2012年9月に発生した「六本木クラブ襲撃事件」は関東連合による人違い殺人として話題になりました。
今回は「六本木クラブ襲撃事件」を改めて振り返りつつ、犯人の石元太一や主犯の見立真一、被害者の藤本亮介さん、事件と木村兄弟との関係、その後の判決などについてまとめました。
この記事の目次
六本木クラブ襲撃事件とは
「六本木クラブ襲撃事件」は、2012年9月2日、東京都港区六本木のランドマークだったロアビル2階で営業していたクラブ「フラワー」で発生した殺人事件です。
事件当日の経緯
2012年9月2日の深夜3時40分頃、音楽イベントを開催していた「フラワー」に、目出し帽をかぶり、金属バットなどで武装した10人ほどの男らが乱入し、店内VIPルームで友人らと飲食していた藤本亮介さん(当時31歳)に突如襲いかかり、取り囲んだ上で1分から2分ほどにわたって無言で金属バットなどで執拗に殴りつけて死に至らしめた事件です。
事件発生時「フラワー」店内には200人から300人もの客がおり、被害者の藤本亮介さんはVIPルームで、男性の友人2人、女性の友人2人とともに飲酒していましたが、犯人グループは迷う事なくまっすぐに藤本亮介さんの元へと向かって犯行に及びました。
付近の防犯カメラの映像には、犯人らが、その日の午前2時40分頃に2台のワゴン車に分乗して犯行現場近くの路地に乗り付け、午前3時40分頃に「フラワー」へと乱入し、短時間で犯行を終えた後、再び2台のワゴン車に分乗して逃走するまでの映像が記録されていました。
犯人らはその後、東京都東大和市方面を経由して埼玉県へと逃亡し行方をくらませます。
警視庁による公開捜査
2012年9月7日、警視庁は防犯カメラの映像などを公開して情報を求めたところ、半グレ集団「関東連合」と犯人グループの関係を指摘する情報が寄せられ、さらに、犯人らが犯行に使ったワゴン車の1台が関東連合OBの1人が役員を務める都内の会社所有の車だった事などが判明します。
同年9月上旬頃、警視庁は上述の会社を殺人容疑で家宅捜索、同時期に犯行メンバーとみられる複数人が海外へと出国していた事なども判明。9月中旬頃には、犯人の一部を名指しする情報が警視庁に寄せられています。
「フラワー」の関係者8名が逮捕される
「フラワー」は「六本木クラブ襲撃事件」発生以降、営業を停止していましたが、その後「スタジオゲート」と名前を変更し、同年9月21日には営業を再開していました。同年10月1日、同店経営者・馬場幹人(当時39歳)、同店店長・金子靖弘(当時39歳)ら経営関係者8名が風営法違反(無許可営業)の容疑で警視庁に逮捕されています。
この8名への取り調べにより、事件発生前、この「フラワー」の店員の中の1人が、店内で犯行グループと敵対する男が飲食しているのを目撃(実際には人違いだった)し、それを関東連合OB幹部・石元太一へと電話連絡した事が、事件の直接の原因になった事などが明らかになります。
石元太一ら20名近くが立て続けに逮捕される
「六本木クラブ襲撃事件」の発生した直後の2012年9月7日に、上で名前が出た石元太一が詐欺罪の疑いで警視庁に逮捕されています。これは「六本木クラブ襲撃事件」との関与を疑われての別件逮捕だったと見る向きもあるようです。
同年12月9日には「六本木クラブ襲撃事件」の犯行グループのうち2名が警視庁に出頭。年が明けた2013年1月9日、警視庁はこの2名と石元太一の「凶器準備集合」容疑で逮捕状を取ります。
また、この12月はじめに警視庁は捜査本部を設置し、関東連合OBら17名の「凶器準備集合罪」での逮捕状を取り、12月19日には、犯行グループ複数名が海外に出国逃亡している事実を受けて外務省は彼らに対しての旅券返納命令を出しています。
この旅券返納命令が効いてか、海外逃亡していた犯人グループのうち5名が帰国。石元ら前述の3名と合わせた合計8名が2013年1月10日付で警視庁に逮捕されました。
その後、21日までの間に、「六本木クラブ襲撃事件」に関与したとして、関東連合OBを含む合計18人が逮捕されました。
しかし、事件の主犯格とされた関東連合の事実上のトップ・見立真一は逮捕されておらず、2013年2月21日に指名手配され、翌22日には国際指名手配されています。見立真一はフィリピンに潜伏しているとの情報がもたらされた後消息不明で、現在(2020年4月時点)未だ逃亡を続けています。
以上が「六本木クラブ襲撃事件」の大まかな経緯になります。次の見出しから犯人や被害者についてや、事件の背景や真相などについてをみていきます。
六本木クラブ襲撃事件の犯人① 石元太一(関東連合OBリーダーの1人)
「六本木クラブ襲撃事件」の犯人として、最初に名前が上がるのがこの石元太一です。
石元太一のプロフィール
生年月日:1981年12月13日
出身地 :東京都世田谷区
石元太一は関東連合に所属する暴走族「千歳台ブラックエンペラー」の元総長で、2000年に「関東連合」の少年らが起こした「トーヨーボール殺人事件」では犯人側の少年グループに所属し、被害者少年1人を暴行の末に死に至らしめたとして、傷害致死罪に問われ、特別少年院に送致されています。
また、2010年11月に発生した「市川海老蔵暴行事件」では、泥酔した歌舞伎俳優・市川海老蔵さんから石元太一が灰皿でテキーラを飲まされるなどの嫌がらせ行為を受け、それが石元の後輩の伊藤リオンによる市川海老蔵さん暴行につながったとして、その名前が取り沙汰されました。
2012年8月には、自叙伝「不良録-関東連合元リーダーの告白-」を発表し、2013年公開予定映画「アンダー・フェイス」に主演する事が発表されるなど、芸能界デビューが決まっていました。
また、2011年に自殺したタレントの上原美優さん、人気モデルの藤井リナさんと交際していたとも噂されるなど度々メディアを賑わせ、関東連合OBの中でも特によく知られた存在です。
石元太一の六本木クラブ襲撃事件への関与
出典:http://www.accessjournal.jp/
裁判記録や警察の発表によれば、「六本木クラブ襲撃事件」の原因を作ったのがこの石元太一だという事になります。
石元太一は、事件現場となったクラブ「フラワー」に、関東連合と古くから因縁のある木村孔次郎(実際には別人で人違いだった)という男が来店しているという連絡をフラワーのマネージャーから受け、それを関東連合のトップである見立真一に連絡。それを聞いた見立真一が仲間の招集をかけ襲撃したというのがこれまでに明らかにされている「六本木クラブ襲撃事件」への石元太一の直接的な関与です。
石元太一は冤罪を主張
「六本木クラブ襲撃事件」の裁判で、当初検察側は石元太一が襲撃メンバーの招集や計画に関わり、実行メンバーにも加わっていたとして追求し、懲役22年を求刑しています。
しかし、これに対して石元太一は真っ向から反論、冤罪だと主張しているのです。
石元太一は、「フラワー」に本来のターゲットだった木村孔次郎が来店していると見立真一に連絡した事は認めていますが、襲撃事件への関与は否定しており、凶器を用意していた事も認識しておらず、実行部隊に招集をかけてもいないし、計画に参加した事実もないと主張しています。
また、石元太一は、事件発生の直前まで見立真一ら襲撃犯らと行動を共にしていた事は認めつつも、「自分は顔が割れているので勘弁してほしい」と見立に頼んだところ、あっさりと「帰っていい」と言われてそのまま現場を離れたとも主張。
石元太一は「六本木クラブ襲撃事件」については関与を完全に否定し冤罪を主張しているのです。
石元太一はこの反論の内容を獄中で手記にまとめ『反証 六本木クラブ襲撃事件「逮捕からの700日」』というタイトルで2014年7月に書籍として出版しています。
六本木クラブ襲撃事件の犯人② 主犯・見立真一(関東連合OBトップ)
「六本木クラブ襲撃事件」の主犯として犯行を計画、実行したとされているのが、関東連合OBグループの事実上のトップである見立真一という男です。
見立真一のプロフィール
生年月日:1979年3月6日
出身地 :静岡県沼津市
身長 :167cmくらい(指名手配書より)
見立真一は16歳だった1990年代の終わりころ、伝説の暴走族「ブラックエンペラー」(かつての関東連合の中核をなした暴走族)を仲間の不良少年らと(勝手に)復活させて「永福町ブラックエンペラー22代目総長」を(勝手に)名乗りました。
当時、チーマーブームによって、暴走族衰退を恐れた関東の暴走族達は、有名無実化していた暴走族の連合体「関東連合」を復活させる動きを見せており、見立真一ら「永福町ブラックエンペラー」は、この流れに乗って関東一円で暴れまわり、その徹底した凶暴性と陰湿な残虐性を持って周辺の敵対する不良グループを徹底的に叩き潰し「関東連合」の悪名を轟かせました。
見立はその残虐性で敵対者に徹底的に拷問とも言えるほどの暴力を振るい、2度と不良として再起できないほどにプライドまでをズタズタにするため「残虐王子」の異名を取り、周辺の不良達にとって恐怖の象徴のような存在となります。
やがて、関東の不良達の勢力図は大きく「関東連合」と「反関東連合」の2つに割れ、大規模な抗争へと発展していく事になります。
見立らの世代が成人して大人になり、暴走族の連合体としての「関東連合」が事実上解散した後も、関東連合のOBらは見立を中心にして結束し続け、「反関東連合」勢力との抗争は20年近くにわたって続きました。
そして、その抗争の果てに引き起こされたのが「六本木クラブ襲撃事件」なのです。
六本木クラブ襲撃事件の犯人③ 関東連合OBや暴力団関係者ら合計19名
六本木クラブ襲撃事件の犯人としては、石元太一、見立真一以外にも関東連合のOBが4人(百井茂、栗原克一、國田正春、小池幹士)加わっています。
そして、それ以外の犯行メンバーは、指定暴力団「山口組」系の弘道会や山健組に籍をを置く不良達で構成されていた事が明らかになります。
暴力団に所属していない見立真一が、日本最大の暴力団である山口組に籍を置く人員を、しかも異なった系列の複数人員をまとめて動員できるという事実に警察当局は注目し警戒感を強めたとされます。
「六本木クラブ襲撃事件」に関連して逮捕状が出されたのは合計で19名で、逃亡を続ける主犯・見立真一を除く18名が逮捕され内15名が「凶器準備集合罪」で起訴、さらにその内の9人が「傷害致死罪」で起訴されています。
六本木クラブ襲撃事件の被害者・藤本亮介について
「六本木クラブ襲撃事件」の被害者は、藤本亮介さんという当時31歳の男性で、東京中野区上高田在住の飲食店経営者でした。
出身は長野県で、埼玉栄高校へと進学しアイスホッケー部にしてインターハイに出場するも大学は中退、その後は、塗装関係の会社の営業職を経て東京・高円寺のキャバクラのボーイとして働いてノウハウを学び、やがて自身でもキャバクラ店を経営するようになります。
「六本木クラブ襲撃事件」発生当時は、都内で20店舗のキャバクラ店を経営する「SIKグループ」のナンバー2として、東京都杉並区でキャバクラ店と渋谷区でガールズ焼肉店「雌牛(MEUSHI)」を経営し成功を収めていました。
事件のあった「フラワー」の常連客で、いつもVIPルームを利用しており、事件当日もいつもの席で友人らと酒席を楽しんでいたようです。
被害者・藤本亮介さんの事件当時の彼女は、YUNAという女性でCHARMという歌手の妹という事ですが、詳細は不明です。
また、藤本亮介さんは在日韓国人との噂がネット上で流れましたが、こちらはガセネタでした。
関東連合との関係やトラブルなどは無かった
「六本木クラブ襲撃事件」が発生した当初、藤本亮介さんはやり手の飲食店経営者として、東京都内に手広く事業を展開していた事もあり、関東連合と何らかのトラブルがあったとの見方で捜査が進められましたが、そうした事実は一切ありませんでした。
また、関東連合OBで「いびつな絆 関東連合の真実」の著者として知られる柴田大輔氏(筆名・工藤明男)も、被害者の藤本亮介さんが完全な人違いによって襲撃され殺害された事を明言しています。
「六本木クラブ襲撃事件」の実行犯のうち、最初に出頭した2名は、この柴田大輔氏に説得された事で出頭を決断し、その後の取り調べで事件の真相が人違い殺人である事をいち早く供述しています。この事は見立真一の怒りを買っており、柴田大輔氏と最初に出頭した2名の犯人は見立の指示により命を狙われる事になります。
六本木クラブ襲撃事件が起きた背景
続いて、「六本木クラブ襲撃事件」の背景についても見ていきます。
背景は「関東連合」と「反関東連合」の抗争
この事件の大元になっているのは、「関東連合」と、それに対抗する「反関東連合」で結束した不良グループとの長年にわたる抗争です。
この抗争時、反関東連合の中核をなしたグループに「新宿ジャックス」を名乗る不良グループがあります。
この「新宿ジャックス」の結成時のメンバーの1人に金村剛弘という有名な不良がいました。新宿ジャックスは結成当時は見立真一ら関東連合の不良達との関係は良く、金村も見立と非常に仲が良く、見立が関東連合の影響力を拡大していくと同時に、金村はそのケツモチ(後ろ盾)的な立ち位置へと収まっていきます。
新宿ジャックスは世代が変わり、当時有名な不良であった木村兄弟の弟・木村孔次郎という男がチームの顔役になると、次第に関東連合との対立を深めるようになり抗争が激化していく事になります。
「西新宿事件」で見立真一と関係の深い金村剛弘が殺害される
その対立関係が泥沼化していた2008年3月初旬頃にある事件が起こります。
その日、金村剛弘は関東連合メンバーらと渋谷区広尾のちゃんこ店で食事をしていましたが、そこで、反関東連合グループの参謀格で、木村孔次郎の後輩にあたる武田修という男が所属する暴力団組織「山口組系秋良連合会」の組員数名と鉢合わせし、いがみ合いが始まりました。
金村剛弘は、ここで関東連合側に立ち、秋良連合会組員の1人(暴走族・打越スペクターのリーダー・西村聡造か)を一撃殴り倒し、秋良連合会組員らを退散させます。
それから数日後の同年3月15日、金村剛弘は西麻布のカラオケラウンジVIPルームで開かれた見立真一のバースデーパーティに参加します。翌16日の早朝4時頃にパーティはお開きになり、金村は1人車で帰路につきます。
金村は同日4時過ぎ、実家の西新宿5丁目の路上に車を停め降りた所で、目出し帽をかぶって金属バットなどで武装した4から5名ほどの集団からの襲撃を受けます。
近隣住人および目撃者の談によれば、金村は「ごめんなさい、許してください!」と土下座をして命乞いをしたとの事ですが、この真偽は不明です。ともあれ、襲撃者らは金村を追いかけ回した挙句暴行を加え、金村は意識不明の重体に陥って搬送先の病院で死亡しました。
この襲撃者らが何者かは判明しておらず、現在も捕まっていません。
見立真一が金村の葬儀で木村兄弟弟・木村孔次郎への報復を指示
出典:https://www.dailymotion.com/
金村剛弘を襲撃した犯人らが何者かは判明していませんが、事件の背景とそれまでの経緯を知る者達は、反関東連合による犯行であると確信していました。
見立真一は、金村剛弘の葬儀の場で涙を見せ「絶対に返しを取ってやりますから」と報復を誓ったとされます。この発言は、関東連合メンバーらに犯人への報復を指示したのと同義でした。
そして、見立は、金村を襲撃を指示したのは、金村が広尾のちゃんこ店で叩きのめした組員の兄貴分である武田修の、さらに上の立場で「反関東連合」の旗頭的立場にあった木村兄弟の弟・木村孔次郎だと目星をつけたのです。
こうして、見立の指示を受けた関東連合のメンバーは木村孔次郎をターゲットとして行動を開始する事になります。
そして2012年9月、石元太一の元に六本木のクラブ「フラワー」に木村孔次郎によく似た男がいるとの連絡が入り、石元を通じて見立真一がそれを知り「六本木クラブ襲撃事件」が引き起こされる事になったのでした。
六本木クラブ襲撃事件で人違いが起きた原因は?
それではなぜ、被害者の藤本亮介さんは木村孔次郎に人違いされてしまったのでしょうか?
これは、藤本亮介さんの風貌が木村孔次郎の特徴によく似ていたという事に尽きるようです。
当時、木村孔次郎は色黒でがっしりした体格の坊主頭で、古傷によって片足を引きずって歩いていました。
人違いで被害にあった藤本亮介さんも色黒の単発で、元はアイスホッケー選手という事で体格ががっしりしていた、さらに運の悪い事にちょうど怪我をして片足を引きずっていました。
クラブ「フラワー」のマネージャーは石元太一から木村孔次郎の身体的な特徴を知らされていましたが、実際に自分の目で見たわけでは無かった、それであまりにも石元から伝えられた特徴と藤本さんが似ていたため、石元太一に連絡してしまった。
石元太一は木村孔次郎の顔を知っていましたが、実際に自分の目で確認する事なく、そのまま見立真一に伝えてしまい、悲惨な人違い殺人事件が起きてしまったのです。
六本木クラブ襲撃事件は木村兄弟によって仕組まれた罠だった?
実は「六本木クラブ襲撃事件」の真相は、木村兄弟が関東連合を潰すために仕組んだ罠だったという説も浮上しています。
人違いで殺害されたと言われている被害者の藤本亮介さんは、実は木村孔次郎と知り合いで、木村は自分と容姿の似ている藤本さんに目をつけ、自分の影武者に仕立てた上で偽の情報を石元太一につかませたというのです。
ある関係者によれば、木村孔次郎は藤本さんに自分と同じように短髪に髪型を変えさせ、「俺の服をやるよ」と言ってプレゼントし、ファッションも似た格好にさせるなどの工作をするなど、周到に準備をしていたとの情報も出ています。
そして、「六本木クラブ襲撃」を起こした結果、関東連合はお粗末すぎる人違い殺人を起こした事で求心力を失ってバラバラに空中分解を起こし、事実上の壊滅状態に追い込まれました。
もし、ここまでの筋書きを木村兄弟が描いていたとすれば恐ろしすぎる事実ですが、あくまでもネット上の噂です。
しかし少なくとも、当時、関東一円の裏社会で権勢を誇っていた「関東連合」が、東京に利権を持つ他の裏社会の勢力から邪魔にされていた事は間違いないと思われます。それを考えれば、何らかの力が働いて見立真一らが罠にはめられたという事は十分に考えられます。
六本木クラブ襲撃事件の判決① 石元太一には懲役15年が確定
「六本木クラブ襲撃事件」で逮捕された18名の判決は既に全て出揃っています。
「凶器準備集合罪」および「傷害致死罪」の容疑で起訴された石元太一は「事件を発生させた張本人」として検察から懲役22年を求刑されます。
石元は一貫して冤罪を主張しますが、第一審判で懲役11年の判決が言い渡されています。石元はこれを不服として控訴しますが、東京高裁は「計画、準備段階で深く関与した(石元太一の)責任を一審判決は過小評価している」として、一審判決を破棄し、さらに重い懲役15年の判決を言い渡しています。
石元はこれも不服として上告しますが、最高裁はこれを棄却し、懲役15年の実刑判決が確定しています。
石元は現在(2020年4月時点)も服役中で、獄中からブログを更新し、冤罪を主張し続けています。このブログはかなりの頻度で更新されており、なぜか刑務所生活をエンジョイしている様子も見て取れます。逞しい人ですね。
六本木クラブ襲撃事件の判決② その他の犯人らの刑も確定
「六本木クラブ襲撃事件」のその他の犯人らの刑も確定しているので紹介します。
不起訴処分の3名と執行猶予付き判決の6名
まず、証拠不十分で不起訴処分になったのが以下の3名です。
本間裕典
増元宏明
小野雄一郎
続いて、「凶器準備集合罪」のみで起訴され「執行猶予4年懲役1年6ヶ月」の判決が下されたのが以下の6名です。
弓田貴広
屋我正英
東江力也
岩渕暁
金城勇志渡辺晟也(犯行時未成年)
この6名には前科がない事、従属的立場だった事などが考慮され執行猶予がつけられました。
「準備集合罪」および「傷害致死罪」で起訴された8名(石元太一を除く)
続いては、「準備集合罪」だけでなく「傷害致死罪」でも起訴された8名の判決です。
小池幹士 懲役8年 (先に出頭した2名のうちの1人)
國田正春 懲役10年 (先に出頭した2名のうちの1人。通称・チャッピー君)
藤原悠平 懲役12年
栗原克一 懲役13年 (暴行の実行犯および逃走車両の手配)
岡崎修一 懲役13年 (暴行の実行犯および逃走車両の手配)
後藤亮二 懲役13年
元原将輝 懲役13年 (割れたガラス瓶で被害者を殴打)
百井茂 懲役15年
このうち、小池幹士と國田正春の2人はいち早く出頭したため刑罰が軽くなっています。ただ、この2人は関東連合関係者の間では裏切り者と目されており、出所後は身の危険があるとの噂も流れています。
六本木クラブ襲撃事件の主犯・見立真一は現在も逃亡中
「六本木クラブ襲撃事件」の主犯とされる、関東連合OBのトップ・見立真一は現在(2020年4月時点)も逃亡を続けています。
国際指名手配を受け、高額な報奨金がつけられていますが、逮捕への足掛かりは未だつかめていないようです。
事件後、見立真一はフィリピンに入国したのが確認されており、現在もフィリピンに潜伏中との見方が有力です。
2016年10月、柴田大輔さんが週刊誌の取材に対して見立真一の現在について以下のように答えています。
まだ見立君と連絡を取っているメンバーはいるようです。現在、フィリピンの離島にいる彼は、マフィアとも反政府軍団とも言われる人たちに匿われていると聞く。一時期、ペルー国籍を取って逃げ切るという話もあったけど、整形し顔も国籍も変えて日本に密入国する可能性もあるでしょう。
この柴田大輔さんのコメントによれば、見立真一さんはマフィアやら反政府軍団やらに匿われているという事ですが、これに関連づけられそうな気になる情報が出ています。
2019年、フィリピンの海賊「アブ・サヤフ」のメンバーの中に、日本人がいるとの噂が出ました。そしてこの日本人が見立真一その人ではないか?との噂になっているのです。
関東連合の元リーダー格で、2012年の六本木クラブ襲撃事件の首謀者として懸賞金もかけられている見立真一は、フィリピンに入ったのを最後に消息を絶ったとされる。まさか現地で海賊になったとは思いたくないが、過去にインドネシアなどを追われた元犯罪者などが密航して海賊の一因になった実例はある。
事実だとすれば衝撃的な話ですが、柴田大輔さんの明かした見立真一がフィリピンの離島にいるという話や、マフィアに匿われているという話とも合致します。
もしそうであれば、見立真一が一向に逮捕されないのも合点がいきます。意外に信ぴょう性の高い話かもしれません。
まとめ
今回は、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」についてまとめてみました。
六本木クラブ襲撃事件は、六本木にあったロアビルの2階で営業していたクラブ「フラワー」に突然目出し帽をかぶり、金属バットなどで武装した複数の男らが侵入し、VIPルームで飲食していた藤本亮介さんを突然襲撃して死亡させた事件です。
犯行グループが関東連合のリーダー・見立真一の指示で襲撃した事や、被害者の藤本亮介さんは完全な人違いで殺害された事などが明らかになり、社会に衝撃を与えました。
その後、事件の原因を作ったとして逮捕された石元太一をはじめ合計で18名が逮捕されましたが、主犯とされる見立真一は現在も捕まっておらず逃亡を続けています。
現在、見立はフィリピンに潜伏し、現地のマフィア組織に所属して活動しているとの噂も出ており、今後の展開にも注目が集まります。