国枝慎吾さんは車いすテニス界のレジェンド選手ですが、2023年1月に引退を発表して話題です。
今回は国枝慎吾さんのプロフィールや車いす生活になった原因、凄さがわかる経歴、結婚した嫁や子供、年収、現在をまとめました。
この記事の目次
- 国枝慎吾のプロフィール:車いすテニス選手&歴代最多優勝記録の保持者
- 国枝慎吾の凄さ① 基本ワンバウンドで打ち返す
- 国枝慎吾の凄さ② 自分を信じ続ける
- 国枝慎吾の経歴① 車いす生活になった原因は9歳での脊髄腫瘍
- 国枝慎吾の経歴② 母親の支えで明るさを取り戻す
- 国枝慎吾の経歴③ 車いすテニスと出会ったきっかけは母親
- 国枝慎吾の経歴④ 学生でオリンピックメダリストに
- 国枝慎吾の経歴⑤ 金銭的に厳しく引退を考えたこともあった
- 国枝慎吾の経歴⑥ 世界大会で次々に優勝・金メダル
- 国枝慎吾の経歴⑦ プロに転向
- 国枝慎吾の経歴⑧ 怪我で苦しんだことも
- 国枝慎吾の経歴⑨ 復帰後も好調だった
- 国枝慎吾の経歴⑩ 東京パラリンピックでも金・ウィンブルドンで初優勝
- 国枝慎吾が2023年1月に引退を表明
- 国枝慎吾が結婚した嫁は国枝愛
- 国枝慎吾に子供はいるの?
- 国枝慎吾の名言まとめ
- 国枝慎吾の年収はどのくらい?
- 国枝慎吾の現在
- まとめ
国枝慎吾のプロフィール:車いすテニス選手&歴代最多優勝記録の保持者
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国枝 慎吾(くにえだ しんご)
生年月日: 1984年2月21日
出身地: 千葉県柏市
身長: 173cm
体重: 62kg
国枝慎吾さんは元車いすテニス選手で、これまでにシングルスで28回、ダブルスで22回の累計50回優勝した歴代最多記録を持ち、年間最終ランキングで1位を8回記録しています。
また、4大大会を制覇する「生涯ゴールデンスラム」も達成するなど偉業を成し遂げ、「車いすテニス界のレジェンド」です。
2023年1月に、世界ランキング1位のまま現役からの引退を発表。2023年2月7日に引退会見を開き、その様子が注目を集めました。
国枝慎吾の凄さ① 基本ワンバウンドで打ち返す
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国枝慎吾さんは様々な記録を持っていますが、なぜこれほど強いのか、その凄さがわかるエピソードを紹介します。
健常者のテニスでは自陣コートで1バウンドまでが許されていますが、車いすテニスのルールでは2バウンドまで許されています。
しかし、国枝慎吾さんはほとんどのボールを1バウンドで相手に返しているのが凄いところです。
これは、対戦相手にとってボールが戻ってくるまでの時間が短縮されることを意味しており、かなりの脅威になります。
国枝慎吾さんは昔から、チェアワークと呼ばれる車いすさばきがたくみで、健常者選手と混じって練習していたそうです。
ワンバウンドで戻すことに慣れるために、健常者のテニス大会にも出場してきました。
また、大学生の頃から車いすテニスではスピードとパワーが重視されるようになり、これに対応するためにグリップの握り方を180度変えて、1日1000回の素振りをやり遂げたそう。
もちろん1バウンドで返せる能力の高さは、国枝慎吾さんのもともとの資質もあるでしょうが、目標のために自ら過酷な練習に取り組むという点が、凄さの1つと言えるでしょう。
国枝慎吾の凄さ② 自分を信じ続ける
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テニスを続ける中で様々な選手と対峙してきた国枝慎吾さんですが、ある時期から「恐れるのは強いライバルではなく内なる自分だ」と思い至りました。
選手として大事なのは揺るぎない自信であり、どんな時でも自信を持って試合をすれば、弱い部分を持つ自分に勝ち続けられるそう。
そのため、コーチにからはメンタルを強化するために「ナンバーワンになりたい、ではなく、俺がナンバーワンだ」と断言するトレーニングを勧められました。
それ以来、国枝慎吾さんは毎日、どんなコンディションの状態であっても鏡に向かって「俺は最強だ!」と絶叫してきたんだとか。
長い時は3時間を超えることもある試合中、時には追い詰められて気弱になってしまうそうですが、国枝慎吾さんはそんな時、ラケットに刻んだ「俺は最強だ」という文字を見るそうです。
すると不思議と、スーッと不安な気持ちが消えていくようになったといいます。
プレイヤー人生は良い時ばかりではありません。自分を信じて継続する力も国枝慎吾さんの凄さではないでしょうか。
国枝慎吾の経歴① 車いす生活になった原因は9歳での脊髄腫瘍
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国枝慎吾さんは9歳の時に脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)を患いました。
脊髄腫瘍とは、脊髄やその近くに存在する神経根、硬膜などから発生する腫瘍を指します。
症状は腫瘍が発生した場所によって異なりますが、国枝慎吾さんの場合、神経が圧迫されて手足と背中に激しい痛みがあったとのこと。
最初は腰に違和感が続き、痛みに変わってから病院で検査したところ、脊髄腫瘍だと診断されました。
治療を行ったものの、国枝慎吾さんは下半身麻痺となり、車いすを使った生活を余儀なくされたのです。
国枝慎吾の経歴② 母親の支えで明るさを取り戻す
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病気を発症する前の国枝慎吾さんは、少年野球チームに入るなど活発な少年でした。
9歳という幼さで、一生自分の足で生活できないという事実を突きつけられ、かなりの精神的ダメージを負い、当然ながら相当落ち込んだといいます。
それまで外で友人と遊ぶことが好きだった息子がふさぎ込んでいる様子に、母親の珠乃さんも心を痛めていました。
そんな珠乃さんは、自宅の庭にバスケットボールのリングを設置し、遊びに来た友人達に毎日お菓子と飲み物を振る舞いもてなしたそう。
すると、国枝慎吾さんは少しずつではありますが元気を取り戻していき、それ以降は自身の足について深刻に捉えず、前向きになっていったようです。
国枝慎吾の経歴③ 車いすテニスと出会ったきっかけは母親
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病気が原因で、車いす生活を送ることになった国枝慎吾さん。
ここでは、車いすテニスとの出会いや、テニスと真剣に向き合うようになった経緯について紹介します。
母親に勧められたことがきっかけ
国枝慎吾さんがテニスと出会ったのは11歳の時のこと。趣味がテニスだった母親の珠乃さんに、半ば強制的にコートに連れて行かれたんだとか。
そこは、TTC(公益財団法人 吉田記念テニス研修センター)という、車いすテニス選手を輩出してきた歴史を持つテニススクールでした。
母親に言われるがまま、テニススクールに通い始めたものの、最初はルールも分からず、車イスに回転をかけたり、作戦を練ったりとテニスが難しく感じてしまい、好きになれませんでした。
1年間練習を重ねて、初めて大会に出場しますが、残念ながら1回戦敗退してしまいます。
しかし、あまりにも悔しくてどうしても勝ちたくなった国枝慎吾さん。この日からがむしゃらに練習するようになったそうです。
国枝慎吾の経歴④ 学生でオリンピックメダリストに
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車いすテニスに本気で取り組み始めた国枝慎吾さんは、メキメキと頭角を現します。
中学を卒業後、国枝慎吾さんは千葉県の麗澤高校に進学。そして、高校1年生の時に初めて海外遠征に出ます。
オランダで行われた国際大会でジュニア・チャンピオンになり、麗澤大学に進学した2003年のワールドカップでは日本優勝に大きな貢献を果たしています。
斎田悟司さんとダブルスを組んだ2004年のアテネパラリンピックでは、金メダルを獲得する輝かしい経歴を残したのです。
国枝慎吾の経歴⑤ 金銭的に厳しく引退を考えたこともあった
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学生時代に世界チャンピオンに輝くだけではなく、パラリンピックでもメダルを獲得する快挙を成し遂げた国枝慎吾さんですが、その輝かしい経歴の裏には悩みもあったようです。
国枝慎吾さんが密かに悩んでいたのは、両親の金銭的な負担でした。
国際試合が開かれる場所は大抵は欧州で、普通に飛行機で移動しても交通費は高くなりますが、車いすが手荷物として認められていないため別途運搬費がかかります。
もちろん大会中はずっと現地に滞在するため、宿泊費もかなりの金額に膨らみます。
そのため、国際大会に出場するために1年間に200万円~300万円かかっていたそうです。
父親は普通のサラリーマンで、これ以上迷惑をかけたくないと考えた国枝慎吾さんは、「アテネパラリンピックが終わったら引退しよう」と考えるようになりました。
そして、アテネが最後の大会だと思い臨んだところ、金メダルを獲得し報奨金が入ります。
「金メダルが獲れればテニスが仕事になるのではないか?」と考えを改め、引退ではなくプロになる道を模索することに。
国枝慎吾さんが就職活動を麗澤大学に相談すると「大学の職員として勤務してはどうか?」という提案があり、卒業後は麗澤大学に就職し、寄付金を集める部署で勤務を開始しました。
国枝慎吾の経歴⑥ 世界大会で次々に優勝・金メダル
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大学職員として働き始めた国枝慎吾さんは、両親の経済的な負担に対する不安を払拭したことで、ますますプレイが安定するようになりました。
2006年10月にアジア人初の世界ランキング1位に輝き、2007年には史上初となる車いすテニス男子シングルスの年間グランドスラムも達成しています。
2008年の北京パラリンピックのシングルスでは金メダル、ダブルスで銅メダルを獲得しました。
国枝慎吾の経歴⑦ プロに転向
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北京オリンピックがあった2008年12月、国枝慎吾さんは約2年間勤務した麗澤大学を退職し、2009年4月、日本の車いすのテニス選手としては初のプロ選手に転向することを発表。
2009年5月にダンロップ、8月にはユニクロと所属契約を結び、競技用のウェアの提供も受けることになりました。
プロとして練習に集中できるようになった国枝慎吾さんは、2010年9月に車いすテニス史上初のシングルス100連勝を達成。
2012年のロンドンパラリンピック大会でも安定の金メダル、2015年の全仏オープンではシングルス連覇、ダブルスでは6回目の優勝と驚異的な成績を収めています。
国枝慎吾の経歴⑧ 怪我で苦しんだことも
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目を見張るような活躍をしてきた国枝慎吾さんですが、2016年に右肘のクリーニング手術を受けたことが影響し、リオジャネイロパラリンピックでは準々決勝でストレート負けを喫します。
ダブルスは銅メダルだったものの、国枝慎吾さんにとっては納得できる結果でははありませんでした。
パラリンピック後も肘の痛みは取れず、2016年11月から半年に渡り休業を余儀なくされています。
しかし、国枝慎吾さんは焦ることなく、2017年は1年間かけてじっくりフォームの改造に努める期間に充てました。
これが功を奏し、国枝慎吾さんは2018年は全豪オープンで2年ぶりのグランドスラムタイトルを獲得。全仏オープンでも優勝し、見事復活を遂げています。
国枝慎吾の経歴⑨ 復帰後も好調だった
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国枝慎吾さんは2019年にグランドスラムこそ逃しましたが、自己最多の9勝をマーク。
さらに、これまで目標としてきたウィンブルドンでも、初の決勝進出を果たすなど努力が実った1年になりました。
2020年は新型コロナウイルスが流行し、ツアーが中断して試合のない期間が続いた中、国枝慎吾さんは有志で無観客のエキシビジョンマッチを行うアイディアを思いつきました。
交流のあるプロテニスプレイヤーに声をかけて、ダニエル太郎さんと共に発起人を務めた2020年6月27日~28日の2日間で行われた試合の様子はWOWWOWとYouTubeで配信されました。
YouTubeのチャット欄には「ガチ感がすばらしい」、「国枝選手の車いすワークが速すぎる」といった絶賛コメントが溢れ、ファンを楽しませました。
国枝慎吾の経歴⑩ 東京パラリンピックでも金・ウィンブルドンで初優勝
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2021年の東京パラリンピックでは、国枝慎吾さんが日本人選手の主将として挑み、自身5回目のパラリンピック大会となりました。
シングルスではパラリンピック3つ目の金メダルを獲得。この功績を称え、千葉県柏市は郵便局前に記念のゴールドポストを設置しています。
パラリンピックを終えた後も絶好調な国枝慎吾さんは、2022年の全豪オープンでも優勝。同年のウィンブルドン選手権では念願の初優勝を果たしています。
ウィンブルドンの優勝により、男子シングルス史上初のキャリアグランドスラムとキャリアゴールデンスラムを達成したことに。
国枝慎吾さんはかつてインタビューで「パラリンピックよりウィンブルドンで優勝したい」と漏らしたことがあり、念願叶った嬉しさはひとしおだったのではないでしょうか。
国枝慎吾が2023年1月に引退を表明
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国枝慎吾さんが引退を表明したのは、2023年1月22日のこと。
自身のツイッターを更新し「もう十分やりきったという感情が高まり、決意した」とツイートすると、あっという間にトレンド入りしました。
「昨年、念願のウィンブルドンタイトルを獲得してからは、ツアーで戦うエネルギーが残り僅かであることを感じる日々でした。昨年10回目の年間王者になったことで、もう十分やりきったという感情が高まり、決意した次第です」
引用:車いすテニス・国枝慎吾が引退表明 – 毎日新聞 https://mainichi.jp/
長年の夢であるウィンブルドン優勝を叶えてしまった今、国枝慎吾さんは現役を続けるモチベーションを失ってしまったとのことです。
ツイッターでは「お疲れさまでした」と、これまでの選手生活を労うコメントが多数寄せられました。
国枝慎吾が結婚した嫁は国枝愛
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国枝慎吾と嫁の国枝愛
国枝慎吾さんは2011年、一般人の愛さんという女性と結婚しています。
国枝愛のプロフィール
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旧姓: 岡崎 愛(おかざき あい)
生年月日: 1984年~ 1985年
出身大学: 麗澤大学
国枝慎吾さんが初めて愛さんと出会ったのは、麗澤大学です。実は2人は大学の同級生という間柄です。
詳しいプロフィールは公表されていませんが、国枝慎吾さんの同級生ということは1984年~1985年生まれということになりますね。
2人は同じサークルに所属し、アテネパラリンピックがあった2004年頃から交際をスタート。
約7年に渡る交際を経て、2011年に結婚していいます。
アスリート・フード・マイスターの資格を持っている
愛さんは、2013年に「アスリート・フード・マイスター」の資格を取りました。
資格取得のきっかけは、東北楽天ゴールデンイーグルス所属のプロ野球選手・田中将大さんの嫁である里田まいさんがこの資格を持っていることを知り、軽い気持ちで勉強を始めたそうです。
後になってみると、その知識は国枝慎吾さんの選手生活になくてはならないものとなりました。
日々、インスタにアップされる手料理の画像はどれをとってもバランスが良くて美味しそうなものばかり。
国枝慎吾さんへの料理を作るうえでの愛さんのモットーは、サラダやスープにはたくさんの食材を使うこと、現在住んでいる千葉県の野菜や栄養価の高い食材をセレクトするというもの。
国枝慎吾さんは食べ物の好き嫌いはなく、何でも食べてくれるのですが、愛さんが作ったご飯について「美味しい」などの感想を言うことはなく、料理の写真も撮らないそうです。
このため、愛さんとしては料理への反応がないのは少し寂しいと感じてきました。
しかし、国枝慎吾さんがインタビューで「選手にとって食生活の管理が非常に大事だ」と、食の重要性を述べているのを見て、愛さんはやりがいを感じるようになったそうです。
海外遠征も付き添っている
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愛さんは、2017年から国枝慎吾さんの海外遠征に帯同するようになりました。
きっかけは、国枝慎吾さんが2016年に右肘を手術した後、なかなか痛みが消えず「やっぱり肘が痛い。引退しなきゃいけないかも」と弱音を吐くほど精神的に参っていたからでした。
また、国枝慎吾さんのメンタルは繊細で、大事な試合の前は眠ることができず、睡眠薬に頼ることもありました。
愛さんは、そんな国枝慎吾さんの姿を見て動揺したものの「だからこそ、もっと傍にいよう」と決意し、それ以降は海外遠征にも付き添っているそうです。
こういった気持ちの支えがあったからこそ、国枝慎吾さんは現役時代に安定して大舞台で勝ち続けることができたのかもしれません。
なお、愛さんは旦那の勝つことに対する姿勢には尊敬の念を持っていて、一緒にいるだけで貴重な体験をさせてもらっていると感じているそうです。
国枝慎吾に子供はいるの?
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国枝慎吾さんと嫁の愛さんとの間に、子供がいるという情報は入っていません。そのため、今のところは、夫婦2人で生活を送っているようです。
結婚後、国枝慎吾さんは世界中を飛び回っており、一流プレイヤーとしての活動を優先してきた可能性も考えられます。
今は引退していますし、これから時間や気持ちの余裕が出てきたら、おめでたい報告があるかもしれませんね。
国枝慎吾の名言まとめ
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ここからは、国枝慎吾さんの名言を見ていきましょう。
国枝慎吾さんは、日本に車いすテニスを広げるために、様々な葛藤があったことが判明しています。
名言の裏にある、エピソードについても紹介します。
先駆者として道を切り開いた
私がプロとしてやり遂げられたら、障がい者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられる。障害を持っている子供たちに『車いすテニスプレーヤーになりたい』と夢を持ってもらえる。
この名言は、まだ母校の麗澤大学で職員をしていた時に、かねてより希望していたプロに転向するか、安定を優先して大学に残るかを悩んだ末に、プロになることを決断した時の心情です。
当時の車いすテニスの賞金は、今よりもささやかな金額だったこともあり、プロになっても生活が成り立たず、結果引退せざるを得なくなるのではないかという懸念がありました。
職員という安定を捨てても、「私がプロとしてやり遂げたら障碍者に夢を与えることができる」と考えて、思い切って退職したんだそうです。
冷静に自分と向き合う
詰め切れないのは、まだやらなきゃいけないことがあるということ。
国枝慎吾さんは2012年にブログを更新し、実は2010年から2年間右肘の痛みと闘っていたことを明かしました。
2010年と言えば、シングルスで100連勝という、驚異的な記録を打ち立てていた頃のことです。
様々な治療を試みていたものの完治にはほど遠く、ロンドンパラリンピックを控えるタイミングで手術に踏み切りました。
そしてこの明言は、復帰後に出場した全仏オープンで準優勝に終わり、インタビューを受けた時に出てきた言葉です。
優勝できなかった悔しさを前面に出すのではなく、冷静に敗因を分析し、すぐに次へと切り替えることができるのは、アスリートとして大事な要素なのではないでしょうか。
番外編
日本にはシンゴがいるじゃないか
この名言は、テニス界の絶対王者であるロジャー・フェデラーの発言です。
これは、日本人記者から「なぜ日本にはあなたのような選手が出てこないのか」という問いかけに対しての返しでした。
国枝慎吾さんは、世界王者からも認められている一流のテニスプレイヤーであることがわかりますよね。
国枝慎吾の年収はどのくらい?
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国民的スポーツ選手として知られる国枝慎吾さんですが、年収がどのくらいなのか気になる人が多いようです。
国枝慎吾さんの年収だけではなく、健常者プレイヤーである錦織圭さんとの差についても調査しました。
推定年収は4000万円~5000万円
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国枝慎吾さんの年収は4000万円~5000万円と推定されています。
年収の内訳は、2000万円程度がスポンサーからの契約金です。
国枝慎吾さんの所属はユニクロで、スポンサーとしてHONDA、BNYメロン、ANA、YONEX、NECといった企業が名前を連ねています。
残りの2000万~3000万円はテニスの大会の賞金で、歩合制のように変動する部分と考えて良いでしょう。
ちなみに、車いすのテニスの大会の優勝賞金は、全豪オープンの場合600万円、全仏オープンの場合430万円、全英オープンは400万円、全米オープンは非公開です。
年収4000万円~5000万円という金額だけ聞くと、とても良い条件のように見えますよね。
しかし、遠征費用や、車いすのメンテナンス費用、練習費用、生活費、スタッフの人件費などが差し引かれると、そこまで国枝慎吾さんの手元に残らないため決して多い金額ではありません。
実際に、国枝慎吾さんは「賞金で生活しようとするには全ての大会で優勝しないと厳しいですね」とコメントしています。
錦織圭の年収は推定34億円
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
なお、同じテニスプレイヤーの錦織圭さんの年収は34億円と言われていて、健常者と車いすプレイヤーとの年収に大きな違いがあることが判明しています。
年収の違いは、設定されている賞金の差が最も大きいようです。
例えば東京オリンピックの金メダル獲得者の報奨金は500万円、パラリンピック競技の金メダルは300万円です。
ウィンブルドンでも違いがあります。2022年の実績を見ると、男子シングルスの優勝金額は3億3600万円、車いすシングルスは856万円と、かなりの違いがあります。
ユニクロから報奨金をもらっていた
東京パラリンピック2020で、国枝慎吾さんは金メダルを獲得しているのですが、ユニクロを展開するファーストリテイリングが特別報奨金として1億円を贈呈したことを発表しました。
ファーストリテイリングは「パラスポーツの地位向上、パラスポーツが純然たるスポーツビジネスとしても、十分に成立し得る可能性を示した革命的な出来事」と国枝さんを称えています。
一方の国枝慎吾さんも「最初に聞いたときは、震えてしまいました」と素直に心境を語っています。
こういった特別ボーナスが発生すると年収は大きく跳ね上がりますし、車いすのアスリートにとっては大きな希望となったのではないでしょうか。
2023年以降の年収はどうなる?
2023年1月に引退を表明した国枝慎吾さんですが、今後の年収はどのような第2の人生を送るかによって変わってきそうです。
これまでスポンサーとして名乗りを上げていた企業や、ファーストリテイリンググループとの契約がどうなっていくのかも気になります。
現時点では、国枝慎吾さんの今後のキャリアは明らかになっておらず、公式の発表が待ち遠しいですね。
国枝慎吾の現在
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2023年1月に引退を表明し、2月には引退会見も開いた国枝慎吾さん。現在の国枝慎吾さんに関するトピックについて紹介します。
ユニクロの新聞広告に感激!
引退会見が開かれた翌日の全国の新聞各紙面に、ユニクロが国枝慎吾さんに向けた大きな広告を掲載しています。
タイトルは「11歳の国枝慎吾くんへ」というもので、ユニクロからこれまでの労いと感謝の言葉を綴ったもので、ツイッターにも全文が掲載されています。
この広告を見た国枝慎吾さんは、ツイッターを更新して涙を流す絵文字とともに「おおおおお」と反応。
ツイッター民も「ユニクロの国枝選手へのメッセージに朝から泣かされた」、「広告が素敵すぎて、電車の中で涙が溢れてどうしよう」と感激コメントが多数寄せられました。
パラリンピック選手初の国民栄誉賞受賞へ?
2023年2月3日に松野官房長官が午後の記者会見で、国枝慎吾さんに国民栄誉賞の授与を検討するよう、岸田総理大臣から指示を受けたとことを発表しました。
この報道を受け、国枝慎吾さんは「車いすテニスが評価された。最大限に評価されたことは、大変光栄に感じた」とコメントを発表しています。
もし、受賞が決まればパラリンピックスポーツのアスリートとしては初の受賞となります。
現時点では受賞決定のニュースは届いていませんが、もし決まったら車いすテニスに取り組んでいる後輩たちに、また1つ夢を与えることができるのではないでしょうか。
まとめ
国枝慎吾さんのプロフィール、車いす生活になった原因や経歴、凄さがわかるエピソードや名言、嫁との結婚や子供の有無、現在についてもまとめました。
2023年1月に引退を発表し、現在は国民栄誉賞が検討されている国枝慎吾さん。
これからも車いすテニスの普及に貢献されていくのでしょうか。今後の国枝慎吾さんの活動を応援していきましょう。