連合赤軍」は、約1年に渡って活動した極左テロ組織です。
新左翼組織の1つで、結成まで別々に活動していた「共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)」と「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」が合流して結成されました。
連合赤軍の活動期間は1年と短いものでしたが、その間に「山岳ベース事件」「あさま山荘事件」などの日本史に残る殺人事件、リンチ殺人を起こして注目されています。
以下で「連合赤軍」が起こした代表的な事件を解説します。
あさま山荘事件
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「あさま山荘事件」は、1972年2月19日〜2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある保養所「浅間山荘」を舞台に、連合赤軍が人質をとって起こした立てこもり事件です。
あさま山荘事件は、後述する山岳ベース事件から逃亡した連合赤軍メンバーが、浅間山荘を占拠して起こしました。
犯人グループは主に若者で、9日間に渡り警察とにらみ合い、この模様はテレビで中継され、当時の日本に強い衝撃を与えました。
テレビ中継では、冬の長野県という極寒の環境で、警察と犯人たちの攻防の様子、血まみれで搬送される機動隊員、そして鉄球での山荘破壊など、衝撃的な映像が編集無しで放送されました。
この模様は日本全体で大きな注目の的となり、視聴率は89.7%に達する異様な数値を叩き出しました。
「あさま山荘事件」では最終的に、機動隊員2名と民間人1名の計3名の死者が出ており、機動隊員と報道関係者1名の合わせて27名が重軽傷を負っています。
立てこもり事件発生から10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を救出、犯人グループは5名全員が逮捕されました。
山岳ベース事件
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「山岳ベース事件」は、前述した「あさま山荘事件」で逮捕された者の自供により明らかになった大量殺人事件です。
連合赤軍による同志に対するリンチ殺人事件で、大量の死者を出したことで話題になりました。
「山岳ベース」とは、連合赤軍メンバーが警察の捜査網から逃れるため、警察の目の届かない山中に「山岳ベース」と称したアジトを築き、軍事訓練やテロ作戦のための拠点でした。
その「山岳ベース」で永田洋子を中心に行われた「総括」と称される連合赤軍内部での粛清により、大量の殺人が行われました。
「総括」とはもともと、連合赤軍が“革命戦士として自己を鍛えるため”に行われる自己反省の儀式でしたが、次第にエスカレートして同志内での人格否定や暴力行為に走ったとされています。
山岳ベース事件で行われた「総括」と称される粛清の内容は、暴行、食事を与えず絶食させる、極寒の屋外に放置するなどといった集団リンチです。
この厳しい集団リンチにより、メンバー29名中12名が死亡することになりました。
死亡者の中には、メンバー同士で恋人関係だった者、兄弟同士、そして妊娠中の女性メンバーもいたと言われています。遺体は証拠隠滅のためすべて全裸で土中に埋められたようです。
そして多くの犠牲者を出したことで、自ら組織を弱体化させたと言われているのが「山岳ベース事件」です。
中でも、永田洋子は総括と呼ばれる粛清行為を積極的に行なっていたとされ、暴行を加える側にいた者と見られています。
永田洋子は1972年2月17日に活動資金の調達のため一度下山した後、山岳ベースに戻ろうとしたところを連合赤軍メンバーを捜索していた警官隊に発見されて逮捕されました。
この山岳ベース事件は前述したあさま山荘事件の逮捕者の自供により発覚したもので、永田洋子はすでに逮捕済みだったため、あさま山荘事件には参加していません。
12名もの死者を集団リンチにより殺害したこの事件の中心となっていた永田洋子ですが、殺害の理由が嫉妬によるものだと後世まで伝わっています。
どのような嫉妬で惨劇を起こしたのか、永田洋子の嫉妬心や原因について以下でまとめました。
永田洋子の嫉妬が原因で「山岳ベース事件」が起きたとされている
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山岳ベース事件の中心メンバーだった永田洋子ですが、仮にも同志である連合赤軍メンバーに対して惨い集団リンチを行った理由とは一体何だったのでしょうか。
その理由が、「女性メンバーへの嫉妬によるもの」だと言われています。
山岳ベースで殺されたメンバーのうち、女性メンバーは永田洋子の嫉妬により殺されたと言われており、裁判でもその動機が認められています。
その中でも、赤軍派幹部の妻・遠山美枝子、革命左派で美人と名高かった女性1名、連合赤軍の幹部・吉野雅邦と事実婚していた妊娠8ヶ月の女性1名は、永田洋子の強い嫉妬の的でした。
山岳ベース事件でリンチが発生する発端となったのが、赤軍派唯一の女性である遠山美枝子が、会議中に髪を梳かしていたのが発端でした。
その様子を革命左派の永田洋子に「革命戦士にふさわしくない」と追及されたことから、総括と呼ばれる粛正が始まったのです。
他にも、男女関係における対立があったとも噂されており、永田洋子の嫉妬心が悲惨な事件を起こしたとされています。
永田洋子本人はこのような嫉妬による犯行という見方を否定していますが、東京地裁が判決で犯行動機は「嫉妬によるもの」だと認めています。
そもそも永田洋子は学生時代にバセドウ病にかかり、症状による容姿の変化が外見的コンプレックスとなって、美人な女性に対して嫉妬心を抱くようになったと言われています。
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バセドウ病になると、甲状腺が腫れて輪郭が変わったり、眼球が突出するなどの症状が現れます。
バセドウ病が原因とは言えませんが、永田洋子の顔写真を見てもわかるように、彼女の顔は美人であるとは言えないかもしれません。
外見的なコンプレックスが原因で女性的なメンバーに嫉妬心を抱き、それが理由で大量殺人を犯した可能性があるとされているのが「山岳ベース事件」の真相です。
永田洋子の生い立ちや両親とは?
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嫉妬により重大事件を起こしたとされる永田洋子は、どんな生い立ちを辿ってきたのでしょうか。両親の情報、生い立ちからテロリストになるまでを調査しました。
永田洋子は東京都本郷区元町、現在の文京区本郷の出身です。
しかし生後2ヵ月の時、大平洋戦争の影響で神奈川県横浜市の港北区綱島に疎開することになりました。
そして小学校4年生までは、父親が勤務する電機会社の寮に住んでいました。
父親は企業戦士、母親は病院で看護婦長として働いていたようで、両親の下で何不自由無く暮らしていたのではと言われています。
その後、調布中学校・高等学校(現在の田園調布学園中等部・高等部)に進学・卒業し、大学は共立薬科大学薬学部に入学しました。
普通の両親に育てられ、生い立ち的には不自由なく暮らしていたと思われる永田洋子ですが、大学在学中に学生運動に興味を持つようになりました。
共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織の活動に参加するようになり、学生運動に傾倒していきます。
大学卒業後は慶應義塾大学病院の研究室に入り、同病院の薬局で医局員を務めました。
その後、東京都品川区の三水会病院や済生会病院に勤務しますが、この間に後に「連合赤軍」となる「警鐘」グループに参加するようになります。
女性解放問題、ボーナス団体交渉といった労働運動に参加し、薬剤師の仕事を辞めて活動に専念するようになりました。
その後、永田洋子は日共左派、革命左派を経て連合赤軍の最高幹部となったのです。
これが永田洋子の生い立ちであり、明かされている両親の情報です。
両親についてはほとんど情報が公開されていませんが、昭和20年に永田洋子を産み、現在は令和。存命している可能性は限りなく低いでしょう。
永田洋子と弁護士の関係は?
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永田洋子と検索すると、「弁護士」というワードが候補に表示されます。
永田洋子と担当弁護士の間に特筆すべき点は無く、これは現在弁護士として働く同姓同名の「永田洋子」弁護士が存在することがキーワード浮上の理由です。
永田洋子弁護士は、連合赤軍の永田洋子とは全く関係のない別人で、経歴は昭和62年生まれで中国江蘇省出身の女性です。
南山大学法学部法律学科を卒業後、早稲田大学法科大学院を修了して弁護士になった経歴の持ち主で、立派な弁護士であることが分かっています。
連合赤軍の永田洋子が有名なため、弁護士の方を検索する際に「弁護士」と入力しなければ目的のページに辿り着けず、そのため「永田洋子 弁護士」という候補が浮上しているのでしょう。
ちなみに永田洋子という漢字は一緒ですが、弁護士の方の読みは「ようこ」です。全くの別人なので注意したいですね。
永田洋子の現在 【死刑執行された?】
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山岳ベース事件後に1度下山した際、警察に逮捕された永田洋子は、1993年に行われた最高裁判所での裁判で死刑判決が確定しました。
連合赤軍から離脱した仲間2人を千葉県内で殺害したこと、山岳ベース事件で総括と称して集団リンチを行い、メンバー12名を死亡させたことが理由です。
判決の理由としては、山岳ベース事件が永田洋子主導であること、その原因が女性特有の嫉妬心や不信感から来るもの、執拗さや冷酷な加虐趣味などが認められ、死刑判決が下りました。
死刑が確定した永田洋子ですが、判決後に脳腫瘍で倒れ、その後は寝たきりの状態だったといいます。
もともとバセドウ病にかかるなど病弱だった永田洋子ですが、活動家時代から脳腫瘍とみられる症状に悩まされていたことが分かっています。
2008年に「世界死刑廃止デー」の記念イベントが行われた際、現在永田洋子は東京拘置所で危篤状態になっていることが報告されました。
そして2011年2月5日、東京拘置所で脳萎縮、誤嚥性肺炎のため、死刑を待たず65歳で病死しています。
現在すでに病死しているため死刑は執行されませんでしたが、永田洋子の生い立ちから死までは多くの人の注目を集め、現在までに永田洋子をモデルにした作品が多数制作されてきました。
2001年に公開された映画「光の雨」にも、永田洋子をモデルにした人物が登場しています。
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また、連合赤軍関係者のほとんどを実名で描いた映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が2008年に公開されました。
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昭和の重大事件として人々の記憶に強烈に残る連合赤軍の事件、その中でも最高幹部として主導してきた永田洋子の人生は、彼女の死後も多くの注目を集めています。
また、そんな永田洋子が獄中で執筆した書籍がいくつかあり、「獄中からの手紙」や「氷解―女の自立を求めて」などは、永田洋子の心情が深いところまで描写されています。
このまとめを読んで永田洋子の思考や心情が気になった方は、ぜひこちらもチェックしてみてはいかがでしょうか。
まとめ
連合赤軍のメンバーで、凄惨な集団リンチ事件を嫉妬心で起こしたとされる永田洋子について、生い立ちから現在までをまとめました。
今後このような悲劇が起きないことを祈るばかりです。