マキ上田さんはジャッキー佐藤さんとのタッグ「ビューティ・ペア」で一世を風靡したプロレスラーです。
今回はマキ上田さんの若い頃の経歴、ギブアップで引退したのかどうか、旦那との結婚や子供、釜飯屋の女将としての現在を紹介します。
この記事の目次
マキ上田はビューティ・ペアとして活動していた元プロレスラー
マキ上田のプロフィール
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本名: 上田 真基子(うえだ まきこ)
生年月日:1959年3月8日
出身地:鳥取県鳥取市
身長:168cm
体重:62kg
マキ上田さんは元女子プロレスラーです。
1976年にジャッキー佐藤さんと「ビューティ・ペア」というタッグを組み、WWWA世界タッグ王座を獲得しました。
プロレスと聞くと男性ファンが多いイメージがありますが、ビューティ・ペアの2人を応援するファン層は女子高生が多く、女子プロレス人気の火付け役として現在も語り継がれています。
マキ上田の若い頃の経歴① スカウトされてわずか1年でデビュー
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マキ上田さんは鳥取県で2人姉妹の長女として誕生します。
地元の鳥取県立鳥取農業高校を1年で中退すると、全日本女子プロレスに入門。
プロレスを始めたのは、16歳の時に恵まれた体形を見込まれ、全日本女子プロレスからスカウトを受けたことがきっかけでした。
厳しいトレーニングを開始すると、メキメキと頭角を現わしていったマキ上田さんは、プロレスに対する原動力は負けず嫌いの性格にあったといいます。
早くも才能を発揮するマキ上田さんに意地悪をしてくる先輩がいて、「もっと強くなってやる。もし辞めるなら先輩をどついてからにしよう」と考え、闘志を燃やし自身を鼓舞してきました。
練習や意地悪に耐え抜いた結果、入門からわずか1年でジャッキー佐藤さんとビューティ・ペアを結成。1976年2月24日にデビューを果たしています。
マキ上田の若い頃の経歴② ジャッキー佐藤とのタッグが大人気に
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ペアを組んだジャッキー佐藤(右)
マキ上田さんが現役女子プロレスラー時代に、ビューティ・ペアとしてタッグを組んでいたジャッキー佐藤さんについて紹介します。
ジャッキー佐藤のプロフィール
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佐藤 尚子(さとう なおこ)
本名: 佐藤 尚子
生年月日: 1957年10月30日
没年月日: 1999年8月9日
出身地: 神奈川県横浜市港南区
身長: 173cm
ジャッキー佐藤さんは、地元の横浜市で育ちました。中学生時代は高身長を生かしてバスケットボール部で活躍していたそうです。
神奈川県立商工高等学校に進学するも2年生の時に中退。その後、全日本女子プロレスに入門しています。
1976年には、マキ上田さんと共にビューティ・ペアとして女子プロレスラーデビュー。
ビューティ・ペアを解散してからはソロで活動していましたが、2年後に一度引退します。
そして1986年に現役復帰するも、神取忍さんとの試合で敗北したことをきっかけに1998年に引退を表明。
引退後はスポーツプログラマーやトレーナーとして活躍されていましたが、胃がんを患い、1999年に41歳の若さで死去しました。
唯一ギブアップを取られた相手が神取忍
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現役時代のジャッキー佐藤さんは安定した強さを誇っていた選手ですが、生涯唯一ギブアップ負けを喫したのが、1987年7月18日に行われた神取忍さんとの伝説の喧嘩マッチでした。
実は、この試合の数日前にもマッチしていた2人。ジャッキー佐藤さんの攻撃が神取忍さんの負傷ヶ所にヒットしてしまったことで、ブチ切れた神取忍さん。
ジャッキー佐藤さん向かって、「そういうことなら、そういう試合をしましょうよ」と一騎打ちを申し込み、実現した試合だったのです。
試合開始のゴングが鳴った2分後、神取忍さんがジャッキー佐藤さんをナックルで殴ると、お互いに馬乗りになり、パンチを繰り出し合いました。
あまりもの迫力に、リングサイドにいた他の選手は、試合を見ながら泣いていたそうです。
試合が動いたのは、神取忍さんがアキレス腱固めでジャッキー佐藤さんの動きを弱めた時のこと。
駄目押しで神取忍さんは、ジャッキー佐藤さんに逆方向エビ固めを決めて締め上げにいきます。
神取忍さんは後年、当時を振り返り「関節技は全部本気で極めにいっていた」と、自身にとっての必殺技だったことを語っています。
ついにジャッキー佐藤さんはギブアップし、試合は終了。あまりにも激しい試合に観客は声が出なかったようで、会場は一瞬シンと静まり返ったそうです。
この試合に負けたことがきっかけで、ジャッキー佐藤さんは現役引退を決意しました。
マキ上田の若い頃の経歴③ ビューティ・ペアは歌手活動でも人気に
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マキ上田さんがビューティ・ペアとして活動していたのは、1976年2月から1978年2月までのわずか3年間のみです。
しかし、2人はこれまでの女子プロレス選手の常識を打ち破り、新しい風を呼びました。
ここでは、ビューティ・ペアとしての芸能活動を紹介します。
最初は鳴かず飛ばずだった
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ビューティ・ペアの2人が歌手としてデビューしたのは、1976年11月26日のこと。
ただし、デビューシングル「かけめぐる青春」をリリースするも、当初は鳴かず飛ばずでした。
試合前にリングで歌を披露しても、いかんせん人気がなかったので、観客はまばらな状態で、全日本女子プロレスは破綻寸前だったそうです。
そんなある日、試合後にジャッキー佐藤さんのもとにハチマキを巻いた女性ファンが数人現れます。それをきっかけに、徐々にビューティ・ペアに人気が出て、やがてブームに。
各地の試合会場には、ビューティ・ペアを目当てに女子高生のファンが観客として詰めかけるようになりました。
1977年の2月25日に行われたブラック・ペア戦では、会場となった体育館に女子高生、女子中学生の黄色い声が轟くという前代未聞の事態に。
一方で、ビューティ・ペアの2人は、歌の仕事が嫌で嫌で仕方がなかったそうです。
このためか、歌を歌っている最中はニコリともせず、愛想を振りまくこともありませんでした。
しかし、真顔で歌を披露する2人の姿に却って好感度が高まるという、当人も全日本女子プロレス団体も予想していなかった展開になりました。
後の女子プロレス界に影響を及ぼす
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ビューティ・ペアの人気が出始めると、デビューシングル「かけめぐる青春」のセールスは80万枚を超える大ヒットとなりました。
その後「真っ赤な青春」、「バン・ババン」、「青春にバラはいらない」、「シーサイド急行」、「愛のけものみち」をリリース。
また、当時トップアイドルとして人気絶頂だった「ピンク・レディ」と音楽番組で共演したこともあり、女子プロレスの宣伝として絶大な効果を発揮しました。
そんなビューティ・ペアの爆発的な人気は、後の女子プロレス選手の活動に大きな影響を及ぼしています。
後輩の芸能活動を挙げると、1977年当時の女子プロレス界で抜群のスタイルと美貌を誇ったナンシー久美さんは「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
長与千種さんとライオネス飛鳥さんは、「クラッシュギャルズ」としてタッグを組み、ビューティ・ペア路線を踏襲して1984年に「炎の聖書」をリリース。
また、アイドルのようなキュートなルックスだったキューティー鈴木さんは、グラビアやCM、トークショーなどに出演するなど、プロレス以外のジャンルでも幅広く活動しました。
マキ上田の若い頃の経歴④ ジャッキー佐藤との試合で引退決定・ギブアップした?
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プロレス選手としても、歌手としても人気を誇ったビューティ・ペアの2人でしたが、1979年にタッグを解散し、それと同時にマキ上田さんはプロレスラーを引退しています。
解散の理由やその後について調査しました。
解散を持ち掛けたのはマキ上田
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ビジネス的な理由でコンビを組んだビューティ・ペアの2人でしたが、マキ上田さんは社交的な明るい人物で、ジャッキー佐藤さんは1匹狼という真逆の性格だったそうです。
そのため、2人は基本的にウマが合わず、試合後もほとんど会話がない状態。もちろん、プライベートでも一緒に遊んだことは1度もありませんでした。
そして、コンビ結成から3年が経過する頃、ジャッキー佐藤さんは彼氏ができたことで恋愛にのめり込み、仕事に影響を及ぼし始めたそうです。
遠征中でも「彼氏に会いたい」と帰りたがるジャッキー佐藤さんに、マキ上田さんは「仕事と恋愛をきっちり分けて」とお願いしますが、同様の事態が重なり、ますます反目しあうことに。
そして我慢の限界に達したマキ上田さんは、ジャッキー佐藤さんに事前に相談することなく、直接社長に「解散したい」と直訴しました。
引退をかけた試合が行われた
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「どうか解散させて欲しい」と直訴したマキ上田さんでしたが、社長から帰って来た返事は「それなら最後にお前たち2人で試合をやって、負けた方はプロレスラーを引退しろ」というもの。
確かに、どちらかが引退すればタッグは解散になります。
マキ上田さんが社長の提案を受け入れたことで、1979年1月4日に後楽園ホールでの試合が組まれたのです。
一方、「何で今回に限ってマキちゃんが引退を懸けて挑戦するのか、私にはよくわからないですね」とジャッキー佐藤さんは困惑していたそう。
試合前に、マキ上田さんは「私の全てを賭けて試合をします」とマイクでファンに自身の決意を伝えました。
しかし、試合はジャッキー佐藤さんのエビ固めが決まり、マキ上田さんの引退が決定。
お互いに控室を訪ねることも、会話を交わすこともないまま、2人は別れました。
マキ上田さんとしては、試合で負けた自分から声を掛けるのも気まずいと思ったそうです。
マキ上田とジャッキー佐藤はビューティペア解散後どうなった?
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マキ上田さんの引退後、ジャッキー佐藤さんとの関係の変化について紹介します。
気まずいまま解散した2人は、その後、分かり合うことができたのでしょうか。
ジャッキー佐藤の死去前に温泉旅行へ
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女子プロレスを引退したマキ上田さんは、その後1年ほどタレントや女優活動をしていたので、テレビ局でジャッキー佐藤さんと顔を合わせることもありました。
しかし、お互い踏み込んで会話をすることはないまま、よそよそしい関係が続いていたそうです。
その後、マキ上田さんは芸能界からも引退し、地元の鳥取に帰り、スナックを経営していました。
そんな中、突然ジャッキー佐藤さんから連絡が来て、旅行に誘われたといいます。
マキ上田さんによると、温泉旅行が実現し、現役時代では考えられないほど楽しい旅行だったそうです。
旅行から帰った後には、ジャッキー佐藤さんから「楽しかった。また今度一緒に遊びに行きましょう」という内容の手紙が届き、マキ上田さんはその日が来るのを楽しみにしていました。
しかし、旅行から約1年後にジャッキー佐藤さんは胃がんで死去。再会は叶わなかったのです。
病気は敢えて隠していた
その後、ジャッキー佐藤さんの友人から、「マキ上田さんに言わないよう、病気について口止めを頼まれていた」と知らされたマキ上田さん。
どうやら、ジャッキー佐藤さんは生前「マキには弱っている自分を見せたくない、病気を治して元気になった時に笑顔で会いたい」と語っていたんだそう。
このため、マキ上田さんは、ジャッキー佐藤さんが胃がんの闘病をしていたことを、ジャッキー佐藤さんの死去後に知ることになったのです。
マキ上田が結婚した旦那は釜飯屋の経営者
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マキ上田さんは、48歳の時に釜飯屋を営む男性と結婚しています。
旦那はどんな人物なのでしょうか。馴れ初めについても紹介します。
旦那の店は浅草の田毎
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マキ上田さんの旦那は年齢が11歳年上で、浅草にある「田毎(たごと)」という老舗の釜飯屋を経営しています。
ちなみに、旦那はマキ上田さんの大ファンだったそうです。
釜飯屋の田毎は、裏浅草と呼ばれる閑静な住宅街に所在し、紺色のシックな暖簾が目印。店内はカウンターとテーブル席があり、釜飯の他に焼き鳥も人気メニューの1つ。
結婚後のマキ上田さんは、お店の女将として店を切り盛りしています。
旦那との馴れ初めは?
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東京にいる友人がスナックを浅草でオープンするという連絡を受け、鳥取に帰っていたマキ上田さんは東京に戻り、店を手伝っていました。
その店に、旦那が客としてきたことで知り合いました。
実は旦那は、友人から「マキ上田と会える店がある」と教えてもらって来店したようで、頻繁に通っては猛アタックしてきたそうです。
一方のマキ上田さんは、旦那とはそれまで友人として接していたのに、結婚を匂わすような言葉を言ってきたので「それってプロポーズなの?!」とビックリしたんだとか。
その後、マキ上田さんは旦那の情熱にほだされて交際に発展し、結婚に至りました。
マキ上田に子供はいるの?
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マキ上田さんと旦那の夫婦仲は良好ですが、子供を出産したという情報は入っていません。
一方、旦那はバツ1で、元嫁との間に2人の子供をもうけており、マキ上田さんは結婚と同時に旦那の息子2人とも家族になりました
そのため、自身で出産はしていませんが、継母となっています。
息子たちの名前や顔写真などは公表されていないものの、次男が跡継ぎとして店を手伝っていることが判明しています。
マキ上田の現在
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2022年12月で、マキ上田さんの年齢は63歳になりました。
日刊ゲンダイが2022年6月に掲載した、マキ上田さんのインタビュー記事を見ると、マキ上田さんは現在も釜飯屋で女将を続けているとのこと。
田毎で撮影されたマキ上田さんの画像では、現役時代の頃と変わらずスレンダーな体形を保っています。
釜飯屋はコロナ禍に入っても、長年浅草で人脈を作って来たおかげもあって、テイクアウトメニューを取り入れることで経営が傾かず済んでいるとのこと。
ただし、5月に旦那が脳梗塞で入院していたようで、現在は回復したものの、次男に店を譲ることを考えているんだとか。
マキ上田さんは「夫婦で趣味のゴルフをまたやりたいし、のんびり温泉とかもいいかな」といいます。
また、マキ上田さんは還暦を過ぎても、幸い病気ひとつなく元気そのものですが、ボケ防止の一環としてマージャンを始めたとのこと。
以前は、マージャンをする時には旦那と一緒が基本でしたが、今は1人でも出かけていて、楽しい日々を過ごしているようです。
まとめ
マキ上田さんについて、ジャッキー佐藤さんとタッグを組んだビューティ・ペア時代や、引退理由、釜飯屋を営む旦那との結婚や子供、現在の様子をまとめました。
結婚後、浅草にある釜飯屋の女将として店を切り盛りしています。
旦那との間に子供は誕生していませんが、旦那の連れ子である息子が店を手伝っていて、関係も良好な様子。
いずれ次男に店を完全に任せて、その後は夫婦水入らずでノンビリと余生を送るつもりでいるようです。
ビューティ・ペア時代の闘志あふれる姿とはガラッと変わったマキ上田さんですが、新しい人生も幸せのようで安心したファンも多いことでしょう。これからも元気で頑張ってほしいですね。