田中雅美さんは元水泳選手で声優やタレントとして活躍していますが、再婚した旦那と子供の写真を公開したことも話題です。
今回は田中雅美さんのプロフィールと若い頃の経歴、胃がんで亡くなった姉など家族、結婚歴、現在を紹介します。
この記事の目次
- 田中雅美のプロフィール:元水泳選手で現在はスポーツコメンテーター
- 田中雅美の若い頃の経歴① 高校時代から水泳選手として活躍
- 田中雅美の若い頃の経歴② シドニーオリンピックでメダリストに
- 田中雅美の若い頃の経歴③ アテネオリンピックを最後に、現役を引退
- 田中雅美の若い頃の経歴④ 水泳選手を引退後はメディアなどで活躍
- 田中雅美の若い頃の経歴⑤ さまざまなことに挑戦し話題に
- 田中雅美の家族① 3姉妹の末っ子として誕生
- 田中雅美の家族② 姉は胃がんで逝去している
- 田中雅美の家族③ 両親は体育教師・父親は高校の校長に
- 田中雅美は整形してる?眼瞼下垂で手術していた
- 田中雅美が結婚した元旦那は会社員
- 田中雅美の現在① スポーツコメンテーターとしてレギュラー出演中
- 田中雅美の現在② 声優や役者などさらにマルチに活動
- 田中雅美の現在③ 再婚して子供が2人誕生・娘と息子が1人ずつ
- まとめ
田中雅美のプロフィール:元水泳選手で現在はスポーツコメンテーター
生年月日:1979年1月5日
出身地:北海道
所属事務所:三桂
田中雅美さんは元水泳選手で、現在はスポーツコメンテーターやタレントとして活躍されています。
また、現役時代には「2000年シドニーオリンピック」に出場、見事銅メダルを勝ち取ったメダリストでもあります。
田中雅美の若い頃の経歴① 高校時代から水泳選手として活躍
田中雅美さんは通っていたスイミングスクールで選抜メンバーとなり、本格的に水泳をするべく中学卒業後に上京しました。
地元・北海道のスイミング教室に通いはじめ、小2で選手コースに進んでから競技人生が始まった。「小学校時代から、運動では人一倍、負けず嫌い。運動会でもマラソン大会でも、負けると布団をかぶって泣いているような女の子でした」
1994年に私立の八王子高等学校へと入学すると、「JSS東京八王子クラブ」へと移籍しています。
北海道から上京してきたのは’94年、高校進学のとき。八王子学園八王子高校の水泳部にスカウトされ、監督宅での下宿生活をスタートさせた。
高校の3年間は水泳部の監督のご自宅に下宿をさせていただきました。水泳部の監督とはいえ、一度しか顔を合わせたことがない方です。ましてや厳しいであろう監督の家に下宿だなんて、今考えるとなかなか度胸がありましたね(笑)。でも、当時の私にはもちろん選択肢はなく、「今日からここに住むよ」と言われれば「はい」というだけでした。
また、同年に出場した「日本水泳選手権」では、平泳ぎ100m・200mで2冠を果たし、一躍注目を集めました。
さらに翌年の同大会では平泳ぎ女子100mの日本記録を更新し、大きな話題に。ちなみに前記録保持者は長崎宏子さんで、実に11年ぶりの記録更新となりました。
3年生になると、同年に開催された「アトランタオリンピック」の競泳日本代表に選出。
田中雅美さんにとって目標だったという岩崎恭子さんと共に選出されましたが、平泳ぎ100mでは13位、200mでは5位とメダルを獲得することはできませんでした。
ちなみに、岩崎恭子さんとはその後も”最大のライバルかつ親友”という間柄で、競技引退後も仲が良いそうです。
国内でも海外でも、大会や合宿のときはいつも一緒の部屋。恋愛話もよくしました。恭子ちゃんは、ほんわかしていてやわらかい雰囲気の人だと思われがちですが、実際はすごく芯が強くて、私にとってお姉さん的な存在。おしゃれにも詳しくて、海外遠征に行くと『いま、こういうブランドがはやっているよ』と、いろいろ情報をくれるんです
田中雅美の若い頃の経歴② シドニーオリンピックでメダリストに
同大学の水泳部はそれまで男子部員にのみ注力していました。
しかし、アトランタオリンピックで日本選手が振るわなかったことから、日本水泳連盟が「大学生選手を主力とする」との方針を打ち立て、それに応じる形で女子部員にも力を入れ始めます。
そのため、田中雅美さんは同大学水泳部における”1期生”にあたるそう。
中央大学水泳部は女子部員を取っていませんでしたが、彼女がその第1期生になりました。この頃にライバルの岩崎は病気が原因で競技の第一線を退いただけに田中は平泳ぎのエースとして注目を集めるようになります。ライバルが不在となった田中を止める選手はいませんでした。大学1年生の頃に出場した短水路日本選手権では100m平泳ぎで1分8秒25の日本新記録を樹立して優勝、200m平泳ぎも制して2冠を達成します。
引用:田中雅美
田中雅美さんは以降も日本女子平泳ぎ界で注目され続け、4年生の時に開催された「シドニーオリンピック」に出場。
しかし、平泳ぎ個人戦100mが6位、200mが7位とまたもやメダルを手にすることはできませんでした。
しかしながら、女子400mメドレーリレーでは銅メダルを獲得。念願のメダリストとなることができましたが、同大会を機に第一線を退いています。
田中雅美の若い頃の経歴③ アテネオリンピックを最後に、現役を引退
出典:https://pixabay.com/
その後、2001年に中央大学を卒業すると、北米へと留学。翌年の「ソルトレークシティオリンピック」では中継リポーターとして活躍しました。
そういった経緯から、完全に現役を引退したものと思われていた田中雅美さんですが、2003年に現役へと復帰。
日本選手権で好成績を修め、2004年に開催される「アテネオリンピック」への出場権を獲得しています。
満を持して出場したアテネオリンピックでしたが、200m平泳ぎでは惜しくも4位に入賞。3位との差は0.05秒と悔しい結果に終わりました。
そして、田中雅美さんは同大会を以て、再び現役を引退しています。
田中雅美の若い頃の経歴④ 水泳選手を引退後はメディアなどで活躍
田中雅美さんは水泳選手を引退後、芸能事務所「三桂」に所属。スポーツコメンテーター・水泳講師として活動しています。
水泳大会の解説をはじめ、TBSラジオのスポーツ番組「スポーツBOMBER!」の金曜メインキャスターを務めました。
また、TBS系列のワイドショー「イブニング・ファイブ」でもスポーツキャスターを務めるなどメディアを中心に活躍しています。
田中雅美の若い頃の経歴⑤ さまざまなことに挑戦し話題に
出典:https://pixabay.com/
その一方で、2005年にはフリーダイビングに挑戦しており、ダイナミック・アプネア・フィンなしで96mと、女子日本新記録を樹立し話題となりました。
また、2008年にはダイエットエッセイ本「BODY+REMAKE」も出版しています。
ダイエット本を出したきっかけは、ダイエットで体調を崩したことを機に、しっかりと記録をしようと決意したことなのだとか。
昔からダイエットに憧れていて、現役時代から女性らしいキレイな身体になりたいと思っていたんです。でも現役のときはそういう気持ちは封印して、トレーニングに没頭していました。それで、引退してダイエットをしたんですが、方法がよくわからなくて、体調を崩したりして、内側からもちゃんとやらないとダメだというのを実感して、それならきちんと記録をしようと。
その後も、2013年にスポーツマネジメント会社と契約し、アディダスとはアドバイザリー契約を結ぶなど躍進を続けた田中雅美さん。
2019年には北海道の民放とNHKが共同で行ったキャンペーン「One Hokkaido Project」のキャンペーンソングにも参加しました。
田中雅美の家族① 3姉妹の末っ子として誕生
田中雅美さんは3姉妹の末っ子として誕生。姉2人も水泳をしており、姉も全国大会に出場するほどの実力の持ち主だったといいます。
間取りの関係で次女と同室だったという田中雅美さんは、よく次女と喧嘩していたとも語っています。
私は三姉妹の末っ子なのですが、一番上の姉が一人部屋で、二番目の姉と私は二人で一つの部屋を使っていました。とにかく負けず嫌いの私は、姉たちとよくケンカをしていましたね。特に同じ部屋の姉とは、物の取り合いやら、かける音楽を何にするやらで、いつもケンカ。そのたびに部屋の中に仕切り線を作っては「ここから私のスペースだから、入ってこないで!」と争っていました(笑)
田中雅美の家族② 姉は胃がんで逝去している
田中雅美さんは2017年、田中家の長女である姉・千寿さんが胃がんで手術を受けたことを公表しました。
同年には父親も大腸がんで手術を受けていたとのことです。
千寿さんはその後元気を取り戻しつつあったものの、2018年にがんが再発。2019年に享年44歳でお亡くなりになりました。
三姉妹の長女、千寿が5月7日に旅立ちました。
— 田中雅美 (@masamiswimming) May 14, 2019
44歳でした。
約2年半前に胃癌が見つかり、すぐ手術で全摘し、その後抗がん剤治療しながらも、元気に仕事や子育て、YEGの活動をこなしていたのですが、
約1年前くらいに癌が再発しました。
次女であるもう1人の姉についてはあまり情報がありませんが、ネット上での噂によれば北海道でスナックを経営しているのだとか。
また、田中雅美さんと同じく美人で有名のようです。
田中雅美の家族③ 両親は体育教師・父親は高校の校長に
父がテレビに出てるーΣ(・□・;)
— 田中雅美 (@masamiswim) October 3, 2013
双葉高校野球部が頑張ってくれて、学校もすごくびっくり&喜んでおりますー。生徒のみんな、ありがとう! pic.twitter.com/i2nJl7Ul5b
田中雅美さんが幼い頃、両親は体育の教員をしていたのだとか。
父親はその後、北海道小樽市の双葉高校の校長となっており、同高は2013年に野球部員5人で地区準優勝を果たして大きな話題となりました。
ウチの父の憲夫、校長せんせしてます。。“@bakazuha1228: 野球部1年5人だけじゃ人数足りなくてスキー部と帰宅部を入れてやっと9人そろえて、スキー部がホームラン打っちゃって。 http://t.co/Y38fABwqTR”
— 田中雅美 (@masamiswim) September 29, 2013
13年秋季全道高校野球小樽地区予選で、1年生だけの野球部員5人にスキー部、帰宅部の助っ人4人を加えて臨んだ双葉(現小樽双葉)が、3戦連続コールド勝利で、代表決定戦まで勝ち上がった。
一方の母親はとにかくきれい好きで、部屋の片づけ・掃除はもちろん、シーツなどもホテルのベッドメイキング並にキチっとされていたとのだとか。
ちなみに水泳をはじめたのは、そんな母親がリハビリの一環で通い始めた水泳に同伴したことがきっかけなのだそう。
父も母も体育の教師という、スポーツ一家。水泳を始めたきっかけは、陸上でアキレス腱を断裂した母が通っていた、水泳のリハビリに一緒についていったことです
田中雅美さんはそんな両親について、インタビューでは以下の様に振り返っています。
水泳のことに関しては、「専門のコーチにすべて任せる」というスタンスだったので、両親から何か言われるようなことはほとんどありませんでした。ただ、生活面の態度については厳しかったですね。特に母から「愛の鞭」みたいなビンタを受けることはよくありました(笑)。私は三姉妹の末っ子なんですが、姉妹ゲンカが本当に多かったんです。それで、何かある度に怒られて…。でも、私にとってはそういうメリハリをつけた教育の仕方は本当にありがたかったですね。
田中雅美は整形してる?眼瞼下垂で手術していた
田中雅美さんはネットの一部で「整形したのではないか」と噂されていますが、これは事実ではありません。
実際に田中雅美さんは目を手術されているそうですが、原因は「眼瞼下垂」なのだとか。
瞼下垂症がんけんかすいしょうとは、目を開いたときに上まぶたが正常な位置より下がる(下垂する)病気のことです。上まぶたの下垂が軽度な場合は、美容上の問題以外で特に症状が現れることはありません。しかし、重度なケースでは垂れ下がった上まぶたが視野の一部にかかり上方向のものが見えにくくなるため、目の疲れや肩こり、頭痛などさまざまな症状を引き起こします。
引用:眼瞼下垂症
田中雅美さんは眼瞼下垂症から不眠症などを併発。状況を改善すべく2001年に手術したのだそうです。
また、その副産物として奥二重が二重となったため、整形を疑われるようになってしまったものとみられます。
田中雅美が結婚した元旦那は会社員
田中雅美さんは、2009年に結婚。お相手は会社員の男性で、当時30代半ばだったとのことです。
2000年シドニー五輪競泳女子400メートルメドレーリレー銅メダリストの田中雅美さん(30)が2日、1年半ほど交際した30代半ばの一般男性と結婚すると発表した。8月に婚姻届を出し、都内で式を挙げる。田中さんは「周囲の皆さまへの感謝を忘れず、夫婦として支え合い笑顔の絶えない家庭を築いていきたいと思っています」と直筆のコメントを寄せた。
しかし、それからしばらくして2012年に離婚を発表。離婚理由はすれ違いだといいます。
シドニー五輪女子競泳の銅メダリストで、現スポーツコメンテーターの田中雅美(33)が、28日付の自身のブログで今年3月に離婚していたことを発表した。離婚の原因について「日々の仕事が徐々に忙しくなっていった中で、生活のすれ違いやお互いの考え方に違いが生じ、それを埋めていくことが出来ませんでした」と明かし、「自分自身の未熟さを省みながら色々と悩み考えて、このような結果となりました」と報告している。
田中雅美の現在① スポーツコメンテーターとしてレギュラー出演中
田中雅美さんは、現在もスポーツコメンテーターとして現役で活躍しています。
現在は、テレビ朝日系列の朝の情報番組「グッド!モーニング」、日本テレビ系列のワイドショー「シューイチ」、メーテレの情報番組「アップ!」にレギュラーとして出演中です。
田中雅美の現在② 声優や役者などさらにマルチに活動
田中雅美さんはスポーツコメンテーター・水泳講師として活動する一方で、マルチな活躍も見せています。
近年では、2016年にDHCの「Time Beauty Action」に就任。
同年公開のディズニー映画「ファインディング・ドリー」では声優として吹き替えにも挑戦し、マカジキ役を担当しました。
海を舞台に忘れん坊のハギ・ドリーが家族を捜す物語で、世界と戦った水中の女神として抜てきされた田中はマカジキの声を担当する。せりふは一言だが「細かいニュアンスがうまくいかなかったり、微妙な声の大きさを変えたりして何回も録り直しました。声優と言う“海”でもしっかり泳いでみたいです!」と喜んでいる。
また、役者にも挑戦しており、2017年に放送された日本テレビ系列のドラマ「北風と太陽の法廷」や2018年にTBS系列で放送されたドラマ「ブラックペアン」第4話にも出演しています。
田中さんが演じるのは東城大付属病院に搬送されてきた心臓の僧帽弁閉鎖不全を患う10歳の患者・島野小春を献身に看病する母・島野菜穂。「数々の名作を生み出し、視聴者としてずっと見てきた伝統ある日曜劇場に出演させて頂き、大変嬉しく思っております。視聴者の期待を背負い制作に向き合っているプロフェッショナルな方々と一緒に仕事させて頂くことにより、私も緊張感をもって役に臨ませていただきました」
田中雅美の現在③ 再婚して子供が2人誕生・娘と息子が1人ずつ
田中雅美さんは2017年、1歳年下の元飛び込み選手と再婚し、さらに第1子を妊娠中であることを発表しました。
「相手は、1つ年下で、大学までは飛込選手をしていて、現在は一般のお仕事をしている方です」で、中学生のときに出会いを果たしていたがその後交流はほとんどなく昨年共通の友人との食事会で再会し、すぐに交際をスタートさせたという。「とても優しく穏やかな一方、芯の強さと誠実なところに、心からの信頼を感じるようになりました」とお相手への思いをつづっている。
そして、同年に第1子となる娘を出産。
シドニー五輪競泳銅メダリストで、女優としても活躍するスポーツコメンテーター、田中雅美(38)が5月に再婚した1歳下の一般男性との間に、第1子となる2688グラムの女児が18日に誕生した。サンケイスポーツに娘とのツーショット写真を披露し、「どんな苦しい練習よりも衝撃的かつキツく貴重な経験になりました」と出産を振り返った。
さらに2019年には第2子の妊娠を発表、2020年に息子を出産しています。
また、2022年には家族の顔だしショットを公開。再婚相手がイケメンだと話題となりました。
まとめ
田中雅美さんは元水泳選手で、シドニーオリンピックでは銅メダルを獲得したメダリストでもあります。
現役を引退後は、スポーツコメンテーター・水泳講師として活動。さらに近年は声優・役者としても活動するなどマルチな才能を見せています。
また、両親は体育教師で、父親はその後高校の校長に。その高校の野球部がわずか5人の部員で地区準優勝を果たしたことも話題となりました。
田中雅美さんはそんな両親のもとに、三姉妹の末っ子として誕生。長女の千寿さんは胃がんによって44歳で亡くなっており、次女は北海道でスナックを経営しているとのことです。
田中雅美さん自身は元旦那との離婚を経験し、その後飛び込みの選手だった現在の旦那と再婚。一男一女という2人の子供に恵まれています。
競泳と飛び込みの選手だった両親から生まれた子供たちが、今後どのような道をたどるのかも気になりますね。