北村有紀恵は不倫相手の幼い子供2人を焼き殺した「日野OL不倫放火殺人事件」の犯人です。
この記事では北村有紀恵の起こした「日野OL不倫放火殺人事件」の概要とその原因となった不倫相手の原田幸広との関係、出身大学や妹などの家族、現在仮出所の動きが出ている件などについてまとめました。
この記事の目次
北村有紀恵は「日野OL不倫放火殺人事件」の犯人
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北村有紀恵は、1993年12月14日に東京都日野市で発生した「日野OL不倫放火殺人事件」の犯人です。
北村有紀恵はこの事件で不倫相手の自宅に放火し、その子供2人(当時6歳の女児と当時1歳の男児)を焼き殺した凶悪犯罪者です。
今回はこの北村有紀恵について見ていきます。
北村有紀恵の起こした「日野OL不倫放火殺人事件」の概要
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北村有紀恵の起こした「日野OL不倫放火殺人事件」は、1993年12月14日に東京都日野市の集合住宅(高幡台団地36号棟)で発生しました。
北村有紀恵は、日野OL不倫放火殺人事件の約2年前の1991年8月頃から、勤め先の上司の原田幸広という男と不倫関係にありました。この北村有紀恵と原田幸広の不倫の詳細な内容については次の見出しで紹介します。
12月14日の朝、原田幸広はいつものように、通勤のために妻に自動車で最寄りの駅にまで送ってもらいました。この時自宅の中には就寝中の当時6歳の娘と、当時1歳の息子が残されていました。
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北村有紀恵は、原田幸広と妻の乗った自動車が出かけるのを確認すると、高幡台団地36号棟に乗ってきた自動車を寄せて停車させ、ガソリンを入れたペットボトル5本を入れたビニール袋とガソリンを入れたポリタンクを両手に持って車を降り、原田幸広と家族の住む401号室へと向かいました。
北村有紀恵は、以前から不倫関係のために原田幸広から渡されていた合鍵を使って自宅の中に侵入します。この時、北村有紀恵は指紋がつかないようにハンカチを使ってドアノブを回しています。
室内に侵入した北村有紀恵は、6畳の居間のこたつの周りにガソリンを撒くと、こたつの上の灰皿に残されていた原田幸広のタバコの吸殻にライターで火をつけ、撒いたガソリンに放り投げて引火させようとしますが、うまく火がつきませんでした。
そこで北村有紀恵は、テーブルの上にあったダイレクトメールに火をつけようとしますが、これにもうまく火がつきませんでした。このタイミングで、北村有紀恵は手に持っていたハンカチに火がついている事に気がついて慌てて、ハンカチとライターを取り落としています。
この瞬間、最初に火をつけていた吸殻からガソリンに引火し、爆燃現象が起こり、その爆風によって北村有紀恵は401号室の玄関を通り越して、向かいの401号室まで引き飛ばされ、鉄製のドアに体を打ち付けています。
その衝撃で北村有紀恵は一瞬気を失ったもののすぐに意識を取り戻し、階段を駆け下りて現場から逃走しています。
この爆発により、奥の4畳半の寝室で眠っていた当時6歳の女児は、両腕を焼失して頭部は熱によって割れ、頭蓋骨から大脳が露出した状態で発見され、当時1歳の男児も両腕と膝から下を焼失した状態で発見されています。
原田幸広を駅で下ろした後に帰宅した妻は自宅が燃えている事に気がつき、半狂乱になって室内に飛び込んで子供を救出しようとしますが、近所の住人に止められ助けられています。この時、妻の髪の毛はほとんど焼け落ちて重い火傷を負って緊急搬送されています。子供2人が亡くなった事は妻には退院するまで伏せられていたそうです。
北村有紀恵の逮捕と裁判の判決
警察は放火殺人と見て捜査を開始し、原田幸広との不倫の経緯などからすぐに北村有紀恵を容疑者としてマークしていますが、有罪に持ち込めるだけの証拠が集められなかった事から逮捕に踏み切れずにいました。
ところが、1994年2月6日の午後、北村有紀恵は父親に説得されて自ら警視庁日野署に自首しています。この出頭の前日の2月5日まで、北村有紀恵は通常通り勤務先に出勤していました。
その後、北村有紀恵は1996年1月16日に無期懲役の一審判決を受けるも控訴し、1997年10月2日の控訴審で再び無期懲役判決を下されています。北村有紀恵側はこれを上告しますが、最高裁は2001年7月17日に上告を棄却し、北村有紀恵の無期懲役判決が確定しました。
以上が「日野OL不倫放火殺人事件」の概要です。
北村有紀恵が「日野OL不倫放火殺人事件」を起こす原因となった原田幸広との不倫の顛末
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北村有紀恵が「日野OL不倫放火殺人事件」を起こす原因となった原田幸広との不倫の内容も、裁判などを通じて詳しく分かっているのでまとめていきます。
北村有紀恵と原田幸広は会社の後輩と上司の関係
北村有紀恵は大学卒業後の1989年に日本電気株式会社(NEC)に入社し、その職場で7歳年上の先輩だったのが不倫相手の原田幸広でした。この原田幸広は約180cmの高身長のスポーツマンで社内でも女性社員にモテる存在だったようです。また、原田幸広は北村有紀恵が入社する2年前の1987年に職場で知り合った女性と結婚しており、この時点で妻子持ちでした。
新人社員の北村有紀恵の指導にあたったのが原田幸広だった事から、2人は次第にお互いを「師匠」、「キャッシー」とニックネームで呼び合う、親密な友人関係になっていきました。
この頃から北村有紀恵は原田幸広とデートを重ねるようになっており、わざわざデートの時間を増やすために実家から職場に近い日野市へと引っ越ししています。
1991年4月、原田幸広の妻が2人目の子供を流産し、それで落ち込む原田幸広を北村有紀恵が慰めた事で2人の親密度はさらに増したようです。それでもこの頃にはまだ2人の間には肉体関係はありませんでした。
北村有紀恵の25歳の誕生日前日に不倫関係に
1991年8月6日、25歳の誕生日の前日にあたるこの日に、北村有紀恵は原田幸広と多摩川の花火大会でデートをし、その後で北村有紀恵は自宅に原田幸広を入れ肉体関係を持ちました。法的にはこの時点から不倫が始まったという事になります。なお、この日、原田幸広は北村有紀恵に誕生日プレゼントとしてCDラジカセとCDをプレゼントしたそうです。
この翌7日、北村有紀恵の25歳の誕生日には、2人は府中郷土の森のプラネタリウムデートしています。この頃には原田幸広は1週間に数度も北村有紀恵のアパートに泊まる事があったそうです。
さらに、原田幸広はこの頃から社内メールを使って、北村有紀恵に合計で116通もの愛のメールを送り続けています。北村有紀恵もこの原田幸広からのメールをわざわざプリントアウトし大切にしていたようです。
1991年10月のある日、原田幸広は北村有紀恵に「女房みたいなタイプの女と結婚するつもりはなかった」、「男で1人で子供を育てるのは無理だが、女房が交通事故で死なないかとよく思うんだ」などと、暗に妻と別れて北村有紀恵と結婚し、子供を一緒に育てたいと思っている事を匂わせるような発言をしています。この発言によって北村有紀恵は原田幸広との結婚を意識するようになったという事です。
北村有紀恵が原田幸広の子供を妊娠するも堕胎
1991年12月24日のクリスマスイブ、原田幸広は北村有紀恵のアパートを訪れ、事もなげに「来年の8月が妻の出産予定日なんだ」と、妻が第二子を妊娠中であることを北村有紀恵に伝えました。北村有紀恵はショックを受け「おめでとうございます」と返す事しかできなかったようです。
1992年4月に、北村有紀恵は原田幸広の子供を妊娠しています。しかし、原田幸広は「時期が悪い堕してくれ」と言い、北村有紀恵はそれに従って5月に中絶手術を受けています。
その後も北村有紀恵と原田幸広は不倫関係を続け一泊旅行などもしています。
1992年5月23日、会社のソフトボール大会の日、原田幸広は何食わぬ顔で、北村有紀恵に妻を紹介しています。この時妻のお腹の中には第二子となる子供がおり、すでにお腹は大きくなっていました。
北村有紀恵はこの時、「自分に中絶させておきながら、お腹の大きな妻を紹介するとは一体どういうつもりなのか」と強いショックを受けたという事です。
その翌日には、原田幸広は「奥さんを紹介したのはわざとやった事じゃないんだ」などといって謝ったそうですが、北村有紀恵の「ならすぐに奥さんと離婚してほしい」という言葉には「少し考えさせて欲しい」と言葉を濁しました。
原田幸広の妻が出産のために帰郷している最中に2人は同棲生活
1992年7月、原田幸広の妻が出産のために娘を連れて実家へと戻りました。
その間、原田幸広と北村有紀恵は北村有紀恵のアパートで1ヶ月半の同棲生活を送っています。
この頃、原田幸広は、北村有紀恵に「妻とは離婚するからもう少し待って欲しい」などと適当な事を事あるごとに言っていたようで、北村有紀恵もその言葉を真に受けて不倫関係を続けていたようです。
北村有紀恵が再び原田幸広の子供を妊娠し2度目の中絶
しかし、1993年に入っても原田幸広が妻と離婚をする気配は全く見られませんでした。そんなゲス不倫な日々が続いていた1993年3月頃、北村有紀恵は原田幸広の子供をまたしても妊娠しています。
それでも原田幸広は妻との離婚の話は一切進めずに、北村有紀恵は今度は自らの意思でお腹の子供を堕しています。
ついに不倫関係が妻にバレ修羅場に
1993年5月18日、原田幸広の妻は友人に電話をかけようと、自宅の固定電話のリダイヤルボタンを押しました。するとその電話は北村有紀恵の元へとつながり、これによって妻はついに夫が不倫をしていた事に気がつきました。
妻はすぐに原田幸広に電話してそれを問い詰めると、この男はあっさりと不倫の事実を認めています。原田幸広は帰宅すると、妻に約2年も北村有紀恵と不倫関係にある事や、2回も中絶させている事などを洗いざらい白状してしまいます。
そして、原田幸広は妻の目の前で北村有紀恵に電話をかけ、妻に関係がバレた事や、離婚の話などはこれまでに1度もしておらず、そのつもりもない事などを白状しました。
さらにその後、怒りのおさまらない原田幸広の妻は、北村有紀恵に連日電話をかけて責め立てています。自業自得としか言いようがありませんが、北村有紀恵はこの連日の妻からの電話に体調を崩し、わずか10日ほどで60キロの体重が40キロにまで激減したそうです。
そしてその電話の中で原田幸広の妻は北村有紀恵に怒りのあまり「あなたは生きた子供を2度もお腹から書き出すような人なのよ」と辛辣な言葉をぶつけました。この言葉が、北村有紀恵が「日野OL不倫放火殺人事件」を起こす直接の引き金となりました。
以上が、「日野OL不倫放火殺人事件」の原因となった北村有紀恵と原田幸広の不倫の大まかな顛末となります。
北村有紀恵の不倫相手(殺害された2児の父)の原田幸広について
北村有紀恵の不倫相手の原田幸広は、鹿児島県の農家の出身で、6人兄弟の末っ子として生まれました。地元の商業高校を卒業後に上京してNECソフトウェア(当時)に入社し、システムエンジニアとして働いていました。
年齢は北村有紀恵の7歳年上で事件当時は34歳でした。
この原田幸広ですが、「日野OL不倫放火殺人事件」後も妻との結婚生活を続け、東北南部へと移住し、その後再び2人の子供に恵まれているという事です。
北村有紀恵の生い立ち
「日野OL不倫放火殺人事件」を起こした北村有紀恵は、1966年8月7日生まれ、東京23区内の下町の出身です。両親は自宅で印刷業を経営していました。兄弟は妹が1人いる事がわかっており、一部の情報では兄もいるという事ですがこちらは確証のある情報ではありません。
北村有紀恵は子供の頃から優等生で、日本舞踊、習字、茶道、ピアノなどの習い事をするなど、かなりのお嬢様育ちだったようです。北村有紀恵は、東京赤坂の名門私立、山脇学園中学校・高等学校を経て、「東京都立大学」の理学部数学科へとストレートで進学し、卒業後に日本電気に入社しています。
北村有紀恵は、男性からモテたようですが、学生時代には恋愛経験は一切なく、原田幸広との不倫関係がほとんどはじめての男性との交際だったようです。
北村有紀恵の両親や妹は贖罪の日々を送っている
北村有紀恵は妹が1人いる事がわかっていますが、この妹の詳細な情報は不明です。
「日野OL不倫放火殺人事件」の後、北村有紀恵の両親と妹は、北村有紀恵の犯した罪の贖罪の日々を送っており、両親は原田幸広夫妻に1500万円の賠償金を既に支払っています。まだ3000万円以上の支払義務が残されているという事ですが、賠償や裁判費用などで家計が破綻している上、両親は既に高齢であり思うように支払いが進んでいないようです。
ネットの匿名掲示板などでは北村有紀恵の妹が、北村有紀恵が被害者であるかのように誘導する書き込みをしているなどのデマ情報が飛び交っていますが、この妹は両親ととも北村有紀恵の殺害した2人の子供の供養を自主的に現在まで続けており、そのような行動を取るような人物だとは思えません。
北村有紀恵の出身大学は「東京都立大学」の理学部数学科
北村有紀恵の出身大学は「東京都立大学」の理学部数学科です。
なお、この東京都立大学は2011年3月に閉学していて、その後身大学である首都大学東京が、2020年4月に東京都立大学に再び改称していますが、これは北村有紀恵が通っていた東京都立大学とは名称が同じだけで、法人格の異なる別の大学です。
北村有紀恵の現在① 無期懲役刑で服役中
北村有紀恵は現在も無期懲役刑で刑務所に服役中です。北村有紀恵が現在服役している刑務所は栃木刑務所だと言われています。
和歌山刑務所で自殺したという噂がありますが事実ではありません。
北村有紀恵は、刑務所での作業報奨金から毎年1万円ほどを原田幸広夫妻に弁護士を通じて現在も送金し続けているそうです。年1万円とは少なく感じますが、作業報奨金は月に1000円強程度しかもらえないという事で、これが現在の北村有紀恵にとって精一杯の金額のようです。
また、北村有紀恵は現在は洗礼を受けてキリスト教に入信しており、毎日自らが殺害した2人の子供に祈りを捧げているという事です。
北村有紀恵の現在② 家族らによる仮出所を目指す動きも
北村有紀恵は2001年に無期懲役が確定し、刑務所に収監されてから2021年の現在で20年目になります。そして現在、北村有紀恵の家族の間で仮出所を目指す動きも出ているという事です。
これは、北村有紀恵の両親が既に80代後半という事から、出所後に帰る家がある間に仮釈放させたいという思いからのようです。
この仮釈放を目指す動きについては、何の罪もない幼い子供2人を、不倫からの痴情のもつれという極めて自分勝手な理由で殺害したような人間が、仮釈放を望む事自体許せないといった批判的な声も多く上がっているようです。
まとめ
今回は、1993年に発生した「日野OL不倫放火殺人事件」の犯人の北村有紀恵についてまとめてみました。
北村有紀恵は、勤務先の上司だった原田幸広と不倫関係になり約2年間関係を続けた後に相手の妻にバレて破局し、その際に相手の妻から厳しい批判の言葉をかけられた事などから逆恨みし、原田幸広と妻の留守中を狙ってその自宅へと侵入し、ガソリンを撒いて放火。そこで眠っていた幼い2人の子供を焼き殺しました。
北村有紀恵は無期懲役判決を受け、現在も刑務所に服役しています。ここ数年で北村有紀恵の仮出所を目指す動きも出ているようですが、世間では身勝手な理由で何の罪もない子供2人の命を残虐非道な方法で奪ったような人間の仮出所などありえないとして批判的な声が上がっています。