文化に興味はない、興味があるのは日本の女性だけ…なんて言ってのける“ちょいワルおやじ”の代表的存在のジローラモさん。
今回はジローラモさんの年齢や若い頃の経歴、名言、年収や愛車遍歴、結婚した嫁や子供をまとめました。
この記事の目次
ジローラモの年齢などプロフィール
プロフィール
・名前: ジローラモ
・フルネーム: パンツェッタ・ジローラモ
・愛称: ジローさん
・生年月日: 1962年9月6日
・年齢: 2020年に58歳
・出身地: イタリア・ヴィッラノーヴァ・デル・バッティスタ
・身長: 176 cm
・血液型: O型
・学歴:
・ ナポリ建築大学中退
・ 明海大学経済学部卒業
・来日: 1988年
・職業: 元ファッションモデル、タレント、随筆家、元東京純心女子大学講師
・所属事務所: ホリプロ
ジローラモの若い頃の経歴
南イタリア・カンパニア州アヴェッリーノ郊外の山岳地帯に生まれたジローラモさんは、16歳の時に地元の強豪サッカークラブに所属していましたが、怪我で選手生命を断たれたそうです。
ただ、「選手生命を断たれた」なんて大げさに書いてみましたが、ジローラモさん自身はそれほどサッカーに真剣ではなかったようです。
出典:https://www.youtube.com/
イタリアはサッカーが盛んな国ですから、だんだんストリートからクラブチームのジュニアユースなんかに皆で進むようになって、ぼくもナポリというチームのジュニアユースに進みました。だけど、当時のぼくはプロのサッカー選手になるつもりはなくて、あくまで遊びの延長。当時、一番興味があったのは女の子のキモチかな。
引用:タレント/実業家 パンツェッタ・ジローラモ | 仕事を楽しむためのWebマガジン、B-plus(ビープラス) http://www.business-plus.net/
その後、ナポリ建築大学へ進んだジローラモさんですが、兄の友人が日本へ行くことになり、「一緒に行かない?」と誘われたことがきっかけで、日本へ行くことになったそうです。
そして、日本からイタリアへ帰る飛行機の中で、ジローラモさんの隣の席に座ったのが…後に嫁となる喜久子さんでした。その話は後ほど詳しく!
当時22歳だったジローラモさんがこちら。
出典:https://www.youtube.com/
その4年後、2人はナポリ市役所で入籍。
そして、ジローラモさんは大学を中退し、建築家になる将来を捨て、日本で何をしようか?なんて考えることもなく、ただただ愛する嫁にくっついて日本へやってきたそうです。
そんなジローラモさんに転機が訪れたのは、1990年のことでした。
友達に誘われるまま受けたNHK「イタリア語会話」のオーディションに、見事合格してしまうんですよね。
出典:https://www.youtube.com/
伊達男のジローラモさんは、日本人にウケる“典型的な軟派系イタリア人”として、瞬く間に人気者になっていきました。
その後、ホリプロ所属となり、女性誌のモデルなどを務めるかたわら、シックジャパンのCMに起用されたジローラモさん。
これがきっかけで、「笑っていいとも」の“いいともちょいワルおやじコンテスト”のコーナーに出演して、一躍知名度がアップ!
いつしか「日本で一番有名なイタリア人」となりました。
その後は、男性ファッション誌「LEON」のモデルや、かつてサッカー選手だった経験から、セリエAのコメンテーターを務めるなど、幅広い活躍を見せました。
出典:https://www.oricon.co.jp/
そんなジローラモさんは、2006年にはイタリアから騎士の称号「カバリエレ~イタリア連帯の星勲章」を贈られています。
さらに2014年3月には、「連続して最も多くファッション誌の表紙を飾った男性モデル」というギネス記録が認定されています。
ジローラモのイタリア流名言まとめ
外国人タレントとして、幅広いジャンルで活躍しているジローラモさんは、自身の著書や出演した番組の中などで多くの名言を残しています。
そんな数あるジローラモさんのイタリア流の名言の中でも、特に人気の高いものがこちら。
「チャンス行きの列車に飛び乗れ」
イタリアには「Il treno passa per tutti. (チャンス行きの電車は必ずみんなの前を通る。)」ということわざがあるそうです。
出典:https://saract.com/
みんな必ずチャンスがあるものの、ジローラモさん曰く、運命は電車と同じで、決して待っていてくれない。タイミングよく乗らないと乗り遅れてしまう…。
そして、タイミングよく乗るためには、電車(チャンス)が来る前に、心のスタンバイをしておかなければ、チャンスを掴むことはできない…。
ジローラモさんはこれまでも、そしてこれからもこの名言に従っていくと、「アナザースカイ」で語っていました。
突然目の前に現れた、チャンス行きの列車。
躊躇なく飛び乗り、海を渡った。
26年たった今なお、次なる列車を待ち、心の準備を怠らない。
今度は、どんな偶然に出会えるだろう。
人生楽しくなるのは、まだまだこれからだ。
引用:「アナザースカイに学ぶ、自分の人生の歩き方~パンツェッタ・ジローラモ編~」 https://corp-tomoshibi.com/
出典:http://www.ntv.co.jp/
その他の名言もいくつか拾ってみると…
「もし今、あなたが好きなことや趣味があるなら、今よりももっと自由に考えてもっと自由に動いたらいいと思う。
それはとくに意味のあることでなくても構わない。人に発表しなくても構わない。大切なのは、自分が楽しいと思えたり心が動かされたりするという事だ」
「もしも現状を変えたいと思うなら、まずは明日の朝ひとつだけ今朝と違う行動をしてみることがおすすめ。」
「マナーはルールではないけれど、守ったほうがカッコいいことは多くある。」
「イタリアでは笑顔で仕事するのが普通。”良い気分で仕事をしたほうが、よい仕事ができる”というのがイタリア人の考え方だ。」
出典:https://girlschannel.net/
ジローラモの年収は1億円超え
外国人タレントとして多方面で活躍しているジローラモさんですが、かつてテレビに出演した際に、年収は1億円を超えていると明かしたことがありました。
出典:https://news.livedoor.com/
現在の年収は明らかになっていませんが、タレントとしてだけではなく、執筆した著書による印税や実業家としても活躍していることから、現在も相当な年収を稼いでいると言われています。
「安堵」を意味する隠れ家的レストラン「あんど」も経営しているジローラモ
ジローラモさんは、六本木ヒルズ近くや西麻布に展開している隠れ家的レストラン「あんど」も経営しています。
出典:https://tblg.k-img.com/
「安堵」を意味する店名の通り、とても落ち着いた雰囲気が人気で、「水炊き」や「もつ鍋」などの博多料理がメインの人気店なのだとか。
ジローラモの愛車遍歴がスゴすぎると話題に
大の車好きとして知られるジローラモさん。
これまでフィアットやアルファロメオ、マセラティ、ランボルギーニといったイタリア車はもちろん、フランスやドイツ、日本車まで様々な車に乗り換えてきたことでも話題になっています。
出典:https://response.jp/
そこでここでは、ジローラモさんがこれまで乗り換えてきた愛車遍歴について、購入年と購入当時のジローラモさんの年齢について、時系列に沿ってまとめてみました。
メーカーはもちろん、車種もコンパクトカーから、ワンボックスカー、ピックアップトラックにスポーツカー、さらにはクラシックカーまで…まさに多種多様な車を乗り継いできたようです。
ジローラモの嫁・パンツェッタ貴久子や子供について
ジローラモさんは1988年に現在の嫁、パンツェッタ貴久子さんと結婚しました。
まずは、ジローラモさんの嫁・パンツェッタ貴久子さんのプロフィールから見ていくことにしましょう。
ジローラモの嫁・パンツェッタ貴久子さんのプロフィール
プロフィール
・本名: パンツェッタ 貴久子
・旧姓: 時谷澤
・生年月日: 1960年7月24日
・出身地: 日本東京都
・学歴:
・ 多摩美術大学日本画科
・ 国立カポディモンテ磁器学校
・職業: 料理研究家
・結婚: 1988年 –
ジローラモさんの嫁・パンツェッタ貴久子さんは、ジローラモさんより2歳年上の姉さん女房で、東京生まれの料理研究家です。
もともとは多摩美術大学で日本画を学んでいた貴久子さんが、なぜ料理の道に進んだのかというと…
「ジローラモさんに日本にいても故郷と同じ味を食べさせてあげたい」
そんな思いから、イタリア料理を研究したことが始まりだったそうです。
出典:http://www.zakzak.co.jp/
それが現在では、イタリア料理教室「ラ・ターヴォラ・ディ・タータ」を経営しながら、イタリア料理店「コチネッラ」のオーナーとして活躍。
さらに、ジローラモさんとの共著やレシピ本などの出版も手掛けています。
ジローラモと嫁・貴久子さんの馴れ初めは?
そんな貴久子さんとジローラモさんとの出会いは、結婚する2年前の1986年のことでした。
貴久子さんがイタリアへ語学留学に向かう、その飛行機の中で隣り合ったことがきっかけだったそうです。
もともとジローラモさんには…
「飛行機は出会いの場。隣の席に座る女性はすべて自分のものだと思え」
出典:https://www.instagram.com/
と言う、いかにも“イタリア男”らしいポリシーを持っていたそうで、たちまち仲良しになった2人は、ローマで飛行機を降りて別れた後、ジローラモさんの故郷ナポリで再会したのだとか
。ただ、その時にはただの仲の良い友人の1人って感じだったそうです。
彼女と飛行機のなかで出会い、たまたま彼女がボクの住むナポリへも、観光で行く予定だったから、ナポリでもう1度会いました。そのときは何も関係はなく、ただ仲の良い友人として、たまに電話したりする感じでした。その1年後くらいに、付き合いはじめました。だから、最初は全然そんなつもりじゃなかった。
引用:奥さんとの馴れ初めはイタリア行きの飛行機で https://news.1242.com/
しかし、次第に惹かれ合っていった2人は、やがてイタリアで家族ぐるみの交際を続け、1988年にナポリ市役所で入籍だけを済ませて帰国。結婚式は日本で挙げたそうです。
遠いイタリアの地で盛り上がった末に結婚までしてしまった2人ですが、夫婦の間に子供はできなかったようです。
2人だけの愛の日々を大切にするために、あえて作らなかったのかも知れませんね。
出典:https://twitter.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
“ちょいワルおやじ”という言葉を世に知らしめ、現在もその代表的存在であるジローラモさん。
若い頃の経歴や話題になった名言、年収や驚きの愛車遍歴、そして結婚した嫁や子供などプライベートな部分についてもまとめてみました。
ただ、すでに30年以上も日本で暮らしているジローラモさんですが、日本文化には全く興味がなく、“興味があるのは女性だけ”と豪語する始末。
出典:https://amanoshokudo.jp/
以前、テレビ番組の中で日本に来た理由を聞かれたジローラモさん、次のように即答しスタジオを沸かせていました。
「日本の女を泣かせに。」
さすが、元祖“ちょいワルおやじ”の真骨頂って感じですね。
今後のジローラモさんの活躍にも注目です。