幼い姉弟が犠牲になった痛ましい大阪2児餓死事件ですが、犯人で母親の下村早苗の壮絶な生い立ちや家族関係も話題です。
今回は事件の詳細、下村早苗の生い立ち、父親や元夫など家族、手記の有無、判決などその後や現在を紹介します。
この記事の目次
下村早苗が起こした大阪2児餓死事件とは
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大阪2児餓死事件は、大阪府大阪市のマンションで、2人の姉弟が母親の育児放棄により餓死した事件です。
ニュースや新聞で事件が報道されると、その残酷さに日本中が震撼しました。
犯人として逮捕されたのは、当時23歳だった母親の下村早苗容疑者です。
自宅マンションに置き去りにされた2人は、普段から酷い環境で生活していたことが明らかになっています。
まずは、事件の概要から紹介します。
事件概要
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2010年7月30日、大阪市西区にある比較的繁華街に近いマンションの近隣住民から、「異臭がする」という通報を受けた警察官が駆け付けました。
ワンルームに散らばるゴミの山の中からは、3歳の桜子さんと1歳9ヶ月の楓さん姉弟の遺体が発見されました。死因は餓死で、死後1か月程経過した状態でした。
発見された時期が真夏であったことから、遺体はかなり損傷していたようです。
逮捕された母親の下村早苗容疑者は、ホストに入れ込んで遊び歩き、育児放棄していたことが分っています。
下村早苗が子供を置き去りにした部屋が悲惨すぎると話題に
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大坂2児餓死事件で命を落とした姉弟が置かれた環境は、誰もが目を覆いたくなるような酷すぎる状況だったようです。
ゴミの山と排泄物による悪臭
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被害者である子供2人は、エアコンのないマンションの一室で、ゴミの山となったリビングに閉じ込められた状態で発見されました。
暑さを少しでも緩和させようとしたのか、洋服を脱いだ状態で寄り添うように倒れていたそうです。
玄関に繋がるドアには何重にもテープが貼られて、内側からは開くことができないようになっていました。
部屋の中で認められた家電は冷蔵庫のみで、しかも中は空っぽでした。冷蔵庫の扉には無数の手形が残り、子供たちが極限の空腹状態で、必死に食べ物を探していたことがうかがえます。
部屋にはジュースやカップ麺、スナック菓子の袋やおむつが山のように積み上がり、排泄物の臭いが充満していました。
遺体発見後の検死で、3歳の桜子さんは冷蔵庫内の辛子、マヨネーズ、そうめんの濃縮用の汁も舐めていたことが判明しています。
これらを漁っていた姉の桜子さんは食中毒を起こし、弟の楓さんより先に死去したようです。
2人の胃の中は空っぽで、最後に食べ物を摂取したのは50日前だと発表されています。
入浴用品や調理器具が無かった
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母親の下村早苗が、2人の子供に食事を作っていた形跡は認められていません。
ワンルームマンションには、包丁やまな板、鍋、フライパンなどの基本的な調理器具がありませんでした。
部屋に積み上がったゴミはスナック菓子の袋が多かったことから、日頃から子供達の食事は菓子類だったようです。
バスルームにゴミは見当たりませんでしたが、長期間利用された形跡が見当たらず、本来なら置いてあるはずのシャンプーや石鹸といった体を清めるための日用品さえ無かったのです。
そのため、2人の子供はかなり不潔な状態で過ごしていたことがうかがえます。
下村早苗の壮絶な生い立ちと家族① 両親の離婚
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報道番組で使われた下村早苗の画像
2人の子供を置き去りにしてしまったその背景には、下村早苗の壮絶な生い立ちが影響していると言われています。
ここからは、下村早苗と両親など家族との複雑な人間関係について紹介していきます。
父親はラグビー界の有名人
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下村早苗の父親は下村大介さんと言います。三重県四日市農芸高校に勤務していた頃には、ラグビー部の顧問として東海大会で優勝を納めるなど、名監督として知られています。
そんな下村大介さんには3回の結婚歴があり、最初の結婚相手が下村早苗の母親でした。
下村早苗は2人の長女として誕生、2人の妹もいます。両親は下村早苗が小学生の時に離婚し、姉妹は3人共父親に引き取られています。
母親は育児放棄をした上で浮気をしていた
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両親が離婚した理由には、母親に原因があると言われています。
2012年3月に開廷された裁判で、下村大介さんは下村早苗の幼少期の家庭環境について「合宿から帰ると知らない男性が布団の中にいた」と、母親の浮気を明かしています。
別居当初、母親は娘3人を連れて家を出ましたが、家事をせずに遊び歩いていたそう。父親は、夜間に子供から「母親がいない」という電話を何回も受けていました。
そして娘達の様子を見に行くと、家はゴミだらけで着ている洋服は汚れが目立ち、髪の毛は皮脂でベトベトの状態でした。母親は明らかに育児をしていない様子でした。
両親が離婚後、母親は姿を晦ましたそうで、残された姉妹3人は父親が引き取っています。
下村早苗の壮絶な生い立ちと家族② 父親の再婚相手から差別される
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両親の離婚後、3人姉妹は父親に引き取られました。その後、父親が再婚したことで新たな家族ができるものの、義理の母親の態度に満たされぬ思いを抱くことになるのです。
義母の差別と父親の無関心
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父親が再婚すると、やがて腹違いの姉弟が増えました。下村早苗の裁判における証言によると、義母から差別を受けていたそう。
例えば運動靴を買ってもらう際、腹違いの姉弟はナイキで、下村早苗と実妹はスーパーのワゴンセールの靴、というような待遇の差があったようです。
頼りにすべき父親もラグビーの監督業が多忙だったせいか、家庭を顧みないタイプだったようで、相談相手もなく、満たされない幼少期だったようです。
下村早苗の壮絶な生い立ちと家族③ 中学生で性的暴力に遭う
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父親は再婚相手と3年で離婚、後に再々婚しています。
下村早苗は幼少期から家族構成が次々に変わっていく環境に身を置いており、義理の母親たちから愛情を受けることなく育ちました。
中学生になった下村早苗は、次第に不良とつるみ夜遊びをするようになり、男性関係が派手な学生だったようです。
これが影響していたのか、性暴力の被害者になりました。
相談できる家族がいなかった
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家出を繰り返していた下村早苗でしたが、父親は気に留める様子はなかったと言います。
そんな中、下村早苗は複数の男性からレイプ被害に遭うのですが、相談できる人間が家庭にはいませんでした。妊娠の有無を調べるために、担任教師が病院に付き添ったそうです。
高校生になると、父親は知人に下村早苗を預け、関東にある私立の学校へと転校させています。
環境が変わったことで、下村早苗は落ち着きを見せるようになりました。生活が落ち着くこと自体は良いことではあるものの、父親が娘ときちんと向き合っていないと指摘する声もあります。
高校を卒業後、割烹料理店に就職した下村早苗。後に、結婚する夫と出会うことになります。
下村早苗の壮絶な生い立ちと家族④ 元夫との結婚・離婚
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就職先の割烹料理店で夫との出会いがありました。ここでは、結婚までの経緯や結婚生活、やがて訪れる離婚について見ていきましょう。
元夫は大学生の羽根直樹
結婚相手の男性は、当時大学生の羽根直樹さんでした。割烹料理屋に度々客として訪れる中で、2人は恋仲になります。
2006年12月、下村早苗の妊娠をきっかけに2人は結婚、そして2007年に長女・桜子さんを出産しました。
結婚生活はうまくいっていたようで、下村早苗は日々の様子をブログにつづるなど当時の幸せな様子が見てとれます。
しかし、長男の楓さんを出産した後から夫婦仲は冷えていったようで、下村早苗は夜遊びに興じるようになってしまったのです。
やがて下村早苗の不倫が発覚したことで、元夫と義理の両親から離婚を言い渡されました。子供は下村早苗が引き取り取っています。
離婚後に追い詰められた下村早苗
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子供を引き取った下村早苗は、シングルマザーとして2人の子供を育てる生活になり、徐々に精神的に追い込まれていきました。
大坂で風俗嬢として働き始めますが、親族とは絶縁状態で頼れる人もおらず、生活は困窮する一方でした。
元夫からの養育費も受けとれなかったことも、貧困の原因の1つでした。
さらに、下村早苗がインフルエンザに罹った際、元夫に助けて欲しいと連絡したものの、「急にそんなこと言われても」と助けてもらえなかったことも孤独を深めることになりました。
勤務する風俗店には託児所が完備されていましたが、一度預けたところ体制がずさんだったようで、「これなら自分で見た方がマシだ」と思い、ますます頼るところがなくなっていきました。
その結果、下村早苗は「子供なんていなければ良いのに」と考えるようになり、次第に育児放棄するようになりました。
下村早苗の事件前後の異常な行動まとめ
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こうして徐々に心理的に追い詰めれらた下村早苗は、子供との関わり方が一気に悪化していったことが判明しています。
ホストクラブ遊びで家に帰らなくなった
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ホストクラブに通い詰めるようになった下村早苗は、家に帰らなくなっていきました。最初は1日でしたが、次第に数日間家を空けることも増えていきました。
そのたびに、子供が長時間泣き続けているという通報が児童相談所に何回か寄せられています。
児童相談所の職員が何回か家庭訪問をしていますが、下村早苗は不在だったようで、毎回「連絡をください」というメモを残していたものの、連絡が来ることはありませんでした。
子供の遺体を見ても遊んでいた
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2010年6月頃には、部屋の出入り口に粘着テープを貼り、玄関の鍵をかけて家を出るようになっていた下村早苗。
しばらくして、マンションの管理会社に近隣住民から異臭がすると通報があり、務める風俗店にも連絡が届きました。
勤務先から家を見てきた方がいいと諭されて久ぶりに帰宅すると、子供が無残な姿に変わり果てていたのです。
しかし下村早苗は、上司にメールで子供が死んでいることを報告したものの、そのまま交際相手の元へと遊びに出かけています。
その後、下村早苗からのメールを読んだ上司が警察に通報、近隣から異臭に関するクレームを受けていたこともあり、警察官がマンションに駆け付けて遺体が発見されました。
下村早苗が起こした事件の裁判や判決とは
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こうした経緯を経て逮捕された下村早苗は、起訴されて2012年に判決が下りました。
検察側と弁護士側で見解が大きく異なり、世間から大きな注目を集めることになったのです。
判決において懲役30年が確定
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留置期間に精神鑑定を受けた下村早苗でしたが、刑事能力に関しては問題ないという見解が示されています。
検察側は、冷蔵庫に食べ物を置いてなかったことや子供が弱っている状態を知っていたという点から、殺意があったとして無期懲役を求刑。
一方で弁護士は、下村早苗が幼少期に育児放棄を受けてきたことや子供への殺意はなかったと主張しました。
下村早苗も「子供のことは今も愛している。もう一度会いたい」と涙を流したのだとか。
しかし2013年3月、大阪最高裁にて殺人罪で懲役30年の刑が確定しました。
下村早苗の現在① 養子縁組をしている
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2020年で事件から10年が経過しました。下村早苗は現在服役しています。
服役中の様子を知るには、本人による獄中手記などが有効ですが、そのようなものがあるのでしょうか。
中村性に変更している
現在、和歌山県内にある拘置所で服役している下村早苗は、刑務所で知り合った女性と養子縁組をし、中村性に変わっています。
どのような経緯で養子縁組をしたのかは明かされていませんが、下村早苗はどうやら親族と絶縁状態が続いているようです。
母親は離婚後に行方知れずになり、父親は大阪府警と本人の間を取り持つ代理人を要請されても拒んだことが判明しています。
姉妹との関係も発表されていないので詳細は不明ですが、やはり頼れる間柄でも無さそうです。
このようなことから、養子縁組により新たな関係を築くと決意したのかもしれません。
現時点で手記は見当たらない
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裁判で「子供達を愛している」と涙ながらに語った下村早苗。現在の心境を語るような手記の発行はありませんでした。
下村早苗の現在② 住んでいたマンションはどうなった?
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事件が報道されてからというもの、下村早苗が住んでいた大阪府大阪市西区のマンションには、餓死した姉弟を悼み、花束やジュースを手向けて手を合わせる人が多数訪れていました。
あれから10年、事件の現場となったこのマンションのその後を調査しました。
住人交流会が開かれるも大半が退去
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事件後、マンションの住人の中で「桜楓会」と呼ばれる住民会が開催されていました。定期的に集まり、お互いに困った際には助けを求めるという趣旨の会でした。
こういった人との繋がりを保つ取り組みを暫く行われていましたが、現在では当時の住民の大半は退去してしまい、この住民会も取り止めになっているようです。
まとめ
出典:https://twitter.com/
2010年に起きた大阪2児餓死事件は、3歳の姉と1歳9ヶ月の弟が母親の育児放棄により餓死するというショッキングな事件です。
逮捕されたのは、子供達の母親である下村早苗容疑者。ホストクラブ通いに夢中になるあまり、1ヶ月以上帰宅していませんでした。
近隣からは「子供が長時間泣き続けている」「異臭がすごい」と度々苦情があった室内は、警察官が駆け付けた当時ゴミの山で、子供2人は絶命してからかなりの時間が経過していました。
裁判の判決により、下村早苗は殺人罪で懲役30年の刑が確定。現在は、和歌山県にある拘置所で服役中です。
下村早苗は、幼少期に母親に育児放棄され、父親が家庭を顧みない仕事人で再婚相手からは差別されるという、決して幸せな環境ではありませんでした。
しかし生い立ちを考慮しても、幼い子供を餓死させた罪は軽くなるわけではありません。この先、同様の事件が起こらないことを願うばかりです。