アジア人初のミスユニバースであるモデルの児島明子さんは、東宝のスターだった宝田明さんとの離婚原因も話題です。
今回は児島明子さんの経歴、元旦那の宝田明さんとの馴れ初めや結婚生活、子供(娘や息子)、現在を紹介します。
この記事の目次
児島明子はミスユニバースで宝田明の元嫁
児島明子のプロフィール
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児島 明子(こじま あきこ)
生年月日: 1936年10月29日
出身地: 東京都
身長: 167.6cm
体重: 54.4kg
児島明子さんは、1959年のミスユニバースジャパンに輝き、その後にアメリカで開催されたミスユニバース世界大会で優勝という栄冠を達成したモデルです。
1966年に、俳優の宝田明さんと結婚。3人の子供に恵まれましたが、1984年に離婚しています。
児島明子の生い立ちや経歴
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世界一の美女と称賛された児島明子
児島明子さんの生い立ちから、独身時代の輝かしい経歴について振り返ってみましょう。
生い立ちについて
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児島明子さんは1936年、東京都世田谷区で4人兄弟の2人目として誕生しました。出生時の体重は4160gだったことが明かされています。
ミスユニバース世界大会に出場時、身長が167cmと当時の日本人女性としてはかなりの高身長だったことが話題になりましたが、乳児の頃から平均よりも大きかったようですね。
父親は旧軍人で、1950年に死去。母親が女手1つで児島明子さん兄弟を育ててきたそうです。
5歳の頃から水泳を習い始め、高校生の頃は平泳ぎの選手として活躍しました。
姉の代わりにミス・ユニバースに応募
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初めてミスユニバースに応募したのは1953年のこと。
当初、推薦されていたのは姉でしたが、姉はこれを辞退。どのような理由で辞退したのかは不明ですが、美貌の姉妹だったことは間違いありません。
姉の代わりとして、児島明子さんは帝国劇場で開かれた第2回ミスユニバースに16歳で応募。
この時の大会で代表に選ばれたのは伊東絹子さんで、児島明子さんは準ユニバースとして入賞しています。
高校を卒業すると、ファッションモデルとして活動を開始し、さらに1958年のミスユニバースの選考会に応募し、東京代表に選ばれました。
しかし、日本代表の選考会の前日に開催された日本各地の代表を乗せたパレードの最中、追突事故が起こり、4人の負傷が出てしまいました。
児島明子さんも被害者の1人で、2ヶ月の入院生活送ることになり、この年の全国大会を棄権しています。
22歳でミスユニバースへ
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翌1959年に開催されたミスユニバース日本代表の選考会に再び応募した児島明子さんは、3度目の正直で、22歳の時にやっと日本代表の切符を手にします。
そして、同年7月に行われたミスユニバース世界大会では、最終審査においてブラジル、アメリカ、イギリス、ノルウェーなどの各国代表を抑えて優勝を飾り、第7代目のミスユニバースに。
実は、日本人だけではなくアジア人として初の優勝となり、大々的なニュースとして報じられました。
インタビューでは「5年後には日本でオリンピックが催されます。(中略)みなさんの来日を心からお待ちしています」と、1964年開催の東京オリンピックをアピールしました。
児島明子のミスユニバース優勝後の活動
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ミスユニバースになると、賞金及び1年間の活動費を受け取り、1年間はニューヨークのトランプタワーを拠点とした生活を行うという取り決めがあります。
単に生活をすれば良いというものではなく、慈善奉仕活動や公式行事のプロモーション活動を行い、翌年のミスユニバース優勝者に栄冠を授ける役目があるそうです。
児島明子さんの場合、黄金のトロフィー、優勝賞金の2500ドル(当時の為替レートで90万円)、契約金8500ドル(306万円)を授与され、その後アメリカに渡りました。
そして契約に従い、アメリカの各州や各国を訪れています。在米中はかなりのストレスが重なったようで、ダイエットをしていないないのに4.5kgも痩せてしまったのだとか。
その後、ミスユニバース世界大会において日本人が優勝したのは48年後の森理世さんでした。
並みいる強豪を押しのけて世界の頂点に立つことが、いかに大変なのかがうかがえますね。
児島明子が結婚した元旦那は俳優・宝田明
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東宝スターとして知られる宝田明
ここからは、児島明子さんのプライベートについて紹介します。
児島明子さんはバツイチで、1966年に俳優の宝田明さんと結婚し、1984年に離婚しました。
元旦那・宝田明さんのプロフィールや経歴を見ていきましょう。
宝田明のプロフィール
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宝田 明(たからだ あきら)
生年月日: 1934年4月29日
没年月日: 2022年3月14日
出身地: 東京都
血液型: O型
身長: 183cm
1960年代以降の東宝2枚目スターだった宝田明さん。映画「ゴジラ」をはじめ、数々の舞台にも出演し、海外映画の吹き替えなど声優として活躍されました。
晩年は狭心症を発症し、苦しい闘病生活を送っていたようで、1997年には12時間に渡る手術を受けています。
その後、入退院を繰り返しながらも仕事を続け、2022年3月10日には、映画「世の中にたえて桜のなかりせば」(2022年4月公開)の完成披露舞台挨拶に車椅子で登壇。
しかし、これが最後の公の場への登場となり、舞台挨拶の翌日に体調不良を訴えて入院し、誤嚥性肺炎で2022年3月14日に東京都内の病院で死去。享年87歳でした。
児島明子と元旦那・宝田明の馴れ初め
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結婚式を挙げる児島明子と宝田明
ここでは、児島明子さんと宝田明さんの馴れ初めについて調査しました。
2人共異性からモテていたので、結婚に至るまでには色々な経緯があったようです。
友達から恋人に昇格
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2人が出会ったのは、児島明子さんが大阪でファッションモデルをしていた1954年頃。共通の知人に紹介されたものの、当時は友人として接していたそうです。
1956年に入ってから、児島明子さんが上京したことをきっかけに交際がスタート。
ただし、すでに宝田明さんは東宝のスターとして活躍していたので、スキャンダルを恐れてデートもままならい状態だったんだとか。
その後、宝田明さんが「彼女が好きだから、付いてきてくれるなら結婚したいと考えている」と交際宣言。
事務所側も「明日(結婚)したいと言ってきても、東宝はそれに反対する理由はありません」と交際を認めるコメントをしています。
煮え切らないまま10年
交際宣言によって公認の仲になった2人でしたが、すぐに結婚とはなりませんでした。
倦怠期に入ってしまったのか、1961年に宝田明さんと香港女優の熱愛が報道されたり、児島明子さんにはパイロットの男性との熱愛がささやかれました。
このまま、破局するのでは?と懸念されてきましたが、10年に渡る長い春にピリオドが打たれたのは1966年4月29日のこと。
2人は入籍報告を行い、晴れて夫婦になり、パレスホテルで結婚式が行われました。
児島明子と元旦那・宝田明の離婚原因
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結婚後の児島明子さんは、モデル活動を停止して家庭に入り、旦那と子供が中心の生活になりました。
しかし子育てが一段落しても児島明子さんはモデル活動を再開せず、専業夫婦を継続。
周囲からはおしどり夫婦と呼ばれて、夫婦仲は良好かに見えましたが、1984年に離婚を発表しました。
気になる離婚理由は、宝田明さんの浮気にあったようです。離婚までの経緯を紹介します。
16歳年下女性と不倫が発覚
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宝田明さんの不倫疑惑が報じられたのは1975年、相手の女性は16歳年下の女優で、ミュージカルの共演で知り合ったそうです。
その後、自身の事務所に女性を引き入れていた事実を週刊誌やスポーツ新聞が報じています。
宝田明さんは、浮気は否定したものの、「役者は浮気心がなければ、色気のある良い演技はできない」、「ウチのヤツは俺と結婚して失敗したと思ってるんじゃないですか」と発言し炎上。
この16歳年下の女優の名前は報じられておらず、芸能界ではまだ新人で実績がほとんどなかったものと思われます。
ただ、熱愛報道後はバッシングが辛かったのか、その女優は芸能活動を停止し、宝田明さんが経営していた「宝田芸術学園」の事務員および私設秘書に転身しました。
その後の1983年5月には、学園が倒産し、児島明子さんは子供を連れて実家に戻ったことが報じられています。
この報道の際、宝田明さんは報道陣に囲まれると「今、何も言いたくないよ。書きたければ離婚と書いたっていいよ」と投げやりな様子で応じています。
そして、1983年秋頃から離婚調停が始まり、1984年1月に離婚が成立。3人の子供は児島明子さんが親権を持ち、女手一つで育て上げました。
なお、宝田明さんは、不倫相手の女性をもともと児島明子さんと住んでいた家に呼び寄せて再婚し、最期まで添い遂げています。
児島明子の子供:娘は歌手の児島未散
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児島明子さんと宝田明さんとの間には、3人の子供が誕生しており、第1子が娘の児島未散さんで、その下に2人の息子さんがいます。
まずは、長女の児島未散さんについて、プロフィールや簡単な経歴を見ていきましょう。
児島未散のプロフィール
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児島 未散(こじま みちる)
本名: 児島未知瑠
生年月日: 1967年4月25日
出身地: 東京都
最終学歴: 成城大学卒業
児島未散さんは、成城学園高校在学中の1985年7月25日、「セプテンバー物語」で歌手デビューを果たしました。
翌年、成城大学に入学し、大学生でありながらラジオのパーソナリティや、映画「卒業プルーフ」に出演するなど、幅広く活躍。
1990年12月にリリースしたシングル「ジプシー」は、浅野温子さんが出演したCM「ライオン プレーン&リッチ」のテーマソングに起用されると、オリコン4位となり、36万枚のヒットに。
「ジプシー」は、これまでにリリースしたシングルの中で最も売れた代表作品となっています。
1998年に「3年B組金八先生スペシャル9」に出演したのを最後に引退し、留学のためにアメリカで数年を過ごしました。
帰国時期は不明なものの、長い間目立った芸能活動をしておらず、一般人として暮らしていましたが、2016年にライブハウス「Goodstock Tokyo」を拠点にライブ活動を再開しています。
プライベートでは、現在はすでに結婚して子供がいらっしゃいます。
芸能界入りを反対された
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18歳でデビューを果たした娘の児島未散さんですが、児島明子さんは「芸能界は甘くない」という理由で反対していたそうです。
児島明子さんはモデルやユニバース優勝者として名声を得ていましたし、旦那の宝田明さんもトップ俳優でしたが、いくら娘であっても、芸能界は厳しく、必ずしも売れるとは限りません。
その大変さを身を持って知っていたからこそ、親心として娘に辛い思いをさせたくなかったのでしょう。
その後、「大学を卒業したら芸能活動をしてもいい」と児島明子さんは柔軟な対応を見せましたが、児島未散さんは待つことができませんでした。
児島明子さんの友人で音楽業界の人に「歌手になりたい」と相談し、レコード会社を紹介してもらい、ボイスレッスンを1年ほど重ねてデビューにこぎつけています。
児島明子さんがどのような反応をしたのかは明らかになっていませんが、娘の情熱に根負けした可能性がありますね。
児島明子の子供:息子はどんな人物?
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児島明子さんの3人の子供のうち、2人は息子であることが判明しています。
息子の情報を調査したのですが、名前や顔写真、生年月日といったベースの情報がありませんでした。
息子が芸能界入りという情報もありませんので、一般人として生活していると考えられます。
両親2人がどちらも有名人ですから、迂闊に情報を出してしまうと生活に支障をきたしかねませんので、児島明子さんの子供たちへの配慮が感じられますね。
児島明子の現在
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児島明子さんは、2022年10月の誕生日を迎えると86歳になります。残念ながら、今どのように過ごしているのかという情報は入ってきていません。
結婚後はモデル活動をしている様子がなく、一時的な休業ではなく、完全に引退している可能性が考えられます。
また、2022年3月に死去した宝田明さんの葬儀の喪主は不倫の末に結婚した元女優だと公表されていますが、児島明子さんが参列したのかは不明です。
子供3人を育て終えて、のんびりと第2の人生を謳歌する日々を送っているのではないでしょうか。
まとめ
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児島明子さんは、ミスユニバースの世界大会でアジア人初の優勝者の元モデル。元旦那は、俳優の宝田明さんで、1966年に結婚しました。
まだ児島明子さんが大阪でモデルをしていた頃、2人は友人の紹介で出会い、友人からいつしか交際に発展したそうです。
その後、約10年に渡る交際を経てようやく2人は結婚。翌年には娘の児島未散さんが誕生し、さらに息子2人にも恵まれています。
幸せそのものかと思われましたが、宝田明さんが舞台共演で知り合った女優と不倫していることが発覚したことで、1984年に離婚。子供3人は児島明子さんが引き取り育て上げました。
結婚後はモデルの仕事をしている様子がなく、引退状態のようです。
このため、現在どのように過ごしているのかは残念ながら明かされていません。一般人として穏やかに過ごしているのではと言われています。
児島明子さんが再び表舞台に登場する日は来るのでしょうか。元ユニバース優勝者の現在の生活はどんなものなのか、知りたい人もきっと多いはずです。