山城新伍さん・花園ひろみさんの娘で役者やタレント活動をしていた南夕花さんですが、父親との関係や現在の様子も話題です。
今回は南夕花さんのプロフィールや経歴、家族(父親・母親)、結婚歴や現在の活動状況などもまとめました。
この記事の目次
南夕花のプロフィール:役者で、過去には昼ドラで主演も務めていた
生年月日:1967年3月2日
出身地:東京都
所属事務所:不明
南夕花さんは両親ともに役者で、父親が山城新伍さん・母親が花園ひろみさんです。
南夕花さん自身も役者やタレントとして活動していました。また、過去には「渡辺夕子」「南夕子」名義でも活動。
1986年にTBS系列で放送されたの昼ドラ「夢恋し」では主演も務めましたが、現在は目立った活動はされていないようです。
南夕花の家族① 父親は役者でタレントとしても活躍した山城新伍
南夕花さんの父親は、役者でタレントとしても活躍していた山城新伍さんです。
山城新伍のプロフィール
生年月日:1938年11月10日
出身地:役者・司会者・タレント
所属事務所:オフィス・タッチ
山城新伍さんは役者で、1957年に「東映ニューフェイス」の第4期生となりました。
それから2年後の、1959年にテレビ朝日系列でスタートした時代劇「風小僧」の第1部でデビュー。続く第2部では主演を務めています。
そして、1960年に同系列で放送された時代劇「白馬童子」で主演を務め、一躍ブレイク。
当時、「ドラマは映画に出られない役者が出るもの」といった風潮を覆すかのように、子供を中心に絶大な人気を誇りました。
その後、時代の流れとともに”勧善懲悪”を売りにした時代劇が下火となると、ジャンル・役柄を問わず様々な作品に出演。
任侠映画やギャング映画といったそれまでと違った路線で再び注目を集め、それまでの”二枚目”というイメージから脱却し、”個性派”としてポジションを確立していきます。
さらに、1975年に出演したテレビ東京系列の「独占!男の時間」を機に、バラエティ番組にも進出。司会業などにも挑戦し、タレントとしてもブレイクしました。
プライベートでは、1966年に役者の花園ひろみさんと結婚。その後、南夕花さんが誕生しますが、1985年に離婚します。
1991年に再婚するも、1999年に再び離婚してしまいました。
2001年から一人暮らしをしていましたが、2005年に糖尿病で入院となり、事実上の引退状態となってしまいます。
そして、2009年に死去。死因は誤嚥性肺炎で、享年70歳でした。
テレビのバラエティー番組司会者や映画「仁義なき戦い」シリーズなどで活躍した俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日午後3時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都町田市の特別養護老人ホームで死去したことが、14日分かった。70歳。京都市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
南夕花の家族② 母親は役者の花園ひろみ
花園ひろみのプロフィール
生年月日:1940年9月1日
出身地:東京都
所属事務所:不明
花園ひろみさんは山城新伍さんと同じく、1957年に「東映ニューフェイス」第4期生となりました。
そして、翌年の1958年公開の映画「花笠道中」でデビュー。1年で12本の映画に出演するなど早々に活躍を見せ、1962年に引退するまでに60本以上の作品に出演しました。
その後、1966年に山城新伍さんと結婚。1967年に南夕花さんを出産していますが、同年頃より役者として復帰。
1968年にフジテレビ系列で放送された時代劇「銭形平次」の第94話・第129話をはじめ、テレビ朝日系列の時代劇を中心に出演していました。
1985年の離婚以降はほとんど活動しておらず、1992年にテレビ朝日系列で放送された2時間ドラマ「熱海芸者連続殺人事件!」などに出演した程度となっています。
南夕花の経歴:昼ドラで主演を務めたこともあるが出演作品は少ない
南夕花さんは高校を卒業後、東京女子大学の文理学部に進学。
1986年、大学2年生のときにTBS系列で放送されていた昼ドラ「夢恋し」で「南夕子」として主演を務めました。
日本橋にある紙問屋の娘・彦乃(南夕子)は、画家の夢二(篠田三郎)と深い仲となったために軟禁中の身だ。ある日のこと、その店先で夢二の前妻であるたまき(中尾ミエ)が張り込みを始めた。
引用:夢恋し
その後の出演作については詳細が不明ですが、1990年代には父親である山城新伍さんが司会を務めるTBS系列のバラエティ番組「新伍のワガママ大百科」に「渡辺夕子」の名義で出演。
『新伍のワガママ大百科』(しんごのわがままだいひゃっか)は、1992年10月3日から1993年6月26日まで、TBS系列で毎週土曜18:00 – 18:30(JST)[1]に放送されたMBS製作の雑学クイズ番組である。初期は沢井プロダクション制作、末期はMBS自社制作で放送された。
引用:新伍のワガママ大百科
また、1998年に同系列で放送された、山城新伍さん主演の2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル 監察医薮野善次郎6 死体は知っている」でも再び共演。
ちなみにその際は「南夕花」名義だったようです。
監察医の薮野(山城新伍)は、ひいきにする踊り子のマリー(小松みゆき)が、以前勤務していた病院長夫人の直子(赤座美代子)の娘・由紀だと知る。直子は、自分と大学教授の赤沢(西田健)との再婚を認めず家出した由紀に、家に戻るよう赤沢に説得を頼んでいた。そんな中、直子が水死体で発見される。
引用:監察医薮野善次郎6 死体は知っている 死体が歩いた?犯行時間のトリックに挑む!次々と謎の死をとげる 母・美人弁護士…1人の男を争う母娘の骨肉の闘いと意外な結末
しかし、その翌年に両親が離婚したことを機に、ますますメディアからは遠ざかっていきます。
南夕花の親友と父親の山城新伍が不倫していた?
南夕花さんは、両親が2度目の離婚をして以降、父親の山城新伍さんと絶縁状態でした。
〈急に山城さんと呼ぶのも変ですし、ほかに言いようがないので『父』と言っていますが、ほんとうは父と呼びたくない〉〈いつか結婚することになっても、あの人とはバージンロードを歩くつもりはありません。今、父にはっきり伝えたいのは『さよなら』という言葉です〉
山城新伍さんが南夕花さんの親友と男女の仲になってしまったことが、絶縁の大きな要因となっている…との噂もありますが、真意の程は不明です。
しかし、絶縁の言葉からは南夕花さんの並々ならぬ怒りを感じます。
南夕花だけじゃない・父親の女癖の悪さが有名な芸能人① いしだ壱成
南夕花さんと父親・山城新伍さんが絶縁状態になったのは、山城新伍さんの女癖の悪さが原因だとされています。
しかし芸能界には、南夕花さん以外にも父親の女癖の悪さが広く知られている方たちがいます。
まずは、いしだ壱成さんです。父親は、役者・タレントの石田純一さん。
石田純一さんと言えば「不倫は文化」という迷言で知られており、その言葉どおり数々の浮名を流した人物でもあります。
いしだ壱成さんの母親と石田純一さんは学生の時に結婚。いしだ壱成さんが誕生しますが、その後離婚しています。
石田純一さんはその後、役者の松原千明さんと再婚。役者のすみれさんが誕生するも、モデルの長谷川理恵さんとの8年にもおよぶ不倫が明らかに。
世間から大バッシングを受けながらも関係は続き、2度目の不倫報道ののちに数多くの仕事を失ったといいます。
そして、1999年に松原千明さんと離婚。2009年にはプロゴルファーの東尾理子さんと再婚しています。
南夕花だけじゃない・父親の女癖の悪さが有名な芸能人② 安藤サクラ
安藤サクラさんの父親は役者の奥田瑛二さんで、母親はタレントの安藤和津さんです。
奥田瑛二さんは女好きで、女性関係が派手だったことでも知られています。
津川雅彦さんや明石家さんまさんらと合コンをしていた話は有名で、女性幹事には「キレイな子を」とかなり強い圧をかけていたのだとか。
1999年には絵画モデルを務めていた10代にセクハラをしていた疑惑が報じられ、さらには酒席で下半身を露出するなど、酒癖も悪かったといいます。
さらに、安藤サクラさんが小学生の時には奥田瑛二さんから、「車から降りてあの女性の顔を確認してこい」とまで言われたことがあるのだそう。
そんな環境からか、安藤サクラさんは「男性の女癖の悪さは一般的なものだと思って育ってしまった」と、出演したテレビ番組で語っていました。
南夕花は結婚している?独身の可能性が高い
ほとんど表舞台に出てこない状態のため、実際のところはわかりませんが、これまでに関連報道がないことからも、独身である可能性が高いのではないでしょうか。
南夕花の現在:事実上の引退状態にありメディアにも出演せず
南夕花さんは現在、テレビ・映画・舞台などには出演されていないようで、芸能活動を継続されているかどうか不明です。
また、2009年に父親である山城新伍さんが亡くなっていますが、当時はすでに絶縁状態にあり、通夜や葬式にも参列していないといいます。
嚥下(えんげ)障害による肺炎のため12日に70歳で亡くなった俳優山城新伍さんの本葬が18日、京都市左京区の妙満寺でしめやかに営まれた。山城さんと2度の結婚を経て、95年に破局した女優の花園ひろみ(68)と一人娘の女優南夕花(42)は姿を見せなかった。喪主を務めた弟の渡辺鎮雄さん(69)をはじめ遺族からは「参列は無理とは思っていたが悲しいことだ」と“恨み節”も飛び出した
2人は、山城新伍さんが老人ホームに入居する際も一切の連絡を拒否。
鎮雄さんによれば、昨年6月頃、山城さんを老人ホームに入所させる際に花園にも報告したが、「死のうがどうしようが金輪際、連絡しないでほしい」と言われたという。それでも、ホームでの山城さんが「娘に会いたい」と繰り返し口にしていたこともあり、死後、連絡を取ろうとしたが、音信不通が続いた。母さよさん(96)も「なにより孫が一度も見舞わなかったことが残念」と落胆しているという。
マスコミの前で絶縁も宣言し、父親の戸籍から籍を抜いたことを明らかにしています。
山城さんは07年7月ごろより、都内を徘徊する様子を「週刊女性」に報じられており、昨年春に東京・町田市内の老人ホームに入所していた。その際、町田市役所が花園と女優である娘の南夕花に連絡したが、役所から連絡がきたことに対し、山城さんサイドの家族に抗議したという。南は、当時山城に対し、マスコミの前で「父と呼びたくない」とまで言い放ち、父親の戸籍から自分の籍を抜いたことまで明らかにしている。
山城新伍さんが亡くなって15年ほど経つ今現在も、その姿勢に変わりはないのでしょうか。
まとめ
南夕花さんは役者で、過去には昼ドラで主演を務めたこともある人物です。
両親はともに役者で、父親が山城新伍さん・母親が花園ひろみさんであることでも知られています。
両親が2度目の離婚をしたことを機に山城新伍さんと絶縁状態となり、戸籍から籍を抜いたという南夕花さんですが、その理由は山城新伍さんの女癖の悪さにあるとの噂。
現在は事実上の引退状態にあり、ほとんどメディアに出演していないため、実際のところはわかりませんが、山城新伍さんの通夜・告別式にも参列しなかったとのこと。
その後、心境に変化はあったのでしょうか。気になるところですね。