扇千景さんは役者・政治家として活躍しましたが、2023年に亡くなりました。
今回は扇千景さんの家族(父親)と家系図、結婚した旦那と息子、若い頃の経歴、自宅、死因や義妹・中村玉緒さんとの確執の噂と真相もまとめてみました。
この記事の目次
- 扇千景のプロフィール:元宝塚歌劇団の役者で、政治家としても大活躍
- 扇千景の家族:父親は銀行員で、宝塚歌劇団入りを反対していた
- 扇千景が結婚した旦那は歌舞伎役者・4代目坂田藤十郎
- 扇千景の旦那・4代目坂田藤十郎のプロフィール
- 扇千景と旦那・4代目坂田藤十郎の結婚生活エピソード
- 扇千景の子供:息子は2人でどちらも歌舞伎役者に
- 扇千景の息子① 4代目中村鴈治郎のプロフィール
- 扇千景の息子② 3代目中村扇雀のプロフィール
- 扇千景の親族:義妹は中村玉緒・家系図が豪華すぎる家系図
- 扇千景の若い頃の経歴① 宝塚歌劇団で活躍したのち、結婚で退団
- 扇千景の若い頃の経歴② ドラマ・映画に多数出演
- 扇千景の若い頃の経歴③ 政治家としての活動をスタート
- 扇千景の若い頃の経歴④ 政治家として女性初の内閣入閣・建設大臣として活躍
- 扇千景の若い頃の経歴⑤ 国土交通大臣・参議院議長も歴任
- 扇千景は政界を引退後、旦那と平穏な毎日を送っていた
- 扇千景の自宅:渋谷の高級住宅街にあるとの噂
- 扇千景は2023年に逝去・死因は食道胃接合部がんだった
- 扇千景の葬儀は皇族や歴代首相の姿も
- 扇千景の現在:義妹・中村玉緒との確執が話題に?
- まとめ
扇千景のプロフィール:元宝塚歌劇団の役者で、政治家としても大活躍
生年月日:1933年5月10日
出身地:兵庫県
所属事務所:不明
扇千景さんの本名は「林寛子」で、役者・政治家として活躍した人物です。
宝塚歌劇団で娘役として活動していた経歴を持ち、政治家としては国土交通大臣・運輸大臣・建設大臣なども経験。
また、プライベートでは4代目坂田藤十郎さんと結婚し、長男・4代目中村鴈治郎さんと次男・3代目中村扇雀さんを出産。
義理の妹が役者・中村玉緒さんであることでも知られています。
扇千景の家族:父親は銀行員で、宝塚歌劇団入りを反対していた
扇千景さんの父親は銀行員だったそう。
扇千景さんは大学進学を望んでいましたが、父親に反対されて大学進学をあきらめます。
ちょうどその頃、友人が勝手に宝塚音楽学校へ扇千景さんの願書を送付したところ、そのまま合格。
扇千景さんは、父親への反発心から宝塚音楽学校への入学を決意したといいます。
扇千景が結婚した旦那は歌舞伎役者・4代目坂田藤十郎
扇千景さんは、1958年に歌舞伎役者・4代目坂田藤十郎さんと結婚。
2人の馴れ初めについてはあまり語られていないようですが、旦那である4代目坂田藤十郎さんは「できちゃった結婚」であると明かしていたそうです。
できちゃった婚の走り、ですかな。獅童の大先輩ですね(笑)。(数年前、写真週刊誌に「フライデーされた」ことに触れると)あんなこと、別にいいんですよ。私は平気だったし、そういうことを、いちいち説明したりはしません。(笑)まあ、あれだけの激務のなか、よくやってくれていますよ。今回の襲名披露公演でも、国会が始まる前は、毎日必ず楽屋に顔を出して、知っているお客様にはちゃんと挨拶していました。
扇千景の旦那・4代目坂田藤十郎のプロフィール
生年月日:1931年12月31日
出身地:京都府
職業:歌舞伎役者
所属事務所:不明
4代目坂田藤十郎さんは歌舞伎役者で、現代歌舞伎の大看板のひとり。さらには、重要無形文化財保持者でもあります。
また、「雁音歌扇」名義で日本舞踊雁音流の家元としても活躍。劇団「近松座」も立ち上げました。
4代目坂田藤十郎さんは、1941年に各座「山姥」で初舞台を踏み、「2代目中村扇雀」を襲名。
その後、1953年に250年ぶりの復活上演を果たした「曽根崎心中」で演じたお初が当たり役となり、大ブレイクを果たします。
その後、宝塚映画製作所の専属役者へと転向し、東宝へ移籍したのちに扇千景さんと結婚。
1963年に入ると、古巣である松竹へと復帰し、歌舞伎役者として再始動します。
- また、1981年に劇団「近松座」を結成。
- 1994年にいわゆる“人間国宝”である「重要無形文化財保持者」に認定され、海外でも自身の代表作でもある「曾根崎心中」を多数上演していました。
なお、4代目坂田藤十郎さんはインタビューで、海外での「曾根崎心中」の反応について、以下のように語っています。
『曽根崎心中』は、海外でもよく演じますが、男女の仲というものは古今東西を問わず、普遍的なものなのでしょうね、韓国でもロシアでも、拍手が起こるのはいつも同じ場面なんです。幕が下りると、必ずスタンディング・オベーション。そういった意味で、古いものをお見せするというより、21世紀のお客様に「今」を感じていただく舞台でありたいと思っています。
2012年には「日本俳優協会会長」「伝統歌舞伎保存会会長」、2019年に「伝統歌舞伎保存会名誉会長」に就任。
その後、2020年に逝去しており、死因は老衰とのこと。享年88歳でした。
扇千景と旦那・4代目坂田藤十郎の結婚生活エピソード
出典:https://mainichi.jp/
4代目坂田藤十郎さんはかなりのプレイボーイだったようで、扇千景さんと結婚する前には京都の芸妓と恋仲にあったそう。
さらに、新婚旅行中には酒に酔った勢いで、過去の女性遍歴を新妻である扇千景さんにベラベラと語り尽くしたとも言われています。
なお、婚約会見では4代目坂田藤十郎さんの当初の印象について、扇千景さんは以下のように語りました。
派手な女性関係の藤十郎さんとの婚約発表会見(1958年)では「歌舞伎の女形にしては随分いたずらな人だなあと、はじめは思ったんですが、交際しているうちに男性的で親切な人だと感じるようになった」とチクリ。銀行マンの家庭で厳格に育てられながらも、結婚当初から抜群の器量と度胸を見せた。
そんな4代目坂田藤十郎さんは、1955年以降に度々浮気騒動が報じられるように。離婚はしなかったものの、その夫婦関係は周囲から度々心配されていたようです。
しかし、当の扇千景さんは4代目坂田藤十郎さんの女遊びをものともしなかったと言われています。
特に有名なのが、2002年頃に報じられた4代目坂田藤十郎さんと舞妓との浮気騒動の際の扇千景さんのコメントです。
藤十郎さんは美人舞妓と京都で連日のように逢瀬を重ねていた。藤十郎さんは本誌直撃に、 「一生青春、70歳なのにこんなふうに報じられてうれしい。世の男性も頑張ってほしいですね」 と答えると、当時、国土交通大臣だった扇さんも本誌直撃に、 「全然、気にしてないわ。(男は)モテたほうがいい」 と応じたのだ。
また、2018年に受けたインタビューでは、旦那・4代目坂田藤十郎さんとの関係性について以下のように語っていました。
〈以前に『徹子の部屋』(テレビ朝日系トーク番組)で、もう一度結婚するなら、主人を選ぶかどうか聞かれたんです。主人は女性との噂も多かったですし、そのときは『嫌です』って答えました。でも、病気のときにとても親切にしてくれたので、昨年3月、夫婦で出演したときには黒柳徹子さんに『宗旨変えしました』って言いましたよ〉(THE SANKEI NEWS2018.1.2)
扇千景の子供:息子は2人でどちらも歌舞伎役者に
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扇千景さんには2人の子供がおり、いずれも息子で歌舞伎役者となっています。
長男は4代目中村鴈治郎さん、次男は3代目中村扇雀さんで、今も現役で活躍中です。
扇千景の息子① 4代目中村鴈治郎のプロフィール
生年月日:1959年2月6日
出身地:京都府
職業:歌舞伎役者
所属事務所:不明
4代目中村鴈治郎さんは歌舞伎役者で、歌舞伎跡「中村鴈治郎」の当代でもあります。
4代目中村鴈治郎さんは小学校3年生の時に、「中村智太郎」名義で1967年に歌舞伎公演「紅梅曾我」に出演。初舞台を踏んでいます。
- 1983年には父親と同じ「重要無形文化財」に認定。
プライベートでは幼稚舎から慶応義塾に通学し、最終学歴は慶應義塾大学の法学部を卒業しました。
1988年に日本舞踊吾妻流六代目家元・2代目吾妻徳穂さんと結婚し、1990年には長男・壱太郎(歌舞伎役者の中村壱太郎さん)が誕生。
その後、1995年に「5代目中村翫雀」、2015年に「4代目中村鴈治郎」を襲名しています。
また、2019年には紫綬褒章を受賞。
映像作品にはほとんど出演していませんが、2020年に放送された朝の連続テレビ小説「おちょやん」では大山鶴蔵役を演じています。
扇千景の息子② 3代目中村扇雀のプロフィール
生年月日:1959年2月6日
出身地:京都府
職業:歌舞伎役者
所属事務所:不明
3代目中村扇雀さんは歌舞伎役者で、役者でもあります。
小学校2年生であった1967年に、歌舞伎座公演「紅梅曽我」で初舞台を踏みました。
また、1969年に放送された大河ドラマ「天と地と」では、上杉謙信の幼少期である虎千代役を演じています。
プライベートでは、兄と同じく幼稚舎から慶應義塾へ通学し、慶應義塾大学の法学部政治学科を卒業しました。
1995年にかつて父親・4代目坂田藤十郎さんも名乗っていた「3代目中村扇雀」を襲名。
女形として活躍していましたが、その姿が母親・扇千景さんにそっくりだと度々話題になっていました。
そして、2018年に4代目坂田藤十郎さんより、日本舞踊雁音流2代目家元の「雁音歌扇」を継承しています。
扇千景の親族:義妹は中村玉緒・家系図が豪華すぎる家系図
扇千景さんの旦那・4代目坂田藤十郎さんの妹は、役者の中村玉緒さんです。
また、その中村玉緒さんの旦那が役者・勝新太郎さんということもあり、家系図が豪華すぎると度々話題になっています。
中村玉緒のプロフィール
生年月日:1939年7月12日
出身地:京都府
職業:役者・タレント
所属事務所:長良プロダクション
中村玉緒さんは役者・タレントで、父親が歌舞伎役者・2代目中村鴈治郎さん、旦那が役者の勝新太郎さん、兄が歌舞伎役者の4代目坂田藤十郎さんであることでも知られています。
1953年公開の映画「景子と雪江」でスクリーンデビューを果たし、翌年の1954年に映画制作会社「大映」へと入社。
主役には恵まれなかったものの、1960年代頃までは”純情な娘役“などを中心に脇役として活躍しました。
その後、活躍の場をドラマへと移し、1976年に東海テレビで放送されたドラマ「あかんたれ」や、1978年放送のフジテレビのドラマ「白い巨塔」などに出演。
タレントとしては、1994年に出演した毎日放送のバラエティ番組「明石家多国籍軍」に出演したことをきっかけに、天然ボケキャラが大きな話題を呼びブレイク。
同番組の司会を務めていたタレント・明石家さんまさんの番組を中心に、数多くのバラエティ番組に出演するようになり、役者としてもドラマ・舞台で主演を務めるように。
また、その人気は凄まじく、たまごっちシリーズとして「玉緒っち」が発売されたほか、パチンコ「CR玉緒でドッカン!!」も発表されています。
プライベートでは、1962年に役者の勝新太郎さんと結婚。その後、1男1女を出産しています。
現在も現役で活躍する一方、2021年にはInstagram・YouTubeでアカウントならびにチャンネルを開設するなど多方面で活躍中です。
扇千景の若い頃の経歴① 宝塚歌劇団で活躍したのち、結婚で退団
扇千景さんは宝塚音楽学校を卒業後、1954年に宝塚歌劇団へと入団。扇千景さんは41期生にあたり、同期には内重のぼるさんや武蔵野裕美さんがいます。
そして、星組公演「春の踊り」で初舞台を踏み、その後花組に配属。
特定の組に所属しない”映画専科”へと異動すると、宝塚映画「快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻」でスクリーンデビューを果します。
以降は活躍の場をドラマ・映画へと移し、1956年に公開された「夜霧の女」ではヒロイン役を務め、新人演劇賞を受賞。
しかしその後、歌舞伎役者の4代目坂田藤十郎(当時の2代目中村扇雀)との結婚を機に、宝塚歌劇団を退団しました。
扇千景の若い頃の経歴② ドラマ・映画に多数出演
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結婚後しばらくの間、表舞台から遠ざかっていた扇千景さんでしたが、1959年にテレビ朝日系列のドラマ「君はいま何を見つめている」に出演したことを機に、芸能界へと本格的に復帰。
同作では、第14回文部省芸術祭で個人奨励賞も受賞しています。
以降も、1965年放送の朝の連続テレビ小説「たまゆら」や、1968年放送の関西テレビ制作の時代劇「大奥」などの作品に出演しました。
また、1973年からはフジテレビ系列のワイドショー「3時のあなた」で司会も担当。
「わたしにも写せます」のフレーズで大人気となった、富士フイルムのフィルムムービー「シングル8」をはじめとするCMにも多数出演しています。
扇千景の若い頃の経歴③ 政治家としての活動をスタート
タレントとして華々しい経歴を持つ扇千景さんですが、若い世代には政治家としての印象の方が強いのではないでしょうか。
扇千景さんは、1977年に「第11回参議院議員通常選挙」へと出馬。自由民主党公認候補として、初当選を果たしました。
なお、出馬の背景には、当時の首相で自由民主党の総裁でもあった福田赳夫さんや、当時の幹事長・大平正芳さんらからの要請があったとのこと。
1989年の「第15回参議院議員通常選挙」では落選を経験するも、1993年に繰り上げ当選。
その後、自民党を離党すると、新生党→新進党→自由党と政党が変わりつつ、2000年には二階俊博さんらとともに保守党を結成し、初代党首に就任しています。
1994年の3月31日、自民党を離党する際には本誌取材に、 「自民党は分裂しますよ。与党ボケが抜けず、議員たちに意識改革する気がまるでない。予算を人質にとって首相の疑惑を追及する作戦も今まで散々批判してきたやり方でしょ!」 と怒りを滲ませた。その後、小沢一郎が旗揚げした新生党に入党するも’00年にその小沢と袂を分かち、保守党を旗揚げ。
扇千景の若い頃の経歴④ 政治家として女性初の内閣入閣・建設大臣として活躍
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以降も快進撃は続き、第2次森改造内閣では建設大臣と国土庁長官を兼務する形で初入閣。さらに、運輸大臣・北海道開発庁長官も兼務していました。
目立つ功績としては、内閣支持率が低迷している中、若築建設事件に関与していた建設官僚の氏名を発表。内閣のイメージアップに貢献しています。
2000年には、三宅島の噴火による全島民避難を指揮するなどリーダーシップを発揮していましたが、男尊女卑が根強く残る日本の政界では常にセクハラ発言にさらされていたそう。
その代表的なものが、2000年に衆院本会議で、保守党代議士・松浪健四郎さんに飛んだヤジです。
壇上に立った松浪氏が「ちょんまげ野郎!」などのヤジに激昂してコップの水をぶちまけるに至った事件として知られるが、実は松浪氏をキレさせたのは民主党議員が浴びせた「扇とは何発ヤッたんだ!」という言葉。保守党党首の扇さんに松浪氏が気に入られていたことを揶揄する下品な一言だった。
そのような状況下でも、扇千景さんは日本のために尽力し続けました。
汚職事件などを起因とする、建設大臣ならびに公共事業への悪いイメージを払拭するため、公共工事の入札の透明化を図る「公共工事入札契約適正化法」を立案。
5年はかかると見られた同法でしたが、扇千景さんが森総理に直談判します。
これが功を奏し、「関係省庁は協力を」という森総理の指示により、わずか3ヵ月で法案提出にこぎつけ、驚くべきスピードで成立を果たしました。
扇千景の若い頃の経歴⑤ 国土交通大臣・参議院議長も歴任
出典:https://www.eda-jp.com/satsuki/kokkai/2004/041027.html
しかしその後、2007年に政界から引退しています。
扇千景は政界を引退後、旦那と平穏な毎日を送っていた
扇千景さんは政界引退後、役者として復帰することもなく平穏な毎日を送っていたようです。
政界引退後は舞台に出演する夫のサポート中心の生活を始めた扇さん。結婚60年で夫婦で出演した『徹子の部屋』では、「新婚のようにべったりしている」と夫婦生活を明かすとともに、前年に乳がん手術をした際に夫の付き添いに感謝していた。そんな夫は2020年に他界。公で最後の姿となったお別れの会で扇さんは「縁があって63年。互いに一緒にいられたことが幸せでした」と改めて夫婦生活を振り返っていた。
そして、2014年には宝塚歌劇団の創立100周年記念として創設された「宝塚歌劇の殿堂」に、”最初の100人の1人”として殿堂入りしたことが話題となりました。
宝塚歌劇創立100周年を記念し、今年4月5日に兵庫・宝塚大劇場内にオープンする「宝塚歌劇の殿堂」の詳細が10日、阪急電鉄から発表され、劇団の発展に貢献した殿堂入り100人も明らかになった。
扇千景の自宅:渋谷の高級住宅街にあるとの噂
扇千景さんは自宅を公開されていませんが、東京都渋谷区の高級住宅街にあるとの噂です。また、ビル型住宅であるとも言われています。
芸能人は自宅を事務所と兼用していることも多く、そういった事情もあってビル型にされたのかもしれませんね。
また、旦那・4代目坂田藤十郎さんはインタビューで、自宅を建てる際に2億円もの借り入れをしたと明かしています。
もともと私たち夫婦は、ゼロと言いますか、マイナスから出発したんです。58年に結婚して、私の母と京都で同居していたのですが、60年に東京の渋谷で夫婦と子供だけで暮らし始めました。そのとき、家を建てるのに銀行から2億円を借りましてね。そういうなかで、自分たちだけで家庭を築かなければならなかった。妻も女優に復帰して、子供を育てながら、夜も寝ないで働きましたよ。
扇千景は2023年に逝去・死因は食道胃接合部がんだった
扇千景さんは2023年に亡くなっています。死因は食道胃接合部がんです。享年89歳でした。
元参院議長で女優の扇千景(おおぎ・ちかげ、本名林寛子=はやし・ひろこ)さんが9日午前7時56分、食道胃接合部がんのため、東京都内の病院で死去した。89歳。神戸市出身。密葬は近親者で行った。本葬は27日正午から東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。喪主は長男で歌舞伎俳優の中村鴈治郎(なかむら・がんじろう、本名林智太郎=はやし・ともたろう)氏。
食道と胃のつなぎ目の部分を食道胃接合部と呼びます。ここにできるがんのことを食道胃接合部がんと呼びます。具体的な定義としては、食道胃接合部の上下2cmの範囲にがんの中心部があるものとされています。欧米では比較的多いがんでありますが、日本でも食事の欧米化に伴い近年増加傾向にあります。
引用:食道胃接合部がん
また、晩年は「公益財団法人日本尊厳死協会」で顧問を務めていたといいます。
私たち日本尊厳死協会は、病気が治らないことが明らかな「不治」で、なおかつ最期が近付いている場合に、人工呼吸器や栄養を送るための胃ろうなど、延命治療を断りたいと願っている人たちのために「リビング・ウイル=終末期医療における事前指示書」を発行し、登録管理を行っています。
引用:ごあいさつ
また、長男の中村鴈治郎さん、次男の中村扇雀さんは以下のようなコメントを発表。
最期は私たちの母として、苦しまず、穏やかに旅立っていきました。今頃は大好きな父のもとにいて、きっと喜んでいると思います。皆さまには、生前賜りましたご厚情に深く御礼申し上げると共に、どうぞ私どもにも変わらぬご指導、ご鞭撻をいただけますようお願い申し上げます。 中村鴈治郎
私は母に似ていると言われることが多く血液型も同じで性格も似ていたと思います。親子として共に過ごす時間は少なかったのですが多くのことを教えられました。今は母の子であったことをただただ感謝しています。改めて生前賜りましたご厚情に対し、厚くお礼申し上げますと共に今後私ども遺族に、変わりなきご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。 中村扇雀
扇千景の葬儀は皇族や歴代首相の姿も
出典:https://www.kanaloco.jp/news/government/article-978408.html
扇千景さんの葬儀と告別式には、政界・歌舞伎界から700名もの人たちが参列しました。
また、皇族・高円宮妃久子さまをはじめ、小泉純一郎元首相や、岸田文雄首相らも焼香に訪れたそうです。
9日に食道胃接合部がんのため89歳で亡くなった、元参院議長で宝塚歌劇団出身の女優だった扇千景(おうぎ・ちかげ、本名・林寛子=はやし・ひろこ)さんの葬儀・告別式が27日、東京・増上寺で行われた。小泉純一郎元内閣総理大臣、片岡愛之助、藤原紀香夫妻、加山雄三ら、生前に仕事を共にした、歌舞伎、芸能関係者、政治家など多くが駆けつけた。
扇千景の現在:義妹・中村玉緒との確執が話題に?
多数の関係者が訪れた扇千景さんの葬儀・告別式でしたが、義妹にあたる役者・中村玉緒さんの姿はそこになかったことで一部で憶測を呼んでいるようです。
扇千景さんの訃報が報じられた際には、兄を支えてくれていた扇千景さんに感謝の意を述べていた中村玉緒さん。そんな中、葬儀・告別式に参列しなかったのには訳があるのでしょうか。
調べてみると、2人の間には以前より”不仲説”がささやかれていたことがわかりました。
また、扇千景さんは2001年に発売した著書『できることできないこと』で、中村玉緒さんとの関係について、「かつていろいろと問題があり、ほとんど交流がない」と明かしています。
その問題の1つとされているのが、1971年の中村玉緒さんの夫・勝新太郎さんが突如行ったという離婚会見なのだそう。
会見に驚いた玉緒は慌てて両親、兄と扇さん夫婦のもとを訪れ、5人で“家族会議”が始まったのだ。明け方まで話し合い、玉緒が離婚して京都の実家に戻るという結論が出たので一同眠ったのだが、起きてみると玉緒がいない……。《「私、離婚するのやーめた」と言って、玉緒が東京に帰ってしまっていたではありませんか。その後、心配でたまらない両親に、電話ひとつの連絡もない》
また、同著での暴露を、中村玉緒さんも良く思っていなかったのだとか。
しかし、葬儀欠席の理由については、所属事務所いわく「軽い体調不良だった」とのこと。
中村玉緒さんも80歳を超え高齢、さらに当時はまだ新型コロナウィルスも完全には収束しておらず、数多くの人が集まる場に参加するのは控えたい…という事情があったかもしれませんね。
まとめ
扇千景さんは宝塚歌劇団出身の役者で、政治家としても活躍した人物です。
役者として映画・ドラマで活躍したほか、ワイドショーでは司会を務めるなどマルチに活躍。その後、政界へと進出し、女性初の入閣内閣も果たしています。
また、プライベートでは、歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎さんと結婚。2人の息子も歌舞伎役者となり、長男は四代目中村鴈治郎さん・次男は三代目中村扇雀さんとして活躍されています。
政界を引退後は、旦那である4代目坂田藤十郎さんと穏やかな生活を送っていたそうですが、4代目坂田藤十郎が亡くなり、扇千景さん自身も2023年に逝去。
死因は食道胃接合部がんで、享年89歳でした。また、晩年は「公益財団法人日本尊厳死協会」で顧問を務めていたことから、苦しい闘病生活があった可能性もあるのではないでしょうか。
義妹である中村玉緒さんが葬儀に参列しなかったことも話題となりましたが、中村玉緒さん自身が高齢であったことも関係しているでしょう。
あらゆる分野で活躍した扇千景さんのご冥福をお祈りします。