豊田真奈美さんは美貌と実力を兼ね備えた元プロレスラーで、ヘアヌード写真集の発売や現在の姿も話題です。
今回は豊田真奈美さんの若い頃の経歴、ヘアヌード写真集の中身、結婚歴と飯塚高史さんとの不倫疑惑、現在をまとめました。
この記事の目次
- 豊田真奈美のプロフィール:絶大な人気を誇った元女子プロレスラー
- 豊田真奈美の若い頃の経歴① 1987年に全日本女子プロレスでデビュー
- 豊田真奈美の若い頃の経歴② 山田敏代との”髪切りマッチ”が話題に
- 豊田真奈美の若い頃の経歴③ 対抗戦時代には山田敏代とタッグで活躍
- 豊田真奈美の若い頃の経歴④ 全日本女子プロレスを退団しフリーに
- 豊田真奈美の若い頃の経歴⑤ 2017年にプロレスラーを引退
- 豊田真奈美はヘアヌード写真集を発売・中身の芸術性が高いとの声も
- 豊田真奈美は結婚していない・独身だが結婚願望は今もあり
- 豊田真奈美の熱愛報道エピソード:飯塚高史とは不倫関係だった?
- 豊田真奈美の現在① 右肩を手術
- 豊田真奈美の現在② プロレス団体のスーパーバイザーとして後進を育成
- 豊田真奈美の現在③ ブル中野のYouTubeなどに出演
- 豊田真奈美の現在④ 缶コーヒーのパッケージが話題に
- 豊田真奈美の現在⑤ 30kg減量・糖質OFFアドバイザーの資格を取得
- 豊田真奈美の現在⑥ 生姜マニアとしてメディアに出演
- まとめ
豊田真奈美のプロフィール:絶大な人気を誇った元女子プロレスラー
生年月日:1971年3月2日
出身地:島根県
所属事務所:全日本女子プロレス→フリー→引退
豊田真奈美さんは元女子プロレスラーで、過去には「豊田魔波」名義でも活動されていました。
プロレス団体「全日本女子プロレス」に所属していた当時からスター選手として活躍。退団してフリーとなった後もプロレスラーとして活動し、2017年に引退しています。
また、1996年にはヌード写真集を発売。ファンや世間を驚かせました。
豊田真奈美の若い頃の経歴① 1987年に全日本女子プロレスでデビュー
豊田真奈美さんは小学生・中学生と運動神経抜群で、噂を聞きつけた運動部からスカウトが来るほどだったといいます。
そして中学3年生の時に訪れたのが、”クラッシュギャルズブーム”です。
豊田真奈美さんは当初、それほど興味はなかったそうですが、プロレス団体「全日本女子プロレス」の試合を生で観て大きな衝撃を受けたのだとか。
中学生のころクラッシュギャルズブームで、仲のいい友達はみんなプロレス好きだったんですけど、自分はそれほどハマってなかったんです。それが、隣の浜田市に全女が来るっていうんで観戦に行って、もう観た瞬間から『これは私が求めていたものだ!』と思ったんですね。
豊田真奈美さんは2度のオーディションを経て全日本女子プロレスに入団。高校を中退して上京し、1987年8月に全日本女子プロレスの選手としてデビューを果たしました。
それからわずか2か月後の「レスリング全日本選手権女子65kg級」で優勝。
しかし当時はまだ人気がなく、ファンイベントでは同期がステージで歌を歌っている中、売店の手伝いをさせられていたといいます。
- そんな悔しさをバネに着実に実力を伸ばしていった豊田真奈美さんは、1989年開催の「全日本選手権試合」で山田敏代さんと大熱戦を繰り広げました。
- 結果は引き分けながらも、同年の「女子プロレス大賞ベストバウト賞」に選ばれるほどの名試合に。
- さらにその翌年に開催された「ジャパン・グランプリ’90」では、決勝で堀田祐美子さんを破り初優勝。
ちなみに、同大会では1回戦で北斗晶さんとも対戦。場外にもつれこんだ際、北斗晶さんが右ひざをフェンスにぶつけ、骨が見えてしまうほどの大けがを負ったことも話題となりました。
豊田真奈美の若い頃の経歴② 山田敏代との”髪切りマッチ”が話題に
豊田真奈美さんはその後、「WWWA世界シングル王座」でブル中野さんに破れるも、「オールパシフィック王座」でバイソン木村さんに勝利。
1992年も「IWA世界女子シングル王座」、山田敏代さんとのタッグで「UWAタッグ王座」「WWWA世界タッグ王座」獲得など躍進します。
いくつもの王座を獲得しつつも、山田敏代さんとはビッグマッチでの引き分けが続いており、同年開催の後楽園ホールイベントで、ついに”時間無制限一本勝負”で決着をつけることに。
26分にも及ぶノンストップ試合の末、初公開の新技「リバース・ゴリー・スペシャル・ボム」によって山田敏代さんが勝利します。
豊田真奈美さんは試合後のマイクアピールで、「IWAベルト」「髪の毛」の2つをかけての再戦を挑み、山田敏代さんがそれを受ける形で次の試合が決定。
“ベビーフェイス”とされる2人が髪切りマッチを行うという、前代未聞の展開にファンからも驚きや戸惑いを含んだ大きな歓声が上がっていました。
プロレスにおけるベビーフェイス(Babyface)は、ギミック上の、プロレス興行のストーリー上の善玉として振舞うプロレスラーおよびプロレスラーのチームである。日本では「ベビー」と略されることが多いが、英語圏では「フェイス」と略すのが一般的である。対義語として悪玉のヒール(Heel)が存在する。
この髪切りマッチは、2か月後に後楽園ホールのメインイベントとして開催されました。
当日2試合目となった山田敏代さんが不利とされていましたが試合は拮抗し、結果として日本海式竜巻原爆固めで豊田真奈美さんが勝利します。
- しかし、いざ山田敏代さんの髪を切るといった段階で、豊田真奈美さんがそれを阻止。勝利したにもかかわらず自身の髪を切り、泣きながら中止を訴えたそう。
もしかしたら、”髪切りマッチ”の開催自体が団体の意向であって、豊田真奈美さん自身の本意ではなかったのかもしれませんね。
豊田真奈美の若い頃の経歴③ 対抗戦時代には山田敏代とタッグで活躍
豊田真奈美さんと山田敏代さんは、髪切りマッチを機にさらなる絆を深めます。
2人はプロレス団体「JWP」との団体対抗戦初戦でタッグを組み、「WWWA世界タッグ王座の防衛戦」として尾崎魔弓さん・ダイナマイト関西さんと対戦。
激戦の末、防衛に成功し「ベスト・バウト」を獲得しました。
また同試合以降、プロレス業界では対抗戦が盛り上がりを見せるようになり、翌1993年からはのちに”対抗戦時代”と呼ばれるほど、対抗戦が盛んに行われるように。
- 特に、夢のオールスター戦で見せた北斗晶さん・神取忍さんの死闘は今も語り継がれている伝説的な試合となりました。
もちろん、同イベントには豊田真奈美さん・山田敏代さんも出場しており、見事対戦相手に勝利しています。
しかし北斗晶さん・神取忍さんの試合だけに注目が集まったこと、長丁場となり0時を超えたあたりから席を立つ観客もいたことなどから、2人は内容に満足いかず記者会見を拒否しました。
豊田真奈美の若い頃の経歴④ 全日本女子プロレスを退団しフリーに
豊田真奈美さん・山田敏代さんはその後もタッグ&ライバルとして切磋琢磨しますが、1994年頃からは、それぞれがシングル・プレイヤーとして活躍していくことが増えていきました。
豊田真奈美さんは新たに井上京子さんやアジャ・コングさん、ダイナマイト関西さんらとの試合が増えていきます。
1995年には、吉田万里子さん・伊藤薫さん・長谷川咲恵さんと「フリーダム・フォース」を結成。
さらに、同年のクリスマスに開催された後楽園ホールのイベントでは、「豊田真奈美クイーンズロード トライアル30」と銘打って30人掛けを敢行。
20人を相手に30試合を行い、9勝3敗18引き分けとなりました。
ちなみに当時、豊田真奈美さんは足に大きなけがを負っていたといいます。しかし、全日本女子プロレスは治療に専念させず、完治しないまま試合を続けさせたのだとか。
1995年11月に左膝の前十字靱帯と後十字靱帯が断裂したんですけど、全女はクレージーな団体(笑)。『立ってるだけでいいから』って、試合を休ませてもらえなかった。そうこうしているうちに、切れた状態に慣れちゃって、今もそのまま。
そんな状態ながらもプロレスを続けていた豊田真奈美さん。
2000年代は「WWWA世界シングル王者」を巡る戦いがメインとなり、第50回・第52回で王者に。
第53回で防衛戦に破れると、試合後のマイクアピールで「ここに私の求める全女イズムはない!」と語り、全日本女子プロレスを退団を発表。2002年を以てフリーとなりました。
豊田真奈美の若い頃の経歴⑤ 2017年にプロレスラーを引退
豊田真奈美さんは2006年、プロレス団体「ZERO1-MAX」が主催する「S-ARENA大会」に参戦。
“男女混成”かつ”出身地別都市対抗戦”という同試合で、同郷の日高郁人さんとタッグを組んでいます。
- さらに同年はエネミーとして初の「JWP認定無差別級王座」を獲得。20周年を記念した興行では、なんと全5試合に出場しました。
2008年にはアジャ・コングさんとの”リングネーム改名マッチ”に破れ、リングネームを「豊田魔波」に。
そして、”魔波”の由来となった尾崎魔弓さん率いる尾崎軍団に入ることを発表しました。(翌年アジャ・ゴングさんに勝利し、リングネームを戻している)
2013年に入ると、女子プロレス団体「我闘雲舞」に参戦。対戦を機に山田太郎さんと意気投合し、タッグも組んでいます。
さらに同年は、女子プロレス団体「スターダム」にも参戦。「全女黄金伝説両国降臨2013」で脇澤美穂さんと対戦するも破れてしまいました。
以降も、救世忍者乱丸さんの主宰する「乱丸フェスタ」などに参戦していましたが、2017年に引退を発表。引退理由として、首と肩の不調を挙げていました。
今はもうボロボロすぎて…それが理由のひとつでもあるんですけど、もう自分のファイトスタイルができなくなってきてるからですね。これ以上、騙し騙しやって、それをお金を払って観に来てくれるファンの人に見せるのは失礼なことだし「豊田の試合はツマらない」なんて言われたくないし。
そして同年11月3日に開催された「プロレス・豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女引退~」を以て、プロレスラーを引退しています。
アジャ・コングや北斗晶らと激闘を繰り広げた全日本女子90年代の隆盛と、その後の女子プロの衰退。栄枯盛衰を駆け抜け、トップで輝き続けたからこそ、この日は54人ものレスラーが豊田のもとに集まった。最後に後輩の藤本に思いを託し、豊田は「きちんと痛みのない生活をしてから、第2の青春を楽しみたいです」とリングを後にした。
豊田真奈美はヘアヌード写真集を発売・中身の芸術性が高いとの声も
豊田真奈美さんはプロレスラーですが、その整った顔立ちにも注目が集まっていました。
しかし、そのほかのアイドルレスラーとは一線を画しており、ファンの中では”プロレス一筋”という印象が強かったそう。
そんな中、1996年に写真集「B.Bomb」を発売。ヘアヌード写真が含まれた同写真集はファンのみならず、世間をも驚かせました。
写真集はモノクロを基調としており、どちらかと言うと芸術性が高いと評判です。
発売から30年近く経った今も、定価の70%ほどで売買されるなど値があまり下がっていません。
ちなみに当時、豊田真奈美さんが所属していた「全日本女子プロレス」は人気レスラーが次々と退団。
経営不振が露呈していた時期でもあったため、「豊田真奈美がヌード写真集発売に踏み切ったのは、経営面で全女を立て直すためだったのではないか」と考える人も多かったようです。
豊田真奈美は結婚していない・独身だが結婚願望は今もあり
豊田真奈美さんは結婚しておらず独身ですが、結婚願望はあるようで、2023年に受けたインタビューでは以下のように語っています。
結婚願望はありますよ! チャンスがあればいつでも。
ネットでは同性が好きなのでは?という噂もあったようですが、特に情報源があるわけではなく、信憑性は低いでしょう。
豊田真奈美の熱愛報道エピソード:飯塚高史とは不倫関係だった?
豊田真奈美さんは過去に飯塚高史さんとの不倫疑惑が持ち上がったことがあるようです。
事の発端は1995年の北朝鮮興行で、佐々木健介さんと北斗昌さん、永島勝司さんとブル中野さん、そして豊田真奈美さんと飯塚高史さんという3カップルが誕生したと言われています。
「週刊ファイト」での座談会では、有識者が以下のように振り返っています。
B レスラーは速攻型が多いじゃないですか。95年4月の北朝鮮遠征では日本で面識ぐらいあったかもしれないけど、佐々木健介&北斗(同年6月に結婚)、永島勝司&ブル中野、飯塚高史&豊田真奈美の3カップルが誕生してるでしょ?
C 飯塚&豊田については「単に仲良く話し込んでいただけ」という説もあったよね。
このように、豊田真奈美さんと飯塚高史さんは恋愛関係には発展せず、単に仲が良かっただけではないか?との声もありました。
ちなみに当時、飯塚高史さんはまだ独身で、もし交際していても不倫には当たらないようです。
また当時、豊田真奈美さんは全日本女子プロレスのボブ矢沢レフェリーと真剣交際中だったとの噂もあったそう。
そんな2人の間に不倫疑惑が持ち上がった理由は、過去にとあるプロレス誌が「飯塚は妻帯者」「北朝鮮で豊田真奈美との浮気がバレた」と掲載したことがきっかけだったと予想されます。
実際のところはわかりませんが、前述の座談会でもベテラン記者たちが「当時既婚だったのは永島勝司さんだけ」と語っているので、この不倫疑惑の信ぴょう性は低いでしょう。
豊田真奈美の現在① 右肩を手術
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豊田真奈美さんは2018年、かねてより状態が悪かった右肩を手術。人工関節に置換したとのことです。
肩の不調のきっかけは、なんとあの”めちゃ日本女子プロレス“だというのだから驚きです。
ちょうど20年前には、『めちゃイケ』(フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』の名物企画〈めちゃ日本女子プロレス〉)の試合中に右肩を脱臼して、肩が抜けるクセがついたけど、試合に出ていて。ようやく診てもらったら、『ずいぶん前に折れていましたよ』と。引退してから2回の手術を受けて、人工関節になりました
豊田真奈美の現在② プロレス団体のスーパーバイザーとして後進を育成
出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000197.000009198.html
2018年、豊田真奈美さんは女子プロレス団体「アイスリボン」のスーパーバイザーに就任しています。
豊田は「藤本が私は絶対、女子プロの全盛期を取り戻してくれると思ってます。だから私の最後に戦ってもらった…必ず全盛期に戻してもらいたいと思う。だからそのためだったら私はアイスリボンのためになんでもやります」とこのオファーを受けて、アイスリボンのスーパーバイザーに就任した。
豊田真奈美の現在③ ブル中野のYouTubeなどに出演
豊田真奈美さんは近年はYouTubeにも出演しており、2021年には元プロレスラーのブル中野さんのYouTubeチャンネルに登場。
全日本女子プロレスに所属していた当時のことや、現在の状況などを語っていました。
豊田真奈美の現在④ 缶コーヒーのパッケージが話題に
2022年には、プロレス雑誌『週刊プロレス』の表紙を飾った豊田真奈美さんの画像が、アサヒから発売されたコーヒー「ワンダ モーニングショット」のパッケージに使用されています。
プロレスファンにはたまらない一品になったことでしょう。
豊田真奈美の現在⑤ 30kg減量・糖質OFFアドバイザーの資格を取得
豊田真奈美さんは2023年のインタビューで、ピーク時より30kg近く痩せたと語っています。
また、体重をキープする方法を模索しているうちに「糖質OFFアドバイザー」の資格をみつけ、取得したそうです。
現役時代、マックスで体重が84キロありましたが、今は50から60キロの間。油断するとすぐ2、3キロ増える体質で、戻し方を研究したのが9年前。そしたら楽しくなっちゃって、知識は独学、自分の体で実践し、資格を取りました。引退してから13~14キロも落として、将来誰かにアドバイスしたり、何かの役に立てればいいかなぁって思ってます
豊田真奈美の現在⑥ 生姜マニアとしてメディアに出演
豊田真奈美さんは特に「岩下の新生姜」が大好きな上、料理好きなこともあり、Twitter(現在のX)に連日アレンジレシピを投稿されています。
念願の新生姜ミュージアム❤️
— 豊田真奈美 (@marukomariya) July 8, 2018
岩下社長にお忙しい中館内を案内して頂き、夢の様な一時でした😃
新生姜ローストビーフタワーめっちゃ美味しかったぁ😆
ご飯の中に唐揚げまで入ってた😆
今日はあまりゆっくり出来なかったからまた絶対にゆっくり行こ😉
岩下社長ありがとうございました✨#岩下の新生姜 pic.twitter.com/oGiseN52FD
それを機にTBS系列の「マツコの知らない世界」や日本テレビ系列の「有吉反省会」バラエティ番組といったバラエティ番組に、“生姜マニア”として出演しています。
まとめ
豊田真奈美さんは2017年に引退した元プロレスラーです。
高校1年生の時にオーディションを経て、女子プロレス団体「全日本女子プロレス」へと入団。高校を中退して上京し、1987年にデビューを果たしました。
以降、スター選手として第一線で活躍。整ったルックスも注目され、1995年にヘアヌード写真集を発売した際には、ファンのみならず世間でも大きな話題となりました。
その後、2002年に全日本女子プロレスを退団。フリーとして様々な試合に出場し、活躍の場を広げました。
しかし2017年にケガを理由に引退。引退後はケガの治療・リハビリに励み、現在はブル中野さんのYouTubeチャンネルやバラエティ番組などにも出演しています。
過去、飯塚高史さんとの不倫が噂された程度で、目立った熱愛報道もなかった豊田真奈美さんは、現在も独身ですが、結婚願望はあるとのことです。
これから先、リングでの姿が見られないと思うと寂しいですが、今後は試合で酷使してきた体を労わって、健康第一に過ごしてほしいですね。