岡田太郎さんは日本を代表する女優の1人である吉永小百合さんの旦那として知られていましたが、2024年に亡くなられています。
今回は岡田太郎さんのプロフィールや経歴、吉永小百合さんとの馴れ初めや結婚生活、子供の有無、病気で死去した現在をまとめました。
この記事の目次
岡田太郎のプロフィール
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そんな吉永小百合さんの旦那・岡田太郎さんは一般人であるため、詳しい情報があまり出回っていません。
分かっていることは、東京都出身で年齢が吉永小百合さんよりも15歳上であること、フジテレビに勤務していたことなどです。
また、一般の会社員であった岡田太郎さんは、ほとんど写真が公開されていません。
吉永小百合さんも、岡田太郎さんに対して気を遣って意図して情報を明かしていなかった可能性が高いようです。
岡田太郎の経歴
吉永小百合さんと結婚したことで注目が集まった岡田太郎さん。
ここでは、知られざる岡田太郎さんの経歴について振り返ってみましょう。
敏腕プロデューサーから社長へと昇進
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岡田太郎さんは1930年7月20日生まれで、旧制都立高校を卒業した後、総理府の付属機関である国立世論調査所総理府に勤務していたといいます。
国立世論調査所総理府が閉鎖となり、その後はラジオ局である文化放送に勤務していました。
1958年に開局間もないフジテレビに転職した岡田太郎さんは、プロデューサーとして活躍し、さらにフジテレビ傘下の共同テレビの社長に就任しています。
共同テレビは、その名の通りで共同通信社をメインとしたニュース配信することを目的したテレビ局です。
岡田太郎さんが、かなりの実力の持ち主だったことがうかがえますね。
その後、会長職に就任し、最終的には相談役を務めています。
岡田太郎の嫁・吉永小百合のプロフィール
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こうして出世を遂げた岡田太郎さんと吉永小百合さんの結婚秘話の前に、吉永小百合さんのプロフィールや、若い頃の活躍について改めて振り返ってみましょう。
吉永小百合のプロフィール
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吉永 小百合(よしなが さゆり)
本名: 岡田 小百合
生年月日: 1945年3月13日
出身地: 東京都渋谷区
身長: 155cm
芸能界に入ったきっかけは家族のため
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吉永小百合さんの父親は、東京大学を卒業後、外務省勤務を経て出版社を起業しました。
都内で裕福な生活を送っていた吉永小百合さんでしたが、小学生の頃に父親の事業が失敗すると、借金取りに追われる生活へと一変。
生活苦に陥った一家を見るに見かねた吉永小百合さんは、新聞配達をすることを決意したそう。
しかし、新聞配達は両親から反対されてしまったそうで、何か役に立てないかと芸能界を目指した吉永小百合さん。
小学校6年生の時にオーディションを受けて、連続ラジオドラマ「赤胴鈴之助」のヒロイン役を見事に射止めて芸能界デビュー。
このラジオドラマは人気を博し、1957年に実写化されてテレビドラマデビューしています。
吉永小百合さんが芸能界で稼いだお金で、家族はだいぶ楽な生活を送れるようになったのだとか。
日活の看板女優へ成長した
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1959年に映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューした吉永小百合さんは、可憐な容貌が人気を集めるようになりました。
高校に入学すると日活撮影所に入社して、看板女優の相応しい活躍をします。1961年には、16本の映画に出演する多忙な生活を送っています。
そんな吉永小百合さんは、当時日活に所属していた松原智恵子さん、和泉雅子さんの3人で「日活三人娘」と呼ばれてきました。
1962年以降は、歌手活動も開始。主演映画「赤い蕾と白い花」において主題歌を担当し、デビューシングル「寒い朝」がレコードの売上20万枚を叩き出したのです。
1963年には、橋幸夫さんとのデュエット楽曲「いつでも夢を」が、30万枚のヒットを飛ばし、NHK紅白歌合戦に初出場。
こうして、名実共に国民的女優としての地位を確立したのです。
岡田太郎と吉永小百合の馴れ初め
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岡田太郎さんが結婚したのは、1973年8月のことでした。吉永小百合さんが開いた結婚報告の記者会見に夫婦揃って登場しています。
2人の意外な出会いや馴れ初めについて、知られざる結婚秘話について見てみましょう。
2人の出会いはロケ地だった
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2人が初めて出会ったのは、吉永小百合さんが19歳の時のこと。15歳年上の岡田太郎さんは、当時34歳ということになります。
当時吉永小百合さんが出演していた「若いヨーロッパ」という番組のロケに、岡田太郎さんがお目付け役として同行したことで初めて顔を合わせました。
吉永小百合さんは、同行した女性スタッフから「あなたが仕事をずっとしていくなら、岡田太郎さんとか良いんじゃないの?」と勧められたそう。
ただし、この段階では2人の仲に一切進展がありませんでした。
ピンチの吉永小百合を励ました
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岡田太郎さんが吉永小百合さんと結婚するきっかけになったのは、吉永小百合さんが交際していた渡哲也さんと破局したことだったそう。
渡哲也さんとの交際中、結婚を考えていた吉永小百合さんですが、両親に相談すると猛反対を受けたそう。
さらに、女優として日活の看板を背負い、何本も映画やドラマに大忙しの状態が続き、いつしかストレスが原因で声が出なくなってしまったのです。
そんな時、傍で支えてくれたのが岡田太郎さんでした。色々な治療方法を勧めてくれたことで、徐々に回復した吉永小百合さんは、愛されていると感じたのだとか。
2人はやがて交際に発展したものの、ばれないように密会を重ねたそうです。
結婚を決めたきっかけについて吉永小百合さんは、親との関係にあると著書内で明かしています。
親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。それが苦しくて。だから結婚することで家を出て、名前を変えることで親から離れようと思いました。
引用:吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」- AsageiPlus https://www.asagei.com/
両親からの愛が重くのしかかり、自立したいという願望が高まっていた時に交際していたのが、岡田太郎さんだったのです。
岡田太郎と吉永小百合の結婚生活エピソード
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吉永小百合さんは、岡田太郎さんとの結婚も両親に反対されていたようですが、思い切った結婚生活をスタートしたことが話題になりました。
吉永小百合は岡田太郎を騙した?
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両親に結婚を反対されたのは、岡田太郎さんがバツイチだったことが大きいようです。吉永小百合さんは自叙伝の中で、親の反対を押しきって家出同然で一緒になったと語っています。
知人や仕事仲間からも心配する人が多かったそうで、作家で友人の中平まみさんも、吉永小百合さんに対して声をかけたところ、意外な反応が返ってきたことを明かしています。
そういえば、私の家に来た小百合は、私が、「あるマスコミ人が『吉永小百合も岡田太郎にダマされちゃって』と言っていた」と言うと表情が突然、キッとなって、
「私がダマしたんです! 私の方がまみさんより、したたかですから」なんて反発。
引用:吉永小百合の「過去・現在・未来」- AsageiPlus https://www.asagei.com/
また、中平まみさんに対して「声が出ない病気をしなければ、結婚しなかったかもしれない」とも語っています。
結婚後は1年以上に渡り芸能界を休業し、岡田太郎さんのために料理を作ったり、洋裁を習うなど、穏やかな結婚生活は順調そのものでした。
女優としての重圧から解放されて、楽しい新婚生活を送ったそう。岡田太郎さんの包み込むような優しさがうかがえますね。
岡田太郎と吉永小百合に子供はいる?
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岡田太郎さんと吉永小百合さんの間に子供は生まれていません。
子供がいない理由に関しては、様々な憶測が飛び交っていますが、有力な理由としては、吉永小百合さんの母親の影響が挙げられています。
子供の頃から芸能活動を始めた吉永小百合さんの母親は、かなりのステージママだったそう。
かなり苦労した吉永小百合さんは、自分が親になった時に子供を苦しめてしまうのではないか、と危惧した可能性が考えられるとの説があります。
ただし、子供を持たなかった理由について岡田太郎さんも吉永小百合さんも明確にしていないことから、この説は噂の領域を出ていません。
また、吉永小百合さんは、子供がいない夫婦だけの生活について以下のように語っていました。
「私たち(夫婦)は子供がいなかったから本当に平穏に暮らせました。いろいろなところに旅もできた。子供のことを気にしないで仕事もできた。もし子供が熱を出したりしたら、仕事を休めるだろうか。どっちを取るんだろうって、すごく大変な選択だと思うんですよね」
夫婦2人で穏やかで幸せな生活を送っていたことがうかがえますね。
岡田太郎の現在① 仕事を引退し吉永小百合との老後を楽しんでいた
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かつて敏腕社長として、フジテレビの系列会社である共同テレビを切り盛りしていた岡田太郎さんは、1999年に会長に就任、2001年から2003年までは相談役を務め仕事をリタイアしました。
料理が趣味になった
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吉永小百合さんが2023年9月にテレビ朝日の長寿番組「徹子の部屋」に出演した際、岡田太郎さんとの暮らしについて語っています。
岡田太郎さんは、会社員生活をリタイア後に趣味の一環で料理を始めたそうです。
吉永小百合さんは、岡田太郎さんが朝ごはんを毎日作ってくれていることなどを明かしていました。
岡田さんが83年~90年まで日本テレビ系で放送された「おとこの台所」を見て手料理に目覚めたと明かし「朝ご飯は毎日作ってもらってます。大体、洋風なんですけど、スクランブルエッグと、そのほかあるものを出す感じ。あと、コーヒーは淹れてくれます。朝の時間が、忙しい時も作ってもらうととてもありがたいです」と感謝していた。
2023年に結婚50年を迎えた際には、2人でレストランでお祝いをしたそうです。
岡田太郎さんは、吉永小百合さんと夫婦で老後の生活を楽しんでいたようですね。
岡田太郎の現在② 病気により94歳で死去
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2024年9月、岡田太郎さんが東京都内の病院で胆のう癌のため亡くなりました。94歳でした。
胆のうがんのため死去
岡田太郎さんは90代になっても健康的な生活を送っていたようで、吉永小百合さんも前述の「徹子の部屋」に出演した際に、岡田太郎さんについて「大変元気で週1回はゴルフに行っております」と明かしていました。
しかし、この吉永小百合さんの「徹子の部屋」への出演からほどなくして、岡田太郎さんは胆のう癌と診断されていたようです。
療養を続けていた岡田太郎さんですが、2024年9月3日に亡くなったことが、9月13日に吉永小百合さんから発表されました。
吉永小百合さんは、地方での仕事を終え病院に駆けつけ、最愛の夫である岡田太郎さんの最期を看取ることができたそうです。
葬儀は岡田太郎さんの遺志により、家族葬で執り行われたとのことです。
「夫 岡田太郎は、昨年12月に胆のうがんと診断され、化学療法の治療を受けていましたが、転移もあり、症状が進んで、他界致しました。病気に対しては、回復をめざして常に前向きでしたが、9月3日、94才で永眠いたしました。大往生だと思います。私は地方での仕事を終え、病院に駆けつけ、傍に寄り添って看取ることが出来ました。生前の皆様のご厚情に深く感謝し、心からの御礼を申し上げます」とした。
まとめ
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岡田太郎さんは、1973年、日本を代表する女優の吉永小百合さんと結婚し、大きな話題を攫いました。
一般人なのでプロフィールの多くは謎に包まれていましたが、フジテレビでのプロデューサーのキャリアを経て、共同テレビの社長や会長を歴任するなど輝かしい経歴で知られていました。
2人の馴れ初めは、渡哲也さんとの破局や多忙な仕事のストレスから、声が出なくなってしまった吉永小百合さんを辛抱強く支えた岡田太郎さんの優しさにあったようです。
岡田太郎さんは吉永小百合さんと50年連れ添い、夫婦で支え合いながら生きてきたようですが、2024年に94歳で胆のう癌のため亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。