2009年に西成のマザーテレサ・さっちゃん先生こと矢島祥子医師が不審な死を遂げた大阪西成女医不審死事件は、貧困ビジネスの利権との関係が話題です。
今回は矢島祥子医師の経歴・兄弟など家族、事件の真相と犯人をまとめました。
この記事の目次
大阪西成女医不審死事件は医師・矢島祥子が殺害された事件
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大阪西成女医不審死事件
事件発生日:2009年11月14~15日ごろ
遺体発見日:2009年11月16日
被害者:矢島祥子
死因:窒息
犯人:不明
大阪西成女医不審死事件は2009年11月14日に医師の矢島祥子さんが行方不明になり、11月16日午前1時20分ごろに、大阪市の千本松渡船場で遺体となって発見された事件です。
この大阪西成女医不審死事件は、西成マザーテレサ不審死事件とも呼ばれています。
最初は自殺として処理されていましたが、矢島祥子さんの死にはいろいろと不審な点が多く、遺族の訴えにより殺人・遺体遺棄事件として捜査されることになりました。
しかし、事件から10年以上経った現在でもいまだに犯人はわからず、未解決事件のままです。
そして、この事件はどうやら貧困ビジネスや利権が絡んでいて、西成区の闇が関係しているようなんです。
大阪西成女医不審死事件の時系列まとめ
大阪西成女医不審死事件を時系列で見ていきましょう。
■2009年11月13日22時ごろ
旧知の来客とくろかわ診療所で30分程度雑談をする。その後、矢島祥子さんは診療所内に残って残業をしている
■11月13日23時過ぎ
約30分間外出していることがカードキーの情報から判明している
■11月14日深夜0時以降
診療所内のパソコンで電子カルテのバックアップをしている
■11月14日4時15分
矢島さんは警備システム(ALSOK)を作動させて、診療所を出る
■11月14日4時16分
警備システムの警報が作動する
■11月14日4時50分
警備会社の警備員が診療所に駆け付けるが、特別な異常はなく、診療所には誰もいなかった
■11月14日4時50分ごろ
知人男性(交際相手?)にメールを送る(メール自体は未確認で証言のみ)
■11月14日8時30分
矢島祥子さんの自宅から話し声がしたという証言あり
■11月14日
知人男性(交際相手?)に絵葉書を投函した
■11月15日の朝
診療所のスタッフが西成警察署に矢島祥子さんの捜索願を出すが、受理されず
■11月15日10時20分
診療所所長の黒川渡医師より群馬県在住の家族に矢島祥子さんが行方不明であるとの連絡が入り、家族が高崎警察署に捜索願を出す
■11月15日
矢島祥子さんの部屋から鍵束(自宅・診療所の出入り口、机、ロッカーなど)が発見される
■11月16日1時20分
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釣り人によって、矢島祥子さんの遺体が木津川の千本松渡船場で発見。
第一発見者は2人いて、1人はくろかわ診療所の向かいのマンションに住んでおり、もう1人は西成警察署近くのゲームセンターに勤務していた人物だった。
この時の矢島祥子医師の遺体の状況は服を着ていて、立位、死後硬直があった状態だった。
大阪西成女医不審死事件は自殺と断定されるも他殺で捜査
西成女医不審死事件で死亡した医師の矢島祥子さんは、警察によって自殺による「溺死」として処理されました。
これは、自称・交際相手の知人男性に送った絵葉書に「元気で長生きしてください」という文章があったためです。そして、その知人男性も自殺だと証言しました。
そのため、警察は矢島祥子医師の死を「過労による自殺」と断定したのです。
しかし、自殺という結論に疑問を持った矢島祥子医師の遺族が警察に再捜査を訴えます。
2012年8月22日には、「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理され、再捜査が行われることになりました。
大阪西成女医不審死事件の被害者・矢島祥子医師の経歴
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矢島祥子医師の経歴を見ていきましょう。
1990年4月 群馬県立高崎女子高校入学
1993年4月 群馬大学医学部入学
1999年3月 群馬大学医学部卒業、医師免許取得
1999年4月 沖縄県立中部病院で研修医として勤務
2001年4月 大阪淀川キリスト教病院内科勤務
2007年4月 くろかわ診療所勤務
矢島祥子医師は大学時代の1994年1月1日、日本キリスト教団高崎南教会で洗礼を受けています。
マザーテレサに強いあこがれ・尊敬の念を持っていて、インドまで会い行った事もあります。
そして、マザーテレサのように貧しい人のために働きたいという夢をかなえるために、研修医時代は内科と産婦人科を特に熱心に学んでいました。
初期研修を修了し、大阪淀川キリスト教病院に就職し内科医として勤務します。
大阪淀川キリスト教病院時代から、矢島祥子医師は西成区あいりん地区のボランティアをして、ホームレスの支援活動を熱心に行っていました。
そして、そのボランティア活動中に「NPOヘルスサポートおおさか」を設立した黒川渡医師と知り合い、意気投合します。
2007年には黒川渡医師が所長を務めるくろかわ診療所で勤務することになり、大阪淀川キリスト教病院を退職、住まいもくろかわ診療所の近くに移しています。
くろかわ診療所で熱心に働きながら、週1回の夜回りを行うなどホームレス支援を積極的に行い、「マザーテレサ」と呼ばれるほど献身的な活動を行っていました。
大阪西成女医不審死事件の被害者・矢島祥子医師の兄弟や両親など家族情報
矢島祥子医師の兄弟や両親などの家族情報を見ていきましょう。
4人兄弟の3番目
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矢島祥子医師は4人兄弟の3番目で、唯一の女の子でした。兄が2人、弟が1人います。
・次男(次兄):矢島洋さん
・三男(弟):矢島剛さん
両親とも医師
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矢島祥子医師の両親は、どちらも医師です。
・母:晶子さん
祥子さんが1歳半のころに、自宅敷地内に両親は診療所を開いています。
ご両親が医師であり、自分も国立大学医学部に現役合格した矢島祥子医師はエリート中のエリートです。
でも、お金や名誉にこだわることなく、海外ボランティアなどをしながら医師になり、ホームレス支援に力を入れていたのは、診療所で働く両親の姿を見ていたからかもしれませんね。
大阪西成女医不審死事件に残る8つの謎
大阪西成女医不審死事件はたくさんの謎がある事件です。西成マザーテレサ不審死事件の謎を1つ1つ見ていきましょう。
①矢島祥子医師の元交際相手
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1つ目の謎は、自称・交際相手です。
矢島祥子医師は、自称・交際相手の知人男性に対して、失踪したと思われる11月14日にメールを送り、絵葉書を投函しています。
そして、この自称・交際相手が「矢島祥子医師は自殺だ」と断言したことで、警察は自殺の方向で進めることになっています。
しかし、この自称・交際相手はかなり不審な点が多いんです。
・午前4時50分に矢島祥子医師はメールを送信したらしいが、家族はこのメールを未確認
・年齢は事件当時63歳(矢島さんは34歳)
・インタビューで「共産主義者同盟赤軍派」と名乗る
・生活保護を受けている
・釜ヶ崎日雇労働組合副委員長である
・沖縄の辺野古で基地建設反対運動を行っている
・辺野古で活動中にひき逃げされた
・辺野古で活動中に警察官の脚にしがみつき、公務執行妨害で逮捕されたことがある
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この自称・交際相手はマスコミのインタビューに対して、「犯人がいたとしても捕まらなくていい」とも発言しています。
さらに、矢島祥子医師がこの自称・交際相手と交際していたという情報を流したのは、「NPO釜ヶ崎支援機構」の尾松郷子氏という噂もあります。
恋愛はあくまでも自由ですが、34歳独身の女性医師が、生活保護を受けている活動家の63歳男性と交際するものでしょうか。
しかも、その自称・交際相手はなんとか自殺で事件を終わらせようとした様子もあります。
②死亡所見が怪しい
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矢島祥子医師の遺体にはかなり不審な点がありました。
・首の両側に線状の圧迫痕あり
・顔には溢血点があった
・前頭部や右脛、右手などに表皮剥離あり
・死後硬直があった
警察発表では、コブや傷は遺体を引き上げる時に鎖を使った時にできた傷と説明し、「過労による自殺で溺死」としていました。
しかし、第一発見者は遺体を引き上げる際に鎖は使っていないと証言しています。さらに、コブは死後にできることはありません。
また、溺死の水死体は死後硬直が起こらないんです。そもそも、首の圧迫痕は?
このように、矢島祥子医師の遺体と警察発表にはあまりにも矛盾が多かったんです。
事件から4か月後になって、ようやく警察は頭のコブは生きている時にできたものということを認めました。
③危険を感じていた
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矢島祥子さんは生前に身の危険を感じていたという情報があります。
・死ぬ2日前に誰かに付け回されていた
・12~13日は身の危険を感じて、友人宅に泊まっていた
また、矢島祥子医師は次兄に「ここに骨を埋める覚悟で頑張る」と話していた一方、長兄には事件直前に「西成は危険だからやめたい」「兄の家に引っ越してもいいか」と相談していました。
次兄の話はいつ頃のものかはわかりません。くろかわ診療所で働きだした当初は、骨を埋める覚悟だったけれど、徐々に西成の闇を知り、危険を感じるようになっていった可能性は高いです。
薬物依存の患者を治療する中で、麻薬の売人とトラブルを起こしていたという情報もあります。
④自転車の発見場所
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西成女医不審死事件の4つ目の謎は、自転車の発見場所です。
矢島祥子医師の自転車は、2009年12月に遺体発見場所から2.5kmも離れた市営団地で見つかりました。しかも、団地の駐輪場に普通に停められていたそうです。
また、自宅とも関係がない場所で、自転車からは誰の指紋も検出されませんでした。
なぜ、そんなところに矢島祥子医師の自転車が停められていたのかは全くの不明です。
⑤矢島祥子医師の自宅の状況
矢島祥子医師は11月14日の未明に行方不明になり、11月15日には診療所のスタッフが心配して、矢島さんの自宅を訪問しています。
この時、自宅の玄関の鍵は開いていました。自宅には自宅や診療所の鍵が置いたままになっています。
ということは、矢島さんは最後に目撃された診療所から一度は自宅に戻ってきた可能性があります。もしくは、犯人だけがカギを使って戻ってきたのかもしれません。
・鍵の束が置きっぱなしになっていた
・郵便ポストが破壊されていた
・部屋の中にはほこりがなく、指紋も拭き取られていた
一部報道では、この矢島祥子医師の自宅のほこりや指紋をキレイに拭き取って欲しいという仕事を10万円で頼まれた人がいるとも報じられています。
⑥佐藤豊さんの焼死
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2012年8月6日、大阪市西成区のアパートで火事が起こり、佐藤豊さん(64歳)が焼死しました。
この佐藤豊さんは矢島祥子医師の支援を受けていた人物で、一緒に夜回りをしていました。
そんな佐藤さんが、矢島祥子医師が殺害された3年後に火事で死亡したのです。そして、火事の9日後には佐藤さんのアパートの郵便ポストに部屋の鍵が置かれていました。
大阪西成女医不審死事件と佐藤さんの焼死には、明確な因果関係があるかは分かっていません。
でも、佐藤さんは矢島祥子医師から身の危険を感じたことなどを相談されていた可能性があります。また、この後に説明する不正の証拠などを預かっていたのかもしれません。
これらを隠すために、3年後の2012年に殺害された可能性はあります。
矢島祥子医師を殺害し、佐藤さんを脅して黙らせた。そして、矢島祥子医師の事件が落ち着いてから佐藤さんを殺害して、完全に証拠を消したとも考えられますね。
⑦防犯カメラに映っていない
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矢島祥子医師は11月14日の午前4時15分、くろかわ診療所から外に出ました。
くろかわ診療所は商店街の中にあります。そして、商店街にはアーケードがあるんです。
その日は強い雨が降っていましたので、普通に考えると、アーケードのある商店街を通って帰るはずです。
でも、商店街から矢島祥子医師の自宅までの防犯カメラには、矢島祥子医師は映っていませんでした。
しかも、矢島祥子医師の自宅の隣にあるマンションと斜め前のコンビニの防犯カメラは事件当日、なぜか録画されていませんでした。
管理人のミスで録画されていなかったと警察は発表しましたが、管理人は24時間作動していたと発言しています。
⑧警察の捜査に疑問
大阪西成女医不審死事件では、なぜか警察の捜査が消極的で、その点にも疑問が出てきます。
・防犯カメラに映っていなかった
・自宅の鍵が開いていた
・自宅には一切指紋がなかった
・絞殺痕や溢血点があった
・水死体のはずなのに、死後硬直があった
・11月15日14時までは矢島祥子医師の携帯電話にかけたらコール音は鳴っていた
大阪西成女医不審死事件の真相や犯人① 西成地区の特殊性
大阪西成女医不審死事件の真相は、西成区を取り巻く貧困ビジネスに矢島祥子医師が巻き込まれたのではないかと言われています。
西成区の貧困ビジネスとは?そして、矢島祥子医師は何を知ってしまったのでしょうか?
西成区は貧困ビジネスの闇を抱えた地区
西成区のあいりん地区(釜ヶ崎)は日本最大のドヤ街です。
日雇い労働者や生活保護受給者が多い地区として知られており、西成区の4人に1人は生活保護受給者というデータもあります。
生活保護者・日雇い労働者が集まる地域は、貧困ビジネスの温床となります。
たとえば、医療関係の場合、生活保護受給者は医療費・薬剤費は無料です。
そのため、病院側は生活保護受給者の患者に高額な治療や薬剤を使ったように見せかけるためにカルテを改ざんすれば、病院の収入は多くなります。
また、どんどん向精神薬を処方して、生活保護受給者がそれを転売して収入を得るということもあります。
実際、2014年には西成区の診療所で、生活保護受給者の名前を使って医療費の不正請求をした医師が逮捕された事件がありました。
この貧困ビジネスは利権がいろいろ絡んでくるので、西成区は暴力団や在日団体、怪しいNPO法人、左翼系団体などが利権に群がっているというカオスな状態になっているのです。
大阪西成女医不審死事件の真相や犯人② 矢島祥子医師は不正に気付いてしまった?
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西成区で精力的に活動していた矢島祥子医師は、西成区のホームレスに絡む貧困ビジネスの不正に気付いてしまった可能性があります。
一部では、病院の事務長らに矢島祥子医師は恫喝されていたという情報もあります。
また、矢島祥子医師は毎晩のように遅くまで残業していましたが、これはもしかしたら、不正の証拠集めをしていたのかもしれません。
事件当日も午前4時15分まで診療所に居ましたが、入院患者がいない診療所で明け方まで残業するのはちょっと異常ですよね。
西成区の貧困ビジネスの不正を正そうと動いたけれど、それは利権に絡む人たちの怒りを買っただけで、矢島祥子医師は監視される結果となり、身の危険を感じていた可能性があります。
そして、とうとう殺害されてしまったのではないでしょうか。
大阪西成女医不審死事件の真相や犯人③ 警察やマスコミは事件の背景に気づいている可能性も
この大阪西成女医不審死事件は明らかに事件性があるのに、警察は捜査に消極的で、マスコミもそこまで大きく報道することはありませんでした。
これは、警察やマスコミもある程度、貧困ビジネスに絡んだ犯罪であることに気づいていた可能性があります。
暴力団や左翼団体を相手にすると、いろいろと面倒が起こります。ある意味、アンタッチャブルな領域です。
だから、あえて警察はなあなあで済ませようとしたのではないでしょうか。
大阪西成女医不審死事件のまとめ
大阪西成女医不審死事件(西成マザーテレサ不審死事件)の詳細や矢島祥子医師の経歴や兄弟・両親、事件の謎や犯人など真相をまとめました。
矢島祥子医師は正義感が強く、優しくて慈愛に満ちた本当に素晴らしい人でした。
だからこそ、西成区の貧困ビジネスの闇に踏み込んでしまい、見てみぬふりができなかったのかもしれません。
ご遺族のためにも、なんとか犯人を逮捕してもらいたいですね。