冨士眞奈美の若い頃や現在!元旦那の林秀彦・子供(岩崎リズ)など家族情報・自宅や過去の恋愛騒動の真相も総まとめ

作家・役者として活躍する冨士眞奈美さんですが、物置状態の自宅や過去の恋愛騒動の真相も話題です。

 

今回は冨士眞奈美さんの若い頃の経歴、元旦那の林秀彦さんとの結婚と離婚、子供(岩崎リズさん)との関係など家族、現在を紹介します。

冨士眞奈美のプロフィール

 

生年月日:1938年1月15日

出身地:静岡県

所属事務所:アンテーヌ

冨士眞奈美さんは役者・随筆家・俳人として活躍しており、本名は「岩崎真奈美」、俳号は衾去(きんきょ)です。

 

趣味は野球観戦・イタリアオペラの鑑賞・俳句。野球では特に長嶋茂雄さんや野茂英雄さん、大谷翔平さんのファンだといいます。

 

 

冨士眞奈美の家族:新聞記者だった父親の影響で本好きに

 

冨士眞奈美さんは、6人兄弟の3女として誕生。

 

新聞記者だった父親の影響からか本が大好きで、お年玉や小遣いをもらう度に本を買っていたといいます。

 

また、母親は「自分のことは自分で」という考えの持ち主で、冨士眞奈美さんは早いうちから「いつかは仕事を見つけてこの家を出て行かなければならない」と思っていたのだそう。

 

また、母方の遠縁に役者の前田美波里さんや、岸惠子さんがいらっしゃいます。

 

 

冨士眞奈美の若い頃の経歴① 生い立ち:幼い頃はガリガリで病弱

 

冨士眞奈美さんは幼い頃、とても痩せており体も弱かったのだとか。

 

そのため、「20歳まで生きられないかもしれない」と言われながら育ったと言います。

 

スポーツ好きで、野球や川泳ぎなどをしてアクティブだった一方、すぐに熱を出したり病気になったりしていたため、まさかその後に役者になるとは思っていなかったそう。

 

中学生になると、オペラが好きだったことから音楽部に入部。高校の文化祭でもオペラを歌唱していたそうです。

 

その後、高校3年生の時に『アンネの日記』を読み感動した冨士眞奈美さんは、劇団「民藝」が同作の舞台の主演を募集していることを朝日新聞で知ります。

 

冨士眞奈美さんは『「ガリガリだからアンネ役ならできるかも」と姉に相談し、姉が応募手続きをしてくれた』と当時を語りました。

 

同役には全国から多数の応募があり、その中で冨士眞奈美さんは最終選考の6人まで残りますが、惜しくも落選してしまったそうです。

 

それから半年が経過し、高校を卒業した冨士眞奈美さんは、友人の父親に誘われる形でミニコミ誌の記者となり、記者の仕事を通じて文章を書く楽しさに目覚めたといいます。

 

そんな中、冨士眞奈美さんにNHKから一通のハガキが。

 

そこには、当時ラジオ劇として大ヒットしていた「えり子とともに」をドラマ化するにあたり、主役を務める新人女優を募集すると書かれていました。

 

実は、前述の『アンネの日記』のオーディションを見ていた劇団「民藝」の関係者が、冨士眞奈美さんの演技に興味を持ち、NHKに推薦したのだそう。

 

また、このオーディションでの冨士眞奈美さんを気に入った「えり子とともに」の作者・内田直也さんが、「この子に当てて書く」とNHK上層部の反対を押し切り主役に抜擢したのです。

 

 

冨士眞奈美の若い頃の経歴② 役者としてドラマを中心に大活躍

 

冨士眞奈美さんは、声優の大山のぶ代さんや役者の田中邦衛さんらが所属していた劇団「俳優座」の養成所に第7期生として入所。

 

1956年放送のNHKドラマ「この瞳」の主役でデビューを果たしました。

 

芸名である「冨士眞奈美」はこの頃から名乗るようになり、由来は出身地である静岡県三島市が、様々な富士山を眺望できることから付けられたといいます。

 

デビューするにあたってNHKの芸能部長さんが命名してくださったのだけど、実は当初、私はこの芸名がとても嫌だった(笑)だって、「富士食堂」とか「富士の湯」みたいじゃない? 今でこそ左右対称でいい名前だなって思えるけど、当時はなんだか女優とはかけ離れた、大衆的なイメージを想起させる「富士」が、名前になることに抵抗感があった。

 

引用:冨士眞奈美「当初はとても嫌だった」芸名の由来と、“大御所”との交流を語る

 

デビュー翌年の1957年には、NHK専属の役者第1号となり、同年放送のNHKドラマ「輪唱」で三姉妹薬を演じた馬渕晴子さん・小林千登勢さんとともに”NHK三人娘“と称されブレイク。

 

1960年になると、フジテレビの音楽バラエティ番組「東は東」の司会を務めるなど、役者以外でも活躍を見せます。

 

さらに、1961年にはレコード「こわれた人形」で歌手デビューも果たしました。

 

また、1970年放送の日本テレビ系列のドラマ「細うで繁盛記」で、これまでのイメージから大きくかけ離れた意地悪でヒステリックな小姑役を演じ、話題に。

 

以降、石立鉄男さんが主演を務めるコメディシリーズに連続して出演するなど、ドラマを中心に活躍しました。

 

 

冨士眞奈美の若い頃の経歴③ 映画やバラエティにも引っ張りだこに

出典:https://www.tv-asahi.co.jp/

 

1974年に脚本家・林秀彦さんと結婚し、芸能界を一時引退しますが、1984年の離婚をきっかけに芸能界へ復帰した富士眞奈美さん。

 

映画においては、2001年公開の「ハッシュ!」、2006年公開の「釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!」などに出演。

  •  
  • ドラマでは、2000年にNHKで放送された「六番目の小夜子」や2015年放送のTBS系ドラマ「コウノドリ」などの作品に出演しています。

 

また、朝の連続テレビ小説にも多数出演しており、1971年放送の「繭子ひとり」、1999年放送の「すずらん」、2002年放送の「さくら」、2009年放送「つばさ」の4作品に出演しました。

 

バラエティ番組にも多数出演しており、プライベートで仲が良いという黒柳徹子さんがホストを務めるテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」に度々出演。

 

また、フジテレビ系バラエティ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」でコーナーレギュラーを務め、日本テレビ系バラエティ番組「なるほど!ハイスクール」にも不定期出演していました。

 

 

冨士眞奈美の若い頃の経歴④ 作家・俳人としても才能を発揮

冨士眞奈美さんは役者としてだけではなく、作家・俳人としても活躍しています。

 

1977年に発売した『もしかしたら幸せ』、1997年に発売した『ろくでなし』といった著書のほか、2005年には『身ひとつの今が倖せ 俳句のある人生』といった俳句に関する本も出版。

 

2008年には『てのひらに落花 俳句のある人生』、『瀧の裏 冨士眞奈美句集』を出版しました。

 

また、俳句は俳人・坪内稔典さんなどから高く評価されており、2008年からは月刊短歌総合誌『俳壇』による公募コンクールの新人賞「俳壇賞」の選考委員に就任しています。

 

 

冨士眞奈美は若い頃のエピソード① 多くの芸能人と交流

出典:https://studyenglish.at.webry.info/

 

冨士眞奈美さんは、役者の岸田今日子さん・吉行和子さんと若い頃から仲が良く、そのユーモラスな関係性からトリオとして注目されることが多かったようです。

 

タレントの黒柳徹子さんともNHK専属で役者をやっていた頃から仲が良く、黒柳徹子さんがホストを務めるテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」にも番組当初より度々出演。

 

1人で出演することもあれば、結婚していた頃には当時の旦那だった脚本家の林秀彦さんと出演。娘で脚本家の岩崎リズさんとも何度も親子で出演しています。

 

そのほかにも、後輩の役者・加賀まりこさんや役者の石立鉄男さんとも交流があり、石立鉄男さんはブレイク前に当時とても欲しかったカーディガンをプレゼントしてくれたそうです。

 

 

冨士眞奈美は若い頃のエピソード② 大山のぶ代と同居していたことも

 

出典:https://www.oricon.co.jp/

大山のぶ代(おおやま のぶよ)

 

冨士眞奈美さんは、アニメ「ドラえもん」の初代声優・大山のぶ代さんとは劇団「俳優座」の養成所の同期で、過去には大山のぶ代さんに誘われて同居していた時期があるそうです。

 

冨士眞奈美さんは大山のぶ代さんを「ペコ」と呼んでおり、当時の思い出を以下のように振り返っています。

 

ペコがそのころ住んでいたのは、ボロボロの木造のアパート。その2階に家賃を折半する形で彼女との共同生活が始まった。雨漏りする家だったから、2人して洗面器や鍋を置いて、ぽたぽたと天井からしたたり落ちる雨露をしのぐなんてこともあった。

 

引用:大山のぶ代と冨士眞奈美の“たわいもない”同居生活

 

その後、2人は近くの新築アパートに引っ越ししますが、電話も風呂もなかったため、2人で銭湯に通う日々だったそうです。

 

しかし、冨士眞奈美さんが20歳の頃に父親が結核で急逝。当時まだ未成年の弟と妹を引き受けることになり、大山のぶ代さんとの同居生活は3年で終わりになったといいます。

 

ペコとの3年間の同居生活は、長い人生で考えれば短い時間だったかもしれない。でも、一瞬だからこそ輝かしく、楽しく、忘れられない青春の入り口だったのかも。

 

引用:大山のぶ代と冨士眞奈美の“たわいもない”同居生活

 

冨士眞奈美が結婚した元旦那は脚本家の林秀彦・10年で離婚

 

冨士眞奈美さんは、1974年に脚本家・林秀彦さんと結婚。その後、1984年に離婚しています。

林秀彦のプロフィール

生年月日:1934年9月26日

出身地:福岡県

職業:脚本家

所属事務所:不明

 

林秀彦さんは脚本家で、父親は随筆家の林謙一さんです。

 

ドイツのザール大学・フランスのモンペリエ大学に留学して哲学を学んだのちに、映画やテレビなどの脚本を担当。

 

プライベートでは冨士眞奈美さんを含めて3度の結婚を経験しており、最初の妻との間には作曲家の林魏堂さんが誕生しています。

 

また、1988年から2005年の間はオーストラリアに移住。

 

その後、帰国し大分県で暮らしていましたが、2010年11月19日に福岡県の病院で肺炎により亡くなっています。

 

 

冨士眞奈美の子供:娘は脚本家・小説家の岩崎リズ

 

冨士眞奈美さんと林秀彦さんの間には、1976年に娘の岩崎リズさんが誕生しています。

 

岩崎リズさんは現在、脚本家・小説家のほか、タレントとしても活躍しており、冨士眞奈美さんと度々テレビ番組などで共演。

 

トーク番組を中心に親子で仲睦まじい姿を見せています。

 

岩崎リズのプロフィール

生年月日:1976年1月8日

出身地:東京都

職業:脚本家・小説家・タレント

所属事務所:フリー

 

岩崎リズさんの本名は「岩崎里鶴」で、脚本家・小説家として活躍しつつ、タレントとしても活動しています。

 

若い頃はインディーズでバンド活動をしつつ、日本脚本家連盟のライターズスクールに通い、シナリオについて学んでいました。

 

その後、テレビドラマの企画に携わるようになり、脚本家の道へ。

 

また、2009年には小説『DATASHIP』を発売。2019年にリリースされたアプリゲーム「SEVEN’s CODE」の原案も担当しています。

 

 

冨士眞奈美の自宅が物置状態に?物であふれ、壊れた家電もそのまま放置

 

冨士眞奈美さんは2019年放送の「徹子の部屋」に出演した際、自宅が倉庫のように物であふれかえっていることを明かしました。

 

同番組で共演した娘の岩崎リズさんとも生前整理で揉めているそうで、さらに岩崎リズさんからは物を処分し、実家から徒歩3分ほどのマンションで同居を持ち掛けられているとのこと。

 

冨士眞奈美さんの自宅は、2019年の時点で築30年。3階建ての一軒家ですが、岩崎リズさんいわく、雨漏りやカビが心配だといいます。

 

そんな自宅には曾祖母の愛用していた琴、祖父の長火鉢といった年代物もたくさんあれば、冨士眞奈美さんが買いそろえたアクセサリーや本などもたくさんあるそうです。

 

また、同番組出演時には冨士眞奈美さんが捨てられない物も披露しており、50年前に仕立てた服、イタリア製の皮手袋、役者の新珠美千代さんから贈られた下着などを紹介していました。

 

2人はその後も2020年に同番組に出演しており、その際も自宅の状態は変わっていないと語っています。

 

さらには、冨士眞奈美さんが「面倒くさい」と壊れた家電ものそのままにしていることが判明。

 

前回出演時には、岩崎リズさんが冨士眞奈美さんに同居を持ち掛けていると語りましたが、2019年に冨士眞奈美さんが鎖骨を骨折したことを機に一時的に同居していたそう。

 

しかし、真夜中に大音量でスポーツ観戦する冨士眞奈美さんに耐え兼ね、1日で追い返したと冗談交じりに語っていました。

 

親子とはいえ、時を経て生活リズムや環境が異なってくると、同居は難しいのかもしれません。

 

 

冨士眞奈美の現在① 現役の役者として活躍するも仕事量はセーブ中

 

冨士眞奈美さんは近年では、2017年のNHKドラマ「ツバキ文具店」、テレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」に出演。さらに続編の2019年放送「やすらぎの郷~道」にも出演しています。

 

また、2019年公開の映画「ばあばは、だいじょうぶ」では、2011年に出演した「サラリーマンNEO 劇場版(笑)」ぶりにスクリーンに復帰。

 

2020年にはテレビ朝日系の大人気ドラマシリーズ「相棒 Season19」第5話に出演し、2022年放送のNHKドラマ「まんが道」にもレギュラーとして出演しています。

 

このように、冨士眞奈美さんは2022年現在も役者として活躍されていますが、加齢を理由に芸能活動を控えつつあるそうです。

 

 

冨士眞奈美の現在② コラムで過去の”不倫騒動”について語り話題に

 

冨士眞奈美さんは現在も執筆活動を続けており、2022年9月に「週刊女性PRIME」で公開されたコラムでは、若い頃に取材を兼ねて行ったヨーロッパ旅行について語っています。

 

コラムによると、冨士眞奈美さんは20代の頃に役者の小林千登勢さんと2か月のヨーロッパ旅行に。

 

ちょうどその頃、日本では冨士眞奈美さんと某流行作家との不倫疑惑が報じられていました。

 

しかし、肝心の冨士眞奈美さんは、イタリアで初恋の人に会えないかと期待に胸を膨らませていたそうです。

 

イタリアに行ったときは、私の初恋の人との再会を密かに楽しみにしていた。彼はイタリアの警察で柔道を教えていて、これまでに3人のオリンピック選手を育てた、現地では名の知れた存在だった。

 

引用:冨士眞奈美「初恋の人との再会」「小林千登勢に激怒されて帰国」今だから語れるイタリア周遊中の思い出

 

結局、イタリアで初恋の人との再会は叶わなかったどころか、ショッピングではしゃぎすぎて散財。所持金がなくなってしまい、小林千登勢さんにも大激怒されたといいます。

 

その後、「十分に楽しんだ」と日本へ帰国するも、前述の不倫疑惑騒動でイタリア以上に大変な思いをしたと、当時の心境を吐露していました。

 

結局、私たちは東京へと戻る決断をした。十分、楽しい思いもしたし、「もういっか」。その数十時間後─、記事の真相を直撃しようと集まった記者たちに羽田空港で囲まれて、イタリア以上に大変な思いをするなんて夢にも思わなかった(笑)。でも私の“騒動”は、翌日に起きたケネディ大統領暗殺事件の宇宙中継のためにすっかり忘れ去られてしまった。

 

引用:冨士眞奈美「初恋の人との再会」「小林千登勢に激怒されて帰国」今だから語れるイタリア周遊中の思い出

 

ちなみに、不倫疑惑が報じられていたお相手の”某流行作家”については名前を明かしていませんが、一説では小説家・笹沢左保さんではないかと噂されています。

 

笹沢左保さんは当時、”女優キラー”という異名をつけられたほど女優と数々の噂が流れており、さらには自身の著書で、冨士眞奈美さんの名前を挙げていたこともあるようです。

 

 

冨士眞奈美の現在③ 過去に”不倫騒動”があった相手と再会していた

 

冨士眞奈美さんは2022年8月に公開された「週刊女性PRIME」のコラムで、前述の”某流行作家”との再会についても綴っています。

 

『「妻子ある”某流行作家”と不倫して同棲中、結婚を控えている」と書きたてられたが、実際は姉や弟と暮らしており事実無根だったため、検察局へ異議申し立てをした」と明かしました。

 

しかし、その一方で当時はその作家について「恋愛気分だった」、「彼に手紙ばかり書いていた」とも述べています。

 

そのため、冨士眞奈美さんのいう”事実無根”が「不倫関係」を指しているのか、「同棲し、結婚を控えている」ことだけを指しているのかはあいまいです。

 

また、以下のようにも語っています。

 

それにしても騒動の渦中は、本当に大変だった。その流行作家はハンサムで恋愛体質だったので、私以外にもいろいろな女性と浮名を流していた。そんな関係に結局疲れてしまい、私のほうから離れてしまった。

 

引用:冨士眞奈美「亡くなる1か月前に会いたいと言われ…」かつて熱愛を報じられた流行作家との思い出

 

実際の2人の仲の程度はわかりませんが、恋人に近い関係であったことは確かなようです。

 

また、相手が亡くなる1か月前には、銀座で約40年ぶりに再会したといいます。

 

友人を通じて打診があったそうで、一度は断ったものの、「どうしても」と言われて再会することになったのだとか。

 

何を話しただろう。あれから年月が離れたし、男と女とでは年月の重ね方も違う。日々、いろんな現実が過ぎ去っていく。流れていくから、いろいろなことも忘れてしまう。私と同じように彼も忘れているものだと思っていた。でも、彼は忘れていなかった。

 

引用:冨士眞奈美「亡くなる1か月前に会いたいと言われ…」かつて熱愛を報じられた流行作家との思い出

 

その後、その作家は亡くなり、冨士眞奈美さんはテレビの訃報でその死を知ったといいます。

 

冨士眞奈美さんその作家を「いろいろな意味で忘れ得ぬ人」としながらも、40代で離婚してからは「恋愛という滑稽なことに時間を取られたくない」と一切恋愛はしていないそうです。

 

過去の不倫騒動での経験と離婚が、冨士眞奈美さんに「恋愛はもうこりごり」と思わせたのかもしれませんね。

 

 

まとめ

冨士眞奈美さんは役者として活躍する一方で、作家としても活動。また、20歳という若さで父親を亡くし、未成年であった弟と妹を引き取って養っていた苦労人でもあります。

 

若い頃には不倫騒動や結婚・離婚も経験。

 

子供である岩崎リズさんとは現在も関係は良好で、旧知の仲である黒柳徹子さんがホストを務める「徹子の部屋」でも度々共演しています。

 

加齢を理由に仕事をセーブしつつありますが、現在も役者として活動しながら執筆も続けていらっしゃいます。

 

自宅が物置状態になっているという現状は気になるものの、今後も元気に活動されていくのではないでしょうか。これからも末永くお元気で、現役として活躍し続けてほしいですね。

 

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