実力派アイドルとして活躍していた倉田まり子さんですが、引退後の活動も話題です。
今回は倉田まり子さんの身長などプロフィール、若い頃の経歴、中江滋樹さんとの関係や投資ジャーナル事件、結婚した旦那や子供、現在をまとめました。
この記事の目次
倉田まり子は投資ジャーナル事件で引退したアイドル
倉田まり子のプロフィール
出典:https://www.amazon.co.jp/
倉田 まり子(くらた まりこ)
本名: 坪田まり子
生年月日: 1960年11月20日
出身地: 長崎県
倉田まり子さんは、1979年から1985年までアイドル歌手として活動していました。
大きな瞳と抜群のプロポーションが特徴的で、さらにその高い歌唱力から、他のアイドル歌手と一線を画した存在で、将来を嘱望されていました。
しかし、ある事件により芸能界を引退しました。
事件の真相や、その後の様子については後の章で紹介します。
倉田まりこの身長や体重
データ自体が残っていなかった
出典:https://school.gifu-net.ed.jp/
倉田まり子さんはプロポーション抜群だと言われていますが、身長や体重の情報は残っていません。
現在であれば、芸能人のスリーサイズは所属事務所が公開しているのが一般的です。
ですが、倉田まり子さんが芸能界で活動していた1979年頃はインターネットも普及しておらず、記録が残っていないアイドルが多いんです。
残っている倉田まり子さんの若い頃の画像や映像を見る限り、手足の長さが際立ち、日本人離れしているのが分かります。
ボディラインを強調したタイプのステージ衣装や、水着の写真からも、体のバランスが良く、身長も日本人女性の平均以上だと思われます。
倉田まり子の若い頃① スカウトでデビューし、レッツゴーヤングで注目
出典:https://idol.ne.jp/
ここでは、倉田まり子さんがアイドル歌手としてデビューしたきっかけや、売れっ子になるまでの経緯を紹介します。
地元の歌合戦でスカウトされる
出典:https://narrow.jp/
倉田まり子さんは、長崎県諫早市で誕生し、中学生まではずっと地元で育ちました。
1974年の14歳の時、TBSで放送されていた「家族そろって歌合戦」の収録が長崎県島原市であり、興味本位で出場したところスカウトマンの目に留まったのです。
スカウトを受けて芸能界に進むことを決意した倉田まり子さんは、中学校を卒業すると単身上京。通っていた高校は、私立の日出学園高校(現在は目黒日本大学高等学校)です。
芸能コースも設けられており、これまでに山口百恵さんや仲間由紀恵さん、新垣結衣さんなど有名人を輩出してきた学校として知られています。
レッツゴーヤングの準レギュラー
出典:https://middle-edge.jp/
芸能界デビューしてしばらくは、これといった目立つ仕事がないまま18歳の春を迎えた倉田まり子さんでしたが、NHKの人気音楽番組「レッツゴーヤング」に出演し、一躍人気を獲得。
レッツゴーヤングは、その名の通り若年層をターゲットにしていて、毎週人気歌手が登場し、発売中のシングルはもちろん、アルバムまで披露するなど、当時としては斬新な音楽番組でした。
1978年に、太川陽介さんや川崎真央さん、香坂みゆきさん、倉田まり子さんなど準レギュラー枠が作られます。
準レギュラーメンバーの新曲を披露するコーナーも設けられていたので、ネクストブレイクという立ち位置だったのかもしれません。
また、歌を披露しなくても、トークコーナーで話す機会もあったようです。
倉田まり子の若い頃② 各種新人賞を総なめ
出典:https://www.jiji.com/
レッツゴーヤングに出演し、少しずつ名前が知られるようになった倉田まり子さんは、1979年に歌手デビューし、その年のレコード大賞など様々な賞を受賞しました。
リリースしたシングルや売上枚数など、歌手活動を紹介します。
ポッキーのCMに起用された
出典:https://www.amazon.co.jp/
レコードデビューしたのは1979年1月のこと。キングレコードから「グラジュエイション」をリリースしました。
5月に2枚目のシングル「いつかあなたの歌が」をリリース。ここまでは、さほどセールスも上がりませんでした。
3曲目のシングル「HOW! ワンダフル」が、江崎グリコ社の人気のお菓子「ポッキー」のCMソングに起用されたことでヒットに。
この年の「第21回日本レコード大賞」で新人賞、「第10回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞」、「第9回FNS歌謡祭」の最優秀新人賞など、1979年の新人賞を総なめにしています。
同期デビューのアイドル歌手である井上望さんや能勢慶子さんとは、比較されることが多かったようです。
倉田まり子の若い頃③ 歌手以外の活動も
出典:https://www.zakzak.co.jp/
ここでは、倉田まり子さんのアイドル歌手以外の顔も紹介します。
ナインの声優として
出典:https://www.amazon.co.jp/
倉田まり子さんは、声優としても活動していました。代表的な作品は、あだち充さん原作の「ナイン」です。
この作品は、名門進学高校の野球部の部員・新見克也と、美人女子マネージャーの中尾百合を主軸とした青春ストーリー。
倉田まり子さんはヒロイン中尾百合の声を担当しました。
また、番組オープニングテーマ「LOVE・イノセント」、挿入歌「つるの思い」、「悲しみにサヨナラ」、エンディングテーマ「真夏のランナー」も歌っています。
女優として
出典:https://www.snowrecords.jp/
倉田まり子さんは、1981年4月から7月まで放送されたフジテレビの連続ドラマ「気になる天使たち」でヒロインに抜擢されました。
この作品は、名高達郎さんが演じる新米教師・太平の赴任先である高校を舞台にした学園ドラマです。倉田まり子さんは、太平が受け持つクラスの中心的な生徒として登場。
その他には、TBSで放送された「ちょっといい姉妹」で桃役を、「Gメン’82」では中里ユキ役など、数々の人気作品に出演する売れっ子ぶりでした。
また、名俳優の藤岡琢也さんと父親・娘という設定で共演した「サッポロ一番」のCMでは、可愛らしい倉田まり子さんの様子がお茶の間で人気になりました。
倉田まり子が芸能界を引退した理由① 投資ジャーナル事件に巻き込まれる
出典:https://www.tv-ranking.com/
人気ドラマやCMに出演し、その可愛らしいルックスと歌唱力で安定した人気を保っていた倉田まり子さんでしたが、1985年に突如芸能界を引退しています。
この年に起きた、中江滋樹さんの投資ジャーナル事件に巻き込まれ、引退を余儀なくされたのです。
ここでは、中江滋樹さんがどのような人物なのか、そして事件詳細について見ていきましょう。
中江滋樹のプロフィール
出典:https://www3.nhk.or.jp/
中江 滋樹(なかえ しげき)
生年月日: 1954年1月31日
出身地: 滋賀県近江八幡市
職業: 元証券ジャーナリスト、投資家
中江滋樹さんは、「兜町の風雲児」と呼ばれた相場師であり、一代で投資家として巨額の富を築き、証券ジャーナルを設立します。
父親が証券会社の社員だったこともあり、小学生から株を始め、高校生になった頃には一端の投資家を飛び越えて、投資顧問会社の会員だったという異色の経歴の持ち主です。
10代で信用取引も成功させ、教師にお勧めの株の銘柄を指南するなど頭角を現していたそう。
その後、20代で投資家として成功し、会社の起業や本の出版、テレビなどのメディアに出演して次第に経済界や政治家から注目されるようになります。
しかし、中江滋樹さんは「投資ジャーナル事件」により転落人生を送り、巻き込まれる形で倉田まり子さんの人生も大きく変えていくことになるのです。
投資ジャーナル事件とは?
出典:http://www.am-one.co.jp/
「投資ジャーナル事件」は、中江滋樹さんが「資金を10倍にして返すから」と周囲に持ち掛けて、全国の投資家から584億円の資金を集めたことから始まりました。
集まった資金を元手に、政治家などの大物人物とパーティーを開くことで信用を得て、さらに投資家たちから資金が集まるという仕組みで資金を増やしていきました。
実際に投資をして、その利益を投資家たちに分配すれば何の問題もありませんが、いつしか資金を返し切れなくなり、1985年に詐欺容疑で逮捕・懲役6年の実刑判決を受けました。
逮捕のきっかけは、1984年11月に週刊誌「FRIDAY」が、倉田まり子さんと中江滋樹さんの不倫関係をスクープしたことでした。
清純派で売っていたアイドルが不倫だけでも大問題ですが、相手の男性が犯罪絡みのいわくつきの人物ということで、芸能界は上を下への大騒ぎになったのです。
倉田まり子が芸能界を引退した理由② 愛人説を否定するもイメージが回復しなかった
記者会見で愛人説を否定
出典:https://dime.jp/
不倫を報じた記事には、中江滋樹さんが倉田まり子さんの肩を抱いている親し気なツーショット写真が掲載されたため、不倫は確実として世の中から白い目で見られた倉田まり子さん。
記者会見を開いて不倫をハッキリと否定したものの、倉田まり子さんへのイメージは回復することはありませんでした。
7000万円の自宅は手放している
運が悪いことに、「FRIDAY」が不倫報道をする3か月前の1984年8月、倉田まり子さんは7000万円で新居を購入していました。
この事実に、世間から、愛人として家をプレゼントされたのでは?とさらに2人の仲が勘繰られることに。
のちに愛人ではなかったことが判明したものの、芸能界に嫌気がさした倉田まり子さんは、これまでの実績を全て捨てて芸能界を引退、この新居も5000万円で売却しています。
倉田まり子が芸能界を引退した理由③ 中江滋樹との本当の関係とは?
出典:https://kimagure-diary.com/
週刊誌の不倫報道に続き、1985年に不倫相手とされた中江滋樹さんが逮捕されるというセンセーショナルな騒動を受けて、引退にまで追い込まれた倉田まり子さん。
後年、出所した中江滋樹さんは、「FRIDAY」の取材で2人の出会いを語っています。
「パルム」という雑誌を創刊する起業家に対し、中江滋樹さんが「倉田まり子さんと対談をした上で、彼女を表紙にしてくれるなら5000万円出してやるよ」と持ち掛けたそうです。
中江滋樹さんは、以前から倉田まり子さんの大ファンだったと言います。
また、2人の不倫を疑われた写真については、中江滋樹さんは以下のように謝罪しています。
赤坂の料亭で撮影して、ネガは会社の金庫に保管してあったはずなんだけど、海外逃亡中に誰かが持ち出したんでしょう。
実際には愛人でもないのに、倉田まり子さんには申し訳ないことをした。
引用:有名相場師の哀れな最期 – FRIDAY DEGITAL https://friday.kodansha.co.jp
つまり、倉田まり子さんは愛人でも何でもなく、本当に事件に巻き込まれただけの気の毒な被害者だったんですね。
倉田まり子の引退後
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
ここからは、芸能界を引退後の倉田まり子さんについて紹介します。
意外なことに、倉田まり子さんは経営者として大成功を収めていたのです。
キャリアカウンセラーに転身
出典:https://careergarden.jp/
芸能界を引退した倉田まり子さんは、本名である「坪田まり子」として一般人になりました。
国際法律事務所の秘書を経て、資格試験の予備校で講師や執行役員に就任。その後の2003年に、キャリアカウンセラーとして起業し独立しています。
大学や企業、自治体を顧客にしたプレゼンテーション能力向上や、営業に対する研修ビジネスを手掛け、首都圏から地方都市まで全国を飛び回っているようです。
失意の中で芸能界を引退したとは思えぬ、人生逆転劇を見せていますね。
倉田まり子は結婚した旦那と子供
出典:https://www.discogs.com/
起業家として社会的な成功を収めている倉田まり子さんですが、気になるのは結婚ですよね。
ここからは、旦那や子供について調査しました。
36歳で結婚
出典:https://toyokeizai.net/
倉田まり子さんが結婚をしたのは1996年のこと。当時の年齢は36歳です。
旦那は一般人で、具体的な氏名や生年月日、顔写真などは判明していませんが、1歳年下で会社員のようです。
既に離婚しているという噂もありますが、倉田まり子さんのオフィシャルサイトにはプライベートについて一切記述がなく、離婚の確証が取れていません。
子供は娘が1人いる
結婚した翌年に娘が1人誕生しています。それ以降、子供を出産したという情報はないため、娘は1人っ子の可能性があります。
娘は一般人で、2021年現在は24歳になっていますが、氏名や生年月日、画像などは公開されていません。
倉田まり子の現在
出典:https://middle-edge.jp/
現在の倉田まり子
2021年11月現在、倉田まり子さんの年齢は61歳です。現在は、どのように過ごしているのでしょうか。
調べたところ、更なるキャリアアップを成し遂げていました。
大学の特命教授に就任
倉田まり子さんは、坪田まり子として変わらず成長を続けています。
2008年に東京学芸大学特命准教授に任命され、非常勤の教授として活躍中です。
2015年からは特命教授へと肩書が変わり、学生のキャリア支援を担っています。
コロナ禍における就活本も出版
出典:https://mobile.twitter.com/
本業であるキャリアカウンセラーとしての活動は、倉田まり子さんの公式サイトに掲載されています。
大学生の就職活動の支援として『Web面接完全突破法』、『速習のインターン面接2021』など、現在のコロナ禍にいち早く対応した本も出版。
AmazonなどのECサイトで購入が可能で、かなり高評価のレビューが並んでいます。
ニューノーマルが求められる新時代に、柔軟に対応していることが伝わってきますね。
まとめ
出典:https://item.fril.jp/
倉田まり子さんは、1979年から1985年まで活動していたアイドル歌手です。プロポーションの良さと、高い歌唱力が評価されていました。
デビュー後の3枚目のシングル「HOW! ワンダフル」がポッキーのCMに起用されたことで、1979年の新人賞を総なめに。
将来が楽しみなネクストブレイク枠として、CMやドラマ、声優としても幅広く活躍していましたが、1984年に「FRIDAY」が不倫を報道しました。
その後、不倫相手とされた中江滋樹さんが投資ジャーナル事件の主犯として逮捕されたことでも、渦中の人となっています。
倉田まり子さん本人は関わりを否定するも、悪いイメージが付いてしまい、引退へと追い込まれてしまったのです。
しかし逆境にめげなかった倉田まり子さんは、引退後に起業し、キャリアカウンセラーとして会社や学校、自治体に向けて研修や講習会を開いています。
プライベートでは、1996年に一般人の会社員男性と結婚し、翌年には女児を出産。現在は離婚していると噂もあります。
現在は、東京学芸大学で特命教授という肩書を持ち、本を出版するなど、精力的に活動しています。
これからも、倉田まり子さん改め、坪田まり子さんの動向に注目していきましょう。