佐野慈紀の若い頃と現在!嫁と子供・野茂英雄との関係・糖尿病と今の状況まとめ

近鉄で活躍した元プロ野球選手の佐野慈紀さんが糖尿病の影響での右腕切断を告白しました。

 

この記事では佐野滋紀さんの若い頃の活躍や成績、年俸推移、親友関係だった野茂英雄さんとの借金トラブル、結婚や嫁、子供、自宅、いつから糖尿病だったかや右腕切断後の現在についてまとめました。

佐野滋紀のプロフィール

 

佐野滋紀のプロフィール

 

生年月日:1968年4月30日

出身地 :愛媛県松山市

身長  :175cm

 

 

佐野滋紀(さの・しげき)さんは、近鉄バッファローズ、中日ドラゴンズ、オリックスブルーウェーブなどでプレーした元プロ野球選手で、主に中継ぎ投手として活躍しました。

 

佐野滋紀さんは現役時代はリリーフ投手として大車輪の活躍をし、中継ぎ投手としてはNPB史上初の年俸1億円プレイヤーにもなった一流の選手でしたが、一方で薄毛を自らネタにしたユニークなキャラクターで芸人的な人気を博し、プロ野球ファンや当時の子供達に愛された存在でした。

 

そんな佐野滋紀さんが、糖尿病により右腕を切断する手術を受けた事を告白しネット上で大きな話題となっています。

 

 

佐野滋紀の若い頃① 松山商業高校で甲子園準優勝、近畿大学でエース投手

 

佐野滋紀さんは小学4年生の時に野球を始め、中学進学後に本格的に投手となり、愛媛県立松山商業高校へと進学して1986年夏の甲子園での準優勝に貢献しました。

 

高校卒業後は広島六大学野球リーグの強豪近畿大学(工学部)に進学して野球を続けてエース投手となり、リーグ制覇(近畿大学は10連覇を達成)に貢献しリーグ最優秀投手賞を4度獲得。全日本選手権出場も果たしています。

 

 

佐野滋紀の若い頃② 近鉄にドラフト3位で入団し中継ぎ投手として活躍

 

出典:https://www.sponichi.co.jp/

 

佐野滋紀さんは1990年のドラフト会議で近鉄バッファローズから3位指名を受けて入団しプロ野球選手になりました。

 

佐野滋紀さんは入団1年目から中継ぎ投手として1軍で起用され38試合に登板して6勝2敗2セーブ防御率3.82というルーキーとしては申し分のない成績を残してチームに貢献しています。

 

2年目は31試合の登板で防御率4.12と若干成績を落としたものの、3年目以降は40試合以上登板、防御率も2点台〜3点台と安定した成績を残し、入団6年目の1996年シーズンはリーグ最多となる57試合に登板し5勝3敗7セーブ防御率2.95という素晴らしい成績を残して、中継ぎ投手としてNPB史上初となる年俸1億円プレイヤー(その年の推定年俸は1億1000万円)となりました。

 

 

佐野滋紀の若い頃③ 薄毛を自らネタにし「テカテカ投法」や「ピッカリ投法」で人気者に

 

出典:https://nako12.com/

 

現役時代、プロ野球の投手として紛れもなく一流である佐野滋紀さんでしたが、一方で自らの薄毛やぽっちゃり型の体型をネタにして笑いを取っていくコミカルなキャラクターで絶大な人気を集めていました。

 

佐野滋紀さんは若い頃から体質的に薄毛でしたが、それをあえて自虐ネタのようにして、自らを「チビで、デブで、ハゲで三拍子揃った選手」とアピールして笑いを取っていました。

 

さらに、公式戦での投球中に振りかぶったところ、腕が帽子にあたって脱げてしまい、禿げ上がった頭が露わになるハプニングが発生。球場が微妙な空気に包まれる中、佐野滋紀さんはこのまま投球を続けていいのかと途方に暮れていたところ、打者のオリックス・中嶋聡さんが(現在のオリックス・バッファローズ監督)思わず笑ってしまいタイムをかける展開となり球場に笑いが起こりました。

 

このシーンはその年のオフの「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」でも目玉ネタとして取り上げられ、佐野滋紀さんもゲストとして呼ばれました。この出演時に「これは何投法と言うのですか?」と司会者に質問を振られた佐野滋紀さんは、若干考えた末に「必殺!テカテカ投法」と命名し、スタジオを爆笑させています。

 

これ以来、佐野滋紀さんの投球フォームは「テカテカ投法」、「ピッカリ投法」などと呼ばれるようになり、佐野滋紀さんが成績もしっかりと残している事もあって、当時のプロ野球の鉄板ネタとして長く愛される事になりました。

 

 

佐野滋紀の現役時代の成績と年俸推移

 

出典:https://entame-g.com/

 

佐野滋紀さんの若い頃、現役時代の成績と年俸推移です。

 

 年度 球団 登板 投球回 勝利 敗戦  セーブ 奪三振 防御率 年俸
 1991 近鉄 38 73 6 2 2 57 3.82 550万円
 1992 近鉄 31 62 1/3 4 2 1 44 4.12 1500万円
 1993 近鉄 43 76 2/3 2 3 3 44 2.00 2300万円
 1994 近鉄 47 93 1/3 8 4 2 51 3.47 4200万円
 1995 近鉄 44 79 2/3 10 4 6 55 3.50 6000万円
 1996 近鉄 57 97 2/3 5 3 7 75 2.95 8000万円
 1997 近鉄 52 73 2/3 2 5 5 47 3.91 1億1000万円
 1998 近鉄 0 0 0 0 0 0 – 7700万円
 1999 近鉄 28 72 1/3 3 8 1 26 5.47 6200万円
 2000 中日 11 16 2/3 1 0 0 15 8.10 6200万円
 2003 オリックス 2 3 0 0 0 0 21.00 500万円
 通算 – 353 648 1/3 41 31 27 414 3.80 5億4150万円

 

1998年度は登板がありませんでしたが、1997年オフにトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)を受け、リハビリに1年間費やしたためです。

 

また、2001年度はアメリカの独立リーグ「エルマイラ・パイオニアーズ」で、2002年度はメキシカンリーグ「メキシコシティ・タイガース」や「エルマイラ・パイオニアーズ」でプレーしており、いずれも報酬は年俸換算で100万円ほどだったようです。

 

2003年に、オリックスの入団テストに合格して日本球界に復帰しますが、2試合の登板で防御率21.00という成績に終わり現役引退を決意されています。

 

 

佐野滋紀は野茂英雄とは親友だったが現役引退後借金トラブルに

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

佐野滋紀さんは近鉄バッファローズの絶対的エースとして活躍後、メジャーリーグに挑戦して成功し、日本人選手がメジャーで通用する事を証明してみせたレジェンド・野茂英雄さんとは同学年で親友のような関係性で知られていました。

 

しかし、2018年に「週刊文春」が佐野滋紀さんが野茂英雄さんから借りた借金を返済できておらずトラブルになっているという衝撃的な内容を報じ、

 

 

佐野滋紀が先輩と飲み歩いているのを野茂英雄が説教した事で親友関係に

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

佐野滋紀さんと野茂英雄さんは同学年ですが、社会人出身の野茂英雄さんの方が1年早く近鉄バッファローズに入団しています。

 

当時の野茂英雄さんは、1年目から最多勝と最多奪三振、最優秀防御率の投手三冠を達成し、沢村賞にMVP、新人王、ベストナインを総なめにして、既に日本球界の至宝とも呼ばれる圧倒的な存在でした。

 

佐野滋紀さんはその同学年のスターである野茂英雄さんに1年遅れて近鉄バッファローズに入団し、1年目から中継ぎ投手として十分な成績を残しました。プロ野球選手として好調なスタートを切った佐野滋紀さんは、その頃、毎晩のように先輩選手に連れられて飲みに出る生活を送っていたそうです。

 

そんな姿を見た野茂英雄さんはある日、佐野滋紀さんを呼び出して「お前、そんなんでええんか?そんな態度では成功できない」と2時間にわたって説教をしたのだそうです。佐野滋紀さんは野茂英雄さんが本気で言葉をかけてくれた事に心を打たれ、それからは野球に集中し翌年以降さらに好成績を残すようになりました。

 

それ以来、佐野滋紀さんと野茂英雄さんは親友のような関係になり、現役時代からシーズンオフに2人揃ってバラエティ番組に出演しプロ野球ファンの間でも2人の仲の良さはよく知られるようになりました。そして、野茂英雄さんがメジャーにわたった後も、お互いが現役を引退した後も2人は交流を続けていました。

 

 

日本球界復帰を目指す佐野滋紀を野茂英雄が激励した事もニュースに

 

佐野滋紀さんは、2000年に中日を戦力外になった後、アメリカ独立リーグやメキシカンリーグで現役を続けた後、2003年にオリックスの入団テストを受けて日本球界復帰を目指しました。

 

この当時、野茂英雄さんはメジャーリーグで実績を積み上げ、2度目のロサンゼルスドジャース在籍でエース級の活躍を続けていてオフも多忙な日々を送っていましたが、佐野滋紀さんの入団テスト挑戦を応援するために日帰りの強行スケージュールでキャンプ地の沖縄を訪れ、ブルペンで投球練習する佐野滋紀さんの元へと直行し激励の言葉をかけています。

 

 「死ぬ気でやれ」と野茂に励まされた佐野は「契約してもらえるように、いいパフォーマンスを見せるだけ」と、14日まで続くテストに現役復活をかけて全力を注ぐ。石毛監督は「野茂は『佐野をお願いします』と言っていた。

 

引用:野茂が佐野をゲキ励 テスト生に「死ぬ気でやれ」

 

オリックス側としても当時野球ファンの間で絶大な人気を誇っていた野茂英雄さんが応援しているとなれば大きな宣伝効果が見込めるため、佐野滋紀さんはテストに合格し入団する事になりました。

 

この年、佐野滋紀さんは成績を残せずに現役を引退する事になりはしましたが、野茂英雄さんと佐野滋紀さんの絆を感じさせるエピソードとして知られています。

 

 

野茂英雄が設立した「NOMO Baseball Club」の理事も務めていた

 

佐野滋紀さんは現役を引退後、2003年に野茂英雄さんが設立した社会人野球チーム「NOMO Baseball Club」の理事に就任し2005年頃まで務め、野茂英雄さんが主催したチャリティの野球教室にも指導者として参加するなどしています。

 

他にも、1998年発売のプロ野球球団経営シミュレーションゲーム「プロ野球チームをつくろう」では、佐野滋紀さんのキャラクターデザインが帽子をかぶっていない禿頭のネタキャラクターにされていましたが、これは同ゲームの監修を務めた野茂英雄さんのアイデアによるものでした。

 

これも佐野滋紀さんと野茂英雄さんの仲の良さを示すエピソードとして知られています。

 

 

週刊文春が佐野滋紀と野茂英雄の借金トラブルを報道

 

以上のように、佐野滋紀さんと野茂英雄さんの仲の良い関係性は往年のプロ野球ファンの間ではよく知られていたのですが、2018年9月に「週刊文春」が、佐野滋紀さんが2003年頃に野茂英雄さんから3000万円の借金をしており、その返済がほとんどされていないため、野茂英雄さんサイドがその返済を求める民事訴訟を起こしたという衝撃的な内容を報じました。

 

プロ野球ファンの間では、野茂英雄さんが現役晩年や引退後の佐野滋紀さんを親身になってサポートしていた事はよく知られていたため、その2人が借金トラブルになっているという内容にかなりショックを受けた方も多かったようです。

 

 

佐野滋紀が野茂英雄との借金トラブルについて説明

 

佐野滋紀さんは、この文春報道後に東京スポーツの取材を受け、野茂英雄さんとの借金トラブルについて説明しています。

 

佐野滋紀さんによると、野茂英雄さんから3000万円の借金をしたのは2003年にプロ野球選手を引退した頃だったそうです。

 

佐野滋紀さんは2001年と2002年はアメリカ独立リーグとメキシカンリーグでプレーしていたものの、収入はほとんどなく税金の支払いや個人的な出費などもあり、2003年頃は金銭にかなり困っていたそうです。

 

さらに追い討ちをかけるように、佐野滋紀さんの実家の母親が体調を崩してしまいお金がかかり、住宅ローンするも支払えなくなって住んでいた自宅も手放すような状況だったそうです。

 

そんな佐野滋紀さんの困窮を見かねた野茂英雄さんが、「困っているのならサポートするよ、仕事して返してくれたらいいから」と支援を申し出てくれたそうです。

 

佐野滋紀さんは当初は、野茂英雄さんは大切な友人だし、もしも返せなくなった関係性が壊れてしまうと思い、「そんなこと出来ない」と断ったそうです。

 

しかし、佐野滋紀さんは当時借金を抱えており、母親や嫁や子供など家族を養っていかなければならないというプレッシャー、税金の問題などもあって、最終的に野茂英雄さんの提案に甘えてしまい、借金をしてしまったのだそうです。

 

佐野滋紀さんは最初は約束通り借金を返せていたものの、段々と仕事が減り、返済できなくなってしまい、野茂英雄さんを裏切ってしまったとの思いにより、佐野滋紀さんの方から野茂英雄さんを避けるようになってしまったのだそうです。

 

そして、業を煮やした野茂英雄さんサイドが佐野滋紀さんに借金返済を求める民事訴訟を起こしたという流れとなったようです。

 

野茂英雄さんはメジャーリーグで現役時代に莫大な金額を稼いでいるため、3000万円は大した金額ではなかったと思われますが、友人だと思っていただけに佐野滋紀さんが音信不通になった不義理に納得がいかずに、筋を通して欲しいという思いから裁判に踏み切ったのではないかと思われます。

 

なお、一部報道では、佐野滋紀さんが野茂英雄さんへの借金を返さずに派手な生活を送っているとも書かれていましたが、佐野滋紀さんは「そんな余裕がどこにあるのか…。みじんもないですよ」とそれについては否定されていました。

 

 

佐野滋紀と野茂英雄の借金トラブルのその後

 

この件については詳しい続報がなく、佐野滋紀さんが野茂英雄さんからの借金をきっちり返済したのか、あるいは返済を続けているのかについては不明なのですが、佐野滋紀さんは週刊文春の報道が出た後、水道局の深夜バイトやある飲食店のコンサルタント会社の社長の運転手の仕事に就いて働きながら野茂英雄さんへの借金返済を目指していたようです。

 

ただその後、佐野滋紀さんは体調を崩し、心不全や糖尿病で仕事を辞めざるを得なくなったとも語っており、野茂英雄さんへの返済状況については不明です。

 

 

佐野滋紀の結婚と嫁や子供

 

出典:https://pressmaple.com/

 

佐野滋紀さんは1998年、30歳の時に木綿子(ゆうこ)さんという一般女性と結婚されています。

 

結婚発表当時の報道によれば、佐野滋紀さんと嫁の木綿子さんは1年3ヶ月の交際を経て結婚されたという事です。結婚当時、嫁の木綿子さんが妊娠8ヶ月である事も発表されています。

 

子供が生まれる前に結婚を決められたのだと思われます。

 

佐野滋紀さんと嫁の木綿子さんの子供は2人で、1人目の子供は1999年2月18日に生まれた「まおな」さん、2人目の子供は2007年7月20日に生まれた息子の「匡優(まさひろ) 」さんです。

 

佐野滋紀さんは子供2人をとても大切にされており、ブログやインスタでも子供についてよく書かれていました。この見出し始めのプリクラの画像は娘さんとのもので、佐野滋紀さんのブログで紹介されたものです。

 

 

佐野滋紀の自宅

 

佐野滋紀さんは自宅は公開されていません。

 

ただ、野茂英雄さんとの借金トラブルが報じられた際には、佐野滋紀さんの自宅が家賃30万円だとも暴露されていました。

 

この自宅の家賃の話が真実かは不明なのですが、佐野滋紀さんは2003年に現役を引退した頃、自宅の住宅ローンが支払えなくなって家を手放したとも告白しているので、その自宅を引き払った後に、新たに家賃30万円の自宅に住んでいたというのは少し無理があるような気がします。

 

 

佐野滋紀が糖尿病による右腕切断手術を告白

 

佐野滋紀さんは、2024年4月30日にブログで、翌5月1日に糖尿病による感染症が進行しており右腕の切断手術を受ける事を告白しました。

 

感染症が進み明日右腕を切断する事に。

 

引用:佐野滋紀のピッカリブログ 56歳

 

佐野滋紀さんによると、2023年4月、朝のウォーキング中に足の裏が腫れていて少し痛い事に気がつき、病院で診断を受けたところ右足中指に糖尿病の影響による感染が発覚し、重症下肢虚血という症状となっていたそうです。

 

緊急手術で右足中指を切断し、治療のためにすぐに入院したそうです。この時、もし発見が遅れていれば右足を切断する可能性もあったという事でした。

 

さらにその後、2023年12月に感染症が足から右腕の手の指先に転移し、壊死が見られるため指先を2本切断する事になったという事です。

 

2024年1月には糖尿病の影響で心臓弁膜症が発覚し、動脈硬化が激しく回復せず、感染症の広がりを抑えるために洗浄を繰り返す事になったそうです。この洗浄は麻酔をしていても激痛を伴うものだそうで、非常に辛い思いをされたようです。

 

そして、ついに、医師から「(感染症の広がりを防ぐために)右腕を切断した方が良い」と告げられ、2024年5月1日に右腕切断手術を受ける事が決まったという事でした。

 

 

佐野滋紀はいつから糖尿病で闘病していたのか

 

出典:https://www.nikkansports.com/

 

佐野滋紀さんは糖尿病の影響で感染症が広がり、右腕を切断する手術を受けた事を告白されました。佐野滋紀さんがいつから糖尿病で闘病していたのかも注目されています。

 

佐野滋紀さんのブログでの告白によれば、糖尿病の治療でインシュリンを打ち出したのが8年前という事なので、2016年までに糖尿病が判明していたようです。

 

その後、人工透析を受け始めたのが5年前という事で、糖尿病が悪化して長く治療を続けられていた事がわかります。

 

糖尿病がわかった時

食事制限はそれなりに

酒もほとんど口にしない。

私がインシュリンを打ち出したの8年前。

透析を始めたのが5年前

 

引用:佐野滋紀のピッカリブログ お願い

 

 

佐野滋紀の現在…右腕切断手術は成功しリハビリ生活を送っている

 

出典:https://portal.st-img.jp/

 

佐野滋紀さんの現在についてですが、2024年5月1日の右腕切断手術は成功し、現在はリハビリ生活を送っている事をブログなどで明かされています。

 

佐野滋紀さんは右腕投手だったので、治療のためとはいえ右腕を失う事は本当に辛い事だったと想像されますが、ブログでは今後の目標として、左腕で「ピッカリ投法」ができるようにする事を掲げられています。

 

佐野滋紀さんは右腕切断手術後に週刊誌の取材にも応じられていて、左腕で投球できるようにするために、下半身を鍛えるリハビリを頑張るとの決意も表明されていました。

 

佐野滋紀さんは左で投げられるようになれば、プロ野球の始球式にも呼んでもらえるかもしれないとも話されていました。

 

現在、ネット上でも佐野滋紀さんを応援する声が多く上がっているようです。

 

 

まとめ

 

今回は、近鉄バッファローズなどで活躍した元人気プロ野球選手で、2024年5月に糖尿病の影響による感染症で右腕を切断した事を告白し大きな話題となっている佐野滋紀さんについてまとめてみました。

 

佐野滋紀さんは若い頃は、松山商業高校時代は夏の甲子園準優勝、近畿大学時代にはエースとして活躍し、1990年のドラフト会議で近鉄に3位指名されプロ入りしました。佐野滋紀さんはプロ1年目から中継ぎ投手として大車輪の活躍を見せて好成績を継続し、NPBでは史上初となる中継ぎ投手としての年俸1億円プレイヤーとなりました。

 

佐野滋紀さんは現役時代から薄毛を自らネタにし、「テカテカ投法」、「ピッカリ投法」などで子供を中心にプロ野球ファンから愛されました。

 

佐野滋紀さんは野球界のレジェンドである野茂英雄さんとは同学年で、近鉄で一緒にプレーし親友のような関係が知られていましたが、2018年に週刊文春により佐野滋紀さんが野茂英雄さんから3000万円の借金をしているが返済が滞り、民事訴訟を起こされる借金トラブルになっているが報じられ、往年のプロ野球ファンに衝撃を与えました。

 

佐野滋紀さんは1998年、30歳の時に木綿子さんという一般女性と結婚されていて、嫁の木綿子さんとの間に2人の子供が生まれています。1人目の子供は娘のまおなさん、2人目の子供は息子の匡優さんです。

 

佐野滋紀さんは2016年までに糖尿病が発覚し、インスリン注射や人工透析などの治療を受けていたようです。しかし、糖尿病の影響により感染症となり、2024年5月1日に右腕の切断手術を受けられています。

 

佐野滋紀さんは現在、右腕の切断手術が成功しリハビリを頑張っている事をブログで明かされています。

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