「沖縄うるま市強姦殺人事件」は当時20歳の会社員女性・島袋里奈さんが、当時32歳の元海兵隊員・シンザト・ケネフ・フランクリンに強姦殺害され、遺棄された事件です。
今回は、このあまりに凄惨な事件の概要、犯人の生い立ちや日本人の嫁などの家族、裁判の判決や現在についてまとめました。
この記事の目次
「沖縄うるま市強姦殺人事件」とは?米人男性に沖縄の女性が殺害された事件
2016年4月に沖縄県うるま市で発生した「沖縄うるま市強姦殺人事件」は、当時20歳だった会社員女性・島袋里奈さんが、元米海兵隊員で、事件当時は嘉手納空軍基地内のインターネット関連企業で契約社員として働いていた、シンザト・ケネフ・フランクリンという当時32歳の男に強姦の上殺害され、その後死体を遺棄された事件です。
基地問題に揺れる沖縄での、元アメリカ軍兵士で現在も米軍基地関連企業で働いていたアメリカ人男性による残忍で凶悪な犯行に対して、沖縄県民のみならず、その他の地域の多くの日本国民からも怒りの声が上がりました。
この「沖縄うるま市強姦殺人事件」は、アメリカ軍高官の謝罪や日米両政府による被害者遺族への見舞金支払いが行われるなど、日米の国際問題にまで発展して注目を集めました。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の詳細
ここからは、「沖縄うるま市強姦殺人事件」について、時系列順に詳細にまとめていきます。
被害者女性・島袋里奈が交際相手にLINE送信したきり行方不明に
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の被害者・島袋里奈さん(うるま市会社員・当時20歳)が、2016年4月28日午後8時頃、同居していた交際相手の男性にLINEで「ウォーキングしてくる」とメッセージを送信したきり行方不明になります。
翌4月29日の午前2時頃、交際相手の男性が外出先から「今から帰る」と島袋里奈さんにLINEでメッセージを送ると「既読」表示はされたものの、それに対する返信はありませんでした。
その後、交際相手男性は帰宅しても、島袋里奈さんが自宅にいなかったため、午前2時40分頃に「でかけてるの?」とLINEを送信していますが、このメッセージは「既読」の表示になりませんでした。
行方不明事件として警察による捜索が開始される
出典:https://www.okinawatimes.co.jp
交際相手の男性は、翌朝まで待っても島袋里奈さんが帰宅しない事を心配して家族に相談、その後沖縄県警うるま署に捜索願を届け出て、沖縄県警は捜索を開始。
警察の調べで、島袋里奈さんのスマートフォン位置情報は、うるま市の自宅から1〜2キロメートルほど離れた、うるま市洲崎という場所で、4月29日2時40分頃に途絶えていた事が判明します。
沖縄県警は、島袋里奈さんが事件当日に歩いたと見られるコースや、スマートフォンの位置情報が途絶えた付近の防犯カメラの映像を解析し、当日以降にそこを往来した約300台の自動車の持ち主に事情を聞いていました。
米軍関係者・シンザト・ケネフ・フランクリンが緊急逮捕される
その300台の車の中に、米軍関係者が所有する車両を示す「Yナンバー」の車が含まれていました。この車の持ち主は、元米軍海兵隊員で、当時は米軍嘉手納空軍基地内のインターネット関連企業で契約社員として勤務していた、当時32歳のシンザト・ケネフ・フランクリンという男でした。
シンザト・ケネフ・フランクリンは、捜査員が事情を聞きに訪れた際、動揺した様子を見せたため、警察は任意で該当車両を提出させて車内を調べたところ、被害者・島袋里奈さんのDNA型検出されます。
これを受け、沖縄県警は5月18日、シンザト・ケネフ・フランクリンを重要参考人として任意聴取したところ、「動かなくなった女性を雑木林に捨てた」と自供したため、翌19日の午後に恩納村内を捜索し、被疑者の自供の通りの場所から、被害者とみられる遺体を発見、沖縄県警はシンザト・ケネフ・フランクリンを死体遺棄容疑で緊急逮捕しました。
犯人・シンザト・ケネフ・フランクリンの供述
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人、シンザト・ケネフ・フランクリンは、警察の取り調べに対し、事件当日の4月28日に2〜3時間ほど車で走りながら乱暴する相手を探していたところ、午後22時頃に、ウォーキングをする島袋里奈さんを見つけと供述。
その後、シンザト・ケネフ・フランクリンは、うるま市の工場地帯の路上で島袋里奈さんに背後から近づき、後方から頭部をスラッパーと呼ばれる、長さ約30センチの鉛製の打撃棒で殴りつけた後、草むらへと連れ込んで首を絞め、ナイフで首の後ろ付近や、背中や右肩付近、膝の裏側あたりを刺すなどした後、車に連れ込んだが目的を遂げられなかったと話しました。
その後、一連の暴行の結果動かなくなった島袋里奈さんをスーツケースに入れ、車で恩納村の雑木林へと運んで遺棄した事など、犯行の一部始終を供述しています。
また、シンザト・ケネフ・フランクリンが、犯行後に犯行に使われた自動車内に塩を撒くなどして証拠隠滅を図っていた事なども判明しています。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人・元米兵のシンザト・ケネフ・フランクリンとは
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人、シンザト・ケネフ・フランクリンは、2007年7月からアメリカ国防省で「ノンキャリア」の事務員として勤務しています。
2011年9月からは、ワシントンD.Cの海兵隊に配属され、この間に在日米軍基地に配属された事もあったようですが、前線に立つ実戦的な兵士としてではなく、主に裏方の事務員として備品管理や経理、記念行事の運営、武器の使用法の指導などを担当していたという事です。
2014年9月にアメリカ軍を除隊した後、かつて軍人として赴任していた事のある日本へと再び戻り、2015年4月からアメリカ軍嘉手納空軍基地内のインターネット、ケーブルテレビなどの関連事業を運営する企業で契約社員として働き始めたようです。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人の家族は?日本人女性の嫁と子供がいた
その後の調べで、「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人、シンザト・ケネフ・フランクリンは、事件数年前に同世代の日本人女性と結婚し、子供が生まれたばかりだった事が判明しています。
「シンザト」というのは、この嫁の家の姓である「新里」で、シンザト・ケネフ・フランクリンが嫁の家に婿として入る形での結婚だったようです。
日本語があまり話せないシンザト・ケネフ・フランクリンは、嫁の家族らのサポートを受けながら生活していたという情報も上がっています。
また、2016年春頃には、この嫁の父親がリフォームした沖縄本島南部に位置する与那原町の一軒家に、嫁と生後数ヶ月の子供の3人で引っ越して来て、義父母と共に家族で生活していた事なども判明しています。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の後、シンザト・ケネフ・フランクリンの嫁と子供、義父母らはどこかへと引っ越し、この一軒家も売りに出されたという事でした。
裁判では嫁との結婚についての詳細も明らかに
裁判記録によれば、シンザト・ケネフ・フランクリンがこの嫁と結婚したのは、アメリカ軍から除隊する直前の2013年頃で、嫁は当時介護関係の仕事をしており、インターネットを通じて知り合ったようです。
結婚式は、アメリカで挙げられたようですが、嫁がアメリカに馴染めずにすぐに沖縄に戻り、この時に姓を「ガトソン」から「シンザト」へと変え、嫁の家へ婿入りする形となったようです。
また、事件から1年後に嫁とシンザト・ケネフ・フランクリンは離婚している事や、2人の間の子供は男児で、当時まだ1歳にもなっていなかった事なども判明しています。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人・シンザト・ケネフ・フランクリンの生い立ち
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人、シンザト・ケネフ・フランクリンの生い立ちについても、判明している事をまとめていきます。
シンザト・ケネフ・フランクリンは、アメリカ・ニューヨーク州の極貧の地域に生まれ、幼少期は未婚の母親に育てられたようです。
現在もアメリカ・ニューヨークに住む母親の証言によれば、幼少期のシンザト・ケネフ・フランクリンは、内気な性格で学校でいじめられた事もあり、11歳の頃には学校に行きたがらなくなった事もあったという事です。
しかし、その後、極貧の母親は息子を育てる事が出来なくなり育児放棄、シンザト・ケネフ・フランクリンはそれから、複数の里親の元を転々としながら育ったようです。
シンザト・ケネフ・フランクリンは高校を経て、メリーランド大学のユニバーシティー・カレッジ校を卒業後、アメリカ国防省にノンキャリアの事務員として採用され、その後海兵隊へと配属されたと見られています。
裁判でもシンザト・ケネフ・フランクリンの生い立ちが述べられている
また、「沖縄うるま市強姦殺人事件」の裁判で弁護側は、シンザト・ケネフ・フランクリンの生い立ちについて、「成人するまで里親の家を転々としていた」とし、「その間、精神的な障害の治療を続けていた」と述べており、海兵隊の入隊前にはアメリカ国内の病院でうつ病の治療を受けていた事なども判明しています。
これに関連して、シンザト・ケネフ・フランクリンは「幼少期から幻聴に悩み、自殺を図ったことがある」などと供述しており、犯行については「高校生の頃から女性を連れ去って暴行したいという願望があった」などとし、犯行時にはその欲求が強まったなどと発言しています。
また、シンザト・ケネフ・フランクリンのFacebookでは、日本のファンタジー漫画のファンだった事などが記述されており、一般的に想像される荒くれ者のアメリカ軍人というよりは、内気でオタクな性格の男だった事などが指摘されています。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の犯人・シンザト・ケネフ・フランクリンの裁判の判決と現在
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の裁判員裁判は、2017年11月16日に那覇地方裁判所で初公判が開かれました。
シンザト・ケネフ・フランクリンは殺意を否認
シンザト・ケネフ・フランクリンと弁護団は、「島袋里奈さんを気絶させ、スーツケースに入れてホテルに連れ込んで暴行する予定で、殺意は無かった」などと主張し、強姦致死と死体遺棄では、有罪を認めたものの、殺人罪については否認する姿勢を示しました。
対する検察側は、シンザト・ケネフ・フランクリンが、事前に、犯行に使うために音の立ちにくいスラッパーと呼ばれる打撃棒や、遺体を運ぶためのスーツケースを用意している事、被害者に対する過剰な暴行の数々を証拠として挙げ「殺意が認められ、殺人が成立する」として、無期懲役刑を求刑します。
殺人罪が認められ「無期懲役」の判決が下る
2017年12月1日、判決公判が開かれ、裁判長は「殺人罪」の成立を認定し、「刑事責任は誠に重大で酌量の余地はない」と述べ、求刑通りの「無期懲役」の判決を下しています。
この判決を不服として、シンザト・ケネフ・フランクリン側は控訴しています。
控訴審でも「無期懲役」判決が下り刑が確定
2018年9月20日、福岡高等裁判所那覇支部で開かれた控訴審でも、裁判所は殺人罪成立を認め、被告側の控訴を棄却。一審判決通り「無期懲役」判決が下されています。
この判決に対し、シンザト・ケネフ・フランクリン側は上告せず、上告期限の2018年10月5日をもって「無期懲役」判決が確定しています。
「沖縄うるま市強姦殺人事件」のその後〜現在
「沖縄うるま市強姦殺人事件」は基地問題に揺れる沖縄で発生した、元米兵による女性への強姦殺人という事もあって、沖縄県民をはじめとし、日本国民の多くから怒りが噴出し、一時は日米の国際問題にまで発展しています。
遺族側は「日米地位協定」に基づき、アメリカ政府に対して補償金を請求しますが、アメリカ側は、犯人のシンザト・ケネフ・フランクリンが「軍属」として扱われているものの、アメリカ軍に直接雇用されていたわけではないとして、保証制度の適用範囲外だと主張します。
対して日本側は、保証制度の対象に「間接雇用の関係者も含まれる」とし、日米の主張が対立しました。
最終的には、アメリカ側が一定金額を補償金として支払い、不足分を日本政府が見舞金という名目で支払う事で決着しています。
なお、この時の補償金額や日米での分担割合などは公表されていません。
現在も沖縄県民の怒りは強い
沖縄では、これまでにも米兵やその関係者による女性に対しての暴行事件が何度も起こっており、この「沖縄うるま市強姦殺人事件」の発生を受けて、沖縄の在日米軍の撤退などを求める声が一層高まっているようです。
米軍基地問題に関しては、大きな雇用を生み出している事などもあり、沖縄県民の間でも賛成派と反対派の声が分かれていますが、実際にこうした事件が発生している以上、怒りの声が湧き上がるのも無理からぬ事だと感じられます。
まとめ
元アメリカ海兵隊員により、当時20歳の島袋里奈さんが強姦の上殺害され遺棄されるという許しがたい事件「沖縄うるま市強姦殺人事件」についてまとめてみました。
犯人のシンザト・ケネフ・フランクリンは、「殺意はなかった」として殺人罪を否認しましたが、計画的な犯行内容から裁判所は殺人罪の適用を認め、「無期懲役」の判決が確定しています。
この事件の影響で、沖縄ではさらに米軍基地撤退を求める声が高まっています。こうした卑劣な犯罪行為を基地問題と直結して考える事は難しいですが、少なくとも沖縄の人々が苦しんでいる現状については、国民全体で注目し考えていく事が大切なのではないでしょうか?