アントニオ猪木さんの4人目の妻の橋本田鶴子さんは2019年に62歳の若さで亡くなりました。
この記事では橋本田鶴子さんの年齢や出身地、青森との関係やアントニオ猪木さんとの馴れ初めや結婚、子供、死因や墓の場所などについてまとめました。
この記事の目次
橋本田鶴子(アントニオ猪木の妻)が死去
元プロレスラーで政治家、実業家としても活躍したアントニオ猪木さんの妻・橋本田鶴子(はしもとたづこ)さんは2019年8月27日に亡くなられています。
アントニオ猪木さんが自身のTwitterやFacebookで報告されていました。
8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) August 27, 2019
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。
アントニオ猪木
アントニオ猪木さんの妻・橋本田鶴子さんについてみていきます。
橋本田鶴子のプロフィール
出典:https://img-tokyo-sports.com/
アントニオ猪木さんの妻の橋本田鶴子さんの経歴は詳しいことは公開されていませんが、大学で写真を学んだ後、民放のテレビ局の関連会社でカメラマンとして働いていたとされています。
2001年に、アントニオ猪木さんの写真集「人生のHomeLess アントニオ猪木写真集」を発表されていますが、その写真を橋本田鶴子さんが担当したのをきっかけにアントニオ猪木さんの専属カメラマンになったそうです。
また、橋本田鶴子さんには、2011年から2013年にかけてアントニオ猪木さんの公設秘書を務めていたという事です。参議院議員時代のアントニオ猪木さんは北朝鮮との外交活動を積極的に行われていました。アントニオ猪木さんによれば、本来、北朝鮮の高官は写真に撮られる事を警戒するが、橋本田鶴子さんは北朝鮮の高官にとても気に入られていたため、特別に写真の撮影が許可されていたそうです。
その後は、アントニオ猪木さんの肖像権、商標権、著作権管理などを管理する専属マネジメント会社「コーラルゼット」の取締役副社長を務め、公私ともにアントニオ猪木さんを支えられていました。
橋本田鶴子さんの愛称は「ズッコ」さんでした。
橋本田鶴子はアントニオ猪木設立のプロレス団体「IGF」から訴えられた事も
アントニオ猪木さんは結婚する以前から、橋本田鶴子さんに絶大な信頼を寄せていたという事ですが、2人が結婚してからまだ数ヶ月の2017年6月に、アントニオ猪木さんが2007年に設立したプロレス団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」が、橋本田鶴子さんを相手どって不当利得の返還を求める訴訟を起こしています。
参院議員のアントニオ猪木氏(74)が設立したプロレス団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」が27日、東京都内で記者会見を開き、猪木氏の妻の橋本田鶴子氏を相手取って不当利得返還請求訴訟を東京地裁で起こし、同日第1回口頭弁論が行われたと明らかにした。
これは、「IGF」が、橋本田鶴子さんに接待交際費や旅費、マッサージ代などとして支払った約4250万円を会社の経費とは認められないとして、返還を求めたものでした。
この騒動が起こる前にアントニオ猪木さんは「IGFは整理する」と発言された事から、アントニオ猪木さん側とIGF側との間で骨肉のお家騒動が発生している事が話題になっていました。この橋本田鶴子さんとIGFの裁判沙汰もこのお家騒動が関連していたようです。
アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんと交際を開始してから、自身のブランドの権利などを全面的に橋本田鶴子さんに委ねていたため、アントニオ猪木さんのブランドの利権を橋本田鶴子さんが私欲のために利用しているといった批判的な声も上がっていたようです。
一方で、ビジネス面でいろいろな話に乗って利用されてしまうアントニオ猪木さんを、自分が悪者になる事で盾になって守っていたとする肯定的な声も多くあります。
この騒動の続報は出ておらずどのような結果となったのかはよくわかりません。
橋本田鶴子の年齢や出身
橋本田鶴子さんの年齢は、アントニオ猪木さんの13歳年下と発表されていました。橋本田鶴子さんが亡くなられた時に年齢は62歳と発表されています。その事から生年は1957年だと推測されています。
橋本田鶴子さんの出身地は公表されておらず現在のところ不明です。
橋本田鶴子と青森との関係は?
インターネット検索では、橋本田鶴子さんの関連ワードとして「青森」が出てきますが、これは橋本田鶴子さんが青森県出身というわけではなく、アントニオ猪木さんが、以前から青森の蔦温泉でリハビリを行うなど、関係が深いため浮上してきたワードのようです。
アントニオ猪木さんが青森県を訪れている時に、妻の橋本田鶴子さんも同行していた事も関連していると思われます。
橋本田鶴子とアントニオ猪木の馴れ初めや結婚について
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんは2017年2月20日に結婚されています。この時、アントニオ猪木さんは70歳で、自身4度目の結婚でした。
橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんは2014年頃から同棲状態だったという情報もあるようです。
そして、2011年には週刊誌「女性自身」が、アントニオ猪木さんと「当時52歳のカメラマン女性」との「お泊まり愛」をスクープしていました。さらに、2014年にはウェブメディア「サイゾーウーマン」が、この女性自身による報道が、前の妻の戸倉尚美さんとアントニオ猪木さんの離婚につながった事を報じています。
猪木は2011年、「女性自身」(光文社)に、当時52歳のカメラマン女性との“お泊まり愛”をキャッチされているが、この一件が原因で猪木夫妻は離婚になったようだ。この女性は、もともと猪木ファンの一般人だったというが、猪木が会長を務めるプロレス団体「IGF」の役員を務め、また昨年までは公設秘書の肩書も有していたという。
この報道の内容から、このお泊まり愛をスクープされたカメラマンの女性が、その後結婚することになる橋本田鶴子さんである事は間違い無いと思われます。
アントニオ猪木さんと前の妻の戸倉尚美さんとの離婚成立は2012年11月頃とも、2013年秋頃とも言われていますが、親しい関係者が2012年に離婚としているためこちらが正しい可能性が高いようです。
いずれにしても、時系列的に見てアントニオ猪木さんが橋本田鶴子さんと離婚の前から交際していた可能性は高いようです。
この「サイゾーウーマン」の記事では、アントニオ猪木さんの「(この女性と)再婚するわけないだろう」との発言も掲載されていました。
現在、猪木とこの女性は都内のマンションで半同棲状態にあるというが、本人は同誌の直撃取材に「ハ、ハ、ハ。なんでそうなるんだ。再婚なんてするわけないだろう」と一蹴している。
しかし、それから3年後の2017年にアントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは結婚されました。
橋本田鶴子とアントニオ猪木の子供は?
橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんとの間には子供はいません。アントニオ猪木さんが70歳、橋本田鶴子さんも50代後半になってからの結婚だった事もあり、2人の間に子供ができるという事はなかったようです。
また、橋本田鶴子さんがアントニオ猪木さんとの結婚以前に、結婚の経験があるのかは不明なので、橋本田鶴子さんに子供がいるのどうかも不明です。
橋本田鶴子の死因は膵頭のがん
橋本田鶴子さんは62歳とかなり若く亡くなられていますが、詳しい死因などは公表されませんでした。
報道によれば橋本田鶴子さんは死去の数ヶ月前に体調を崩して入院したという事でしたが、死去の2ヶ月前の6月に行われたアントニオ猪木さんの出演したソフトバンクのCMのスチール撮影を担当されたという事なので、その後に急激に体調が悪化されたという事なのかもしれません。
田鶴子さんは数カ月前から体調を崩し、入院していたという。ただ、6月からオンエアされたソフトバンクのCM「ギガ王」のスチール撮影も担当し、入院中の病院から現場に赴き、撮影したという。
アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんの死因については発表されていませんでしたが、その後に受けたインタビューで、橋本田鶴子さんが「膵頭のがん」で6年間闘病していた事を明かされています。
猪木 周囲にも漏らしていなかったし、だれも知らなかったはずです。没後に初めて診断書を見て知ったのですが、膵臓にある膵頭のがん。闘病期間は6年でした。
この事から橋本田鶴子さんの死因は「膵頭のがん」だと思われます。
橋本田鶴子さんは自分ががんである事をアントニオ猪木さんにすら言っていなかったのだそうです。アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんの死後に遺品などを整理していて、その時に医師の診断書を偶然見つけてはじめてそれを知ったのだそうです。
橋本田鶴子の墓の場所は?
橋本田鶴子さんの死後も、アントニオ猪木さんは長いこと田鶴子さんの遺骨を自宅の仏壇に置いたままにしていたようです。
しかし2022年5月、前述の通り2人にとって思い出の地である青森県に、アントニオ猪木さんが
「アントニオ猪木家の墓」を建立し田鶴子さんの遺骨を納めています。
新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。隣にはこの健脚の「酒仙」大町と共に十和田開発に貢献した武田千代三郎(元青森県知事)、小笠原耕一(元十和田村村長)らの記念碑もある。
引用:アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」
アントニオ猪木も2022年に死去
出典:https://www.koinumamusic.com/
2019年に橋本田鶴子さんがこの世を去ってからほどなくして、アントニオ猪木さんは難病の「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」を発症しています。
病気を公表し、メディアやYouTubeなどで闘病の様子を公開していたアントニオ猪木さんですが、田鶴子さんの死から3年が経った2022年10月、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のため東京都港区の自宅で亡くなられました。79歳でした。
アントニオ猪木さんは本名の「猪木寛至」として葬られることを望んでいたため故郷・神奈川県にある猪木家の墓に埋葬されるとみられていますが、田鶴子さんが眠る青森のアントニオ猪木家の墓に分骨することも検討されているそうです。
今年5月、猪木さんは青森県の秘湯・蔦温泉に「アントニオ猪木家」の墓を建立している。「この墓は2019年に亡くなった妻の田鶴子さんのために建てられました。猪木家の墓は故郷の神奈川県にある曹洞宗の本山にあり、猪木さんもそこに埋葬される予定ですが、田鶴子さんとの思い出がある青森の墓に分骨することも検討されているそうです」
まとめ
今回はアントニオ猪木さんの4人目の妻で、2019年に62歳で亡くなった橋本田鶴子さんについてまとめてみました。
橋本田鶴子さんの生年月日や出身地などは不明ですが、死去時の年齢は62歳と発表されています。
アントニオ猪木さんとの馴れ初めは、2001年に出版されたアントニオ猪木さんの写真集を橋本田鶴子さんが担当された事だったようです。その後、橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんの専属カメラマンになり、猪木さんが参議院議員として活動されていた時にも公設秘書としてサポートされるなどし、信頼関係を築かれたようです。
橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんと半同棲生活を経て、2017年2月に正式に結婚されています。
しかし、結婚からわずか2年半後の2019年8月に62歳という若さで亡くなられています。死因は「膵頭のがん」だったようです。2022年10月にはアントニオ猪木さんも亡くなられましたが、今頃2人は短かった結婚生活の続きを楽しんでいらっしゃるかもしれませんね。