北京五輪の柔道で金メダルを獲得した石井慧さんですが、総合格闘家に転向しクロアチア人として活躍している現在が話題です。
今回は石井慧さんの経歴、金メダルなど大会での記録、結婚歴・離婚歴と嫁や子供、現在をまとめました。
この記事の目次
石井慧のプロフィール
生年月日: 1986年12月19日
出身地: 大阪府茨木市
身長:181cm
体重:110kg
石井慧(さとし)さんは、総合格闘家・柔道家です。
2008年に行われた北京オリンピックでは、柔道男子100kg超級で金メダルを取得しています。
現在は総合格闘家としての活動をメインとしており、クロアチアにある元格闘家のミルコ・クロコップ選手の「チーム・クロップ」の所属となっています。
家族そろってスポーツ万能
小学校時代に石井慧さんに柔道を教えていた父の義彦さんは、日本体育大学柔道部出身の体育教師で、柔道6段だそうです。
母親もまた、父親と同じく日本体育大学の同級生で体育教師なのだそうです。さらには、ハンドボール世界選抜に選ばれたという過去を持ちます。
妹は水球のゴールキーパーをしており、全国優勝も経験するなど、家族そろってスポーツ万能であったようです。
父親には、中学・高校時代と毎日朝練分と併せて弁当を2個作ってもらっていたそうで、現在も人間として尊敬しているのは父親だと明かしています。
小川直也を尊敬している
石井慧さんは、柔道家として小川直也さんを尊敬しているのだそうです。
高校時代には小川直也さんからのアドバイスをもらいに、小川直也さんが出入りしていた明治大学の道場を訪れていたといいます。
石井慧の経歴まとめ 【学生時代~金メダル獲得~その後】
小学5年生で柔道を始める
石井慧さんは、小学校5年生の時に父親の指導によって柔道を始めます。
その後、本格的に柔道に取り組むため、私立男子校の清風中学に入学しました。
同校は多くのスポーツ選手も出身校としており、同、じ総合格闘技・柔道家としては秋山成勲さんが卒業しています。
また、清風中学はスポーツ推薦を設けておらず、1日平均8時間以上の猛勉強の末、一般入試で入学したそうです。
石井慧さんは中学時代はそこまで強くなかったようで、指導員だった魚澄豊治さんは「中学入学時の実力は、同期の部員の中でも下から数えたほうが早かった」と語っていたそうです。
高校1年生の時には、より強い環境を求めて国士館高校へ編入しています。
国士館高校は男女共学の私立で、こちらも多くのスポーツ選手の出身校となっています。また、柔道においては全国タイトルの常連校で、全国で最多の33回の優勝に輝いています。
ちなみに、大学はそのまま国士館大学体育学部武道学科に進学します。
柔道家として金メダリストとなる
高校生時代からその才能を開花させた石井慧さんは、2004年に講道館杯全日本柔道体重別選手権大会100kg級での優勝をきっかけに、次々と名だたる大会で優勝を重ねます。
同大会の優勝も史上3人目の高校生の優勝として話題となり、翌年も連覇しています。
また、2006年の全日本柔道選手権大会でも史上最年少で優勝。2007秋年からは100kg超級に転向し、引退まで無敗となっています。
100kg超級においては筋肉量・スタミナがトップクラスであり、かつ試合の駆け引きのうまさにも定評がありました。得意技は大内刈や寝技で、そのキレは高く評価されています。
柔道界においては「練習の虫」として知られており、練習のしすぎによるケガを恐れたコーチが止めても、泣いて継続を懇願するといったこともあったと言われています。
本人はひたすらに練習をする理由について、以下のように語っています。
僕は才能がない。それでも勝ちたいんです。
だから練習量だけは負けたくありません。
柔道のスタイルとしては1本勝ちにこだわっておらず、1本勝ちであることを賞賛する傾向にある日本の柔道界においては時に批判を受けることもありました。
実際に、全日本選手権で優勝した際には会場からブーイングが発生。
しかし、当の石井慧本人は「柔道は芸術ではない、美しさを求めるならば体操でもやればいい」と言い放ったといいます。
その後、2008年に出場した北京オリンピックで金メダルを獲得しています。
総合格闘家に転向
北京オリンピック金メダル獲得後の会見で、以下のように述べた石井慧さん。
世界で一番強い男というのは、フィジカル、メンタル両方強くなくてはいけません。
ヒクソン・グレイシーだとかエメリヤーエンコ・ヒョードルだとか強い選手はまだいます。
自分は全然まだまだです。
この発言に続き、「オリンピックは踏み台」と述べ、さらには次に戦いたい相手として総合格闘家のミルコ・クロコップ選手ら柔道家以外の名前を挙げています。
そのため、総合格闘家への転向を隠すどころが、公に予告するような形の会見となりました。
実際、2008年10月にはプロ総合格闘技へ転向し、11月に記者会見を開いています。
石井慧の柔道家としての引退・復帰
出典:https://www.sponichi.co.jp/
石井慧さんは、2008年に総合格闘技へ転向しましたが、2011年に柔道界にも復帰しています。
復帰の場となったのはアメリカフロリダ州のオーランドで行われた「全米体重別選手権」のオープン参加クラス。結果は、全試合1本勝ちによる優勝となりました。
また、2回戦勝利の際は以下のようなコメントも発しています。
組んだらいけそうだった。自転車と同じで乗り方は忘れてませんでした。
好調だと思われた石井慧さんの柔道界復帰でしたが、2013年に入ると状況は一変します。
それは、柔道において課せられた「帯から下に触れることが全面的に禁止」となった新ルールが原因によるものでした。
石井慧さんはこの新ルールに適応することができず、「全米選手権」に出場した際、反則負けとなってしまい、2007年ぶりに柔道で敗戦してしまいました。
- この敗戦について、石井慧さんは以下のように怒りをあらわにしました。
マジでむかつくし、訳が分からない。おかしいよ。
しかし、最後には次のようにも語っています。
自分が弱かっただけ。
あのルールでは勝てない。
全く違うスポーツになってしまった
- 石井慧さんのこれまでの柔道人生で染みついた戦い方が、この新ルールに追いつかず、2014年には同大会で、またも準々決勝で同じ反則負けとなってしまっています。
石井慧の記録まとめ
柔道で金メダリストに輝き、総合格闘技でも結果を残している石井慧さん。そんな石井慧さんの記録について、調べてみました。
オリンピック出場歴
石井慧さんは、柔道でのオリンピック金メダリストとなっています。
2008年の北京オリンピック柔道競技において、100kg超級で金メダルを獲得。最重量級の最年少王者となっています。
優勝直後のインタビューでは以下のように答え、「新語・流行語大賞」の候補にもノミネートされています。
オリンピックのプレッシャーなんて(監督の)斉藤(仁)先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません。
また、試合の翌日には2001年から2011年まで放送していた情報番組「ズームイン!!SUPER」に出演。
インタビューにおいて金メダルについて、「小川道場に寄付する」「モハメド・アリのように川に捨ててもいい」と答え、これもまた話題となりました。
その後、実際に小川道場に金メダルを「奉納」しており、その際には以下の様に語っりました。
金メダルは魔物。持っていると勘違いしたり、五輪気分が抜けない。
昨日の自分に勝ち続けたいので(金メダルを渡した)
柔道家としての記録
石井慧さんは柔道家として、以下の大会で優勝をしています。
■2004年
全国高等学校総合体育大会(100kg級)
全日本ジュニア体重別選手権大会(100kg級)
アジアジュニア柔道選手権(100kg級)
世界ジュニア柔道選手権大会(100kg級)
講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(100kg級)※史上3人目の高校生王者
韓国国際柔道大会(100kg級)
■2005年
講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(100kg級)
韓国国際柔道大会(100kg級)
■2006年
オーストリア国際柔道大会(100kg級)
全日本柔道選手権大会 ※史上最年少
全日本学生柔道大会(国士舘大学)
また、同年にワールドカップ柔道国別団体選手権に出場しています。
■2007年
嘉納治五郎杯東京国際柔道大会(100kg超級)
■2008年
オーストリア国際柔道大会(100kg超級)
カザフスタン国際柔道(100kg超級)
全日本柔道選手権大会
総合格闘家としての記録
石井慧さんは総合格闘家として、以下のタイトルを獲得しています。
■2013年
- 第3代IGF王座
■2018年
- SBCヘビー級王座
- ■2019年
- 第5代HEAT総合ルールヘビー級王座
これまでにプロとして32試合を行っており、総合的には22勝9敗となっています。
総合格闘技に転向後まもない、2011年大晦日に日本で行われた「元気ですか!!大晦日!!2011」では、エメリヤーエンコ・ヒョードル選手と対戦。結果はKO負けでした。
その試合で受けたダメージにより、引退危機も囁かれましたが、今でも総合格闘技においても度々結果を残しています。
「ヒョードル戦でKOされ病院に直行した石井ですが、どうやら脳に大きなダメージが残ったようなのです。
一説には『脳浮腫』ともいわれています。
すぐに命の危険があるというものではないようですが、もう1回脳に大きな衝撃があると命にかかわるため、もうリングに上がれないのではないかと推測されているんです。(格闘技事情通)
石井慧の結婚歴・離婚歴① 1度目の結婚の元嫁・離婚理由とは
石井慧さんは、これまでに2度の結婚と離婚を経験しています。
それぞれの結婚・離婚についてご紹介していきましょう。
石井慧の1回目の結婚・離婚【一般女性】
石井慧さんの最初の結婚相手は、ハワイで知り合ったという4歳年下の都内に通う大学生です。
2010年3月にわずか交際3ヵ月で入籍しましたが、翌年の1月には離婚しており、「スピード結婚」「スピード離婚」となりました。
2人は石井慧さんがハワイで修業中に知り合ったとされています。
石井が友人のプロレスラー沢田敦士(26)と一緒にハナウマ湾でシュノーケリングをしていた際、友人と一緒にハワイ旅行中の美香夫人と意気投合。
(中略)
後日、2人はハワイで食事を約束して急接近した。美香夫人が帰国から1週間後、再びハワイを電撃訪問したことをきっかけに交際がスタートした。
同夫人が日本-ハワイを何度も往復する形で愛をはぐくみ続けると、3月に入って石井が「今、結婚しないと、もうしないよ」とせかすようにプロポーズ。
結婚したはいいものの、当時女性は東京都内で大学生、石井慧さんはハワイ在住。
挙式も女性が大学を卒業した後にと考えていたため、挙げていなかったそうです。そのため、結婚生活らしい結婚生活はほとんどなかったと考えられています。
離婚原因については「生活のスレ違い」「石井慧さんの連絡無精」などが挙げられており、女性側は「石井慧さんが嘘をついてばかりだった」とも主張しています。
石井慧さんは当時について、以下のように語っています。
ロス行きも猛反対されていました。自分が細かくメールなどで連絡しないタイプだったので、秋ごろから少しずつ距離ができました。
一方で、女性側は以下のようにコメントしています。
彼が現地での生活を全然教えてくれないので、それが不安の原因。
メールは結構毎日寝る前にしてくれるんですけど、しょうもない内容ばかり。彼からも一切(電話は)かかってこない。
多分練習に一生懸命な方なので、私の存在っていうのはない。
(中略)
彼自身は基本いつも嘘ばっかり、あんまり信用できない。
そのため、女性が石井慧さんの浮気を疑って大暴れしたことも何度かあったようです。
石井慧の結婚歴・離婚歴② 2度目の結婚の元嫁・離婚理由とは
石井慧の2回目の結婚・離婚【林明日香】
石井慧さんは2013年に7月、歌手の林明日香さんと結婚。
元々林明日香さんの10年来のファンだった石井慧さんが、知人に紹介してもらったことがきっかけなのだそうです。
結婚当初は石井慧さんはアメリカを中心に生活、林明日香さんは日本で生活をしていたそうで、石井慧さんの永住権が取れ次第、アメリカで同居する予定でした。
また、新婚時代に出演したバラエティ番組では、石井慧さんの林明日香さんを愛するあまりに起こしてしまう異常行動が話題となりました。
「奥さんがお風呂に入ってる時にパンツを毎日集めてたんです」とまさかの告白。
「自分のカンカンに(入れて、集めていた)」と続け、周囲のゲスト、スタジオの観覧者はドン引きし、悲鳴の声が挙がった。
しかし、結婚から3年後の2016年に離婚を発表しており、その理由については以下のように語っています。
僕、海外にいて離れ離れになっててお互いのためにも別れた方がええんちゃうかなということで。
当時、芸能人の浮気のニュースが数多く出ていた中、「浮気が原因ではない」と主張。あくまで円満離婚だと主張し、離婚後も仲が良いとも述べていました。
石井慧さんは上記のように「海外で離れていたこと」が離婚原因だと述べていましたが、林明日香さんは以下のようにコメント。
海外生活で離れる事が多くてなど簡単な思いでの決断ではなかった事をお伝えさせて下さい。
詳細は述べていないものの、石井慧さんの発表した離婚理由に対する反論を含んでいるようなニュアンスです。
きっと距離以外にも、2人の間で何らかの問題が複数存在したのでしょう。
石井慧の子供とは
石井慧さんには、元妻の林明日香さんとの間に1人お子さんがいます。
2015年2月に誕生していますが、その翌年に離婚をしています。
また、2人の子供については、その「孟沙孜(むさし)」という名前が話題となりました。
2人の長男の名前が謎なんです。
オランダの格闘家ゲガール・ムサシ(Gegard・Mousasi)にちなんで『Mousasi』と命名したそうですが、普通に呼んだら『モウサシ』ですからね。
スペルだけキラキラ系というのも斬新です。
尚、離婚後の親権は林明日香さんが持ち、石井慧さんは養育費を支払う取り決めとなっているそうです。
石井慧さんのインスタなどからは、現在子供と会っている情報などは得られませんでした。
離婚後も、帰国した際には元嫁である林明日香さんと会うこともあると語っていましたが、恐らくはその際に子供とも面会をしているのではないでしょうか。
石井慧の耳が異様な形になった理由とは
石井慧さんについて調べていると、「耳」というキーワードが出てきます。
恐らく、石井慧さんの外耳部分が大きく膨らんでいるような、かなり特徴的な耳の形が気になった人が多いのではないでしょうか。
石井慧さんの耳は両耳とも「耳介血腫」という状態にあり、症状としてはかなり酷い状態にあるそうです。
この耳介血腫は「力士耳」とも呼ばれ、その名の通り、力士や、石井慧さんのような柔道の選手、他にはレスリング・ボクシング・ラグビーなどの選手によく見られる症状だといいます。
耳(耳介)が強く擦られることで皮膚と軟骨の間に隙間ができ、そこに血液が溜まります。
そして、その溜まった血液(血腫)が軟骨への血液をいきわたらせる邪魔となり、一部の軟骨が壊死、そして耳が変形してしまうのです。
特に柔道では、寝技を重点的に練習する選手によく見られるそうで、完璧な治癒には手術が必要となります。また、放置すると元には戻らなくなってしまいます。
その他の著名な柔道選手の耳と比べて石井慧さんの症状が重いのは、もちろん壮絶な練習量がゆえということもありますが、都度適切な処置をとっていなかった可能性もあります。
「勲章」としてあえてそのままにしているのか、治療をしてもすぐにぶり返してしまうからそのまま放置してしまったのかは明らかにされていません。
石井慧が男性用ブラジャーを着用していることで話題に
石井慧さんは過去にテレビ番組で「男性用ブラジャー」を着用していることを明かし、話題となりました。
その理由については、乳首がシャツ越しに浮くことが嫌だったと述べています。
しかしその後は激しいトレーニングによって胸囲が大幅にアップしたため、
男性用ブラも回らなくなり、ニップレスに替えました。
と、語っていました。
ちなみに、ブラジャーの着用を明かした番組で共演した、元プロフィギュアスケーターの織田信成さんも「フィギュアスケートでも女性用下着をつけた男性選手がいる」と暴露しています。
石井慧の現在① クロアチアのミルコ・クロコップの元へ
石井慧さんは、2017年から練習拠点をクロアチアの「チーム・クロコップ」に移しています。
出典:http://www.dreamofficial.com/
チームクロコップはその名の通り、ミルコ・クロコップ選手が所属しており、練習場もミルコ・クロコップ選手の自宅の地下にあります。
石井慧の現在② クロアチア国籍を取得し、クロアチア人に
石井慧さんは現在、クロアチア国籍を取得し、クロアチア人となっています。
国籍取得時期については明らかにはされていませんが、拠点をクロアチアへ移した2017年~2019年の間に取得したものと見られます。
石井慧さんは、日本でのマーケットはもう視野に入れておらず、クロアチアの人に喜んでもらえるような試合をしたいと語っています。
2019年、アメリカの団体「PFL」に参戦した際には、実際にクロアチアの選手として出場。掲げた国旗もクロアチアのものでした。
石井慧さんクロアチア国籍を取得した理由としては、クロアチアの人たちのサポート・応援が大きかったといいます。
いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。
それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。
だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)
石井慧の現在③ 柔道世界女王のクリスティン・ミケルソンと交際中
石井慧さんは、現在クリスティン・ミケルソンさんと交際中であると公表しています。
クリスティン・ミケルソンさんは、柔術世界女王で、2013年には国際ブラジリアン連盟(IBJJF)での大会、2016年にはIBJJF主催のNO-GI(道着なし)の大会で優勝しています。
交際は2018年夏頃からで、石井慧さんはクロアチア、クリスティン・ミケルソンさんはアメリカに在住していたため、遠距離恋愛だったそう。
かつてのインタビューで、2019年8月からクロアチアで同居予定だと語っていたことから、石井慧さんの3度目の結婚も近いのではと噂されています。
なお、石井慧さんは彼女について、以下のように語っています。
彼女のサポートは計り知れない。
ケツをひっぱたかれながら頑張っています。
また、2人のインスタには交際の様子が垣間見えるような写真が、頻繁に投稿されているようです。
石井慧の現在④ 対戦成績は好調
日本にいた頃は、目立つ試合においてより強いマッチメークを求められていた石井慧さん。
そのため、元柔道家の吉田秀彦選手や、元PRIDE王者エメリヤーエンコ・ヒョードル選手、ミルコ・クロコップ選手など、超強豪選手と戦い、敗北しています。
そして、総合格闘家として「弱い」印象がついてしまった石井慧さんですが、今では、格闘技好きのクロアチア人の間で、石井さんはそれなりに知られた存在なのだそうです。
海外の試合においても成績は好調で、2018年にはセルビアの総合格闘技団体「SBC」でヘビー級王座を獲得。
2019年には、同タイトルマッチで初防衛に成功した他、「HEAT 44」総合ルールヘビー級タイトルマッチでも王座を獲得しています。
また、ポーランドの総合格闘技団体「KSW」に参戦した際も、元ヘビー級王者のフェルナンド・ロドリゲス・ジュニア選手に勝利しています。
日本ではあまり知られていないKSWですが、現在ポーランドを中心にヨーロッパで相当な盛り上がりを見せており、日本における全盛期のPRIDEのようなバブル状態にあるといいます。
その中で活躍をみせた石井慧さんは、ヨーロッパでも注目されるようになっているそうです。
まとめ
柔道家としての頂点である、オリンピック金メダリストとなった石井慧さん。
総合格闘技転向後は、強豪選手とのマッチメークによる敗北によって、「弱い」との印象がついてしまいました。
そんな中、石井慧さんはクロアチアに移住。ミルコ・クロコップ選手の下で練習を積み重ね、今や海外で活躍をされています。
また、日本での苦い経験からクロアチア国籍を取得し、クロアチアの人たちが喜ぶよう試合をしたいと語っています。
また、プライベートでは、新たな彼女ができており、公私ともに順風満帆な生活を送っているようです。
日本人国籍でないことは少々残念ですが、これからも石井慧さんが世界で活躍するのが楽しみですね。