昭和初期から中期を代表するイケメン俳優として知られる上原謙さんですが、嫁がハーフの噂もあります。
今回は上原謙さんの身長などプロフィールと若い頃の経歴、家系図、結婚した嫁2人や子供(息子と娘)、晩年と死因をまとめました。
この記事の目次
上原謙は昭和の大スター俳優
出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
若い頃の上原謙
日本人離れした目鼻立ちで視聴者の目を惹き、昭和初期から中期にかけて映画スターへと昇りつめた俳優・上原謙さん。
上原謙さんが死去したのが1991年なので、今の若い方はご存知ない方も多いかもしれません。
まずは、上原謙さんのプロフィールを振り返ってみましょう。
上原謙のプロフィール
出典:https://ja.wikipedia.org/
上原 謙(うえはら けん)
本名: 池端 清亮
生年月日: 1909年11月7日
出身地: 東京府東京市牛込区(現在の新宿区)
没年月日: 1991年11月23日
身長: 172cm
上原謙はイケメン高身長で日本人離れした容姿が話題に【ハーフではない】
出典:https://hakameguri.exblog.jp/
美男子ぶりがお茶の間に受けて、人気を博した上原謙さん。
若い頃の画像を見ると、まるで外国人のような彫の深い端正な顔立ちにスラリとした体形であることがわかります。
身長を調べたところ、172cmでした。
172cmは驚くほど高身長とは言えませんが、第二次世界大戦の終戦を迎えた1945年当時の日本の成人男性の平均身長は165cm。
時代を鑑みると、上原謙さんは平均よりも大きいことになります。
生前、女性関係が華やかだったのは、美男子と高身長という見た目も大きかったのかもしれませんね。
また、その見た目からハーフ説が出ているようですが純日本人です。
上原謙の華麗なる家系図 【先祖は由緒正しい武家】
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
晩年の上原謙
ここからは、上原謙さんの華麗だと言われている家系図について紹介します。
息子や孫が歌手や俳優として活躍していますが、先祖に遡るとかなり歴史がある家系なんです。
江戸時代は将軍家に仕えていた
出典:https://www.asahi.com/
上原謙さんは東京都新宿区出身で、本名は「池端清亮」さんと言います。
ルーツを辿ると、壇ノ浦の合戦に敗れて鹿児島に落ち延びて土着した平家一族が先祖なのだとか。
鹿児島では800年を超える由緒ある家柄で、江戸時代は薩摩藩島津家に仕える士族であったことが確認されています。
また、徳川第13代将軍家定の本妻に当たる篤姫の世話役を拝命していたようです。
上原謙の若い頃の経歴 【イケメンエピソード満載】
出典:https://www.pinterest.jp/
イケメン俳優として名を馳せた上原謙さんですが、芸能界デビュー前からその風貌で注目を浴びていたようです。
日本一の美少年と言われていた
出典:https://togetter.com/
上原謙さんの父親である池端清武さんは、東京で軍の士官をしていました。そのため、上原謙さんは東京で生まれ育っています。
上原謙さんは若い頃からその美少年ぶりが評判でした。
少年時代はボーイスカウトの音楽隊で指揮をしていたのですが、周囲から「日本一の美少年」と呼ばれていたというエピソードが有名です。
成城学校を卒業後には立教大学へ進学。大学ではオーケストラに参加し、得意のトランペットを担当していました。
複数の友人達が勝手に松竹に応募
出典:https://workin.jp/
大学校内でもその美男子ぶりが有名だった上原謙さん。
芸能事務所の松竹が新人募集の広告を出したことを知った友人達が、勝手にオーディションに応募してしまったそう。
オーディションでは上原謙さんの日本人離れした風貌が注目を集め、見事合格。
大学を卒業した1935年に松竹に入社し、すぐに「若旦那・春爛漫」に出演が決まって映画デビューしています。
次の作品「彼と彼女と少年達」では早くも主演に抜擢。ヒロイン役の桑野通子さんと「アイアイコンビ」と呼ばれて、人気が急上昇しました。
入隊先の軍はファンレターに忙殺
出典:https://fanletter-club.com/
当時の日本には徴兵制度がありました。職業に関係なく応じなればならない義務なのです。
上原謙さんも台湾で軍隊生活を送った期間がありました。
その期間中、上原謙さんへの大量のファンレターが届き、軍ではファンレターの山に忙殺されるという異例の事態に発展しました。
ちなみに、上原謙さんは原因不明の発熱が続き、所定の任務期間を待たずして除隊しています。
「愛染かつら」が大ヒット
出典:https://www.amazon.co.jp/
1938年に公開された映画「愛染かつら」は、「婦人倶楽部」で連載されていた小説が実写化された作品です。
上原謙さんは相手役の田中絹代さんとともに主演で出演します。
映画は大ヒットを記録し、翌年には「新愛染かつら」「愛染かつら完結編」が制作され、上原謙さんは引き続き主を務め、上原謙さんの代表作となりました。
映画の主題歌「旅の夜風」も空前の大ヒットとなり、当時の常識では考えられなかった80万枚の売上を叩き出して社会現象を巻き起こしました。
ちなみに、戦後の1948年にキャストを一新した「愛染かつら」が大映で封切られると、1954年、1962年にも新たな「愛染かつら」が制作されています。
最も売れた作品が最も嫌いだった
出典:https://kyun2-girls.com/
大ヒットを記録し、上原謙さんの人気を押し上げた映画「愛染かつら」でしたが、上原謙さんは最も嫌いな作品だと後にコメントしています。
初めて台本を読んだ時に、メロドラマにありがちなご都合主義の展開に辟易したのだとか。仕事を受けたものの、降板しようと本気で考えていました。
結局は最後まで撮影を終え、放送後は上原謙さんの人気はさらに高まっていきます。
しかし、この作品の主人公・津村浩三は、病院の院長の息子でイケメンという少女漫画のような設定だったため、以後は似たような役ばかり回ってきたそうです。
俳優として幅が狭くなることを危惧し、また映画界の常識に対して疑念を抱くようになった上原謙さんは、ある決断をすることになります。
松竹を退社
出典:https://biz.trans-suite.jp/
自身の出演作品に対する葛藤だけではなく、松竹の戦後の映画製作方針だった女性中心主義に反発した上原謙さんは、松竹から退社しました。
映画俳優では、初めての「フリーランス俳優」として再スタートを切ることになります。
その後は1948年に「三百六十五夜」、1951年「めし」、1953年「煙突の見える場所」、1954年「晩菊」「山の音」、1956年「夜の河」などに出演した上原謙さん。
日本映画史に残る名作に次々に主演して、見事に演技派俳優として脱皮に成功して一時代を築きました。
上原謙が結婚した最初の嫁は小桜葉子 【嫁はハーフ?家系図もすごい】
上原謙さんは生涯2回結婚をしています。
最初の嫁は、子役女優として知られた小桜葉子さん。美貌が絶賛されていますが、その家系図もすごいんです。
小桜葉子のプロフィール
出典:https://ja.wikipedia.org/
小桜 葉子(こざくら ようこ)
本名: 池端具子
生年月日: 1918年3月4日
出身地: 東京市麹町区霞ヶ関(現在の千代田区)
7歳の頃に小笠原プロダクションに入り、子役デビューを果たしました。「小桜葉子」という芸名は、母親が使っていたペンネームをそのまま名乗ったと言われています。
翌年に松竹へと移籍すると、主演も果たして大活躍しました。
その後、年齢が上がると徐々に人気は落ち着きを見せたようです。
嫁の家系図がすごい
出典:https://kosen-kantei.jp/v
小桜葉子さんの曾祖父は、明治の元勲であり、昭和の500円札の肖像として登場した岩倉具視です。
岩倉具視が死去した際には、日本初の国葬が営まれましたことでも有名です。
祖父は宮内大臣を務めた岩倉具定さん、父親は伯爵の岩倉具顕さんで、母親は女優の青木忍さんです。
さらに、弟の岩倉具憲さんは、存命時にパシフィックホテルの社長を務めていました。
まさに華麗なる一族という呼び名がピッタリですね。
嫁はハーフって本当?
小桜葉子さんの特筆すべき点はその美貌で、和製エリザベステイラーという異名を持っていました。
ハーフの噂も浮上しており、確かに若い頃の画像を見ると、日本人とは思えないはっきりとした目鼻立ちをしていますね。
しかし、祖父母も両親も日本人であるため、ハーフではありません。
世の中を見渡すと、「ハーフは美形」というイメージがありますね。
小桜葉子は上原謙の女性関係に苦労していた
出典:https://twitter.com/
2人が結婚を発表したのは1936年10月のこと。2人の馴れ初めは明かされていません。
当時、スター女優の桑野通子さんとのロマンスがあったので、周囲には驚かれたようですが、美男美女のお似合いのカップルだと祝福されています。
嫁の小桜葉子さんは結婚時18歳で、これを機に芸能界からの引退を表明しました。
例外として、1957年に公開された映画「お茶漬けの味」に上原葉子として特別出演していますが、それ以外は、2人の子供を持つ一般人女性として生活を続けていたようです。
上原謙さんは女性関係が派手で有名ですが、結婚後もこの傾向は変わらなかったようで、小桜葉子さんは上原謙さんの浮気を苦にして自殺未遂を図ったこともあったそうです。
嫁は52歳で死去…死因は?
小桜葉子さんは1970年に享年52歳で死去しています。死因は子宮がんでした。
亡くなる数年前、スキーの事故が原因で腎臓を損傷し摘出していました。
このことから腎機能障害を患っていて、がんの発見が遅れてしまったと言われています。
がんが見つかった時にはすでに末期の状態で、手の施しようがなかったそうです。
上原謙が結婚した2人目の嫁は大林雅美
出典:ここにURLを入力
再婚相手の大林雅美
上原謙さんが再婚を発表したのは1976年のことでした。
2人目の嫁は大林雅美さんで、38歳も年齢が離れた夫婦として話題になりました。
2人の出会いや、離婚までの経緯を紹介します。
2人の馴れ初めはクラブだった
出典:https://twitter.com/
大林雅美の若い頃
大林雅美さんは元女優ですが、出演作品がほとんど見当たらず、売れていたとは言えません。生活の足しにするためにクラブでホステスとして勤務していました。
大林雅美さんは、客として店に訪れた上原謙さんを「おっちゃん」と呼んで接客したそうで、大スターであることを知らなかったようですね。
日頃はどうしてもチヤホヤされることが多かった上原謙さんでしたから、「おっちゃん」と呼ばれ、かしこまらずに語り掛けてくる様子が新鮮だったのだとか。
いつしか客とホステス以上の関係に発展し、結婚に至ります。
再婚した上原謙さんは当時67歳で、大林雅美さんは29歳という年齢差が大きな注目を集めました。
息子の加山雄三さんをはじめ、親族は大林雅美さんとの再婚に大反対しましたが、それらを振り切り、上原謙さんは再婚に踏み切っています。
離婚の原因は?
出典:https://ure.pia.co.jp/
再婚した2人の間には娘2人が誕生し、幸せそのものかと思われましたが、1991年に離婚を発表しました。
注目を集めた離婚原因ですが、年月と共に仕事が減って、家にいる時間が増えていた上原謙さんは、それに比例するかのように夫婦喧嘩も増えていったからとのことです。
離婚後の上原謙さんは、息子の加山雄三さんの家に身を寄せて過ごしていました。
上原謙の子供① 息子は加山雄三
出典:https://news.yahoo.co.jp/
ここからは、2回の結婚を経てきた上原謙さんの子供について見ていきましょう。
息子が加山雄三さんであることは有名ですね。
しかし、上原謙さんと加山雄三さんとの間には確執があったことが報じられています。
幼少期に殴られたことがトラウマだった
加山雄三さんは、上原謙さんと小桜葉子さんの間に誕生した長男です。
成長した加山雄三さんは、俳優や歌手活動を開始すると「若大将」の愛称で知られる国民的な芸能人として人気を博しました。
そんな加山雄三さんは、2016年に放送されたNHK「サワコの朝」に出演し、少年時代における父親・上原謙さんとのエピソードを語っています。
ある時、長期間仕事で不在だった上原謙さんが帰宅した際、「お帰りなさい」と加山雄三さんは抱き付いたところ、その場で殴られたのだとか。
上原謙さんに「お前は、お父さんの許可なく、高いセメントを使っただろう」と怒られたそう。
10袋もあったセメントの袋のうち、1袋くらい使っても良いではないかという気持ちと、何も突然殴らなくてもという思いが反抗のきっかけになったそうです。
それでも父親を心底嫌いにはなれず、大林雅美さんと再婚時には父を想い、大反対の姿勢を貫いています。
上原謙の子供② 娘は仁美凌
出典:https://tadaimakaerimasita.blog.ss-blog.jp/
娘の仁美凌
上原謙さんの3人目の娘である仁美凌さんは、2人目の嫁である大林雅美さんとの間にできた次女です。
中学生の時に父親が死去したことで生活が一転、その後はかなり波乱万丈な人生を送っています。
若山騎一郎との結婚、そして離婚
出典:https://www.daily.co.jp/
仁美凌と結婚した若山騎一郎(右側)
仁美凌さんは1980年11月3日生まれで、2021年現在40歳を迎えています。
幼少の頃は私立の東洋英和幼稚園に入り、エスカレーター式に進学していました。
お嬢様として何不自由ない生活を送っていたのですが、両親が離婚したことで生活が大きく変わりました。
私立の中学校を退学し、江東区立深川中学校に転校。自宅も母親の大林雅美さんと2人で暮らすために引っ越しもしています。
地元の都立高校を卒業後は、タレント活動を行っていました。
2012年に俳優・若山富三郎さんの息子である若山騎一郎さんと結婚。
しかし1年も経たずに離婚を発表。さらに1年後に再び復縁…という、ジェットコースターのような人生を送っています。
2013年に再離婚
若山騎一郎さんとの電撃的な再婚を発表し、人生のやり直しを誓った直後の2013年、覚せい剤取締法違反の罪で夫婦揃って逮捕されるスキャンダラスなニュースが報道されました。
2人とも日本のスターと呼ばれる父親を持つ2世タレントですので、かなりのネームバリューでしたから、蜂の巣を突いた騒ぎになったのです。
裁判では懲役1年6ヶ月、執行猶予3年という判決が下されています。2014年に2人は再び離婚を発表し、さらに話題を攫いました。
現在は芸能界を引退しているようで、メディアでは見かけなくなってしまいました。
上原謙の晩年と死因
出典:https://www.pasonica.com/
上原謙さんは1991年11月23日に逝去し、82歳で人生の幕を降ろしています。
気になる死因について調査しました。
死因は心不全
出典:https://ameblo.jp/
大林雅美さんとの離婚後、上原謙さんは、息子の加山雄三さんの家に身を寄せていましたが、かなり足腰が弱っていたようです。
1人で入浴することを懸念されている状況でしたが、上原謙さんは「大丈夫だ」と介助を拒否。
しかし、お風呂でグッタリしているところを家族が発見し、病院に運ばれました。救急車で搬送されるも、蘇生することはありませんでした。
病院で死亡が確認され、死因は心不全だという判断がなされています。
まとめ
出典:https://gensun.org/
上原謙さんは、昭和初期から中期にかけて「イケメン俳優」として活躍しました。
デビュー前にすでに「日本一の美少年」という異名を持っており、複数の同級生が内緒で松竹のオーディションに応募したことで芸能界デビュー。
映画「愛染かつら」など多数の作品に出演して人気を獲得していましたが、役が固定されてしまうという葛藤と闘って、映画俳優フリー第1号になりました。
プライベートでは、美人女優の小桜葉子さんと結婚して2人の子供に恵まれるも、小桜葉子さんは52歳で死去し死別しました。
その後、クラブのホステスだった大林雅美さんと結婚。家族や親族からの大反対を押し切って再婚したものの、その後大林雅美さんと離婚。
わずか数か月後、上原謙さんは1991年11月に心不全で死去しています。
昭和を代表する一大スターの訃報に世の中は騒然となりました。
上原謙さんのご冥福をお祈りします。