若い頃はレスリングで五輪に出場した元プロレスラーの中西学さんですが、現在はガソリンスタンド勤務という噂もあります。
今回は中西学さんの若い頃の経歴、首を怪我した事故、引退試合動画、話題の朝食、結婚歴や現在を紹介します。
この記事の目次
中西学は「和製ヘラクレス」の異名を持つ元プロレスラー
中西学のプロフィール
出典:https://www.excite.co.jp/
中西 学(なかにし まなぶ)
生年月日: 1967年1月22日
出身地: 京都府京都市
身長: 186cm
体重: 120kg
中西学さんは元プロレス選手です。
学生時代にレスリングで名が知られている選手でした。その後、公務員を経てプロレス界に名乗りを上げたユニークな経歴の持ち主です。
和製ヘラクレスの異名を持つ、中西学さんの若い頃についてこの後の章で紹介していきます。
中西学の若い頃① レスリング選手として活躍した学生時代
出典:https://encount.press/
中西学さんの出身地は京都府。実家は有名な茶農家として知られています。
地元の高校に進んだ中西学さんはレスリングを始めました。それまで運動らしい運動はしてこなかったそう。
それでも、全日本レスリング選手権大会で輝かしい成績を残せたのは、天性の才能があったからなのでしょう。
学生時代の中西学さんを振り返ってみましょう。
プロレスラーになりたくてレスリングを開始
出典:https://www.k-wrestling.com/
幼い頃からプロレスをテレビで見ることが大好きで、いつかプロレスラーになれたらと考えていました。
ただし高校生になるまで特に運動の経験はなく、入学した宇治高校にレスリング部があったので、初心者枠で入部。
それなりに経験を積んでいる部員が多く、最初のうちは苦労したのだとか。すぐに身体を作らないといけないと考えた中西学さん。
真っ先に肉類を食べることを思い付きましたが、親に「牛肉を食べたい」と頼むのも憚られたので、牛乳を沢山飲み、自身で鶏肉を購入して照り焼きを作り、たんぱく質を補ってきました。
高校を卒業すると、進学先に選んだのがレスリングの名門として知られる専修大学でした。
1987年に全日本学生レスリング選手権大会に出場し、フリー100kg級で銀メダルを獲得。
翌1988年には、フリー100kg級とグレコローマン100kg級で2冠を達成しています。
五輪に出場するも敗退
出典:https://www.nikkansports.com/
専修大学を卒業した中西学さんは県庁へ就職しましたが、僅か数年で退職しています。
気になる退職の理由や、レスリングのエリートと呼ばれた中西学さんがプロレスへ転向した経緯を見ていきましょう。
出典:https://www.niigata-nippo.co.jp/
大学卒業後の中西学さんは、和歌山県の県庁に就職した中西学さん。仕事をしながらレスリングの練習をする生活を送ってきました。
1989年、全日本レスリング選手権に出場し、4年連続金メダルを獲得する記録を打ち出してします。
1992年のバルセロナ五輪にフリー100kg級で出場するも、2回戦であっさり敗退。
その後、県庁を退職し、同年8月にかねてより希望していた新日本プロレス入りを発表しました。
公務員をしていると同じ階級の練習相手に恵まれなかったことや、学生時代からプロレス転向を考えていたこともあり、バルセロナ五輪の敗退が良いきっかけになったのかもしれません。
中西学の若い頃② プロレスに転向
出典:https://www.hotpepper.jp/
新日本プロレスに入った中西学さんは、オリンピック出場経験という輝かしい経歴の持ち主として、破格の待遇で迎えられました。
入ってすぐに海外で修行する場を用意してもらった中西学さん。プロレス界に転向した後の活動について紹介します。
クロサワとして活動
出典:http://battle-news.com/
新日本プロレスに入ると、最初は寮生活を送る必要があるそうですが、中西学さんは優待生として免除されていたそう。
新日本プロレスに名乗りを上げた翌年の1995年3月、若手レスラーの新人戦である「ヤングライオン杯」で優勝、周囲を圧倒する実力を披露します。
同年7月から、WWE(当時はWWF)と同等の人気を誇る「WCW」に参戦するためにアメリカへ渡りました。
先輩のマサ斎藤さんから「世界に通用するようなリングネームにしなさい」とアドバイスを受けて、「クロサワ」のリングネームネームを名乗り、ヒール役で活動。
入ってすぐに海外で武者修行を積めるという待遇は、やはりオリンピック出場した経験をかなり買われていたということでしょう。
凱旋後はパワーファイトで圧倒
出典:http://juuninntoiro.xyz/
1996年に凱旋帰国すると、小島聡さんと「ブル・パワーズ」としてタッグを組み、IWGPタッグ王者を獲得するなど、直線的なパワーファイトで周囲を圧倒。
その一方で、個人戦では1回戦敗退など、シングルとしての成績は暫く良い成績を残すことができない状態が続いていました。
個人として花を咲かせたのは1999年のこと。G1で公式リーグ戦をトップで通過し、決勝戦も危なげなく闘い、シングル初優勝を飾っています。
しかし、中西学さんは優勝に満足していませんでした。狙うは「IWGPヘビー級王座」の個人戦でベルトを手にすることだったのです。
中西学の若い頃③ 棚橋弘至を倒してIWGPチャンピオンへ
出典:https://jag-pw.com/
IWGPヘビー級王座でチャンピオンに輝いたのは、2009 年5月6日のことでした。
決勝戦の相手は100年に1人の逸材と呼ばれる棚橋弘至さん。悲願の一戦を紹介します。
棚橋弘至のプロフィール
出典:https://times.abema.tv/
棚橋 弘至(たなはし ひろし)
生年月日: 1976年11月13日
出身地: 岐阜県大垣市
身長: 181cm
体重: 101kg
棚橋弘至さんは1999年に新日本プロレスデビュー。
当時のプロレスは、試合放送が深夜帯に移動するなどの理由で低迷期にありました。
そんな逆境の中、新たなプロレスラー像を作り上げた棚橋弘至さんの奮闘で、これまで少なかった女性ファンが増加し、人気低迷からの脱出に貢献しています。
恩師が男泣き
出典:https://www.esquire.com/
中西学さんは、プロレスデビュー後からIWGPヘビー級王座のチャンピオンを掴むまで、5回失敗してきました。
2009年5月に行われたヘビー級王座決定戦では、大半の見立てとして、対戦相手の棚橋弘至さんが勝つだろうと予想されていました。
100年に1人の逸材と呼ばれた棚橋弘至さんは32歳。一方で中西学さんは42歳というハンデもありました。
6度目の挑戦を制し、王者に輝いた中西学さんの姿を見た恩師の山本小鉄さんは、人目を憚ることなく男泣きをしたというエピソードも残されています。
中西学が首を怪我した事故とその後遺症
出典:https://twitter.com/
中西学さんの引退は、2011年の試合で首に受けた怪我が原因だと言われています。
救急搬送された中西学さんは選手として復帰は絶望的だと言われていましたが、見事に復活。
中西学さんの復帰劇について見ていきましょう。
試合中の事故で首に大怪我
出典:https://www.asagei.com/
2011年6月4日の試合において、対戦した井上亘さんのジャーマンスープレックスを受けた中西学さんは、首を強打し動けなくなるという事故に遭いました。
即救急搬送されるも、「中心性脊髄損傷」と診断され、一時全く体を動かすことができない重症だったそう。
その後、体を動かせるようになると、血のにじむようなリハビリを開始しました。
中西学さんと同じ時期にデビューし、第3世代と呼ばれた永田裕志さんが、中西学さんを見舞った時の様子をインタビューで語っています。
特上すしと焼き肉弁当を持ってお見舞いに行ったんですが、体がシューとしぼんじゃってて。
リハビリで必死に手ぬぐいを引っ張っている。何回も。運動時間終わってもやってる。あれみたら、言葉が出なかったです。
引用:引退中西学の素顔 – 日刊スポーツ https://www.nikkansports.com/
中西学さんの努力はやがて実を結び、絶望的だと見られていた復帰を果しています。
復帰を果たすも後遺症に悩んだ
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
2012年10月8日、両国国技館で行われた復帰戦でタッグマッチを組んだのは永田裕志さん。492日ぶりの試合に挑みました。
見事復帰を果したものの、実は事故による怪我で思わぬ後遺症に悩まされていました。
「狭窄症」と呼ばれる症状が残り、以前のようなキレのある動きができなくなってしまった
のです。
試合に一番支障を感じたのは受け身です。体が固くなり、首に対してガツンと衝撃を受けることが多いと感じるようになったのだとか。
ダメージが残っていると感じながらも、プロレスラーである以上、リングに上がる必要があります。そして、試合には首をかばいながら臨むわけにもいきませんでした。
また、対戦相手も首を痛めていることを知っているだけにそこを狙ってくるのが厳しいと感じていたと中西学さんは後に語っています。
中西学の引退理由とは 【引退試合動画も紹介】
出典:https://twitter.com/
中西学さんが引退を発表したのは、2020年1月7日のこと。
引退理由について多くの憶測が飛び交う中、中西学さんは自身の言葉で理由を説明しています。
また、引退を決意したことで若手レスラーへのメッセージも発信し、将来のプロレス界に対して役立ちたいと考えているようです。
パフォーマンス低下と若手の台頭
出典:https://ja.wikipedia.org/
試合中の事故により、生命の危険に晒された中西学さんは奇跡的な復帰を果しました。
しかし2012年頃は、新日本プロレスの新陳代謝が活性化し、若いレスラーが徐々に台頭していた時代でもありました。
徐々にG1クライマックスへの出場が減っていく状況に、中西学さんは歯がゆい思いを感じ続けていました。
昔のように熱い闘いができなくなり、「もうこれで潮時かな」と、2、3年ほど前から自然に考えるようになったそう。
若手に続けてもらいたい
中西学さんは、試合中の事故は自身の調整不足、練習不足により起きてしまったと語っています。
そして引退するにあたり、若手選手に向けて以下のようなメッセージを発信しています。
若い選手は早く売れたいって気持ちがあってね、そういう気持ちはすごく大切なんですけど、せやけどしっかり鍛えるってことと、首とか足とかのトレーニングはすごく大事なんで、それをおろそかにしたらアカンと。
引用:中西学「今に見とけよ!」- ENCOUNT https://encount.press/
土台がしっかりしないと、なし崩しに崩れていくからそれは伝えたいですね、となるべく長く現役でいるために必要なことを改めて自身の経験から語っています。
引退試合で「死ぬまでプロレスラー宣言」
出典:https://www.tokyo-sports.co.jp/
中西学さんの引退試合は、2020年2月22日に後楽園ホールで開催された「中西学引退試合記念大会」です。セレモニーの様子が動画で閲覧できます。
引退試合では、第3世代と呼ばれる永田裕志さん、小島聡さん、天山広吉さんとのタッグを組み、リング狭しと駆け回る激しい展開で観客を魅了。
セレモニーでは、ファンへの感謝の言葉と「死ぬまでプロレスラーです」という言葉で締めくくり会場を湧かせました。
引退後の道について質問されると、実家の茶農家を手伝いながら、プロレスに関わる仕事に携わりたいと意気込みを語っていました。
中西学の朝食がすごいと話題に
出典:https://ameblo.jp/
中西学さんは現役時代から朝食の写真をSNSで頻繁にアップしていたのですが、その量が尋常ではないと話題を呼んでいます。
どのような朝食なのか、みていきましょう。
モンスターモーニングで話題に
出典:https://twitter.com/
中西学がツイッターで報告した朝食
ツイッターで度々アップロードされる恐ろしい量の朝食画像。中西学さんは「モンスターモーニング」という名前で呼んでいるようです。
元々、ツイッターを始めたものの「おはよう」とか「おやすみ」ぐらいしか呟くことがないことが悩みだったそう。
当時タッグを組んでいたストロングマンさんとの朝食風景を掲載しよう、と思い立ったのがきっかけでした。
地方巡業に出た時には必ず滞在するホテルのバイキングを盛り、ツイッターにアップ。
中西学さんによると、なるべく炭水化物は少なく、野菜や肉を多めに盛ることを意識しているのだとか。
バイキングの画像が次第に話題を呼ぶようになると、朝食を大量に摂取する人というイメージが知られるようになりました。
ホテルにチェックインすると、「バイキング食べますか?」と聞かれることもあるそうです。
中西学の結婚歴と離婚歴…元嫁は近藤典子
出典:http://iwgpnabe.cocolog-nifty.com/
中西学さんは離婚歴があります。元嫁はどのような人なのか、気になりますよね。
元嫁は女優の近藤典子
中西学さんは、女優の近藤典子さんと結婚していました。近藤典子さんは、元プロ野球選手である近藤昭仁さんの次女です。
結婚したのは2000年で2005年に離婚。残念ながら、2人の馴れ初めや離婚の理由については分かっていません。
その後、再婚しているという情報が入ってきていませんので、現在は独身と考えられます。
中西学の現在① ガソリンスタンドで勤務?
出典:https://www.geestore.com/
2020年2月に引退してから1年が経過しました。現在、中西学さんは何をしているのでしょうか。
ガソリンスタンドで働いているという噂も浮上しています。
ツイッターで目撃情報があった
https://twitter.com/gussannda/status/1320976010209210368
2020年10月27日にアップされた一般人と思われるアカウントのツイッターで、「犬山市や小牧市あたりのガソリンスタンドに中西学さんが働いていた!」という呟きがアップされています。
犬山市は愛知県に所在しており、中西学さんが稼業を手伝っている実家は京都です。
実家と場所が離れていることや、中西学さんが反応していないことから見ても、ガソリンスタンドで働いているという目撃情報は、現時点では信憑性が低いと言われています。
中西学の現在② 新たな仕事に取り組んでいる
実家の茶農家を手伝っている
出典:https://www.pinterest.jp/
引退試合では、まずは茶農家で栽培を手伝いつつ、プロレスを布教する活動をしたいと語っていた中西学さん。
2020年9月に発行された毎日新聞において、京都府宇治市の茶畑で働く中西学さんが紹介されています。
学生時代に少し稼業を手伝った程度なので、農業は殆ど未経験者状態ですが、体力を生かして炎天下の中でも黙々と作業をしている様子が写真で掲載されました。
中西学さんは「やるからには腰を据えて、長い伝統のあるお茶の文化を守り、世界中にお茶を届けたい」と力強く語っています。
まとめ
出典:https://www.pinterest.jp/
中西学さんは、高校生になってからレスリングを始め、レスリングの名門である専修大学に進学しました。
学生時代は3年連続でメダルを獲得し、社会人になってからはバルセロナ五輪にも出場。
五輪が終わると新日本プロレスに入り、海外で武者修行を経て、IWGPのヘビー級チャンピオンを目指し努力を重ねてきました。
夢が叶ったものの、その後の試合の事故で首に大怪我を負い、一時は復帰は絶望的だと言われています。
必死のリハビリを経て復帰した中西学さんでしたが、後遺症に悩まされ続け、2020年2月22日に現役引退。
現在は、京都府にある実家の茶畑で茶葉栽培を手伝っている様子が報道されています。
死ぬまでプロレスラーであるために、「将来もプロレスに関する仕事をしたい」と意気込みを明かす中西学さん。後輩の育成など様々な道が考えられますね。
これからの中西学さんを応援しましょう。