三島女子短大生焼殺事件の犯人/服部純也は死刑執行!経緯と場所など概要・被害者・判決と弁護士の見解・最期の言葉も徹底紹介

三島女子短大生焼殺事件は女子大生が強姦後に生きたまま焼殺された残酷な事件ですが、判決が異例だと話題です。

 

今回は事件の概要や場所、被害者、犯人の服部純也の経歴や逮捕、判決と弁護士の見解、死刑執行時の様子を紹介します。

三島女子短大生焼殺事件の概要

 

出典:ameblo.jp

三島女子短大生焼殺事件

発生日時:2002年1月22日~23日
発生場所:静岡県三島市

被害者:女子短大生の山根佐知子さん

犯人:服部純也

罪状:逮捕監禁・強姦・殺人

判決:死刑

 

三島女子短大生焼殺事件とは、2002年1月22日深夜から23日未明にかけて発生した殺人事件です。

 

何件も前科があり、覚せい剤中毒だった犯人の服部純也が、バイトから帰宅途中の短大1年の被害者・山根佐知子さんを拉致して強姦し、その後に灯油をかけて生きたまま焼殺しました。

 

この三島女子短大生焼殺事件は捜査が難航しましたが、別件で逮捕・実刑判決を受けていた犯人の服部純也が捜査線上に浮かび、逮捕に至っています。

 

犯人の服部純也が殺害した人数は1人のみですが、死刑判決が言い渡されました。

 

金銭目的の殺人ではなく、さらに殺人の前科がない殺人犯に死刑判決が出たという異例の判決でも注目された事件でした。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の詳細

三島女子短大生焼殺事件を詳しく見ていきましょう。

 

 

被害者を拉致

 

2002年1月22日、仕事が終わった服部純也は、会社の同僚たちと静岡県三島市内の居酒屋で食事をした後、22時40分ごろに店を出ています。

 

同僚1人を車で送った後、会社のガレージに忘れた弁当箱を取りに戻る途中、23時ごろに市内の国道136号線で同じ方向を自転車で走行中の女性(被害者)を発見し、車から声を掛けました。

 

被害者女性は服部のことを相手にせず、そのまま自転車をこぎ続けます。

 

しかし、服部はその女性が「若くてかわいい女性」であることに気づき、なんとかしたいと考えて、車で先回りして待ち伏せすることにしました。

 

服部は車から降りて、被害者の自転車の前に立ちふさがり、自転車を止めさせ、しつこく被害者女性に名前や学校などを聞きながら、誘いをかけます。

 

そんなことをしているうちに、被害者女性は自転車と一緒に倒れてしまいました。

 

被害者は大声をあげて逃げ出そうとするなど、服部に抵抗しますが、服部は「静かにしろ」と言って脅し、自分の車の後部座席に押し込んで監禁しました。

 

この時点で、服部は被害者を強姦しようと決意しています。

 

この時、服部純也の車の後部座席のドアはチャイルドロックの設定になっていて、内側からは開けることができず、被害者女性は車から脱出することができませんでした。

 

 

脅迫して強姦

 

犯人の服部純也は被害者女性を拉致した後、車を三島市からほど近い函南町に向かって走らせます。

 

そして1月22日の23時40分ごろ、周りが畑に囲まれ、夜間は真っ暗になる函南町軽井沢の山の中に車を停めました。

 

「俺の顔を見ただろう?警察にチクるな。ぶっ殺すぞ!」と脅迫します。この時点で、被害者は恐怖のあまり抵抗する気力を失っていたようです。

 

そして、車の後部座席で被害者の服を全部脱がせて全裸にして、服部純也は被害者をレイプしたのです。

 

 

 

殺害を決意

 

 

レイプした後、被害者は服を着るのもやっとという状態になるほど憔悴しきっていました。

 

三島市内に戻った犯人の服部純也は、どこか人に見られないところで被害者を解放しようと、ちょうどいい場所を探して車で走っていました。

 

そんな時、服部の覚醒剤仲間から、注射器を持ってくるように連絡が入ったのです。

 

その連絡で、服部は「俺も覚せい剤を打ちたい」との気持ちが募り、被害者の存在が邪魔になりました。

 

同時に、「顔を見られているから、このまま解放したら警察に通報されて逮捕される」と心配になります。

 

犯人の服部は2001年4月に仮出所したばかりでした。仮出所から1年経っていない状態だったので、ここで逮捕されるとまた刑務所に入ることになります。

 

そんな考えから、服部純也は次のような思考に到達しました。

 

「早く覚醒剤を打ちたい」+「刑務所に入りたくない」=被害者を殺そう!

 

とんでもないクズですよね。

 

 

灯油をかけて焼殺

出典:a19750601.exblog.jp

 

強姦した被害者女性を殺害することを決めた犯人の服部純也は、車に被害者を乗せたまま、とりあえず覚醒剤仲間に頼まれた注射器を実家に取りに行きました。

 

そして、実家の玄関先で灯油入りのポリタンクを見つけます。

 

この時、服部は「灯油をかけて焼き殺してしまおう」と思いつき、その灯油入りポリタンクと覚醒剤用の注射器を車に乗せて、殺害する場所を探して車を発進させました。

 

そのころには日付が変わり、2001年1月23日未明、服部は人の気配が全くない三島市内の工事現場に車を停めました。

 

そして、被害者を後ろ手に縛り、口をガムテープでふさいでから、車から降ろして灯油をかけます

 

犯人の服部は「火をつけちゃうぞ」と脅しますが、被害者女性は抵抗もせず、声を上げることもありませんでした。

 

犯人は「殺さない方が罪が軽くて済む」と一瞬殺害を躊躇しましたが、結局は「覚醒剤を打ちたい」「刑務所に入りたくない」という身勝手な思いが勝ってしまったようです。

 

そして、ライターで被害者女性の髪の毛に火をつけて、車で逃亡しました。

 

被害者女性は火だるまになり、工事現場にあったコンクリートブロックの間で死亡したのです。

 

 

トラック運転手によって遺体が発見された

 

被害者の遺体が発見されたのは、犯人が殺害してから約30分後の2001年1月23日午前2時35分ごろのことです。

 

殺害現場を通りかかったトラック運転手が、無人のはずの工事現場から黒い煙が出ているのを発見します。煙の近くをよく見ると、人間の足のようなものが見えたため、110番通報しました。

 

警察は現場に争った形跡がなかったため、遺体発見当初は事件と自殺の両面で調べていました。

 

しかし、次のような理由で殺人事件と断定し、捜査を進めています。

 

・両手首に縛った跡や口元に粘着テープのような跡があった
・灯油やライターが現場に残っていなかった

 

遺体は身をかがめるようにして横たわっていて、皮膚は炭化し、毛髪は焼け焦げていました。

 

皮膚からは生きたまま焼かれた証拠となる生活反応が出たため、灯油のようなものをかけられて、生きたまま火をつけられたと推測されました。

 

また、1月23日午後には被害者の両親から「娘が帰宅せず連絡が取れない」と警察に届け出があり、指紋などから、その遺体は被害者の山根佐知子さんであることが判明しました。

 

 

犯人は証拠隠滅を図る

 

犯人は被害者を殺害した後、覚醒剤仲間のところに行き、覚せい剤を打っています。

 

1月23日には普段通りに出勤し、仕事が終わった後には証拠品を処分して証拠隠滅を図っています。

 

・自転車を狩野川に投げ捨てる
・携帯電話や財布はコンビニのゴミ箱に捨てたり、友人宅で燃やしたりした

 

犯人は、証拠品をきっちり隠滅するなど、殺害後も冷静に考え行動していたことがわかります。

 

ちなみに、犯行に用いた車は、この後に説明する別件の事件を起こした時に自動車解体工場に持ち込んで廃車にして、解体しています。

 

このように証拠品がすべて処分されていたことで、捜査は難航し、犯人逮捕までに時間がかかってしまいました。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の犯行場所とは

出典:ameblo.jp

 

三島女子短大生焼殺事件の犯行場所は、「拉致監禁」「強姦」「殺人」でそれぞれ場所が異なります。

 

 

出典:google.com

 

①:拉致=三島市青木・国道136号沿いの路上
②:強姦=田方郡函南町軽井沢字立洞地内
③:殺害=三島市川原ケ谷字山田・山地内の道路拡幅工事現場

 

①の拉致現場は、現在こそコンビニなどのお店ができて明るくなっていますが、事件当時は夜になると暗くて、人通りはまばらだった場所です。

 

②の強姦現場は、犯人の服部純也が勤めていた会社がある軽井沢事務所から車で10分ほどの場所で、深夜には真っ暗になり、人が来ないことを服部は把握していたようです。

 

③の殺害場所は「三島ジャンボゴルフセンター」の北側の場所です。三島市から御殿場市への抜け道だったため、夜でも車の通りはまばらにはあった場所でした。

 

そのため、事件から30分後にはトラックの運転手が遺体を発見しています。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の被害者は山根佐知子さん

出典:ameblo.jp

 

三島女子短大生焼殺事件の被害者は山根佐知子さんという女性で、事件当時19歳でした。

 

・名前:山根佐知子
・年齢:19歳
・学校:上智短期大学英語学科1年
・住所:静岡県三島市梅名

 

被害者の山根佐知子さんは地元の三島南高校を卒業後、神奈川県秦野市にある上智短期大学に進学していました。

 

・物静かでまじめな子
・控えめで優しく、誰からも好かれる誠実な人柄
・まじめで授業にもきちんと出席していた
 
上記のような評判の良い女性で、対人トラブルとも無縁であり、学費の足しにするために居酒屋でアルバイトをしていました。
 
事件当初は「男女間のもつれか?」や「普段から遊んでいて、痴情のもつれで火をつけられたのでは?」と報道されたり、噂が立ったりしていました。
 
しかしこれは間違った憶測報道であり、被害者自身には何の落ち度もないのに、不運にも事件に巻き込まれただけで、まじめな子で対人トラブルはなかったことがわかっています。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の犯人は服部純也

三島女子短大生小札事件の犯人は、服部純也です。事件当時は29歳、逮捕された時は30歳になっていました。

 

三島女子短大生焼殺事件の詳細を見ると、服部純也には1つも同情の余地がない犯罪者であることは間違いありません。

 

ただ、服部純也の生い立ちや事件までの生活を知ると、その身勝手な犯罪思考は、子供のころから着々と積み重なってきたものであることがわかります。

 

 

少年期は貧乏

 

犯人の服部純也は、1972年2月21日に北海道上川郡上川町で生まれますが、その後すぐに、静岡県三島市に移住してきています。

 

・父親
・母親
・4人兄弟

 

貧しい家庭だっただけでなく、両親からの愛情が薄かったと言われています。

 

母親は子供の世話よりもパチンコに夢中になり、パチンコで損をすると、息子の服部純也に当たり散らしたこともあったようです。

 

父親は厳しい人で、一部報道では父親から虐待を受けていたとされていますが、裁判では虐待はなかったとされています。

 

父親が服部に暴力をふるうときは、「母親の財布からお金を盗んだ」などの服部純也自身の行動が原因だったと認定されました。

 

母親がパチンコ狂で、愛情が薄かったためか、服部純也は子供のころから問題児で盗癖がありました。

 

父親は検察官に息子の服部純也について、次のように語っています。

 

「息子は成長するにつれ、盗みなど悪いことを繰り返し、欲しい物はどんなことをしても手に入れるようになった」

 

引用:三島女子短大生焼殺事件 – Wikipedia

 

中学生の頃になると、服部純也は父親と険悪な状態になっていました。

 

 

少年院に2回入る

 

子供のころから盗み癖があった服部純也は、中学生になると窃盗を重ねるようになったようです。

 

中学3年生の時には窃盗で逮捕され、初等少年院に送致されました。中学の卒業式は少年院の中にいました。

 

少年院から出てきた後は鉄筋工などで働きますが、17歳の時には再び窃盗などの罪で逮捕され、次は中等少年院に送致されました。

 

2回も少年院に入るというのは、筋金入りの非行少年だったと言えるでしょう。

 

中等少年院を出所した後、姉がいた沖縄県内に移住して工員として働いていたこともあったようです。

 

その後は実家のある三島市に戻り、スナックの店員や土木作業員として働きましたが、窃盗で3度逮捕され、保護観察処分を受けることになりました。

 

 

結婚後も犯罪を繰り返す

 

窃盗で何度も逮捕された服部純也でしたが、1992年8月、20歳の時に中学の同級生だった女性と結婚します。

 

この女性との間には、2人の子供をもうけました。

 

しかし、結婚からたった4ヶ月後の1992年8月、覚せい剤取締法違反と道路交通法違反で逮捕され、懲役1年6ヶ月執行猶予4年の有罪判決を受けました。

 

この時はかろうじて実刑判決は回避し、執行猶予が付きましたが、執行猶予期間中の1995年には強盗致傷事件を起こして逮捕されました。

 

この事件で強盗致傷・恐喝・窃盗の罪に問われ、懲役4年6ヶ月の実刑判決を受けました。

 

当然、執行猶予は取り消されるので、覚醒剤取締法違反と道路交通法違反の懲役1年6ヶ月も追加されます。合計で6年間の懲役刑となりました。

 

服役中の1999年1月には妻と離婚し、2001年4月に仮釈放されました。2001年7月には元妻とよりを戻し、沼津市内の団地で元妻と子供2人と住んでいました。

 

仮釈放から半年後の2001年10月頃からは、三島市内の建設会社で土木作業員として働いていました。

 

ようやく仮釈放されて、仕事も見つけ、離婚した妻ともよりを戻して子供と親子水入らずで暮らすなど、幸せをようやく手に入れたと思われた服部純也。

 

しかし、仮釈放から1年も経たないうちに、覚醒剤に手を出し、強姦目的で女性を拉致して強姦した上、灯油をかけて殺害…。少年院や刑務所に入っても、更生できないものなのでしょうか。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の犯人・服部純也が逮捕されたきっかけ

三島女子短大生焼殺事件の犯人は服部純也ですが、逮捕されたのは事件から約半年後のことでした。

 

しかもその時、服部純也は別件で服役中だったのです。

 

 

当て逃げで逮捕&実刑

 

服部純也が三島女子短大生焼殺事件を起こしたのは、2002年1月22日~23日のことです。

 

事件から2日後の1月25日、服部は当て逃げ事件を起こしています

 

函南町の国道136号線で、犯行に使った車を無免許で運転中、Uターンしようとした時に前進してきた車と衝突、相手の車に乗っていた男女2人に全治2週間のけがを負わせました。

 

そして、そのまま事故処理をせずに、その場から逃走しています。

 

事故から2日後の1月27日には、その事故車両を自動車解体工場に持ち込み、廃車にしてしまいました。

 

これで、当て逃げの証拠も三島女子短大生焼殺事件の証拠も隠ぺいしてしまったことになります。

 

しかし、当て逃げ事件を起こした時にナンバープレートを見られていて、目撃証言から当て逃げをしたのは服部純也であると警察は特定しました。

 

捜査の手が伸びていることを知った服部は、事件から約1ヶ月後の2002年2月29日、三島署に出頭しました。

 

そして、業務上過失傷害と道路交通法違反の容疑で逮捕され、懲役1年6ヶ月の有罪判決を受けて、服役することになったのです。

 

 

捜査で服部純也が浮上し逮捕

 

服部純也が当て逃げ事件で服役している頃、警察では三島女子短大生焼殺事件の捜査が難航していました。

 

被害者には対人関係トラブルがなく、所持品・証拠品もないため、通り魔的な犯行と見られていましたが、犯人が特定できずにいたのです。

 

しかし、地道な捜査を繰り返していくことで、周辺の地理に精通していた「夜間徘徊者・不審者リスト」に挙がっていた服部純也が容疑者として浮かびました。

 

2002年7月11日、服役中の服部純也に唾液の提出を求め、服部純也のDNAと遺体現場に落ちていた遺留品のDNAを照合した結果、一致したため、逮捕監禁・強盗容疑で逮捕しています。

 

 

殺人・逮捕監禁で起訴

 

当初、服部純也は強姦・殺人容疑を否認していました。

 

・性行為は合意の上だった
・殺人は一緒にいた外国人がやった
 
このような供述をしていたため、警察はまずは7月25日に逮捕・監禁容疑で服部純也を送検しました。
 
その後はじっくりと捜査・取り調べを行い、7月30日には「被害者に灯油をかけて焼いた」と供述し始め、8月13日には殺人容疑で服部純也を再逮捕しています。
 
そして、9月3日には逮捕監禁・殺人の容疑などで、犯人の服部純也は起訴されました。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の判決は死刑

 

三島女子短大生焼殺事件で、犯人の服部純也が殺害した人数は1人です。

 

ただ、その殺害方法は生きたまま灯油をかけて焼き殺すという非常に残忍な方法でした。そのため、裁判での量刑に注目が集まりました。

 

第一審:無期懲役の判決

弁護側:罪が重すぎる
検察側:罪が軽すぎる

第二審:死刑判決(検察の求刑通り)

弁護側:罪が重すぎる!!!

最高裁:控訴審の死刑判決を指示

死刑確定!

 

第一審では無期懲役でしたが、第二審では次のような理由で死刑判決となっています。

・凶悪な犯行である
・被害者に何ら落ち度もなく、犯行の動機が身勝手で理不尽である
・被告人の犯罪性は改善更生は難しい

 

そして、第二審の裁判長は次のように述べています。

 

反省悔悟の様子が窺われることなどの事情も存するが、これらを最大限に考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかない

 

引用:三島女子短大生焼殺事件 – Wikipedia

 

「反省している様子もあるけれど、それでも死刑以外にはあり得ない」という結論ですね。最高裁も第二審の判決を支持しています。

 

この裁判を傍聴していた人によると、死刑判決が出た時に犯人の服部純也は舌打ちをしたようです。

 

高裁での判決で死刑が下された時、彼はこう言ったそうです
チッ!と舌打ちをして・・・『マジかよ』
恐らくこれも心証が悪かったのでしょう、被害者が一人にもかかわらず最高裁でも死刑が言い渡されました

 

引用:三島女子短大生焼殺事件 服部純也死刑執行 – 中野ブロードウェイ劇場

 

死刑判決の時に舌打ちをするなんて、反省しているとは言い難いですよね。

 

そして、2008年2月29日には、最高裁で死刑が確定しました。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の犯人・服部純也の弁護士が死刑判決に驚いた理由とは?

 

三島女子短大生焼殺事件では犯人の服部純也には、国選弁護士がつけられましたが、この弁護士にとっては、第二審で死刑になるのはかなり意外だったようです。

 

「死刑にはならない」と思っていたので、第二審で死刑判決が出た際、不意打ちを受けた気分だったと述べています。

 

実は、これまで死刑判決が出たケースは、複数名を殺害したり、誘拐殺人など計画的で金銭目的の殺人だった場合、もしくは犯人に殺人の前科がある場合に限られていました。

 

これは、1983年に示された永山基準によるものです。

 

それに対し、三島女子短大生焼殺事件は、今までの死刑判決の条件には当てはまりませんでした

 

・殺人の前科がない
・殺害したのは1人だけ
・金銭目的ではない
・計画的な犯行ではない

 

それなのに、死刑判決が出たから、弁護士はかなり驚いたようです。

 

ちなみに、2020年に起こった沼津ストーカー事件では、被害者の女子大生が惨殺されていますが、犯人は死刑ではなく無期懲役が下っています。

 

そのため、三島女子短大生焼殺事件では、無期懲役よりも判決が軽くなる可能性もあると弁護士は踏んでいたのです。

 

 

三島女子短大生焼殺事件の犯人・服部純也の死刑執行の様子・最期の言葉とは?

三島女子短大生焼殺事件の犯人の服部純也は、2008年2月29日に死刑が確定しました。

 

そして、2012年8月3日に東京拘置所で死刑が執行されました。服部純也は40歳でした。

 

2012年に死刑執行

 

服部純也の死刑執行は、判決から約4年後でしたので、比較的早い段階で実行されたと言えるでしょう。

 

最期の言葉は、「執行だけはされたくない。生きて償いたい。死ぬ訳にはいかないのです。何が何でも死刑を廃止して下さい」というものだったようです。

 

死刑囚の遺体は、拘置所がある自治体の無縁仏として納骨されることが多いですが、服部純也は元妻が遺骨を引き取ったようです。

 

服部純也の弁護士によると、逮捕後も元妻は服部に対して愛情を持ち続けていたとのことです。

 

服部の元妻の女性は、どれだけ愛情深い人・慈悲深い人なのでしょうか。

 

死刑執行で犯した罪は償ったと言えますが、最後は犯人である服部純也は家族のもとに帰ることができたんですよね。

 

しかも絞首刑ですから、さほど苦しまずに亡くなったでしょうし、僧侶に見守られながら死刑は執行されました。

 

それに対し、被害者の山根佐知子さんは、自分に落ち度はないのに強姦され、焼き殺されたんです。被害者と遺族の心情を思うと、やりきれないものはどうしても感じてしまいます。

 

 

死刑執行に反対していた

 

服部純也は、最後まで死刑執行に反対していたようです。

 

まず、死刑囚仲間で作る「ユニテ」という会の機関誌『希望』には、死刑判決に関して、次のように不満を漏らしていました。

 

それにしても、無期懲役と死刑のボーダーラインもどこにあるのか判らない程滅茶苦茶であり、その点、検察側もデタラメなら裁判官も似たようなものです」

 

引用:服部純也の投稿 | 旧聞since2009

 

この言葉だけで、服部純也は全く反省していないのがわかります。

 

さらに、国会議員の福島瑞穂氏が実施したアンケートには次のように答えています。

 

死刑囚は命の大切さを他の誰よりも知っている。死刑は国家が殺人を犯すのと同じで、死刑執行方法(絞首刑)もかなり残酷だ。自分が犯した罪の重さを理解した上で毎日反省・悔悟しているが、『いつ死刑を執行されて死ぬかわからない』という気持ちを与え続けることは精神的拷問と同じで、死刑執行だけはされたくない。被害者遺族には納得してもらえないかもしれないが、生きて償いたいし、できることなら被害者遺族と直接会って謝罪したいと思う。まだ被害者・遺族への謝罪・償いができていないうちに死ぬわけにはいかない

 

引用:三島女子短大生焼殺事件 – Wikipedia

 

めちゃくちゃ自分勝手ですよね。自分本位そのものです。

 

被害者の気持ち、被害遺族の気持ちなんて、これっぽっちも考えていないし、反省もしていません。

 

そのほか、次のような意見も持っていました。

 

・社会に出たら再犯しない自信がある
・被害者遺族と同様に死刑囚も苦しんでいる
・死刑囚の苦しみもわかってくれ
・被害者遺族への償いのために、死刑を廃止してほしい
・死刑執行の恐怖に比べたら、一般社会で真面目に生きるなんて簡単なこと

 

反省していないことが丸わかりです。

 

死刑なるような犯罪を犯す犯罪者は、やはり精神構造・思考回路が常人には理解できないものになっているのかもしれません。

 

服部純也には、死刑制度の是非云々の前に、自分が犯した罪の重大性、そして被害者の未来を奪った自分の身勝手さをもっと深く理解して反省してほしかったですね。

 

 

三島女子短大生焼殺事件のまとめ

三島女子短大生焼殺事件の概要や詳細、事件の場所、被害者や犯人の服部純也について、死刑判決に対する弁護士の見解、死刑執行時の様子や最期の言葉をまとめました。

 

拉致された時、レイプされた時、火をつけられた時の被害者の心情を思うと、いくら犯人が死刑執行されても、モヤモヤしますね。

 

被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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