筑波大学の助教授だった五十嵐一さんは悪魔の詩訳者殺人事件の被害者で、なぜ殺害されたのか話題です。
今回は五十嵐一さんの経歴、結婚や子供、事件詳細や本の内容、タブーや問題点、作者の襲撃事件、事件の真相・犯人を徹底解説します。
この記事の目次
- 五十嵐一は筑波大学准教授で悪魔の詩訳者殺人事件の被害者
- 五十嵐一の経歴:筑波大学助教授
- 五十嵐一が結婚した嫁や子供
- 五十嵐一の子供は2人
- 五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細① 出版会見で暴行事件が発生
- 五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細② 死刑宣告があった
- 五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細③ イスラム式で殺害
- 五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細④ 時効を迎えた
- 五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の内容
- 五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の問題点やタブーとは
- 五十嵐一はなぜ殺害された?ホメイニ師から死刑宣告が出ていた
- 五十嵐一の『悪魔の詩』の認識は違っていた?
- 五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の作者も被害者になっていた
- 五十嵐一殺害(悪魔の詩訳者殺人事件)の真相:犯人は誰?
- 五十嵐一のまとめ
五十嵐一は筑波大学准教授で悪魔の詩訳者殺人事件の被害者
五十嵐一
生年月日:1947年6月10日
没年月日:1991年7月11日
出身:新潟県新潟市
所属:筑波大学
活動:中東・イスラーム研究者
五十嵐一さんは、中東・イスラム教の研究をしていた筑波大学の助教授です。
しかし、1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を翻訳したことをきっかけに、1991年7月12日に筑波大学のキャンパス内で殺害されました。
いまだに犯人はわかっておらず、2006年に公訴時効を迎えました。
ただし、その殺害方法や『悪魔の詩』翻訳後の経緯などから、イスラム教シーア派による犯行ではないかと言われています。
五十嵐一の経歴:筑波大学助教授
五十嵐一さんは、1947年に新潟県新潟市に生まれました。
新潟大学教育学部付属小学校・中学校に通い、中学生の頃から本格的に英語を学びます。
さらに中学在学中には大学の教育課程レベルの数学はマスターしていた秀才で、将来は数学者になろうと考えていたそうです。
中学卒業後、県内の進学校・県立新潟高校に進学し、続けて東京大学教養学部理科一類に進学します。
その後、理学部数学科に進学しますが、大学中に哲学や文学、戯曲など様々な分野に触れたことで、数学に対する情熱は失われていったようです。
そのため、大学卒業後は文転(理系から人文系に変わる)し、東京大学大学院人文科学研究科美学芸術学課修士課程に進学、さらに人文科学博士課程に進学・修了しました。
博士課程修了後の1976年からはイランに留学し、イラン王立哲学アカデミーの招待研究員になり、1年のうち8ヶ月はイラン、4ヶ月は日本という生活を送るようになります。
しかし1979年2月にイラン革命が勃発したため、同年9月にようやく入手したJAL特別便で帰国。
その後、全国のいろいろな大学で講師を務め、1987年から筑波大学現代語現代文化学系助教授に就任しています。
1990年にサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳し、1991年に筑波大学大学院哲学思想科の講義を担当するようになりましたが、1991年7月11日に何者かによって殺害されました。
五十嵐一は多彩な才能の持ち主
五十嵐一さんは多才で、語学が非常に堪能であったことで知られています。
英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ギリシア語、ラテン語、アラビア語、ペルシア語などが堪能で、語学のエキスパートでした。
また、研究範囲は非常に幅広く、数学、医学、ギリシア哲学、美学、科学哲学、比較文化、記号論、舞踊論、ミュージコロジー、オペラ作者(作詞・作曲・脚本)などがありました。
理系でありながら、人文系の分野への興味は尽きない人物だったようです。
五十嵐一が結婚した嫁や子供
五十嵐一さんは、五十嵐雅子さん(旧姓:是川)と1974年に結婚しています。
五十嵐一さんと雅子さんの馴れ初めは、大学での出会いです。
雅子さんは五十嵐一さんの1つ下で、五十嵐一さんが3年生の時に、雅子さんは教養学部文科三類での2年生で、日高八郎ゼミで出会いました。
すぐに将来を約束しあう仲になり、1974年4月に雅子さんが修士課程を修了した後に結婚。
新婚旅行は、ギリシア・イタリア・イギリス・フランス・スペインと周るという豪華なものでした。
なお、2人の新居は大田区南千束の雅子さんの実家でした。
雅子さんは共訳など五十嵐一さんの研究のサポートをしていましたが、五十嵐さんが悪魔の詩訳者殺人事件で殺害された後は東京大学大学院博士課程に入学。
研究者としての道を本格的に歩みだし、2009年には東都医療大学副学長・教授、2015年には了徳寺大学特任教授、さらに退任後はハリウッド大学特任教授を務めています。
五十嵐一の子供は2人
出典:twitter.com
五十嵐一さんには子供が2人います。
悪魔の詩訳者殺人事件が起こった時、長女は中学3年生、長男は小学6年生で、目隠しをされていましたが、葬儀の時にお子さん2人が遺影を持っていた写真が週刊誌に掲載されました。
・1979年11月:長男の中さん(あたるさん)誕生
五十嵐さんはとても子煩悩な方で、子供の幼稚園や学校の行事などにはよく顔を出していたそうです。
長男の中さんは現在、研究者として働いています。
・東京大学大学院 薬学系研究科 医薬政策学 客員准教授
・日本医療政策機構フェロー
「長女は結婚しました。長男の中(あたる)は東大に勤務しています。子供の頃は私と似ていましたが、大人になって、メガネをかけ、雰囲気がだんだん夫に似てきた。そう言うと本人は嫌がるのですが」(雅子夫人)
引用:「悪魔の詩」殺人事件 27年目の真実 スケジュール帳に記された<12:GK>の意味(3/3)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
長女・真奈さんの学歴は不明ですが、両親が東大の大学院(博士課程)を修了していて、息子も東大に入学して博士課程を修了し、東大などの准教授をしているなんて、本当にすごいです。
五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細① 出版会見で暴行事件が発生
1991年7月11日、五十嵐一さんは筑波大学のキャンパス内で、首などを切られて殺害されました。
悪魔の詩訳者殺人事件とはどのような事件だったのかを詳しく説明していきます。
五十嵐一が悪魔の詩を翻訳&記者会見で暴行を受ける
1990年にイタリア人のジャンニ・パルマの依頼で、サルマン・ラシュディ著『悪魔の詩』を翻訳して出版しました。
1990年2月、日本外国特派員協会で出版記念記者会見が行われましたが、この時パキスタン人男性が乱入し、五十嵐一さんとジャンニ・パルマが暴行されるという事件も起きました。
また、在日パキスタン協会の会長が、ジャンニ・パルマに対して「死刑」を宣告しています。
また、イスラム関係団体から出版見送りの要請が行われたこともありました。
五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細② 死刑宣告があった
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五十嵐一さんは『悪魔の詩』を翻訳した後、身の危険が迫っていました。周囲もそのように感じていたようです。
ただ、五十嵐一さん自身は死刑宣告などを本気にせず、ただの脅しと思っていたようです。
つくば中央署が五十嵐さんに身辺警護を打診していますが、五十嵐さんはその打診を「心配ないから」と断っています。
また、大学の講義では冗談交じりで「死刑宣告されて危ないんだ」と話していました。
さらに、悪魔の詩訳者殺人事件後には、事件数週間前に書かれたと思われる四行詩が大学の五十嵐さんの机から発見されました。
その四行詩は日本語とフランス語で書かれていましたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の節に対し、フランス語では「階段の裏で殺される」と書かれていたといいます。
・だんのうらでころされる
・かいだんのうらでころされる
ひらがなだと2文字しか変わりません。「壇ノ浦」は地名ですから、フランス語でもそのまま「壇ノ浦」になるはずです。
それなのに、あえて「階段の裏で殺される」としたのは、何かしら自分の身に危険が迫っていることを感知していた可能性があります。
五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細③ イスラム式で殺害
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1991年7月12日早朝、筑波大学の筑波キャンパス内にある文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで、五十嵐一さんが何者かに刺殺されて倒れているところを清掃の女性が発見しました。
司法解剖の結果、五十嵐さんは7月11日午後10時~12日午前2時頃の間に殺害されたことが判明しました。
・首の左に2ヶ所の傷
・首の右に1ヶ所の傷
・右胸や腹部に3ヶ所の傷
首の計3ヶ所の傷は全部頸動脈を切断するほどの深さで、胸腹部の傷は一部肝臓に達していました。五十嵐一さんは犯人に襲われた時に、必死に抵抗したようです。
事件当日、襲ってきた犯人に対して、五十嵐氏はとっさに茶色い革のバッグで防御したようだ。バッグの表面には鋭利な刃物で切られた跡がいくつも残っていた。カフスボタンは引きちぎられ、壊れていた。愛用していた黒ぶちメガネは両方のレンズとも、点々と血痕がついていた。
引用:「悪魔の詩」殺人事件 27年目の真実 スケジュール帳に記された<12:GK>の意味(2/3)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
また、犯人のものと思われるO型の血液も現場に残されていました。さらに、犯人のものと思われる中国製カンフーシューズの足跡(27.5cm)も残されていました。
五十嵐一さんが殺害された方法は、イスラム式の殺害方法と言われています。
「“処刑”であることは殺され方を見れば歴然ですよ。日本人なら短刀でひと突きという方法をとるのに、この場合はノド首を切られてるでしょ。イスラム式の殺し方ですね」(同年7月28日号の「週刊読売」)
首を切って殺害するというのは、イスラム式の殺害方法・・・。
後述しますが、五十嵐一さんは『悪魔の詩』を翻訳した後にホメイニ師から死刑宣告を受けていたことを考えると、イスラム側から死刑を執行された(殺害された)と考えるべきでしょう。
五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の詳細④ 時効を迎えた
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五十嵐一さんは7階のエレベーターホールで殺害されました。
しかし、犯人はエレベーターを利用せず、階段を使って3階まで降りて、そこから非常階段を使って逃走しています。そこからは、犯人の足取りはわかっていません。
エレベーターを使うと、逃走の痕跡を残してしまうから、階段を使ったのかもしれません。
もしくは、四行詩の「階段の裏で殺される」と関係しているのでしょうか。
犯行当時から、イスラム教関係者の犯行ではないかと噂されましたが、直接的な証拠はなく、事件から15年後の2006年7月11日に、未解決のまま公訴時効を迎えています。
五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の内容
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『悪魔の詩』とは、1988年に出版されたイギリス系インド人作家サルマン・ラシュディの4作目の小説です。
悪魔の詩は、イスラム教徒のインド人青年2人(ファリシュタとチャムチャ)がロンドン行きの飛行機に乗るところから始まります。
この飛行機はハイジャックされて乗客は閉じ込められ、イギリス海峡の上で空中爆発しますが、2人は奇跡的に助かりました。
そしてファリシュタは大天使ガブリエルに、チャムチャは山羊の角と蹄が生えている悪魔に変貌し、1人のイギリス人女性を巡って争います。
最終的に2人はインドに戻りますが、大天使ガブリエルになったファリシタはその女性をビルから投げ落として自殺、チャムチャはインドに残る決心をしました。
この『悪魔の詩』の特徴は魔術的リアリズム(日常にあるものとないものを融合させる技法)が取り入れられていることです。
実際の現実の出来事と、主人公の夢が交互に出てくる形になっています。
五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の問題点やタブーとは
五十嵐一さんは、なぜ殺されたのでしょうか?
『悪魔の詩』の内容・あらすじを知っても、イスラム教に詳しくない私たちには何がタブーなのか、何が問題点なのかがよくわかりませんよね。
ここでは、『悪魔の詩』の問題点やタブーをまとめてみました。
問題点だらけの内容?イスラム教のタブーがたくさん
『悪魔の詩』はイスラム教を揶揄する表現・内容が非常に多かったと言われています。
特に、飛行機が爆発して、主人公がファリシュタの夢(妄想)シーンである2章には、イスラム教のタブーとされる内容・表現があります。
・ムハンマドのような預言者が悪魔のささやきに魅入られて多神教を容認する預言をする
・預言者の2番目の妻アーイーシャが娼婦としてハーレムにいた
・ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場
そもそもこの『悪魔の詩』は、イスラム教の預言者であるムハンマドの生涯から着想を得て作られたもので、ムハンマドを彷彿とさせる「マハウンド」という人物が出てきます。
イスラム教は唯一神「アラー」を信じる一神教であり、婚前交渉を厳しく禁止していて、売春は重罪です。これがタブー・問題点を理解する上での大前提です。
それなのに、イスラム教の預言者であるムハンマドをモデルとした人物が、悪魔のささやきで多神教を容認する預言をしています。
また、ムハンマドのモデルの人物の妻の1人が娼婦で、さらにムハンマドの12人の妻と同じ名前の売春婦が登場します。
これだけで、イスラム教徒にとっては馬鹿にされた、自分の宗教・自分の根本を否定された、冒涜されたと感じるのでしょう。
また、イスラム教では禁止されている豚肉を食い散らかすような表現も出てきます。
Amazonには次のような感想がありました。
あるイスラム教に改宗した友人は「自分の母をレイプし女性蔑視しまくった奴の本を読まされた気分だ」とこの本の感想を言っていた。
引用:悪魔の詩 上 | サルマン・ラシュディ, 五十嵐 一, Salman Rushdie |本 | 通販 | Amazon
イスラム教ではない人にはわからない部分も多いですが、イスラム教の人から見ると、『悪魔の詩』はタブー&問題点だらけの小説のようです。
五十嵐一はなぜ殺害された?ホメイニ師から死刑宣告が出ていた
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『悪魔の詩』は1988年9月にイギリスで出版されました。
しかし、出版直後からイスラム教徒から反発があり、翌月にはインドで発禁処分、さらにイギリスでも8,000人のイスラム教徒がこの悪魔の詩の発禁を求めるデモを行いました。
1989年2月14日にはイランの最高指導者・ホメイニ師(ルーホッラー・ホメイニー)が、『悪魔の詩』の著者・ラシュディ氏や出版に関わった者を死刑とする「ファトワー」を宣告します。
ファトワーとは、イスラム教の方角に基づいて発令される勧告です。つまり、ホメイニ師は「『悪魔の詩』に関わった人、みんな死刑ね!」と全世界のイスラム教徒に告げたのです。
このホメイニ師の死刑宣告の翌日には、イランの財団がファトワーを実行した人(死刑を執行した人)には、日本円で3億7千万円を出すことが発表されています。
このホメイニ師の死刑宣告で、『悪魔の詩』が一気に注目を集めることになりました。
ちなみに、ホメイニ師は1989年6月に心臓発作で死亡していますが、ファトワーは発した本人しか撤回できません。
ホメイニ師は撤回することなく、亡くなりましたので、ファトワーは今後ずっと永遠に有効ということになります。
五十嵐一の『悪魔の詩』の認識は違っていた?
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五十嵐一さんは『悪魔の詩』を翻訳しましたが、翻訳していて「この小説はイスラム教を冒涜している」とは感じていなかったようです。
「一読者として興味を覚え、かつ一イスラーム研究者としても、同宗教に対する冒涜の書ではないと判断したからこそ、翻訳を引きうけたのであって、何も言論出版の自由、表現の自由のためにひと肌脱いだわけではないのである」
また、警察が身辺警護を打診した時には、「本を読んでもらえば、誤解されるようなことはないから心配ない」と言って警護を断ったというエピソードもあります。
もしかしたら、五十嵐一さんはイスラム教を学問として研究していてその本質を理解していたからこそ、本当のイスラム教徒が死刑宣告に従うはずがないと思っていたのかもしれません。
その証拠に、インタビューで次のように話しています。
「ホメイニー師の死刑宣告は勇み足であった。(中略)イスラームこそ元来は、もっともっと大きくて健康的な宗教ではなかったか」
しかし、学問上のイスラム教と実際のイスラム教では、ややその過激度が違ったのではないでしょうか。
イスラム教を冒涜したつもりはなく、イスラム教側もまさかそんなことで本当に殺害を実行するはずがないと信じていたから、五十嵐一さんは油断して殺害されてしまったのかもしれません。
五十嵐一が翻訳した『悪魔の詩』の作者も被害者になっていた
出典:nikkei.com
『悪魔の詩』を翻訳しただけで殺害されてしまった五十嵐一さん。では、『悪魔の詩』を書いた作家のサルマン・ラシュディ氏はどうなったのでしょうか?
実は、サルマン・ラシュディ氏は『悪魔の詩』を出版して、ホメイニ師の死刑宣告を受けた後、イギリス警察に厳重に保護されながら、潜伏することになりました。
その後も、警備をつけながら生活していましたが、ここ数年はほとぼりが冷めたと思ったのか、警備なしで普通の生活をするようになっていました。
そんな2022年8月12日、アメリカのニューヨーク州シャトークアで講演を行っていたラシュディ氏は、ニュージャージー州に住む24歳の男に襲われ、重体となりました。
ラシュディ氏は腹部に4ヶ所、右首前部に3ヶ所、右目に1ヶ所、胸に1ヶ所、右太ももに1ヶ所の傷を負っています。
ラシュディはすぐにヘリコプターで病院に搬送されて、人工呼吸器をつけられ、緊急手術。
一命は取り留めたものの、右目は失明し、片腕が不自由になるという後遺症が残っています。
『悪魔の詩』が出版されてから30年以上が経っているのに、まだホメイニ師の死刑宣告のファトワーは有効なので、ラシュディ氏は襲われたと言われています。
実際にラシュディ氏の襲撃事件の後、イランの保守的なメディアはこの襲撃を称賛しています。
反イスラム小説「悪魔の詩」を執筆した作家、サルマン・ラシュディ氏が米ニューヨークで襲撃された事件で、イランの保守派各紙は13日、襲撃を称賛する記事を掲載した。
五十嵐一殺害(悪魔の詩訳者殺人事件)の真相:犯人は誰?
出典:asahi.com
五十嵐一さんが殺害された悪魔の詩訳者殺人事件の真相・犯人に迫ってみたいと思います。
イスラム教シーア派による犯行
五十嵐一さんは、『悪魔の詩』を翻訳したことをきっかけに、ホメイニ師が発した死刑宣告のファトワーによって殺害されたと見られています。
イランはイスラム教シーア派ですから、悪魔の詩訳者殺人事件はイスラム教シーア派の犯行で間違いないでしょう。
バングラデシュ留学生犯人説
五十嵐一さんを殺害した実行犯は、実はほぼ特定されています。
五十嵐一さんを殺害したのは、当時筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人という見方が強くなっています。
平成10年4月30日号の『週刊文春』には、東京入国管理局が作成した「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」の内容が掲載されました。
そこには犯人はバングラディシュ人学生で、さらにその学生は五十嵐一さんの遺体が発見された7月12日の昼過ぎに、成田空港から母国に戻っていることが明らかになったのです。
事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人を容疑者として捜査していたと報じている。なお、このバングラデシュ人とAさんに何らかの接点があったかは判明していないようだ。
引用:「悪魔の詩」を訳し惨殺された大学助教授、自分の死を予言?意外な犯人の噂【未解決事件ファイル】 (2019年6月1日) – エキサイトニュース
ここまで怪しいバングラデシュ人の留学生がいるなら、なぜバングラデシュやIPOに捜査協力を求めないのか?それは、国際情勢を考慮したからという理由のようです。
つまり、悪魔の詩訳者殺人事件の実行犯を逮捕してしまうと日本はイスラム世界と対立することになり、テロなどのリスクもあるため、日本政府は積極的な事件解決は望まなかったようです。
ただ、もし本当にバングラデュ人の留学生が実行犯と確定した場合、公訴時効は成立しないことになります。
その実行犯が日本国外にいる時は時効までの年月はカウントされませんので、今後も逮捕される可能性はあると言えるでしょう。
イスラム革命防衛隊の犯行?
五十嵐一さんを殺害したのは、イスラム革命防衛隊の可能性も出てきました。
イスラム革命防衛隊とはイランの軍隊組織の1つです。憲法でイランの正式な軍隊として認められていますが、国軍とはまた別の組織になります。
このイスラム革命防衛隊の中の特殊部隊ゴドス軍が悪魔の詩訳者殺人事件の犯人であると、CIAの元職員ケネス・ポラックは示唆していました。
また、2022年8月に悪魔の詩の作者サルマン・ラシュディ氏を襲撃した犯人も、このイスラム革命防衛隊を支持することをSNSで表明していたのです。
となると、五十嵐一さんはホメイニ師のファトワーを実行に移したイスラム革命防衛隊によって殺害された可能性が出てきます。
もちろん、前述のバングラデシュ人の留学生がどの組織に属していたのか?どの組織から命じられて犯行を行ったのかは明らかになっていません。
イスラム革命防衛隊所属の人物が、バングラデシュ人留学生に扮して、筑波大学に潜入し、犯行に及んだ可能性も十分にあります。
五十嵐一のまとめ
悪魔の詩訳者殺人事件の被害者・五十嵐一さんの経歴、結婚や子供、事件詳細や『悪魔の詩』の問題点やタブー、なぜ殺害されたのか?、作者の襲撃や真相・犯人をまとめました。
イスラム教と縁遠い人にとっては、この『悪魔の詩』がどのくらいイスラム教を侮辱しているのかがわからないので、なんとも言えません。
ただ、この辺りは非常に難しくデリケートな問題ですね。