若い頃に宝塚歌劇団の男役として活躍した寿ひずるさんは、10代目坂東三津五郎さんとの離婚原因も話題です。
今回は寿ひずるさんの経歴や家族(父親)、元旦那との結婚や離婚原因、子供(娘と息子)、再婚の有無や現在をまとめました。
この記事の目次
- 寿ひずるのプロフィール
- 寿ひずるの生い立ちや家族(父親)
- 寿ひずるの若い頃の経歴① 宝塚歌劇団で次期トップスターにまで上り詰める
- 寿ひずるの若い頃の経歴② トップスター目前で婚約・宝塚を退団
- 寿ひずるの若い頃の経歴③ 離婚後はミュージカルの世界で活躍
- 寿ひずるが結婚した元旦那は10代目坂東三津五郎
- 寿ひずると元旦那・10代目坂東三津五郎の結婚生活エピソード
- 寿ひずると元旦那・10代目坂東三津五郎の離婚原因は近藤サトとの不倫
- 寿ひずるの子供:娘(長女)守田菜生のプロフィール
- 寿ひずるの子供:娘(次女)守田幸奈のプロフィール
- 寿ひずるの子供:息子(長男)2代目坂東巳之助のプロフィール
- 寿ひずるの現在① 再婚しておらず都内で1人暮らし
- 寿ひずるの現在② 2022年で芸歴50周年を迎えた
- まとめ
寿ひずるのプロフィール
生年月日:1954年3月17日
出身地:三重県(その後大阪府で育つ)
所属事務所:不明
寿ひずるさんは役者で、宝塚歌劇団の元男役スターでもいらっしゃいました。
本名は「伊東 春美」さんといい、ニックネームは”イーちゃん”なのだそうです。
寿ひずるの生い立ちや家族(父親)
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寿ひずるさんは幼い頃から子役として活動しており、小学校1年生の時に映画「太陽を抱け」に出演しました。
父親は養毛剤や整髪料などのメーカー「加美乃素本舗」に勤め、のちに社長となった人物で、寿ひずるさんが宝塚歌劇団に入団すると、加美乃素本舗は「宝塚歌劇招待キャンペーン」を実施。
その後、父親は寿ひずるさんが在団中に亡くなってしまったそうですが、加美乃素本舗は父親が亡くなった後もキャンペーンを継続し、今もなお続いています。
- そんな寿ひずるさんの父親は、存命中、関西で活動する歌舞伎役者ととても仲が良く、特に”松嶋屋”の片岡仁左衛門(13代目)さんとは交流が長かったそうです。
寿ひずるの若い頃の経歴① 宝塚歌劇団で次期トップスターにまで上り詰める
寿ひずるさんは、1972年に宝塚歌劇団に入団。
当時の成績は48人中29位だったそうですが、星原美沙緒さんや、現在も役者をされている峰さを理さん・高汐巴さんらと共に58期生として活躍しました。
雪組に所属後は、歌劇「かぐら/ザ・フラワー」で初舞台を踏み、関西ローカルのテレビ番組「ザ・タカラヅカ」にも出演。
同番組内のユニット「バンビーズ」8期生にも選出されました。
1973年になると、雪組を離れて星組に転属。同期である峰さを理さん・高汐巴さんと共に”同期生トリオ”として注目されるようになります。
また、寿ひずるさんはそれまで男役・女役どちらも演じていましたが、入団7年目となる1978年に新人公演「風と共に去りぬ」で男役のレット・バトラーを演じることを告げられました。
私は男役でも、女の役がけっこうあったので「男をしっかりやってもらう」という親心でした。本役の麻月(あさづき)鞠緒(まりお)さんは「私は一切教えへんで。あんたのバトラーがあるやろ」って。あれはすごい愛情でした。あの舞台で、これが男の感情なんだと違和感なく思えた。男役に目覚めたんです。
その後は花組を経て、1980年に再び雪組となり、当時の雪組トップスター・麻実れいさんに次ぐ”2番目スター”として活躍しました。
寿ひずるの若い頃の経歴② トップスター目前で婚約・宝塚を退団
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1982年には、花組ダブルトップスターである松あきらさん・順みつきさんの退団が決まり、後任として花組のトップスターに就任することが内定していたようです。
しかしその数か月後、寿ひずるさんは突如、歌舞伎役者の10代目坂東三津五郎(当時の5代目坂東八十助)さんとの婚約を発表。結婚に伴い、宝塚歌劇団を退団しました。
トップスター目前での退団は大きな話題となったそうです。
寿ひずるさんは退団後「なぜトップスターになってから辞めなかったのか」と問われることが多かったそうで、「結婚したいから退団したのではない」と答えています。
ちょうど新生花組になるところでした。トップの松あきらさんに続き、順みつきさんがやめられ、その後に行く私も結婚が決まっているからとトップ1回公演でやめてしまったら、残される花組のみんなはどう感じるだろう。どんなにイヤだろう。悩みました。ファンに対しては裏切り行為になる。でも、本当の気持ちは言えずに去りました。
引用:こトップ目前 悩み抜いた退団
寿ひずるの若い頃の経歴③ 離婚後はミュージカルの世界で活躍
寿ひずるさんは宝塚歌劇団を退団後、1983年に五代目坂東八十助さんと結婚。
3人の子供を出産しますが、1997年に離婚しています。
離婚後は役者として復帰し、同年公演の舞台「華の絆」で本格的な活動を再開。
寿ひずるさんは宝塚のトップ目前で退団し、再度舞台の世界に舞い戻ったことについて、以下の様に心境を述べています。
復帰した舞台は1997年、三越劇場で上演した「華の絆」。植田先生の脚本でした。「とうとう帰ってきてしまった」。このセリフが言えなくて。でも、その一言も先生の愛情でした。トップをふまなかった枷(かせ)は重い。でも、宝塚で教わったことを基に積み重ねていくしかない。これからも、それを糧に生きていきます。
引用:http://astand.asahi.com/entertainment/starfile/OSK201401270002.html
寿ひずるさんは同舞台で復帰を果たすと、宝塚歌劇団での経験を活かして数多くのミュージカルに出演するようになります。
1999年以降は主演以外の役を演じることが多く、当時相次ぐ急逝で少なくなっていた”中高年層で助演ポジションができるミュージカル女優“枠をそのまま引き受ける形となったそうです。
寿ひずるが結婚した元旦那は10代目坂東三津五郎
寿ひずるさんは1983年に、歌舞伎役者の10代目坂東三津五郎さんと結婚しました。
10代目坂東三津五郎のプロフィール
生年月日:1956年1月23日
出身地:東京都
職業:歌舞伎役者・役者・日本舞踊坂東流家元
所属: ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
元旦那である10代目坂東三津五郎(当時の5代目坂東八十助)さんは、歌舞伎役者として活躍した人物で、本名は「守田 寿(もりた ひさし)」さんといいます。
また、10代目坂東三津五郎さんの父親は、同じく歌舞伎役者の4代目坂東八十助(その後の9代目坂東三津五郎)さんで、母方の祖父は8代目坂東三津五郎さんです。
1981年に公演された「8代目坂東三津五郎」で初舞台を踏み、以降は歌舞伎役者として数多くの公演に出演。
しかし、2013年に肝臓腫瘍が見つかり、2015年に肝臓がんで59歳の若さで亡くなりました。
寿ひずると元旦那・10代目坂東三津五郎の結婚生活エピソード
寿ひずるさんは10代目坂東三津五郎さんと1983年に結婚し、ホテルオークラ東京で結婚披露宴が執り行われました。
プロポーズの言葉は「いつ(宝塚を)辞められますか?」だったそうです。
そして、その言葉からわかるように“梨園の妻”と呼ばれる歌舞伎役者の妻としての生活は、プレッシャーとの戦いの日々でした。
梨園の妻の1番の仕事は「男児を生むこと」で、特に坂東家は入り婿が2代続いていたため、10代目坂東三津五郎さんという”息子”を生んだ姑からの圧は相当なものだったそうです。
そのため、寿ひずるさんが長女・次女を出産した際の第1声は、いつも「ごめんなさい」だったといいます。
その後、1989年に念願の長男・2代目坂東巳之助さんが誕生していますが、当時の寿ひずるさんは、次女を出産した後に発症したネフローゼ症候群で入退院を繰り返している状態でした。
医師からも「命取りになる」と出産を止められるほどだったそうですが、寿ひずるさんは医者の反対を押し切って出産に挑みました。
3人目でようやく男の子を授かって、そのときは思わずベッドで“ありがとうございます”って泣いてしまいました。肩の荷が下りたような気がしましたね。(中略)電話で知らせを受けた主人が“お父さん(9代目三津五郎)、やった!”って。それがすごい大きな声だったそうで、いまだに父が“あのときはすごい声だった”と言って笑うほどなんです。
寿ひずると元旦那・10代目坂東三津五郎の離婚原因は近藤サトとの不倫
周囲からの相当なプレッシャーの中、2人の娘と1人の息子を出産した寿ひずるさん・10代目坂東三津五郎夫妻でしたが、1997年になると2人は離婚してしまいます。
2人は離婚理由について、公にしていません。
しかし、当時のメディアは元旦那である10代目坂東三津五郎さんが、フリーアナウンサーの近藤サトさんをはじめとする複数の女性と関係を持っていたことが原因だと報じています。
また、10代目坂東三津五郎さんの両親や2人の妹との確執も大きく影響しているのだとか。
梨園の妻としての務めや義家族との関係など、つらい日々を送っている中での旦那の不倫発覚は、どんなに苦しかったか想像に難くありません。
近藤サトのプロフィール
生年月日:1968年7月11日
出身地:岐阜県
職業:アナウンサー・ナレーター
所属:ベルベットオフィス
出典:https://yomidr.yomiuri.co.jp/
近藤サトさんは日本大学の芸術学部放送学科を卒業後、1991年にフジテレビに入社。
アナウンサーとして報道番組を中心に、情報番組のナレーションやバラエティ番組のアシスタントなどで活躍しました。
1998年にフジテレビを退職すると、前年に寿ひずるさんと離婚したばかりの10代目坂東三津五郎さんと結婚。その後、2000年に離婚しています。
なお、10代目坂東三津五郎さんと近藤サトさんとの離婚は、後継者争いを心配した梨園による”子作り禁止令”や不倫によるあたりの強さ、子供たちとの確執が原因だと言われています。
不倫の末、2人は晴れて夫婦になったのだが、わずか2年弱で離婚。当時、近藤は離婚会見を開き、「私は結婚に対して子供ができることを望んでおりました。しかし、誰かの意思によって阻まれるというのは、私にとって理解できませんでした」と訴え、大きな話題と関心を集めた。
近藤サトさんは離婚後、2003年に現在の旦那であるイベント企画会社社長・今岡寛和と再婚し、翌年に子供出産。
現在は、日本大学の藝術学部放送学科で非常勤の特任教授としてアナウンス実習などを行っているほか、ナレーターのお仕事を中心に活動されています。
寿ひずるの子供:娘(長女)守田菜生のプロフィール
生年月日:1984年3月18日
出身地:東京都
職業:役者
所属事務所:TBSスパークル
守田菜生さんは、寿ひずるさん・10代目坂東三津五郎さんの長女です。
幼い頃に日本舞踊坂東流に入門し、名取となっています。
玉川大学芸術学部のパフォーミングアーツ学科を卒業しており、2008年に舞台「風林火山 晴信燃ゆ」で役者デビューを果たしました。
- 翌年には舞台「晩秋」で父親の10代目坂東三津五郎さんと共演し、以降、舞台を中心に活動しています。
- 2013年にはNHKの大河ドラマ「八重の桜」にも出演しています。
寿ひずるの子供:娘(次女)守田幸奈のプロフィール
生年月日:1986年
出身地:東京都
職業:舞踊家
所属事務所:不明
守田幸奈さんは寿ひずるさん・10代目坂東三津五郎さんの次女として誕生し、現在は舞踊家として活動されているようですが、詳細な芸能活動は明らかにされていません。
ただ、10代目坂東三津五郎さんが亡くなった2015年に結婚したことが分かっています。
病床に伏せていた10代目坂東三津五郎さんのために、兼ねてよりお付き合いしていた男性と予定より早く入籍したそうです。
そして、10代目坂東三津五郎さんの病室に寿ひずるさんを含めた家族全員が揃い、結婚記念の家族写真を撮影したといいます。
幸奈さんは父のために「今日、ウエディング姿を撮りたい」と切望し、4時間かけて準備した。幸奈さんと新郎、三津五郎さん、寿、長女の女優守田菜生(30)巳之助の6人で最後となる家族写真を撮った。三津五郎さんはうれしそうで、「おめでとう、おめでとう」とお祝いの言葉を繰り返したという。寿も「いい形でお祝いできて本当に良かった」と話した。
寿ひずるの子供:息子(長男)2代目坂東巳之助のプロフィール
生年月日:1989年9月16日
出身地:東京都
職業:歌舞伎役者・役者・日本舞踊坂東流家元
所属: ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
2代目坂東巳之助さんは寿ひずるさん・10代目坂東三津五郎さんの長男として誕生。
現在は父親である10代目坂東三津五郎さんの後を継ぎ、日本舞踊「坂東流」の家元・歌舞伎名跡「坂東巳之助」の当代を務めています。
2代目坂東巳之助さんは、1991年に「八代目坂東三津五郎十七回忌追善」で初お目見得。
その後、1995年に歌舞伎公演「倭仮名在原系図」で初舞台を踏み、「2代目坂東巳之助」を襲名しました。
2018年には、アミューズメントパーク「サンリオピューロランド」でダンサーをしていた水越彩さんと結婚しており、現在は2人の子供がいます。
また、10代目坂東三津五郎さんと近藤サトさんの不倫騒動・再婚の際は、兄弟の中でも特に深い心の傷を負ったとされており、一時は歌舞伎の道に進むことも迷ったようです。
巳之助は、父親の不倫騒動で負った心の傷は相当なものだったようです。家庭内暴力や高校を中退しては荒れた生活を送り、近藤への増悪は深まるばかりで家庭内がうまくいかなかったと聞きました
引用:歌舞伎役者を略奪で思い出す、近藤サトの略奪婚 子作り禁止令が出るほど梨園の風当たりが厳しかった?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】
そんな様子を心配した10代目坂東三津五郎さんに「歌舞伎を離れてみてはどうか」と言われ、巳之助さんはバンド活動やアルバイトなど、”普通の10代”として1年ほど生活したといいます。
しかし、17~18歳の頃、歌舞伎の道を進むことを決意したと語っています。
17~18歳のころです。自分でも不思議なんですが、銀座あたりを歩いていて、ふと気持ちが固まったんです。本当に、「そうだ!」という感じで。そのころは、父に許しをもらって歌舞伎の舞台に全然立っていなくて、バイトをしたりバンドをやったりしてたんですけど、それで気持ちがリセットできたことも大きいのかなぁと。それからは、まったく気持ちがぶれなくなりましたね。
寿ひずるの現在① 再婚しておらず都内で1人暮らし
出典:https://pixabay.com/
寿ひずるさんは10代目坂東三津五郎さんと離婚後、再婚していません。
また、お子さんたちとも同居しておらず、都内で1人暮らしをされているそうです。
寿ひずるさんは今後も再婚は考えていないそうで、インタビューで以下のように回答しています。
再婚はまったく考えていません。自分の幸せのことは、もういいです。これまでもずっと子供たちの幸せしか考えてこなかったもので……
寿ひずるの現在② 2022年で芸歴50周年を迎えた
寿ひずるさんは芸能界復帰後、ミュージカル役者として活躍してきました。
2015年頃から舞台の本数を減らし、ラジオ、インタビューでの活動多いようですが、2022年には舞台「『往生しmasse』~おうじょうしまっせ Our Blue Heaven~」へ」に出演。
また、同じく2022年には芸歴50周年を記念した初のコンサートを開催。
このコンサートには、宝塚歌劇団の演出家・植田紳爾さんや同じく劇中音楽を担当するピアニスト・吉田優子さんなどが協力しているとのこと。
また、伴奏は宝塚歌劇団関連のイベントで馴染み深い「ザ・スクラッチ」が担当するなど、宝塚歌劇団のファンにとっては嬉しい面々が顔をそろえているそうです。
一方で、年齢を重ねるにつれて、かつて苦楽を共にした仲間を見送る機会も増えてきたといいます。
2021年には同期だった峰さを理さんが甲状腺の未分化がんで亡くなっており、インタビューでは峰さを理さんとの別れを以下のように語っています。
亡くなって3日後、自宅で眠るみねちゃんに会いにいきました。きれいな顔だった。「みねちゃん、かっこいいよ」。そう声をかけました。病気のことをだれにもいわず、弱ったところも見せないで逝ってしまった。彼女らしく、潔く。
また、亡くなった峰さを理さんと高汐巴さんと3人でディナーショーの開催を予定していたそうですが、峰さを理さんの体調不良によって中止が決定。
中止が決定したその翌日に、峰さを理さんの訃報が届いたようです。
その後、寿ひずるさんは「峰さを理 追悼チャリティーコンサート『愛の旅立ち』」に出演。
同コンサートには寿ひずるさん・高汐巴さん以外にも、かつてトップ娘役だった南風舞さんや元トップスターの麻路さきさんなど、歴代のトップスターが一堂に会し、話題になりました。
まとめ
寿ひずるさんは子役として活動したのち、1972年に宝塚歌劇団に入団。男役として活躍し、”次期トップスター”のポジションにまで上り詰めました。
しかし、トップスターとして舞台に立つことなく、1982年に婚約を理由に退団しています。
「一度トップスターになってから退団すればよかったのに」という意見もあったようですが、「ファンの方への裏切りになる」と自分の名誉よりもファンの気持ちを優先させたそうです。
しかし、トップスターの座を諦めてまで結婚した10代目坂東三津五郎さんとは、旦那の不倫騒動や義家族との確執などもあり、1997年に離婚してしまいました。結婚生活17年でした。
10代目坂東三津五郎さんとの間には、3人の子宝に恵まれています。
娘は俳優の守田菜生さん、舞踏家の守田幸奈さん、そして息子は2代目坂東巳之助さんで、それぞれの場で活躍されているようです。
10代目坂東三津五郎さんとの離婚後は芸能界に復帰し、ミュージカルスターとして活躍。2022年現在、68歳になった今でも舞台やコンサート、ラジオなどで活動を続けています。
3人の子供たちの幸せを願い、再婚は考えなかったという寿ひずるさん。これからも元気でご活躍いただきたいですね。