中村梅雀の若い頃と現在!身長や家系図と父親・嫁と子供・歌舞伎やめた理由やハーフ説も総まとめ

中村梅雀さんは刑事役の印象が強い役者ですが、歌舞伎をやめた理由が話題です。

 

今回は中村梅雀さんの身長などプロフィールとハーフ説、家系図&家族(父親・母親・兄弟)、若い頃の経歴や出演作品、結婚した嫁や子供、現在をまとめました。

この記事の目次

中村梅雀の身長などプロフィール:歌舞伎役者&役者として活躍

生年月日:1955年12月12日

出身地:東京都
身長:167cm

所属事務所:土屋企画

 

中村梅雀(二代目中村梅雀)さんの本名は「三井進一」です。歌舞伎役者としてだけではなく、役者・ベーシスト・作曲家としても活動していました。

 

中村梅雀さんの身長は167cmで日本人男性の平均よりやや下となっています。

 

役者としての代表作には、テレビ東京系列で放送されていた2時間ドラマ「信濃のコロンボ事件ファイル」シリーズや、TBS系列の2時間ドラマ「赤かぶ検事奮戦記」など。

 

また、アーティストの松原正樹さん・安田裕美さんらと、ジャズフュージョンバンドを結成。マルチな才能を発揮しています。

 

 

中村梅雀はハーフ?噂と真相

出典:https://pixabay.com/

 

中村梅雀さんについて調べてみると、「ハーフ」で調べている方も多いようです。

 

しかし、中村梅雀さんは日本人の両親の間に誕生している可能性が高く、嫁も日本人のよう。特に外国の方との関係はなさそうです。

 

 

中村梅雀の家系図

 

 

中村梅雀さんは歌舞伎役者の家に生まれ、父親・祖父・曾祖父も歌舞伎役者です。

 

そのため、家系図にもそうそうたる面々が名を連ねています。

 

わが家系は名門の「梨園」とは異なる、いわゆる「弟子筋」。私の祖父である三代目中村翫右衛門(かんえもん)は、どんなに頑張っても弟子筋では大きな役をもらえないことに耐えきれず、仲間と歌舞伎の世界を飛び出し、新劇の人たちと一緒に「前進座」という劇団を立ち上げた。父・四代目中村梅之助はそこで生まれ育ち、劇団を盛り上げるべくテレビや映画で活動するようになり、後に劇団の代表を務めました。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

 

中村梅雀の家族① 曾祖父は歌舞伎役者・二代目中村翫右衛門

生年月日:1851年11月7日

出身地:埼玉県

職業:歌舞伎役者

所属事務所:不明

 

中村梅雀さんの曾祖父は、歌舞伎役者の二代目中村翫右衛門さんです。

 

「初代中村梅之助」「中村梅雀」としての活動を経て、1913年に「二代目中村翫右衛門」へと改名しました。

 

埼玉県本庄市で誕生し、兄の中村芝三郎さん・梅三郎とともに歌舞伎劇団「児桜座」で活動。

 

20代の時に同劇団を辞めて上京し、浅草の芝居小屋「柳盛座」の役者となります。

 

その後、人気を博した二代目中村翫右衛門さんは座長も務めていましたが、39歳の時に行商・三井鋳三郎の娘婿に。

 

芝居から活動写真に大衆の目が向くようになったこともあり、歌舞伎役者・五代目中村歌右衛門のもとに弟子入りしました。

 

 

中村梅雀の家族② 祖父は歌舞伎役者の三代目中村翫右衛門

出典:http://hurec.bz/

 

生年月日:1901年2月2日

出身地:不明

職業:歌舞伎役者

所属事務所:不明

中村梅雀さんの祖父は、歌舞伎役者の三代目中村翫右衛門さんです。また、三代目中村翫右衛門さんの兄は歌舞伎役者・三代目中村仲助さんとのこと。

 

三代目中村翫右衛門さんは、1906年に父親・二代目中村翫右衛門さんが座長を務めていた浅草の芝居小屋「柳盛座」で初舞台を踏みました。

 

その後、1911年に前述のとおり、父親とともに歌舞伎役者・五代目中村歌右衛門さんの弟子に。1920年に名題昇進を果たすと、「三代目中村翫右衛門」を襲名しました。

 

プライベートでは1928年に落語家・二代目談洲楼燕枝の娘と結婚。生活は苦しく、出世や稼ぎも望めない状況だったといいます。

 

そういった背景もあってか、仲間とともに俳優機関紙「劇戦」を創刊した三代目中村翫右衛門さんは歌舞伎界を猛烈に批判。

 

師匠から破門を言い渡されると、二代目市川猿之助さんの「春秋座」へと参加します。

 

そして、1931年に「前進座」を結成。同劇団で舞台公演をおこないつつ、映画・ドラマといった映像作品にも多数出演しました。

 

映画においては、1935年公開の「街の入墨者」、1944年公開の「宮本武蔵」、1969年公開の「新選組」、1972年公開の「軍旗はためく下に」などに出演。

 

ドラマでは、テレビ朝日系列の「遠山の金さん捕物帳」シリーズ、1971年にフジテレビ系列の「大忠臣蔵」、1980年にテレビ朝日系列の「若き日の北條早雲」などに出演しました。

 

 

  • 中村梅雀の家族③ 父親は歌舞伎役者の四代目中村梅之助

    生年月日:1930年2月18日

    出身地:東京都

    職業:歌舞伎役者

    所属:劇団前進座

中村梅雀さんの父親は、歌舞伎役者の四代目中村梅之助さんです。

 

子供の頃から子役として映画に出演しており、1941年公開の「元禄忠臣蔵 前篇」をはじめ、1969年公開の「風林火山」「新選組」などに出演。

 

近年においては、1997年公開の「釣りバカ日誌9」、2008年公開の「母べえ」などに出演しました。

 

ドラマでは、1963年にテレビ朝日系列で放送された「仇討選手」をはじめ、1968年にTBS系列で放送された「大奥」などに出演。

 

NHKの大河ドラマにも多数出演しており、1969年放送の「天と地と」、1982年放送の「峠の群像」では、息子である中村梅雀さんとも共演しています。

 

また、朝日放送の「必殺仕事人シリーズ」ではナレーションを担当。

 

以降も1991年にフジテレビ系列で放送された「銭形平次」、1996年に同局で放送された「忠臣蔵」など時代劇を中心に活躍しました。

 

 

  • 中村梅雀の家族④ 母親はピアニストで、海軍少将・山崎景則の孫

    生年月日:不明

    出身地:不明

    職業:不明

    所属:不明

    中村梅雀の母親、光子さんは海軍少将・山崎景則さんの孫なのだそう。

     

山崎景則さんは内閣総理大臣の大隈重信さんとも親交があり、戊辰戦争などで活躍。数多くの潜水艦の艦長を務めたほか、横須賀軍港司令官なども務めました。

 

 

 

  • そんな山崎景則さんの孫として誕生した光子さんは国立音楽大学を卒業。ピアニストとして目立つ活動などはしませんでしたが、自宅でピアノを教えていたそう。
  •  
  • そして、中村梅雀さんの父親である歌舞伎役者・四代目中村梅之助さんと結婚しました。

 

中村梅雀さんは母親の影響を受け、幼い頃からジャズに傾倒。12歳からベースを始め、バンド活動もしていたといいます。

 

ピアニストだった母の影響で幼い頃からピアノに親しみ、クラシックが大好き。それが中学生のときロックに興味を覚え、今も演奏を続けるベースに出会います。変声期でもあり友達付き合いが大切な中学の3年間は、稽古事を休んでいたので、音楽に夢中になったのです。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

中村梅雀の家族⑤ 兄弟はいる?

出典:https://pixabay.com/

 

また、歌舞伎界には兄弟で活躍している人も多く、中村梅雀さんに兄弟がいるのかどうかも注目されているようです。

 

今現在、中村梅雀さんに兄弟はいませんが、実は過去に弟と妹がいたことがあるのだとか。

 

母親は中村梅雀さん妊娠時、妊娠中毒になってしまったそうです。

 

中村梅雀さんは無事出産を乗り越え、生まれることができましたが、妊娠中毒の影響からか、その後に誕生した弟は1日で亡くなり、妹は死産だったとのことです。

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴① 10歳の時に初舞台を踏み、歌舞伎役者に

 

中村梅雀さんは、歌舞伎役者の四代目中村梅之助さんとピアニストだった母親のもとに誕生。

 

歌舞伎役者の子供として、5歳から芝居・日本舞踊・義太夫・長唄・三味線・茶道・書道と多くのことを学んでいました。

 

生まれた時にはもう、当たり前のようにそっち方向に進むことになっている雰囲気でしたね。お前の好きにしていいんだぞ、と言いつつ外堀は埋められ、線路が敷かれていました。我が家の方針で、僕は五歳から役者の基礎訓練をさせられています。中学の三年間は免除されていましたが、高校に入ったら、日本舞踊に長唄、義太夫、三味線、それから茶道も。ひたすら嫌でした。

 

引用:中村梅雀 役者家系に生まれた自分が一流を知った体験

 

そして、1965年に「中村まなぶ」名義で初舞台を経験。父親が代表を務めていた劇団「前進座」で歌舞伎と演劇を学んだといいます。

 

その後、東京都立荻窪高等学校を経て、桐朋学園短期大学演劇専攻を卒業。

 

祖父・三代目翫右衛門さんの指示により、基礎を固めるべく日本舞踊家・吾妻徳穂さんの内弟子に。4年後には師範名取となりました。

 

中村梅雀さんは1980年、「前進座創立50周年記念公演」で「二代目中村梅雀」を襲名。梅雀はかつて、曾祖父である二代目中村翫右衛門さんが名乗っていた名跡なのだそうです。

 

現在の歌舞伎役者の名前は世襲制、先祖代々の芸名を受け継いでいます。その受け継がれる名前を「名跡(みょうせき)」と言い、名前を継ぐことを「襲名(しゅうめい)」と言います。

 

引用:歌舞伎の役者と屋号/ホームメイト

 

中村梅雀の若い頃の経歴② 役者として大河「八代将軍吉宗」でブレイク

中村梅雀さんは歌舞伎役者でありながら、ドラマなどにも積極的に出演しています。

 

今でこそ歌舞伎役者が映画・ドラマで活躍している姿はさほど珍しくはありませんが、当時においては先駆け的な存在だったと言えるでしょう。

 

特に大河ドラマに多数出演しており、1969年に出演した「天と大地と」をはじめ、11もの作品に携わっています。

 

ちなみに同作には、祖父・三代目翫右衛門さん、父・三代目翫右衛門さんも出演。親子3代での共演となったそうです。

 

1995年放送の「八代将軍吉宗」では、徳川家重役を演じてブレイク。2000年放送の「葵 徳川三代」、2017年放送の「おんな城主 直虎」ではナレーションも務めました。

 

私が世の中に知られるようになったのは、1995年に放映されたNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』の徳川家重役からです。言語障害を持つインパクトの強い役だったのと、中村梅之助の息子だということで注目していただき、以後、ドラマ、映画、舞台と活動の場を広げてきました。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

同じNHKでは、朝の連続テレビ小説においても1980年の「なっちゃんの写真館」、2003年の「てるてる家族」、2009年の「つばさ」と3作品に出演しています。

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴③ 刑事モノをはじめとする2時間ドラマで活躍

中村梅雀さんは、民放各局のドラマでも活躍しています。

 

1993年放送のフジテレビの「鬼平犯科帳」第4シリーズ18話、1994年に放送された同局の「銭形平次」第4シリーズ 第16話などの時代劇に出演。

 

2時間ドラマではいくつもの人気シリーズで主演を務めており、テレビ朝日系列の「土曜ワイド劇場」枠では「弁護士・森江春策の事件シリーズ」「監察官・羽生宗一シリーズ」で主演。

 

TBS系列の「月曜名作劇場」枠では、「月形兄妹の事件簿シリーズ」「萬屋長兵衛の隅田川事件ファイルシリーズ」「赤かぶ検事奮戦記シリーズ」「釣り刑事シリーズ」で主演を務めました。

 

特に、テレビ東京系列の「水曜ミステリー9」枠で放送されていた「信濃のコロンボ事件ファイルシリーズ」が好評で、代表作に挙げられることが多い作品です。

 

“信濃のコロンボ」”こと長野県警捜査一課警部・竹村岩男(中村梅雀)が難事件を解決する。ビルの管理人をしている男の叔父が遺体で見つかる。警察は、金銭トラブルで殺人事件が引き起こされたと考え、竹村は事件当日から行方不明となっている管理人とその妻を追う。しかし、二人とも遺体となって発見される。

 

引用:第1話 信濃のコロンボ事件ファイル「死者の木霊」

 

中村梅雀の若い頃の経歴④ 連続ドラマでも多くの作品に出演

また、近年ではBSフジで放送された主演ドラマ「BARレモン・ハートシリーズ」も人気を博しており、シリーズ終了後も定期的にスペシャルドラマが放送されています。

 

 

 

漫画家・古谷三敏氏(78)によるシリーズ累計840万部突破の人気漫画「BARレモン・ハート」を、歌舞伎俳優の中村梅雀(59)主演で初めて実写ドラマ化する。7日に都内スタジオで行われた制作会見で発表された。原作は、誕生から約30年たった現在も「漫画アクション」にて連載中の長寿漫画。“レモン・ハート”の店のマスターと客が織りなすさりげない日常の一コマに、酒のうんちくが絡む小粋な物語が展開する。

 

引用:中村梅雀主演で人気酒コミック「BARレモン・ハート」初の連ドラ化

 

2018年放送の日本テレビ系列ドラマ「もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜」といったコメディ、同年のTBS系列ドラマ「下町ロケット」といった感動ものにも出演しました。

 

しかしやはり、2時間ドラマの影響からか”刑事モノ”のイメージが強い中村梅雀さん。

 

以降も、テレビ朝日系列の「特捜9シリーズ」、テレビ東京系列の「機捜235シリーズ」などに出演しています。

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴⑤ 映画では「釣りバカ日誌シリーズ」に出演

 

 

中村梅雀さんは映画においても出演作が多く、1972年公開の「海軍特別年少兵」をはじめとする多数の作品に出演。

 

特に「釣りバカ日誌シリーズ」で演じた秘書室長・草森役は当たり役だったといえるでしょう。

 

1990年代は2時間ドラマに注力していたのか、同シリーズ以外の出演作がほとんどありませんが、2000年代に入ると出演作が増加。

 

2000年公開の「ホーム・スイートホーム」を皮切りに、2002年の「たそがれ清兵衛」、2003年の「青の炎」、2006年の「うさぎドロップ」などの人気作に出演しています。

 

また、2020年公開の「山中静夫氏の尊厳死」では、主演も務めました。

 

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴⑥ 舞台で賞を受賞・フリーへ

出典:http://www.baijaku.com/

 

舞台においては、1991年に劇団「前進座」の特別公演「煙が目にしみる」で「第46回文化庁芸術祭賞」を受賞

 

2000年に主演を務めた「大石内蔵助 おれの足音」もヒットし、同年から2006年にかけて全国で公演を行いました。

 

しかし、2007年に公演された「お登勢」を以て同劇団を退団。以降、フリーとして活動されているそうです。

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴⑦ 前進座をやめた理由は?生活苦から借金も

中村梅雀さんは父親の劇団を退団していますが、気になるのがその理由です。

 

報道によれば、先輩座員との確執と待遇面での不満が原因だったと言われています。

 

座長を務める父親は後輩に厳しく、中村梅雀さんはその後輩たちから絶えず攻撃されていたのだとか。在籍していた26年もの間、ずっと目の仇として接してきた先輩もいたといいます。

 

また同劇団は年功序列で番手が変わらず、さらに外部出演で得た収入は9割以上劇団に納める必要があったそう。さらに昇給もほとんどありませんでした。

 

そのため、中村梅雀さんは数多くの映像作品で主演を務めてきたにもかかわらず、給与は大卒初任給を下回る額だったというのだから驚きです。

 

さらに追い打ちをかけるように、インタビュー時の衣装や舞台メイクにかかる費用は経費として認められず、中村梅雀さんはそれを補うために多額の借金を抱えていたといいます。

 

そんな状況を良く知る父親の四代目梅之助さんは、やめる際に「本来なら止める立場だけれど、できない。お前の苦しさがよくわかるから」と言ってくれたそうです。

 

父はテレビドラマ界で孤軍奮闘、必死に成果を上げても劇団にギャラを吸い取られていました。そんななか息子には「僕はお父さんを尊敬してない。おじいちゃんみたいな役者になりたいんだ!」と刃向かわれ、その苛立ちやストレスは大変だったと思います。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

父がドラマや映画で稼いだ“外貨”は劇団員に分配していました。その慣例を変えることはならずと、私が外で稼いだお金も9割以上劇団に吸い取られていたのです。昇給もわずかなため、劇団を辞める2007年の時点でも給料は一般企業の大卒初任給以下。そのうえインタビューなどを受けるときの衣装代も、舞台用の化粧品も自前。劇団が認めない音楽活動でもかなり出費があるため、借金まみれでした。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

 

中村梅雀の若い頃の経歴⑧ 一過性の虚血で言語障害と意識障害になるも回復

中村梅雀さんはフリーとなり、役者として新たにスタート。しかし2012年、舞台公演中に一過性の虚血によって、言語障害と意識障害に陥ってしまいます。

 

徐々にセリフが怪しくなり、2幕目はほとんどセリフが出なくなった。相手の台詞は全て鮮明に聞こえていて、自分が次にどういう事を言うのかも分かっていながら、全く言葉が出て来ない。共演の中村福助らに助けられ、何とか舞台には最後まで立ったが、終演後に台本を見ると、読んだことのないような台本に思え、メールを送ろうとしても漢字の変換ボタンが分からない…など、明らかに体調に異変をきたしていたという。

 

引用:中村梅雀、言語・意識障害振り返る

 

将来的に脳梗塞の危険があると忠告されましたが、幸いにも大事には至らず、点滴治療を受けた程度で済んだそう。

 

以降も食事療法・飲酒制限を続けているものの、定期健診での血液検査の結果も良好だといいます。

 

CTやMRIなどの検査の結果、異状なしと診断されました。医師の見立てでは、「激高してしばらく黙る」という演技を繰り返していたことで、血圧が急激に上下したのが原因だろうと。血圧が下がったときに、脱水でドロドロになった血液が脳に行かず、部分的に機能を失ったのです。幸い、時間とともに元に戻りましたが、以来、食事に気をつけるようになりました。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

 

中村梅雀の結婚:実はバツイチ・再婚した嫁は25歳年下の元付き人

 

中村梅雀さんは2006年に、同じ劇団「前進座」に所属していた25歳年下の役者・瀬川寿子さんと結婚。

 

中村梅雀さんはこれが2度目の結婚ですが、1度目の結婚&離婚についてはあまり報じられておらず、詳細を知ることはできませんでした。

 

ただ、30代の時に前の嫁が長女を出産しているといいます。

 

中村梅雀さんと現在の嫁・寿子さんの馴れ初めは、当時新人だった寿子さんがテレビ出演の続く中村梅雀さんの世話係となったことなのだとか。

 

喉が渇いたと思うとさっとお茶が出てきて、かゆい所に手が届く子だと感心しました。どこへ行くにも行動を共にするようになり……。といっても、当初は女性として意識していませんでした。なにしろ彼女は25歳も年下。私も40歳でバツイチになった後、幾人かの女性と交際したものの再婚の縁には恵まれず、恋愛も結婚も面倒だと思っていました。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

当時は自身がバツイチであることや、年齢差が大きいことから異性として意識していなかったという中村梅雀さん。

 

しかし、寿子さんが世話係を離れたことで寂しさを感じるようになったそう。

 

食事に誘い、3度目のデートで自宅に招いたことを機にその日から同棲が始まったといいます。

 

そして、結婚を意識し始めた頃に劇団を退団し、フリーになったのだとか。

 

同棲3ヵ月頃に、父が「向こうのご両親に挨拶しないのか?」と言ってきて、「そうか、結婚か」と気がついた感じです。良い機会だと思い、劇団を辞める意思を父に話したところ、「本来なら止める立場だけれど、できない。お前の苦しさがよくわかるから」と理解を示したのです。さらに、再婚にも賛成してくれました。

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

ちなみに当時16歳だったという前の嫁との間に生まれた娘も、再婚時に「寿子ちゃんならいいんじゃない」と賛成してくれたといいます。

 

 

中村梅雀の子供:娘が2人で前の嫁と今の嫁の間に1人ずつ

 

中村梅雀さんには2人の子供がいます。1人目は、前の嫁との間に誕生している前述の娘さんです。

 

その後、2015年に現在の嫁が女児を出産。中村梅雀さんにとって次女が誕生しました。

 

中村は「一時は『もういっか』って諦めてたんだけど、ハメを外したら昨年の暮れにLINEで『できてた』と妻から連絡がきた」と恥かしそうに報告。中村は妊娠した要因を「旅先で熊を食べて、馬刺し食べて」と精のつく食事だったと自己分析し、「4本足の生き物ばかり食べて、娘が羊年でまた4本足で…」と笑顔で語っていた。

 

引用:中村梅雀、25歳年下妻・瀬川寿子の妊娠を発表「パパが頑張って稼がなきゃ」

 

中村梅雀さんは当時59歳。体力的には厳しいものの、育児が筋トレになっていると語っています。

 

59歳のときに、寿子との間に娘を授かりました。ひたすらに可愛くて、デレデレです。5歳になった今も「だっこ」と甘えてくるし、こっちがどんなに疲れていようがバーッと走り出すので、体力的には厳しいのですが、筋トレになっています

 

引用:中村梅雀「今は25歳年下の妻と愛娘と過ごす毎日。役者一家に生まれた葛藤から解放されるまで」

 

 

中村梅雀の現在:今も役者として現役・ドラマや映画に多数出演中

 

 

中村梅雀さんは現在も、役者として第一線で活躍中です。

 

ドラマにおいては、2021年にフジテレビ系列で放送された「イチケイのカラス」などに出演。2023年にテレビ朝日系列で放送される「家政夫のミタゾノ」第6シーズンにも出演します。

 

映画では、2021年公開の「孤狼の血 LEVEL2」、2022年に時代劇専門チャンネルで放送された「殺すな」などに出演。

 

Webドラマにも出演しており、2022年にAmazon Prime Videoで配信された「仮面ライダーBLACK SUN」、同年にDisney+で配信された「ガンニバル」などに出演しました。

 

また、2023年にはアイドルグループ「Hey! Say! JUMP」の中島裕翔さんの主演舞台「ひげよ、さらば」に出演。

 

くずれ猫役を演じた中村梅雀さんは当時67歳ながら、舞台上で俊敏な動きを見せていました。

 

同舞台の初日前会見で中村梅雀さんは「ものすごい運動量の作品」とコメントしていましたが、その若々しい動きに中島裕翔さんからは感心する声が挙がっていました。

 

中村が「ものすごい運動量の作品で、アスリートっぽく頑張れる人たちですごいなと。僕は彼らの2倍生きてきたので、きつくなってきたのですが」と不安を吐露すると、中島は「きつくなってきてあの俊敏さですか?」と驚きを隠せない様子。中村は「お客さまのパワーに助けられてどこまで行けるのかな。けがなく千秋楽を迎えられたらいいなと思っております」と願いを込めた。

 

 

まとめ

中村梅雀さんは歌舞伎役者の家に生まれ、歌舞伎役者に。

 

また、役者としてもテレビ・映画に多数出演し、主演を務めた「信濃のコロンボ事件ファイルシリーズ」などの刑事ものを中心に活躍しました。

 

しかし、そんな活躍とは裏腹に、「外部出演で得たギャラは9割劇団へ入れる」というルールに苦しめられ、座長の息子というだけで先輩役者から目の仇にされていたといいます。

 

そんな中村梅雀さんは、付き人で後輩役者だった25歳年下の瀬川寿子さんと再婚したことを機に劇団を退団。フリーの役者となりました。

 

プライベートでは、前の嫁との間にできた長女のほか、瀬川寿子さんとの間にも次女が誕生している中村梅雀さん。

 

2人の子供の父親として、そして役者として奮闘していましたが、2012年には一過性の溢血によって意識障害・言語障害になり、一時は体調が心配されました。

 

その後は回復されていますが、今後も健康に気を付けて、より多くの作品に出演してほしいですね。

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