國松孝次(警察庁長官狙撃事件)の現在!真犯人は中村泰?経歴&結婚した嫁や子供の家族情報・後遺症も総まとめ

数ある未解決事件の中でも、特に闇が深いと言われる警察庁長官狙撃事件。

 

今回は被害者・國松孝次長官のプロフィールや経歴、結婚した嫁や子供などの家族情報、事件詳細と真犯人と言われる中村泰、後遺症の有無など現在を調べてみました。

 

この記事の目次

國松孝次 警察庁長官狙撃事件が起こった時代背景をまずチェック

 

数ある未解決事件の中でも、特に闇が深いと言われている警察庁長官狙撃事件

 

当時の警察官26万人のトップである國松孝次長官が命を狙われた、この前代未聞のテロ事件が起こった1995年は、まさに激動の一年でした…。

 

 

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1月17日に阪神大震災が発生

 

 

 

年明け早々の1月17日には、兵庫県淡路島を震源としたマグニチュード7.3の巨大地震が発生し、6,400人もの尊い命を奪う未曾有の大災害となりました。

 

 

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3月20日には地下鉄サリン事件が…

 

 

 

その約2ヶ月後の3月20日には、東京都の複数の地下鉄車両内で猛毒の神経ガス・サリンが撒かれるという同時多発テロ事件が発生。

 

世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を使った無差別テロ事件に、日本中が震撼しました。

 

今まさに日本の安全神話が崩れ去ろうとする中、國松孝次長官率いる警察は、地下鉄サリン事件から2日後の3月22日、関与が疑われていたオウム真理教への強制捜査を開始したのです。

 

 

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オウム真理教の関連施設に強制捜査が入る

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件は謎深き世紀の未解決事件

 

そして、オウム真理教への強制捜査の8日後の1995年3月30日に起きたのが、今回注目する國松孝次長官を襲った警察庁長官狙撃事件だったのです。

 

さらに、事件発生直後にオウム信者らしき人物から、犯行声明ともとれる1本の電話が入ったこともあり、当然、警察の目はオウム真理教に集中することになります。

 

 

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警視庁公安部主導の下、警察の威信をかけた懸命の捜査が展開されたのですが、いくら調べても公判を維持するだけの証拠が得られず、やがて捜査は暗礁に乗り上げることに…。

 

その一方で、警視庁刑事部は同じく拳銃を使った別の事件の捜査から、偶然、ある一人の男に辿り着いていました。

 

その男がこちらの中村泰。

 

 

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中村泰(なかむら ひろし)

 

 

中村泰は、東大中退の“老スナイパー”にして「生まれついてのテロリスト」と呼ばれ、これまでにも度々、拳銃を使った凶悪事件を起こしてきた人物です。

 

なんと、この男からは「警察庁長官狙撃事件は自分がやった」との自供を引き出したばかりか、捜査を重ねるに従って、次々と新たな証拠が得られ、供述の裏付けが取れていったのです。

 

当時、刑事部で捜査の陣頭指揮を執っていた元警視庁刑事部捜査1課長の佐久間正法氏は、警察庁長官狙撃事件における中村泰の犯人の可能性について、後に次のように述べています。

 

「100%を越えて、私は今では200%確実にこれは犯人である…という心証をもっています」

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しかし、なぜか当時の警視庁捜査1課長をして、「200%真犯人」とまで言わしめた男、中村泰が逮捕されることはなかったのです。

 

 

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そして2010年3月30日、近代警察が誕生して150年、その長い歴史の中で唯一、警察組織のトップを標的とした前代未聞のテロ事件「警察庁長官狙撃事件」が時効を迎えることに…。

 

そこで今回、「警察庁長官狙撃事件」の被害者、國松孝次長官(当時)のプロフィールや経歴、事件詳細と捜査の経緯、真犯人として浮上するも逮捕されなかった中村泰をまとめてみました。

 

さらに、後遺症が心配される國松孝次氏の事件後や現在の活動、結婚した嫁や子供などの家族に関する情報についても調べましたので、ご紹介します。

 

 

 

國松孝次のプロフィール

 

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プロフィール

 

・名前: 國松 孝次(くにまつ たかじ)

・生誕: 1937年6月28日

・出生地: 静岡県浜松市

・出身高校: 静岡県立浜松西高等学校

・学歴: 東京大学法学部第2類 卒業

・前職: 警察官僚、外交官

・現職: 認定NPO法人 救急ヘリ病院ネットワーク会長

・称号: 法学士(東京大学)

【在スイス日本大使】

・在任期間: 1999年 – 2002年

【第16代 警察庁長官】

・在任期間: 1994年7月12日 – 1997年3月30日

【警察庁次長】

・在任期間: 1993年9月10日 – 1994年7月11日

 

 

國松孝次の警察庁長官狙撃事件前までの経歴① 東大法学部から警察庁に

 

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1937年、静岡県浜松市で生まれた國松孝次さんは、地元の進学校である静岡県立浜松西高等学校から、東京大学法学部第2類に進学。

 

しかし、同大を卒業する直前に肺結核を患ったという國松孝次さん。その当時、民間では採用してくれる会社はなく、1年間の就職浪人を経験しています。

 

その後、病気療養に専念し体調も回復してきた頃、大学で所属していた剣道部の師範から警察試験を勧められ、1961年に警察庁に入庁しました。

 

 

國松孝次の警察庁長官狙撃事件前までの経歴② あさま山荘事件に対応

 

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以降の國松孝次さんは、警視庁本富士警察署長、警視庁総務部広報課長、警視庁公安部長、兵庫県警察本部長、警察庁刑事局長などを歴任。

 

特に、本富士警察署長時代には、赤軍派による「本富士警察署襲撃事件」が発生し、署長室にも火炎瓶が投げ込まれています。

 

しかし、その時はたまたま署長室におらず、隣の会議室で会議中だったため難を逃れています。

 

また、警視庁総務部広報課長時代には「あさま山荘事件」が発生。國松孝次さんは広報担当幕僚として長野県警に派遣され、取材陣の対応に当たっています。

 

そして、1980年代末頃からカルト教団「オウム真理教」が着々と勢力を拡大し、次々と犯罪行為に手を染めていた1994年、國松孝次さんは第16代 警察庁長官に就任しています。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細① 現場は長官の自宅前

 

それは1995年3月30日のこと。その日、東京は朝から冷たい雨が降っていました。

 

10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、その2日後である22日には、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が入っていました。

 

これにより、警察に対する教団の反発は最高潮に達していたと言っても過言ではありませんでした。

 

 

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警察庁長官と言えば、全国の警察を指揮する警察官のトップです。

 

もちろん十分に警戒はしていましたが、かねてより警察官が警察官を警護することに、昔から強い違和感を覚えていたという國松孝次長官。

 

そのため、自身にはSPをつけていなかったそうです。

 

とは言え、最低限の護衛として、長官専用車両には警備車両が1台ついており、専用車両付近には私服警官が1人配備され、周囲の警戒に当たっていました。

 

ちなみに國松孝次長官の自宅は、隅田川のほとりに立つ高級マンション群「アクロシティ」のEポートにありました。

 

 

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國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細② 犯人は4発中3発を命中させる

 

そして午前8時30分頃、國松孝次長官はいつものようにEポートの通用口から、秘書官とともにほんの十数メートル先の側道に待機していた長官専用車両へと歩き出した次の瞬間!

 

近くの物陰に潜んでいた犯人は、その一瞬のチャンスを見逃しませんでした。

 

 

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國松孝次長官の被弾①

 

いきなり、背後から背中を撃ち抜かれる。

 

さらに犯人は、その場で崩れ落ちる國松孝次長官に対して、正確に狙いを定め、2発、3発と続けざまに銃弾を撃ち込んだのです。

 

 

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國松孝次長官の被弾②

 

前屈みに倒れ込んだところ、2発目の銃弾が脚を貫通。

 

傍にいた秘書官は、國松孝次長官を犯人から隠すように覆い被さりながら、近くの植え込みに長官の体を隠そうと懸命に移動させますが、犯人は容赦のない追撃を浴びせかけるのでした…。

 

 

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國松孝次長官の被弾③

 

さらに仰向けになったところを、3発目の銃弾が右大腿部に直撃。

 

しかも、秘書官によれば、犯人はおよそ21メートルも離れた建物の物陰から、矢継ぎ早に発砲してきたと証言しているんですよね。

 

この状況だけ見ても、犯人には相当高度な射撃技術があることがわかります。

 

 

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國松孝次長官と狙撃者との距離感

 

犯人は発射した4発中3発の銃弾を國松孝次長官の体に命中させた後、自身の成果に満足するように近くに停めてあった自転車で逃走

 

銃声を聞きつけて現場に警察官たちが駆けつけてきた時には、全てが終わっていたと言います。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細③ 高い殺傷能力の銃&銃弾だと判明

 

國松孝次長官は、すぐに日本医科大学付属病院高度救急救命センターに救急搬送され、緊急手術を受けました。

 

この手術を担当した医師によると、背中には直径1センチを超える銃痕があり、胃と膵臓、そして大動脈を損傷。手術中に心臓が6回も停止したと言います。

 

 

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國松孝次長官の容体を説明する医師

 

また、大量の出血により出血性ショックを起こしており、総輸血量は実に10リットルにも及んだとも…。

 

ただ、実はこの大量出血には理由があったことが後に判明しています。

 

犯行に使用された銃は、命中精度が極めて高く、強力な銃弾が発射できることで知られる、アメリカのコルト社が製造する「パイソン」だったのです。

 

 

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コルト・パイソン8インチ

 

その反面、発砲時の反動が大きく、特別な訓練を積まなければ使いこなすことができないため、これまで日本の犯罪史上、ほとんど使われたことのない特殊な銃だったんですよね。

 

さらに、國松孝次長官の体内から発見された銃弾がこちら。

 

 

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國松孝次長官の体内から発見された銃弾

 

 

 

銃弾の先端にくぼみがあり、着弾時に先端がつぶれマッシュルーム状に広がることで、体内の組織をえぐるように損傷し、大量出血を引き起こす特殊な銃弾「ホローポイント弾」です。

 

 

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ホローポイント弾の原型

 

本来、人間に対しては使ってはいけない銃弾なのだとか。

 

「殺傷能力を高めるための残酷な弾丸です。本来、人間に対しては使えない。戦争で使ってはいけないとハーグの国際条約で決まっている。そんな弾を実際に使っている例はほとんどなかったですね。相当なガンマニアが実行犯だろうと。」

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犯行に使用された銃と銃弾を見る限り、犯人の國松孝次長官に対する非常に強い殺意を感じますね。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細④ 捜査をミスリードした1本の電話

 

警察庁長官狙撃事件から約1時間後、テレビ朝日に「國松孝次長官を襲った」と名乗り、その内容からオウム信者と思われる人物から、次のような電話がかかってきたのです。

 

実際の通話音声を元に文字起こししてみると…。

 

オウムに対する捜査をやめろってこと。そうしないと國松孝次、それに続いて、井上(警視総監)と大森(内閣情報調査室長)は怪我しますからね」

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警察庁長官狙撃事件の発生が、警察によるオウム関連施設への強制捜査が開始された8日後であり、この脅迫電話により、オウム真理教による警察への報復テロの可能性が強まることに…。

 

その結果、この事件の捜査は、カルト集団や思想犯など特殊犯罪の摘発を主要な任務とする警視庁公安部が担当することになるんですよね。

 

本来このような凶悪事件を担当するのは警視庁刑事部です。

 

ですが、刑事部は10日前に発生した地下鉄サリン事件の捜査に忙殺されていた…と言うのも、この事件を公安部が担当するに至った大きな理由の1つだったようです。

 

しかし、この初動の判断が、結果的に警察庁長官狙撃事件が迷宮入りする最大の原因になってしまうことに…。

 

 

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國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細⑤ オウム信者の警官が捜査線上に浮上

 

まもなく公安部の捜査により、ある1人の現職の警察官が容疑者として浮上しました。

 

事件当時、31歳だった小杉敏行巡査長は、地下鉄サリン事件の捜査本部におり、教団に捜査情報を漏らしていたことが判明。

 

 

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公安部は、その後、小杉敏行巡査長を半年近く軟禁状態に置いて取り調べたところ、「自分が長官を撃ったような記憶があるんです」と供述。

 

さらに、「事件に使用した拳銃を神田川に捨てた」と自供したことから、神田川で大規模な捜索が行われました。

 

しかし、54日間に渡って川底までさらっても、結局、拳銃は見つからず、小杉敏行巡査長の供述を裏付けることができなかったのです。

 

 

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神田川の川底をさらう捜査員

 

また、その後の小杉敏行巡査長の供述も二転三転し、その内容に多くの矛盾も見られたことから、結果的に小杉敏行巡査長の起訴は一旦見送られることになりました。

 

なお、小杉敏行巡査長はその後、警察庁長官狙撃事件とは別に、オウム真理教の幹部に警察の内部情報を流していた疑いがあるとして、1996年11月に懲戒免職処分を受けています。

 

さらに翌1997年1月には、秘密漏えいによる地方公務員法違反容疑で再逮捕されました。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細⑥ 2004年7月、オウム元幹部ら逮捕

 

そして、公安部の捜査が再び動き出したのは、警察庁長官狙撃事件から9年後の2004年7月のことでした。

 

かつて「自分が長官を撃った…」と供述するも、証拠不十分により起訴が見送られていた小杉敏行元巡査長と、オウム真理教の元幹部2人が事件に関与していた疑いが強まったとして、逮捕。

 

 

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警察庁長官狙撃事件でオウム関連施設へ家宅捜索に入る捜査員ら

 

公安部は、事件当時、小杉敏行元巡査長が着用していたコートから、銃を発射した際に残る“残さ”反応が検出されたことが新たな証拠だと主張しました。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細⑦ 公安部と専門家の意見が食い違う

 

一説によるとオウム真理教元幹部の逮捕は、公安部が捜査にケジメをつけるため、オウム信者を何としても逮捕したいと主張し、ごり押し的に実現したものに過ぎなかったようなんですよね。

 

実際、事件翌日に現場検証に立ち会った銃の専門家が「高度な射撃技術を持つプロによる犯行」とし、「オウムの犯行とは考えづらい」と結論付けていたことが後に明らかになっています。

 

「2発、3発目が難しい。まさにプロですよね。オウムの中にいないんですよね、これだけの技術を持ったのが。歩いている(長官)の背中だけではなく、倒れた状態、それも次の瞬間にまた動くでしょう。そこでちゃんと(引き金を)引かんとダメやからね。そういう技術がある。とにかく射撃の腕も、精神の安定も、ピカイチですね。」(現場検証に立ち会った銃の専門家)

出典:https://www.nhk.jp/

 

 

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当時のオウム真理教も、武闘派と呼ばれる信者たちは、来たるべきアルマゲドンに備えて軍事訓練らしきものは積んでいましたが、所詮は戦争ゴッコの延長に過ぎなかったと言われています。

 

しかし、逮捕に際して作られた公安部の報告書には「プロとは考えにくい」「後方から丸見えで素人くさい」などと、専門家が出した結論とは全く逆の分析結果が記載されていたと言います。

 

 

出典:https://www.nhk.jp/

2004年7月の逮捕に際して作られた報告書

 

「ヒットマン的なプロとは考えにくい」、「後方から丸見えで素人くさい」との記載が確認できます。

 

最終的に検察は、公安部が示した証拠では実行犯を特定できないとして、逮捕された3人は不起訴処分となり、その後釈放されています。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の詳細⑧ 公安部の「オウム犯行説」が頓挫

 

事件直後に、オウム真理教の犯行と見て、初動捜査を指揮した井上幸彦 第80代警視総監は、後のインタビューの中で、当初の見立てを修正することの難しさを次のように語っています。

 

「本来、捜査というのは、本人がこういうことを言ってるのであれば、それを裏付けるものが出てくるんだけど、何も出てこない。だから、これは違うんじゃないの、ということで、もっと地道な捜査をやらなきゃいかんなというけども、もうそちらのほうにずっといっちゃってる感じはしましたね。それは、みんながね。一生懸命やってるわけだから、途中でブレーキをかけるなんてできませんよね。

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井上幸彦元警視総監

 

要するに、捜査が進むにつれて、当初の見立てが間違っていたことに薄々気付くも、捜査員たちが一生懸命やっている姿を見ると、今さら方向転換を指示できなかった…ってことでしょうか。

 

「ちょっと何言ってるのか分からない」レベルの、とてつもない無能っぷりですね。あるいは、こう言わざるを得ない何らかの理由があったのでしょうか…。

 

いずれにしても、この2004年7月のゴリ押し的な逮捕により、公安部の捜査は、完全に行き詰まってしまうことになります。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件を独自捜査する刑事部が注目した男とは?

 

公安部主導の捜査が行き詰まる中、殺人などの凶悪犯罪を扱う捜査のスペシャリストが揃う刑事部では、別の事件で逮捕され、既に服役中だったある初老の男に注目し、動き始めていました。

 

その男がこちら。

 

 

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名前: 中村 泰(なかむら ひろし)

 

・生誕: 1930年

・出身地: 東京都

・本籍地: 茨城県

・出身高校: 旧制水戸高等学校

・出身大学: 東京大学(2年で中退)

 

中村泰は、2002年に名古屋市で拳銃を使って現金輸送車を襲撃し、現行犯逮捕されており、現在は岐阜刑務所で服役中の人物です。

 

また、この男は過去にも職務質問をしてきた警察官を銃殺した事件を起こしているのですが、頭部にトドメの一発を撃ち込むという残忍極まりない凶悪犯なんですよね。

 

その後の調べで、この中村泰はかなりのガンマニアで、銃の扱いに長けている…どころではなく、銃などの武器を手に本気で革命を起こそうと考えていた「生粋のテロリスト」でした。

 

 

出典:https://tocana.jp/

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真犯人は中村泰?証拠① 現場への地図

 

刑事部は、この中村泰の周辺を捜査していく中で、警察庁長官狙撃事件との関わりを疑わせる数々の証拠を入手していくんですよね。

 

まず、刑事部の捜査員を色めき立たせたのは、2002年に中村泰が逮捕された現金輸送車襲撃事件の証拠として押収されていた、4,000点を超す証拠品の中から見つかったこちらの地図です。

 

 

出典:https://www.nhk.jp/

中村泰犯人説を裏付ける証拠

 

最寄り駅から國松孝次長官の自宅までのルートに鉛筆で印を付けた地図

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真犯人は中村泰?証拠② 自作の詩

 

また、押収されたフロッピーディスクの中に保存されていたファイルには、國松孝次長官を狙撃した時の状況や心情を詠んだと思われる、次のような自作の詩が…

 

墨田の河畔 春浅く

そぼ降る雨に濡れし朝

満を持したるときぞ今

轟然火を吐く銃口に

抗争久し積年の

敵の首領倒れたり

出典:https://www.nhk.jp/

 

前述したように、國松孝次長官の自宅は隅田川のほとりに立つ高級マンションにあり、事件があったのは春まだ浅い3月30日。しかも、この日は朝から冷たい雨が降っていたんですよね。

 

そんな状況を知った上で読むと、もはやこの詩は國松孝次長官を狙撃した時のことを詠んだもの以外には考えられません。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真犯人は中村泰?証拠③ 大量の武器発見

 

そして、その後に判明した中村泰がアジトとして使用していた部屋へ家宅捜索に入ったところ、新聞記事のスクラップなど警察庁長官狙撃事件に関する大量の資料が見つかっています。

 

 

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さらに、この部屋で発見されたメモから、中村泰が契約していた貸金庫を突き止め、そこからは16丁の拳銃の他、マシンガンや手りゅう弾など、大量の武器が見つかったんですよね。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

中村泰犯人説を裏付ける証拠

 

中村泰が契約していた貸金庫から発見された、大量の銃火器

 

これらの証拠を目の当たりにした刑事部の捜査員たちは、公安部がいくら捜査しても一向に確証が得られないオウム真理教よりも、中村泰の方がよほど真犯人に近いと確信したそうです。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件から9年、中村泰が自供を始める

 

オウム真理教に固執するあまり捜査が迷走していた公安部を尻目に、警視庁刑事部は新たに得た証拠から、警察庁長官狙撃事件への関与を調べるべく、中村泰への聴取を本格化させました。

 

 

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当初、「私は否定も肯定もいたしません」と、黙秘する構えを見せていた中村泰でしたが、刑事部が新たに発見した証拠の数々を突き付けると、少しずつ真相を語り始めていったと言います。

 

それは、警察庁長官狙撃事件の発生から約9年が経過した2004年7月のことで、この時既に中村泰は74歳になっていました。

 

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件で中村泰が語った秘密の暴露① バッグ

 

警視庁刑事部は、取り調べの中で出てきた中村泰の供述を一つ一つ裏付けていったのですが、中でも刑事部の捜査員が注目したのは、“秘密の暴露”と呼ばれる、犯人しか知り得ない情報でした。

 

そこで今回、中村泰が供述した“秘密の暴露”のうち、特に重要視されたものを4つピックアップして整理してみました。

 

まず、刑事部の捜査員が注目したのは、犯行当日、拳銃の持ち運びに使用したショルダーバッグでした。

 

と言うのも、中村泰は取り調べの中で、犯行に使用したショルダーバッグについて、自筆のイラストとともに詳しく説明していたからなんですよね。そのイラストがこちら。

 

 

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中村泰が犯行当日に使用していたショルダーバッグのイラスト

 

色は濃いブルーで、正面部分には「USA」のタグがついていると証言しました。

 

そこで、刑事部の捜査員たちは、中村泰のアジトから押収した4000点の証拠品を、改めて一つ一つ調査。

 

すると、イラストと同じようなデザインで、ちょうど犯行に使用した拳銃「コルト・パイソン」が収まるくらいの大きさのショルダーバッグを発見したんですよね。

 

もし國松孝次長官を狙撃後、使用した拳銃をこのバッグに入れて逃走したとすれば、拳銃を発砲する際に周囲に飛び散る火薬や金属の粉を指す「射撃残さ」が少なからず検出されるはずです。

 

刑事部が、このショルダーバッグの鑑定を科学捜査研究所に依頼したところ…なんとバッグの中から「射撃残さ」が検出されたのです。

 

しかも、その火薬成分を分析したところ、犯行に使われた銃弾と同じメーカーのものだと判明したと言います。

 

 

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ショルダーバッグの鑑定結果

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件で中村泰が語った秘密の暴露② 貸金庫の記録

 

刑事部の取り調べの中で、中村泰は國松孝次長官を狙撃した銃「コルト・パイソン」を、犯行2日前に新宿駅近くの貸金庫から取り出し、犯行後すぐに同じ貸金庫に戻したと供述しています。

 

そして、刑事部が貸金庫の開扉記録を取り寄せたところ、この証言を裏付ける記録が残されていたんですよね。それがこちら。

 

 

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中村泰が使用した貸金庫の開扉記録

 

警察庁長官狙撃事件の2日前である平成7年3月28日と、犯行当日である3月30日に、確かに貸金庫が開けられた記録が・・・。

 

そして、次に注目したのは、犯行当日である3月30日に、金庫が開けられた”9時26分”という時間でした。

 

と言うのも、中村泰は犯行後の逃走経路についても具体的に供述しており、その経路を実際にたどって9時26分までに当該貸金庫に辿り着くことができれば、強力な証拠になり得るからです。

 

 

出典:https://www.nhk.jp/

中村泰が供述した逃走経路

 

國松孝次長官が狙撃されたのは8時30分頃で、中村泰はそこから自転車で移動し、約600メートルほど離れた喫茶店に着いたのが、5分後の8時35分。

 

中村泰はそこで自転車を乗り捨て、共犯者が運転する車に乗り換え、大通りを約4キロほど進んで西日暮里駅へ向かいました。駅到着は8時50分。

 

そこから山手線内回りに乗車し、新宿駅到着が9時10分。そして、新宿駅のすぐ目の前にある貸金庫には、9時26分には余裕で間に合うことが実証されたのです。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件で中村泰が語った秘密の暴露③ 銃床の装着

 

中村泰は國松孝次長官を狙撃する際、反動の大きな「コルト・パイソン」をできる限り安定させるため、拳銃に“銃床”と呼ばれる肩当てを装着していたと供述しています。

 

そして、中村泰が描いた“銃床”のイラストがこちら。

 

 

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中村泰が拳銃に装着した銃床のイラスト

 

この図にもあるように、中村泰が使用した銃床は約40センチもある長いものだったのです。

 

そして、犯行現場で犯人を目撃した人の中に「犯人は傘のような長いものを持っていた」と証言する者がおり、銃床を装着した拳銃が“傘のような長いもの”に見えた可能性がありそうですね。

 

つまり、目撃情報との整合性から、犯人が狙撃の際に“銃床”を使ったということも、1つの“秘密の暴露”と考えることができそうです。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件で中村泰が語った秘密の暴露④ 逃走用自転車

 

前述したように、中村泰は逃走経路についても詳しく供述しています。

 

國松孝次長官を狙撃後、自転車で現場から600メートルほど先にある喫茶店まで行き、そこで自転車を乗り捨てて、そこからは共犯者が運転する車に乗り換えて西日暮里駅へ向かったと…。

 

そして、中村泰が自転車を乗り捨てたという喫茶店「川の音」のオーナーは、当時のことをよく覚えていたんですよね。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

事件当日、喫茶店に乗り捨ててあった自転車について証言する喫茶店「川の音」のオーナー

 

オーナーによると、その自転車はスタンドも立てず、鍵もかけずに、写真のように乗り捨ててあったと言います。

 

さらに、いわゆる“ママチャリ”のような小さめの自転車で、男性が乗っていたとは思えないほどサドルの高さが低かったとも…。

 

ちなみに、中村泰の身長は160cmほどと、日本人女性の平均身長と同じくらいであり、この証言とも整合性が合うんですよね。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件で中村泰が逮捕されなかった理由とは?

 

こうして中村泰が供述した、いわゆる“秘密の暴露”が、一つ一つ裏付けられていくと、警視庁刑事部の捜査員間には、次第に次のような空気が流れていたと言います。

 

「これ、もう絶対間違いないよって。裏付けをやればやるほどその裏が取れていく。普通、犯人じゃなかったら、1つぐらい裏付けが取れてもほかは取れない、それが複数裏付けが取れるということは、どうしてもこの人が犯人だと言わざるを得ない状況ですよ。」(元捜査員)

出典:https://www.nhk.jp/

 

やがて刑事部は、中村泰の逮捕状請求に向けて一気に動き出そうとします。

 

しかし、公安部が主導した捜査本部と警視庁上層部は、決定的証拠となる事件に使用した拳銃と共犯者が見つからない限り逮捕はできないと突っぱねたのだとか。

 

 

出典:https://www.nhk.jp/

警察庁長官狙撃事件で使用された拳銃と同型のコルト・パイソン8インチ

 

ただ、犯行に使用した拳銃については、中村泰は伊豆大島に向かう船上から、太平洋の海へ投げ捨てたと供述しており、もしも中村泰が真犯人だとすると、凶器の発見は絶望的なんですよね。

 

ある刑事部の元捜査員は、当時の刑事部に噴出していた怒りや虚しさについて、次のように語っています。

 

「捜査本部としてはもうこのまま時効まで(未解決のまま)突っ走るというか、そういった方針がもう定められていた。オウム以外の犯人であっちゃ困るというような感じを受けました。笑いもんだと思いますよ。日本の警察、優秀だと言われてるのに、本当に怒りと虚しさがこみ上げてきましたね。」(元捜査員)

出典:https://www.nhk.jp/

 

つまり、公安部が推していた「オウム犯行説」を守るために、刑事部が独自捜査で辿り着いた「中村泰犯行説」など認めるわけにいかなかった…と言うことでしょうか。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

警察庁長官狙撃事件は、“オウムがやったこと”でゴールにすることが決まっており、最終的にそれを立件できようができまいかは、もはやどうでも良いと。

 

あくまで“あれはオウムの犯行だった”として時効を迎えることが重要である、という強い意思が働いていたようですね。

 

そして驚くべきことに、実際この警察庁長官狙撃事件は、この“意思”通りのお粗末な結末を迎えることになるんですよねぇ…。

 

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件は前代未聞の未解決事件に…そのお粗末な顛末とは?

 

2010年3月30日、警察庁長官狙撃事件は時効を迎えました。

 

それに当たって、当時の警視庁公安部の青木五郎部長は、次のような異例の会見を開き、談話を発表しています。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

異例の会見を開いた警視庁公安部の青木五郎部長

「オウム真理教がいまなお法に基づき、無差別大量殺人行為におよぶ危険性が認められる団体として、観察処分を受けていることなどに鑑み、公表することに致しました。」

出典:https://www.nhk.jp/

 

つまり、公安部は犯人を特定できなかったにもかかわらず、警察庁長官狙撃事件を「オウムによる組織的犯行」と断定したのです。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

時効会見で発表された捜査報告書

 

結論として「以上により、本事件は、教祖たる松本の意思の下、教団信者のグループにより敢行された計画的、組織的なテロであったと認めた。」と明記されています。

 

公安部がこのような異例の談話を発表をした理由について、公安部の元幹部は、次のように説明しています。

 

「オウムの犯行であるという考えは揺らいでいない。中村犯行説という不確かな情報が出回る可能性があったので、それを打ち消すためにもオウムのテロと断定することが必要だった。」(公安部元幹部)

出典:https://www.nhk.jp/

 

自分たち公安部がオウムによる犯行と信じるが故に、同じ警察組織の刑事部が辿り着いた結論が表に出ては困るので、オウムのテロ行為だったと断定しておくよ…ってところでしょうか。

 

ちなみに刑事部が提唱する“中村泰犯人説”が出回ったら困るのは、不確かな情報により社会が混乱するからでしょうか?

 

私には、単に、自分たち公安部の無能っぷりが露呈してしまうのを恐れたに過ぎなかったとしか思えませんでした。

 

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

 

國松孝次のその後:たった2ヶ月半で職場復帰を果たす

 

そのあまりの破壊力の高さから、ハーグの国際条約により戦争での使用が禁じられている「ホローポイント弾」を3発も撃ち込まれた國松孝次長官。

 

緊急手術中に6回も心停止に陥るも、奇跡的に一命をとりとめました。

 

医師からは全治1年6ヶ月の診断を受けるも、なんと事件の2ヶ月半後には警察庁長官の職務に復帰しています。

 

 

出典:https://www.jiji.com/

事件から2ヶ月半ぶりに職務に復帰する國松孝次長官

 

元気そうな笑顔を浮かべるも、右手にはステッキが…

 

 

國松孝次の現在:後遺症が心配されるも、多方面で活躍中

 

そんな國松孝次長官は、1997年に警察組織を退官すると、1999年から2002年にかけて在スイス特命全権大使の職に就かれていました。

 

2003年には、銃撃された経験から、救急医療の大切さを実感した國松孝次さんは、NPO法人救急ヘリ病院ネットワークの理事長に就任されています。

 

 

出典:https://ameblo.jp/

 

なんでも、1995年に銃撃された國松孝次長官を、当時緊急手術した医師から同ネットワークの理事長ポストへの就任を要請されたそうなのですが、その際の裏話がこちら。

 

両医師がNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」を立ち上げたいので、私に理事長をと依頼にみえた。驚きはしましたが、命の恩人の要請です。そして、銃撃という事件に遭ったからこそ「救急医療」の大切さは身に染みています。お受けするのが天命だと思いました。

出典:https://info.asahi.com/

 

この他、公益財団法人「犯罪被害救援基金」理事長代行、損保ジャパン顧間、日興コーディアルグループ特別顧間、丸紅社外取締役などを務められているようです。

 

そして、気になる銃撃後の後遺症ですが、退院直後には「右足にしびれや痛みが残り、歩くと足を引きずってしまうのが難儀」などと明かされていました。

 

 

出典:http://gunsresearch.com/

手術直後に開かれた会見で執刀医が説明した黒板の図(再現)

 

また、その数年後の別のインタビューで、後遺症により数年に1度は腸閉塞が悪化し、4、5回入院した…と語られましたが、現在の後遺症の状況に関する情報は一切ありませんでした。

 

ただ、非常勤が多いとは言え、現在もなお多方面で活躍されているところを見ると、少なくとも重篤な後遺症は残ってないと見て良さそうですね。

 

 

國松孝次が結婚した嫁や子供など家族情報

 

今回、國松孝次さんの嫁や子供など家族に関する情報についても調べてみたところ、嫁の名前は“國松浩子さん”と言い、警察庁長官狙撃事件が発生した当時、64歳だったこと。

 

 

出典:https://www.jiji.com/

笑顔で退院する國松孝次長官

 

さらに子供については、少なくとも“國松大介さん”という息子さんが1人いて、2008年の宇宙飛行士選抜試験で最終選考まで残った…との情報がありました。

 

ただ、真偽のほどは不明であり、それ以外の情報は一切見つけられませんでした。

 

また、國松孝次さんの子供についてさらに調べを進めていくと、何故か「娘」というキーワードが浮上するのですが、國松孝次さんの娘さんに関する具体的な情報は一切ありませんでした。

 

國松孝次さんには子供が1人、息子さんがいるだけなのか、娘さんもいるものの保安上の理由から、一切情報を出さないようにしているのかは不明です。

 

 

出典:https://nordot.app/

 

國松孝次さんと言えば、かつては警察庁長官という特別な地位に就かれており、現在も公益法人の理事職をはじめ、大企業の顧問や社外取締役などの要職を務めておられます。

 

まして、過去に九死に一生を得るほどの狙撃事件の被害に遭っているわけで、その辺りの情報管理については慎重を期されている可能性が高そうですね。

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真犯人とされる中村泰の現在

 

1995年3月に発生した、國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真犯人と目されている中村泰。

 

前述した通り、2002年に名古屋で起こした現金輸送車襲撃事件により、現在も岐阜刑務所に服役中のようです。

 

 

出典:https://www.asahi.com/

岐阜刑務所

 

かつて、武器を手に本気で革命を起こそうとし、「生まれながらのテロリスト」と恐れられた中村泰ですが、2022年には92歳になり、現在は健康面でいくつかの不安を抱えているようです。

 

なんでも2014年のはじめには直腸がんが見つかって手術を受けた他、2017年にはパーキンソン病を発症し、手足の自由が利かなくなっているとも言われているようです。

 

それでも、あれだけ犯行を自供しながらも、警察組織の面目のために逮捕されなかったことをあざ笑うかのように、今なおやり取りのある者に新たな手がかりを誇示し続けているのだとか…。

 

現在も中村泰と連絡を取り合っている、ある弁護士は次のように語っています。

 

「実はいろんな、出せばびっくりするようなものを埋めてあるんですと。銃器とか弾薬とかですね。量としは1ダース。で、かなり保存には気をつけて、徹底して埋めてある。」

出典:https://www.nhk.jp/

 

出典:https://www.nhk.jp/

 

 

國松孝次 警察庁長官狙撃事件の真相:中村泰が事件を起こした理由とは?

 

出典:https://newsee-media.com/

 

もともとは凶悪な「松本サリン事件」を目の当たりにし、オウム真理教を危険なカルト教団と捉え、教団を壊滅すべきとの考えを持っていたと言う中村泰。

 

そのため、当時“サリン製造工場”とも呼ばれていた第7サティアンの爆破計画を立てていたようですが、そんな矢先、「地下鉄サリン事件」が起こってしまうんですよね。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

これにより、「松本サリン事件」という前兆がありながらも放置し、オウム真理教に「地下鉄サリン事件」を許した警察の責任が大きいと、中村泰の攻撃の矛先は警察へ向かっていきました。

 

一見筋が通っているようにも見えますが、彼が言うようにオウム真理教の壊滅のために警察の尻を叩くのが目的であれば、國松孝次長官を殺害する必要はなく、暗殺未遂事件で十分なのです。

 

にもかかわらず、使用した拳銃や銃弾、そして國松孝次長官の身体に3発もの銃弾を撃ち込んだ犯行状況から考えると、國松孝次長官に対して非常に強い殺意を持っていたことが窺われます。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

数ある未解決事件の中でも、特に闇が深いと言われている國松孝次 警察庁長官狙撃事件。

 

今回、そんな警察庁長官狙撃事件の被害者、國松孝次警察庁長官(当時)のプロフィールや経歴、事件の詳細と捜査、真犯人として浮上するも逮捕に至らなかった中村泰をまとめました。

 

さらに、後遺症が心配される國松孝次氏の事件後や現在の活動、結婚した嫁や子供などの家族に関する情報についても調べてみました。

 

中村泰は“革命家”を自称していますが、彼は単に大好きな拳銃を使用して人を殺めること自体に快感を覚えるタイプの人間、つまり…単なる殺人鬼に過ぎなかったのかも知れませんね。

 

そして、そんな人間を、組織のメンツを保つためだけに、逮捕すらできなかった警視庁公安部という組織の能なしっぷりには、もはや笑うしかありません。

 

よくドラマや映画で“公安”が登場すると、その度に現場をハチャメチャに引っかき回して去って行くイメージがありますが、まさか実際の“公安”も似たようなものだったとは…。

 

 

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