琴旭基太造さんは元大相撲力士ですが、日本航空123便墜落事故で彼女を亡くした過去も話題です。
今回は琴旭基太造さんのプロフィールや経歴、日本航空事故との関係、結婚した嫁との馴れ初めや子供の有無、現在の様子もまとめました。
この記事の目次
琴旭基太造のプロフィール:元大相撲力士で最高位は東幕下5枚目
生年月日:1964年12月4日
出身地:東京都
所属:佐渡ヶ嶽部屋→引退
琴旭基太造(ことあさきたいぞう)さんは元大相撲力士で、本名は「角田博且」です。
現役時代は佐渡ヶ嶽部屋に所属し、最高位は1992年9月場所の東幕下5枚目。
1998年5月場所を最後に引退しており、引退後は飲食店を経営していました。
琴旭基太造の経歴① スカウトを受けて相撲の世界へ
琴旭基太造さんは堀越高等学校を中退。
17歳の時にスカウトがきっかけに相撲の世界へと入り、1982年3月場所で初土俵。同年5月場所より「琴角田」となりました。
その後、1984年3月場所から「琴天旭」、1991年9月場所より「琴旭基」と2度の改名。
琴旭基となった翌年の1992年には十両に近づく勢いで、7月場所では幕下14枚目で初日から5連勝を飾りました。勢いそのままに関取昇進かと世間の注目を集めましたが、結果は6勝1敗。
東幕下5枚目という現役最高位となったものの、”全勝で昇進確約”という状況であったため、悔しい結果となってしまいました。
また、正月特番「新春!大相撲部屋別対抗歌合戦」にも度々出演し、高い歌唱力で主力として活躍。全部で4回出場しており、そのうち3回も優勝しています。
琴旭基太造の経歴② 33歳で引退後は飲食店を経営
琴旭基太造さんは左ひざ靭帯の故障が影響し、1998年5月場所を最後に33歳で大相撲を引退。
同年10月に大阪府・心斎橋でちゃんこ料理屋「相撲茶屋 琴旭基」をオープンします。
ちなみに、東京都出身である琴旭基太造さんが大阪で開業した理由については「大阪の人情にほだされた」とコメントしていました。
同店では、琴雲龍さん・琴岩国さん・琴の新さんといった佐渡ヶ嶽部屋の後輩力士も勤務。
その後、店名を「呑み喰い場所 琴旭基」と心機一転改めています。
ちなみに、同店ののれんはロックバンド「聖飢魔Ⅱ」のデーモン小暮さんがプレゼントしたものなのだとか。2人はとても仲が良いとのことです。
2003年10月に脳出血を発症した琴旭基太造さんは、治療を経てリハビリをしつつ2004年9月に職場へと復帰。
しかし開店して5年がたったある夜。
友人と飲んでいると、博且は突然意識を失った。脳出血だった。手術をし、意識を取り戻したのは2週間後。
声が出ず、体が重い。後遺症で右手足の麻痺と失語症になった。
しかし2011年3月に閉店し、地元である東京へと帰郷しています。
琴旭基太造は日本航空123便墜落事故で彼女を亡くしていた
琴旭基太造さんは、1985年に発生した日本航空123便墜落事故で、当時付き合っていた彼女を亡くしています。
1985年8月12日午後6時12分に羽田空港を離陸した大阪行き日本航空123便が同24分ごろから操縦不能に陥り、約32分間の迷走の末、同56分、群馬県上野村の山中に墜落した。乗客509人、乗員15人のうち4人は救出されたが、520人が死亡、単独機の事故では世界最多の死者となった。
引用:日航機墜落事故 写真特集
事故の第一原因は、機体後部圧力隔壁の修理ミスによる破壊で(図1参照)、大量の高速空気が機内から流出し、(1)油圧制御装置、(2)補助エンジン、(3)垂直尾翼を破壊したことです。さらに第二原因として、4系統ある油圧制御配管を集中制御している単一な油圧制御装置が破壊されたため制御不能になったことです。
その彼女というのが、佐渡ヶ嶽部屋親方の後援会会長の娘さんだったといいます。
2人は大阪場所で出会い、元より相撲好きだったという彼女から「東京に進学予定」と連絡先を渡されたそうです。
当時まだ2年目の新米力士だった琴旭基太造さんはその立場の差に戸惑ったものの、徐々に惹かれ合うように。親方に内緒で、交際を始めたといいます。
17歳の時、相撲部屋にスカウトされた博且さん。博且さんには恋人がおり、博且さんが大阪場所に来ていた時に2人は出会った。恋人は、不動産会社の社長であり部屋の関西支部後援会長の一人娘だった。若い力士が軽々しく会話できる相手ではなかったが彼女の方から話しかけ、電話番号を博且さんに渡しそれがきっかけで頻繁に連絡が来るようになり、交際が始まった。
秘密の交際も1年4ヵ月を過ぎたころ、海外旅行から帰国した彼女と、彼女の母親とで、食事をしたという琴旭基太造さん。
食事の場では彼女の実家に遊びに行く約束もしていたといいます。そして、彼女は「新幹線で大阪に帰る」と、兵庫の実家へと帰っていきました。
1985年8月12日。あの事故の6時間前、彼女は昨日まで家族で海外旅行に行っていた。
そしてこの日、兵庫の実家に帰るという。ホテルで彼女の母親と3人で食事をした。
母親は2人の交際を応援してくれている。そこでお盆の予定を話し合っていた。相撲部屋もお盆になれば休みが取れる。博且は2日後に彼女の実家へ遊びに行く予定だった。
そしてそろそろ出発の時間。この時彼女は「新幹線で帰る」と言っていた。
琴旭基太造さんは当日、ニュース速報で日本航空123便墜落事故を知りますが、彼女から新幹線で帰ると聞いていたため、特に心配はしていなかったそう。
しかし彼女は両親とともに該当の飛行機に搭乗していたため、事故に巻き込まれてしまいました。
乗客名簿に彼女と彼女の両親の名を見つけた琴旭基太造さんは、慌てて彼女の家へと連絡するものの、何度かけても繋がりませんでした。
そして後日、一家と関わりの深かった親方の元に事故の報告と身元確認を依頼する連絡が入り、それを知った琴旭基太造さんは親方に許可を取り、遺体安置所へ。
事故発生から12日後に、彼女の遺体と対面することとなりました。
兄弟子が世話役へ懇願してくれた事もあり、博且は現場へ向かう事となった。事故現場へ向かった博且の目に映ったのはまさに地獄絵図だった。500人以上の犠牲者を出した飛行機事故。現場は混乱状態。泣き叫ぶ被害者家族たち。そして事故から12日後、博且は変わり果てた彼女と再会する。彼女は最後に会った日と同じ紺のワンピースに白いベルト姿だった。
それからしばらくして彼女の親友から、彼女が大切にしていたというスクラップブックを受け取った琴旭基太造さん。
スクラップブックには、琴旭基太造さんの取り組みに関する内容やメッセージが綴られていたといいます。
博且さんのもとには、亡くなった彼女の親友から1通の郵便が届く。手紙と一緒に同封されていたのは、彼女が大切にしていたというファイル。それは彼の活躍を丁寧に収めたスクラップブックだ。そこには日々の取組の勝敗や取組ごとに彼女のメッセージが書かれていた。また、彼女のアルバムも合わせて送ってくれていた。
琴旭基太造は日本航空123便墜落事故以来、慰霊登山を続けている
出典:https://pps.main.jp/feature/osutaka.html
琴旭基太造さんは事故から現在に至るまで、飛行機墜落現場である御巣鷹の尾根へ慰霊登山を続けているそう。
また、前述のちゃんこ店を大阪にオープンしたのも、彼女の墓が大阪にあり「出来る限りそばにいたい」という思いが強かったといいます。
琴旭基太造が結婚した嫁は10歳年上の一般人
琴旭基太造さんは、2015年12月4日に結婚しました。
大相撲の元幕下力士・琴旭基(ことあさき)の角田博且(ひろかつ)さん(51)が4日、不動産賃貸業を営む横瀬美保さん(61)と結婚したことが分かった。同日、都内の区役所に婚姻届を提出した。事故から30年間、恋人のことが忘れられず独身を貫いてきた角田さんは、「天国の彼女も祝福してくれると思う」と喜びをかみしめた。
お相手は10歳年上の一般女性・美保さんで、著書『元力士・琴旭基 〜運命を変えた日航ジャンボ機墜落事故、そして脳出血後遺症との戦い〜』の出版に尽力してくれた方なのだとか。
2人の出会いは1985年。美保さんは大の相撲ファンで、数多くの力士の取り組みを一眼レフカメラで撮影し、撮った写真を本人に手渡していたそう。
当時入門4年目だった琴旭基太造さんも、美保さんから写真を受け取っていたといいます。
それから時が経ち、2011年に店を閉めた琴旭基太造さんは兼ねてより考えていた、日本航空123便墜落事故で亡くした彼女のことを本にする決意をし、東京に戻って美保さんへと連絡。
脳出血の後遺症で右腕が不自由となってしまった琴旭基太造さんに代わり、執筆は美保さんが務めたといいます。
本は無事に出版された後、共に頑張ってくれた美保さんに対する自身の思いに気づいた琴旭基太造さんはプロポーズ。美保さんがそれを受ける形で結婚が決まりました。
12年7月、ようやく本の発行にこぎ着けた。タイトルは「元力士・琴旭基~運命を変えた日航ジャンボ機墜落事故、そして脳出血後遺症との戦い~」。約1年間、寝る間も惜しみ必死で手伝ってくれた美保さんに、角田さんは感謝するとともに、忘れかけていた恋愛感情が芽生えていた。「結婚してください」。自然なプロポーズに美保さんは優しくほほ笑んだ。
同年8月には彼女の墓標に本を備え、「君の分も、美保さんとともに生きるよ」と結婚を報告されたそうです。
琴旭基太造に子供はいる?
琴旭基太造さんは子供について明言していませんが、1985年に彼女を亡くして以来独身を貫いていました。
2015年に結婚されていますが、琴旭基太造さんが当時51歳、嫁・美保さんが61歳とのことですから、子供が誕生している可能性は低いと言えるでしょう。
琴旭基太造の現在① メディア出演は少ないもののブログは頻繁に更新中
琴旭基太造さんは現在、メディアにほとんど出演していません。
しかし、ブログ「元力士・琴旭基のブログ」を頻繁に更新しているため、近況は常に発信されています。
2023年12月に59歳のお誕生日を迎えた際には、合わせて結婚8周年の御祝いもされたようで、現在も夫婦仲は良さそうです。
琴旭基太造の現在② 日本航空123便墜落事故の特集番組に登場
出典:https://en-tama.jp/watch_72112
2023年11月には、日本航空123便墜落事故を取り上げたバラエティ番組「ザ!世界仰天ニュース3時間スペシャル」に出演し、当時を振り返ったインタビューに応じていました。
日本航空123便墜落事故で亡くした彼女の墓参りも継続されており、直近では2022年にその様子を報告。
2023年も命日に事故を振り返る投稿をしています。
今年もこの日が来た。昭和60(1985)年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲になった事故で、僕の彼女が亡くなった。38年の時間が過ぎても忘れることのできない悲しい出来事だけど、彼女には頑張って暮している僕を天国から見守ってほしいと思う。
まとめ
琴旭基太造さんは元力士で、大相撲引退後は飲食店などを経営していました。
また、日本航空123便墜落事故で彼女を亡くした過去を持ちます。彼女と死別して以降、独身を貫いてきたという琴旭基太造さんでしたが、2015年に一般女性と結婚。
お相手は10歳年上の女性で、事故で亡くした彼女について綴った著書を自費出版するにあたり尽力してくれたことがきっかけだったといいます。
現在はあまりメディアなどに出演されていませんが、ブログは頻繁に更新。夫婦仲良く、毎日を過ごされている様子が伺えます。
今後も末永く幸せでいてほしいですね。