「岩手17歳女性殺害事件」の容疑者として指名手配されている小原勝幸が話題です。
この記事では小原勝幸が容疑者とされている岩手17歳女性殺害事件の概要、生い立ちや弟などの家族、結婚の噂、真犯人は別にいるとの疑惑、現在の指名手配状況や生きてる説などについてまとめました。
この記事の目次
小原勝幸は「岩手17歳女性殺害事件」の犯人として指名手配されている男
小原勝幸は、2008年7月1日に発覚した「岩手17歳女性殺害事件」の容疑者として指名手配されている男です。
小原勝幸が容疑者だとされている「岩手17歳女性殺害事件」は、2008年7月1日に岩手県川井村(現在の宮古市)の松章沢という河川の中で、当時17歳だった佐藤梢さんが殺害された状態で発見された事件でした。
小原勝幸はその遺体発見の3日前の6月28日に佐藤梢さんを電話で呼び出しており、さらに遺体発見翌日の7月2日に、恋人や友人、家族に、断崖から飛び降りて死ぬ事を示唆する電話やメーつを送信していました。
さらにその翌日の7月3日に、自殺の名所としても知られる岩手県田野畑村の景勝地「鵜ノ巣断崖」の断崖上に、小原勝幸が所持していたとみられる財布やサンダル、タバコなどが発見されましたが、断崖下からは遺体や、死亡した事を示すような遺留物などは発見されませんでした。
この事から、警察は小原勝幸が佐藤梢さんを殺害後に自殺を装って死亡したと見せかけて逃亡したと断定し、この男を容疑者として指名手配したのでした。
ただ、この事件には不可解な点が多くあり、小原勝幸は犯人ではなく真犯人が別にいるとする疑惑の声も上がっています。
なお、小原勝幸はこの事件発生当時28歳でした。
今回はこの小原勝幸についてまとめていきます。
小原勝幸が犯人だとされている「岩手17歳女性殺害事件」の時系列
小原勝幸が容疑者として指名手配されている「岩手17歳女性殺害事件」には、少し入り組んだ背景があるため、わかりやすくするために事件が発生するまでの経緯を時系列順に見ていきます。
2006年10月、小原勝幸が先輩「Z」に紹介された仕事先から逃亡
「岩手17歳女性殺害事件」から約2年前の2006年10月、小原勝幸は地元の先輩の「Z」という男性に型枠大工の仕事を紹介してもらい働き始めましたが、仕事がキツすぎてわずか数日でその仕事を逃げ出しています。
この行為は先輩「Z」の顔に泥を塗ったことになり、これが原因となったトラブルが「岩手17歳女性殺害事件」に関連しているとの見方が有力となっています。
2007年2月、小原勝幸と友人が同姓同名の友人同士の佐藤梢2人をナンパ
2007年2月、小原勝幸は友人と2人で、宮城県登米市内のゲームセンターで2人の女子高生をナンパしました。
この2人の女子高生は同級生で「佐藤梢」で同姓同名だった縁から親友同士だったようです。
小原勝幸はこのうちの1人の佐藤梢Aさんと交際する事になり、もう1人の佐藤梢Bさん(事件の被害者)も、小原勝幸の友人と交際するようになります。
2007年5月1日、小原勝幸が先輩「Z」に口の中に日本刀を突きつけられ脅される
その後、2人の佐藤梢さんは高校を中退し、小原勝幸と佐藤梢Aさんは友人の家を転々としたり、車で泊まったりといった不安定な生活をするようになります。
小原勝幸はそんなフラフラした生活に終止符を打つべく、再び仕事を紹介してもらうため先輩「Z」に連絡を取ります。
先輩「Z」の「もう怒っていない」との言葉を信じた小原勝幸は、念のために弟を連れ、佐藤梢Aさんと3人で、2007年5月1日18時半頃に、先輩「Z」の自宅へと向かいました。
小原勝幸は車の中に佐藤梢Aさんを残し、弟と2人で先輩「Z」の元へ、日本酒の一升瓶を詫びとして差し出して謝罪します。
しかし、先輩「Z」はそこで、待ち構えていたように激昂し、日本刀の切っ先を突きつけるようにして小原勝幸の口の中に入れ「迷惑料として120万円を支払え」と恐喝しました。
小原勝幸は脅されるままに借用書を書き、保証人として車内に残していた佐藤梢Aさんの名前と電話番号を無断で書いてしまいます。
2008年6月3日、小原勝幸が佐藤梢Aさんと共に被害届を提出
小原勝幸はその後、先輩「Z」に迷惑料120万円を支払わないまま、佐藤梢Aさんと2人で逃亡生活を送るようになります。
それからちょうど1年が経過した2008年5月、小原勝幸は、某インターネットサイトで、先輩「Z」が自分の名前と顔写真を晒して行方を探している書き込みを発見します。
これに危機感を覚えた小原勝幸と佐藤梢Aさんは警察署に駆け込み、2008年6月3日付で先輩「Z」を被疑者とする恐喝の被害届を提出しました。
6月28日午前10時頃、小原勝幸の元から佐藤梢Aさんが逃亡
2008年6月28日、小原勝幸が原因となった逃亡の日々に嫌気がさし、また、日頃から小原勝幸の傲慢な態度にも耐えかねていた佐藤梢Aさんは、前日から訪れていた盛岡競馬場で隙を見て逃亡し、電車を乗り継いで宮城県の実家へと向かいます。
小原勝幸は金もなく、車のガソリンも残り少なかったため後を追うことができず、携帯電話で「戻ってきて欲しい」と説得を試みますが、佐藤梢Aさんはこれを拒否しています。
6月28日夜22時頃、小原勝幸が佐藤梢Bさんを電話で呼び出す
佐藤梢Aさんが逃亡した2008年6月28日の夜22時頃、小原勝幸は突然、佐藤梢Bさんの携帯電話に連絡をしています。この頃、佐藤梢さんは既に小原勝幸の友人とは別れており小原勝幸とは疎遠になっていました。
小原勝幸は佐藤梢Bさんに「恋の悩みで相談したいので今から会いたい」と言って呼び出しています。この時、一緒にいて佐藤梢Bさんの様子を見ていた男性は「とても嫌そうな様子だった」と証言しています。
佐藤梢Bさんは小原勝幸からの連絡があった直後の22時10分頃、佐藤梢Aさんの携帯電話に連絡を入れていますがつながりませんでした。そして、佐藤梢Bさんは、22時20分頃に待ち合わせ先として指定されたコンビニへと出かけています。
それからさらに10分後の22時30分頃に、今度は佐藤梢Aさんの実家の電話に、佐藤梢Bさんからの電話が入り、「小原勝幸とはどうしているのか?」、「やり直すつもりはあるのか?」などの質問をしてきたという事です。
さらに、同日22時43分から23時にかけて、宮城県登米市内のコンビニの防犯カメラに、雑誌を立ち読みする佐藤梢Bさんの映像が記録されていました。これが生前の佐藤梢Bさんの姿を捉えた最後の映像となります。
その後、佐藤梢Bさんは佐藤梢Aさんとメールでやりとりを続けていましたが、日付が変わって6月29日の午前0時30分頃のメールを最後に連絡が途絶えています。
6月29日朝から30日にかけて小原勝幸は弟の家に滞在
2008年6月29日午前2時14分から3分間ほど、岩手県盛岡市内のセルフ式のガソリンスタンドの防犯カメラに、車に給油する小原勝幸の姿が記録されています。右手に白い布のようなものを巻いている事も確認されました。
同日午前9時頃、小原勝幸は岩手県田野畑村の弟夫婦の家に現れます。佐藤梢Bさんは同行しておらず、右手に大怪我をしていた事から、済生会岩泉病院を受診しています。小原勝幸は病院で「酒に酔って壁を殴って怪我をした」と説明したという事ですが、担当した医者は「壁を殴ったような怪我には見えなかった」と証言しています。
小原勝幸は翌30日まで、弟夫婦の家に滞在しています。
6月30日昼、小原勝幸が被害届を取り下げようとするも警察に拒否される
小原勝幸が弟夫婦の家に滞在している間、それを聞いた父親が様子を見に訪れています。
小原勝幸は父親に、先輩「Z」からの脅しが弱くなったので被害届を取り下げたいと相談しています。これ受けて父親は、6月30日の昼頃に警察に連絡してその意思を伝えますが、警察側は「後2、3日で逮捕できる」、「家族の安全は保障する」と言って被害届取下げを拒否しています。
7月1日16時半頃、佐藤梢Bさんの遺体が発見される
そして、その翌日の2008年7月1日の16時半頃、岩手県川井村(現在の宮古市)の松章沢という小河川にかかる橋の下で、何者かに殺害された佐藤梢Bさんの遺体が発見されました。
遺体の状況から、佐藤梢Bさんは何者かに首を絞められて瀕死の状態になった後、橋の上から河川に投げ落とされた可能性が高いと見られました。
7月1日20時半過ぎ、小原勝幸が単独事故を起こし実家へ運ばれる
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佐藤梢Bさんの遺体が発見された7月1日の20時半過ぎ、車で弟夫婦の家を出た小原勝幸は、その約30分後の21時頃に、陸中海岸シーサイドラインで対向車線側の電柱に突っ込む単独事故を起こします。
その後、小原勝幸は事故現場を通りかかった地元の男性に救助され、実家まで送ってもらっていますが、この時に小原勝幸は酔った様子で「俺はもうおしまいだ死ぬしかない」などと口走っていたそうです。
7月2日、小原勝幸が友人や家族、佐藤梢Aさんに自殺をほのめかすメールや電話
実家へと運ばれた小原勝幸は、翌日7月2日の午前7時40分頃、それまで携帯電話をいじっていた彼は、何も言わず、朝食も取らずに実家を出ています。
小原勝幸はその後、タクシーを利用して自殺の名所としても有名な岩手県田野畑村の景勝地「鵜の巣断崖」へと向かっています。
そして、小原勝幸は午前8時半頃、佐藤梢Aさんに「俺死ぬから」というメールを、この断崖絶壁の写真を添付して送信しています。また、家族や友人にも自殺をほのめかす電話やメールをしています。
7月3日、警察が小原勝幸を佐藤梢Bさん殺害の容疑で全国指名手配
その翌日の7月3日、鵜の巣断崖を清掃にきた職員が、断崖の上に小原勝幸の所持していたものと思われるサンダルや財布、タバコなどが置かれているのを発見します。
しかし、断崖の下からは小原勝幸の遺体は発見されず、警察は小原勝幸が自殺を装って逃走したと断定し、7月29日付で、佐藤梢Bさんを殺害した容疑で100万円の懸賞金付きで全国指名手配しました。
以降、現在まで小原勝幸の行方はわかっていません。
以上が、小原勝幸が容疑者とされている「岩手17歳女性殺害事件」の概要となります。
小原勝幸は冤罪で真犯人は別にいると疑われている
小原勝幸が容疑者として指名手配されている「岩手17歳女性殺害事件」ですが、不可解な点があまりにも多い事から、元警視庁捜査官の経歴を持つジャーナリストの黒木昭雄さんは、この事件の真犯人は別にいる可能性があると主張されていました。
また、この黒木昭雄さんは、岩手県警が被害届の取り下げを拒否し、さらにはまともな捜査をしなかった事によって真犯人によってこの事件が引き起こされた可能性があり、その責任を追及されることを恐れた県警が小原勝幸を犯人に仕立て上げて真相をもみ消した可能性も示唆していました。
黒木さんは言います。
「岩手県警久慈署が被害届を受けて、きちんと捜査をしていれば梢Bさんは殺されることはなかった可能性があります。これが発覚すれば、県警にとって大変なダメージになるわけですね。組織的に隠さなければいけなくなった」
被害届の取り下げを拒否しながら、何も対応せずに最悪の結果になってしまった。
そして黒木昭雄さんは、2010年11月2日に「今さら言う事もありませんが、岩手の事件が私の人生を変えました。それについては後悔していません」と書かれた遺書を残して練炭自殺しています。
この黒木昭雄さんが主張していた真犯人が別にいる可能性の根拠、「岩手17歳女性殺害事件」の不可解な点についても順番に見ていきます。
岩手県警察の初動捜査があまりにも杜撰だった
「岩手17歳女性殺害事件」の容疑者として小原勝幸の捜索を開始した警察でしたが、その後の捜査はあまりにも杜撰なものだったようです。
まず、捜索が開始されたのはなぜか小原勝幸のサンダルや財布などが発見されてから1日遅れの7月4日でした。
しかも捜索に投入された人員はわずか15人、検問も敷かれず、消防団への協力要請も出されないという殺人容疑者の捜索とは思えない小規模なものだったようです。
小原勝幸の父親は警察犬の導入について捜査関係者に尋ねたそうですが、「警察犬を使うには数十分単位でお金がかかる、あなたに支払えますか?」と門前払いされたそうです。父親が後で調べたところ、一般市民が警察犬出動費用を支払わなくてはないという事実は無いという事が判明しています。
岩手県警が発表した死亡推定時刻が司法解剖を担当した医師の見解と違う
佐藤梢Bさんの遺体を司法解剖した岩手医科大学の医師からは、死亡推定時刻は「6月30日から7月1日」との見解が出されていますが、なぜか岩手県警察は「死亡推定時刻は6月28日の深夜から、遺体が発見された7月1日の午後4時30分頃までの間」と答えています。
これについて、黒木昭雄さんは、当初医師が示した死亡推定時刻に当てはめると小原勝幸にアリバイが成立してしまうため、死亡推定時刻を広げて発表したのでは無いかとの疑いを持たれていたようです。
右手を大怪我した状態で佐藤梢Bさんを殺害し橋の下に突き落とす事ができたのか
小原勝幸は、6月29日午前2時の時点で右手に大怪我を負っていた事がわかっています。この右手を診断した医師は、小原勝幸の右手は運動機能障害があり握力は0の状態で、人間の首を絞めて殺害する事はまず不可能だと思うと証言しています。
小原勝幸が犯人だとして、果たしてこの右手の状態で佐藤梢Bさんの首を絞め、さらに橋の下に投げ落とす事が可能だったのかというと疑問を感じてしまいます。
この点からも別の真犯人の存在が疑われています。
小原勝幸の生い立ち
「岩手17歳女性殺害事件」の犯人として指名手配されている小原勝幸の生い立ちについては、何の情報も明かされていません。
5ちゃんねるや「爆サイ」などの匿名掲示板にも生い立ちを推測できるような書き込みは一切確認できません。
小原勝幸の家族① 弟が1人おり事件にも関係していた
小原勝幸の家族についてみていきます。
「岩手17歳女性殺害事件」の経緯でも何度も登場しましたが、小原勝幸には弟が1人おり、事件との関連を疑う声もある先輩「Z」のもとに小原勝幸が謝罪に赴いた際に同行しています。
また、この弟は既に結婚していて親元を離れて自立しており、佐藤梢Bさんの遺体が発見される直前の2008年6月29日から30日にかけては、小原勝幸はこの弟夫婦の自宅に滞在しており、この時間帯のアリバイをこの弟が証言しています。
この事件を追っていたジャーナリストの黒木昭雄さんが、この小原勝幸の弟の記者会見でのインタビューの様子を動画でネットに上げています。
小原勝幸の家族② 父親は指名手配差し止めと損害賠償を求めて起訴
小原勝幸の父親も、先輩「Z」に対する被害届取下げを求める連絡を警察に入れるなど、事件に関係しています。小原勝幸が自殺をほのめかした際にも、すぐに鵜の巣断崖に駆けつけるなど、息子の身を案じていたようです。
この小原勝幸の父親は息子が犯人だとする明確な証拠はないとして、2010年6月30日に、岩手県や国を相手取り、小原勝幸の指名手配差し止めと、家族への名誉毀損に対する損害賠償600万円などを求める訴訟を起こしています。
この父親の訴えはその後、盛岡地裁で「(指名手配は)情報提供を受けるための手段として相当」だとして棄却されています。
また、家族への名誉毀損についても「評価は困難」と退けられています。
小原勝幸の家族③ 結婚はしていなかった
小原勝幸は「岩手17歳女性殺害事件」の時点まで結婚はしていません。
仮に現在も小原勝幸が生存していたとしても、目立つ行動を取るとは考えにくいことから結婚している可能性は低いと考えられます。
小原勝幸の現在① 未だ指名手配され300万円の懸賞金がかけられている
小原勝幸は現在も全国指名手配されており、2010年11月1日に懸賞金は100万円から300万円へと増額されています。
現在も全国の交番や警察署などで、この小原勝幸の指名手配ポスターを確認する事ができます。
小原勝幸の現在② 生きてる説と既に死亡説が錯綜
小原勝幸の行方は現在もわかっていませんが、生きてるという説と既に死亡しているとの説が錯綜しています。仮に生存しているとすれば小原勝幸は2021年現在で40歳になっているはずです。
生きてる説としては、海外逃亡をしているというものや、顔を変えて別人として生活しているというものがありますが、いずれも根拠などは示されていません。
また死亡説としてはすでに殺害され埋められている、東日本大震災の津波で遺体が流され発見は不可能といった説があるようですが、こちらも説得力のある根拠などが示された情報は見つかりません。
まとめ
今回は、2008年7月に発覚した「岩手17歳女性殺害事件」の容疑者として指名手配されている小原勝幸についてまとめてみました。
小原勝幸は遺体で発見された当時17歳の佐藤梢さんを、直前に呼び出して会っていたと思われる事から、容疑者として指名手配されていますが、事件の内容に不可解な点があまりにも多く、真犯人は別にいるのではとの疑いの声が上がっています。また、この事件を疑い調査していたジャーナリストの黒木昭雄さんが謎の自殺を遂げています。
この小原勝幸の生い立ちなどは何もわかっていません。また、家族は弟や父親の存在が明らかになっています。弟と父親ら家族も、この事件で小原勝幸が指名手配されている事について疑問を抱いているようで、父親は2010年に指名手配差し止めを求める訴訟を起こしています。
小原勝幸は現在も所在が分かっておらず全国指名手配されており、懸賞金は当初の100万円から300万円に引き上げられています。また、現在もネットでは、小原勝幸が生きてる説と既に死亡している説が錯綜し、真偽不明の様々な噂がささやかれているようです。