日本ハムファイターズや西武ライオンズで活躍した元プロ野球選手の西崎幸広さんの若い頃や現在が話題です。
この記事では西崎幸広さんの若い頃のイケメン画像や経歴、成績と年俸推移、嫁との結婚や子供、芸能活動もしていた2人の娘や勝手に売却された自宅、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 西崎幸広のプロフィール
- 西崎幸広の若い頃① 瀬田工業高校で甲子園出場し愛工大ではエースとして活躍
- 西崎幸広の若い頃② 日ハムにハズレ1位でドラフト指名されプロ入り
- 西崎幸広の若い頃③ 2年目に最多勝のタイトル獲得など5年連続2桁勝利
- 西崎幸広の若い頃④ 西武ライオンズへのトレードから引退へ
- 西崎幸広の成績と年俸推移
- 西崎幸広はイケメンで「トレンディエース」と呼ばれた
- 西崎幸広の結婚と嫁の新井加純
- 西崎幸広の子供は娘2人で芸能活動も
- 西崎幸広の娘① 長女は元女優の西崎あや
- 西崎幸広の娘② 次女はタレントの西崎莉麻
- 西崎幸広の自宅を娘と嫁が勝手に売却で話題に
- 西崎幸広の現在① BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズ監督
- 西崎幸広の現在② YouTubeトレンディエースチャンネルも話題に
- 西崎幸広の現在③ 日本ハムOB会長で「ファイターズ50周年シリーズ」にも登場
- まとめ
西崎幸広のプロフィール
西崎幸広のプロフィール
生年月日:1964年4月13日
出身地 :滋賀県大津市
身長 :181cm
血液型 :B型
西崎幸広さんは日本ハムファイターズや西武ライオンズで活躍した元プロ野球選手で、シーズン二桁勝利を通算7度達成している1980年代終わりから90年代のプロ野球を代表するエース投手の1人として知られています。
若い頃は、整った顔立ちと洗練されたファッションで球界屈指イケメン投手として抜群の女性人気を誇り「トレンディエース」とも呼ばれました。
そんな西崎幸広さんは現在も野球に関連した活動で度々話題になっています。また、娘2人が芸能活動をするなど家族も話題です。
ここでは、そんな西崎幸広さんについて改めて紹介していきます。
西崎幸広の若い頃① 瀬田工業高校で甲子園出場し愛工大ではエースとして活躍
出典:https://cdn.findfriends.jp/
西崎幸広さんは地元滋賀県大津市の公立校「県立瀬田工業高校」の出身で、当時から投手として活躍しています。
ただ、当時はエースではなく背番号「10」の2番手ピッチャーでした。とはいえ、この時から才能の片鱗を見せており高校3年生時の1982年の夏の甲子園出場に貢献し本戦でも登板を果たしています。(結果は1回戦敗退)
西崎幸広さんは高校卒業後は、地元滋賀を離れて愛知県の私立「愛知工業大学」へと進学して野球を続けています。
西崎幸広さんは愛工大時代に大きく実力をつけ、レベルが高い愛知大学野球リーグで通算最多勝率(37勝)、最多奪三振(1986年、95個)、1試合最多奪三振(1986年、対名古屋学院大、23個)などの記録を達成し、エースとして明治神宮野球大会で3年時の1985年に準優勝、4年時の1986年には優勝にチームを導き、プロ球団からも注目の存在となりました。
西崎幸広の若い頃② 日ハムにハズレ1位でドラフト指名されプロ入り
左が愛工大時代の西崎幸広、右は同じ年に中日にドラフト2位指名された愛工大名電高校時代の山崎武司
西崎幸広さんは、1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズからドラフト1位指名(近藤真市の外れ1位)を受けてプロ入りしています。
西崎幸広さんは球団のエースナンバー「21」を与えられ、1年目からローテの柱として活躍。15勝7敗、防御率2.89、176奪三振という抜群の成績を残しました。
この年は、近鉄バッファローズに同じく大卒で入団した同級生の阿波野秀行さんと新人王を争ってパリーグを盛り上げました。
最終的には15勝12敗、防御率2.88、201奪三振、シーズン最多投球回を記録した阿波野秀行さんが新人王に選ばれましたが、ほぼ同等の成績を残した西崎幸広さんにはパ・リーグ連盟特別表彰として新人特別賞が授与されています。
西崎幸広の若い頃③ 2年目に最多勝のタイトル獲得など5年連続2桁勝利
西崎幸広さんは、2年目の1988年シーズンも15勝をあげ、シーズン最多勝に輝いています。
この年は181奪三振、防御率2.50、21完投といずれも前年を上回る成績を残し、他の指標も軒並みトップ水準を記録して、ベストナイン、ゴールデングラブ賞にも輝きました。
この年のシーズンオフ、西崎幸広さんは年俸倍増(1800万円から3600万円)で契約更改しています。この際の会見の貴重な映像がYouTubeにアップされていたので紹介しておきます。
西崎幸広さんは新人年から5年目の1991年シーズンまで5年連続の2桁勝利を上げ、若手ながらチームの絶対的エースとして君臨しました。
完投能力も非常に高く、1988年5月21日の対西武ライオンズ戦では189球を投げて延長12回を投げ切っています。肩肘の消耗をできる限り抑えて選手生命を伸ばすという現代のプロ野球の考え方とは違い、当時のプロ野球にはエースは完投してナンボという考え方があったため、そうした点でも西崎幸広さんはエース投手として高く評価されていました。
しかし、やはり徹底した先発完投型のスタイルは身体に負担をかけ、西崎幸広さんは怪我に苦しめられるようになりました。
そのため、1992年シーズン以降は成績が安定しなくなり、1993年には11勝、1996年には14勝をあげたものの、それ以外のシーズンはエースというには物足りない成績に終わっています。
西崎幸広の若い頃④ 西武ライオンズへのトレードから引退へ
出典:https://column.sp.baseball.findfriends.jp/
1996年シーズンに14勝をあげてエース復活を印象付けた西崎幸広さんは1997年シーズンは2年ぶりの開幕投手に指名されました。
ところが、開幕戦で元々怪我がちだった内転筋を痛めて緊急降板し、1軍登録を抹消されます。怪我の回復後、シーズン後半の7月にようやく1軍への復帰を果たし3勝を上げましたが、8月に入って今度は頚椎ヘルニアを発症し、そのまま復帰できないままシーズンを終えました。
怪我により、入団以来最低の成績に終わった西崎幸広さんに対し、日本ハム球団はFA宣言をしないならトレード要員か自由契約にすると通告し、実質戦力外通告を行いました。
西崎幸広さんは長年エースとしてチームを支えた功労者であり、不振の原因となっている怪我も若い頃の登板過多が原因である事を考えれば、こうした扱いは少し非情すぎると感じます。
西崎幸広さんも当時は「なんとか見返してやりたい」という気持ちが強かったようで、同じパリーグの西武ライオンズへの移籍を希望。西武側も獲得に積極的で、主力の石井丈裕さんと奈良原浩さんとの1対2のトレードが成立しました。
西崎幸広さんは西武ライオンズでは1年目は怪我で活躍できなかったものの、2年目はクローザー(当時は抑え投手と言われた)を任されて20セーブをあげています。移籍3年目のシーズンはロングリリーフと先発で6勝をあげ、どこでも投げられる便利屋としてチームに貢献。
4年目となった2001年シーズン、西崎幸広さんは先発に復帰しましたが、怪我により8試合の登板にとどまり、防御率は3.19と比較的安定していたものの1勝3敗とチームに貢献したとは言い難い成績に終わりました。
そしてそのシーズン終了で、トレードでの獲得に動いてくれた恩人である東尾修監督の退任が決まった事で、西崎幸広さんは現役引退を決意し、通算15年のプロ生活を終えられています。
西崎幸広の成績と年俸推移
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
西崎幸広さんの現役時代の年度別成績と年俸推移です。
年度 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 | 完投 | 完封 | 投球回 | 防御率 | 年俸推移 |
1987 | 30 | 15 | 7 | 0 | 176 | 16 | 4 | 221 1/3 | 2.89 | 600万円 |
1988 | 29 | 15 | 11 | 0 | 181 | 21 | 4 | 241 2/3 | 2.50 | 1800万円 |
1989 | 27 | 16 | 9 | 0 | 164 | 17 | 2 | 208 | 3.55 | 3600万円 |
1990 | 28 | 12 | 13 | 0 | 154 | 10 | 2 | 192 2/3 | 3.88 | 5060万円 |
1991 | 19 | 10 | 6 | 1 | 70 | 7 | 1 | 116 2/3 | 3.16 | 6000万円 |
1992 | 21 | 6 | 10 | 0 | 107 | 9 | 2 | 136 2/3 | 4.08 | 7200万円 |
1993 | 23 | 11 | 9 | 1 | 143 | 17 | 3 | 175 2/3 | 2.20 | 7000万円 |
1994 | 25 | 8 | 14 | 0 | 151 | 12 | 2 | 181 | 4.08 | 9700万円 |
1995 | 27 | 7 | 8 | 0 | 146 | 3 | 1 | 177 | 3.61 | 9100万円 |
1996 | 16 | 14 | 7 | 0 | 139 | 5 | 1 | 181 2/3 | 2.87 | 9100万円 |
1997 | 8 | 3 | 3 | 0 | 23 | 0 | 0 | 40 1/3 | 3.12 | 1億3000万円 |
1998 | 4 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 0.00 | 1億3000万円 |
1999 | 33 | 2 | 1 | 20 | 36 | 0 | 0 | 34 1/3 | 3.41 | 1億3000万円 |
2000 | 22 | 6 | 1 | 0 | 49 | 0 | 0 | 59 | 3.81 | 1億3000万円 |
2001 | 8 | 1 | 3 | 0 | 26 | 0 | 0 | 31 | 3.19 | 5000万円 |
通算 | 330 | 127 | 102 | 22 | 1573 | 117 | 22 | 2004 | 3.25 | 11億6160万円 |
西崎幸広はイケメンで「トレンディエース」と呼ばれた
西崎幸広さんは若い頃はイケメンの野球選手として女性人気が高く、ファッションセンスも話題になって、流行の先端、今風などの意味合いを込めて「トレンディエース」などと呼ばれていました。
現在もイケメンのプロ野球選手としてよく名前が挙げられています。
トレンディエース #西崎幸広
— 零工芸 (@ZERO_kogei) April 13, 2022
1964/4/13〜
誕生日おめでとうございます。
当時のパリーグは、申し訳ないけど本職の人にしか見えないような選手が多い中、子供ながら何かの間違いなんじゃないかと思うくらい爽やかイケメンでしたね
躍動感あるフォームでカッコよかったです#日本ハムファイターズ pic.twitter.com/7nqthlQ5wK
80年代後半のイケメン野球選手と言えば日ハムのトレンディーエース西崎幸広、その娘の西崎莉麻さんがこの画像のいちばん左の子。いちばん右が有安杏果さんです。 pic.twitter.com/0LX0Ei3S3f
— ザビ太 (@xavita) January 8, 2018
#お前らプロ野球選手の最初の推し誰だよ
— あき (@081214) January 21, 2023
日ハム 西崎幸広
現役当時、私の中では超イケメンだった
ただ単にツラが好きw pic.twitter.com/kIAAKXnb2Q
西崎幸広の結婚と嫁の新井加純
西崎幸広さんは1990年に結婚されています。
西崎幸広さんの嫁は元タレントの新井加純さんで、1990年12月に結婚式を挙げています。
西崎幸広さんの嫁の新井加純さんのプロフィール情報はあまり残されていないのですが、2008年の時点のスポーツ紙の報道で44歳と報じられていたので西崎幸広さんと同じ1964年の生まれの可能性が最も高いと思われます。
西崎幸広さんは2017年にテレビ朝日の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に先生役として出演された際に、嫁や子供達に尻に敷かれているといった発言をされているので、現在も嫁の新井加純さんとは仲の良い結婚生活を送られているのだと思います。
西崎幸広の子供は娘2人で芸能活動も
西崎幸広さんと嫁の新井加純さんとの間には2人の子供が生まれています。
西崎幸広さんの子供は2人とも娘さんで、長女が1991年に生まれた西崎あやさん、次女が1993年に生まれた西崎莉麻さんで、2人とも芸能活動をされていました。
娘2人は芸能活動を始めた当初から西崎幸広さんの子供である事を公表して活動しており、2017年には親子でのテレビ出演も何度もあり往年のプロ野球ファンの間でも話題になっていました。
当時のテレビ出演で紹介された内容によると、西崎幸広さんは娘2人を溺愛しており、欲しい物は何でも買い与え、やりたい事は何でもやらせてあげるという「お願い全部聞く教育」をしていたのだそうです。
西崎幸広さんは娘2人の芸能界で活動したいという希望も叶え全力でサポートされていたようです。
西崎幸広の娘① 長女は元女優の西崎あや
西崎幸広の娘(長女)・西崎あやのプロフィール
本名 :西崎朱彩(読みは同じ)
生年月日:1991年6月9日
出身地 :東京都
身長 :162cm
血液型 :O型
旧名義 :西崎真央
西崎幸広さんの1人目の子供である娘の西崎あやさんは、ティーンズモデルを経て堀越高等学校在学中に女優としてデビューしています。
西崎あやさんは女優としては、2011年のドラマ「高校生レストラン」、2013年のNHK大河「八重の桜」、2015年のNHK大河「花燃ゆ」、2016年ドラマ「黒い十人の女」、2016年映画「ミュージアム」などに出演されています。
西崎あやさんは2019年頃までトライストーン・エンターテイメントに所属して女優として活動されていますが、現在は退所しており女優としての活動はされていないようです。
西崎幸広の娘② 次女はタレントの西崎莉麻
西崎幸広の娘(次女)・西崎莉麻のプロフィール
生年月日:1993年6月9日
出身地 :東京都
身長 :159cm
血液型 :O型
西崎幸広さんの2人目の子供である娘の西崎莉麻(にしざき・りま)さんは、中学1年生の時にローティーン向けファッション雑誌「Hana*chu→」の読者モデルとして活動を開始し、2007年にアイドルグループ「Power Age」のメンバーとしてアイドルとしてもデビューしました。
2009年に「Power Age」が解散した後、トライストーン・エンターテイメントからキャストコーポレーションに事務所を移籍し、グラビアアイドルとしても活動を始め、「週刊プレイボーイ」や「ヤングマガジン」のグラビアページに登場し、見事なボディで注目を集めました。
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
当時はイメージビデオも合計5本リリースしていて人気がありました。
その後、2018年にキャストコーポレーションを退所し、フリーでの芸能活動を継続後、2019年からはアメリカに留学されていました。現在は帰国して日本で活動されているようです。
西崎幸広の自宅を娘と嫁が勝手に売却で話題に
西崎幸広さんの自宅は東京都内のようですが、2017年に「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演された際に、嫁と娘2人に勝手にこの自宅を売りに出されている事を明かし、ネット上でも話題になりました。
西崎氏は、一番の“被害”として「僕が現役時代にがんばって買った家が、勝手に売りに出されているんです。本当に写真が出てるんですよ」と抗議した。これに娘2人は、愛犬が年をとって階段がきつくなってきたことや、マンションへの憧れがあることを説明。
西崎幸広さんの自宅がその後、売れたのかはわかっていませんが、共演した娘さん2人は「マンションに憧れがある」と語られていたため、売却されていた場合は新たに都内のマンションを購入して自宅とされている可能性が高そうです。
ちなみに、西崎幸広さんの自宅の近所に住まわれていたという方がX(当時はTwitter)で下のような投稿をされていたので自宅は本当に売られてしまった可能性が高いようです。
娘さんに勝手に売りに出された西崎さんの豪邸がホントに売れたみたいで、表札の名前がかわっていました。(´・ω・`)
— にのうらさと🌻 (@ameayunon) August 26, 2017
QT 西崎幸広氏、勝手に自宅が売りに出される…家での序列「愛犬以下」とボヤく https://t.co/UKpBfhqAEL
ちなみにこの方の投稿によると、西崎幸広さんは気さくでとても感じの良い方だったようです。
プロゴルファーになった津野浩さんのお宅がすぐ近所だったもんで、西崎さんと津野さんをセットでよくお見掛けしたのですが、そりゃあもーすんごいカッコイイわけですよ。ウチのあめ母さんを見て「可愛いですね」って声かけてくれたり。まさかあんなひどい仕打ちに耐えておられたとわ。(´・ω・`)
— にのうらさと🌻 (@ameayunon) August 26, 2017
また、西崎幸広さんは現在は野球の独立リーグ「BCリーグ」に所属する「埼玉武蔵ヒートベアーズ」の監督を務められているため、家族と離れて単身赴任する形で埼玉県に自宅を置いている可能性も考えられます。
西崎幸広の現在① BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズ監督
出典:https://www.nikkansports.com/
西崎幸広さんは2023年シーズンより、独立リーグ「ルートインBCリーグ」所属の「埼玉武蔵ヒートベアーズ」の監督を務めており、現在も指揮をとっています。
西崎幸広さんは2023年にはチームを優勝に導き、オフには2名の選手がプロ野球の育成ドラフトで指名されるなど就任1年目から文句のつけようがない結果を出しています。
西崎幸広の現在② YouTubeトレンディエースチャンネルも話題に
西崎幸広さんは現在、「トレンディエースチャンネル」というYouTubeチャンネルでも話題になっています。
現在は「埼玉武蔵ヒートベアーズ」の監督を務めている関係からか更新がストップしていますが、現役時代にライバルとして共に活躍した阿波野秀行さんがゲスト出演するなど、往年のプロ野球ファンにはたまらない内容で人気を集めています。
西崎幸広の現在③ 日本ハムOB会長で「ファイターズ50周年シリーズ」にも登場
西崎幸広さんは現在、日本ハムファイターズのOB会長を務められています。
2022年には、現在日本ハムファイターズを率いているBIG BOSSこと新庄剛志監督をOB会長として激励した事も話題になっていました。
また、2024年7月の試合前にエスコンフィールドで開催される「ファイターズ50周年シリーズ」にも、西崎幸広さんがレジェンドOBの1人として登場する事が発表されています。
西崎幸広さんは現役時代、若干ながら喧嘩別れのような形で日本ハムから西武ライオンズにトレードになった経緯がありますが、現在の日本ハムファイターズとの関係は良好な様子です。
まとめ
今回は、1980年代終わりから1990年代にかけて日本ハムファイターズや西武ライオンズで活躍した元プロ野球投手の西崎幸広さんについてまとめてみました。
西崎幸広さんは若い頃は1年目から5年連続で二桁勝利を上げ、最多勝のタイトルも獲得するなど日本ハムファイターズの若きエースとして活躍しました。その後は怪我に悩まされて西武ライオンズにトレードとなりますが、西武でも一時期クローザーを務めるなど印象的な活躍をし2001年シーズンを最後に現役を引退されました。
西崎幸広さんは若い頃はそのイケメンぶりから「トレンディエース」の異名で呼ばれて、抜群の女性人気を誇りました。
西崎幸広さんは1990年に元タレントの新井加純さんと結婚しています。嫁の新井加純さんとの間には子供が2人生まれており、2人とも娘さんです。
西崎幸広さんの娘は長女が1991年に生まれた西崎あやさんで、次女が1993年に生まれた西崎莉麻さんで、2人とも芸能活動をされていました。
西崎幸広さんは2017年にはこの娘さん2人と何度かテレビ番組で共演しており、娘や嫁たちによって自宅が勝手に売りに出されている事などを明かして話題になっていました。
現在、西崎幸広さんは独立リーグ「BCリーグ」に所属する「埼玉武蔵ヒートベアーズ」の監督を務めている他、YouTubeチャンネル「トレンディエースチャンネル」も話題です。また、日本ハムファイターズのOB会長も務められています。