歌舞伎俳優の4代目・市川段四郎さんが自宅で亡くなり大きな騒動となっています。
この記事では4代目・市川段四郎さんの身長、家系図や家族、一緒に亡くなった嫁の喜熨斗延子さんとの結婚と子供の4代目・市川猿之助さん、病気で介護が必要だった現在や死因などについてまとめました。
この記事の目次
- 市川段四郎(4代目)のプロフィール
- 市川段四郎(4代目)の公称身長は163cm
- 市川段四郎(4代目)の家系図
- 市川段四郎(4代目)の家族① 父親は3代目・市川段四郎
- 市川段四郎(4代目)の家族② 母親は女優の高杉早苗
- 市川段四郎(4代目)の家族③ 祖父は初代・市川猿翁(2代目・市川猿之助)
- 市川段四郎(4代目)の家族④ 曽祖父は2代目・市川段四郎(初代・市川猿之助)
- 市川段四郎(4代目)の家族⑤ 兄は2代目・市川猿翁(3代目・市川猿之助)
- 市川段四郎(4代目)の家族⑥ 姉は女優の市川靖子
- 市川段四郎(4代目)の家族⑦ 嫁は喜熨斗延子
- 市川段四郎(4代目)の家族⑧ 子供は4代目・市川猿之助(2代目・市川亀治郎)
- 市川段四郎(4代目)の家族⑨ 甥は俳優の香川照之(9代目・市川中車)
- 市川段四郎(4代目)と嫁・喜熨斗延子の結婚
- 市川段四郎(4代目)の現在① 病気で長く自宅療養していた
- 市川段四郎(4代目)の現在② 嫁の喜熨斗延子の介護が必要だった
- 市川段四郎(4代目)の現在③ 自宅で嫁の喜熨斗延子と死亡
- 市川段四郎(4代目)の死因は向精神薬中毒の疑いと発表
- まとめ
市川段四郎(4代目)のプロフィール
4代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗宏之(きのし・ひろゆき)
生年月日:1946年7月20日
没年月日:2023年5月18日(76歳没)
出身地 :東京都
公称身長:163cm(歌舞伎俳優名鑑より)
血液型 :O型
歌舞伎俳優の4代目・市川段四郎さんが、2023年5月18日に都内の自宅で嫁の喜熨斗延子さん(死亡)と、子供の市川猿之助さん(救急搬送後回復)と倒れているところが見つかり、その後死亡が確認され、大きなニュースとなっています。
4代目・市川段四郎さんは1950年代から2010年代初めにかけて活躍した名歌舞伎俳優で、名門「澤瀉屋(おもだかや)」の柱の1人で歌舞伎界の重鎮でした。
4代目・市川段四郎さんは、1957年4月に歌舞伎座「熊野(ゆや)」の女童で初代・市川亀治郎を名乗って初舞台を踏みました。
1963年5月、歌舞伎座「雪月花三重暗闘」の沙那王で4代目・市川団子を襲名。1969年5月、歌舞伎座「根元草摺引」の五郎などで4代目市川段四郎を襲名しています。
それまでの功績により、1974年に重要無形文化財(総合認定)に認定されています。
1987年7月の歌舞伎座「悪太郎」の悪太郎などで松竹社長賞優秀賞、1993年には第15回眞山青果賞大賞、1995年3月歌舞伎座「菅原伝授手習鑑」の道明寺の宿禰太郎で歌舞伎座賞、1996年4月、歌舞伎座「東海道四谷怪談」の宅悦などで松竹会長賞、2001年には第20回眞山青果賞大賞、2001年には第2回とべとべ賞、2002年11月、国立劇場「仮名手本忠臣蔵」の石堂右馬之丞と加古川本蔵で国立劇場優秀賞、2009年には第30回松尾芸能賞松尾國三賞など数多くの賞に輝き、2016年には国から旭日双光章を授与されています。
市川段四郎(4代目)の公称身長は163cm
出典:https://www.sponichi.co.jp/
4代目・市川段四郎さんの公称身長は「163cm」です。
上の画像では子供の4代目市川猿之助さんと甥っ子の香川照之さん(9代目・市川中車)と並んで立っている写真です。市川猿之助さんと香川照之さんの公称身長はともに171cmです。
4代目・市川段四郎さんの公称身長は163cmと男性としては小柄ですが、舞台では圧倒的な存在感を放ち、実際よりもずっと身長が高く見えました。
市川段四郎(4代目)の家系図
4代目・市川段四郎さんの家系図です。
父親は3代目・市川段四郎さん、母親は女優の高杉早苗さん、祖父は初代・市川猿翁(2代目・市川猿之助として有名)、曽祖父は2代目・市川段四郎さんです。
兄弟には兄に2代目・市川猿翁さんがおり、その前嫁の宝塚出身の女優・浜木綿子さんとの子供が香川照之さんで、4代目・市川段四郎さんにとっては甥っ子に当たります。
4代目・市川段四郎さんの嫁の喜熨斗延子さんは、京都の友禅図案家・加藤庸三の長女で結婚後はほとんど表舞台には出ずに市川段四郎さんや子供の市川猿之助さんを支えられていました。
子供の4代目・市川猿之助さんは歌舞伎俳優として高い人気を集めていましたが、2023年5月18日に両親と共に一家心中を図った可能性が高まり、事件化の可能性もある事から表舞台への復帰は絶望的とみられています。
次の見出しから4代目・市川段四郎さんの主だった家族について1人ずつみていきます。
市川段四郎(4代目)の家族① 父親は3代目・市川段四郎
3代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗政則(きのし・まさのり)
生年月日:1908年10月5日
没年月日:1963年11月18日(55歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区
4代目・市川段四郎さんの父親は、1910年代から60年代にかけて活躍した歌舞伎俳優の3代目・市川段四郎さんです。
父親(4代目・市川段四郎さん祖父)の2代目・市川猿之助さん(初代・市川猿翁)さんと共演した「二人三番叟」、「連獅子」が代表的な名舞台として知られ、「御摂勧進帳」の弁慶、「矢の根」の五郎、「阿古屋」の岩永、「慶喜命乞」の村田新八郎などのはまり役でも知られています。
歌舞伎舞台以外でも活躍し、1952年の映画「喧嘩安兵衛」では中山安兵衛役で主演しています。
市川段四郎(4代目)の家族② 母親は女優の高杉早苗
高杉早苗のプロフィール
本名 :喜熨斗弘子(きのし・ひろこ、旧姓は清水)
生年月日:1918年10月8日
没年月日:1995年11月26日(77歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区
4代目・市川段四郎さんの母親は昭和初期から終わりにかけて活躍した女優の高杉早苗さんです。
3代目・市川段四郎さんとは1938年に結婚して一時女優を引退し、3人の子供を儲けています。(4代目・市川段四郎さんは3人目の子供で次男)
4代目・市川段四郎さんが生まれて2年後の1948年に女優に復帰し、梨園の妻として夫を支えながら映画やドラマを中心に数多く出演されていました。
市川段四郎(4代目)の家族③ 祖父は初代・市川猿翁(2代目・市川猿之助)
初代・市川猿翁のプロフィール
本名 :喜熨斗政泰(きのし・まさやす)
生年月日:1888年5月10日
没年月日:1963年6月12日(75歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区千束町
4代目・市川段四郎さんの祖父は、明治から戦後昭和にかけて活躍した名歌舞伎俳優の初代・市川猿翁さんです。2代目・市川猿之助としてよく知られています。
代表作として、「御浜御殿綱豊卿」の富森助右衛門、「慶喜命乞」の山岡鉄太郎、「勧進帳」の弁慶、「仮名手本忠臣蔵」の高師直・加古川本蔵、「義経千本桜」の忠信、「吃又」の又平、「神霊矢口渡」の頓兵衛、「鈴ヶ森」の幡随院長兵衛などが知られています。
1963年5月に孫の3代目・市川団子(4代目・市川段四郎さんの兄で現在の2代目・市川猿翁)に市川猿之助の名跡を譲り、初代・市川猿翁を名乗りますが、披露興行の前に病気が悪化し翌月に亡くなっています。
市川段四郎(4代目)の家族④ 曽祖父は2代目・市川段四郎(初代・市川猿之助)
2代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗亀次郎(きのし・かめじろう)
生年月日:1855年9月2日
没年月日:1922年2月6日(66歳没)
出身地 :江戸・浅草
4代目・市川段四郎さんの曽祖父は、明治・大正時代に活躍した歌舞伎俳優の2代目・市川段四郎さんです。
江戸浅草の立師・坂東三太郎の子供として生まれ、15歳で河原崎権十郎(後の9代目・市川團十郎)の門下に入り、35歳の時に初代・市川猿之助を名乗りました。
「仮名手本忠臣蔵」の高師直、「伊賀越道中双六」(沼津の段)の平作、「平家女護島」(俊寛)の俊寛などで知られています。
市川段四郎(4代目)の家族⑤ 兄は2代目・市川猿翁(3代目・市川猿之助)
2代目・市川猿翁のプロフィール
本名 :喜熨斗政彦(きのし・まさひこ)
生年月日:1939年12月9日
出身地 :東京府
公称身長:165cm
血液型 :A型
4代目・市川段四郎さんの兄は、戦後の時代から活躍する歌舞伎俳優の2代目・市川猿翁さんです。
1947年1月、東京劇場「壽式三番叟」の附千歳で3代目・市川団子を名乗り初舞台を踏み、10代の頃は、6代目・市川染五郎さん(現在の2代目・松本白鸚)、中村錦之助さん(現在の2代目・中村吉右衛門)と共に、「十代歌舞伎」と呼ばれて絶大な人気を集めました。
その後、1963年5月、歌舞伎座「吉野山」の忠信、「黒塚」の鬼女などで3代目・市川猿之助を襲名。そして、1986年には古典芸能化した歌舞伎とは異なる、現代風の演出を取り入れた「スーパー歌舞伎」を立ち上げ、歌舞伎界に新たな風を起こしました。
このスーパー歌舞伎では、4代目・市川段四郎さんも兄の片腕として数多くの作品に出演し、その成功の大きな力となりました。
2012年6月、7月の新橋演舞場で隠居名として2代目・市川猿翁を襲名。
私生活では、25歳だった1965年に宝塚出身の女優・浜木綿子さんと結婚し子供(香川照之さん)も誕生しますが、1年余りで結婚生活が破綻して別居状態となります。原因は日本舞踏藤間流名取の故・藤間紫さんとのW不倫でした。
お互いに離婚後の2000年、2代目・市川猿翁さん(当時は3代目・市川猿之助)は藤間紫さんと正式に結婚しています。その後、嫁の藤間紫さんは2009年に85歳で亡くなっています。死因は肝不全でした。
そんな4代目・市川段四郎さんの兄の2代目市川猿翁さんですが、現在は病気で舞台からは遠ざかって隠居状態であり、今回の4代目・市川段四郎さんが死去した事件の事はまだ伝えられていないという事です。
「現状で猿之助が喪主や仕切りを担うのは難しい。伯父の市川猿翁(83)は病身で、しばらくはこの事件を伝えないよう一門で取り決めがされたそうですから、猿翁が仕切ることもない」(梨園関係者)
市川段四郎(4代目)の家族⑥ 姉は女優の市川靖子
市川靖子のプロフィール
本名 :喜熨斗靖子(きのし・やすこ)
生年月日:1941年4月3日
没年月日:2003年11月21日(62歳没)
出身地 :東京都
4代目・市川段四郎さんの姉は、女優の市川靖子さんです。
学習院女子短期大学文科国文学専攻を卒業後に女優デビューし、時代劇や2時間ドラマ、舞台などを中心に活躍し、司会やアシスタントとしてワイドショー「アフターヌーンショー」や深夜バラエティ「11PM」などにも出演。
私生活では、1969年に俳優の川合伸旺さんと結婚し2人の子供に恵まれますが、その後離婚しています。
2003年11月21日に62歳の若さで亡くなっていますが、死因などは公表されていません。
市川段四郎(4代目)の家族⑦ 嫁は喜熨斗延子
4代目・市川段四郎の嫁・喜熨斗延子のプロフィール
生年 :1947年〜1948年
没年月日:2023年5月18日(75歳没)
出身地 :京都府京都市
4代目・市川段四郎さんの嫁は、喜熨斗延子(きのし・のぶこ)さんという方です。
4代目・市川段四郎さんの嫁・喜熨斗延子さんは京都の友禅図案家・加藤庸三の長女で、自身は日本舞踊坂東流の名取です。
4代目・市川段四郎さんとの結婚後も表舞台に出てくる事はほとんどありませんでしたが、梨園の妻として夫の4代目・市川段四郎さんや一人息子である4代目・市川猿之助さんの活躍を支えられていました。
関係者によると、静かに日本舞踊を嗜む、梨園の妻らしい女性だったとの事です。
74年に結婚した延子さんは京都出身で友禅図案家の長女。歌舞伎関係者は「控えめであまり表舞台に出る方ではありませんが、静かに日本舞踊をたしなむなど梨園の妻らしい方でした」と話した。
既に触れているように、2023年5月18日に都内の自宅で倒れているのが見つかり死亡が確認されています。発見された時には既に死後硬直が始まっており亡くなってから数時間が経過していたとの事です。
市川段四郎(4代目)の家族⑧ 子供は4代目・市川猿之助(2代目・市川亀治郎)
4代目・市川猿之助のプロフィール
本名 :喜熨斗孝彦(きのし・たかひこ)
生年月日:1975年11月26日
出身地 :東京都
公称身長:171cm
血液型 :O型
4代目・市川段四郎さんと、嫁の喜熨斗延子さんの子供は、立役、女方として人気が高い歌舞伎俳優の4代目・市川猿之助さんです。
4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんの子供は、4代目・市川猿之助さんののみで、一人息子ということでかなり大切に育てられたようです。
4代目・市川段四郎さんの子供である4代目・市川猿之助さんは、4歳だった1980年7月、歌舞伎舞台「義経千本桜」の安徳帝で初お目見得し、7歳だった1983年7月に歌舞伎座「御目見得太功記」の禿(かむろ)たよりにて、2代目・市川亀治郎を名乗って初舞台を踏みました。
2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」では、準主役級の武田信玄役を演じ、以降は歌舞伎舞台以外でも活躍の幅を広げドラマや映画に多数出演されており、近年ではドラマ「半沢直樹」(2020年版)や、2022年のNHK大河「鎌倉殿の13人」などへの出演で話題を呼びました。
2012年6月・7月の新橋演舞場「義経千本桜」(川連法眼館の場)の忠信実は源九郎狐、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のヤマトタケルなどで4代目・市川猿之助を襲名。
2015年には、伯父の2代目・市川猿翁さんが創始したスーパー歌舞伎をさらに発展させたスーパー歌舞伎Ⅱ第2作「ワンピース」の制作を担当し、自らも出演(ルフィ、ハンコック、シャンクス)して、プロデューサーとしての手腕でも高い評価を得ました。
今後も歌舞伎界を引っ張る存在として期待を集めていましたが、2023年5月18日に父親の4代目・市川段四郎さん、母親の喜熨斗延子さんと家族心中を図った疑いが強まり、今後の表舞台への復帰は難しいとの見方が優勢となっています。
市川段四郎(4代目)の家族⑨ 甥は俳優の香川照之(9代目・市川中車)
香川照之(9代目・市川中車)のプロフィール
生年月日:1965年12月7日
出身地 :東京都
公称身長:171cm
血液型 :AB型
4代目・市川段四郎さんの甥にあたるのが、兄の2代目・市川猿翁さんの子供である俳優の香川照之さんです。
香川照之さんは、生まれてすぐに父親の2代目・市川猿翁さんと母親の浜木綿子さんが離婚し、浜木綿子さんに引き取られて成長したため、幼い頃に歌舞伎界に入っていません。
東京大学文学部社会心理学科を卒業後に俳優として活動を開始し、クセの強い演技で人気を得てドラマや映画を中心に活躍。代表作としては、映画では「ゆれる」、「20世紀少年」、「カイジ」シリーズ、「るろうに剣心」、「鍵泥棒のメソッド」、ドラマでは、「利家とまつ」(NHK大河)、「坂の上の雲」、「龍馬伝」(NHK大河)、「半沢直樹」シリーズなどがあります。
2011年には、46歳にして歌舞伎界に進出して9代目・市川中車を襲名。2012年6月・7月の新橋演舞場「小栗栖の長兵衛」の長兵衛、「ヤマトタケル」の帝、「将軍江戸を去る」の山岡鉄太郎で襲名披露を行い、大きな話題となりました。
2013年1月の大阪松竹座「楼門五三桐」では、五右衛門で、父親の2代目・市川猿翁さんとの共演を果たしています。
その後も、歌舞伎俳優として「一本刀土俵入」の茂兵衛、「ぢいさんばあさん」の伊織などの新歌舞伎の他、「恋飛脚大和往来」の治右衛門、「夏祭」の義平次、「牡丹燈籠」の伴蔵、「芝浜革財布」の政五郎などえ、上方歌舞伎や世話狂言にも出演し高い評価を得ました。
俳優としても歌舞伎俳優としても成功を収めていた香川照之さんでしたが、2022年8月に一部週刊誌が、香川照之さんが2019年7月に銀座のクラブでホステスに対して性的な加害行為をした事を報じ、以降は出演を大きく減らしています。
今回の、4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さん、そして、4代目・市川猿之助さんの家族心中事件では、4代目・市川段四郎さん喜熨斗延子さんの葬儀を取り仕切る者がいないため、近しい親族である香川照之さんが仕切り役を担うのではとの推測も出ています。
「今回の事件で俳優への監督責任を問う声が多く上がっている松竹が表に立って仕切ることは考えにくい。現在の澤瀉屋のツートップの1人で、猿之助の従兄弟である香川照之(57)が仕切り役を担い、親族や弟子、一部の関係者を呼ぶだけになるのでは」(同前)
市川段四郎(4代目)と嫁・喜熨斗延子の結婚
4代目・市川段四郎さんと、嫁の喜熨斗延子さんは、1974年に結婚されています。
結婚時の年齢は4代目・市川段四郎さんが28歳、嫁の喜熨斗延子さんが27歳の時でした。
2人の結婚の経緯や馴れ初めについては詳しい事は明かされていませんが、当時の週刊誌などによると、4代目・市川段四郎さんの方が喜熨斗延子さんに一目惚れして結婚の話が進んだという事です。
市川段四郎(4代目)の現在① 病気で長く自宅療養していた
4代目・市川段四郎さんの現在についてもみていきます。
4代目・市川段四郎さんは2012年(2013年との情報も)の、長男の4代目・市川猿之助さんの襲名披露公演の最中に何らかの病気によって倒れ、以降は自宅療養を続けていたとみられるとの事です。
亡くなった市川段四郎さんは、2012年に病気をして以来、歌舞伎の舞台から遠ざかっていた。自宅で療養を続けていたとみられ、同居する猿之助が日常生活を支えていた可能性もある。
4代目・市川段四郎さんが何の病気だったのかは公表されておらず確かな事はわかっていません。
ただ、週刊誌「女性セブン」(2023年6月8日号)によると、4代目・市川段四郎さんが患っていた病気の1つは「肝臓がん」だったとの事です。
「段四郎さんは2013年の猿之助の襲名公演の途中で体調を崩してからは、表舞台には立っていません。最近はご自宅で療養されていたと聞いています。肝臓がんを患っていたうえ、それ以前から、セリフを覚えるのに苦労するといったことが重なっていたそうです」(歌舞伎評論家)
ただ、それ以前からセリフを覚えるのに苦労していたとの情報もあり、別の病気も患っていたのかも知れません。
市川段四郎(4代目)の現在② 嫁の喜熨斗延子の介護が必要だった
病気で倒れて以来、自宅で療養を続けていたという4代目・市川段四郎さんでしたが、嫁の喜熨斗延子さんの介護が必要な状態だったそうです。
この事から、嫁の喜熨斗延子さんが老老介護をしている状態で、それが負担になって家族での心中を図ったのではないかと推測する向きもあります。
歌舞伎俳優、市川猿之助(47)が18日に東京都内の自宅で両親と倒れているのが発見された騒動で、亡くなった父の市川段四郎さん(76)を母の喜熨斗延子さん(75)が老々介護していたとみられることが22日までに分かった。
関係者によれば、子供の4代目・市川猿之助さんは多忙だったため、必然的に嫁の喜熨斗延子さんが寝たきり状態の4代目・市川段四郎の介護をしていたとの事でした。
猿之助は歌舞伎公演にテレビに映画にと出ずっぱり。必然、父の介護の負担は高齢の母にかかることになる。
「献身的に介護をなさっていました。生来、面倒見のいいかたで、歌舞伎公演のロビーでは、よその家の女将さんにも分け隔てなく接してくれる“まとめ役”のようなかたで、ご贔屓筋からの評判もよかった」(前出・歌舞伎評論家)
一方、別の関係者からは、夫婦の親戚筋にあたる女性マネージャーが介護を手伝っていて、家族での心中を図るほど追い詰められている状況ではなかったはずとの情報も出ています。
「猿之助さんが介護を手伝うことはほとんどなかったが、同居はしていたし、段四郎さん夫婦の親戚にあたる女性マネジャーが頻繁に介護を手伝っていたので、そこまで追い詰められているという状況ではなかったはずでは……」
市川段四郎(4代目)の現在③ 自宅で嫁の喜熨斗延子と死亡
4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんが死亡し、子供の4代目・市川猿之助さんが意識が朦朧とした状態で救急搬送された事件についても改めてみていきます。
2023年5月18日の午前10時過ぎ、4代目・市川猿之助さんのマネージャー2人が自宅を訪れ、4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんが2階のリビングで仰向けの状態で並んで倒れているのを発見し、救急通報しました。
2人には首元まで布団が被せられ、頭にはビニール袋が被せられていたとの事です。
その後、4代目・市川猿之助さんも、半地下にある自室のクローゼットの中で座った状態で意識が朦朧としているところを発見され救急搬送されています。
嫁の喜熨斗延子さんは死後硬直が始まっており、現場で死亡が確認され、4代目・市川段四郎さんは搬送された病院で死亡が確認されました。
4代目・市川猿之助さんはその後、搬送された都内の病院を退院して警察病院へと移され、すでに警察による事情聴取が進められています。
4代目・市川猿之助さんは警察の事情聴取に、「家族会議を開いて、死んで生まれ変わろうと話し、両親が睡眠薬を飲んだ」と説明している事などが現在までにわかっています。
東京都目黒区の自宅で今月18日、両親とともに倒れているのが見つかった歌舞伎俳優、市川猿之助さん(47)について、警視庁が24日、任意で事情を聴いていることが、捜査関係者への取材で分かった。両親は死亡。当初、猿之助さんは「3人で話し合い、死んで生まれ変わろうとして両親が睡眠薬を飲んだ」などと説明しており、警視庁が詳しい経緯を調べている。
また、4代目・市川猿之助さんは、両親が亡くなったのを見てから半地下の自室へ行き、キャンバスに遺書(信頼を寄せていたマネージャー宛だった)を書き、首を吊って死のうとしたものの、そこで意識が朦朧としてきて、気がついた時には病院だったとの内容を話しているとの情報も出ています。
「猿之助さんは『両親が死んだのを見てから地下に行き、キャンバスに最後のメッセージを記し、首を吊ろうとしたが、意識が朦朧としてきて、気がついたら病院にいた』と証言しているそうです」(社会部記者)
なお、家族での心中を図った18日に発売の「女性セブン」(2023年6月1日号)が、4代目・市川猿之助さんが、自分より立場の弱い周囲の関係者に対してセクハラやモラハラなどのハラスメント行為を行なっていたとするスキャンダル記事を掲載しており、これが家族での心中の引き金となっと見るメディアもあります。
市川段四郎(4代目)の死因は向精神薬中毒の疑いと発表
4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんの死因ですが、警視庁は司法解剖の結果として、「向精神薬中毒の疑い」と発表しています。
歌舞伎俳優の市川猿之助(47)が東京都目黒区内の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された父親の歌舞伎俳優市川段四郎さん(76)と母親(75)の死因は向精神薬中毒の疑いと判明した。警視庁が19日、司法解剖の結果として明らかにした。
4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんの遺体から大量の向精神薬の成分が検出されたという事だと思われますが、「女性セブン」の続報記事などによると、検出されたのは「BZO」と総称されるベンゾジアゼピン系の薬物だったとの事です。
「猿之助一家がのんだのはBZOと総称される、ベンゾジアゼピン系の薬であることがわかっています」(前出・捜査関係者)
4代目・市川猿之助さんは以前から周囲に、眠れずに睡眠薬を飲んでいると話していた事から、処方された睡眠薬のうち飲まなかったものを大量にためていて、それが使用されたのではないかとの推測も出ています。
まとめ
今回は、2023年5月18日に、嫁の喜熨斗延子さんと子供の4代目・市川猿之助さんと共に自宅で倒れているのが発見され、その後、死亡が確認された歌舞伎俳優の4代目・市川段四郎さんについてまとめてみました。
4代目・市川段四郎さんは公称身長163cmと小柄ながら、堂々とした風格のある演技に定評があった歌舞伎界の重鎮でした。
家系図は、曽祖父に初代・市川猿之助として知られる2代目・市川段四郎がおり、祖父は歌舞伎界の風雲児として知られる2代目・市川猿之助を持つ名門の家柄です。
嫁は、1974年に結婚した喜熨斗延子さんで、子供は歌舞伎俳優としてトップクラスの人気を集める4代目・市川猿之助さんです。
歌舞伎界の重鎮として長く活躍した4代目・市川段四郎さんでしたが、2012年に病気で倒れてからは自宅療養を続けており、嫁の喜熨斗延子さんが老老介護をしている状況だったそうです。
そして、現在、自宅で家族3人で倒れているのが見つかり、4代目・市川段四郎さんと嫁の喜熨斗延子さんは死去。死因は「向精神薬中毒の疑い」と発表されています。
生存している4代目・市川猿之助さんは現在は警視庁の事情聴取を受けており、その説明の内容から家族での心中を図った可能性が高いとみられています。