新宿西口バス放火事件と犯人/丸山博文の現在!被害者の親子・カメラマンのスクープ写真も総まとめ

1980年に発生した無差別放火大量殺人事件「新宿西口バス放火事件」が注目されています。

 

この記事では新宿西口バス放火事件の概要、親子連れを含む被害者、犯人の丸山博文の動機や生い立ち、被害者の兄のカメラマンが偶然撮影したスクープ写真や犯人の現在などについてまとめました。

新宿西口バス放火事件の概要

 

出典:https://gendai.ismcdn.jp/

 

「新宿西口バス放火事件」は、1980年8月19日の21時過ぎ頃、新宿駅西口バスターミナルに停車していた出発前の路線バスに、当時38歳の丸山博文という男が、火のついた新聞紙とガソリンの入ったバケツを投げ込んで放火し、大勢の死傷者を出した放火殺人事件です。

 

新宿西口バス放火事件の経緯

 

1980年8月19日21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番乗り場で、30名ほどの乗客を乗せて、出発時間を待っていた京王帝都電鉄の路線バスの後部ドアに、路上から火のついた新聞紙とガソリンで満たされたバケツが突然投げ込まれました。

 

大きな爆発音を発して火は一気に燃え広がって狭いバス車内は阿鼻叫喚の地獄と化し、多くの乗客が身体に火がついた状態で車外へと逃げ出しました。駆けつけた消防隊によって火はどうにか消し止められましたが、バスの後部座席から男女の区別がつかないほどに黒焦げの状態になった3人の焼死体が見つかっています。

 

外に逃げ出した被害者も多くが火傷を負っており、8月23日が1人が、10月16日にさらに2人が亡くなり、合計で6名が死亡しました。また、重軽傷者は合わせて14名に上りました。

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

その後の調べにより、ガソリンが燃え広がった直後のバス車内の推定温度は1800度にも達し、窓ガラスは高温で粉々に割れ、車内のアルミ製の手すりは原型をとどめないほどにねじ曲がった状態になっていた事も報じられており、どれほどの勢いで火が燃え広がったのかが窺えます。

 

犯人の丸山博文は事件直後に現行犯逮捕

 

バスに火を投げ込んだのは、当時38歳の土木作業員・丸山博文という男で、通行人によって放火直後に取り押さえられ、駆けつけた警察官によって放火の現行犯で逮捕されています。

 

犯人の丸山博文は取り調べに対し、事件の翌日(同年8月20日)までは、「何も知らない、事件とは関係ない」などと、容疑を否認し、火災の熱によって自分の髪の毛が焼け焦げていた事についても「飯を炊くために火を燃やした時に焦げた」などと言い逃れをしていました。

 

しかし、事件の2日後の8月21日になると、犯人の丸山博文は犯行を認め「大変な事をしてしまった。早く死刑にして欲しい、殺して欲しい。」などと供述するようになりました。

 

その後、犯人の丸山博文は建造物等以外放火罪および殺人罪で刑事起訴されています。

 

 

 

新宿西口バス放火事件の犯人の丸山博文の犯行動機は社会全体への怨恨

 

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新宿西口バス放火事件の犯人・丸山博文の犯行動機は社会全体に対する怨恨でした。

 

犯人の丸山博文と被害者達との間に個人的な接点は全く無く「西新宿バス放火事件」は、完全な無差別大量殺人でした。

 

事件後、同年9月7日の朝日新聞朝刊の記事には、丸山博文は取り調べに対して、その犯行動機を「幸福そうな通行人をアッと驚かせてやろうと思ってやった」などと供述した書かれています。

 

また、裁判での検察側の冒頭陳述などによると、犯人の丸山博文は当時、日雇い労働者でホームレスの状態で惨めな生活を送っており、犯行を起こした日も宿泊費を節約するため、新宿駅西口の階段に座って日本酒の小瓶を飲んでいたようです。

 

それを見た誰か(近くのビルの職員とも通行人とも)に「邪魔だなあっちへ行け」などと注意され、丸山博文はそれを自分に対する侮辱と受け取って頭に血が上り「日頃の鬱憤を晴らしてやろう」と思い、そのまま4リットルのガソリンを購入して凶行に及んだというのが直接的な動機だったとされています。

 

この犯行動機には、それまでの丸山博文の悲惨な生い立ちなども関連していたと見られています。丸山博文の生い立ちについては後の見出しで紹介します。

 

 

 

新宿西口バス放火事件の被害者親子連れを含む死者6人と負傷者14人

 

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新宿西口バス放火事件の被害者は、死亡者6人、重軽傷者14人でした。

 

犯人の丸山博文が後部ドアから火を投げ込んだ際、後部座席に座っていた3人はまともにガソリンをかぶって直後に火だるまになりほぼ即死の状態でした。この被害者3人はその後の報道などで、父親の斉藤安夫さん(当時40歳)と息子の斉藤秀一さん(当時8歳)の親子連れと、帰宅途中のOL・今井操さん(当時21歳)と判明しています。

 

被害者の親子は、その日後楽園球場で開催されたプロ野球の巨人対ヤクルトの試合を観に行った帰り道でした。親子は巨人ファンだったとの事で、事件後に巨人球団はこの親子の告別式に花を贈り、その年現役最後の年を迎えていた王貞治さんが親子の祭壇にサインボールを供えた事も報じられました。

 

事件後、治療を受けたものの全身火傷などが原因で死亡した3人は、当時26歳の女性と、当時29歳の男性、当時36歳の女性の3人でした。

 

このうち、36歳の女性は秋葉静枝さんという方で、3人の子供を抱えるシングルマザーで、その日はたまたま子供達の運動靴を買いにたまたま仕事帰りに新宿に立ち寄っていて事件に巻き込まれました。

 

通常、通勤経路外で事故に巻き込まれた場合は労災認定がされないのですが、この時は特例として労災認定が下りています。

 

 

 

新宿西口バス放火事件の被害者の1人杉原美津子さんは事件後に手記を発表

 

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「新宿西口バス放火事件」の被害者のうち、負傷者14名の中の1人、杉原美津子さんは、全身に80パーセント以上の火傷を負い、一時は生死の境を彷徨ったものの、奇跡的に回復されました。

 

この杉原美津子さんは編集プロダクションに勤める編集者(後にフリーの編集者)で、事件後にこの事件についての手記「生きてみたい、もう一度」を出版し、これがベストセラーになり映画化もされています。

 

出典:https://img.aucfree.com/

 

この杉原美津子さんは、犯人の丸山博文を「憎んでいない」と発言し、著作にも犯人の丸山博文を「赦す」と書き、服役中の丸山博文に面会に行き、励ますような手紙も書いています。こうした行動に対しては、「(死刑判決をのぞむ)他の被害者や遺族の気持ちも考えろ」といった批判も一部から起こりました。

 

この被害者の杉原美津子さんは、新宿西口放火事件によって受けた全身火傷の治療のために大量に輸血された非加熱製剤が原因でC型肝炎に感染し、その後、肝臓がんを発症し2014年12月7日に70歳で亡くなられています。

 

 

 

新宿西口バス放火事件のスクープ写真のカメラマンは被害者の杉原美津子さんの兄

 

出典:https://gendai.ismcdn.jp/

 

「新宿西口バス放火事件」の発生時、偶然近くにいた報道カメラマンの石井義治さんが、何枚かのスクープ写真を撮影していて、当時の報道でもその写真(上の画像など)が使用されています。

 

実はこのスクープ写真を撮影した報道カメラマンの石井義治さんは、上で紹介した被害者の杉原美津子さんの実兄でした。

 

このカメラマンの石井義治さんは、まさか被害者の中に自分の妹がいるとは思わず、救助活動に参加せずに報道カメラマンとしての本能からスクープ写真の撮影を優先しましたが、その後、被害者に妹がいた事がわかると、そんな自分の行動に嫌気が差し、報道カメラマンを辞めて風景写真を専門とするカメラマンに転向しています。

 

 

 

新宿西口バス放火事件の犯人の丸山博文の生い立ち

 

「新宿西口バス放火事件」の犯人・丸山博文の犯行動機は社会に対する恨みだったと見られていますが、それにはその悲惨な生い立ちも影響したと見られています。

 

犯人の丸山博文は、1942年に福岡県小倉市(現在の北九州市小倉)で5人兄弟の末っ子として生まれました。

 

丸山博文の父親は酒に溺れて定職につかないロクでもない人物でしたが、家計を支えていた母親が丸山がまだ2歳だった1945年9月17日の枕崎台風で倒壊した家屋の下敷きになって死亡。

 

その後、丸山博文は父と兄達に育てられましたが、家計が貧窮したため小学校4年生の頃には、学校に通わずに自らも工員として働くようになります。そのため、丸山博文は大人になってからも小学生レベルの識字ができない文盲でした。

 

小学校を卒業した後、丸山博文は、鳶職の見習いや農家の手伝いなどで働いていましたが、父親が病死したのを機に土木作業員として全国の現場を転々として暮らすようになりました。

 

1972年、29歳の時に山口県岩国市の建設現場で働いていた時に知り合った女性と結婚して長男が誕生したものの、この妻は酒癖が悪く男にもだらしがない女性で、翌1973年に離婚してしまいます。

 

その後、この妻は精神疾患と診断されて病院に入院し、幼い長男は児童施設へと預けられています。一方の丸山博文はその離婚した年の10月に酒に酔って一人暮らしの若い女性の部屋に侵入して逮捕されますが、精神分裂病(現在は統合失調症)と診断されて不起訴処分になっています。

 

その後、丸山博文は、全国の建設現場を転々としながら毎月4万から5万円を児童施設の息子に仕送りする生活を続けていました。

 

丸山博文はこうした生活をする中で、特定の住所は持たず、土木作業員用の宿舎や安価な簡易宿泊所を利用して生活していましたが、宿泊費を浮かすために度々野宿をするようになり、そうした生活の中で「邪魔だからどこかへ行け」と何者かに言われた事が直接的な動機となり、「新宿西口バス放火事件」を起こす事になりました。

 

丸山博文は事件当時は既に、正月やお盆に帰る事ができる故郷もなく、息子以外の家族も持たなかったため、社会からの疎外感を強く感じており、高度経済成長に沸く当時の日本の好況の中にあって自分は貧困な生活を余儀なくされているという状況に社会全体への恨みを募らせ、それが犯行動機へとつながって行ったのだと思われます。

 

 

 

新宿西口バス放火事件の犯人の丸山博文の裁判と判決

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

「新宿西口バス放火事件」の犯人・丸山博文の裁判では検察側から死刑が求刑されましたが、2人の精神科医の精神鑑定によって犯行当時精神耗弱状態だったとする診断結果が出され、それが考慮されて減刑され「無期懲役」の判決が確定しています。

 

この時の精神鑑定結果は、犯行当時の丸山博文は「被害妄想や追跡妄想があり、飲酒によって酒に酔った事もあって判断能力が著しく低下していた」、「生い立ちなどにより、被害妄想や幻覚などに支配されており、酒に酔った結果、妄想の抑制が聞かなくなって引き起こされた『複雑酩酊による行為』だった」というものでした。

 

丸山博文は、東京高裁で「無期懲役」の判決が言い渡された際、裁判長に「懲役ですか?」と聞き返し、裁判長が「無期懲役」と答えると、何を勘違いしたのか「自分は罪にならないのですね」などと発言し、傍聴席に向き直ると突然土下座をして小声で「ごめんなさい」と呟いています。

 

 

新宿西口バス放火事件の現在…犯人の丸山博文は自殺によって既に死去

 

現在、犯人の丸山博文は既に亡くなっています。死因は自殺でした。

 

無期懲役の判決を受けた犯人の丸山博文は、千葉刑務所に服役していましたが、1997年10月7日に、刑務所内の配管にビニール紐をかけて首吊り自殺をして死去しました。享年は55歳でした。

 

弁護人の安田好弘さん(光市母子殺害事件などで知られる人権派弁護士)によれば、丸山博文は、被害者の中に自分の子供と同じ年齢の子供(最初に死亡した親子被害者の息子の方)がいた事などから自責の念に駆られ、思い詰めて計画的な自殺に至ったのだろうとの事でした。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1980年に発生した無差別放火大量殺人事件「新宿西口バス放火事件」についてまとめてみました。

 

新宿西口バス放火事件は、当時38歳の土木作業員の丸山博文が、社会全体への怨恨を動機にして、停車中だったバスにガソリン入りのバケツと火のついた新聞紙を投げ込んで放火し、6名の死者、14名の重軽傷者を出した無差別大量殺人事件でした。

 

被害者には、当時8歳の子供を含む親子連れも含まれ、社会にも大きな衝撃を与えました。

 

また、全身に火傷を負いながら奇跡的に生存した被害者の1人の杉原美津子さんは事件後に事件についての手記を発表しベストセラーになり、これは映画化もされています。

 

この杉原美津子さんの実兄は報道カメラマンで、事件発生時に偶然近くにおり、何枚かのスクープ写真を撮影し、それが報道にも使用されています。しかしその後、このカメラマンは実の娘が被害者の1人だった事にショックを受け、報道カメラマンを辞めて風景カメラマンに転向されています。

 

その後、犯人の丸山博文には精神疾患が認められたため無期懲役刑が下されましたが、1997年に刑務所内で自殺し、現在は既に死去しています。

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